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死者の書
折口信夫
一
彼の人の眠りは、徐かに覚めて行った。まっ黒い夜の中に、更に冷え圧するものの澱んでいるなかに、目のあいて来るのを、覚えたのである。
した した した。耳に伝うように来るのは、水の垂れる音か。ただ凍りつくような暗闇の中で、おのずと睫と睫とが離れて来る。膝が、肱が、徐ろに埋れていた感覚をとり戻して来るらしく、彼の人の頭に響いて居るもの――。全身にこわばった筋が、僅かな響きを立てて、掌・足の裏に到るまで、ひきつれを起しかけているのだ。
そうして、なお深い闇。ぽっちりと目をあいて見廻す瞳に、まず圧しかかる黒い巌の天井を意識した。次いで、氷になった岩牀。両脇に垂れさがる荒石の壁。したしたと、岩伝う雫の音。
時がたった――。眠りの深さが、はじめて頭に浮んで来る。長い眠りであった。けれども亦、浅い夢ばかりを見続けて居た気がする。うつらうつら思っていた考えが、現実に繋って、ありありと、目に沁みついているようである。
ああ耳面刀自。
甦った語が、彼の人の記憶を、更に弾力あるものに、響き返した。
耳面刀自。おれはまだお前を……思うている。おれはきのう、ここに来たのではない。それも、おとといや、其さきの日に、ここに眠りこけたのでは、決してないのだ。おれは、もっともっと長く寝て居た。でも、おれはまだ、お前を思い続けて居たぞ。耳面刀自。ここに来る前から……ここに寝ても、……其から覚めた今まで、一続きに、一つ事を考えつめて居るのだ。
古い――祖先以来そうしたように、此世に在る間そう暮して居た――習しからである。彼の人は、のくっと起き直ろうとした。だが、筋々が断れるほどの痛みを感じた。骨の節々の挫けるような、疼きを覚えた。……そうして尚、じっと、――じっとして居る。射干玉の闇。黒玉の大きな石壁に、刻み込まれた白々としたからだの様に、厳かに、だが、すんなりと、手を伸べたままで居た。耳面刀自の記憶。ただ其だけの深い凝結した記憶。其が次第に蔓って、過ぎた日の様々な姿を、短い聯想の紐に貫いて行く。そうして明るい意思が、彼の人の死枯れたからだに、再立ち直って来た。
耳面刀自。おれが見たのは、唯一目――唯一度だ。だが、おまえのことを聞きわたった年月は、久しかった。おれによって来い。耳面刀自。
記憶の裏から、反省に似たものが浮び出て来た。
おれは、このおれは、何処に居るのだ。……それから、ここは何処なのだ。其よりも第一、此おれは誰なのだ。其をすっかり、おれは忘れた。
だが、待てよ。おれは覚えて居る。あの時だ。鴨が声を聞いたのだっけ。そうだ。訳語田の家を引き出されて、磐余の池に行った。堤の上には、遠捲きに人が一ぱい。あしこの萱原、そこの矮叢から、首がつき出て居た。皆が、大きな喚び声を、挙げて居たっけな。あの声は残らず、おれをいとしがって居る、半泣きの喚き声だったのだ。其でもおれの心は、澄みきって居た。まるで、池の水だった。あれは、秋だったものな。はっきり聞いたのが、水の上に浮いている鴨鳥の声だった。今思うと――待てよ。其は何だか一目惚れの女の哭き声だった気がする。――おお、あれが耳面刀自だ。其瞬間、肉体と一つに、おれの心は、急に締めあげられるような刹那を、通った気がした。俄かに、楽な広々とした世間に、出たような感じが来た。そうして、ほんの暫らく、ふっとそう考えたきりで……、空も見ぬ、土も見ぬ、花や、木の色も消え去った――おれ自分すら、おれが何だか、ちっとも訣らぬ世界のものになってしまったのだ。
ああ、其時きり、おれ自身、このおれを、忘れてしまったのだ。
足の踝が、膝の膕が、腰のつがいが、頸のつけ根が、顳が、ぼんの窪が――と、段々上って来るひよめきの為に蠢いた。自然に、ほんの偶然強ばったままの膝が、折り屈められた。だが、依然として――常闇。
おおそうだ。伊勢の国に居られる貴い巫女――おれの姉御。あのお人が、おれを呼び活けに来ている。
姉御。ここだ。でもおまえさまは、尊い御神に仕えている人だ。おれのからだに、触ってはならない。そこに居るのだ。じっとそこに、踏み止って居るのだ。――ああおれは、死んでいる。死んだ。殺されたのだ。――忘れて居た。そうだ。此は、おれの墓だ。
いけない。そこを開けては。塚の通い路の、扉をこじるのはおよし。……よせ。よさないか。姉の馬鹿。
なあんだ。誰も、来ては居なかったのだな。ああよかった。おれのからだが、天日に暴されて、見る見る、腐るところだった。だが、おかしいぞ。こうつと――あれは昔だ。あのこじあける音がするのも、昔だ。姉御の声で、塚道の扉を叩きながら、言って居たのも今の事――だったと思うのだが。昔だ。
おれのここへ来て、間もないことだった。おれは知っていた。十月だったから、鴨が鳴いて居たのだ。其鴨みたいに、首を捻じちぎられて、何も訣らぬものになったことも。こうつと――姉御が、墓の戸で哭き喚いて、歌をうたいあげられたっけ。「巌岩の上に生ふる馬酔木を」と聞えたので、ふと、冬が過ぎて、春も闌け初めた頃だと知った。おれの骸が、もう半分融け出した時分だった。そのあと、「たをらめど……見すべき君がありと言はなくに」。そう言われたので、はっきりもう、死んだ人間になった、と感じたのだ。……其時、手で、今してる様にさわって見たら、驚いたことに、おれのからだは、著こんだ著物の下で、のように、ぺしゃんこになって居た――。
臂が動き出した。片手は、まっくらな空をさした。そうして、今一方は、そのまま、岩牀の上を掻き捜って居る。
うつそみの人なる我や。明日よりは、二上山を愛兄弟と思はむ
誄歌が聞えて来たのだ。姉御があきらめないで、も一つつぎ足して、歌ってくれたのだ。其で知ったのは、おれの墓と言うものが、二上山の上にある、と言うことだ。
よい姉御だった。併し、其歌の後で、又おれは、何もわからぬものになってしまった。
其から、どれほどたったのかなあ。どうもよっぽど、長い間だった気がする。伊勢の巫女様、尊い姉御が来てくれたのは、居睡りの夢を醒された感じだった。其に比べると、今度は深い睡りの後見たいな気がする。あの音がしてる。昔の音が――。
手にとるようだ。目に見るようだ。心を鎮めて――。鎮めて。でないと、この考えが、復散らかって行ってしまう。おれの昔が、ありありと訣って来た。だが待てよ。……其にしても一体、ここに居るおれは、だれなのだ。だれの子なのだ。だれの夫なのだ。其をおれは、忘れてしまっているのだ。
両の臂は、頸の廻り、胸の上、腰から膝をまさぐって居る。そうしてまるで、生き物のするような、深い溜め息が洩れて出た。
大変だ。おれの著物は、もうすっかり朽って居る。おれの褌は、ほこりになって飛んで行った。どうしろ、と言うのだ。此おれは、著物もなしに、寝て居るのだ。
