蜀州
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蜀州(しょくしゅう)は、中国にかつて存在した州。唐代から宋代にかけて、現在の四川省成都市北西部に設置された。
概要
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686年︵垂拱2年︶、唐により益州の4県を分割して蜀州が立てられた。742年︵天宝元年︶、蜀州は唐安郡と改称された。758年︵乾元元年︶、唐安郡は蜀州の称にもどされた。蜀州は剣南道に属し、晋原・唐安・青城・新津の4県を管轄した[1]。
1177年︵淳熙4年︶、南宋により蜀州は崇慶府に昇格した。崇慶府は成都府路に属し、晋原・江原・永康・新津の4県を管轄した[2]。
1283年︵至元20年︶、元により崇慶府は崇慶州に降格した。崇慶州は成都路に属し、晋原・新津の2県を管轄した[3]。
1369年︵洪武2年︶、明により晋原県は廃止され、崇慶州に編入された。崇慶州は成都府に属し、新津県1県を管轄した[4]。
清のとき、崇慶州は成都府に属し、属県を持たない散州となった[5]。
1912年、中華民国により崇慶州は廃止され、崇慶県と改められた。