麿のぼる
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まろ のぼる 麿 のぼる | |
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本名 | 佐藤 登 |
生年月日 | 1954年9月10日 |
没年月日 | 不詳年 |
出生地 |
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身長 | 175cm[1] |
職業 | 俳優 |
主な作品 | |
テレビドラマ 『スーパーロボット マッハバロン』 |
来歴・人物
[編集]
1974年、特撮テレビドラマ﹃スーパーロボット マッハバロン﹄︵日本テレビ︶にて敵役のタンツ陸軍参謀役でレギュラー出演。主演の下塚誠とは友人で、映画﹃大空のサムライ﹄︵東宝︶でも再び共演した。それ以降はにっかつ映画や刑事ドラマなどに脇役として出演した。特技は、乗馬[1]、柔道[1]、殺陣[1]。
俳優を引退後は円谷プロダクションで車両係を務めていた。[要出典]
2013年11月9日に行われた﹁こちら特撮情報局 開局10周年記念コンテンツ バロンシリーズスタッフ・ キャスト座談会﹂で、下塚誠の話によると既に亡くなっていることが伝えられており、死去の際は葬儀にも出席したという。満56歳没[2]。
2014年6月13日に行われた ﹁こちら特撮情報局 開局10周年記念コンテンツ バロンシリーズ番外編﹂ での下塚誠のインタビューによると[要文献特定詳細情報]、マッハバロンで共演した麿とは特に仲が良く、マッハバロンが始まる2年位前からの知り合いだったという。また敵役のタンツ陸軍参謀役の起用については、制作スタッフから﹁タンツ役の適人は誰かいないか?﹂と訪ねられたため、下塚が麿を推薦した。またこの番組の出演を機会にそれまでの本名﹁佐藤のぼる﹂で活動していた所を﹁麿のぼる﹂と改名する。なお、この芸名は下塚が付けたという。また﹁麿が亡くなる間際、自分の奥様に﹃僕の芸名は下塚誠が付けてくれたんだ﹄と何回も言っていた旨を奥様から聞きました。麿は顔に疵のメイクをして悪役のタンツを演じていましたが、とても心の優しい人間でしたね﹂と麿を偲んでいる。
出演
[編集]テレビドラマ
[編集]- スーパーロボット マッハバロン(1974年 - 1975年、NTV) - タンツ陸軍参謀
- 熱愛・むらさき情話(1978年、YTV)
- 七人の刑事 第31話「悪魔の土曜日」(1978年、TBS)
- 同心部屋御用帳 江戸の旋風IV 第26話「さむらいの挽歌・有情編」(1979年、CX)
- コメットさん(第2期)第41話「小人になって大きな愛を!」(1979年、TBS)
- ザ・ハングマン 燃える事件簿 第4話「辱しめられたキャンパス」(1980年、ABC)
- 西部警察シリーズ(石原プロ / ANB)
- 西部警察
- 第104話「栄光への爆走」(1981年) - 相原
- 第117話 「眼を開け! カウボーイ」 (1982年) - 旭星会構成員(黒革ジャケット)
- 西部警察 PART-II
- 第12話「10年目の疑惑」(1982年) - 竜神会構成員
- 第34話「トリック・ジャック」(1983年) - 岩田
- 西部警察 PART-III
- 第1話「強行着陸!」(1983年) - 沼尾保男
- 第21話「PM3・消えた1億円」(1983年) - 森島興業構成員(白スーツ)
- 第47話「戦士よ さらば」(1984年) - 後楽園ホールの男
- 西部警察
- 少年ドラマシリーズ / 星の牧場(1981年、NHK)
- 連続テレビ小説 / おしん 第18回(1983年、NHK)
映画
[編集]- 吾輩は猫である(1975年、東宝) - 古井武右衛門
- 性処女 ひと夏の経験(1976年、日活)
- 大空のサムライ(1976年、東宝)‐ 久保二飛曹[3]
- あにいもうと(1976年、東宝) - 茂
- 恋の空中ぶらんこ(1976年、東宝)
- 女子大生 (秘)SEX診断(1977年、日活)
- クライマックス・レイプ 剥ぐ!(1979年、にっかつ)
- 太陽を盗んだ男(1979年、キティ・フィルム)
脚注
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(一)^ abcdefgh﹃日本タレント名鑑'81﹄VIPタイムズ社、1979年、186頁。
(二)^ ﹃マッハバロン﹄でタンツ︵陸軍参謀役︶を演っていた麿のぼると付き合いがあったんだけど、彼も亡くなってしまいました︵麿氏は1976年公開の東宝映画﹁大空のサムライ﹂でも下塚氏と共演 ︶。 バロンシリーズ座談会 2014年9月3日閲覧
(三)^ 東宝特撮映画全史 1983, p. 538, ﹁主要特撮作品配役リスト﹂
参考文献
[編集]- 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸、東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5。