熊津
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熊津︵ゆうしん・웅진・ウンジン︶は、古代朝鮮の百済の古都であり、万葉仮名では久麻那利︵くまなり・こむなり︶、百済語では固麻那羅︵コマナル・고마나루︶と表記・呼称される。熊川︵錦江︶のほとりの都市であり、現在の忠清南道公州市にあたる。
475年に高句麗の長寿王が百済の国都・漢城︵現在のソウル特別市︶を陥落させ、百済の蓋鹵王を処刑すると、南方に逃れていた︵あるいは新羅に救援を求めに行っていた︶文周王が即位し、首都を熊津に移した。後に聖王が538年に、さらに南方の泗沘︵現在の忠清南道扶余郡︶へ遷都するまでの63年間、百済の首都であった。新羅の統一の後、熊川州→熊州という名称を経て、高麗時代に公州に改称された。詳細は﹁公州市#歴史﹂を参照。現在も公州市には熊津洞という地名が残る。
百済の熊津への遷都の記事は以下の史料で確認できる。
●﹃三国史記﹄百済本紀・文周王即位年︵475年︶10月条。
●﹃三国遺事﹄王暦・文周王条には、﹁移都熊川﹂とある。
●﹃日本書紀﹄雄略天皇21年︵477年︶春3月条に﹁天皇聞。百済為高麗所破、以久麻那利賜汶洲王、救興其国﹂とある。
日本語の﹁つ﹂は﹁津﹂、ひらがな・カタカナの﹁つ﹂﹁ツ﹂の原型は﹁川﹂であるといわれているが、日本書紀では﹁ツ﹂ではなく﹁ナリ﹂と読んでおり、﹁津﹂﹁川﹂が﹁つ﹂と読む根拠にはならない。