紀元前304年
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紀元前304年︵きげんぜん304ねん︶は、ローマ暦の年である。
当時は、﹁プブリウス・センプロニウス・ソプスとプブリウス・スルピキウス・サウェッリオが共和政ローマ執政官に就任した年﹂として知られていた︵もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元450年︶。紀年法として西暦︵キリスト紀元︶がヨーロッパで広く普及した中世初期以降、この年は紀元前304年と表記されるのが一般的となった。
他の紀年法[編集]
●干支 : 丁巳 ●日本 ●皇紀357年 ●孝安天皇89年 ●中国 ●周 - 赧王11年 ●秦 - 昭襄王3年 ●楚 - 懐王25年 ●斉 - 宣王16年 ●燕 - 昭王8年 ●趙 - 武霊王22年 ●魏 - 襄王15年 ●韓 - 襄王8年 ●朝鮮 ●檀紀2030年 ●ベトナム : ●仏滅紀元 : 241年 ●ユダヤ暦 :できごと[編集]
ギリシア[編集]
●デメトリオス1世がプトレマイオス1世に支援されたロドス島の抵抗市民と会談した翌年、ロドス島の包囲戦は終結した。その後、アンティゴノス1世は平和条約を結び、ロドス島の自治権を認めた[1]。 ●カッサンドロスはアッティカに侵攻し、アテネを包囲した。デメトリウス1世はカッサンドロスをギリシア中央から追い出し、アテネを解放した。その見返りに、アテネ市民は彼にアテーナーの神殿と同じ神殿を与えた。共和政ローマ[編集]
●第二次サムニウム戦争が終結した。その平和条約は、サムニウム人にとって厳しいものであったが、4年前にローマとエトルリア人が結んだ条約ほどではなかった。平和条約で、ローマは領土を得なかったが、サムニウム人はカンパニア州の支配権を放棄した。ローマは、ローマの領土周辺の部族間の反乱を抑えることにも成功した[1]。シチリア[編集]
●暴君アガトクレスがシケリアの王となり、イタリア南部やアドリア海に勢力を伸ばした。インド[編集]
●マウリヤ朝のチャンドラグプタが、インドに侵攻しようとしたセレウコス1世を倒した。中国[編集]
●秦の昭襄王と楚の懐王が黄棘で会盟し、秦は楚に上庸を返還した。誕生[編集]
「Category:紀元前304年生」も参照
死去[編集]
「Category:紀元前304年没」も参照
脚注[編集]
注釈
出典
- ^ a b Dupuy, R. Ernest; Dupuy, Trevor N. (1986). The Encyclopedia of Military History. New York: Harper & Row. p. 54. ISBN 0-06-181235-8