古代エジプト
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古代エジプト︵こだいエジプト︶は、古代のエジプトに対する呼称。具体的には紀元前3000年に始まった第一王朝から紀元前30年にプトレマイオス朝が滅亡しローマ帝国の支配下に入るまでの時代を指す。
古い時代から砂漠が広がっていたため、ナイル河流域分の面積だけが居住に適しており、主な活動はその中で行われた。ナイル河の上流は谷合でありナイル河一本だけが流れ、下流はデルタ地帯︵ナイル河デルタ︶が広がっている。最初に上流地域︵上エジプト︶と下流地域︵下エジプト︶[1]でそれぞれ違った文化が発展した後に統一されたため、ファラオ︵王︶の称号の中に﹁上下エジプト王﹂という部分が残り、古代エジプト人も自国のことを﹁二つの国﹂と呼んでいた。
ナイル河は毎年氾濫を起こし、肥えた土を下流に広げたことがエジプトの繁栄のもとだといわれる。ナイル河の氾濫を正確に予測する必要から天文観測が行われ、太陽暦が作られた。太陽とシリウス星が同時に昇る頃、ナイル河は氾濫したという。また、氾濫が収まった後に農地を元通り配分するため、測量と幾何学が発達した。
最初期における農耕文明の一つとされるメソポタミアと早くから交易が行われていたとされるが、民族移動の交差点にあたるメソポタミアが終始異民族の侵入を受け、支配民族が代わったのと比べ、地理的に孤立した位置にあったエジプトは比較的安定していた。
目次 |
[編集] 古代エジプト史
詳細は﹁エジプトの歴史﹂を参照
古代エジプト前史
●紀元前30000年頃、エチオピア・スーダン方面から古代エジプト人の祖先が移住して来る。
●紀元前12000年頃、定住が始まる。
●紀元前10000年頃、牧畜が始まる。
●紀元前9000年頃、農耕が始まる。
●紀元前5000年頃、集落が形成され始める。
●紀元前4500年頃、下エジプト下流域の陸地化が進み、入植が始まる。
古代エジプト人は、元号のように﹁﹃王の名前﹄の統治何年目﹂のように歴史を記録していた。そのため、絶対的な年代表記法に置き換えた時に、幾分かの誤差があるだろうと言われる。初期王朝の始まりも、5年から20年ほどの誤差がある可能性が指摘されている。
古代エジプトは、次の時代に区分されている。
- エジプト原始王朝時代(紀元前4200年頃-紀元前3150年)
- エジプト初期王朝時代(紀元前3150年-紀元前2686年)
- エジプト古王国(紀元前2686年-紀元前2181年)
- エジプト第一中間期(紀元前2181年-紀元前2040年)
- エジプト中王国(紀元前2040年-紀元前1663年)
- エジプト第二中間期(紀元前1663年-紀元前1570年)
- エジプト新王国(紀元前1570年-紀元前1070年)
- エジプト第三中間期(紀元前1,069年-紀元前525年)
- エジプト末期王朝(紀元前525年-紀元前332年)
- プトレマイオス朝(紀元前332年-紀元前30年)
[編集] エジプト原始王朝時代(黎明期、上エジプト、下エジプト)
国家の統一前。
上エジプト 都市‥ヒエロコンポリス、ナカダ、アビュドス、クストゥール、エレファンティネ
下エジプト
上下エジプトの中心地‥メンフィス
●上エジプト‥ナイル河上流の細長い峡谷地帯、エルカブ文化、ターリフ文化、ナカダ文化、パダリ文化、カルーン文化、ファイユーム文化
●下エジプト‥ナイル河下流の広がったデルタ地帯、メリムデ文化、マーディ文化
●紀元前3800年頃、鉄器︵隕鉄加工品︶の生産が始まる。
●配給を目的とした大規模なビールの生産が始まる。