筋ばしるように、彼の人のからだに、血の馳け廻るに似たものが、過ぎた。肱を支えて、上半身が闇の中に起き上った。
おお寒い。おれを、どうしろと仰るのだ。尊いおっかさま。おれが悪かったと言うのなら、あやまります。著物を下さい。著物を――。おれのからだは、地べたに凍りついてしまいます。
彼の人には、声であった。だが、声でないものとして、消えてしまった。声でない語が、何時までも続いている。
くれろ。おっかさま。著物がなくなった。すっぱだかで出て来た赤ん坊になりたいぞ。赤ん坊だ。おれは。こんなに、寝床の上を這いずり廻っているのが、だれにも訣らぬのか。こんなに、手足をばたばたやっているおれの、見える奴が居ぬのか。
その唸き声のとおり、彼の人の骸は、まるでだだをこねる赤子のように、足もあががに、身あがきをば、くり返して居る。明りのささなかった墓穴の中が、時を経て、薄い氷の膜ほど透けてきて、物のたたずまいを、幾分朧ろに、見わけることが出来るようになって来た。どこからか、月光とも思える薄あかりが、さし入って来たのである。
どうしよう。どうしよう。おれは。――大刀までこんなに、錆びついてしまった……。
二
月は、依然として照って居た。山が高いので、光りにあたるものが少かった。山を照し、谷を輝かして、剰る光りは、又空に跳ね返って、残る隈々までも、鮮やかにうつし出した。
足もとには、沢山の峰があった。黒ずんで見える峰々が、入りくみ、絡みあって、深々と畝っている。其が見えたり隠れたりするのは、この夜更けになって、俄かに出て来た霞の所為だ。其が又、此冴えざえとした月夜をほっとりと、暖かく感じさせて居る。
広い端山の群った先は、白い砂の光る河原だ。目の下遠く続いた、輝く大佩帯は、石川である。その南北に渉っている長い光りの筋が、北の端で急に広がって見えるのは、凡河内の邑のあたりであろう。其へ、山間を出たばかりの堅塩川―大和川―が落ちあって居るのだ。そこから、乾の方へ、光りを照り返す平面が、幾つも列って見えるのは、日下江・永瀬江・難波江などの水面であろう[#「あろう」は底本では「あらう」]。
寂かな夜である。やがて鶏鳴近い山の姿は、一様に露に濡れたように、しっとりとして静まって居る。谷にちらちらする雪のような輝きは、目の下の山田谷に多い、小桜の遅れ咲きである。
一本の路が、真直に通っている。二上山の男岳・女岳の間から、急に降って来るのである。難波から飛鳥の都への古い間道なので、日によっては、昼は相応な人通りがある。道は白々と広く、夜目には、芝草の蔓って居るのすら見える。当麻路である。一降りして又、大降りにかかろうとする処が、中だるみに、やや坦くなっていた。梢の尖った栢の木の森。半世紀を経た位の木ぶりが、一様に揃って見える。月の光りも薄い木陰全体が、勾配を背負って造られた円塚であった。月は、瞬きもせずに照し、山々は、深くを閉じている。
こう こう こう。
先刻から、聞えて居たのかも知れぬ。あまり寂けさに馴れた耳は、新な声を聞きつけよう、としなかったのであろう。だから、今珍しく響いて来た感じもないのだ。
こう こう こう――こう こう こう。
確かに人声である。鳥の夜声とは、はっきりかわった韻を曳いて来る。声は、暫らく止んだ。静寂は以前に増し、冴え返って張りきっている。この山の峰つづきに見えるのは、南に幾重ともなく重った、葛城の峰々である。伏越・櫛羅・小巨勢と段々高まって、果ては空の中につき入りそうに、二上山と、この塚にのしかかるほど、真黒に立ちつづいている。
当麻路をこちらへ降って来るらしい影が、見え出した。二つ三つ五つ……八つ九つ。九人の姿である。急な降りを一気に、この河内路へ馳けおりて来る。
九人と言うよりは、九柱の神であった。白い著物・白い鬘、手は、足は、すべて旅の装束である。頭より上に出た杖をついて――。この坦に来て、森の前に立った。
こう こう こう。
誰の口からともなく、一時に出た叫びである。山々のこだまは、驚いて一様に、忙しく声を合せた。だが、山は、忽一時の騒擾から、元の緘黙に戻ってしまった。
こう。こう。お出でなされ。藤原南家郎女の御魂。
こんな奥山に、迷うて居るものではない。早く、もとの身に戻れ。こう こう。
お身さまの魂を、今、山たずね尋ねて、尋ねあてたおれたちぞよ。こう こう こう。
九つの杖びとは、心から神になって居る。彼らは、杖を地に置き、鬘を解いた。鬘は此時、唯真白な布に過ぎなかった。其を、長さの限り振り捌いて、一様に塚に向けて振った。
こう こう こう。
こう言う動作をくり返して居る間に、自然な感情の鬱屈と、休息を欲するからだの疲れとが、九体の神の心を、人間に返した。彼らは見る間に、白い布を頭に捲きこんで鬘とし、杖を手にとった旅人として、立っていた。
おい。無言の勤めも此までじゃ。
おお。
八つの声が答えて、彼等は訓練せられた所作のように、忽一度に、草の上に寛ぎ、再杖を横えた。
これで大和も、河内との境じゃで、もう魂ごいの行もすんだ。今時分は、郎女さまのからだは、廬の中で魂をとり返して、ぴちぴちして居られようぞ。
ここは、何処だいの。
知らぬかいよ。大和にとっては大和の国、河内にとっては河内の国の大関。二上の当麻路の関――。
別の長老めいた者が、説明を続いだ。
四五十年あとまでは、唯関と言うばかりで、何の標もなかった。其があの、近江の滋賀の宮に馴染み深かった、其よ。大和では、磯城の訳語田の御館に居られたお方。池上の堤で命召されたあのお方の骸を、罪人に殯するは、災の元と、天若日子の昔語りに任せて、其まま此処にお搬びなされて、お埋けになったのが、此塚よ。
以前の声が、もう一層皺がれた響きで、話をひきとった。
其時の仰せには、罪人よ。吾子よ。吾子の為了せなんだ荒び心で、吾子よりももっと、わるい猛び心を持った者の、大和に来向うのを、待ち押え、塞え防いで居ろ、と仰せられた。
ほんに、あの頃は、まだおれたちも、壮盛りじゃったに。今ではもう、五十年昔になるげな。
今一人が、相談でもしかける様な、口ぶりを挿んだ。
さいや。あの時も、墓作りに雇われた。その後も、当麻路の修覆に召し出された。此お墓の事は、よく知って居る。ほんの苗木じゃった栢が、此ほどの森になったものな。畏かったぞよ。此墓のみ魂が、河内安宿部から石担ちに来て居た男に、憑いた時はのう。
九人は、完全に現し世の庶民の心に、なり還って居た。山の上は、昔語りするには、あまり寂しいことを忘れて居たのである。時の更け過ぎた事が、彼等の心には、現実にひしひしと、感じられ出したのだろう。
もう此でよい。戻ろうや。
よかろ よかろ。
皆は、鬘をほどき、杖を棄てた白衣の修道者、と言うだけの姿になった。
だがの。皆も知ってようが、このお塚は、由緒深い、気のおける処ゆえ、もう一度、魂ごいをしておくまいか。
