黒沢定紀
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黒沢 定紀︵くろさわ さだのり、生年不詳 - 寛保3年7月29日︵1743年9月17日︶[1]︶は、江戸時代中期の旗本。通称は兵之助、杢之助。黒沢定當の子。妻は諏訪盛就の娘。息子は杢之助、娘は田沼意次の継室[2]、諏訪盛恭の養女︵内藤信就の妻︶。
略歴[編集]
﹃寛政重修諸家譜﹄によると、宝永4年︵1707年︶5月26日に父の跡を継ぎ、石高は590石。享保3年︵1718年︶4月13日に鉄砲方に任ぜられ、享保6年︵1721年︶12月18日に布衣を許された。寛保3年︵1743年︶に死去[3]。参考文献[編集]
- 『近世大名列伝』(社会思想社 、1967年、139p)
脚注[編集]
- ^ 『断家譜』巻第十六 黒沢
- ^ 社会思想社 1967, p. 139.
- ^ “天明二年「三春行楽記」前後(5)”. 2024年1月27日閲覧。