沖縄県
おきなわけん ![]() 沖縄県 | |||||
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国 |
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地方 | 九州地方 | ||||
団体コード | 47000-7 | ||||
ISO 3166-2:JP | JP-47 | ||||
面積 |
2,282.10km2 | ||||
総人口 |
1,466,705人[編集] (推計人口、2024年6月1日) | ||||
人口密度 | 643人/km2 | ||||
隣接都道府県 |
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県の木 | リュウキュウマツ | ||||
県の花 | デイゴ | ||||
県の鳥 | ノグチゲラ | ||||
県の魚 県の歌 県民愛唱歌 本土復帰記念日 慰霊の日 |
タカサゴ(グルクン) 沖縄県民の歌 てぃんさぐぬ花 5月15日 6月23日 | ||||
沖縄県庁 | |||||
知事 | 玉城デニー | ||||
法人番号 | 1000020470007 | ||||
所在地 |
〒900-8570 沖縄県那覇市泉崎一丁目2番地2号 北緯26度12分44秒 東経127度40分51秒 / 北緯26.2122度 東経127.6808度座標: 北緯26度12分44秒 東経127度40分51秒 / 北緯26.2122度 東経127.6808度 ![]() | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキポータル | 日本の都道府県/沖縄県 | ||||
ウィキプロジェクト |
概説[編集]
鹿児島県の薩南諸島を除く南西諸島の島々︵沖縄諸島、先島諸島、大東諸島︶から構成されており、東シナ海と太平洋に挟まれている。面積は2,281平方キロメートルで、日本の都道府県では小さい順に香川県、大阪府、東京都に次いで第4位であり、人の居住する日本最南端の地域を含む県でもある[注釈 3]。又、八重山郡与那国町は日本の最西端にある地方自治体であり、与那国島の北北西端にあるトゥイシが日本最西端の地点である[3]。 県民人口の約9割が沖縄本島に集中しており、さらに本島中南部に県人口の8割が集中している。那覇市中心部は三大都市圏に匹敵する人口密度がある。 ほぼ全域が亜熱帯気候であり、一部は熱帯に属する。年間を通して温暖な気候であり、最低気温が氷点下以下になる事はほとんどない。 海上輸送路︵シーレーン︶及び軍事的要地︵第一列島線︶として重要な場所に位置し、多数の在日米軍基地が存在する。主な米軍施設として、嘉手納飛行場、普天間飛行場、キャンプ・バトラーなどが存在する。 歴史的経緯︵後述︶から、宗教、文化並びに風習、人名や方言、料理や食文化及び産業、人口構成ならびに所得格差に至るまで日本列島主要四島との差異が大きい。俗に沖縄﹁県外﹂のことを﹁内地︵ナイチ︶﹂、沖縄県外の日本人を﹁内地人︵ナイチャー︶﹂と呼び分ける場合がある。 日本国内では緯度が低く、上述のような温暖な気候風土や文化の特性から、日本屈指のリゾート地となり、日本人の夏の観光先として定番化した。特に2001年のテレビドラマ﹁ちゅらさん﹂の放送以後は、県外でも沖縄文化がブームを超えて身近なものとして定着し、県外からの観光客や移住者も大幅に増加した。沖縄県としても文化体験、沖縄料理、レジャー、マリンスポーツや戦争遺跡などを強みに観光分野に特に力を入れている。沖縄全体で見た場合の世界的な知名度は、高いとはいえないが、座間味島のみは、ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン二つ星を獲得し、国定公園になったことで、海外でも日本の観光名所として大きく紹介されるようになり、一定の知名度を獲得している[4]。 沖縄県内の産業割合を見ると観光業を含む第三次産業が79.2%を占めている一方で第一次産業は5.4%、第二次産業は15.4%と低調である[5]。沖縄は太平洋高気圧の南側に位置し、熱帯低気圧が発生する海域に近いため、台風発生シーズンの9月上旬から11月上旬までは沖縄の天候が荒れやすく、沖縄発着の旅客機が欠航しやすい。しかし、9月は気温が高いにもかかわらずオフシーズンとなるため、夏と殆ど同じ条件で安価に旅行する事が可能となる。 格闘技界においては空手の発祥の地︵琉球唐手︶として世界的に有名であり、多数の外国人門下生が県内の空手道場に入門し稽古している。ボクシングにおいては石垣市出身の具志堅用高を始めとして数多くの世界王者、名選手を輩出している。名称[編集]
地理・地域・公海[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d4/Map_of_Okinawa_Prefecture.svg/220px-Map_of_Okinawa_Prefecture.svg.png)
島 | 所属自治体 | 備考 | 位置 | |
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最北端 | 硫黄鳥島 | 久米島町 | 有人島に限れば伊平屋島[16] | |
最南端 | 波照間島 | 竹富町 | 日本最南端の有人島[17] | |
最東端 | 北大東島 | 北大東村 | ||
最西端 | 与那国島 | 与那国町 | 日本最西端の島[18] |
地質[編集]
琉球諸島は太平洋側の琉球海溝と東シナ海側の沖縄トラフに挟まれる。琉球海溝はフィリピン海プレートがユーラシアプレートに潜り込むことによりできたもので、これは南海トラフと同様の成因である。また背海盆沖縄トラフはユーラシアプレートが新しい時代に引き裂かれて陥没した1000〜2000mの窪みであり熱水鉱床などがみられる。地質的には琉球列島︵諸島︶のうち沖縄島と奄美大島はケラマ海裂とトカラ海峡とに挟まれた中琉球と呼ばれ、島は海洋地殻の上に海洋地殻の付加体︵海洋地殻の陸側斜面となるユーラシア・プレートの下にフィリピン海プレートが沈み込むときに、海溝の陸側斜面ユーラシアプレートの端に押し付けられて隆起した海洋地殻の上の堆積物︶で構成され、さらに3億〜5000万年前の古い付加堆積物で作られる沖縄島北側と、500万年前に作られた現地性堆積物により構成される沖縄島南側に大きく分けられる。自然[編集]
生物 亜熱帯地帯で生物に好適な気候に恵まれ、貴重な動植物が多い。沖縄本島北部には山原と呼ばれる森林が広がっており、ノグチゲラ、ヤンバルクイナ、ヤンバルテナガコガネといった天然記念物など貴重な生物が生息している。山原と沖縄本島の海岸線の一部、慶良間諸島などが沖縄海岸国定公園に指定されている。西表島一帯および石垣島の一部が西表石垣国立公園に指定されており、マングローブ林が広がるほか、イリオモテヤマネコなどの貴重な生物が生息している。なお、環境省が指定する日本の重要湿地500のうち、55ヶ所が沖縄県内にある。これは、北海道︵61ヶ所︶に次いで日本で2番目に多い。 大雨と水不足 2005年︵平成17年︶から2007年︵平成19年︶各年の6月に梅雨前線の影響で大雨と雷が沖縄本島を襲い、各地で冠水、土砂崩れ、崖崩れなどが相次いだ。平年値では年間を通じて降水量が多いが、梅雨と台風による降雨が多いこと、年による変動が大きいこと、大きな河川がなくすぐに海に流出してしまうことなどから、気候および地形的に水不足に陥りやすい[19]。また、1946年に約51万人だった人口が、本土復帰の1972年︵昭和47年︶に約96万人と増加し、需給関係から1990年代前半までしばしば水不足による断水が行われた[20][21]。特に1981-1982年の渇水では日本最長の326日間にわたって給水制限が実施された。そのため、屋根の上などに給水タンクを設置している家が多い。しかし、沖縄本島北部から南部への導水が進み、また1997年︵平成9年︶に気候に左右されず安定して水の供給が可能な海水淡水化施設が北谷町に完成したことで[22]、2005年︵平成17年︶に県人口が約136万人と増加したものの、断水に見舞われることは減った。 地震気候[編集]