長老の語と共に、修道者たちは、再魂呼いの行を初めたのである。
こう こう こう。
おお……。
異様な声を出すものだ、と初めは誰も、自分らの中の一人を疑い、其でも変に、おじけづいた心を持ちかけていた。も一度、
こう こう こう。
其時、塚穴の深い奥から、冰りきった、而も今息を吹き返したばかりの声が、明らかに和したのである。
おおう……。
九人の心は、ばらばらの九人の心々であった。からだも亦ちりぢりに、山田谷へ、竹内谷へ、大阪越えへ、又当麻路へ、峰にちぎれた白い雲のように、消えてしまった。
唯畳まった山と、谷とに響いて、一つの声ばかりがする。
おおう……。
三
万法蔵院の北の山陰に、昔から小な庵室があった。昔からと言うのは、村人がすべて、そう信じて居たのである。荒廃すれば繕い繕いして、人は住まぬ廬に、孔雀明王像が据えてあった。当麻の村人の中には、稀に、此が山田寺である、と言うものもあった。そう言う人の伝えでは、万法蔵院は、山田寺の荒れて後、飛鳥の宮の仰せを受けてとも言い、又御自身の御発起からだとも言うが、一人の尊いみ子が、昔の地を占めにお出でなされて、大伽藍を建てさせられた。其際、山田寺の旧構を残すため、寺の四至の中、北の隅へ、当時立ち朽りになって居た堂を移し、規模を小くして造られたもの、と伝え言うのであった。そう言えば、山田寺は、役君小角が、山林仏教を創める最初の足代になった処だと言う伝えが、吉野や、葛城の山伏行人の間に行われていた。何しろ、万法蔵院の大伽藍が焼けて百年、荒野の道場となって居た、目と鼻との間に、こんな古い建て物が、残って居たと言うのも、不思議なことである。
夜は、もう更けて居た。谷川の激ちの音が、段々高まって来る。二上山の二つの峰の間から、流れくだる水なのだ。
廬の中は、暗かった。炉を焚くことの少い此辺では、地下百姓は、夜は真暗な中で、寝たり、坐ったりしているのだ。でもここには、本尊が祀ってあった。夜を守って、仏の前で起き明す為には、御灯を照した。
孔雀明王の姿が、あるかないかに、ちろめく光りである。
姫は寝ることを忘れたように、坐って居た。
万法蔵院の上座の僧綱たちの考えでは、まず奈良へ使いを出さねばならぬ。横佩家の人々の心を、思うたのである。次には、女人結界を犯して、境内深く這入った罪は、郎女自身に贖わさねばならなかった。落慶のあったばかりの浄域だけに、一時は、塔頭塔頭の人たちの、青くなったのも、道理である。此は、財物を施入する、と謂ったぐらいではすまされぬ。長期の物忌みを、寺近くに居て果させねばならぬと思った。其で、今日昼の程、奈良へ向って、早使いを出して、郎女の姿が、寺中に現れたゆくたてを、仔細に告げてやったのである。
其と共に姫の身は、此庵室に暫らく留め置かれることになった。たとい、都からの迎えが来ても、結界を越えた贖いを果す日数だけは、ここに居させよう、と言うのである。
牀は低いけれども、かいてあるにはあった。其替り、天井は無上に高くて、而も萱のそそけた屋根は、破風の脇から、むき出しに、空の星が見えた。風が唸って過ぎたと思うと、其高い隙から、どっと吹き込んで来た。ばらばら落ちかかるのは、煤がこぼれるのだろう。明王の前の灯が、一時かっと明るくなった。
その光りで照し出されたのは、あさましく荒んだ座敷だけでなかった。荒板の牀の上に、薦筵二枚重ねた姫の座席。其に向って、ずっと離れた壁ぎわに、板敷に直に坐って居る老婆の姿があった。
壁と言うよりは、壁代であった。天井から吊りさげた竪薦が、幾枚も幾枚も、ちぐはぐに重って居て、どうやら、風は防ぐようになって居る。その壁代に張りついたように坐って居る女、先から嗽一つせぬ静けさである。貴族の家の郎女は、一日もの言わずとも、寂しいとも思わぬ習慣がついて居た。其で、この山陰の一つ家に居ても、溜め息一つ洩すのではなかった。昼の内此処へ送りこまれた時、一人の姥のついて来たことは、知って居た。だが、あまり長く音も立たなかったので、人の居ることは忘れて居た。今ふっと明るくなった御灯の色で、その姥の姿から、顔まで一目で見た。どこやら、覚えのある人の気がする。さすがに、姫にも人懐しかった。ようべ家を出てから、女性には、一人も逢って居ない。今そこに居る姥が、何だか、昔の知り人のように感じられたのも、無理はないのである。見覚えのあるように感じたのは、だが、其親しみ故だけではなかった。
郎女さま。
緘黙を破って、却てもの寂しい、乾声が響いた。
郎女は、御存じおざるまい。でも、聴いて見る気はおありかえ。お生れなさらぬ前の世からのことを。それを知った姥でおざるがや。
一旦、口がほぐれると、老女は止めどなく、喋り出した。姫は、この姥の顔に見知りのある気のした訣を、悟りはじめて居た。藤原南家にも、常々、此年よりとおなじような媼が、出入りして居た。郎女たちの居る女部屋までも、何時もずかずか這入って来て、憚りなく古物語りを語った、あの中臣志斐媼――。あれと、おなじ表情をして居る。其も、尤であった。志斐老女が、藤氏の語部の一人であるように、此も亦、この当麻の村の旧族、当麻真人の「氏の語部」、亡び残りの一人であったのである。
藤原のお家が、今は、四筋に分れて居りまする。じゃが、大織冠さまの代どころでは、ありは致しませぬ。淡海公の時も、まだ一流れのお家でおざりました。併し其頃やはり、藤原は、中臣と二つの筋に岐れました。中臣の氏人で、藤原の里に栄えられたのが、藤原と、家名の申され初めでおざりました。
藤原のお流れ。今ゆく先も、公家摂の家柄。中臣の筋や、おん神仕え。差別差別明らかに、御代御代の宮守り。じゃが、今は今、昔は昔でおざります。藤原の遠つ祖、中臣の氏の神、天押雲根と申されるお方の事は、お聞き及びかえ。
今、奈良の宮におざります日の御子さま。其前は、藤原の宮の日のみ子さま。又其前は、飛鳥の宮の日のみ子さま。大和の国中に、宮遷し、宮奠め遊した代々の日のみ子さま。長く久しい御代御代に仕えた、中臣の家の神業。郎女さま。お聞き及びかえ。遠い代の昔語り。耳明らめてお聴きなされ。中臣・藤原の遠つ祖あめの押雲根命。遠い昔の日のみ子さまのお喰しの、飯と、み酒を作る御料の水を、大和国中残る隈なく捜し覓めました。
その頃、国原の水は、水渋臭く、土濁りして、日のみ子さまのお喰しの料に叶いません。天の神高天の大御祖教え給えと祈ろうにも、国中は国低し。山々もまんだ天遠し。大和の国とり囲む青垣山では、この二上山。空行く雲の通い路と、昇り立って祈りました。その時、高天の大御祖のお示しで、中臣の祖押雲根命、天の水の湧き口を、此二上山に八ところまで見とどけて、其後久しく、日のみ子さまのおめしの湯水は、代々の中臣自身、此山へ汲みに参ります。お聞き及びかえ。
