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この項目では、日本のポピュラー音楽の総称について説明しています。その他の用法については「J-POP (曖昧さ回避)」をご覧ください。 |
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J-POP |
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様式的起源 |
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文化的起源 |
1980年代 - 1990年代初頭 、1960 - 1970年代
日本 |
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J-POP︵ジェーポップ、英: Japanese Popの略で、和製英語である︶は、日本で制作されたポピュラー音楽を指す言葉であり、1988年末にラジオ局のJ-WAVEでその語と概念が誕生した後、1993年頃から青年が歌唱する曲のジャンルの一つとして一般化した。
J-POP以前と以後の違いは、BPMの速さや洋楽の影響を受けたメロディ・コード進行・リズムにある。特に、昭和歌謡の時代の邦楽と比較して、歌詞の構造が解体された代わりにグルーヴが洗練された作品は増加した。
なお、一般的な音楽ジャンルとは異なり、先に﹁J-POP﹂という言葉を定義し、それに既存の楽曲を当てはめる所から入っていったもので、発生した音楽ジャンルではない。
歌謡曲、演歌、クラシック音楽、和製ポップス、フォークソング、グループ・サウンズ時代
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1970年代・1980年代には歌謡曲に当時流行していたロック音楽の一種AOR要素が加わったアイドル歌謡曲が大流行する。また、後に歌謡ロックとも呼ばれる1979年クリスタルキング「大都会」、1983年安全地帯「ワインレッドの心」、1984年アン・ルイス「六本木心中」等もヒットする。
1978年イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)が1stアルバムを発表。
詳細はテクノポップ項目を参照。
1980年代には前述のニューミュージックとロック音楽の一種AORにルーツがあるとされる後にシティ・ポップと呼ばれる楽曲群が発表された。
1986年に、アルバム『J.BOY』を発表した浜田省吾
1988年、10月に開局したばかりの東京のFMラジオ局、J-WAVEが﹁J-POP﹂の発祥となった。J-WAVEは﹁多文化的﹂﹁スタイリッシュ﹂な街・六本木に存在しており、当初は邦楽を全く放送していなかった。しかし1988年の年の暮れ、同社常務・斎藤日出夫︵2012年より社長︶がレコード会社の邦楽担当者らと共に、J-WAVEで邦楽を流そうという企画が発足する。レコード会社側も﹁洋楽しか流さないJ-WAVEが流した邦楽には希少性があり、それを集めたコンピレーション・アルバムを出す﹂などと言った目論見もあったという。
この際に﹁日本のポップス﹂をどう呼称するのかが検討され︵斎藤日出夫によれば、いつまでも和製○○などと言っていてはいつまでもオリジナルを越えられないという点があった︶、ジャパニーズ・ポップス、ジャパン・ポップス、シティ・ポップス、タウン・ポップスなどが検討されたが、﹁ジャパニーズ・ポップスにせよ、ジャパン・ポップスにせよ、頭文字はJとなり、そしてここは、J-WAVEだ﹂という意見が出され、Jの文字を用いることとされた。ジャーナリストの烏賀陽弘道によれば、当時1985年に日本専売公社が民営化され日本たばこ産業=JTになった時代であり、1986年に浜田省吾がアルバム﹃J.BOY﹄を発表、1987年に日本国有鉄道が分割民営化されJRに、日本を表す﹁J﹂という文字が定着してきた時期であったことも一因とされるのではないかとしている。これが﹁J-POP﹂という語の誕生の瞬間であり、この時点ではあくまでJ-WAVE内部のみでの呼称であった。関係者の証言により異なるが、1988年末か1989年初頭頃のことである[10]。