●紀元前3500年頃、まず上エジプト、そして下エジプト、二つの統一国家ができる。
●︵ローマ時代︶セパトと呼ばれる行政地区が上エジプトに22、下エジプトに20、合計約42
●上エジプト‥主神‥ホルス、都市‥エレファンティネ、ヒエロコンポリス、ナカダ、タルカン、トゥラ、ヘルワン
●下エジプト‥主神‥セト、都市‥メンフィス
●やや遅れて成立したとみられる都市
●上エジプト‥エル・カブ、エドフ、コプトス、アビュドス、ブーヘン、ウロナルティ、ミルギッサ、クンマ
●下エジプト‥ヘリオポリス、ギザ
●ワインの生産が始まる。
●灌漑農耕が始まりパレスチナ、シリア方面に進出。
●紀元前3300年頃ヒエログリフの文字体系が確立。太陽暦︵シリウス・ナイル暦︶が普及する。
[編集] エジプト初期王朝時代︵第1 - 2王朝︶
国家の統一- 首都:メンフィス
- 紀元前3150年頃、上エジプトのナルメル王(メネス王、ホル・アハ王とも)上下エジプトの統一
- 上下エジプトの王として確認された、王として最新の王である。ナルメル王よりも古い上下エジプトの王がいた可能性もある。(スコルピオン1世が有名)
[編集] エジプト古王国時代(第3 - 6王朝)
中央政権が安定。
首都‥メンフィス
●紀元前2650年頃、ジェセル王が階段ピラミッド造営。
●紀元前2600年頃、スネフェル王がヌビア、リビア、シナイに遠征隊派遣。
●紀元前2550年頃、クフ王、カフラー王、メンカウラー王がギザの3大ピラミッド造営。
●セパトによる直接的支配が徐々に進む︵上エジプトが先行し、下エジプトでの体制整備は遅れる︶
[編集] エジプト第1中間期︵第7 - 10王朝︶
●紀元前2200年頃、内乱︵第一中間期︶。[編集] エジプト中王国時代︵第11 - 12王朝︶
首都‥テーベ ●紀元前2040年頃、再統一︵エジプト中王国時代︶。 ●紀元前1900年頃、センウセレト2世がアル・ラフーンにピラミッド(ラフーンのピラミッド)造営 ●紀元前1850年頃、センウセレト3世がヌビア、シリアに遠征、シリアを征服。 ●紀元前1800年頃、アメンエムハト3世がファイユーム盆地を開発。ハワーラのピラミッド造営[編集] エジプト第2中間期︵第13 - 17王朝︶
●紀元前1785年頃、内乱︵第二中間期︶。 ●紀元前1650年頃、ヒクソスによる下エジプト支配︵第15 - 16王朝︶。[編集] エジプト新王国時代︵第18 - 20王朝︶
領土がナイル川流域を越えて最大版図となり、﹁帝国時代﹂とも呼ばれる。
首都‥テーベ
●紀元前1540年頃、イアフメス王によるヒクソス放逐、再統一︵エジプト新王国時代︶。
●紀元前1500年頃、トトメス1世がユーフラテス河畔まで侵攻、オリエント一円を属州とする。
●紀元前1490年頃、ハトシェプスト女王の統治。
●紀元前1470年頃、トトメス3世によるアナトリア、アジア遠征。ヒッタイトバビロニアを属国化。
●紀元前1360年頃、アメンホテプ4世︵アクエンアテン︶によるアマルナ宗教改革︵伝統的なアメン神を中心にした多神崇拝を廃止、太陽神アテンの一神崇拝に改める。世界最初の一神教といわれる︶。戦闘を避けたため国力が一時低下する。
●紀元前1345年頃、ツタンカーメン王によるアメン信仰復活。
●紀元前1300年頃、セティ1世によるアジア遠征。
●紀元前1285年頃、カデシュの戦い︵ラムセス2世、対ヒッタイト︶。
●紀元前1270年頃、ヒッタイトと和平条約。
●紀元前1220年頃、海の民の侵入。
[編集] エジプト第三中間期︵大司祭国家、第21 - 26王朝︶
