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卍
谷崎潤一郎
(承前)
その十一
「なあ奥様、今夜のことさぞかしお腹立ちですやろけど、どうぞどうぞお願いします。」そういうて男はまたぺたッと畳い頭擦りつけて、「僕の一身はどないなっても構いません、どうぞ光子さんを無事に送ったげて下さい。御恩は一生忘れません」いうてしまいには手エ合わして拝むんです。わたしいうたらそらもうほんまにお人好しですよって、そないしられてしもたら何ぼあんまりや思ても「イヤや」いう訳に行けしません。そいでも口惜しさが一杯でしたよって、暫くの間男がペコペコお辞儀するのんじいッと黙って睨みつめてましたけど、とうど根負けしてしもて、たッた一と言「よろしいです」いうてしまいました。すると男は「ああ」とさもさも感激の籠ったような芝居じみた声出して、もう一ぺん頭擦りつけて、「ああ、承知して下さいますか、ほんまに有がとございます、これで僕も安心です」いうて、それから人の顔色窺うように、「そしたら唯今ここい光子さん呼びますけど、それについても一つお願いして置きたいのんは、今夜のとこはいろいろのことでえらい興奮してはりますのんで、どうぞなんにもいわんといて欲しいんですが、どうですか、それ誓てくれはりますか?」いうのんです。仕方ないのでそれもよろしいですいいますと、直ぐに「光子さん」と呼んで、「もう分ってくれはりましたよって出て来なさい」と襖越しに声かけました。その襖の向うでは最前こそこそ着物着換えてるらしい物音がしてましたのに、もうその時分にはしーんと静まり返ってしもてて、こっちの話に一所懸命耳を澄ましてるようでしたが、声かかってから二、三分もたった頃にやっと襖がごそッいうて、そこが少しずつ、一寸二寸ぐらいずつ開いて、眼エの周り真つ紅いけに泣き脹らした光子さんが出て来ました。
その時どんな顔してなさるか見てやりたい思たんですが、ちらッと視線打つかると慌てて俯向いて、男の蔭に寄り添うように音もささんとすわってしまいなさったんで、脹れ上った眼瞼と、長い睫毛と、高く通った鼻筋と、噛みしめてなさる下唇とが見えるだけで、両手をこういう風にこう、――八つ口のところい突っ込んで、体をねじらして、前のはだけたのも直さんと身イ投げ出したようにしてなさるんです。そんで私は光子さんのそうしてなさる姿眺めてるうちに、ああこの着物が揃いの着物やってんなあ思うにつけても、それを拵えた時分のことや、その着物着て一緒に写真撮ったりした事が考え出されて、またジリジリ腹立って来て、ええ、こんなもん、拵えんといたらよかった、いっそ飛び着いてずたずたに引き裂いてやろか知らんと、――ほんまに男がいエへんかったら、それぐらいなことしたかも分れしませんねん。男はその様子感づいたらしいて、二人がなんにもいわん先に「さあさあ」と追い立てるようにして、自分も着物着換えるやら、私からお金を受け取って宿屋の方では「いりまへん」いうのん無理に勘定済ますやら、「あ、そういうと奥様、まことに恐れ入りますけど、今のうちに奥様のお宅と光子さんのお宅とい電話かけといて下さいますと、なお都合よろしいですがなあ」いうたりして、ちょっとも隙与えんようにするのんでした。私は私で家の方が心配でしたよって、「うち今直ッきに光子さん送ったげて帰るけどなあ、光子さんとこから別に何ともいうて来やはれへんかったか?」と女子衆呼び出して聞いて見ますと、「はあ、さっき電話がおましたんで、どない申し上げてええのんか分れしまへなんだよって、何時頃とも申し上げんと、ただお二人さんで大阪い行っておいでですいうときました」いうんです。「そんで旦那はんもう寝やはったか?」「いいえ、まだ起きてはりまッせ。」「今すぐ帰りますさかいいうといてんか」いうて、光子さんの家の方へは「今夜松竹い行きましたんですけど、あんまりお腹減ってしもたんで、出てからちょっと鶴屋食堂い行きましてん。えらいおそなりましたよってこれから光子さん送って行きます」いいますと、お母様が出て来なさって「まあ、そうでおまッか、あんまり帰りがおそいのでたった今お宅様い電話したとこでしてんわ」いいなさる様子が、警察からなんにもいうて来てエへんこと確かでした。