このジャンルは、マスメディア側が先導する形で音楽カテゴリーのひとつとして誕生し、それにふさわしい音楽を売り手側が分類しているという点において、グラムロック・パンク・ロック・グランジ・オルタナティヴ・ロック・ヒップホップなどといった他の音楽ジャンルと異なる、大きな特徴といえる。斎藤日出夫によれば当初の部類は多分に感覚的であり、演歌やクラシック音楽はだめ、サザンオールスターズや松任谷由実はOK、アリスやCHAGE and ASKAは違うなどとされていたが、明確な根拠などはなかった。しかし洋楽の何かに影響を受けたとわかる音楽、洋楽と肩を並べられる音楽が選ばれたという。そして1989年秋には、J-WAVEで﹁J-POP・クラシックス﹂のオンエアが開始される。
博報堂発行の雑誌﹃広告﹄1992年1、2月号では、当時の音楽状況を論じた﹁MUSIC 特集 音楽シーンはどうなっとるのか!﹂という27頁にも亘る特集を組み、﹁︻現在音楽用語の基礎知識︼﹃渋谷系﹄なんか怖くない!!(WORDS)﹂というタイトルで﹁J-POP﹂を取り上げており[13]、検証可能な文字媒体の出典としては、これが﹁J-POP﹂という言葉の初出なのかもしれないが、シャ乱Qのシングル﹁シングルベッド﹂に対する脚注として﹁J-POP﹂の説明があり、﹁J-POP=ジャパニーズ・ポップスの総称。レコードショップの邦楽コーナーは﹃J-POP﹄と表記されることが多い。厳密な定義はない。Jリーグ、Jビーフと同じ用法﹂と書かれている[13]。この特集は27頁にも及ぶが、﹁J-POP﹂という言葉の使用は1回だけで、他に﹁J〇〇﹂という言い方では﹁Jラップ﹂という言葉の使用もある[13]。
1980年代末、デジタル技術の進歩に伴い、実用的な音色を満載し、普及価格帯のPCM音源のトレンドを決定付けたKORG M1
1990年代は邦楽が大変革を遂げた年代である。機材のコモディティ化が進み、PCM音源やサンプラーが安価になったことで、制作者が多彩な音色を扱えるようになった。また、打ち込みが当たり前に使われるようになったことで、音の厚みとBPMが急速に増加し、楽曲の展開も複雑になった。打ち込みの普及は楽曲の量産やボーカルの加工に繋がり、商業音楽の工業生産が可能となった。ソフトロック・テクノ・ハウス・トランス・R&B等、世界的に評価された洋楽の表現手法が大々的に導入され始め、﹁まるで洋楽のよう﹂な新時代の邦楽として高く評価されるようになった。従って、機材の進化による音質向上や、邦楽全体としても、洋楽を邦楽に翻訳したような感覚の音楽が主流となり、表現はよりポピュラーになって、コード進行、リズム、テンポ自体もJ-POP化された音楽が次々に登場した。
1982年に登場したコンパクトディスク (CD)およびその再生装置の爆発的な普及により音楽市場が一気に拡大し、CDをはじめとしたデジタル技術は音楽制作現場においても革変をもたらした。これまでテープの切り貼りなどアナログ的な技術で行っていた編集作業はデジタル技術によるものへと移行し、音楽制作に要する人・時間・予算の大幅な削減を可能にし、またいくらコピーしても劣化がなくなり、やり直しも簡単に行えるようになった。またシンセサイザーやミュージックシーケンサー、MIDI楽器の普及により、一部については楽器の演奏を行う必要すらなくなった。MIDI音源として低価格で高性能な製品が発売され、DTMブームも起きた。
そしてコストダウンと作業の迅速化により、楽曲の量産が可能となった。
この結果レコード会社側も、駆け出しのミュージシャンについて、気軽にCDを作成することができるようになり、日本レコード協会の﹃日本のレコード産業﹄によれば、1991年の1年間で実に510組のバンド・歌手がデビューしている[18]。またCDの普及は聞き手側の負担をも削減した。従来、レコードを再生するステレオは良い物で25万円、普及品でも10数万円し、取り扱いも煩雑であったものが、CDプレイヤーはポータブル型であれば1万円を切る価格で購入できた。実際に1984年から2004年にかけての20年間で3737万台のCDプレイヤーが出荷されているが、従来のレコードプレイヤーは42年かけて2341万台しか出荷されていない。さらにCDプレイヤーとは別に、﹁CDラジカセ﹂が1986年から2004年にかけて、5225万台も生産されている。CDミニコンポは1990年から2004年までに3028万台が出荷。累計すると2004年までに1億1990万台、うち92%にあたる1億1032万台がミニコンポ・CDラジカセ・携帯型と言った安価なものである。