残る1000年は、他国に対する軍事的劣勢が続く。 ●紀元前1080年頃、アメン神官団の長ヘリホルがテーベに神権国家を立てる。 ●紀元前945年頃から、ヌビア、アッシリア、アケメネス朝などの他民族支配により衰退。 ●紀元前730年頃、クシュ︵ヌビア︶王ピイ、エジプト征服。 ●紀元前671年、アッシリア王エセルハドンの侵入。 ●紀元前655年、プサメティコス1世、アッシリアから独立。[編集] エジプト末期王朝︵第27 - 31王朝︶
●紀元前525年、アケメネス朝ペルシア王カンビュセス2世によるエジプト征服。 ●紀元前404年、ペルシアから一時独立。 ●紀元前341年、アケメネス朝ペルシア王アルタクセルクセス3世のエジプト再征服。[編集] プトレマイオス朝
ギリシャ人による王朝。
●紀元前332年、マケドニア王アレクサンドロス︵アレキサンダー大王︶により征服される。
●紀元前305年、アレキサンダー大王の死後、マケドニアの将軍がプトレマイオス1世として即位︵プトレマイオス朝開始︶。
●紀元前30年、クレオパトラ7世自殺。ローマの皇帝属州アエギュプトゥスとなる。
[編集] 社会
ファラオ (新王国時代の墓の壁画に基づく画)
紀元前3800年頃にビールの生産が始まり、紀元前3500年頃にワインの生産が始まった。ワインブドウは麦と違い外来作物であり、ワインは高貴な酒で一般市民はビールを飲んだが、後に生産量が増えて市民にも広まった。
エジプト国内においては木材・鉱物資源が乏しかったため、金、銅、鉄、木材(レバノン杉)、瑠璃などをシリア、パレスチナ、エチオピア、イラク、イラン、アナトリア、アフガニスタン等から輸入して用いていた。
ファラオは神権により支配した皇帝。わずかな例外を除き男性。継承権は第一皇女にあり、したがって第一皇女の夫がファラオになる。名前の一部には神の名前が含まれた。人口の1%程度の少ない貴族階級が土地を所有し支配していた。残る99%である殆どの平民は小作だった。ファラオによって土地を与えられることにより貴族となるが、ファラオが交替したり、王朝が変わると、土地を取り上げられ貴族ではなくなる事も多く、貴族は必ずしも安定した地位にあるわけではなかった。
1日を24時間としたのは、エジプトだと言われている。昼と夜の時間をそれぞれ10時間、計20時間とされていた。しかしその後、昼と夜との境界の時間をそれぞれに加え、24時間と制定されたとされる説が有力である。
[編集] 古代エジプトの通貨
貨幣には貴金属が使われた。初期には金属を秤で量ってやりとりされたが、後期には鋳造貨幣が用いられた。 興味深い例としては、穀物を倉庫に預けた﹁預り証﹂が、通貨として使われたこともある。現在の通貨と違うのが、穀物は古くなると価値が落ちるということである。したがって、この通貨は長期保存の出来ない、時間の経過とともに貨幣価値の落ちていく通貨である。 結果として、通貨を何かと交換して手にいれたら、出来るだけ早く他の物と交換するという行為が行われたため、流通が早まった。その結果、古代エジプトの経済が発達したといわれ、この事例は地域通貨の研究者によって注目されている。 また、ローマの影響下で貨幣が使われるようになった結果、﹃価値の減っていく通貨﹄による流通の促進が止まり、貨幣による富の蓄積が行われるようになりエジプトの経済が没落したという意見もある[誰によって?]。[編集] 関連項目
著名な研究者
[編集] 脚注
- ^ 上下というのはナイル河の上流・下流という意味であり、ナイル河は北に向かって流れているため、北にあたる地域が下エジプトである(逆もまた然り)。
[編集] 外部リンク
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