そんでそんならええ塩梅や、一刻も早自動車で帰ろいうことになったんですが、男は三十円のうち半分ばっかり残ったんをみんなそこの男衆や女子衆にやってしもて、どんな事あっても決して迷惑のかからんようにして欲しい、その筋からこれこれいう取り調べがあったらこれこれいうようにいえいうたりして、そないな時にもそらもうびっくりするほど細かい所い気イ廻るのんです。それからようよう、――私はそこい着きましたんが十時ちょっと過ぎた時分で、一時間ばっかりぐずぐずしてしまいましたよって、出たんは十一時過ぎでしたやろう。その時やっとお梅どん待たしたあッたん思い出して、「お梅どんお梅どん」いうて、ろうじを往ったり来たりしてるのんを車い乗せたのはよろしいが、「僕も其処まで送りましょう」いいながら、男も平気でその車い乗り込んで附いて来るのんです。光子さんと私とが奥の方い並んで、お梅どんと綿貫とがスペアシートい腰かけて、四人がむうッと向い合うたなり一と言も口をきかんと、車はどんどん走って行きました。武庫の大橋いかかったときに男が始めて、「どないします? やっぱり電車で帰ったようにせんと工合わるい思いますが、……」と、ふっと考えついたようにいい出して、「なあ、光子さん、何処で自動車返したらええか知らん?」いうのんでした。それが光子さんの家いうのんは蘆屋川の停留所から川の西をもっと山の方い行って、あそこに汐見桜いう名高い桜あるついその近所なんでして、電車筋からほんの五、六丁ですねんけど、途中に淋しい松原などあるのんで、よう追い剥ぎやの強姦やのがあったりしてえらい物騒ですよって、いッつも晩おそう帰るときにはお梅どんが附いてるときでも停留所の前から俥に乗って行きますさかい、あそこまで自動車着けたらええいうたり、いや、そらいかん、俥屋が顔知ってるよって何処ぞもっと手前の方で降りた方がええいうたり、そんなことからお梅どんもぼつぼつものいい出しましたけど、それでも光子さんだけはやっぱり一と言もいいなさらんと、ときどきさし向いに腰かけてる綿貫の方をジーッと見つめては、何やひそひそ眼エで物言うて溜息してなさるようなんです。すると男が「ふん、そんなら国道の業平橋のとこで降りたらよろしいがな」と、同じように光子さんの顔見返しながらそういい出したいうのんは、私にはよう分ってるのんですが、あの橋の所から阪急の線まで出る路がまたえらい淋しいて、片ッぽ側が大きな松のたあんと生えてる土手ですよって、あんな所女三人で歩けるはずあれしません。そんで綿貫はちょっとでも長いこと光子さんと一緒にいてたいのんで、自動車降りてからあの路を送って来たいのです。それにしても「船場の徳光さんの近所におります」いうてたのんにそんな橋の名アやあの辺の路知ってるいうのんは、もう今までに何遍も二人で此処ら辺散歩したことがあるからなんです。私よっぽど「誰に見られても男の人が附いて来るのんが一番わるい、三人だけやったらどないでも言訳立つよって、あんたええ加減に帰んなさい。私に預けるいうときながら、あんた帰ってくれはれへんねんやったら私帰ります」いうてやろか知らん思たんですが、お梅どんの方は「それがよろしおまんなあ」「そうしまよなあ」と何でも彼でも綿貫のいうことに調子合わして、「そんならお気の毒ですけど、阪急のとこまで送って戴けまッしゃろか」と、知って男の思う壺に嵌まって行くのんです。考えてみるとお梅どんかってやっぱり光子さんや綿貫とぐるになってたん違いないのんで、やがて橋のとこで車降りて土手の下の真っ暗な路いかかりましたら、「なあ奥様、こんな闇夜に男の人いててくれはれしまへなんだら、恐うて歩かれしまへんなあ」と、用もないのんに私掴まえて、こないだこの路で何処其処のとうちゃんがこんな目エに遭いはったいうような話休みなしにしかけて、なるだけあとの二人より離れて歩くようにするのんです。二人は五、六間うしろの方からまだ何や知らん相談しながら来るらしいて、「ふん」とか「はあ」とかいう光子さんの声がかすかに聞えてるのんでした。
