高ノ島
表示
高ノ島 | |
---|---|
![]() 館山市高ノ島から海を望んだ所 | |
座標 | 北緯34度59分26.35秒 東経139度50分24.19秒 / 北緯34.9906528度 東経139.8400528度座標: 北緯34度59分26.35秒 東経139度50分24.19秒 / 北緯34.9906528度 東経139.8400528度 |
面積 | 0.027[1] km² |
![]() |
高ノ島(たかのしま)は、千葉県館山市富士見にある陸繋島。一般的には「鷹ノ島」の表記も多く見かける(後述)。
概要
[編集]
館山港に面し、同じく陸繋島になっている沖ノ島の東[2]に位置する。かつては沖ノ島とともに本土から離れていたが、1923年︵大正12年︶9月1日に起きた関東大震災による隆起で干潟ができた[3]。﹃館山市史﹄によると、震災による隆起は高ノ島で約7尺︵約2.1メートル︶、沖ノ島で約8尺︵約2.4メートル︶、館山沿岸部で約6尺︵1.8メートル︶であった[2]。
東京湾口の要地にできた浅瀬に目をつけた海軍航空隊は1930年︵昭和5年︶に飛行場をつくるため埋め立てを決め、土砂の堆積も加わって完全に地続きとなった[2]。本土側にかけての一帯は現在、海上自衛隊館山航空基地となっている[4]。
神社
[編集]
島の鎮守様である弁財天は、平安時代中期の1092年に、安房国の国司だった源親元の勧進により創建された[5]。 大祭は毎年5月14日に執り行われている。第二次世界大戦中いったん途絶えたが、昭和24年に復活して以来執り行われている。 昭和30年代は、14日に汐祭り、15日に御開帳で終日、お茶の接待を行っていた。五穀豊穣、海上安全、漁獲豊漁、商業繁栄などを祈願している。管理は館山市沼の栄洗寺に任されている[6][7]。
名称標記
[編集]
島名の標記には﹁高ノ島﹂﹁鷹ノ島﹂の異なる標記が利用されている。﹁高ノ島﹂が利用されていたが江戸時代以降に﹁鷹ノ島﹂が利用されるようになり﹁鷹ノ島﹂が普及していった。
国土地理院の地形図や行政資料では引き続き﹁高ノ島﹂が利用されている。また弁財天の石碑には﹁鷹之島辯天閣﹂と刻銘され、お札も同様である[8]。
戦争遺跡
[編集]脚注
[編集]
(一)^ 千葉県生物学会﹃千葉県自然観察ガイド﹄竹島いわお、184頁。
(二)^ abc﹇関東大震災100年﹈残像(4)隆起 つながった島*千葉・館山﹃読売新聞﹄夕刊2023年5月25日1面︵関東版︶
(三)^ ﹃鏡ケ浦をめぐる歴史﹄館山市立博物館、21頁。
(四)^ ﹃千葉大百科事典﹄千葉日報社、1982年3月、519頁。
(五)^ “豊漁や家内安全など祈願”. 房日新聞: p. 2. (2002年5月17日)
(六)^ “鷹ノ島弁財天恒例祭”. 房州日日新聞: p. 2. (1959年5月12日)
(七)^ “鷹ノ島弁財天14日に”. 房州日日新聞: p. 2. (1961年5月11日)
(八)^ “館山航空基地に隣接するタカノシマ 高ノ島か 鷹ノ島か どっちがホント?”. 房日新聞社: p. 2. (2009年10月18日)
(九)^ “戦争遺跡ダイジェスト﹁米軍本土初上陸地点﹂~安房文化遺産フォーラム”. www.internet-ex.com. 2023年5月29日閲覧。