透明
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透明の意味[編集]
光が透過すること[編集]
一般に﹁透明﹂とは光︵可視光線︶に対してのことを言う。そして光は電磁波の一種であるので科学的に一般化して、ある物質がある電磁波に対して﹁透明である﹂とは、その物質と電磁波との間に相互作用が起こらず、電磁波の吸収および散乱が生じないということを意味する。 ある物質が電磁波を吸収する場合、その物質は吸収した波長の補色に色づいて見える。例えば、葉緑素は赤色に相当する680–700 nmの波長の光を吸収するため、補色の緑色に見える。濁っていないこと[編集]
また、ある物質が電磁波を散乱する場合にも、その物質は色づいて見える。散乱は物質が電磁波の波長と同等の単位構造をもつときに生じる。例えば水は可視光線を吸収しないためまとまった量では透明に見えるが、細かい粒子になると光を散乱するため不透明となる。霧や湯気が白くみえるのはこのためである。 したがって、透明であるかどうかという評価は、対象とする電磁波の波長を特定しないと行うことができない。窓ガラスなどは可視光線に対してはほぼ透明であるが、紫外線はあまり透過しないため、紫外線を感知する生物にとっては透明とはいえない。反対に、もしX線を感知する生物がいるとすれば、ヒトは半透明な生物として観察されるであろう。透明なもの[編集]
単位[編集]
フィクションでの透明[編集]
﹁透明になれたら﹂という空想は古来、洋の東西をとわず広く存在する。たとえば妖精やコロポックルが姿を隠す話、天狗の隠れ蓑の話など、民話では姿を隠していたずらや悪さをするものの存在が語られている。 近代になると、SFやホラーの世界において、フィッツ=ジェイムズ・オブライエン﹃あれは何だったのか﹄︵1859年︶、H・G・ウェルズの﹃透明人間﹄︵1897年︶のような架空の怪物やガジェットとしての﹁透明な存在﹂が発想され、以来、小説や映画で度々取り上げられる題材となった。こうしたフィクションにおける透明の理屈付けは、﹁その生物・物体を可視光線が透過する﹂﹁異次元的な存在であるため体色を人間の視覚が捉えられない﹂﹁幻術や特殊能力で見る側に居ないと思わせている﹂﹁擬態や光学迷彩により周囲・背後の光景に紛れている﹂などとされる。詳細は「透明人間」を参照
光学迷彩のように、現実の科学技術がSFにおける﹁透明﹂をある程度実現しつつある分野もある。
現実には、完全に透明な存在というのは不可能である。よくある指摘として、もし透明人間が存在したとすると、眼球が100%光を透過してしまうため理論上は目が見えないことになる、というのがある。見えるようにするためには、光を眼球で屈折させ、網膜で吸収させる必要がある。これらの組織を透明にすることができたとしても、光が屈折・吸収されているため、﹁そこに何かがある﹂ということがわかってしまう。
脚注[編集]
- ^ 「爪半月はなぜ乳白色にみえるのか」『皮膚病診療』 1990年、12巻10号961頁。
- ^ 生体をゼリーのように透明化する水溶性試薬「Scale」を開発-固定した生体組織を傷つけることなく、数ミリの深部を詳細に蛍光観察-理研プレスリリース(2011年8月30日)2017年8月14日閲覧
- ^ 21世紀の光ファイバー