那覇市 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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雨温図(説明) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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降雪[編集]
冬期に降雪があることはごくまれであるが、1977年︵昭和52年︶2月17日に久米島で、2016年︵平成28年︶1月24日に久米島と名護市でそれぞれみぞれ︵気象記録上は雪と同じ扱い︶が観測された[27][28][29]。気象庁が公式に発表した沖縄県での降雪記録はこの2例のみで、久米島での降雪は日本における降雪の南限記録である[30]。 観測開始以前においては、琉球王国の正史とされる﹃球陽﹄によると、1774年、1816年、1843年、1845年、1857年にそれぞれ現在の沖縄県の領域で降雪があったことを記録している[31]。 なお、昭和38年1月豪雪では県内各地で霜、あられ、ひょうなどが観測されており農作物への被害も発生している[32]。 1999年︵平成11年︶12月20日とその前後に那覇市などで﹁雪が降った﹂という目撃談が複数報告され、NHK沖縄放送局でその﹁雪らしきもの﹂の映像を放送したが、気温が高かったことなどから気象台は否定的で[33][34]、公式な降雪記録とはなっていない。平年値 (月単位) |
沖縄諸島 | 大東 諸島 |
宮古諸島 | 八重山諸島 | ||||||||||||||
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沖縄本島 | 伊 是 名 島 |
渡 嘉 敷 島 |
久 米 島 |
南 大 東 島 |
宮 古 島 |
多 良 間 島 |
石垣島 | 西表島 | 波 照 間 島 |
与 那 国 島 | ||||||||
国頭村 奥 |
名護市 | 金武町 | 那覇市 | 南城市 糸数 |
登野城 | 伊原間 | 祖納 | 大原 | ||||||||||
気候区分 | Cfa | Cfa | Cfa | Cfa | Cfa | Cfa | Cfa | Cfa | Cfa | Af | Af | Af | Af | Af | Af | Af | Af | |
平均 気温 (℃) |
最暖 月 |
26.7 (7月) |
28.8 (7月) |
28.6 (7月) |
28.9 (7月) |
27.1 (7月) |
28.3 (7月) |
26.7 (7月) |
28.8 (7月) |
28.5 (7月) |
28.7 (7月) |
29.0 (7月) |
29.5 (7月) |
28.8 (7月) |
28.9 (7月) |
28.9 (7月) |
28.9 (7月) |
28.8 (7月) |
最寒 月 |
14.5 (1月) |
16.3 (1月) |
16.2 (1月) |
17.0 (1月) |
15.2 (1月) |
16.1 (1月) |
15.3 (1月) |
16.7 (1月) |
17.7 (1月) |
18.0 (1月) |
18.4 (1月) |
18.6 (1月) |
18.3 (1月) |
18.3 (1月) |
18.0 (1月) |
18.8 (1月) |
18.4 (1月) | |
降水量 (mm) |
最多 月 |
309.5 (6月) |
248.2 (8月) |
228.8 (5月) |
260.5 (9月) |
253.3 (6月) |
269.9 (6月) |
268.8 (5月) |
263.9 (6月) |
200.6 (5月) |
262.5 (8月) |
249.6 (8月) |
261.6 (8月) |
250.6 (9月) |
273.6 (8月) |
284.1 (8月) |
197.7 (9月) |
293.2 (9月) |
最少 月 |
138.3 (12月) |
96.2 (12月) |
78.3 (12月) |
102.8 (12月) |
111.7 (1月) |
97.5 (12月) |
124.1 (12月) |
119.0 (7月) |
84.7 (1月) |
130.8 (1,7月) |
127.2 (12月) |
126.3 (12月) |
122.3 (7月) |
141.6 (7月) |
137.6 (3月) |
106.2 (12月) |
138.5 (7月) | |
日照 時間 (時間) |
最長 月 |
239.2 (7月) |
245.7 (7月) |
218.1 (7月) |
238.8 (7月) |
210.1 (7月) |
289.8 (7月) |
230.5 (7月) |
255.4 (7月) |
278.8 (7月) |
246.7 (7月) |
199.1 (7月) |
264.5 (7月) |
245.6 (7月) |
253.2 (7月) |
245.4 (7月) |
259.3 (7月) |
258.9 (7月) |
最短 月 |
78.3 (1月) |
86.2 (2月) |
88.3 (2月) |
87.1 (2月) |
93.0 (2月) |
91.5 (1月) |
87.8 (1月) |
77.4 (2月) |
114.5 (2月) |
82.6 (2月) |
73.9 (1月) |
82.1 (2月) |
70.5 (1月) |
74.5 (1月) |
86.5 (2月) |
91.9 (1月) |
55.7 (1月) | |
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島嶼[編集]
島嶼名 | 面積 (km2) | 島嶼名 | 面積 (km2) | ||
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1 | 沖縄本島 | 1,206.98 | 11 | 多良間島 | 19.81 |
2 | 西表島 | 289.61 | 12 | 渡嘉敷島 | 15.31 |
3 | 石垣島 | 222.25 | 13 | 伊是名島 | 14.12 |
4 | 宮古島 | 158.87 | 14 | 波照間島 | 12.73 |
5 | 久米島 | 59.53 | 15 | 北大東島 | 11.93 |
6 | 南大東島 | 30.53 | 16 | 黒島 | 10.02 |
7 | 伊良部島 | 29.06 | 17 | 下地島 | 9.68 |
8 | 与那国島 | 28.95 | 18 | 小浜島 | 7.86 |
9 | 伊江島 | 22.76 | 19 | 屋我地島 | 7.82 |
10 | 伊平屋島 | 20.66 | 20 | 粟国島 | 7.62 |
出典:国土地理院(2016年10月1日現在)[36] |
自然公園[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/21/%E4%B8%87%E5%BA%A7%E6%AF%9B.jpg/220px-%E4%B8%87%E5%BA%A7%E6%AF%9B.jpg)
地形[編集]
- 山岳
- 河川
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/74/01%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%A8%E3%83%89%E3%81%AE%E7%80%A7IMG_3858.jpg/220px-01%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%A8%E3%83%89%E3%81%AE%E7%80%A7IMG_3858.jpg)
地域区分[編集]
