長正路
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経歴
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福岡県[2][3]糟屋郡大川村[4]︵現粕屋町︶で生まれる。福岡県福岡工業学校︵現福岡県立福岡工業高等学校︶を中退後[4]、上京して専修大学経済科で学んだが中退した[3][4][注 1]。労働運動に加わり、1937年︵昭和12年︶上海で開催された極東反戦学生会議に出席[4]。労働組合全国評議会中央執行委員、日本無産党中央執行委員を務めた[3]。その後、読売新聞社記者、都新聞社記者を経て、南旺映画の取締役に就任した[3][4]。太平洋戦争では南方軍嘱託となりサイゴン︵現ホーチミン市︶で文化工作に従事して終戦を迎えた[3][4]。
1945年︵昭和20年︶日本社会党の創立に加わった[2][4]。1952年︵昭和27年︶10月の第25回衆議院議員総選挙で福岡県第1区から右派社会党公認で出馬して落選[5]。1953年︵昭和28年︶4月の第26回総選挙に出馬して当選し[2][3][6]、衆議院議員に1期在任した[2][3]。この間、社会党中央委員、同党福岡県連合会書記長、同副会長などを務めた[3]。その後、第27回、同補欠選挙︵1956年11月︶、第28回、第29回総選挙に立候補したがいずれも落選した[7]。1960年︵昭和35年︶民主社会党︵民社党︶の結党に参画し同党福岡県連副委員長に就任した[2]。
その他、大勢鉱業常務取締役となった[3]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』392頁では専修大学経済科卒。
出典
[編集]参考文献
[編集]- ふるさと人物記刊行会編『ふるさと人物記』夕刊フクニチ新聞社、1956年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。