魃
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女神としての「魃」
[編集]妭
女神の﹁魃﹂は、﹃山海経﹄の﹁大荒北経﹂に記述がある。もとの名は妭︵ばつ︶。黄帝の娘である。
黄帝が蚩尤と戦った際、蚩尤陣営の風雨を司る雨師と風伯に対抗して、体内に大量の熱を蓄えている娘の魃を呼び寄せて対抗した。魃が雨を止めることで無事勝利を掴んだ黄帝であったが、魃は力を使いすぎて天へ帰れなくなっていた[2][3]。
魃の力はそこにいるだけで周囲に旱魃をもたらす。彼女を処刑することもできないため、やむなく黄帝は彼女を赤水河の北方の係昆山へ幽閉した。しかし魃は時折中原へやってきて旱魃を起こすので、人々は﹁神よ、北へ帰りたまえ﹂と言って魃を帰すのだという[2][3]。
一説によれば、本来の名の﹁妭﹂は美女の意味だが、人間に害をなすようになってからは、邪悪の意味をこめて部首の女を鬼に変えられて﹁魃﹂の名が用いられ、これが﹁旱魃﹂の語源になったともいう[4]。
獣形の「魃」
[編集]![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/2b/Sancai_Tuhui_Batsu.jpg/160px-Sancai_Tuhui_Batsu.jpg)
『山海経』よりあとに書かれた中国の文献には、旱魃にまつわる以下のような獣の記述がある。
𪕰
﹃本草綱目﹄や前漢初期の書﹃神異経﹄によれば、南方には﹁𪕰﹂または﹁魃﹂[注 1]がおり、身長2尺から3尺︵40から60センチメートル︶、頭の上に目があり、風のように走り、これが現れると大旱魃になるが、厠に投げ込むと死んでしまうという[5][6][注 2]。
﹃三才図会﹄に記述のある﹁神魃﹂は、魑魅に類する人面獣身の獣で、手と足が一つずつしかなく、剛山という山に多くおり、これのいるところには雨が降らないという[7]。
隋時代の研究書﹃文字指帰﹄には同様、﹁旱魃﹂という獣の居場所には雨が降らないとある[6]。
これらは日本の江戸時代の百科事典﹃和漢三才図会﹄にも、﹁魃︵ひでりがみ︶﹂と題して引用されている[6]。鳥山石燕による妖怪画集﹃今昔画図続百鬼﹄では﹁魃︵ひでりがみ︶﹂と題し、上記の特徴を総合し、剛山に魃が住み、人面獣身、手と足が1本ずつ、風のように早く走り、居場所には雨が降らないと述べられている[8]。
神𩳁
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 原典『神異経』での表記は「𪕰」。「魃」の表記は『中国古典小説選』1による。
- ^ 水木しげるの著書『図説 日本妖怪大全』(ISBN 978-4-06-256049-8)などには「魃鬼(ばっき)」の名で同様の記述がある。
出典
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(一)^ 伊藤清司 著、慶應義塾大学古代中国研究会 編﹃中国の神獣・悪鬼たち 山海経の世界 増補改訂版﹄東方書店東方選書 2013年︵初版 1986年︶ p.46
(二)^ ab高馬訳 1994, pp. 170–171
(三)^ ab鈴木訳 1993, pp. 207–208
(四)^ 篠田 1989, pp. 34–35
(五)^ 東方朔 著﹁神異経﹂、竹田晃、黒田真美 編﹃中国古典小説選﹄ 1巻、明治書院、2007年、231-232頁。ISBN 978-4-625-66405-2。
(六)^ abc笹間 1994, p. 38
(七)^ 王圻編. “三才図会”. 江戸・明・古代プロジェクト. 漢籍webdb project. 2009年8月27日閲覧。
(八)^ 鳥山石燕 著﹁今昔画図続百鬼﹂、稲田篤信、田中直日 編﹃鳥山石燕 画図百鬼夜行﹄高田衛監修、国書刊行会、1992年︵原著1779年︶、112頁。ISBN 978-4-336-03386-4。
(九)^ 高馬訳 1994, pp. 46–47.
(十)^ 伊藤清司監修・解説﹃怪奇鳥獣図巻 大陸からやって来た異形の鬼神たち﹄工作舎、2001年、47頁。ISBN 978-4-87502-345-6。
参考文献
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●袁珂 著、鈴木博訳 編﹃中国の神話伝説﹄ 上、青土社、1993年。ISBN 978-4-7917-5221-8。
●笹間良彦﹃図説・日本未確認生物事典﹄柏書房、1994年。ISBN 978-4-7601-1299-9。
●篠田耕一﹃幻想世界の住人たち﹄ III、新紀元社︿Truth In Fantasy﹀、1989年。ISBN 978-4-915146-22-0。
●高馬三良訳﹃山海経 中国古代の神話世界﹄平凡社︿平凡社ライブラリー﹀、1994年。ISBN 978-4-582-76034-7。