当麻真人の、氏の物語りである。そうして其が、中臣の神わざと繋りのある点を、座談のように語り進んだ姥は、ふと口をつぐんだ。外には、瀬音が荒れて聞えている。中臣・藤原の遠祖が、天二上に求めた天八井の水を集めて、峰を流れ降り、岩にあたって漲り激つ川なのであろう。瀬音のする方に向いて、姫は、掌を合せた。
併しやがて、ふり向いて、仄暗くさし寄って来ている姥の姿を見た時、言おうようない畏しさと、せつかれるような忙しさを、一つに感じたのである。其に、志斐姥の、本式に物語りをする時の表情が、此老女の顔にも現れていた。今、当麻の語部の姥は、神憑りに入るらしく、わなわな震いはじめて居るのである。
四
ひさかたの 天二上に、
我が登り 見れば、
とぶとりの 明日香
ふる里の 神南備山隠り、
家どころ 多に見え、
豊にし 屋庭は見ゆ。
弥彼方に 見ゆる家群
藤原の 朝臣が宿。
遠々に 我が見るものを、
たか/″\に 我が待つものを、
処女子は 出で通ぬものか。
よき耳を 聞かさぬものか。
青馬の 耳面刀自。
刀自もがも。女弟もがも。
その子の はらからの子の
処女子の 一人
一人だに、 わが配偶に来よ。
ひさかたの 天二上
二上の陽面に、
生ひをゝり 繁み咲く
馬酔木の にほへる子を
我が 捉り兼ねて、
馬酔木の あしずりしつゝ
吾はもよ偲ぶ。藤原処女
歌い了えた姥は、大息をついて、ぐったりした。其から暫らく、山のそよぎ、川瀬の響きばかりが、耳についた。
姥は居ずまいを直して、厳かな声音で、誦り出した。
とぶとりの 飛鳥の都に、日のみ子様のおそば近く侍る尊いおん方。ささなみの大津の宮に人となり、唐土の学芸に詣り深く、詩も、此国ではじめて作られたは、大友ノ皇子か、其とも此お方か、と申し伝えられる御方。
近江の都は離れ、飛鳥の都の再栄えたその頃、あやまちもあやまち。日のみ子に弓引くたくみ、恐しや、企てをなされると言う噂が、立ちました。
高天原広野姫尊、おん怒りをお発しになりまして、とうとう池上の堤に引き出して、お討たせになりました。
其お方がお死にの際に、深く深く思いこまれた一人のお人がおざりまする。耳面ノ刀自と申す、大織冠のお娘御でおざります。前から深くお思いになって居た、と云うでもありません。唯、此郎女も、大津の宮離れの時に、都へ呼び返されて、寂しい暮しを続けて居られました。等しく大津の宮に愛着をお持ち遊した右の御方が、愈々、磐余の池の草の上で、お命召されると言うことを聞いて、一目 見てなごり惜しみがしたくて、こらえられなくなりました。藤原から池上まで、おひろいでお出でになりました。小高い柴の一むらある中から、御様子を窺うて帰ろうとなされました。其時ちらりと、かのお人の、最期に近いお目に止りました。其ひと目が、此世に残る執心となったのでおざりまする。
もゝつたふ 磐余の池に鳴く鴨を 今日のみ見てや、雲隠りなむ
この思いがけない心残りを、お詠みになった歌よ、と私ども当麻の語部の物語りには、伝えて居ります。
その耳面刀自と申すは、淡海公の妹君、郎女の祖父君南家太政大臣には、叔母君にお当りになってでおざりまする。
人間の執心と言うものは、怖いものとはお思いなされぬかえ。
其亡き骸は、大和の国を守らせよ、と言う御諚で、此山の上、河内から来る当麻路の脇にお埋けになりました。其が何と、此世の悪心も何もかも、忘れ果てて清々しい心になりながら、唯そればかりの一念が、残って居る、と申します。藤原四流の中で、一番美しい郎女が、今におき、耳面刀自と、其幽界の目には、見えるらしいのでおざりまする。女盛りをまだ婿どりなさらぬげの郎女さまが、其力におびかれて、この当麻までお出でになったのでのうて、何でおざりましょう。
当麻路に墓を造りました当時、石を搬ぶ若い衆にのり移った霊が、あの長歌を謳うた、と申すのが伝え。
当麻語部媼は、南家の郎女の脅える様を想像しながら、物語って居たのかも知れぬ。唯さえ、この深夜、場所も場所である。如何に止めどなくなるのが、「ひとり語り」の癖とは言え、語部の古婆の心は、自身も思わぬ意地くね悪さを蔵しているものである。此が、神さびた職を寂しく守って居る者の優越感を、充すことにも、なるのであった。
大貴族の郎女は、人の語を疑うことは教えられて居なかった。それに、信じなければならぬもの、とせられて居た語部の物語りである。詞の端々までも、真実を感じて、聴いて居る。
言うとおり、昔びとの宿執が、こうして自分を導いて来たことは、まことに違いないであろう。其にしても、ついしか見ぬお姿――尊い御仏と申すような相好が、其お方とは思われぬ。春秋の彼岸中日、入り方の光り輝く雲の上に、まざまざと見たお姿。此日本の国の人とは思われぬ。だが、自分のまだ知らぬこの国の男子たちには、ああ言う方もあるのか知らぬ。金色の鬢、金色の髪の豊かに垂れかかる片肌は、白々と袒いで美しい肩。ふくよかなお顔は、鼻隆く、眉秀で夢見るようにまみを伏せて、右手は乳の辺に挙げ、脇の下に垂れた左手は、ふくよかな掌を見せて……ああ雲の上に朱の唇、匂いやかにほほ笑まれると見た……その俤。
日のみ子さまの御側仕えのお人の中には、あの様な人もおいでになるものだろうか。我が家の父や、兄人たちも、世間の男たちとは、とりわけてお美しい、と女たちは噂するが、其すら似もつかぬ……。
尊い女性は、下賤な人と、口をきかぬのが当時の世の掟である。何よりも、其語は、下ざまには通じぬもの、と考えられていた。それでも、此古物語りをする姥には、貴族の語もわかるであろう。郎女は、恥じながら問いかけた。
そこの人。ものを聞こう。此身の語が、聞きとれたら、答えしておくれ。
その飛鳥の宮の日のみ子さまに仕えた、と言うお方は、昔の罪びとらしいに、其が又何とした訣で、姫の前に立ち現れては、神々しく見えるであろうぞ。
此だけの語が言い淀み、淀みして言われている間に、姥は、郎女の内に動く心もちの、凡は、気どったであろう。暗いみ灯の光りの代りに、其頃は、もう東白みの明りが、部屋の内の物の形を、朧ろげに顕しはじめて居た。
我が説明を、お聞きわけられませ。神代の昔びと、天若日子。天若日子こそは、天の神々に弓引いた罪ある神。其すら、其後、人の世になっても、氏貴い家々の娘御の閨の戸までも、忍びよると申しまする。世に言う「天若みこ」と言うのが、其でおざります。
天若みこ。物語りにも、うき世語りにも申します。お聞き及びかえ。
姥は暫らく口を閉じた。そうして[#「そうして」は底本では「さうして」]言い出した声は、顔にも、年にも似ず、一段、はなやいで聞えた。
「もゝつたふ」の歌、残された飛鳥の宮の執心びと、世々の藤原の一の媛に祟る天若みこも、顔清く、声心惹く天若みこのやはり、一人でおざりまする。
お心つけられませ。物語りも早、これまで。
