能面
概要
[編集]歴史
[編集]ルーツ
[編集]翁面の時代
[編集]創作期
[編集]完成期
[編集]模作期
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近現代
[編集]面打ち
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舞台での使用
[編集]面と直面
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面の選択
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面をかける作法
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舞台上の効果
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種類
[編集]老体面(尉面) | 女体面(女面) | 男体面(男面) | ||
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人相面(人間) | 常相面(穏やかな表情の人間) |
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奇相面(非日常的なすさまじい表情の人間) |
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異相面(鬼や天狗などの異類) |
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畜類面(動物) |
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仏体面 |
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主な面種(能面・翁面)の例
[編集]グループ | 名称 | 画像 | 特徴・用途 |
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式三番の白式尉が着ける。シテ方が務め、天下泰平を祈り、拍子を踏む。面は、口の両端が切れ、紐で結びつけた「切り顎」形式、麻や兎の毛を貼り付けた眉、「へ」の字にくり抜かれた目といった点で、翁以外の能面とは異なる[69]。![]() 画像の面は東京国立博物館蔵(金春家伝来)、江戸時代(17 - 18世紀)、重要文化財[70] | ||
式三番の黒式尉(三番叟)が着ける。狂言方が務め、五穀豊穣を祈る。面は、白式尉と同様の「切り顎」である[71]。眉は馬のたてがみを使用する[72]。 | |||
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現在の式三番では一般的には用いられていないが、『翁』の「父尉延命冠者」という特殊演出において、翁が父尉の面を着ける。「切り顎」である。目尻は吊り上がり、顎は植毛がなく、白式尉より若々しく感じられる[73]。 | ||
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現在の式三番では一般的には用いられていないが、『翁』の「父尉延命冠者」という特殊演出において、 画像の面は東京国立博物館蔵(金春家伝来)、南北朝 - 室町時代(14 - 15世紀)、重要文化財 | ||
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頭部、顎のほか、鼻下に植毛があり、一般には額の皺が5本彫られている。他の尉と比べ、皺の彫り方が写実的であり、庶民的な要素と神秘的な要素を併せ持っている。『八島』や『実盛』の前シテに用いられる[75]。主に観世流以外の流儀が用いる[76]。 | ||
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頭部、顎のほか、鼻下に植毛があり、額の皺が4本彫られている[77]。主に観世流・宝生流が用いる。快活で人間的な表情であり、『実盛』の前シテ・後シテなどに用いられる[78]。 | ||
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頭部、顎のほか、鼻下に植毛があり、額の皺の下から2本目が途中で切れているのが特徴である[77]。主に観世流・宝生流が用いる。快活で上品な表情であり、神の化身である前シテの老人などに用いられる[79]。
画像の面は東京国立博物館蔵(上杉家伝来)、江戸時代(17 - 18世紀)、「天下一河内」焼印 | ||
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室町初期の小牛清光が創作したとされる。頭部と顎のみに植毛があり、額の皺は3本で両端が下がる。『高砂』や『弓八幡』などの脇能に用いられ、品格の高さを表す[80]。 | ||
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頭部と顎のみに植毛があり、鼻下と唇下の髭は毛描である。額の皺は3本で両端が上がる。『木賊』の木賊狩の老人や、『唐船』の中国の老人に用いられる[81]。