1985年に発売された最初のCDミニコンポの価格は25万円程度であったが、わずか2年後の1987年には10万円を切る価格となった。1985年春、オーディオメーカー・パイオニアの常務は朝日新聞紙上で﹁この1年間で大型のシステムコンポはほぼ無くなり、10万円程度のミニコンポにとって変わった。需要の95%はミニコンポである﹂と語っている。音楽再生装置は大衆化を成し、一家に一台から一人一台の時代へ足を踏み入れる。オーディオは高級な趣味ではなくなり大衆化し、十代の若者や女性も音楽業界の顧客となった。その結果女性向けの﹁ガールズ・ポップ﹂などといったジャンルも誕生していく。
しかし、制作環境のデジタル化に伴いそれまで製作現場で実際に楽器を演奏していたスタジオ・ミュージシャンの仕事が激減するなどの弊害も生まれた。こうした制作環境の変化に伴う大量生産による音楽制作はミリオンヒットが出現する確率は高まるが、没個性化・質の低下が進み、音楽が消耗品として見られるようになるなど、批判の声もあった[28]。ソニー・ミュージックエンタテインメント︵当時︶の坂本通夫は、1991年を音楽業界の転換点として﹁音楽が作品から商品に移り変わった時﹂と語っている。
またパソコン通信を経てインターネットが普及し、CDに頼らずとも作品を提供する事が可能になっていく。当時は回線速度が低いため在野のミュージシャンによるMIDIが中心であったが、こうして後にインディーズ音楽家が登場する土壌が生まれた。
1992年ごろから﹁ミリオンセラー﹂という現象が続発するという事象が発生しはじめる。1991年のミリオンセラーは9作品︵シングル・アルバムの合算数。以下同様︶、1992年は22作品、1994年にはその数は32作品を記録した[36]。
ミリオンセラーが続出するようになった1992年ごろは日本の大手コンビニ各社が店頭で音楽CDを売り始めた時期であり、音楽評論家の能地祐子は、この頃からレコード店に縁のなかった層がCDを買い始めたことで音楽の変質が始まったと推測している[37]。また、トップ10のアーティストだけで年間売上シェアの4割を占めるなど、先の楽曲の大量生産と相まって一握りの成功者と、その他という図式が出来上がるようになった。ヒット曲はテレビドラマかCMがらみという傾向が定着し、ミリオンセラーが続出しても老若男女誰もが知っている歌は無いという状況がますます進行した。
雑誌『ELLE』1993年11月21日号では「ジャパニーズポップ」と呼ばれる言葉でコーネリアスやピチカート・ファイヴといった、いわゆる渋谷系と呼ばれるバンドの紹介を行っている。
1990年代前半、タイアップソング・ブームの中核を担っていたのが、長戸大幸が率いるビーイングという企業集団だった。ビーイング・グループは、レコード会社、音楽制作会社、映像制作会社、音楽出版社、ミュージシャンの所属するプロダクションなどから構成される。ビーイングは、企業グループとして広告主やテレビ番組制作者の注文に応えて楽曲を提供する体制を整え、そうしたコンフリクトマネジメントを企業グループ内で引き受けた。形の上では、ビーイング・グループは広告業界や放送業界から発注を受ける立場であることには変わらない。しかし、タイアップを仕掛けたいのはカラオケボックスで歌われることがヒットに結び付く音楽業界の側であり、ビーイングはそうした時代に相応しい体制を構築した。
現代的なタイアップ・システムの確立にあたっては、音楽プロダクションのミスターミュージックと、音楽出版社などを持つビーイング・グループとが組んで行った一連のアーティスト・タイアップの影響が大きい。長戸は1990年頃からZARD,やWANDS, B'z, T-BOLANといった多数のグループを、ミスターミュージックを通じて広告音楽タイアップに起用し、数多くのヒットを生み出した。1993年にはビーイング所属歌手が売上1位・2位・4位・5位を占めた[注 1]︵ビーイングブーム︶。これを引き継ぐような形で1990年代後半を席捲したのが小室哲哉だった。
サウンド面では、B'zやZARDによって高速な打ち込みとハードロックの融合[48]が行われるようになった。
小室哲哉
宇多田ヒカル(1998年にデビュー)
浜崎あゆみ
