浅井丸留子
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浅井 丸留子︵朝居 丸子、あさい まるこ、1891年(明治24年)4月25日 - 1974年(昭和49年)1月16日︶は、日本の女性歌手。
大正から昭和にかけてうぐいす芸者歌手、俗曲歌手として活動した。
経歴[編集]
1891年(明治24年)4月25日、東京都で生まれる。[1]本名、浅井 益代。[1]日本橋で芸者になり、実業家で劇作家の益田太郎冠者に寵愛された。 1917年︵大正6年)、益田太郎冠者が手掛けた浅草オペラ﹃おてくさん﹄を益田との共唱で発売したことから﹁おてくさん﹂の愛称で親しまれるようになる。同年、後の﹁コロッケの唄﹂となる﹃コロツケ﹄を発売。 昭和初期には朝居 丸子と改名し、ビクターやコロムビア、キングレコード、ヒコーキ、オリエントなど各社に録音、レコード発売。戦後は浅井 丸留子と名乗り、﹃梅ケ枝節﹄などの俗曲をコロムビアでレコーディングした。 昭和20年代には小唄浅井派を設立、家元となった。[1]1971年︵昭和46年)、著書﹃浅井丸留子・歌一と筋﹄を出版。[2]1974年(昭和49年)1月16日、死去。代表曲[編集]
[3]- 1917年(大正3年)『コロツケ』(コロッケの唄)
- 1928年(昭和3年)『女の一生』『高速度油屋十人斬』『モガモボ・ソング』
- 1930年(昭和5年)『養老小唄』『南蛮音頭』
脚注[編集]
- ^ a b c https://kotobank.jp/word/%E6%B5%85%E4%BA%95%20%E4%B8%B8%E7%95%99%E5%AD%90-1669507
- ^ https://bookmeter.com/books/4003528
- ^ https://iss.ndl.go.jp/sp/search?any=%E6%9C%9D%E5%B1%85%E4%B8%B8%E5%AD%90&ar=4e1f&page=1