隆武帝
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隆武帝 朱聿鍵 | |
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南明 | |
第2代皇帝 | |
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王朝 | 南明 |
在位期間 | 1645年8月18日 - 1646年10月6日 |
都城 | 福州 |
姓・諱 | 朱聿鍵 |
字 | 長寿 |
諡号 |
思文皇帝 配天至道弘毅粛穆思文烈武敏仁広孝襄皇帝 |
廟号 | 紹宗 |
生年 |
万暦30年4月5日 (1602年5月25日) |
没年 |
隆武2年8月28日 (1646年10月6日(44歳没)) |
父 | 朱器墭 |
母 | 宣皇后毛氏 |
后妃 | 孝毅襄皇后曾氏 |
年号 | 隆武:1645年 - 1646年 |
隆武帝︵りゅうぶてい︶は、南明の第2代皇帝。諱は聿鍵︵いつけん︶。廟号は紹宗︵しょうそう︶。日本では在位中の元号隆武を取って隆武帝と呼ぶのが一般的。明の洪武帝朱元璋の第23子の唐定王朱桱の八世の孫にあたる︵下記系図参照︶。
生涯[編集]
隆武帝の父の朱器墭は唐端王朱碩熿の嫡出長男であった。万暦22年︵1594年︶、朱器墭は世子とされた。しかしその後、朱碩熿は寵愛する側室の子の朱器塽を世子として育てようと考え、長男を虐待した。万暦30年4月5日︵1602年5月25日︶、朱器墭の妻の毛氏は宦官の家で朱聿鍵を産んだ。朱碩熿はこの孫を愛さなかったが、朱碩熿の母の太妃魏氏︵万暦41年︵1613年︶薨去︶は曾孫を愛し、世話をした。その後、朱器墭は唇部腫瘤という理由[1]をつけて監禁され、崇禎2年︵1629年︶、朱器塽に毒殺された。この事件は混乱を生み、朱碩熿も恐れ、気乗りのしないまま孫の朱聿鍵が家督相続人に立てられた。1630年、朱碩熿も死去した。 唐王家内での長い争いの後、崇禎5年︵1632年︶に朱聿鍵は祖父の爵位を相続して唐王となった。崇禎7年︵1634年︶、父の仇討として、叔父の朱器塽を自ら手にかけて殺害した。崇禎9年︵1636年︶冬、北方情勢の危急に際し、朱聿鍵は武装した家臣を統率して北京へ上り、崇禎帝を支援しようとした。しかし崇禎帝は猜疑心が強く、これを権力奪取の企てと疑った。翌年春に朱聿鍵は﹁無断用兵罪﹂と﹁弑叔罪﹂を問われ、庶人に落とされ、鳳陽高墻︵皇族の監獄︶に収監された。獄中で、朱聿鍵は度重なる体罰によって一度は危篤状態に陥った。妻の曾氏と数人の役人が崇禎帝に上書したが、崇禎帝在世中の8年間は効果がなかった。 崇禎17年︵1644年︶、崇禎帝が自殺し、弘光帝が南京で即位すると恩赦を受け、広西平楽に移されることになった。移送中に弘光帝が清軍に囚われたとの報を受けた朱聿鍵は、福州の地で鄭芝龍・黄道周らに推されて帝位に即き、隆武の元号を立てた。同族である桂林の靖江王朱亨嘉︵朱若極︵石濤︶の父︶が﹁監国﹂と称すると、両広総督の丁魁楚に命じてこれを討伐させて、これを捕らえて福州に連行させて王位を剥奪した挙句に、獄死させた。 鄭芝龍の子の鄭成功が隆武帝に初めて謁見した時、隆武帝はその容貌と聡明さを気に入って、﹁朕に公主︵娘︶がいないのが残念である﹂と言った。隆武帝が公主の代わりに国姓の朱姓を授けた︵しかし鄭成功は固辞した︶ことから、鄭成功は﹁国姓爺﹂の異名で呼ばれることになった。 隆武2年︵1646年︶、清軍が福州を攻撃すると汀州に逃れたが、清の李成棟の軍によって捕らえられた。連行途中、皇后曾氏と10人ほどの宦官が入水自殺した。その後、清軍の警備は強化されて逃走の機会はなくなり、隆武帝は翌月に崩御した。享年45。絶食による自殺とされる。宗室[編集]
●妻妾 ●孝毅襄皇后曾氏 - 1646年自殺。 ●12人の妃嬪 ●某氏、某氏 − 汀州で自殺。 ●沈氏、毛氏 − 汀州で隆武帝と共に捕虜になった。 ●某氏 − 汀州で隆武帝を守って清軍と格闘し、戦死した。 ●劉氏 − 汀州へ逃難時、既に妊娠していた。しかし以後、詳情の記載がない。 ●子女 ●荘敬太子 朱琳源︵1646年生没︶ - 母は孝毅襄皇后曾氏。兎唇を持つ。隆武2年6月1日︵1646年7月13日︶に生まれ、同年8月、混乱の中に死去した。系図[編集]
太祖洪武帝 朱元璋 |
| 1唐定王 朱桱 |
| 2唐靖王 朱瓊烴 |
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| 3唐憲王 朱瓊炟 |
| 4唐荘王 朱芝址 |
| 5唐成王 朱弥鍗 |
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| 文城恭靖王 朱弥鉗 |
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| 6唐敬王 朱宇温 |
| 7唐順王 朱宙栐 |
| 8唐端王 朱碩熿 |
| 朱器墭 |
| 9,11唐王・隆武帝 朱聿鍵 | |||||||||||||||||||||||||||||||
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| 10唐愍王 朱聿鏼 | |||||||||||||||||||||||
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| 12唐王・紹武帝 朱聿𨮁 | |||||||||||||||||||||||
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| 13唐王 朱聿鍔 | |||||||||||||||||||||||
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