其まま石のように、老女はじっとして居る。冷えた夜も、朝影を感じる頃になると、幾らか温みがさして来る。
万法蔵院は、村からは遠く、山によって立って居た。暁早い鶏の声も、聞えぬ。もう梢を離れるらしい塒鳥が、近い端山の木群で、羽振きの音を立て初めている。
五
おれは活きた。
闇い空間は、明りのようなものを漂していた。併し其は、蒼黒い靄の如く、たなびくものであった。
巌ばかりであった。壁も、牀も、梁も、巌であった。自身のからだすらが、既に、巌になって居たのだ。
屋根が壁であった。壁が牀であった。巌ばかり――。触っても触っても、巌ばかりである。手を伸すと、更に堅い巌が、掌に触れた。脚をひろげると、もっと広い磐石の面が、感じられた。
纔かにさす薄光りも、黒い巌石が皆吸いとったように、岩窟の中に見えるものはなかった。唯けはい――彼の人の探り歩くらしい空気の微動があった。
思い出したぞ。おれが誰だったか、――訣ったぞ。
おれだ。此おれだ。大津の宮に仕え、飛鳥の宮に呼び戻されたおれ。滋賀津彦。其が、おれだったのだ。
歓びの激情を迎えるように、岩窟の中のすべての突角が哮びの反響をあげた。彼の人は、立って居た。一本の木だった。だが、其姿が見えるほどの、はっきりした光線はなかった。明りに照し出されるほど、纏った現し身をも、持たぬ彼の人であった。
唯、岩屋の中に矗立した、立ち枯れの木に過ぎなかった。
おれの名は、誰も伝えるものがない。おれすら忘れて居た。長く久しく、おれ自身にすら忘れられて居たのだ。可愛しいおれの名は、そうだ。語り伝える子があった筈だ。語り伝えさせる筈の語部も、出来て居ただろうに。――なぜか、おれの心は寂しい。空虚な感じが、しくしくと胸を刺すようだ。
――子代も、名代もない、おれにせられてしまったのだ。そうだ。其に違いない。この物足らぬ、大きな穴のあいた気持ちは、其で、するのだ。おれは、此世に居なかったと同前の人間になって、現し身の人間どもには、忘れ了されて居るのだ。憐みのないおっかさま。おまえさまは、おれの妻の、おれに殉死にするのを、見殺しになされた。おれの妻の生んだ粟津子は、罪びとの子として、何処かへ連れて行かれた。野山のけだものの餌食に、くれたのだろう。可愛そうな妻よ。哀なむすこよ。
だが、おれには、そんな事などは、何でもない。おれの名が伝らない。劫初から末代まで、此世に出ては消える、天の下の青人草と一列に、おれは、此世に、影も形も残さない草の葉になるのは、いやだ。どうあっても、不承知だ。
恵みのないおっかさま。お前さまにお縋りするにも、其おまえさますら、もうおいででない此世かも知れぬ。
くそ――外の世界が知りたい。世の中の様子が見たい。
だが、おれの耳は聞える。其なのに、目が見えぬ。この耳すら、世間の語を聞き別けなくなって居る。闇の中にばかり瞑って居たおれの目よ。も一度かっといて、現し世のありのままをうつしてくれ、……土竜の目なと、おれに貸しおれ。
声は再、寂かになって行った。独り言する其声は、彼の人の耳にばかり聞えて居るのであろう。丑刻に、静謐の頂上に達した現し世は、其が過ぎると共に、俄かに物音が起る。月の、空を行く音すら聞えそうだった四方の山々の上に、まず木の葉が音もなくうごき出した。次いではるかな谿のながれの色が、白々と見え出す。更に遠く、大和国中の、何処からか起る一番鶏のつくるとき。
暁が来たのである。里々の男は、今、女の家の閨戸から、ひそひそと帰って行くだろう。月は早く傾いたけれど、光りは深夜の色を保っている。午前二時に朝の来る生活に、村びとも、宮びとも忙しいとは思わずに、起きあがる。短い暁の目覚めの後、又、物に倚りかかって、新しい眠りを継ぐのである。
山風は頻りに、吹きおろす。枝・木の葉の相軋めく音が、やむ間なく聞える。だが其も暫らくで、山は元のひっそとしたけしきに還る。唯、すべてが薄暗く、すべてが隈を持ったように、朧ろになって来た。
岩窟は、沈々と黝くなって冷えて行く。
した した。水は、岩肌を絞って垂れている。
耳面刀自。おれには、子がない。子がなくなった。おれは、その栄えている世の中には、跡を貽して来なかった。子を生んでくれ。おれの子を。おれの名を語り伝える子どもを――。
岩牀の上に、再白々と横って見えるのは、身じろきもせぬからだである。唯その真裸な骨の上に、鋭い感覚ばかりが活きているのであった。
まだ反省のとり戻されぬむくろには、心になるものがあって、心はなかった。
耳面刀自の名は、唯の記憶よりも、更に深い印象であったに違いはない。自分すら忘れきった、彼の人の出来あがらぬ心に、骨に沁み、干からびた髄の心までも、唯彫りつけられたようになって、残っているのである。
万法蔵院の晨朝の鐘だ。夜の曙色に、一度騒立った物々の胸をおちつかせる様に、鳴りわたる鐘の音だ。一ぱし白みかかって来た東は、更にほの暗い明け昏れの寂けさに返った。
南家の郎女は、一茎の草のそよぎでも聴き取れる暁凪ぎを、自身擾すことをすまいと言う風に、見じろきすらもせずに居る。
夜の間よりも暗くなった廬の中では、明王像の立ち処さえ見定められぬばかりになって居る。
何処からか吹きこんだ朝山颪に、御灯が消えたのである。当麻語部の姥も、薄闇に蹲って居るのであろう。姫は再、この老女の事を忘れていた。
ただ一刻ばかり前、這入りの戸を揺った物音があった。一度 二度 三度。更に数度。音は次第に激しくなって行った。枢がまるで、おしちぎられでもするかと思うほど、音に力のこもって来た時、ちょうど、鶏が鳴いた。其きりぴったり、戸にあたる者もなくなった。
新しい物語が、一切、語部の口にのぼらぬ世が来ていた。けれども、頑な当麻氏の語部の古姥の為に、我々は今一度、去年以来の物語りをしておいても、よいであろう。まことに其は、昨の日からはじまるのである。
六
門をはいると、俄かに松風が、吹きあてるように響いた。
一町も先に、固まって見える堂伽藍――そこまでずっと、砂地である。
白い地面に、広い葉の青いままでちらばって居るのは、朴の木だ。
まともに、寺を圧してつき立っているのは、二上山である。其真下に涅槃仏のような姿に横っているのが麻呂子山だ。其頂がやっと、講堂の屋の棟に、乗りかかっているようにしか見えない。こんな事を、女人の身で知って居る訣はなかった。だが、俊敏な此旅びとの胸に、其に似たほのかな綜合の、出来あがって居たのは疑われぬ。暫らくの間、その薄緑の山色を仰いで居た。其から、朱塗りの、激しく光る建て物へ、目を移して行った。
此寺の落慶供養のあったのは、つい四五日前であった。まだあの日の喜ばしい騒ぎの響みが、どこかにする様に、麓の村びと等には、感じられて居る程である。