2019年現在、沖縄県には11市、5郡、11町、19村があり、町は全て﹁ちょう﹂、村は全て﹁そん﹂と読む。 現代︵2020年︶において沖縄県の地域は北部地域、中部地域、南部地域︵南部離島地域︶、宮古・八重山地域に大分される[45][46]。 南部離島地域は、南部地域に包含される場合があるが、沖縄本島と、伊江島、伊平屋島および伊是名島を除く沖縄諸島と大東諸島の島々の町村を含んだ概念である。 また、伊江島、伊平屋島、伊是名島の村域は北部地域に包含される︵﹁北部離島地域﹂と言う呼び方は公式ではない︶。 ただし、本島周囲の離島であって国頭村、大宜味村、今帰仁村、本部町、名護市、恩納村、うるま市、豊見城市、糸満市、南城市に属する小島嶼[注釈 8] はこれら離島地域には含まれない。- 北部地域(通称・山原(やんばる)地域)
- 中部地域
- 南部地域
- 南部離島地域(すべて島尻郡に属する)
- 宮古・八重山地域
歴史的な地域区分[編集]
その他の行政区分および都市圏[編集]
行政による地域区分は上記のほか、沖縄本島︵周辺離島を含む︶における広域行政圏として北部広域市町村圏、中部広域市町村圏、南部広域市町村圏を持つ。 これら広域行政圏は、沖縄都市圏や那覇都市圏の影響を受けており、行政機能的、商業的にもより実態に即した圏域を構成している。そのため、中部地域に属する浦添市は南部広域市町村圏に組み入れられている。西原町は公式にも中部広域市町村圏だが、より実態に即して南部扱いされる場合も一部にある。沖縄本島︵本島周囲離島及び伊平屋島、伊是名島、伊江島を含む︶[編集]
北部広域市町村圏 ︵旧︶国頭郡の範囲に、島尻郡の伊平屋島と伊是名島を加えた範囲。郡の名称から﹁国頭地区﹂とも呼ばれる。 ●名護市 ●国頭郡 ●国頭村 - 大宜味村 - 今帰仁村 - 本部町 - 恩納村 - 宜野座村 - 金武町 - 東村 ●伊江島︵国頭郡︶ - 伊江村 ●伊平屋島︵島尻郡︶ - 伊平屋村 ●伊是名島︵島尻郡︶ - 伊是名村 中部広域市町村圏 ︵旧︶中頭郡の範囲から浦添市を除いた範囲。沖縄諸島︵伊平屋島、伊是名島、伊江島を除く︶[編集]
南部広域市町村圏︵離島︶ いずれも︵旧︶島尻郡、南部広域市町村圏に属している。南部離島地域と同様の概念で﹁南部離島﹂などとも呼ばれる。先島諸島[編集]
- 宮古地区
- 旧宮古支庁、(旧)宮古郡の範囲
- 八重山地区
- 旧八重山支庁、(旧)八重山郡の範囲
米軍基地[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/08/US_military_bases_in_Okinawa.svg/150px-US_military_bases_in_Okinawa.svg.png)
2017年現在、在日米軍の専用施設は沖縄本島の総面積の15%を占めている[47][48]。
歴史[編集]
概略[編集]
年表[編集]
●1879年︵明治12年︶3月27日 - 琉球藩を廃止し、沖縄県を設置[52]︵なお、太政官布告は同年4月4日付けで出されている[53]︶、4月5日、鍋島直彬が初代県令に就任[54]︵琉球処分︶[55]。 ●1896年︵明治29年︶- 陸軍省臨時台湾電信建設部が大浜︵現在の鹿児島県南大隅町 ︶- 奄美 - 沖縄本島︵現在の読谷村渡具知︶間に電信用の海底ケーブルを敷設。翌年石垣島を経て基隆八尺門︵台湾︶に延伸[56][57]。 ●1936年︵昭和11年︶12月21日 - 沖縄-鹿児島間で無線電話が開通[58]。 ●1945年︵昭和20年︶4月 - 沖縄戦勃発。同年6月23日、戦闘終結。沖縄県全土がアメリカ軍の占領下に置かれる。同年9月20日、沖縄本島の収容所で行われた市会議員選挙で、女性参政権が認められ普通選挙実施[59]。 ●1946年︵昭和21年︶1月 - SCAPIN677により連合国よりアメリカ軍政へ移管。 ●1946年︵昭和21年︶4月 - 米軍主導の元、沖縄民政府発足。沖縄諮詢会で互選された志喜屋孝信が知事に就任。旧県会議員を主体に議会を設立。 ●1948年︵昭和23年︶10月 - ﹁米国の対日政策に関する勧告に対する国家安全保障会議の諸勧告︵NSC/2,3︶﹂により米軍の沖縄の恒久保持、基地の開発の方針を掲示。 ●1950年︵昭和25年︶12月 - 琉球列島米国民政府︵United States Civil Administration of the Ryukyu Islands︶とアメリカ軍政の沖縄統治機関の名称を変更。大規模な基地建設の開始。 ●1952年︵昭和27年︶4月1日 - 琉球政府設立。 ●1957年︵昭和32年︶9月18日 - 台風14号が接近。死者52人、行方不明者79人、倒壊家屋約2万戸[60]。 ●1960年︵昭和35年︶4月28日 - 沖縄県祖国復帰協議会設立。 ●1970年︵昭和45年︶12月20日 - コザ暴動発生。 ●1972年︵昭和47年︶5月15日 - 日本に復帰し沖縄県再設置︵沖縄返還︶。 ●1975年︵昭和50年︶7月 - 沖縄国際海洋博覧会開催。その際皇太子明仁親王︵当時︶夫妻の沖縄訪問時にテロ事件が発生。 ●1978年︵昭和53年︶7月30日 - 対面交通の変更。車両が右側通行から左側通行へ変更。︵﹁730﹂︶。 ●1981年︵昭和56年) 7月 - 日本最長の326日間にわたる給水制限を実施。︵昭和56-57年沖縄渇水︶ ●1987年︵昭和62年) - 第42回国民体育大会開催。 ●1992年︵平成4年) 11月2日 - 首里城正殿などを復元、首里城公園開園。 ●1995年︵平成7年︶9月4日 - 沖縄米兵少女暴行事件が発生し、普天間基地移設問題に波及。 ●1997年︵平成9年) - 日米間で普天間飛行場の返還を含む基地移転案に基本合意。 ●2000年︵平成12年︶ ●7月21日 - 九州・沖縄サミットが開催され、それを記念して二千円紙幣を発行。 ●11月30日 - 首里城などの各グスク、玉陵、識名園、斎場御嶽などが﹁琉球王国のグスク及び関連遺産群﹂として世界遺産に登録される。 ●2002年︵平成14年︶11月1日 - 沖縄美ら海水族館が開園。大水槽および水槽のパネルは当時世界最大規模であった。 ●2003年︵平成15年︶8月10日 - 沖縄都市モノレール線が開通。 ●2004年︵平成16年︶ ●1月 - 明仁天皇︵当時︶、宮古島を初訪問。 ●8月13日 - 沖縄国際大学に米軍ヘリコプターが墜落する (沖国大米軍ヘリ墜落事件)。普天間基地返還の要求が強まる ●2012年︵平成23年︶9月11日 - 尖閣諸島国有化。 ●2013年︵平成25年︶12月27日 - 仲井眞弘多知事が米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けた埋め立てを承認。 ●2014年︵平成26年︶ - 知事選挙で仲井眞弘多が敗れ、翁長雄志が知事に当選。 ●2015年︵平成27年︶ - 普天間飛行場の辺野古移設を巡り県と国が法廷闘争を繰り広げる。工事を一時停止して協議するが9月に決裂し工事再開。 ●2016年︵平成28年︶ - 裁判所の和解案に基づき政府と協議。9月16日、福岡高裁で辺野古移設に関して県の敗訴が確定。 ●2018年︵平成30年︶8月8日 - 翁長雄志知事が死去︵本土復帰後公選知事初の現職没︶[61]。 ●2019年︵平成31年︶2月24日 - 辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票が実施され、投票者の7割超、有権者の4分の1超が反対に投票。 ●2019年︵令和元年) 10月31日 - 火災により首里城正殿、北殿、南殿などが焼け落ちる。 ●2022年︵令和4年) 1月27日 - 沖縄県警察が暴徒に襲撃される事件が発生。人口[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/aa/2010-2015_population_growth_rate_map_of_municipalities_of_Okinawa_prefecture%2C_Japan.svg/350px-2010-2015_population_growth_rate_map_of_municipalities_of_Okinawa_prefecture%2C_Japan.svg.png)
