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2002年以降のトラック部門については「タタ大宇 」をご覧ください。
同・バス部門(ザイル大宇)については「大宇バス 」をご覧ください。
販売会社については「大宇自動車販売 」をご覧ください。
韓国GM (かんこくジーエム, GM Korea)はゼネラルモーターズ 子会社の韓国 の自動車 メーカーで、主にシボレー ブランドを使用する。2011年 第一四半期にGM大宇自動車技術 (GM Daewoo Auto and Technology) から当社名へ変更すると発表され[1] [2] 、2011年3月1日より正式に現在の社名での展開をスタートした。
スローガンは「CHEVROLET FIND NEW ROADS」 。
2 0 0 0 年 に 大 宇 自 動 車 ( D a e w o o M o t o r s ) が 経 営 破 綻 す る と 、 ア メ リ カ 合 衆 国 の ゼ ネ ラ ル モ ー タ ー ズ ︵ GM ︶ が 旧 大 宇 自 動 車 の 大 部 分 を 買 収 し 、 後 に 社 名 が ﹁ GM 大 宇 自 動 車 技 術 ︵ GM 大 宇 オ ー ト ア ン ド テ ク ノ ロ ジ ー ︶ ﹂ と な る 。 ﹁ G M D A T ︵ ジ ー エ ム ダ ッ ト ︶ ﹂ と も 呼 ば れ る ︵ G M D A T は G M D a e w o o A u t o & T e c h n o l o g y C o m p a n y の 略 ︶ 。 GM グ ル ー プ 内 で コ ン パ ク ト カ ー ・ サ ブ コ ン パ ク ト カ ー の 生 産 ・ 開 発 を 行 っ て い た が 、 2 0 0 9 年 に 親 会 社 の GM が 経 営 破 綻 の 危 機 に 瀕 す る と 、 GM 大 宇 も ま た 、 深 刻 な 経 営 危 機 に 陥 っ て い た [ 3 ] 。 2 0 1 1 年 1 月 に は ﹁ 韓 國 GM ﹂ ( G M K o r e a ) へ と 改 称 す る こ と が 発 表 さ れ た [ 1 ] 。 な お 、 後 述 の よ う に こ の 会 社 は 大 宇 の 名 が 使 わ れ る 以 前 に GM コ リ ア と い う 社 名 を 使 用 し て い た 時 期 が あ り 、 皮 肉 に も 今 回 の 大 宇 の 名 称 が 消 え た 社 名 変 更 で ま た GM コ リ ア を 名 乗 る こ と に な っ た 。
2 0 0 0 年 代 の GM は 、 欧 州 で 販 売 す る シ ボ レ ー ブ ラ ン ド の 車 種 を 韓 国 で 生 産 、 輸 出 し て 好 調 な 売 り 上 げ を 記 録 し て き た が [ 4 ] 、 2 0 1 4 年 以 降 、 欧 州 市 場 の リ ス ト ラ を 開 始 。 欧 州 の シ ボ レ ー ブ ラ ン ド を 廃 止 [ 5 ] し て オ ペ ル と ボ ク ス ホ ー ル に 集 約 、 や が て そ れ ら ブ ラ ン ド も P S A へ 売 却 し て コ ン パ ク ト カ ー の 生 産 か ら 一 歩 引 く こ と と な っ た 。 主 力 生 産 車 種 を 失 っ た 韓 国 GM は 、 工 場 稼 働 率 が 低 迷 し た 群 山 工 場 の 閉 鎖 を 決 定 。 2 0 1 7 年 に は 2 兆 ウ ォ ン の 赤 字 を 出 す よ う に な っ た が 、 労 働 組 合 側 は 賃 上 げ を 求 め て 度 重 な る ス ト ラ イ キ で 抵 抗 し た [ 6 ] 。 2 0 1 8 年 、 韓 国 GM は 撤 退 も 視 野 に 入 れ つ つ 韓 国 政 府 に 支 援 を 要 求 し 始 め た [ 7 ] 。
