謝璟
表示
経歴
[編集]
宋の司徒主簿の謝稚︵謝裕の子の謝恂の子︶の子として生まれた。若くして従叔父の謝朓とともに名を知られた。南朝斉の竟陵王蕭子良が西邸を開いて、文学の士を招くと、謝璟もこれに参加した。隆昌元年︵494年︶、西昌侯蕭鸞の下で驃騎諮議参軍となり、記室を兼ねた。後に中書郎に転じ、晋安郡内史をつとめた。中興2年︵502年︶、梁の武帝の下で霸府諮議・梁台黄門郎となった。天監年間、司農卿・秘書監・左民尚書・明威将軍・東陽郡太守を歴任した。武帝は侍中として任用しようとしたが、謝璟は老齢を理由に固辞し、金紫光禄大夫の位を得て、隠居したいと願い出た。中大通元年︵529年︶、病没した。
子に謝徴があった。