増加 10.0 %以上 5.0 - 10.0 % 3.0 - 5.0 % 0.0 - 3.0 % | 減少 0.0 - 3.0 % 3.0 - 5.0 % 5.0 - 10.0 % 10.0 %以上 |
![]() | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
沖縄県と全国の年齢別人口分布(2005年) | 沖縄県の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 沖縄県 |
■青色 ― 男性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
沖縄県(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
![]() | 現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。 |
政治[編集]
知事[編集]
沖縄県公選知事 | |||||||
代 | 氏名 | 在職期間 | 期 | 出身地 | 最終学歴 | ||
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1 | 屋良朝苗 やら ちょうびょう |
1972年(昭和47年)5月15日 - 1976年(昭和51年)6月24日 |
2 | 中頭郡読谷村 | 広島高等師範学校卒業 (現・広島大学) | ||
2 | 平良幸市 たいら こういち |
1976年(昭和51年)6月25日 - 1978年(昭和53年)11月23日 |
1 | 中頭郡西原町 | 沖縄師範学校卒業 | ||
3 | 西銘順治 にしめ じゅんじ |
1978年(昭和53年)12月13日 - 1990年(平成2年)12月9日 |
3 | 島尻郡知念村 (現・南城市) |
東京大学法学部卒業 | ||
4 | 大田昌秀 おおた まさひで |
1990年(平成2年)12月10日 - 1998年(平成10年)12月9日 |
2 | 島尻郡具志川村 (現・久米島町) |
米国シラキューズ大学大学院修了 | ||
5 | 稲嶺恵一 いなみね けいいち |
1998年(平成10年)12月10日 - 2006年(平成18年)12月9日 |
2 | 関東州大連 (現・中国遼寧省大連市) |
慶應義塾大学経済学部卒業 | ||
6 | 仲井眞弘多 なかいま ひろかず |
2006年(平成18年)12月10日 - 2014年(平成26年)12月9日 |
2 | 大阪府大阪市 | 東京大学工学部卒業 | ||
7 | 翁長雄志 おなが たけし |
2014年(平成26年)12月10日 - 2018年(平成30年)8月8日 |
1 | 真和志村(現:那覇市) | 法政大学法学部卒業 | ||
8 | 玉城デニー たまき デニー |
2018年(平成30年)10月4日 - | 1 | 中頭郡与那城村(現:うるま市) | 上智社会福祉専門学校卒業 |
組織・庁舎[編集]
議会[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/63/Okinawa_Prefectural_Assembly02bs3200.jpg/220px-Okinawa_Prefectural_Assembly02bs3200.jpg)
- 議員定数 48人
- 任期 2020年(令和2年)6月25日 - 2024年(令和6年)6月24日
財政[編集]
2015年度[編集]
●標準財政規模 3567億9084万円 ●財政力指数 0.29︵都道府県平均 0.47︶ ●財政力指数が0.3未満のEグループ︵11自治体︶に分類されている ●経常収支比率 95.1%︵都道府県平均 94.6%︶ ●財政の硬直化が進んでいることを示す指標である ●将来負担比率 81.3%︵都道府県平均 210.5%︶ ●実質公債費比率 12.2%︵都道府県平均 14.1%︶ ●人口100,000人当たりの職員数 1,412.52人︵都道府県平均1,110.90人︶ ●ラスパイレス指数 107.0︵都道府県平均 107.4︶ 地方債残高 ●普通会計分の地方債現在高 6829億9400万円 ●上記以外の特別会計分の地方債︵企業債︶現在高 1541億800万円経済・産業[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e7/Minnajima_beach%2C_Okinawa.jpg/220px-Minnajima_beach%2C_Okinawa.jpg)
産業[編集]
沖縄県は日本屈指の観光立県であり、サービス業が発達して県経済の中心になっている。また在日米軍基地が生み出す経済︵軍雇用者所得、軍用賃借料、米兵向け商店・飲食店など︶に依存している側面があり、経済依存度は、1972年の15.5%から1982年度には7.4%にまで低下し、ここ30年は5%前後で推移している。米軍基地内には、オフィスや病院、ショッピングセンターなどの施設があり、約9,000人前後の県民が基地施設に勤務していて、沖縄県庁に次ぐ大口の就職先になっている。﹁観光﹂﹁公共事業﹂﹁基地収入﹂に依存する﹁3K経済﹂とも称されている[71]。 沖縄県の産業構造は、全国に比べて第2次産業のウエイトが低く、第3次産業のウエイトが高いことが特徴である。平成25年度の県内総生産に占める第2次産業及び第3次産業の割合は、それぞれ13.9%及び84.4%となっており、全国の24.4%及び73.9%と比べその差異は明らかである。特に、製造業の割合は、全国が18.4%に対し沖縄県は4.2%とその差異は極めて大きい。また、政府サービス生産者︵公的な電気・ガス・水道業や公務などの経済活動︶の割合が沖縄県︵平成25年度︶では16.0%と高い。これらの要因として、アメリカ統治下の沖縄では円よりも価値の高い軍票やドルが用いられ外国製品が安く手に入るため製造業が育たなかったこと、本土復帰後は大規模な公共事業に重点的に取り組むも地元企業は下請けに回ることが多く、その結果雇用が見込める大規模工場が少なく、非正規雇用者が多い要因の一つとなっている。2017年の非正規従業員の割合は43.1%と全国で最も高い[71]。 2014年︵平成26年︶度の県内総生産は4兆1749億円で、前年度と比較した経済成長率は、1.5%増加した。名目は3.5%増の4兆511億円で、それぞれ6年連続のプラス成長だった[72]。平成26年度の一人あたり県民所得は212万9000円︵全国平均は286万8000円︶である。失業率は日本一高いが2016年には沖縄の完全失業率は23年ぶり3%台に低下した。 県外の日本国内で生産または供給される商品に関しては、輸送距離の関係から時間・費用が嵩み、輸送費の分だけ県外に比べ割高となってしまう。そのため、県内生産品を除き、県外の地方と比べて、平均小売価格は特段低くはない。食品や携帯電話サービスでは全国的なブランドの商品生産・提供を沖縄独自の法人︵沖縄ビバレッジ、沖縄セルラー電話など︶が一括して担っていたり、オキコやオリオンビールやブルーシールなど、沖縄独自のブランドが特定ジャンルのシェアを占めている場合もある。農業・漁業[編集]
農業では日本有数の亜熱帯性気候を生かし、マンゴー、アセロラ、パインアップル、ドラゴンフルーツなどのトロピカルフルーツや、サトウキビ、タバコ、ゴーヤー︵ニガウリ︶といった農作物が生産されている。また、伊平屋島などでは稲作が盛んである。 漁業ではマグロ、イカ、ブリ、タカサゴ、アジ、アカハタなどの他クルマエビ、モズク[73] の養殖も盛んである[74]。 畜産業では、養豚が古くから盛んに行われ沖縄固有品種アグーが有名。またヤギやウシも生産されている。 本土復帰後は付加価値の高い品目に移り変わりつつある。マンゴーや石垣牛などは産出額を大きく増やしているのに対し、サトウキビやパイナップルは栽培・収穫面積を大きく減らしている[71]。工業・鉱業[編集]