● 1 9 3 7 年 キ ム ・ ヤ ン ジ ョ に よ り 、 國 産 自 動 車 ( グ ク サ ン - 、 G u k s a n A u t o m o t i v e 。 英 字 資 料 で は N a t i o n a l M o t o r と も 訳 さ れ る ︶ が 、 仁 川 に て 創 業 。 主 に 貨 物 自 動 車 の 生 産 に 従 事 [ 8 ] 。
● 1 9 5 4 年 金 昌 源 ︵ キ ム ・ チ ャ ン ウ ォ ン 、 弟 ︶ ・ 金 済 源 ︵ キ ム ・ ジ ェ イ ウ ォ ン 、 兄 ︶ 兄 弟 に よ り 、 新 進 工 業 が 設 立 さ れ る 。 創 業 当 初 は 自 動 車 部 品 の 製 造 工 場 で あ っ た が 、 1 9 5 8 年 か ら は 朝 鮮 戦 争 で 米 軍 に よ り 使 わ れ た ジ ー プ の 修 理 や 改 造 に 着 手 し 始 め る [ 9 ] 。
● 1 9 6 2 年 在 日 韓 国 人 実 業 家 の 朴 魯 貞 ︵ パ ク ・ ノ ジ ョ ン ︶ に よ り 、 " 新 し い 国 " を 意 味 す る セ ナ ラ 自 動 車 ( d e : S a e n a r a M o t o r C o m p a n y 、 새 나 라 자 동 차 ︶ が 設 立 さ れ る 。 朴 正 煕 国 家 再 建 最 高 会 議 議 長 ( 後 、 大 統 領 ) に よ る 第 一 次 五 カ 年 計 画 の 一 環 と し て 韓 国 政 府 の 支 援 の 下 、 富 平 区 に 年 産 6 0 0 0 台 を 見 込 む 新 工 場 を 設 立 [ 1 0 ] 。 日 産 自 動 車 と 提 携 し 、 同 年 11 月 よ り P 3 1 2 型 ブ ル ー バ ー ド を ﹁ セ ナ ラ ﹂ の 名 称 で ノ ッ ク ダ ウ ン 生 産 す る [ 1 1 ] 。 同 年 、 新 進 工 業 も 事 業 を 拡 大 し 、 軍 用 ト ラ ッ ク の 部 品 を 流 用 し た マ イ ク ロ バ ス の 製 造 に 着 手 、 公 共 交 通 機 関 で 採 用 さ れ る 等 の 成 功 を 収 め る [ 1 2 ] 。 同 年 、 グ ク サ ン 自 動 車 が 倒 産 。 同 社 の 最 後 の 社 長 で あ っ た 李 敏 禹 ︵ リ ・ ミ ン ウ ︶ が 金 昌 源 の 誘 い を 受 け 、 新 進 工 業 に 専 務 と し て 就 任 す る [ 1 3 ] 。
● 1 9 6 3 年 5 月 セ ナ ラ 自 動 車 は P 3 1 2 型 セ ナ ラ を 2 7 7 3 台 生 産 し た 段 階 で 経 営 破 綻 。 原 因 は 韓 国 政 府 関 係 者 に よ る 中 間 搾 取 に よ り 、 工 場 の 建 設 費 用 が 当 初 予 定 の 2 倍 を 超 え る ほ ど 膨 れ 上 が っ た こ と 、 当 時 の 韓 国 国 内 で の 販 路 の 脆 弱 さ か ら 、 建 設 費 用 を 販 売 価 格 に 転 嫁 で き ず 、 政 府 へ の 借 入 金 の 支 払 い が 行 え な く な っ た こ と 等 も 一 因 と さ れ る [ 1 4 ] が 、 直 接 的 な 原 因 は 金 鍾 泌 が 関 わ っ た 後 述 の セ ナ ラ 自 動 車 疑 惑 事 件 で あ っ た 。 同 年 11 月 、 新 進 工 業 は P 3 1 2 型 セ ナ ラ を デ ッ ド コ ピ ー す る 形 で 新 星 号 の 製 造 を 開 始 す る 。 新 星 号 は セ ナ ラ の 2 倍 近 い 価 格 を 設 定 し た 上 に 、 エ ン ジ ン 、 ト ラ ン ス ミ ッ シ ョ ン を 始 め 多 く の 部 品 を ジ ー プ の 中 古 車 か ら 流 用 し て い た た め 、 セ ナ ラ と 比 較 し て も 非 常 に 故 障 し や す く 、 1 9 6 6 年 の 製 造 終 了 ま で 3 2 2 台 し か 売 れ な か っ た [ 1 2 ] [ 1 4 ] 。