2000年代前半には、1998年から続いていた日本国内におけるR&Bや2ステップのブームが終焉を迎える。
海外のクラブ・ミュージックではトランスが流行していたが、日本でもその曲調を取り入れた浜崎あゆみが人気となる。2001年初冬、宇多田ヒカルが2ndアルバム﹃Distance﹄のリリース予定を3月28日に公表した後に、浜崎あゆみのベスト・アルバム﹃A BEST﹄が同じ発売日に設定したことから、テレビのワイドショーやスポーツ新聞などから﹁歌姫対決﹂と煽られる。最終的に双方とも売上400万枚を超えるヒットとなった。
桜ソングに並行して、歌謡曲、フォークソング時代から引き続き、春夏秋冬、季節を歌詞に織り込んだ曲が人気となった。
2000年代に入るとシングルの売上が減少を始め、2003年3月5日に発売されたSMAP「世界に一つだけの花」を最後に日本レコード協会の認定で200万枚を超える売上(出荷)を記録したシングル盤が2012年まで現れなくなった[67][68]。2000年代後半に入るとミリオンセラーのCD自体が減少するようになった(日本レコード協会の認定で2008年と2009年の2年連続、オリコンの集計で2008年から3年連続でミリオンセラー・シングルが存在しない[69][70])。
2000代後半、海外では欧州等でフィルターハウスの流行がありその流れを取り入れた中田ヤスタカによる数々の音楽プロジェクトの成功により、2007年から日本国内で2回目のテクノポップ・ムーブメントが起きたことで、アコースティック感を持たない、極めて抽象的なシンセサイザー音(「ピコピコ」音)が主体の音楽が多数作られるようになって行った。
同時に、PC上のデジタル・オーディオ・ワークステーション(DAW)による打ち込みが主流となり、音楽表現が劇的に高度化・複雑化した。PC上のDAWによる打ち込み主体の音楽に移行した原因としては、顧客の趣味嗜好の細分化によりCD不況とも呼ばれる状況に移行したことで制作費用が掛けられなくなり、スタジオ・ミュージシャンの起用などが難しくなったことも影響している。更に、PCやインターネットへの常時接続環境の普及により、個人が容易に情報発信を行えるようになり、アマチュアが自主的に音楽配信を開始したことで、ネットを中心とした音楽シーンなども形成されるようになって行った。
その一方で、日本では2005年に﹁iTunes Store﹂がサービスを開始し、2004年から2006年にかけて各携帯会社が﹁着うたフル﹂を開始するなど、音楽配信︵デジタル・ダウンロード︶の売上が増加するという事象が発生する。日本レコード協会の発表によると、同協会が集計の公表を開始した2005年から2008年まで有料音楽配信の売上金額は上昇を続け[71]、2006年にはシングルCDの生産実績を上回った[72]。ただし、2009年の売上は前年とほぼ横ばいで[73]、2010年には前年を割っている[74]。音楽配信による代表的なヒット曲として、青山テルマ feat. SoulJaの﹁そばにいるね﹂やGReeeeNの﹁キセキ﹂がある。﹁そばにいるね﹂は、2008年に﹁日本で最も売れたダウンロード・シングル﹂としてギネス世界記録に認定されたが、翌年の2009年に﹁キセキ﹂が記録を更新した[75]。累計400万ダウンロード以上の売上を記録しており、レコチョクが2019年に発表した﹁平成で最もダウンロードされた楽曲﹂にも選ばれている[76][77]。
2000年代における音楽ソフト︵パッケージ︶売上の減少は、﹁CD﹂や﹁レコード﹂という﹁音源記録媒体﹂を購入する時代から﹁音源そのもの﹂だけを購入するダウンロード販売が主体の時代へと移行したことを示しており、音楽産業に限らないコンテンツ産業全体におけるデジタル化と高技術化が生んだ現象である。日本レコード協会の発表によると、パッケージと有料音楽配信を合計した売上金額で2005年から2007年まで3年連続で前年を上回っていた[78]が、2008年には前年をやや下回った[71]。インターネットが個人で利用しやすくなったことにより、ファイル共有ソフト (P2P等)やウェブサイト上での不正アップロードが横行するのも要因であるが、こちらは有料音楽配信の影響も受けている[79]。