製糖業、飲食料品製造業や、セメント製造を中心とした窯業・土石製品製造業があるがいずれも小規模である。 沖縄本島の本部半島には良質な石灰岩が存在し、セメントの原料や砕石・砕砂の原料として採掘されている。沖大東島や北大東島にはかつて燐鉱山が経営されていたが、北大東島は良鉱石が枯渇しており、沖大東島は戦後、米軍射爆撃場に指定されたたままである。 沖縄本島沖の海底には国内最大規模の熱水鉱床が広がっており、銅、亜鉛などのほか、ガリウムやビスマスなどレアメタルを含むため、次世代の海洋資源として試掘調査が活発化している。 東シナ海の海底には推定埋蔵量約1000億バレルに上る天然ガスや石油が眠っており、日中中間線周辺では中国との領有権争い︵東シナ海ガス田問題を参照のこと︶が生じている。 植物資源を燃料に充てられるバイオエタノールが脚光を浴び、県産サトウキビが原料として注目され試験操業も行われたが、結局採算が取れず撤退した。観光業[編集]
本県の主な産業として、伝統、歴史、自然、食文化や国際色を生かした観光業が挙げられる。ただし、これらの観光業は景気に左右されやすい。 沖縄本島のリゾートホテル付設や公営の海水浴場の多くは、ワイキキビーチと同様に人工海浜であり、観光資源ではあるが﹁沖縄の自然﹂ではない。2009年観光客数は国内外合わせて5,690,000人︵国内‥5,443,800人、海外‥246,200人︶[75] である。2019年の訪れる外国人観光客数は1,951,150人に達し、台湾 (40.00%)、韓国 (22.99%)、中国 (18.38%)、香港 (10.26%)、米国 (3.51%) という比率になっている[76]。米国からの観光客は、米軍基地関係者が多く含まれる。 2000年︵平成12年︶に主要国首脳会議が行われたのをきっかけに、国際会議、コンベンションといったイベント開催地としての体勢作りを進めている。また県はスポーツアイランド構想を掲げエコツーリズムも活発化している。一方2020年︵令和2年︶以降のコロナ禍では観光頼みの沖縄経済のもろさが露呈した。2020年度の観光客数は258万人にまで落ち込み、海外客は復帰後初のゼロを記録した[71]。情報[編集]
1998年︵平成10年︶から﹁沖縄県マルチメディアアイランド構想﹂に基づき、海底ケーブルの陸揚げ本数が多いことから IX (Internet Exchange) の語に掛けて IT Exchange などの呼びかけを行いコールセンターやIT企業の優遇策による誘致を活発に行っている。その一方で内外から施設は立派であるが内容が伴わないとして箱物行政といった批判も多い。 2010年代ごろからスマートフォンアプリの開発業も盛んになっている。優遇税制・特例[編集]
企業[編集]
県内では、本州などで展開している企業の地域会社が多数存在する。沖縄県に本社を置く主要企業[編集]
- 製造業
- 沖縄コカ・コーラボトリング(浦添市)
- オリオンビール(豊見城市)
- ヘリオス酒造(名護市)
- 琉球セメント(浦添市)
- コーラルバイオテック(那覇市)
- フォーモスト・ブルーシール(浦添市)
- おっぱ乳業(今帰仁村)
- 沖縄製粉(那覇市)
- 沖縄ハム(読谷村)
- 沖縄ホーメル(中城村)
- 沖縄食糧(浦添市)
- 小売業
- サンエー(宜野湾市)
- ジミー(宜野湾市)
- 金秀商事(西原町)
- イオン琉球(南風原町)
- リウボウインダストリー(那覇市)
- 沖縄ファミリーマート(那覇市)
- ローソン沖縄(浦添市)
- メイクマン(浦添市)
- ホームセンタータバタ(うるま市)
- 南西石油(西原町)
- りゅうせき(浦添市)
- 一般電気事業
- 沖縄電力(浦添市)
- 都市ガス事業
- 沖縄ガス(那覇市)
- 卸売業
- 情報通信業
- 沖縄セルラー電話(那覇市)
- CSKコミュニケーションズ(那覇市)
- プロトソリューション(宜野湾市)
- 新聞業
- 放送業
- 金融業
- 日本トランスオーシャン航空(那覇市)
- 琉球エアーコミューター(那覇市)
- 沖縄岡崎運輸(那覇市)
- 沖縄交通(那覇市)
- 建設業
- 観光業
- 飲食業
- A&W沖縄(宜野湾市)
- サービス業
- 琉球フットボールクラブ(沖縄市)
- 家賃保証業
- 全保連(那覇市)
交通[編集]
空港[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/ec/Naha_Airport13s3s4410.jpg/220px-Naha_Airport13s3s4410.jpg)
空港 | 旅客合計 | 国内線 | 国際線 | |||
---|---|---|---|---|---|---|
旅客数 | 定期便 | 旅客数 | 定期便 | |||
那覇 | 21,161,683人 | 17,524,761人 | 県外 | 新千歳・仙台・茨城・羽田・成田・(新潟)・小松・静岡・中部・伊丹・関西・神戸・岡山・広島・岩国・高松・松山・高知・北九州・福岡・熊本・長崎・宮崎・鹿児島・奄美・徳之島・沖永良部・与論 | 3,636,922人 | ソウル・釜山・大邱・北京・上海・天津・杭州・南京・香港・台北・台中・高雄・バンコク・シンガポール |
県内 | 北大東・南大東・久米島・宮古・石垣・与那国 | |||||
石垣 | 2,497,171人 | 2,411,480人 | 県外 | 羽田・成田・関西・中部・福岡 | 85,691人 | 台北 |
県内 | 那覇・宮古・与那国 | |||||
宮古 | 1,700,590人 | 1,699,901人 | 県外 | 羽田・関西・中部・(福岡) | 689人 | - |
県内 | 那覇・石垣・多良間 | |||||
久米島 | 258,640人 | 258,640人 | 県外 | (羽田) | 0人 | - |
県内 | 那覇 | |||||
与那国 | 105,302人 | 105,302人 | 県内 | 那覇・石垣 | 0人 | - |
南大東 | 48,418人 | 48,418人 | 県内 | 那覇・北大東 | 0人 | - |
多良間 | 45,186人 | 45,186人 | 県内 | 宮古 | 0人 | - |
北大東 | 19,303人 | 19,303人 | 県内 | 那覇・南大東 | 0人 | - |
粟国 | 3,794人 | 3,794人 | 県内 | 那覇 | 0人 | - |
慶良間 | 490人 | 490人 | - | - | 0人 | - |
伊江島 | 0人 | 0人 | - | - | 0人 | - |
下地島 | 0人 | 0人 | - | - | 0人 | - |
波照間 | 0人 | 0人 | - | - | 0人 | - |
鉄道路線[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1e/Okinawa_City_Monorail.jpg/220px-Okinawa_City_Monorail.jpg)
バス[編集]
沖縄本島では那覇市・浦添市内の沖縄都市モノレール︵ゆいレール︶以外に鉄道がないため、都市内および都市間を結ぶ交通機関として、島内各地にバス路線網が展開されている[89]。また、石垣島や宮古島でも島内の交通機関としてバス路線網がある。 ほかに、島の港、空港、中心集落や観光地を結ぶ交通手段として、小規模な路線バスの運行が行われている島も多い。 また、沖縄県は、前述のとおり日本で唯一、国鉄バスと後身のJRバスの定期旅客営業路線が歴史上において存在したことのない都道府県である。 一般乗合・一般貸切兼業 ●沖縄本島 ●琉球バス交通 ●沖縄バス ●那覇バス ●東陽バス ●カリー観光︵八重山諸島でも同業を展開︶ ●やんばる急行バス ●沖縄エアポートシャトル ●中央交通︵沖縄本島では一般貸切専業、宮古諸島でのみ兼業。︶ ●宮古諸島 ●宮古協栄バス ●八千代バス・タクシー ●共和バス ●八重山諸島 ●東運輸 ●西表島交通 一般貸切専業 ●沖縄本島 ●中部観光バス ●大東交通 ●ワールドトランス ●平安座総合開発 ●沖宮観光バス ●結 ●サクシードプランニング ●美ら島 ●國和第一ハイヤー ●翔陽 ●沖縄南観光 ●ハイウエイ沖縄 ●太陽交通 ●カリー観光 ●ロケーションファースト ●アンドインディー ●フジさくら観光 ●Island Limousines ●タワダロケーションサービス ●ダイトウ ●沖縄ツーリスト ●伊江島 ●伊江島観光バス ●久米島 ●久米島交通 ●八重山諸島 ●平田観光 ●かびら観光交通 ●竹富島交通 ●コハマ交通 ●ちゅら島交通 ●いりおもて観光 ●最西端観光道路[編集]