画像の面は東京国立博物館蔵(金春家伝来)、安土桃山 - 江戸時代(16 - 17世紀)、重要文化財 | ||
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品格の高い端正な老人の面である。頭部と顎のみに植毛があり、額の皺は4本である。『西行桜』『遊行柳』『白楽天』『老松』などの後シテに用いられる[82]。宝生流と金剛流で使う面である[83]。
画像の面は東京国立博物館蔵(上杉家伝来)、江戸時代(17 - 18世紀) | ||
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品格の高い老人の面である。頭部と顎のみに植毛があり、流線型の目である。『西行桜』『遊行柳』などの後シテに用いられる[84]。石王尉も同様の演目に用いられるが、皺尉が上の歯に鉄漿を差すのに対し、石王尉は上下の歯に金泥を施すといった差異がある[85]。
画像の面は東京国立博物館蔵(上杉家伝来)、江戸時代(17 - 18世紀)、「慈雲院作」銘 | ||
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若女は、若い女面の中でも観世流が重んじる面である[86]。中央の分け目から少し太く2本、こめかみ辺りに細く3本、その下へ3本と、3段の![]() | ||
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宝生流には木の節のしみが鼻の上に見える![]() | ||
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江戸時代初期の能楽師金剛孫次郎頼勝が、亡き妻の面影を写して打った面と伝えられる。特に金剛流が重んじる面である[90]。『野宮』『松風』などの恋する女に用いられる。中央の分け目から2本の毛描が発するが、頬にかけて、3本、次いで4本となる[91]。小面に比べ、ほっそりとして色気が漂う[92]。 | ||
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若い女性の美しさを表現する代表的な女面である。多様な表情の面があり、曲趣によって使い分けられる。目、鼻、口が中央に寄り、額から頬にかけて3本の毛描が溝のように彫られている[93]。小面は、特に金春流・喜多流が大切にする面である[94]。![]() 画像の面は東京国立博物館蔵(金春家伝来)、江戸時代(17 - 18世紀)、「出目満昆」焼印、重要文化財 | ||
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小面と比べ、口端が上がって笑みを含み、瞳が大きく、小面より妖艶な印象を与える[95]。3本の毛描のうち、外側の1本が紐穴付近から中に入り、頬に乱れが数本生じるのが特徴である[96]。『班女』のシテ(遊女・花子)などに用いられることがある[97]。![]() 画像の面は東京国立博物館蔵(上杉家伝来)、江戸時代(17 - 18世紀) | ||
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江戸時代初期頃までは、女性の恋を取り上げた鬘能によく使用されていたようだが、現在では『道成寺』の前シテに用いられている[98]。離れ目が特徴で、色気はあるが卑しい感じもある面である[99]。 | ||
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近江国越智の深井という武士が打ったとされる。中年女性を表し、頬が痩せている。『隅田川』『三井寺』『百万』などで、失った子供を探し求める母親や、心寂しい人妻などに用いられる。中央の分け目から頬にかけて、3本、3本、3本の3段の毛描が交差する[100]。![]() | ||
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深井より年長の女である。深井と同様、『百万』『隅田川』『砧』などで、母親や中年の女性の役に用いる。主に観世流・宝生流では深井を用い、金春流・金剛流・喜多流では曲見を用いる(宝生流では曲見を用いることもある)。毛描が、中央の分け目から離れた位置から発し、3本、3本、3本の3段が交差する[101]。![]() 画像の面は東京国立博物館蔵(金春家伝来)、室町時代(15 - 16世紀)、重要文化財 | ||
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目に金泥を施すことから泥眼と呼ばれる。古くは女性が菩薩となった相貌を表したが、江戸時代以降は『葵上』『鉄輪』の前シテ、『砧』の後シテなど、女性の生霊・怨霊の役に用いられるようになった。また、『海人』の竜女にも用いられる[102]。![]() | ||
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本来は『橋姫』という能に用いる面であったとされる。現在では、離縁された夫に鬼となって復讐する『鉄輪』の後シテに用いられることが多い。額は白く、目から下が赤く彩色され、凄惨な復讐の姿を表す[103]。![]() | ||