● 1 9 6 4 年 新 進 工 業 が 新 進 自 動 車 ︵ シ ン ジ ン - 、 e n : S h i n j i n M o t o r s 、 신 진 자 동 차 ︶ と 改 称 。 同 年 10 月 、 同 社 専 務 が ト ヨ タ 自 動 車 を 訪 れ た こ と が 契 機 と な り 、 ト ヨ タ と の 間 に 技 術 供 与 契 約 の ﹁ 仮 調 印 ﹂ を 行 う 。 仮 と な っ て い る の は 同 年 の 段 階 で 日 韓 間 の 国 交 が 回 復 し て い な か っ た た め と さ れ る [ 1 3 ] 。
● 1 9 6 5 年 7 月 韓 国 政 府 は 韓 国 車 の 部 品 の 国 内 製 造 比 率 を 、 1 9 6 7 年 ま で に 9 0 % 以 上 と す る こ と を 目 標 に し た 三 ヵ 年 計 画 を 策 定 。 そ の 計 画 の 一 環 と し て 、 新 進 自 動 車 を 小 型 車 生 産 の 独 占 企 業 に 指 定 し 、 旧 セ ナ ラ 自 動 車 の 製 造 施 設 の 買 収 を 働 き か け る こ と と な る 。 同 年 11 月 、 新 進 工 業 が セ ナ ラ 自 動 車 の 製 造 施 設 を 取 得 す る も 、 セ ナ ラ の 経 営 破 綻 の 時 点 で 日 産 自 動 車 と の 提 携 関 係 が 消 滅 し て い た た め 、 翌 年 の ト ヨ タ と の 提 携 ま で の 繋 ぎ と し て 、 新 三 菱 重 工 業 か ら 1 0 0 台 分 の " G o l d " モ デ ル ( 三 菱 ・ コ ル ト 1 0 0 0 の 誤 読 と み ら れ る ) の ノ ッ ク ダ ウ ン 生 産 部 品 を 輸 入 す る 。 新 進 に よ る セ ナ ラ 買 収 で は 韓 国 政 府 に よ る か な り 露 骨 な 後 押 し が あ っ た よ う で 、 他 の 韓 国 車 メ ー カ ー か ら は 大 い に 顰 蹙 を 買 っ た と い う [ 1 5 ] 。 石 坂 芳 男 の 回 想 に よ る と 、 ﹁ 日 韓 基 本 条 約 締 結 直 後 の 韓 国 で は 外 貨 が 不 足 し て い た こ と も あ り 、 当 時 経 営 ト ッ プ で あ っ た 弟 の 社 長 が 病 気 療 養 中 に 、 兄 の 会 長 が 勝 手 に 三 菱 と の ノ ッ ク ダ ウ ン 契 約 を 決 め て し ま っ た 。 ﹂ ら し く 、 こ れ に 対 し て ト ヨ タ 自 販 の 神 谷 正 太 郎 は 、 元 衆 議 院 議 員 の 朴 春 琴 を 通 じ て 朴 正 煕 に 抗 議 の 書 簡 を 送 り 、 三 菱 の 部 品 輸 入 禁 止 措 置 を 取 ら せ る こ と で 、 新 進 に 三 菱 と の 契 約 継 続 を 断 念 さ せ た と い う 。 当 時 の ト ヨ タ は セ ナ ラ の ブ ル ー バ ー ド の ノ ッ ク ダ ウ ン 生 産 に よ っ て 、 小 型 大 衆 車 の 海 外 進 出 で 日 産 に 先 行 さ れ て い た こ と に 焦 燥 感 を 抱 い て お り 、 韓 国 企 業 の ガ バ ナ ン ス の 杜 撰 さ に 辟 易 し な が ら も 、 ト ヨ ペ ッ ト ・ コ ロ ナ の 海 外 進 出 の た め に 、 政 財 界 か ら も 手 を 回 す な り ふ り 構 わ ぬ 手 段 も 用 い て 交 渉 を 進 め て い っ た と い う [ 1 3 ] 。