●本土復帰後、1978年︵昭和53年︶7月29日までは、車輌は右側通行だった。※ 730 (交通)も参照。 ●沖縄本島、特に那覇都市圏では渋滞が激しく、県内の1km当たりの渋滞損失額は三大都市圏の都府県に次いで大きい[90]。 ●他の都道府県と比べ県の特性上、レンタカーを示す﹁わ﹂ナンバーや﹁れ﹂ナンバー、米軍関係者の使用車であることを示す﹁Y﹂ナンバーや﹁A﹂ナンバーの車が非常に多い。 ●県の自動車保有台数は約100万台である。 高速道路 ●沖縄自動車道 ●那覇空港自動車道 一般国道 ●国道58号 ●国道329号 ●国道330号 ●国道331号 ●国道332号 ●国道390号 ●国道449号 ●国道505号 ●国道506号 ●国道507号 県道港湾[編集]
航空機を使うまでもない近接離島間の移動には、船舶が広く利用されている。
生活[編集]
警察[編集]
医療・福祉[編集]
教育[編集]
マスメディア[編集]
新聞[編集]
2大県紙のシェアが合わせて約7割弱に達し、全国紙︵一般紙︶は下記の事情もあり、他県と比べシェアが極めて低い[92]。また、先島諸島では独自の地域紙が発行されている。 県紙 ●沖縄タイムス ●琉球新報 先島諸島の地域紙 ●宮古毎日新聞、宮古新報︵宮古列島︶ ●八重山毎日新聞、八重山日報[注釈 18]︵八重山列島︶ 地方紙その他 西日本新聞も沖縄県の官公庁や図書館、および九州に本社を置く企業・法人の出先機関︵沖縄支店など︶に向けた事実上の﹁業務用﹂として新聞を発行していたが、2009年︵平成21年︶に発行を停止した。同新聞は1967年︵昭和42年︶-1977年︵昭和52年︶と2000年︵平成12年︶-2009年︵平成21年︶に那覇支局を設けていた。 全国紙 読売新聞、毎日新聞、朝日新聞、日本経済新聞、産経新聞の各社が県に総局・支局を設置している。2008年︵平成20年︶11月1日より日経が琉球新報社への委託による現地印刷を開始し、全国紙では唯一、朝夕刊︵2018年1月からは朝刊のみで、夕刊は廃止した。︶とも地元紙と同時に配達を行っている。なお、読売、毎日、朝日は東京本社版および西部本社版を、産経と、世界日報[注釈 19] は東京本社版を取り扱う販売店が存在する。これらの一般紙はいずれも発行地より空輸されるため、配達は当日の午後にずれ込む︵前日の夕刊と同時配達︶。また先島諸島や大東諸島については、全国紙だけでなく地方県域新聞2紙も印刷後空輸や船便で配送されるため、本島などから比べて朝刊の配達が遅れてしまう。 スポーツ紙 スポーツ新聞は、日刊スポーツとスポーツニッポン︵新報スポニチ︶が県で現地印刷を行っているが、両紙とも本州などで発行される新聞とは異なり、10〜12ページで発行されている︵沖縄県には公営競技の施設がないため公営競技面は掲載されていないほか、番組表も非掲載︶。なお、那覇空港内や那覇市内の一部のコンビニでは、東京本社版の各紙が発行日当日に空輸され販売されているが、価格は定価より50円上乗せした180円となっている。放送局[編集]
デジタルテレビの親局送信所は、NHKと沖縄テレビが豊見城市高安に共用し、RBCとQABは1kmほど離れた豊見城市嘉数に共用している。NHK-FMの親局とRBCのFM補完放送のメイン中継局は、それぞれ兼営するデジタルテレビ送信所に設置。単独局のFM沖縄は南風原町の新川に単独で、ラジオ沖縄のFM補完放送のメイン中継局はそこに近接するおきなわTOWERに設置されている。 ●NHK沖縄放送局 - 旧沖縄放送協会 ●琉球放送 (RBC)︵テレビ‥JNN ラジオ‥JRN︶ ●通常時終夜放送実施局 ●沖縄テレビ放送 (OTV) (FNN/FNS) ●琉球朝日放送 (QAB) (ANN) ●一部業務を琉球放送に委託 ●通常時終夜放送実施局 ●ラジオ沖縄 (ROK) (NRN) ●エフエム沖縄 (JFN) ●AFN - 在日米軍放送。本州や長崎県にある各局と違い、中波 (AM) ラジオだけでなくテレビおよびFMラジオでも番組を制作し放送している。テレビ放送における特記事項[編集]
先島諸島・大東諸島における特記事項 大東諸島では長らく県内のテレビ放送が受信できなかったため、アナログ放送では関東広域圏を放送対象とするテレビ局のうち日本テレビ・テレビ東京を除く各局の放送を、小笠原諸島向けに送信されている衛星回線を使用し中継していた︵このほか、NHK衛星第1・NHK衛星第2テレビも地上波で中継︶。なお、県内の話題については電話回線を利用した字幕情報が必要に応じて挿入されていた。その後、2011年︵平成23年︶初頭から敷設工事が進められた海底光ケーブルで送られてくる信号で沖縄本島からのテレビ放送波を送ることができるようになり、同年7月のNHK沖縄放送局・民放各局のデジタル中継局の開局によって、RBC は本島のテレビ放送開始から51年、OTV は本島の開局から52年、QAB は本島の開局から16年でようやく視聴可能になった︵詳細は大東諸島#テレビ放送を参照︶。 先島諸島に関しても、テレビ放送の開始当初は先発3社4局︵NHK・民放2チャンネルずつ︶の中継局が整備されておらず、那覇本局からの電波を直接受信、ないしはケーブルテレビの中継回線を介した受信も技術的に不可能であったので、1993年︵平成5年︶12月の中継局開設までは在那地上波の受信が全くできなかった。そのため、宮古テレビ、石垣ケーブルテレビの自主放送で、在那局、及び三大都市圏のいわゆるキー局などからの番組販売を独自に購入した番組をネットするという状態が続いた。 なお、琉球朝日放送 (QAB) は、1995年︵平成7年︶に開局後も先島諸島での中継局が整備されなかったため、宮古・石垣では引き続きケーブルテレビの自主放送によりテレビ朝日の番組を時差放送していたが、2009年︵平成21年︶10月21日にデジタル新局として QAB の中継局が設置され、本島の開局から14年でようやく視聴可能になった。これに伴い、宮古・石垣のケーブルテレビにおいても、中継局非設置の代替として、デジアナ変換[注釈 20] による補完再放送を行っていた。 ネットワーク系列局の空白 県内には、日本テレビ・テレビ東京両系列の放送局が置かれていない︵佐賀県と並び、クロスネット局を含めた日本テレビ系列が放送対象地域外となっている都道府県でもある︶が、これらの系列各局により制作された番組の一部は県内の他系列に属する放送局で、ローカル枠で放送されている他、OTVでは、日本テレビ系列が主催する毎年夏放送の﹃24時間テレビ﹄、﹃高校生クイズ﹄および年末年始の﹃全国高等学校サッカー選手権大会﹄の中継︵沖縄県大会および全国大会の沖縄県代表絡みの試合︶にも参加している他、日本テレビ系が放送権を獲得したFIFAワールドカップの日本代表戦や夏季オリンピックの女子マラソン競技の中継の沖縄県でのネットを担当する。︵放送時間がフジテレビ系列の全国放送番組の時間帯に被った場合、その番組については臨時にネット返上するか後日振替放送を行う。︶ 日本テレビでは、系列局のない県内におけるニュース取材を行う目的で日本テレビ那覇支局を設置している。なお、同局系列の放送局については1990年代に南西放送が開局予定だったが実現しなかった。 他県と隔絶しているゆえの事象 県内の全てのケーブルテレビ局では、アナログ・デジタルとも地形や技術上などの問題もあり、県外民放の再配信は一切行われていなかったが、2019年8月1日からは沖縄ケーブルネットワークの自主放送﹁テレビにらい﹂で、2022年10月1日からは宮古テレビの自主放送で、鹿児島読売テレビ︵日本テレビ系列︶の一部番組のネットを開始した。2020年10月3日から﹁日テレ系ライブ配信﹂︵現・日テレ系リアルタイム配信︶で時間帯限定であるが日本テレビ系列の番組が視聴可能になる[94]。また琉球新報・沖縄タイムスの番組表も鹿児島県を含めた県外民放はラジオを含め一切掲載されていない[注釈 21]。AMラジオ局について[編集]
