驢馬 (雑誌)
驢馬 | |
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ジャンル | 文芸同人雑誌 |
読者対象 | 文学愛好者 |
刊行頻度 | 月刊 |
発売国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
編集長 | 中野重治、窪川鶴次郎、ほか |
刊行期間 | 1926年4月(大正15年4月号) - 1928年3月(昭和3年3月号) |
驢馬︵ろば︶は、1920年代の日本の同人雑誌。1926年︵大正15年︶4月から1928年︵昭和3年︶5月まで刊行され、全12冊で終刊した[1][2][3][4]。
中野重治、窪川鶴次郎、堀辰雄、西沢隆二、宮木喜久雄、平木二六が中心となり刊行された[2][3][5][6]。﹁驢馬﹂という名前は堀辰雄の提案で決まった[7]。彼ら同人が創刊前後に集まっていた駒込神明町︵現・文京区本駒込︶動坂のカフェ﹁紅緑﹂︵こうろく︶には、当時そこで女給をしていた田島イネ︵佐多稲子︶がいて、窪川鶴次郎と結婚することになった[8]。
当時のプロレタリア文学運動の盛行にあわせ、堀辰雄以外の同人はのちに結成された全日本無産者芸術連盟︵ナップ︶に参加した。中野重治は1954年に書いた自伝的小説﹃むらぎも﹄のなかで、この時代を作品化している。作中では﹃土くれ﹄という雑誌名になっている。
脚注[編集]
(一)^ “驢馬”. 世界大百科事典 第2版. コトバンク. 2018年3月11日閲覧。
(二)^ ab窪川鶴次郎﹁﹃驢馬﹄時代の堀とのこと﹂︵文藝 1953年8月︶。別巻2 1997, pp. 237–241
(三)^ ab谷田昌平編﹁年譜﹂︵別巻2 1997, pp. 407–422︶
(四)^ ﹁中野重治﹂︵多恵子 1996, pp. 60–69︶
(五)^ ﹁略年譜﹂︵アルバム 1984, pp. 114–108︶
(六)^ ﹁驢馬の同人﹂︵多恵子 1996, pp. 70–73︶
(七)^ 中野重治﹁ふたしかな記憶﹂︵中央公論 1953年7月︶。別巻2 1997, pp. 191–195
(八)^ ﹁五﹃驢馬﹄の人々との出会い﹂︵佐多 1983, pp. 106–132︶