石背国
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石背国︵いわせのくに︶は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。奈良時代に陸奥国から分立したが、短期間しか存続しなかった。
石背国の位置︵718年︶
沿革[編集]
養老2年︵718年︶5月2日[疑問点]に陸奥国の5郡を割いて設置された[1]。現在の福島県中通りと会津地方に当たる。国府は郡山市方八町[2]、または須賀川市の上人壇廃寺跡付近に置かれたと見られている。存続は数年間にすぎず、養老4年 ︵720年︶11月26日から神亀5年︵728年︶4月11日にかけてのいつかの時期に陸奥国に復した。 終年の下限の年養老4年については、﹃類聚国史﹄に収録された陸奥・石背・石城を対象にした勅、上限の神亀5年については陸奥国に白河軍団を置いた﹃続日本紀﹄の記事が根拠である[3]。さらに時期を絞り込む推定が様々にある。岩代国[編集]
明治元年︵1869年︶に設置された岩代国︵いわしろのくに︶は、ほぼ同域だが、東部のいくつかの郡が磐城国に含まれたため、石背国より狭くなった。 畿内の山城国︵やましろのくに︶が奈良時代は﹁山背国﹂と表記されたことから﹁石背﹂も﹁いわせ/いはせ﹂でなく﹁いわしろ/いはしろ﹂と読むと考えられていた[いつ?]。郡[編集]
5郡で構成された。脚注[編集]
(一)^ ﹃続日本紀﹄養老2年5月乙未︵2日︶条。
(二)^ 安藤智重﹃安積歴史入門﹄歴史春秋社、2014年、4頁。ISBN 978-4-89757-841-5。
(三)^ 高橋崇﹃律令国家東北史の研究﹄吉川弘文館、1991年、22-24頁。ISBN 4-642-02245-7。