●沖縄本島北部、先島諸島および大東諸島では夜間〜早朝を中心に近隣国の混信をまともに受けやすいため、FM電波を使って中継放送が行われている。 ●FM沖縄は1984年に転換するまではAMラジオ局極東放送として放送されていた。 ●沖縄返還後もしばらく民間放送による英語放送が続けられ、琉球放送による放送︵KSBK→返還時にJORO︶が1973年まで、Far East Broadcasting Company︵アメリカ法人。日本語放送は1972年12月に上記極東放送へ引き継ぎ︶による放送が1977年まで続けられた。FMラジオ局について[編集]
●FM沖縄は、現在先島諸島の多良間島以南、大東諸島では中継局がないため直接受信不可[注釈 22]。NHK-FM は現在大東諸島では中継局がないため直接受信不可である[注釈 23]。 ●またコミュニティFM局は県下全ての市にあり、2020年8月現在で計19局が放送を行う[注釈 24]。インターネットラジオでの再放送[編集]
●radikoでは、沖縄県内の無料配信、及びそれ以外の県での有料会員制﹁radiko.jpプレミアム︵エリアフリー聴取︶﹂のサービスでは、RBC iラジオ、ラジオ沖縄、FM沖縄を配信している。 ●NHKネットラジオ らじる★らじるでは、東京・名古屋・大阪・札幌・福岡・仙台・広島・松山の各放送局の県域放送を選択してラジオ第1・2、FMが聴取できるが、沖縄県の県域ローカル放送は選択できないため同アプリでは聴取できない︵2018年からradikoでも提供しているが、ラジオ第1は福岡局、FMは東京本部局のみ聴取可能。タイムフリー聴取不可=番組ごとの聞き逃し配信サービスは一部を除きらじるらじるにて聴取可能︶。コールサインについて[編集]
アメリカ合衆国の施政権下では KSxx を用いていたが、本土復帰︵1972年︵昭和47年︶︶以降は JOxx を用いている。ケーブルテレビ[編集]
●沖縄県のケーブルテレビ局を参照。なお大東諸島にはケーブルテレビ局が現状[いつ?]ない。文化・スポーツ[編集]
琉球王国成立以前から日本本土の影響を受けつつ、中国大陸や東アジアの文化も受け入れ、混ざり合う文化を築き上げてきた[95]。また太平洋戦争後から沖縄返還に至るまで、長期間米軍に統治されていたため、アメリカ合衆国の文化も多岐にわたって浸透している。宗教[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/67/Sefautaki.jpg/170px-Sefautaki.jpg)
言語・方言[編集]
人種・民族[編集]
名字[編集]
建築[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/49/Nakamura_House_Kitanakagusuku01n3104.jpg/220px-Nakamura_House_Kitanakagusuku01n3104.jpg)
伝統工芸[編集]
芸能など[編集]
衣装[編集]
伝統的衣装である琉装のほか、近年ではアロハシャツに似たかりゆしウェアも見られる。 戦後は収容所で生活していた住民らに米軍から放出された衣類が支給された。収容所が解体された後も耐久性や利便性から米軍放出品の衣類が利用され、現在に至るまで[要出典]販売されている。武術[編集]
馬術[編集]
料理[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/cd/Awase_soba_by_ayustety_in_Okinawa_city.jpg/220px-Awase_soba_by_ayustety_in_Okinawa_city.jpg)
差別、圧政[編集]
![]() | この節は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。(2019年12月) |
![]() |
琉球人による差別[編集]
大和人による差別[編集]
日本本土ではかつて、沖縄出身者が異質な存在として差別的に扱われることが多かった。1903年には展覧会で沖縄出身の遊女をアイヌや台湾原住民などとともに異民族として﹁展示﹂し、沖縄県民の反発を招く事件が起こった︵詳細は人類館事件を参照︶。大正から昭和初期にかけて沖縄から県外への出稼ぎが増加した際には、県外の言語や慣習、例えば標準語や時間感覚などに不慣れな者が多かったことなどを背景に、求人告知や商店の入口で﹁琉球人お断り﹂と但し書きされる事例があった。在沖米軍による圧政[編集]
戦後のアメリカ統治時代に、米軍は銃剣とブルドーザーによって強権的に土地を接収し、米軍兵による強盗、強姦や殺人などの事件が相次ぎ、沖縄人の間に反米感情が高まった。特にポール・W・キャラウェイ琉球列島高等弁務官時代には非常に強権的な態度で沖縄人を抑圧した︵キャラウェイ旋風︶。1970年12月には、米軍人による交通事故を発端にコザ暴動にまで発展した。奄美出身者への差別[編集]
地理的、文化的に近い奄美群島は、琉球王国の侵略を受け15世紀から17世紀初頭にかけて服属していたが、その琉球王国が薩摩藩の間接支配を受け幕藩体制下に入り、明治維新から琉球処分を経て併合された後もなお、沖縄との人的交流が盛んな地域であった。しかし、太平洋戦争後のアメリカ占領軍の施政下から奄美群島が先に祖国復帰を果たすと、「日本国民」に戻った奄美出身者の公職追放、参政権剥奪、財産権の制限など基本的人権を大幅に制限する施策が、沖縄本島住民の陳情により次々と導入された。また、民間に差別感情が広まった。沖縄マスコミもこれらを煽る報道を行った。
先島諸島民への圧政[編集]
混血児への差別[編集]
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ハンセン病者への差別[編集]
沖縄県はハンセン病が多く発生してきた地域であり、20世紀末には日本人の新規発症者の6割から7割を沖縄県出身者が占めている[121][122] が、沖縄社会のハンセン病に対する差別や迫害は厳しいものであった[123]。シマではハンセン病者︵﹁クンチャー﹂と呼ばれ、これは乞食を意味する琉球方言である︶をガマ、崖地、ゴミ捨て場などに隔離し、シマに戻ることを禁じる文化があった[124]。亡くなっても一族の墓には入れず、逆さまにして埋め、二度と生まれてこないよう呪いをかけた[125]。昭和50年代に火葬場が増えてから沖縄にも県外式の葬儀が広まった[126] が、その下でも遺骨に炒り豆を置く呪い︵﹁これが芽吹いたら生き返ってこい﹂という意味だが、炒ってあるので絶対に芽は出ない︶が行われている[127]。 近代医学的なハンセン病医療の場を作る動きに、沖縄県民は激しく抵抗した[128]。国立ハンセン病療養所設置を阻止するための暴動︵嵐山事件︶が起きたり、療養所設置を求めた青木恵哉ら、ハンセン病患者が焼き討ちにあったりもしている。その青木らにより、ようやく開園にこぎつけた沖縄県立国頭愛楽園︵現在の国立療養所沖縄愛楽園︶は、地域社会との交流が他の療養所以上に乏しかった。 感染性への誤解も根強く、琉球新報は投薬治療中の教員から児童へ感染が広がっているという誤った考え方を主張し︵後に他紙記者により﹁沖縄戦後ジャーナリズム最大の汚点﹂と指弾される︶、またらい予防法廃止︵1996年︶の前に行われた世論調査では住民の87%がハンセン病患者の全員隔離に賛成という結果が出ている[129]。精神障害者への差別[編集]