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目がくぼみ、頬が落ちている[104]。死霊の面である。『定家』の後シテ(式子内親王)などに用いられる[105]。![]() | ||
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常相の老齢の女性のうち、シテに用いられる面の代表である。痩女に近い顔立ちのものから、やせていない美しい顔立ちのものまである[104]。白髪で、骨ばった表情である。『卒都婆小町』などの老女に用いられる[106]。 | ||
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『高砂』『国栖』の姥(ツレ)などに用いられる。神が人間の姿を借りた化身であり、品格がある。『関寺小町』『姨捨』などの老女の役にも使われる[107][108]。![]() 画像の面は東京国立博物館蔵(金春家伝来)、室町 - 安土桃山時代(16世紀)、重要文化財 | ||
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『山姥』1曲のみに用いる専用面である。頭は白髪、顔は赤味を帯び、目は鍍金銅板がはめられて超自然的な存在を表す[109]。![]() | ||
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喝食は、半僧半俗で、禅寺で僧侶の食事に奉仕する少年である。『花月』『自然居士』『東岸居士』などの喝食物に用いられる。額の前髪は、おかっぱ型と銀杏型があり、前髪部分の大小により「大喝食」「中喝食」「小喝食」と分けられ、曲柄に合わせて使い分けられる[110]。宝生流・金春流・金剛流は大喝食を指定している[111]。![]() | ||
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寄せ眉で眉根に二重じわがある[112]。『邯鄲』『女郎花』『経正』などに用いられる[113]。 | ||
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若男と同様、寄せ眉で眉根に二重じわがあるが、口が大きめで頬にやつれ窪があるのが特徴である[112]。『邯鄲』に用いられる[114]。『邯鄲』の盧生のような現実の男性に面を使うのは、能面の用法としては例外的である。『高砂』『志賀』『養老』などの若い男神、『歌占』の男巫に用いることもある[115]。 | ||
主に観世流・宝生流が用いる。白い肌、眉間の皺など、やや若年の公達を表す[116]。 | |||
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平敦盛が戦死した年齢にちなむ名称であり、あどけなさと若くして討たれた悲哀を表す。『敦盛 (能)』の後シテに用いられる[117]。肌は白く透き通り、ほのかに朱が差す。公達であるため、歯に鉄漿を差す[118]。 | ||
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公達の面である。作り眉で、眉根に山形じわがある。厳しい表情のものは、『清経』『経正』『忠度』などの修羅物に、穏やかな表情のものは『融』『雲林院』などに用いられる[119]。![]() 画像の面は東京国立博物館蔵(上杉家伝来)、江戸時代(18世紀) | ||
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『蝉丸』に用いられる専用面である。盲目の皇子であり、琵琶の音に耳を澄ます純真な少年である[120]。 | ||
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はね眉、八字髭が特徴[121]。勇猛な武将の面であり、『田村』『八島』『箙』の勝修羅物に用いられる[122]。 | ||
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『頼政』の専用面である。悲惨な死を遂げた亡霊を表し、眼に金泥を施し、上の歯列だけに金を差す[123]。 | ||
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怪士は海に現れる化物の意味があり、『船弁慶』の後シテ(平知盛の幽霊)などに用いられる[124]。 | ||
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『高砂』『弓八幡』などの後シテの男神に用いられる[125]。『船弁慶』の後シテ(平知盛の幽霊)に用いられることもある。面裏に三日月型の刀跡があることからこの名が付いた[126]。観世流が主に用いる[127]。![]() | ||
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『高砂』『弓八幡』などの男神に用いられるが、特に品格を重んじる場合に着用される[128]。宝生流が主に用いる[127]。
画像の面は東京国立博物館蔵(上杉家伝来)、江戸時代(18世紀) | ||
古くは「![]() | |||
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『一角仙人』の専用面である。一角仙人はインドの仙人で、鹿の胎内から生まれたので額に角がある。角を外すと怪士系統の面である[130]。 | ||