● 1 9 6 6 年 5 月 ト ヨ タ 自 動 車 と 正 式 に 提 携 開 始 。 ク ラ ウ ン 、 コ ロ ナ 、 パ ブ リ カ 、 ト ヨ エ ー ス を ノ ッ ク ダ ウ ン 生 産 す る 。 ︵ ト ヨ エ ー ス は ﹃ エ ー ス ﹄ の 車 名 で 新 進 ブ ラ ン ド で 販 売 ︶
● 1 9 7 2 年 ト ヨ タ が 撤 退 後 、 GM が 資 本 参 加 し 、 ﹁ GM コ リ ア ﹂ ︵ GM 코 리 아 ︶ に 社 名 変 更 。 シ ボ レ ー 1 7 0 0 ︵ ホ ー ル デ ン ・ ト ラ ー ナ が ベ ー ス ︶ や レ コ ー ド 1 9 0 0 、 ロ イ ヤ ル ︵ オ ペ ル ・ レ コ ル ト D が ベ ー ス ︶ を ノ ッ ク ダ ウ ン 生 産 す る 。
● 1 9 7 6 年 韓 国 産 業 銀 行 が GM コ リ ア の 持 ち 株 を 購 入 し 、 セ ハ ン 自 動 車 ︵ セ ハ ン - 、 e n : S a e h a n M o t o r s 、 새 한 자 동 차 、 S a e h a n M o t o r C o m p a n y ︶ に 社 名 変 更 。 い す ゞ ・ ジ ェ ミ ニ 、 い す ゞ ・ エ ル フ を ノ ッ ク ダ ウ ン 生 産 す る 。
● 1 9 7 8 年 7 月 大 宇 財 閥 が 産 業 銀 行 か ら 持 ち 株 を 購 入 、 セ ハ ン 自 動 車 は 大 宇 傘 下 に 入 る 。
● 1 9 8 3 年 韓 国 の 大 宇 財 閥 が 資 本 参 加 し 、 社 名 を 大 宇 自 動 車 ( デ ー ウ - 、 e n : D a e w o o M o t o r s ) に 変 更 す る 。 GM と の 提 携 は 続 き 、 ル マ ン ︵ オ ペ ル ・ カ デ ッ ト ︶ 、 ロ ー ヤ ル ︵ オ ペ ル ・ レ コ ル ト E ︶ な ど を 生 産 す る 。
● 1 9 8 6 年 富 平 第 1 工 場 が 新 た に 建 設 。 従 来 の 富 平 工 場 は 富 平 第 2 工 場 と な る [ 1 6 ] 。
● 1 9 9 1 年 ス ズ キ ・ ア ル ト ︵ 3 代 目 ︶ を ﹁ テ ィ コ ﹂ の 車 名 で 生 産 。 本 国 で は 国 民 車 と し て 税 金 が 優 遇 さ れ た 。
● 1 9 9 0 年 代 中 盤 ホ ン ダ と 技 術 提 携 。 ア カ デ ィ ア ︵ 2 代 目 レ ジ ェ ン ド ︶ を ノ ッ ク ダ ウ ン 生 産 す る 。
● 1 9 9 7 年 雙 龍 自 動 車 を 買 収 す る 。 以 後 、 雙 龍 の 車 種 は 大 宇 が 2 0 0 0 年 に 経 営 破 綻 ︵ は た ん ︶ す る ま で 大 宇 ブ ラ ン ド で も 販 売 さ れ る 。
● 1 9 9 8 年 コ ン パ ク ト カ ー マ テ ィ ス が ヨ ー ロ ッ パ を 中 心 に 売 れ 、 経 済 危 機 に 陥 っ た 韓 国 で も 価 格 の 安 さ で 大 ヒ ッ ト す る 。
● 2 0 0 0 年 大 宇 自 動 車 が 経 営 破 綻 。