2005年頃からは、CDにDVDやグッズ、キャンペーンコードなどの様々な特典を付ける売り方︵所謂﹁初回限定盤﹂等︶や、カップリング曲やジャケット写真等が異なるCDを複数リリースする売り方も徐々に増え始めた。モーニング娘。は、2005年リリース曲﹁色っぽい じれったい﹂のCDに握手会のキャンペーンコードを封入し、嵐も同年にリリースした﹁WISH﹂では、CD購入者限定の握手会を急遽開催し、2006年リリースのKAT-TUNのデビューシングル﹁Real Face﹂では、ジャケット写真のセンターがメンバー毎に異なる初回限定盤をリリースするなど、後に﹁接触商法﹂﹁複数商法﹂﹁握手商法﹂と呼ばれるようになる売り方がこの時期から顕在化するようになった。
その一方で、2000年代以降の個人へのインターネットの爆発的な普及により、運営側の販促とは別にファンによるネット上での呼び掛けによる自主的な複数買いや大量買いも同時期に発生しており、2005年にはアニメソングの扱いの悪さについてファンの反感が高まった結果、オリコンチャート1位を目的とした﹁ハッピー☆マテリアル﹂のCDの購入運動︵いわゆる﹁ハピマテ祭り﹂︶が起こっている[80][81]。
インターネットを介した情報交換が国家を跨いで活発に行われた結果として、音楽ジャンルの融合と新しい音楽表現が生まれた。日本発の音楽としてはアニメソングがファイル共有ソフト初期の時代から好まれた[82]。
2005年には﹁YouTube﹂、2006年には﹁ニコニコ動画﹂が開設、2007年には﹃初音ミク﹄がリリースされた。
こうして2000年代後半には、YouTubeやニコニコ動画といった動画共有サービスや、初音ミク等VOCALOIDソング等の発表が流行。2000年代も末になるとネット発の音楽家が多数表舞台に立つようになり、ネット発の音楽家も多数登場することになる。後に有名となる前山田健一や米津玄師もこの時期のニコニコ動画出身である。また、ニコニコ動画において、J-POPの典型コード進行として王道進行の存在が発見された。
AKB48
モーニング娘。の人気がピークを過ぎた2000年代前半以降、男性アイドルグループは、ジャニーズの活躍等で依然として安定した人気を保っていたものの、女性アイドルグループは、女性ソロアーティスト等の人気に押され、全体的に人気が下火となっていた。
しかし2010年代に入ると、2005年12月8日より東京・秋葉原を拠点に活動していたAKB48の本格的なブレイクや、ももいろクローバーZのブレイクにより、女性アイドルグループの人気が復活するようになった。
そのAKB48のブームに続けと、2010年代以降は各種アイドルグループが乱立し、﹁AKBの公式ライバル﹂を自称する乃木坂46のようなメジャーアイドルや、﹁地下アイドル﹂と呼ばれる、ライブ活動を中心に活動するマイナーアイドル︵あるいはご当地アイドル︶も多数現れた。このような過当競争は﹁アイドル戦国時代﹂と呼ばれる状況を生み出した[83]。
嵐
音楽配信サービスの多様化、違法ダウンロード問題
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Appleはメジャーレコード会社と提携し、2005年に日本国内でiTunes Storeを開始しており、日本の音楽配信サービスである着うたフルと競合するようになった。CD売上の減少とともに着うた配信、ダウンロードによる音楽配信が主流になりつつも、日本の音楽市場全体でみるとCD市場の減少分をカバーするには至らなかった。
アイドルの特典商法の隆盛により2012年にはCD市場が一時的に盛り返したものの、それ以降は再び減少傾向にある[89][90]。
YouTubeや違法ダウンロードの蔓延が売上減少の最大の原因だとして、2012年9月10日 日本レコード協会︵RIAJ︶、日本音楽事業者協会︵音事協=JAME︶、日本音楽制作者連盟︵音制連=FMPJ︶など音楽芸術関係7団体は、﹁私的違法ダウンロードの罰則化﹂に関する啓発活動を目的に﹁STOP!違法ダウンロード広報委員会﹂を設立した[91]。
あいみょんは、日本のアーティストで初めてストリーミングからブレイクした[92]。
2015年頃からSpotify、Apple Musicをはじめとしたサブスクリプション型のストリーミングによる売上が増加をたどり、2018年にはダウンロードによる売上を越え、2019年時点でストリーミング単体では465億円の売上となった[93]。ストリーミングはアーティストへの収益分配が十分でないという批判が大きく、当初は大物アーティストの提供取りやめが相次いだが、ストリーミングの占める売上が年々高まるにつれ多くのアーティストが提供するようになってきている[94]。