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猟師や漁夫が殺生の罪で地獄に堕ち、幽霊として現れる面である。地獄の責め苦に苦しみ、憔悴した表情である。『善知鳥』『阿漕』『藤戸』に用いられる[131]。![]() 画像の面は東京国立博物館蔵(金春家伝来)、江戸時代(17 - 18世紀)、「児玉近江」焼印、重要文化財 | ||
頬骨が突き出して眼窩がくぼみ、両目の間が開いていて目線が虚ろであり、水死した男の姿である。『阿漕』『藤戸』に用いられる[132]。 | |||
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『俊寛』に用いられる。鬼界島に流罪になり、一人赦免から漏れた俊寛の孤独や屈折を表す[133]。現実の男性に面を用いるのは、能面の用法としては例外的である[134]。
画像の面は東京国立博物館蔵(上杉家伝来)、江戸時代(18世紀)、「児玉近江」銘 | ||
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『景清』の専用面である。平家の侍大将だったが、平家滅亡後、落人となり、自ら目をえぐって盲目となった藤原景清の姿を表す[135]。
画像の面は東京国立博物館蔵(上杉家伝来)、江戸時代(18世紀) | ||
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『枕慈童』『菊慈童』『天鼓』の神性を帯びた少年に用いられる。『石橋』『小鍛冶』『田村』の前シテや、『大江山』の前シテの童子役にも用いられる[136]。![]() | ||
童子と似ているが、より幼さと神秘性を強調しており、彫刻や毛描の手法に違いが見られる。童子と同様の曲目に用いられる[137]。主に観世流で用いられる[138]。 | |||
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『猩々』の専用面である。猩々は海中に棲む酒好きの妖精であり、強い朱色の肌、額には水中から上がったばかりのような濡れて乱れた毛描が特徴である[139]。![]() 画像の面は東京国立博物館蔵(金春家伝来)、室町時代(15 - 16世紀)、重要文化財 | ||
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『弱法師』のシテ(俊徳丸)に用いられる。盲目の青年が父と再会する物語であり、悲哀を感じさせる[140]。
画像の面は東京国立博物館蔵(上杉家伝来)、江戸時代(17 - 18世紀) | ||
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悪尉は強く恐ろしげな老人という意味である。大悪尉は、目と歯に鍍金銅板がはめられ、顎と鼻下に植毛があり、神や仙人の役に用いられる。『鞍馬天狗』の「白頭」という小書や、『白髭』『難波』『道明寺』の異邦人の役にも用いられる[141]。![]() | ||
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鼻筋に瘤のような隆起があり、怪異な形相の悪尉である[142]。『張良』の後シテに用いる場合がある[143]。 | ||
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目頭が吊り上がり、目尻が垂れ下がり、目には金具や朱が施される。『道明寺』の末社の神、白太夫や、『張良』で張良に軍略を授ける後シテ(黄石公)など、少し人間味を帯びた役に用いられる[144]。 | ||
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『善界』『鞍馬天狗』の小書「白頭」など、老体の天狗や神に用いられる。顎や口の周辺に髭が植毛され、霊性や神秘性を表す[145]。
画像の面は東京国立博物館蔵(上杉家伝来)、江戸時代(18世紀) | ||
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「般若」をより凶悪にした姿であり、『道成寺』に用いられる[146]。般若と比べ、開き口が大きく、舌を見せ、耳がないのが特徴であるが、例外もある[147]。 | ||
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この面を作った般若坊に由来する名称といわれる[148]。鬼女の面であり、『葵上』『黒塚』『道成寺』などの後シテに用いられる[149]。舌はない。顔の上半分には悲しみの表情、下半分には怒りの表情が読み取れ、複雑な感情が込められている[150]。品格と顔色から、白般若・赤般若・黒般若の別があり、『葵上』の六条御息所には品格の高い白般若、『黒塚』の鬼女には最も動物的な表情を持つ黒般若、『道成寺』の蛇体には中間の品格の赤般若、というように使い分けられることが多い[151]。![]() | ||