● 2 0 0 2 年 GM が 旧 大 宇 自 動 車 の 大 部 分 を 買 収 し て ﹁ GM 大 宇 自 動 車 技 術 ﹂ を 発 足 さ せ る 。 ま た 旧 大 宇 自 動 車 の ト ラ ッ ク 部 門 と バ ス 部 門 が そ れ ぞ れ ﹁ 大 宇 商 用 車 ﹂ ︵ 後 に イ ン ド の タ タ ・ モ ー タ ー ズ に 買 収 さ れ て ﹁ タ タ 大 宇 商 用 車 ﹂ と な る ︶ 、 ﹁ 大 宇 バ ス ﹂ と し て 分 離 独 立 す る 。
● 2 0 0 4 年 海 外 市 場 で は 自 動 車 販 売 ブ ラ ン ド と し て の D a e w o o の 名 前 が 消 え て C h e v r o l e t ︵ シ ボ レ ー ︶ と な る ( 韓 国 国 内 で は 引 き 続 き D a e w o o ブ ラ ン ド で 発 売 。 日 本 に 輸 入 さ れ て い る マ テ ィ ス に つ い て も 引 き 続 き D a e w o o ブ ラ ン ド で 発 売 さ れ て い た ) 。 よ っ て D a e w o o M a t i z は C h e v r o l e t M a t i z に 変 更 と な る 。 な お 、 ラ セ ッ テ ィ は 国 に よ っ て ブ ラ ン ド を 換 え て 販 売 し て い る ︵ 欧 州 、 日 本 お よ び ア ジ ア 諸 国 ‥ シ ボ レ ー 、 北 米 ‥ ス ズ キ 、 豪 州 ‥ ホ ー ル デ ン 、 中 国 ‥ ビ ュ イ ッ ク ︶ 。
● 2 0 0 6 年 7 月 海 外 市 場 で の 販 売 台 数 が 初 め て ヒ ョ ン デ を 上 回 る 。 こ れ は 現 代 自 動 車 で の ス ト ラ イ キ に よ る 生 産 停 止 と 、 新 型 S U V の 売 れ 行 き が 好 調 だ っ た こ と に よ る 。
● 2 0 1 1 年 1 月 19 日 - G M は 韓 国 市 場 に お い て 大 宇 ブ ラ ン ド を 廃 止 し 、 今 後 導 入 す る 新 車 を シ ボ レ ー ブ ラ ン ド と す る こ と を 正 式 に 発 表 し た 。 シ ボ レ ー の ハ ン グ ル 表 記 が 시 보 레 か ら 쉐 보 레 に 変 更 さ れ た 。 ま た 、 こ れ に 伴 い GM 大 宇 自 動 車 技 術 の 社 名 も ﹁ 韓 国 GM ﹂ に 変 更 と な る 。 ま た 、 社 名 変 更 を 機 に コ ル ベ ッ ト や カ マ ロ も 夏 期 ま で に 導 入 す る [ 1 ] [ 1 7 ] [ 1 8 ] 。 GM は 高 級 車 の ﹁ ア ル フ ェ オ ン ﹂ と 軽 商 用 車 の ﹁ ダ マ ス ﹂ ﹁ ラ ボ ﹂ に つ い て は 、 今 後 も シ ボ レ ー ブ ラ ン ド を 冠 せ ず 独 立 ブ ラ ン ド で 市 場 に 投 入 す る こ と を 伝 え て い る [ 1 9 ] 。
● 2 0 1 1 年 3 月 1 日 - 社 名 変 更 。 以 降 に 登 場 す る 車 種 な ら び に 一 部 既 存 車 種 は 上 述 の ﹁ ア ル フ ェ オ ン ﹂ ﹁ ダ マ ス / ラ ボ ﹂ 以 外 の 全 車 種 を シ ボ レ ー ブ ラ ン ド に 切 り 替 え て 発 売 す る 。 ま た 、 カ マ ロ と コ ル ベ ッ ト に 加 え 、 ク ル ー ズ ︵ 旧 車 名 ‥ ラ セ ッ テ ィ プ レ ミ ア ︶ ベ ー ス の ミ ニ バ ン ﹁ オ ー ラ ン ド ﹂ を 発 売 す る こ と も 発 表 さ れ た 。 シ ボ レ ー の 販 売 台 数 は 約 5 0 0 万 台 / 2 0 1 3 年 、 韓 国 GM で の 生 産 台 数 は 約 90 万 台 / 年