音楽は所有するものからアクセスするものとなりつつあり、音楽の聴かれ方が変化する中、2010年代終盤から2020年代にかけてボカロにゆかりのある米津玄師、ブラックミュージックをベースとした星野源、フォークソングをベースにしたあいみょん、オルタナティヴ・ロックを基軸としたKing Gnu、ピアノロック系のOfficial髭男dismなどが人気を集めている。星野源の﹁恋﹂や米津玄師の﹁Lemon﹂などはYouTube上のミュージックビデオで、あいみょんの﹁マリーゴールド﹂、King Gnuの﹁白日﹂、菅田将暉の﹁まちがいさがし﹂、Official髭男dismの﹁Pretender﹂などはストリーミングで、いずれもリリース後1年足らずで1億回以上の再生回数を記録し[95][96]、﹁売れた枚数﹂から﹁聴かれた回数﹂へと、楽曲のヒット基準が変化している[97][98]。
2010年代末以降は、YouTubeやTikTok等のインターネットを中心に流行した楽曲が、のちにテレビなどを通じて広まる逆輸入的な現象も起きている。YouTuberとして活動する音楽家も一般的となった。
一方、K-POPが世界を席巻する中で、日本の音楽の世界進出が未だに進んでいないことを問題視する声もある。ネットメディアの活用が遅れていることや、著作権使用料の支払い処理が複雑であることが主な要因とされる[99]。
2010年代はCDセールス、着うたフル、iTunes等による配信ダウンロードとそれぞれにチャートが存在したため、ヒットした楽曲を客観的に判定することが難しい側面もあった。オリコンは長らくCDセールスを重視してきたが、2017年に﹁デジタルシングル︵単曲︶ランキング﹂、2018年に﹁ストリーミングランキング﹂とCD、デジタル・ダウンロード、ストリーミングを合算した﹁合算ランキング﹂の発表を開始した[100]。
シティ・ポップの世界でのヒットとネオ・シティ・ポップ流行
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日本の音楽ライブ市場推移
日本における2020年初冬以降の新型コロナウイルス感染拡大の影響によりソーシャルディスタンスを確保する必要が生じると、2000年代以降成長を続けてきた音楽ライブの市場規模は大幅な減少となった。ぴあ総研によると、2020年のオンラインライブを除いた音楽ライブ市場は2019年の4237億円から対前年比86.1%減の589億円、音楽フェス市場は2019年の330億円から対前年比98%減の6.9億円に激減した[105][106]。多くの音楽家にとって、楽曲の公開で作品の配信やオンラインライブ以外の方法が取りにくくなった。
そのような状況の中、ボカロに縁がありYouTube動画で楽曲を発表していた、ずっと真夜中でいいのに。、YOASOBI、ヨルシカの3組のバンドは﹁夜好性﹂と呼ばれ人気となった[107]。一般人女性のひらめが制作してTikTokに投稿した﹁ポケットからきゅんです!﹂がバズを引き起こすなど、数多くのインディーズミュージシャンの楽曲がTikTokを起点として拡散する傾向が高まった。
過去には芸能プロダクション、音楽事務所が売り出す方法に頼らざるを得なかったが、TuneCoreなどの音楽配信委託サービスを通して、誰でも世界中に自分の楽曲を配信することが可能となったことで、瑛人、yamaなどSNS経由でのインディーズミュージシャンのブレイクが増加している[108]。
2020年には、CD未リリースながらストリーミングやYouTubeの動画再生回数で好成績を収めたYOASOBIの﹁夜に駆ける﹂が音楽チャート﹁Billboard Japan Hot 100﹂の年間1位を獲得しNHK紅白歌合戦に出場、2021年はBillboard Japan各指標ダウンロード、ストリーミング、カラオケの三冠で年間1位の優里﹁ドライフラワー﹂など、フィジカルセールスからストリーミングへの流れがさらに拡大している。
アニメソング、ゲームミュージックの世界的人気