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伝書に「是は般若に今少し足らぬ所の面なり。角みじかきゆへ生成と名付」とあり、般若になりきっていないため生成と呼ばれる。般若より角が短く、目には鍍金銅板が入る。口は大きく開き、舌を見せる。『鉄輪』の後シテに用いられることが多い[152]。 | ||
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伝書に「是は天狗の面なり。天狗は陰なるもの故口を閉ず」とあるように、口を強く結んだ天狗の姿を表す。『大会』『車僧』『鞍馬天狗』に用いられる[153]。『申楽談儀』によれば、大癋見の作者は![]() | ||
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大癋見が天狗魔障を表すのに対し、小癋見は地獄の鬼神である。目は小さく鋭く、大癋見のような滑稽味はない。『野守』『鵜飼』『昭君』などに用いられる[155]。『鍾馗』『皇帝』の鍾馗にも用いられる。『申楽談儀』に、世阿弥が『鵜飼』でかけたことが記されている[156]。
画像の面は東京国立博物館蔵(金春家伝来)、江戸時代(18世紀)、重要文化財 | ||
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怪盗熊坂長範が登場する『熊坂』『烏帽子折』の専用面であり、長範の霊ということから長霊癋見と名付けられた。丸く大きな目や、眉の付け根が下がった様子から、滑稽さが強調されている[157]。
画像の面は東京国立博物館蔵(金春家伝来)、江戸時代(17世紀)、「天下一近江」焼印、重要文化財 | ||
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威風堂々とした神の面であり、全面金泥彩色で、目に鍍金銅板がはめられている。『国栖』『嵐山』『賀茂』などの後シテに用いられる[158]。世阿弥の芸談をまとめた『申楽談儀』に、「飛出は、菅丞相の柘榴くわつと吐き給へる所を打つ」とある[159]。![]() | ||
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伝書には「小飛出竜神の面なり」とある。『小鍛冶』などに用いられる[160]。 | ||
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小飛出を猿に似せた面である。『小鍛冶』の稲荷明神の使者、『殺生石』『鵺』の鬼に用いられる[161]。![]() | ||
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竜神の面である。『竹生島』『春日竜神』などの竜神に用いられる[162]。突き出した下顎、しかめっ面、鋭い眼光などが、竜を想起させる。黄土色の肌を持つものが多いが、顔全体に金泥を施した![]() 画像の面は東京国立博物館蔵(金春家伝来)、安土桃山時代(16世紀)、重要文化財 | ||
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しかみ(獅噛)とは、獅子が上下の歯で物を噛んだ様子をいうとされる。伝書には「観世の鬼の面也。両の歯を合する故名付る」とある。『羅生門』『紅葉狩』『土蜘蛛』『舎利』などの鬼に用いられる[164]。邪悪な鬼の姿である[165]。![]() | ||
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『石橋』の専用面である。文殊菩薩に仕える霊獣である獅子が舞う祝言能であり、鍍金銅板をはめた目と口の牙が迫力を表している[166]。
画像の面は東京国立博物館蔵(上杉家伝来)、江戸時代(18世紀) | ||
『殺生石』の後シテ(野干という狐)に用いられる。2本の角が生えかかり、怪異だが優美な雰囲気も持つ[167]。 | |||
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天満大自在天神菅原道真を表す。『舎利』『大会』のツレ(帝釈天)に用いられる。『申楽談儀』には、天神の面は観阿弥の代から伝わるものと記されている[168]。
画像の面は東京国立博物館蔵(上杉家伝来)、江戸時代(18世紀)、「福来作」銘 | ||
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『金札』『淡路』『絵馬』に用いられる[169]。
画像の面は東京国立博物館蔵(金春家伝来)、室町時代(15世紀)、重要文化財 | ||
『調伏曽我』の後シテの不動明王などに用いられる[170]。![]() | |||
『大会』の専用面であり、天狗が、大癋見の面の上に釈迦の面を着け、魔力によって釈迦説法の様子を見せるが、帝釈天によって術が破られ、釈迦の面を外すと元の天狗に戻る[171]。 |
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]関連項目
[編集]- 小山清茂(交響組曲「能面」を作曲している)
- 石州和紙(神楽用の能面の材料)
- 井伊直弼(不遇の時代に能面づくりに没頭した)
- FACT (バンド) (メンバー全員が能面をして活動している)
- 聖母・聖美物語(番組エンディング5秒で日替わりで能面を紹介する「今日の能面」というコーナーがある)
- 能面女子の花子さん