山颪に吹き暴されて、荒草深い山裾の斜面に、万法蔵院の細々とした御灯の、煽られて居たのに目馴れた人たちは、この幸福な転変に、目をって居るだろう。此郷に田荘を残して、奈良に数代住みついた豪族の主人も、その日は、帰って来て居たっけ。此は、天竺の狐の為わざではないか、其とも、この葛城郡に、昔から残っている幻術師のする迷わしではないか。あまり荘厳を極めた建て物に、故知らぬ反感まで唆られて、廊を踏み鳴し、柱を叩いて見たりしたものも、その供人のうちにはあった。
数年前の春の初め、野焼きの火が燃えのぼって来て、唯一宇あった萱堂が、忽痕もなくなった。そんな小な事件が起って、注意を促してすら、そこに、曾て美しい福田と、寺の創められた代を、思い出す者もなかった程、それはそれは、微かな遠い昔であった。
以前、疑いを持ち初める里の子どもが、其堂の名に、不審を起した。当麻の村にありながら、山田寺と言ったからである。山の背の河内の国安宿部郡の山田谷から移って二百年、寂しい道場に過ぎなかった。其でも一時は、倶舎の寺として、栄えたこともあったのだった。
飛鳥の御世の、貴い御方が、此寺の本尊を、お夢に見られて、おん子を遣され、堂舎をひろげ、住侶の数をお殖しになった。おいおい境内になる土地の地形の進んでいる最中、その若い貴人が、急に亡くなられた。そうなる筈の、風水の相が、「まろこ」の身を招き寄せたのだろう。よしよし墓はそのまま、其村に築くがよい、との仰せがあった。其み墓のあるのが、あの麻呂子山だと言う。まろ子というのは、尊い御一族だけに用いられる語で、おれの子というほどの、意味であった。ところが、其おことばが縁を引いて、此郷の山には、其後亦、貴人をお埋め申すような事が、起ったのである。
だが、そう言う物語りはあっても、それは唯、此里の語部の姥の口に、そう伝えられている、と言うに過ぎぬ古物語りであった。纔かに百年、其短いと言える時間も、文字に縁遠い生活には、さながら太古を考えると、同じ昔となってしまった。
旅の若い女性は、型摺りの大様な美しい模様をおいた著る物を襲うて居る。笠は、浅い縁に、深い縹色の布が、うなじを隠すほどに、さがっていた。
日は仲春、空は雨あがりの、爽やかな朝である。高原の寺は、人の住む所から、自ら遠く建って居た。唯凡、百人の僧俗が、寺中に起き伏して居る。其すら、引き続く供養饗宴の疲れで、今日はまだ、遅い朝を、姿すら見せずにいる。
その女人は、日に向ってひたすら輝く伽藍の廻りを、残りなく歩いた。寺の南境は、み墓山の裾から、東へ出ている長い崎の尽きた所に、大門はあった。其中腹と、東の鼻とに、西塔・東塔が立って居る。丘陵の道をうねりながら登った旅びとは、東の塔の下に出た。雨の後の水気の、立って居る大和の野は、すっかり澄みきって、若昼のきらきらしい景色になって居る。右手の目の下に、集中して見える丘陵は傍岡で、ほのぼのと北へ流れて行くのが、葛城川だ。平原の真中に、旅笠を伏せたように見える遠い小山は、耳無の山であった。其右に高くつっ立っている深緑は、畝傍山。更に遠く日を受けてきらつく水面は、埴安の池ではなかろうか。其東に平たくて低い背を見せるのは、聞えた香具山なのだろう。旅の女子の目は、山々の姿を、一つ一つに辿っている。天香具山をあれだと考えた時、あの下が、若い父母の育った、其から、叔父叔母、又一族の人々の、行き来した、藤原の里なのだ。
もう此上は見えぬ、と知れて居ても、ひとりで、爪先立てて伸び上る気持ちになって来るのが抑えきれなかった。
香具山の南の裾に輝く瓦舎は、大官大寺に違いない。其から更に真南の、山と山との間に、薄く霞んでいるのが、飛鳥の村なのであろう。父の父も、母の母も、其又父母も、皆あのあたりで生い立たれたのであろう。この国の女子に生れて、一足も女部屋を出ぬのを、美徳とする時代に居る身は、親の里も、祖先の土も、まだ踏みも知らぬ。あの陽炎の立っている平原を、此足で、隅から隅まで歩いて見たい。
こう、その女性は思うている。だが、何よりも大事なことは、此郎女――貴女は、昨日の暮れ方、奈良の家を出て、ここまで歩いて来ているのである。其も、唯のひとりでであった。
家を出る時、ほんの暫し、心を掠めた――父君がお聞きになったら、と言う考えも、もう気にはかからなくなって居る。乳母があわてて探すだろう、と言う心が起って来ても、却てほのかな、こみあげ笑いを誘う位の事になっている。
山はずっしりとおちつき、野はおだやかに畝って居る。こうして居て、何の物思いがあろう。この貴な娘御は、やがて後をふり向いて、山のなぞえについて、次第に首をあげて行った。
二上山。ああこの山を仰ぐ、言い知らぬ胸騒ぎ。――藤原・飛鳥の里々山々を眺めて覚えた、今の先の心とは、すっかり違った胸の悸き。旅の郎女は、脇目も触らず、山に見入っている。そうして、静かな思いの充ちて来る満悦を、深く覚えた。昔びとは、確実な表現を知らぬ。だが謂わば、――平野の里に感じた喜びは、過去生に向けてのものであり、今此山を仰ぎ見ての驚きは、未来世を思う心躍りだ、とも謂えよう。
塔はまだ、厳重にやらいを組んだまま、人の立ち入りを禁めてあった。でも、ものに拘泥することを教えられて居ぬ姫は、何時の間にか、塔の初重の欄干に、自分のよりかかって居るのに気がついた。そうして、しみじみと山に見入って居る。まるで瞳が、吸いこまれるように。山と自分とに繋る深い交渉を、又くり返し思い初めていた。
郎女の家は、奈良東城、右京三条第七坊にある。祖父武智麻呂のここで亡くなって後、父が移り住んでからも、大分の年月になる。父は男壮には、横佩の大将と謂われる程、一ふりの大刀のさげ方にも、工夫を凝らさずには居られぬだて者であった。なみの人の竪にさげて佩く大刀を、横えて吊る佩き方を案出した人である。新しい奈良の都の住人は、まだそうした官吏としての、華奢な服装を趣向むまでに到って居なかった頃、姫の若い父は、近代の時世装に思いを凝して居た。その家に覲ねて来る古い留学生や、新来の帰化僧などに尋ねることも、張文成などの新作の物語りの類を、問題にするようなのとも、亦違うていた。
そうした闊達な、やまとごころの、赴くままにふるもうて居る間に、才優れた族人が、彼を乗り越して行くのに気がつかなかった。姫には叔父、彼――豊成には、さしつぎの弟、仲麻呂である。その父君も、今は筑紫に居る。尠くとも、姫などはそう信じて居た。家族の半以上は、太宰帥のはなばなしい生活の装いとして、連れられて行っていた。宮廷から賜る資人・仗も、大貴族の家の門地の高さを示すものとして、美々しく著飾らされて、皆任地へついて行った。そうして、奈良の家には、その年は亦とりわけ、寂しい若葉の夏が来た。
寂かな屋敷には、響く物音もない時が、多かった。この家も世間どおりに、女部屋は、日あたりに疎い北の屋にあった。その西側に、小な蔀戸があって[#「あって」は底本では「あつて」]、其をつきあげると、方三尺位なになるように出来ている。そうして、其内側には、夏冬なしに簾が垂れてあって、戸のあげてある時は、外からの隙見を禦いだ。