停留所の前で男が帰ってしまいますと、また三人は黙り込んで、あそこから俥で光子さんの家まで行きました。「まあ、まあ、ほんまに、何でこないにおそおましてん」いいながらお母様が出て来なさって、「いつもいつもお邪魔に上りまして御厄介になりますばっかりで」と、えらい私に気の毒がっていろいろお礼いいなさるのんですが、こっちは私も光子さんもけったいな顔してますのんで、長いことしゃべってたらぼろ出る思て、自動車呼びましょういうてくれはりますのんを「いいえ、俥待たしてあります」と逃げるように出て来まして、また阪急で夙川まで後戻りして、あそこからタクシーで香櫨園まで帰って来ましたら、ちょうど十二時になってました。「お帰りやす」いうて玄関い出て来た女子衆に「旦那はんどないした? もう寝やはったか?」いいますと、「ついさっきンまで起きていやはりましたけど、もうちょっと前お休みになりはりました」いいますのんで、まあよかった、なんにも知らんと寝ててくれたらええ思いながら、出来るだけそうッとドーア開けて、忍び足で寝室い這入ってみますと、寝台の傍のテーブルに白葡萄酒の壜置いたあって、夫は頭から布団被ってすやすや寝てるらしいのんです。お酒には極く弱い方で、寝しなにそんなもん飲むいうことなんぞめったにあれしませんのんに、きっと心配の余り寝られへんのんで飲んでんやな思て、静かな寝息乱さんように恐る恐る横になりましたけど、なかなか寝られるどころやありません。考えれば考えるほど、口惜しさと腹立たしさとが何遍でも湧き上って来て、胸の中が掻きむしられるようになります。ええ、もうほんまに、どないして復讐してやろか、どんな事あってもきっとこの讐取ってやる、と、思うと同時にかッとなって、夢中でテーブルい手エ伸ばしてグラスに半分ほど残ってた葡萄酒ぐうッと一と息に飲み乾しました。何しろその晩はさっきからの騒ぎでえらい疲れてましたところいさして、私かって不断ちょっとも飲んだことあれしませなんだよって、見てる間に酔い廻って来て、――それもええ心持にぽうッとなるのんと違て、頭が破れるようにがんがんして、胸のあたりがむかついて来て、体じゅうの血イ一遍に髪の毛の方い上って来るような気イするのんで、はあはあ苦しい息吐きながら、「ようもようもみんなで大馬鹿にして、今にどうするか見てたらええ」と、口い出していわんばっかりに一途にそのこと考えつめてますと、激しい動悸が、樽の口から酒がこぼれるような音立ててどきんどきん鳴ってますのんが自分にもちゃんと分るのんですが、気イついてみますといつの間にやら夫の胸も同じようにどきんどきんいう音立てて、はあはあ熱い息吐いて、互の呼吸と動悸とが一緒に時を刻みながらだんだん強うなって行って、二人の心臓が一時に破裂せエへんか知らんと思われた途端に、いきなり私は夫の腕でぎゅうッと抱きしめられました。次の瞬間に夫のはあはあいう息が一層近よって、燃えるような唇が耳たぶに触れて、「お前、よう帰って来てくれたなあ」――と、そないいわれたはずみに、どうした加減か急に涙がこみ上げて来て、「くやしいッー」と、身イふるわして泣きながら、今度はこっちからしがみ着いて、「くやしいッ、くやしいッ、くやしいッ」と、夫の体掻きむしるように揺さ振りました。「何や、何でそない口惜しい?」夫は出来るだけ優しいに、「え? 何が口惜しいのかいうてみい、泣いてたら分れへんがな、え? どないしてん?」いうて手のひらで涙拭いてくれて、なだめたり、すかしたりしてくれますので、なお悲しゅうなって、あーあ、やっぱり夫は有難い、自分は罰中ったんや、もうもうあんな人のこと思い切って、一生この人の愛に縋ろう、――と、一途に後悔の念湧いて、「うち今夜のことみんないうてしまうさかい、きっと堪忍しとくなはれなあ」と、とうど夫に今までのことすっかり話してしまいました。
(つづく)
底本:「卍(まんじ)」岩波文庫、岩波書店
1950(昭和25)年5月20日第1刷発行
1985(昭和60)年12月16日第18刷改版発行
1990(平成2)年4月25日第20刷発行
初出:「改造」改造社
1928(昭和3)年3月〜1929(昭和4)年4月、6月〜10月、12月〜1930(昭和5)年1月、4月
※「懐」に対するルビの「ふところ」と「ほところ」の混在は、底本通りです。
※表題は底本の目次では「卍(まんじ)」、「中扉」では「まんじ」となっています。
入力:kompass
校正:酒井和郎
2017年6月27日作成
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