復帰前の調査では、沖縄は精神障害の有病率が県外の2倍との結果が得られ[130]、近年でも精神的疾病、性暴力、家族内暴力、学校内暴力、自殺などが全国トップレベルである[131]。 その沖縄で特徴的なのは、西洋医学とは整合しない土着の信仰や旧習に基づく障害観である。精神障害者を家族が座敷牢に閉じこめる私宅監置は、県外では1950年に禁止されたが、沖縄では復帰後もなお障害者の座敷牢状態が続き、また家族は地域社会から疎外され見捨てられる有様であった[132][133]。精神障害は悪霊︵マジムン︶によって起こされているという理解もあり、これを迷信として否定するよう呼びかける精神科医がいる一方で、ユタ信仰の影響を受け土着化したキリスト教である沖縄キリスト教福音はその主張自体が悪霊に言わされているものだと批判し、統合失調症やてんかんには悪霊払いを行っている[134][135]。﹁医者半分、ユタ半分﹂ということわざがあり、精神科医が精神病の患者にユタを勧める例もある[136]。 一方、ユタは精神障害者に近いというとらえ方から、精神障害者が社会の役に立っているという認識をしている人も多い[137]。精神異常を来した者のうち、神や先祖とのコンタクトや憑依体験に至った者はカミダーリと呼ばれ、社会に受けいれられる﹁肯定的な狂気﹂として存在できる[138]。自衛官への差別[編集]
職業差別として、自衛官に対する差別がある。本土復帰に伴い自衛隊が沖縄に配置されると、自衛官たちは人殺し呼ばわりされ、自衛隊員の子供は半年以上も学校に通うことが出来なかったほどである。また様々な行事から閉めだされた上に、参加が許可されても自衛隊を名乗ることを許されなかった。自治体は自衛官やその家族の住民登録を拒否し、ゴミの処理を受け付けなかった事例もあった。那覇ハーリーで自衛隊を名乗って参加することが許されたのは2001年のことであった[139]。 2017年3月9日には宮古島市の市議である石嶺香織が、自身のFacebookに﹁︵アメリカ︶海兵隊から訓練を受けた陸上自衛隊が宮古島に来たら、米軍が来なくても絶対に婦女暴行事件が起こる﹂などと投稿し炎上したため、﹁自衛隊全体を批判しているわけではない﹂と謝罪し﹁戦争のための軍隊という仕組みに対して︵批判した︶﹂などと言及したところ、再度炎上する事態となり、石嶺は2つの投稿をFacebookから削除した[140]。宮古島市議会は﹁投稿は自衛隊員、米海兵隊員に対する職業的差別であり、断じて許すことができない暴言と言わざるを得ず、市議会の品位を著しく傷つけるものだ﹂などとして石嶺に対する辞職勧告決議︵賛成20、反対3、欠席1︶を可決した。石嶺は﹁私は議会が選んだ議員ではない﹂などとして辞職を拒否している[141]。スポーツ[編集]
スポーツチーム[編集]
- クリード安仁屋ベースボールクラブ(野球)
- FC琉球(サッカー Jリーグ)
- 琉球ゴールデンキングス(バスケットボール Bリーグ)
- 琉球コラソン(ハンドボール 日本ハンドボールリーグ)
- 琉球アスティーダ(卓球 Tリーグ)
- 琉球ボクシングジム(ボクシング)
主なスポーツイベント[編集]
スポーツ施設[編集]
観光[編集]
沖縄県を舞台とした作品[編集]
- 映画
- ひめゆりの塔 (1953年、東映)
- 電光空手打ち(1956年、東映)
- 狼やくざ 殺しは俺がやる (1971年、東映)
- 激動の昭和史 沖縄決戦 (1971年、東宝)
- 夏の妹 (1972年、日本ATG)
- ゴジラ対メカゴジラ(1974年、東宝)
- 沖縄やくざ戦争(1976年、東映)
- 空手バカ一代 (1977年、東映)
- 男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 (1980年、松竹)
- 友よ、静かに瞑れ(1985年、東映セントラルフィルム)
- ベスト・キッド2(1986年)
- マリリンに逢いたい(1988年、松竹富士)
- Aサインデイズ (1989年、大映)
- 3-4X10月(1990年、松竹)
- ソナチネ(1993年、松竹)
- モスラ2 海底の大決戦(1997年、東宝)
- 釣りバカ日誌イレブン(2000年、松竹)
- ニライカナイからの手紙(2005年、IMJエンタテインメント=ザナドゥー=エルゴ・ブレインズ=ビジュアルアート研究所配給)
- 涙そうそう(2006年、東宝)
- カフーを待ちわびて(2009年、エイベックス)
- てぃだかんかん(2010年)
- 絶壁の上のトランペット(2016年)
- 返還交渉人 いつか、沖縄を取り戻す(2018年)
- 劇場版 のんのんびより ばけーしょん(2018年、KADOKAWA)
- 風が通り抜ける道 (2024年)沖縄県後援、イオンエンターテイメント
- テレビドラマ
- 十字路 (1978年、NHK)
- 大河ドラマ 琉球の風(1993年、NHK)
- 連続テレビ小説(NHK)
- さとうきび畑の唄(2003年、TBS)
- 返還交渉人 -いつか、沖縄を取り戻す-(2017年、NHK BSプレミアム)
- 文芸
- アニメ
- 対馬丸 —さようなら沖繩—(1982年、対馬丸製作委員会)
- 白旗の少女 琉子(1988年、共同映画全国系列会議)
- かんからさんしん(1989年、かんからさんしん製作委員会)
- ストラトス・フォー(2003年、UHFアニメ)
- BLOOD+(2005年、MBS)
- スティッチ!(2008年、テレビ東京)
- あそびにいくヨ!(2010年)
- エウレカセブンAO(2012年、MBS)
- はいたい七葉(2012年、QAB)
- ラブライブ!(2期)(2014年、那覇市・恩納村・本部町)
- 生徒会役員共*(第2期)(2014年、那覇市・竹富町)
- 白い砂のアクアトープ(2021年、南城市他)
- はるかなレシーブ(2018年、RBC、那覇市・うるま市)
- ゲーム
- 夏空カナタ(与那国島)
- Dolphin Divers(波照間島)
- 南の島に降る雪
- MaYA 〜微睡島ノ眠姫〜
- 龍が如く3
- ぼくは航空管制官 エアポートヒーロー3D 那覇 PREMIUM
- ぼくは航空管制官 4 那覇
人物[編集]
沖縄県名誉県民[編集]
受賞者氏名 | 職業 | 選定年月日 | 備考 | 出典 |
---|---|---|---|---|
山中貞則 | 政治家 | 2003年12月17日 | 初代沖縄開発庁長官 | [145] |
沖縄県県民栄誉賞受賞者[編集]
沖縄県県民栄誉賞は、1999年(平成11年)4月8日に制定された沖縄県県民栄誉賞表彰規則(平成11年4月8日沖縄県規則第45号)に基づき、「広く県民に敬愛され、県民に明るい希望と活力を与える顕著な功績があったもの」へ、沖縄県知事から贈られる(規則第1条・第2条)[146]。
受賞者氏名 | 職業 | 授賞式開催年月日 | 備考 | 出典 |
---|---|---|---|---|
沖縄尚学高等学校野球部 | 1999年4月19日 | 第71回選抜高等学校野球大会において沖縄県勢初の甲子園優勝。 | [147] | |
上与那原寛和 | 車いすレース選手 | 2008年10月23日 | 北京パラリンピック車いすマラソンで銀メダル獲得。 | [148] |
興南高等学校野球部 | 2010年9月13日 | 第82回選抜高等学校野球大会および第92回全国高等学校野球選手権大会で優勝。史上6校目の甲子園春夏連覇。 | [149] | |
宮里藍 | プロゴルファー | 2010年12月27日 | 同年の米女子ゴルフツアーで5勝をあげる。 | [150] |
仲里進 | 車いすラグビー選手 | 2016年11月22日 | リオデジャネイロパラリンピックウィルチェアーラグビー日本代表選手。チームの銅メダル獲得に貢献。 | [151] |
安室奈美恵 | 歌手 | 2018年5月23日 | 25年間にわたり日本を代表するアーティストとして活躍。 | [152] |
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
沖縄県に関連する地理データ - オープンストリートマップ
- 公式ウェブサイト
- 沖縄観光情報WEBサイト おきなわ物語 - 沖縄観光コンベンションビューロー
- 沖縄県の島しょ別面積一覧 沖縄県を構成する160の島の名称と面積の一覧表 - 沖縄県土地対策課
先代 琉球藩 |
行政区の変遷 1879年 - 1945年 (第1次沖縄県) |
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行政区の変遷 1972年 - (第2次沖縄県) |
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