それから外廻りは、家の広い外郭になって居て、大炊屋もあれば、湯殿火焼き屋なども、下人の住いに近く、立っている。苑と言われる菜畠や、ちょっとした果樹園らしいものが、女部屋の窓から見える、唯一の景色であった。
武智麻呂存生の頃から、此屋敷のことを、世間では、南家と呼び慣わして来ている。此頃になって、仲麻呂の威勢が高まって来たので、何となく其古い通称は、人の口から薄れて、其に替る称えが、行われ出した様だった。三条七坊をすっかり占めた大屋敷を、一垣内――一字と見倣して、横佩墻内と言う者が、著しく殖えて来たのである。
その太宰府からの音ずれが、久しく絶えたと思っていたら、都とは目と鼻の難波に、いつか還り住んで、遥かに筑紫の政を聴いていた帥の殿であった。其父君から遣された家の子が、一車に積み余るほどな家づとを、家に残った家族たち殊に、姫君にと言ってはこんで来た。
山国の狭い平野に、一代一代都遷しのあった長い歴史の後、ここ五十年、やっと一つ処に落ちついた奈良の都は、其でもまだ、なかなか整うまでには、行って居なかった。
官庁や、大寺が、にょっきりにょっきり、立っている外は、貴族の屋敷が、処々むやみに場をとって、その相間相間に、板屋や瓦屋が、交りまじりに続いている。其外は、広い水田と、畠と、存外多い荒蕪地の間に、人の寄りつかぬ塚や岩群が、ちらばって見えるだけであった。兎や、狐が、大路小路を駆け廻る様なのも、毎日のこと。つい此頃も、朱雀大路の植え木の梢を、夜になると、鼠が飛び歩くと言うので、一騒ぎした位である。
横佩家の郎女が、称讃浄土仏摂受経を写しはじめたのも、其頃からであった。父の心づくしの贈り物の中で、一番、姫君の心を饒やかにしたのは、此新訳の阿弥陀経一巻であった。
国の版図の上では、東に偏り過ぎた山国の首都よりも、太宰府は、遥かに開けていた。大陸から渡る新しい文物は、皆一度は、この遠の宮廷領を通過するのであった。唐から渡った書物などで、太宰府ぎりに、都まで出て来ないものが、なかなか多かった。
学問や、芸術の味いを知り初めた志の深い人たちは、だから、大唐までは望まれぬこと、せめて太宰府へだけはと、筑紫下りを念願するほどであった。
南家の郎女の手に入った称讃浄土経も、大和一国の大寺と言う大寺に、まだ一部も蔵せられて居ぬものであった。
姫は、蔀戸近くに、時としては机を立てて、写経をしていることもあった。夜も、侍女たちを寝静まらしてから、油火の下で、一心不乱に書き写して居た。
百部は、夙くに写し果した。その後は、千部手写の発願をした。冬は春になり、夏山と繁った春日山も、既に黄葉して、其がもう散りはじめた。蟋蟀は、昼も苑一面に鳴くようになった。佐保川の水を堰き入れた庭の池には、遣り水伝いに、川千鳥の啼く日すら、続くようになった。
今朝も、深い霜朝を、何処からか、鴛鴦の夫婦鳥が来て浮んで居ります、と童女が告げた。
五百部を越えた頃から、姫の身は、目立ってやつれて来た。ほんの纔かの眠りをとる間も、ものに驚いて覚めるようになった。其でも、八百部の声を聞く時分になると、衰えたなりに、健康は定まって来たように見えた。やや蒼みを帯びた皮膚に、心もち細って見える髪が、愈々黒く映え出した。
八百八十部、九百部。郎女は侍女にすら、ものを言うことを厭うようになった。そうして、昼すら何か夢見るような目つきして、うっとり蔀戸ごしに、西の空を見入って居るのが、皆の注意をひくほどであった。
実際、九百部を過ぎてからは筆も一向、はかどらなくなった。二十部・三十部・五十部。心ある女たちは、文字の見えない自身たちのふがいなさを悲しんだ。郎女の苦しみを、幾分でも分けることが出来ように、と思うからである。
南家の郎女が、宮から召されることになるだろうと言う噂が、京・洛外に広がったのも、其頃である。屋敷中の人々は、上近く事える人たちから、垣内の隅に住む奴隷・婢奴の末にまで、顔を輝かして、此とり沙汰を迎えた。でも姫には、誰一人其を聞かせる者がなかった。其ほど、此頃の郎女は気むつかしく、外目に見えていたのである。
千部手写の望みは、そうした大願から立てられたものだろう、と言う者すらあった。そして誰ひとり、其を否む者はなかった。
南家の姫の美しい膚は、益々透きとおり、潤んだ目は、愈々大きく黒々と見えた。そうして、時々声に出して誦する経の文が、物の音に譬えようもなく、さやかに人の耳に響く。聞く人は皆、自身の耳を疑うた。
去年の春分の日の事であった。入り日の光りをまともに受けて、姫は正座して、西に向って居た。日は、此屋敷からは、稍坤によった遠い山の端に沈むのである。西空の棚雲の紫に輝く上で、落日は俄かに転き出した。その速さ。雲は炎になった。日は黄金の丸になって、その音も聞えるか、と思うほど鋭く廻った。雲の底から立ち昇る青い光りの風――、姫は、じっと見つめて居た。やがて、あらゆる光りは薄れて、雲は霽れた。夕闇の上に、目を疑うほど、鮮やかに見えた山の姿。二上山である。その二つの峰の間に、ありありと荘厳な人の俤が、瞬間顕れて消えた。後は、真暗な闇の空である。山の端も、雲も何もない方に、目を凝して、何時までも端坐して居た。郎女の心は、其時から愈々澄んだ。併し、極めて寂しくなり勝って行くばかりである。
ゆくりない日が、半年の後に再来て、姫の心を無上の歓喜に引き立てた。其は、同じ年の秋、彼岸中日の夕方であった。姫は、いつかの春の日のように、坐していた。朝から、姫の白い額の、故もなくひよめいた長い日の、後である。二上山の峰を包む雲の上に、中秋の日の爛熟した光りが、くるめき出したのである。雲は火となり、日は八尺の鏡と燃え、青い響きの吹雪を、吹き捲く嵐――。
雲がきれ、光りのしずまった山の端は細く金の外輪を靡かして居た。其時、男岳・女岳の峰の間に、ありありと浮き出た 髪 頭 肩 胸――。
姫は又、あの俤を見ることが、出来たのである。
南家の郎女の幸福な噂が、春風に乗って来たのは、次の春である。姫は別様の心躍りを、一月も前から感じて居た。そうして、日を数り初めて、ちょうど、今日と言う日。彼岸中日、春分の空が、朝から晴れて、雲雀は天に翔り過ぎて、帰ることの出来ぬほど、青雲が深々とたなびいて居た。郎女は、九百九十九部を写し終えて、千部目にとりついて居た。日一日、のどかな温い春であった。経巻の最後の行、最後の字を書きあげて、ほっと息をついた。あたりは俄かに、薄暗くなって居る。目をあげて見る蔀窓の外には、しとしとと――音がしたたって居るではないか。姫は立って、手ずから簾をあげて見た。雨。
苑の青菜が濡れ、土が黒ずみ、やがては瓦屋にも、音が立って来た。
姫は、立っても坐ても居られぬ、焦躁に悶えた。併し日は、益々暗くなり、夕暮れに次いで、夜が来た。