● 2 0 1 3 年 12 月 6 日 - G M は 2 0 1 5 年 末 で 欧 州 で の ﹁ シ ボ レ ー ﹂ の 販 売 を 終 了 し て 、 ﹁ オ ペ ル ﹂ と ﹁ ボ ク ソ ー ル ﹂ に 資 源 を 集 中 す る と 発 表 。 韓 国 GM の 生 産 車 種 は 9 0 % 以 上 が シ ボ レ ー ブ ラ ン ド 。 2 0 1 2 年 、 韓 国 GM が 欧 州 に 輸 出 し た の は 18 万 6 0 0 0 台 だ っ た [ 2 0 ] [ 2 1 ] 。
● 2 0 1 7 年 - 主 要 株 主 で あ る 韓 国 産 業 銀 行 が GM に 対 し て 2 0 0 2 年 に 結 ん で い た 、 資 産 処 分 な ど に 関 す る 特 別 決 議 拒 否 権 の 行 使 を 可 能 に す る 契 約 が 時 効 を 迎 え た 。 GM 側 の 資 産 処 分 な ど の 裁 量 権 が 拡 大 し た [ 2 2 ] 。
● 2 0 1 8 年 2 月 - G M は 群 山 工 場 に つ い て 稼 働 率 が 2 0 % 以 下 に 落 ち 込 ん で い る た め 、 5 月 ま で に 閉 鎖 す る 予 定 と 発 表 [ 2 3 ] 。 4 月 5 日 、 成 果 給 を 支 払 い を め ぐ り 経 営 陣 と 対 立 し て い た 労 働 組 合 員 が 社 長 室 に 乱 入 し て 占 拠 。 鉄 パ イ プ を 使 用 し て 机 な ど を 破 壊 し た [ 2 4 ] [ 2 5 ] 。 こ れ を 受 け て GM 米 国 本 社 は 、 全 役 員 お よ び 社 員 に 対 し 韓 国 へ の 出 張 を 禁 止 す る と と も に 、 同 月 20 日 ま で に 労 使 案 件 が 合 意 し な い の で あ れ ば 法 定 管 理 ︵ 企 業 再 建 手 続 。 日 本 の 会 社 更 生 法 に 相 当 ︶ の 申 請 を 行 う こ と を 表 明 し た [ 2 6 ] 。 4 月 20 日 の 労 使 交 渉 は 決 裂 し 、 法 定 管 理 の 申 請 は 23 日 の 取 締 役 会 で 改 め て 議 論 す る こ と と し た [ 2 7 ] 。 4 月 23 日 、 労 使 交 渉 に よ り 労 使 間 に 暫 定 合 意 が さ れ 、 法 定 管 理 の 申 請 は 見 送 ら れ た [ 2 8 ] 。 5 月 10 日 、 韓 国 政 府 と GM は 韓 国 GM の 経 営 再 建 で 合 意 し た 。 議 決 権 の な い 優 先 株 な ど で 合 わ せ て 71 億 5 0 0 0 万 ド ル を 資 金 支 援 す る [ 2 9 ] 。 5 月 31 日 、 群 山 工 場 を 閉 鎖 し た [ 3 0 ] 。
● 2 0 1 9 年 8 月 21 日 - G M 海 外 事 業 部 門 の 役 員 が 訪 韓 し て 韓 国 GM 役 員 お よ び 労 組 委 員 長 と そ れ ぞ れ 会 談 。 ﹁ 韓 国 GM の 労 働 組 合 が ス ト を 継 続 す れ ば 、 生 産 量 の 一 部 を 他 国 に 移 転 す る ﹂ と 警 告 し た [ 3 1 ] 。
● 2 0 1 9 年 9 月 9 日 - 9 月 11 日 - 労 働 組 合 が 国 内 全 工 場 で 全 面 ス ト ラ イ キ に 突 入 。 1 9 9 7 年 以 来 22 年 ぶ り [ 3 2 ] 。
