満月寺浮御堂
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満月寺 (大津市) > 満月寺浮御堂
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満月寺浮見堂︵まんげつじうきみどう︶は、滋賀県大津市本堅田、琵琶湖畔の臨済宗大徳寺派海門山満月寺にある、湖上に突き出た仏堂。近江八景﹁堅田の落雁﹂で名高い。堅田の浮見堂の通称でも知られている[1]。
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室戸台風で全壊する以前の浮御堂︵1916年︶
寺伝によれば、源信︵恵心僧都︶︵942年 - 1017年︶が比叡山横川から琵琶湖をながめると、毎夜、その光明の赫々︵かくかく︶たるを怪しみ、網でこれを掬︵すく︶いとらせると、1寸8分の黄金の阿弥陀仏像であった。よって魚類殺生供養のために阿弥陀仏像1体を造り、その体内にこれをおさめ、1000体の阿弥陀仏像をも奉安し、浮見堂を創建したという[2]。﹁千仏閣﹂﹁千体仏堂﹂と称し、衆生制度とともに湖上通船の安全も発願した[1]。
荒廃したときもあったが[3]、桜町天皇︵1720年 - 1750年︶︵在位1735年 - 1747年︶は禁中の能舞台をたまわり、これを再興した。
風景絶佳の趣のある地で、古くより一休和尚、蓮如上人が滞在したり、松尾芭蕉︵1644年 - 1694年︶や、小林一茶、歌川広重、葛飾北斎等も訪れ、多くの詩歌、絵画を残している[1]。
先代の堂は1934年︵昭和9年︶に室戸台風によって倒壊、現在の堂は1937年︵昭和12年︶に再建された。室戸台風の直後に竜巻も近くで発生している。﹁阿弥陀仏一千体﹂を安置して﹁千本仏﹂と称し、平安時代の﹁多数功徳作善信仰﹂を今日に伝えてもいる[1]。2015年︵平成27年︶4月24日、﹁琵琶湖とその水辺景観- 祈りと暮らしの水遺産 ﹂の構成文化財として日本遺産に認定される[4]。
歴史[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a2/KatatanoUkimidou01%2C_Eight_Views_of_%C5%8Cmi.png/250px-KatatanoUkimidou01%2C_Eight_Views_of_%C5%8Cmi.png)
境内の句碑[編集]
満月寺浮見堂にある句碑[1]。- 松尾芭蕉
- 鎖あけて 月さし入れよ 浮見堂
- 元禄四年の中秋名月の翌日、十六夜のお月見の宴で詠まれた句
- 比良三上 雪さしわたせ 鷺の橋
- 鎖あけて 月さし入れよ 浮見堂
- 高浜虚子
- 湖も この辺にして 鳥渡る
- 高桑蘭更
- 病雁も 残らで春の 渚かな
- 阿波野青畝
- 五月雨の 雨だればかり 浮見堂
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 参拝パンフレット
- 『臨済宗大徳寺派 海門山満月寺浮御堂』海門山満月寺。