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アニメソングは海外で最も聴かれた日本のポップス音楽ジャンルに成長し、日本を代表するポップス音楽ジャンルとなっていたが、日本が本場となり海外へ輸出し得ている現代文化であった﹁おたく文化﹂の諸分野は、国内では一般の大衆文化よりもさらに劣るとみなされてきたため、そのことは国内であまり認識されていなかった[113][114]。一方、日本での成功をバックに欧米でデビューし失敗するミュージシャンが後を絶たないのはモノマネの域に留まっている文化的植民地性によるもので、西洋文化の枠組みに囚われない日本的なものであるオタク文化は海外にも広まるのではないかという予想もされていた[115]。
やがてアニメソングの存在が認知されるようになり、2020年にはLiSAの﹁炎﹂が第62回日本レコード大賞大賞を受賞した[116]。LiSAの﹁紅蓮華﹂は、2020年12月4日発表のSpotify・﹁海外で最も再生された国内アーティストの楽曲﹂の1位[117]であり、2021年8月8日﹃東京五輪閉会式﹄に用いられた。この他、ゲームミュージックも海外に知られた日本発の音楽となっており、2021年7月23日﹃東京五輪開会式﹄での選手入場行進曲に用いられた[118]。
Spotify・海外で最も再生された日本のアーティストの楽曲(2021年)[119]
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1位
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Eve「廻廻奇譚」
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2位
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LiSA「紅蓮華」
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3位
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YOASOBI「夜に駆ける」
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4位
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TK from 凛として時雨「unravel」
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5位
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Linked Horizon「心臓を捧げよ!」
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6位
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TERIYAKI BOYZ「Tokyo Drift」
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7位
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ビッケブランカ「Black Catcher」
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8位
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KANA-BOON「シルエット」
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9位
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いきものがかり「ブルーバード」
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10位
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YOASOBI「怪物」
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太字の楽曲はアニメ主題歌。