● 2 0 2 0 年 7 月 - カ ハ ー ・ カ ゼ ム 社 長 が 違 法 派 遣 の 疑 い で 検 察 に 起 訴 さ れ 、 出 国 禁 止 と な っ た [ 3 3 ] 。
● 2 0 2 0 年 10 月 30 日 - 再 び 労 働 組 合 が 部 分 ス ト ラ イ キ に 突 入 。 同 年 11 月 20 日 ま で 続 く ス ト ラ イ キ の 影 響 は 約 2 万 台 の 生 産 に 及 ぶ 見 込 み と 報 じ ら れ た [ 3 4 ] 。
● 2 0 2 2 年 11 月 - 富 平 第 2 工 場 を 閉 鎖 [ 1 6 ] 。
大韓民国
富平(仁川 )工場:自動車の組立およびガソリン/LPGエンジンの製造(生産能力:年44万台)
昌原 工場:自動車の組立及びガソリン/LPGエンジンの製造(生産能力:年21万台)
保寧 工場:トランスミッション及びエンジン部品の製造
ベトナム
VIDAMCO (Vietnam-Daewoo Motor Company) :自動車の組立(生産能力:年1.1万台)
群山 工場:自動車の組立及びディーゼルエンジンの製造(生産能力:年26万台) - 工場は、2018年5月に閉鎖。2019年6月にMSオートテックへ売却[35] 。
2023年5月現在。
など
セナラ自動車がライセンス生産した日産・ブルーバード (写真は日産製)
GMコリアがライセンス生産したレコード・ローヤル
セハン自動車でライセンス生産されたPF50型いすゞ・ジェミニ(1982年式セハン・メプシ、2008年撮影)
セハン自動車でライセンス生産されたホールデン・トラーナの消防指揮車(1982年式セハン・カミーナ、2011年撮影)
カミーナ(GMコリア時代と同じ車種)
ジェミニ(初代いすゞジェミニ/オペル・カデットのライセンス生産車)
メプシ(セハン・ジェミニのマイナーチェンジ版)
レコード/レコード・ローヤル(GMコリア時代のレコード・ローヤルと同じ車種)
ローヤル・ディーゼル/オートマチック/サルーン(オペル・レコルトがベースの中型セダン。1978年登場の2代目はレコルトEのボディにセネターA のフロントフェイスを顔面スワップしたような外見である。)
マックス(メプシをベースにした0.85tピックアップトラック)
エルフ(いすゞ・エルフ のライセンス生産車)
8トン・ダンプトラック(いすゞ・TXD型ダンプトラック のライセンス生産車。フロントグリルにはGMコリア時代の「GMK」ロゴに代わり、「SMC」ロゴが用いられている。)
11トン・カーゴトラック(GMコリア時代と同じ車種)
ジープ(アメリカン・モータース製ジープのライセンス生産車)
テ ィ コ
● メ プ シ ︵ セ ハ ン ・ ジ ェ ミ ニ の マ イ ナ ー チ ェ ン ジ 版 ︶
● メ プ シ ー ナ ︵ ジ ェ ミ ニ / メ プ シ の マ イ ナ ー チ ェ ン ジ 版 ︶
● ル マ ン ︵ オ ペ ル ・ カ デ ッ ト が ベ ー ス 。 ポ ン テ ィ ア ッ ク ブ ラ ン ド で ア メ リ カ 合 衆 国 や ニ ュ ー ジ ー ラ ン ド に も 輸 出 さ れ た ︶
● シ エ ロ ︵ オ ペ ル ・ カ デ ッ ト が ベ ー ス ︶
● ネ ク シ ア ︵ シ エ ロ の 5 ド ア ハ ッ チ バ ッ ク ︶
● ラ ノ ス ︵ サ ブ コ ン パ ク ト セ ダ ン ︶
● ラ ノ ス ロ ミ オ ︵ ラ ノ ス の 3 ド ア ハ ッ チ バ ッ ク ︶
● ラ ノ ス ジ ュ リ エ ッ ト ︵ ラ ノ ス の 5 ド ア ハ ッ チ バ ッ ク ︶
● ラ ノ ス Ⅱ ︵ ラ ノ ス の MC 版 ︶
● エ ス ペ ロ ︵ 小 型 セ ダ ン 。 ベ ル ト ー ネ が デ ザ イ ン ︶
