蘇嘉
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蘇嘉(そか︶は、古代中国の前漢時代の官吏で、奉車都尉である。生年不明、没年は天漢元年︵紀元前100年︶以降、後元2年︵紀元前87年︶以前。
将軍として匈奴と戦った蘇建の長子。弟に蘇武と蘇賢、妹が2人いた[1]。
若い頃、父のおかげで兄弟ともに若くして郎となった[2]。天漢元年︵紀元前100年︶に蘇武は使者として匈奴に遣わされ、副使が起こした暗殺未遂事件のせいで捕虜となった[3]。
蘇嘉は武帝に仕えて奉車都尉となった。武帝が雍︵雍城︶の棫陽宮に行くとき、道を掃除していたところ、柱に触れて皇帝の車の轅を折った。大不敬の罪とされ、剣に伏して自殺した[4]。
後、匈奴に仕えていた李陵は、蘇嘉の死を蘇武に告げ、匈奴に仕えるよう勧めたが、蘇武は従わなかった[5]。昭帝が即位する後元2年︵紀元前87年︶よりだいぶ前のことである[6]。