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2020年頃からYouTubeでボカロが人気になっている。2007年8月31日、VOCALOID・初音ミクが発売された際の一次流行から時を経て、人間が歌唱して人気が再燃している[126]。前述のSpotify・世界で最も再生された日本のアーティストの楽曲︵2021年︶の1位Eve、3位と10位のYOASOBIのコンポーザーAyaseはボカロPである。詳細はボカロ参照。
J-ROCK︵ジェイロック︶という表記が登場するきっかけとなっている。﹁日本の﹂という意味でJ-RAP、J-SOULなどにも﹁J-﹂を付ける使い方も一時期流行した。これらの言葉はJ-ROCKを除くと現在はあまり使われておらず、﹁J-POP﹂がこれらのジャンルの楽曲も内包する言葉である。なお、日本国外で日本音楽を内包する言葉としては、Japanese Music︵J-music︶が一般的である。
方言としてZ-POP︵ズィー・ポップ︶がある。JFL系列のラジオ局ZIP-FM︵愛知︶とJFN系列のエフエム熊本︵FMK︶が用いる言葉で、日本を表す"Zipangu"︵ジパング︶の頭文字であること、局限定であること︵ZIP-FMは放送エリアである名古屋周辺を﹁ZIP CITY﹂と呼ぶ︶、局による選曲方針の違いなどがあるものの、J-POPとほぼ同意義である。
(一)^ 日経エンタテインメント!、日経BP社、2004年2月号- P.28、29より
(二)^ ﹁拝啓 吉田拓郎様﹂ J-POPが語り出す、エイベックスの正月広告 | AdverTimes.︵アドタイ︶by宣伝会議
(三)^ 輪島裕介﹁第七章 お茶の間はダンステリア ーディスコとアイドル歌謡の1970~80年代﹂﹃踊る昭和歌謡 リズムからみる大衆音楽﹄NHK出版︿NHK出版新書454﹀、2015年、222頁。ISBN 978-4-14-088454-6。
(四)^ 烏賀陽 2005, p. 5-6.
(五)^ 烏賀陽 2005, p. 3.
(六)^ 烏賀陽 2005, p. 6.
(七)^ 烏賀陽 2005, p. 15.
(八)^ 烏賀陽 2005, p. 19.
(九)^ ab烏賀陽 2005, p. 7.
(十)^ 東京新聞﹁J-WAVE開局20周年…若年層の圧倒的な支持を受けるラジオ局のこれから﹂︵2008年9月30日︶
(11)^ 烏賀陽 2005, p. 15-16.
(12)^ ab烏賀陽 2005, p. 8.
(13)^ abc宮久哲美、宇山さなえ、丸山裕芳、篠本明彦﹁MUSIC 特集 音楽シーンはどうなっとるのか!﹂﹃広告﹄1992年1、2月号 vol.314、博報堂、2–28頁。
(14)^ 烏賀陽 2005, p. 46-51.
(15)^ 烏賀陽 2005, p. 51.
(16)^ 烏賀陽 2005, p. 57-59.
(17)^ ab烏賀陽 2005, p. 59.
(18)^ デビュー歌手数、日本レコード協会
(19)^ 烏賀陽 2005, p. 37-38.
(20)^ 烏賀陽 2005, p. 38.
(21)^ ab烏賀陽 2005, p. 39.
(22)^ 烏賀陽 2005, p. 41.
(23)^ 烏賀陽 2005, p. 39-40.
(24)^ 烏賀陽 2005, p. 41-43.
(25)^ 烏賀陽 2005, p. 44-45.
(26)^ 烏賀陽 2005, p. 45.
(27)^ 烏賀陽 2005, p. 55.
(28)^ ﹃Jポップとは何か﹄- P.60より
(29)^ 烏賀陽 2005, p. 61.
(30)^ クレタパブリッシング﹃昭和40年男﹄ 2014年2月号 pp.36-39
(31)^ ﹁それが大事﹂大ヒットから30年…人生経験を経て導き出した﹁負けてもいい、投げ出してもいい﹂こと | ORICON NEWS
(32)^ ヒットソング〝70年分の歌詞〟分析﹁恋→愛→夢→失う﹂まるで日本…
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| 出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2014年11月) |
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