● ヌ ビ ラ ︵ 小 型 セ ダ ン 。 シ エ ロ / ネ ク シ ア の 後 継 車 ︶
● ヌ ビ ラ Ⅱ ︵ ヌ ビ ラ の MC 版 ︶
● ロ ー ヤ ル / ロ ー ヤ ル サ ロ ン ︵ オ ペ ル ・ レ コ ル ト が ベ ー ス の 中 型 セ ダ ン 。 ロ ー ヤ ル サ ロ ン は 当 時 の ト ヨ タ ・ ク ラ ウ ン に 酷 似 し て い た ︶
● プ リ ン ス / ロ ー ヤ ル プ リ ン ス ︵ オ ペ ル ・ レ コ ル ト が ベ ー ス の 中 型 セ ダ ン ︶
● レ ガ ン ザ ︵ 中 型 セ ダ ン 。 エ ス ペ ロ / プ リ ン ス の 後 継 車 ︶
● ス ー パ ー サ ロ ン ︵ プ リ ン ス が ベ ー ス の 高 級 セ ダ ン ︶
● イ ン ペ リ ア ル ︵ プ リ ン ス が ベ ー ス の 大 型 高 級 セ ダ ン ︶
● ア カ デ ィ ア ︵ ホ ン ダ ・ レ ジ ェ ン ド の ラ イ セ ン ス 生 産 車 ︶
● バ ネ ッ ト ︵ 日 産 ・ バ ネ ッ ト の ラ イ セ ン ス 生 産 車 ︶
GM大宇に社名が変更されて以降生産が終了した車種[ 編集 ]
韓国GMに社名が変更されて以降生産が終了した車種[ 編集 ] サンヨン自動車(現・KGモビリティ)の生産車種[ 編集 ]
設立当初のセナラ自動車時代は日産自動車 と提携しブルーバードを生産、新進自動車時代はトヨタ自動車と提携しクラウン、コロナ、パブリカなどを生産。GMコリア/セハン自動車/大宇自動車の時代はGMと関係が深い日本のメーカーの車種を生産。いすゞ自動車のエルフ、ジェミニやスズキ のアルト、キャリイを生産していた。また非GM系メーカーの車種も生産、2代目ホンダ・レジェンド や日産・バネット があった。
1961年の朴正煕 軍事クーデターの後、韓国経済復興策の一つとして、韓国を代表する自動車産業を育成しようという国策により、当時のKCIA (韓国中央情報部)部長の金鍾泌 から協力要請を受けた在日韓国人実業家、朴魯貞(ホテル経営など。後妻は金剛山国際グループのマダム・パクこと朴敬允)が日本の日産自動車の部品を使ったノックダウン(現地組立て)の自動車会社「セナラ自動車」を設立。ところが、韓国初の自動車会社だったセナラ自動車は金鐘泌の資金源として利用される。ノックダウンの車は生産コストの安さから価格操作を行いやすいため、セナラの車にも金鐘泌の取り分が上乗せされた。金鐘泌は配分増加や企業献金を強引に要求し、朴がこれを拒絶すると彼のパスポートを取り上げ、拘束し、拷問にかけた。朴は傷だらけで釜山港から漁船に隠れ、密入国で日本へ逃亡。事件後に韓国入国禁止となった。
セナラ自動車はこの事件の後に経営破綻し廃業となる。朴自身は入国禁止が解けた後、再び韓国に渡り現地で1987年に死亡。およそ350億円の遺産を残す。
この事件は企業と政府の癒着疑惑として韓国では社会問題となった[38] 。
● 韓 国 ド ラ マ ﹁ パ リ の 恋 人 ﹂ に 登 場 す る ﹁ GD 自 動 車 ﹂ は GM 大 宇 が モ デ ル と さ れ て い る 。
● ア メ リ カ 映 画 ﹁ T A X I N Y ﹂ で は ラ ノ ス の ハ ッ チ バ ッ ク と 思 わ れ る 車 が 出 て く る ︵ こ の ハ ッ チ バ ッ ク の こ と を ベ ル ︵ 主 人 公 ︶ が " 大 宇 " と 言 っ て い る 。 ﹁ こ ん な ク ル マ 乗 れ る か ﹂ と い う ニ ュ ア ン ス が 含 ま れ る ︶ 。
ウィキメディア・コモンズには、
韓国GM に関連するカテゴリがあります。
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