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陪臣

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使


概要

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定義

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以下、「直臣」「陪臣」「陪々臣」「陪々々臣」を下記の意味で用いる。

将軍
 ↓
直臣(将軍の家臣=大名
 ↓
陪臣(大名の家臣=藩士
 ↓
陪々臣(藩士の家臣)
 ↓
陪々々臣(藩士の家臣の家臣)

江戸時代の陪臣

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 1[2]






陪臣叙爵

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 駿

陪々臣

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加賀藩

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100宿15660135004123

仙台藩

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11

2

紀州藩

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紀州藩では、江戸勤番の藩士に家来を伴って赴任した者がいたことが記録されている。この者が侍身分であった場合、陪々臣ということになる。

薩摩藩

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薩摩藩の上士層である御一門家・一所持・一所持格は家中と呼ばれた陪々臣を召し抱えていた。

長州藩(萩藩)

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15606310

佐賀藩

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佐賀藩は藩主鍋島家龍造寺家から支配権を禅譲される形で大名となったため、龍造寺一族は鍋島家の支配体制確立後も尊重され、その所領、家臣はそのまま温存された。

その他の藩

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陪々々臣

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陪々臣の下にさらに陪々々臣ともいうべき家来が仕えている場合、奉公関係が非常に複雑になる上、謀反を疑われる危険もあったため、諸侯間の了解事項として士分として扱われるのは陪々臣までとされていた。陪々々臣の陪々臣への奉公は下級の陪々臣が上級の陪々臣の下で役目についているという形を取ることが一般的であった。

天下の三陪臣

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脚注

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(一)^ 

(二)^ 

関連項目

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