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鍋島 宗教︵なべしま むねのり︶は、江戸時代中期の大名。肥前佐賀藩6代藩主。官位は従四位下・侍従、丹後守。
5代藩主・鍋島宗茂の長男として誕生。幼名は萬吉。初名は教茂︵のりしげ︶。
元文3年︵1738年︶、父の隠居により家督を相続する。従四位下・侍従・丹後守に叙せられ、父と同じく将軍徳川吉宗より偏諱の授与を受けたが、父と同名になるのを避け、諱を﹁宗教﹂とした。この頃の佐賀藩の財政難は深刻で借銀高は増加、本藩の財政は家中の献米・献銀に依存していた。
延享2年︵1745年︶頃から自身の後継問題や、宗教を隠居させようとする動きなどがあったため、蓮池藩の鍋島直恒や武雄領の鍋島茂昭など、幕閣を巻き込んで一族が混乱した。
この混乱の処罰として、幕命により寛延2年︵1749年︶末に諫早茂行が強制隠居処分となり、その影響で寛延3年︵1750年︶には諫早一揆が起きた。
宝暦10年︵1760年︶に隠居し、家督を弟の重茂に譲った。安永9年︵1780年︶に63歳で死去した。法名は光徳院殿瑞章良麟大居士。
- 父:鍋島宗茂(1687-1755)
- 母:貞姫 - 貞樹院、久世通夏の娘
- 正室:綱姫 - 中院通躬の娘
- 婚約者:亀姫 - 瑤台院、池田吉泰娘
- 生母不詳の子女
- 養子