茫然として、姫はすわって居る。人声も、雨音も、荒れ模様に加って来た風の響きも、もう、姫は聞かなかった。
七
南家の郎女の神隠しに遭ったのは、其夜であった。家人は、翌朝空が霽れ、山々がなごりなく見えわたる時まで、気がつかずに居た。横佩墻内に住む限りの者は、男も、女も、上の空になって、洛中洛外を馳せ求めた。そうした奔り人の多く見出される場処と言う場処は、残りなく捜された。春日山の奥へ入ったものは、伊賀境までも踏み込んだ。高円山の墓原も、佐紀の沼地・雑木原も、又は、南は山村、北は奈良山、泉川の見える処まで馳せ廻って、戻る者も戻る者も、皆空足を踏んで来た。
姫は、何処をどう歩いたか、覚えがない。唯家を出て、西へ西へと辿って来た。降り募るあらしが、姫の衣を濡した。姫は、誰にも教わらないで、裾を脛まであげた。風は、姫の髪を吹き乱した。姫は、いつとなく、髻をとり束ねて、襟から着物の中に、含み入れた。夜中になって、風雨が止み、星空が出た。
姫の行くてには常に、二つの峰の並んだ山の立ち姿がはっきりと聳えて居た。毛孔の竪つような畏しい声を、度々聞いた。ある時は、鳥の音であった。其後、頻りなく断続したのは、山の獣の叫び声であった。大和の内も、都に遠い広瀬・葛城あたりには、人居などは、ほんの忘れ残りのように、山陰などにあるだけで、あとは曠野。それに――本村を遠く離れた、時はずれの、人棲まぬ田居ばかりである。
片破れ月が、上って来た。其が却て、あるいている道の辺の凄さを照し出した。其でも、星明りで辿って居るよりは、よるべを覚えて、足が先へ先へと出た。月が中天へ来ぬ前に、もう東の空が、ひいわり白んで来た。
夜のほのぼの明けに、姫は、目を疑うばかりの現実に行きあった。――横佩家の侍女たちは何時も、夜の起きぬけに、一番最初に目撃した物事で、日のよしあしを、占って居るようだった。そう言う女どものふるまいに、特別に気は牽かれなかった郎女だけれど、よく其人々が、「今朝の朝目がよかったから」「何と言う情ない朝目でしょう」などと、そわそわと興奮したり、むやみに塞ぎこんだりして居るのを、見聞きしていた。
郎女は、生れてはじめて、「朝目よく」と謂った語を、内容深く感じたのである。目の前に赤々と、丹塗りに照り輝いて、朝日を反射して居るのは、寺の大門ではないか。そうして、門から、更に中門が見とおされて、此もおなじ丹塗りに、きらめいて居る。
山裾の勾配に建てられた堂・塔・伽藍は、更に奥深く、朱に、青に、金色に、光りの棚雲を、幾重にもつみ重ねて見えた。朝目のすがしさは、其ばかりではなかった。其寂寞たる光りの海から、高く抽でて見える二上の山。淡海公の孫、大織冠には曾孫。藤氏族長太宰帥、南家の豊成、其第一嬢子なる姫である。屋敷から、一歩はおろか、女部屋を膝行り出ることすら、たまさかにもせぬ、郎女のことである。順道ならば、今頃は既に、藤原の氏神河内の枚岡の御神か、春日の御社に、巫女の君として仕えているはずである。家に居ては、男を寄せず、耳に男の声も聞かず、男の目を避けて、仄暗い女部屋に起き臥ししている人である。世間の事は、何一つ聞き知りも、見知りもせぬように、おうしたてられて来た。
寺の浄域が、奈良の内外にも、幾つとあって、横佩墻内と讃えられている屋敷よりも、もっと広大なものだ、と聞いて居た。そうでなくても、経文の上に伝えた浄土の荘厳をうつすその建て物の様は想像せぬではなかった。だが目のあたり見る尊さは唯息を呑むばかりであった。之に似た驚きの経験は曾て一度したことがあった。姫は今其を思い起して居る。簡素と豪奢との違いこそあれ、驚きの歓喜は、印象深く残っている。
今の太上天皇様が、まだ宮廷の御あるじで居させられた頃、八歳の南家の郎女は、童女として、初の殿上をした。穆々たる宮の内の明りは、ほのかな香気を含んで、流れて居た。昼すら真夜に等しい、御帳台のあたりにも、尊いみ声は、昭々と珠を揺る如く響いた。物わきまえもない筈の、八歳の童女が感泣した。
「南家には、惜しい子が、女になって生れたことよ」と仰せられた、と言う畏れ多い風聞が、暫らく貴族たちの間に、くり返された。其後十二年、南家の娘は、二十になっていた。幼いからの聡さにかわりはなくて、玉・水精の美しさが益々加って来たとの噂が、年一年と高まって来る。
姫は、大門の閾を越えながら、童女殿上の昔の畏さを、追想して居たのである。長い甃道を踏んで、中門に届く間にも、誰一人出あう者がなかった。恐れを知らず育てられた大貴族の郎女は、虔しく併しのどかに、御堂御堂を拝んで、岡の東塔に来たのである。
ここからは、北大和の平野は見えぬ。見えたところで、郎女は、奈良の家を考え浮べることも、しなかったであろう。まして、家人たちが、神隠しに遭うた姫を、探しあぐんで居ようなどとは、思いもよらなかったのである。唯うっとりと、塔の下から近々と仰ぐ、二上山の山肌に、現し世の目からは見えぬ姿を惟い観ようとして居るのであろう。
此時分になって、寺では、人の動きが繁くなり出した。晨朝の勤めの間も、うとうとして居た僧たちは、爽やかな朝の眼をいて、食堂へ降りて行った。奴婢は、其々もち場持ち場の掃除を励む為に、ようべの雨に洗ったようになった、境内の沙地に出て来た。
そこにござるのは、どなたぞな。
岡の陰から、恐る恐る頭をさし出して問うた一人の寺奴は、あるべからざる事を見た様に、自分自身を咎めるような声をかけた。女人の身として、這入ることの出来ぬ結界を犯していたのだった。姫は答えよう、とはせなかった。又答えようとしても、こう言う時に使う語には、馴れて居ぬ人であった。
若し又、適当な語を知って居たにしたところで、今はそんな事に、考えを紊されては、ならぬ時だったのである。
姫は唯、山を見ていた。依然として山の底に、ある俤を観じ入っているのである。寺奴は、二言とは問いかけなかった。一晩のさすらいでやつれては居ても、服装から見てすぐ、どうした身分の人か位の判断は、つかぬ筈はなかった。又暫らくして、四五人の跫音が、びたびたと岡へ上って来た。年のいったのや、若い僧たちが、ばらばらと走って、塔のやらいの外まで来た。
ここまで出て御座れ。そこは、男でも這入るところではない。女人は、とっとと出てお行きなされ。
姫は、やっと気がついた。そうして、人とあらそわぬ癖をつけられた貴族の家の子は、重い足を引きながら、竹垣の傍まで来た。
見れば、奈良のお方そうなが、どうして、そんな処にいらっしゃる。
それに又、どうして、ここまでお出でだった。伴の人も連れずに――。
口々に問うた。男たちは、咎める口とは別に、心はめいめい、貴い女性をいたわる気持ちになって居た。
山をおがみに……。
まことに唯一詞。当の姫すら思い設けなんだ詞が、匂うが如く出た。貴族の家庭の語と、凡下の家々の語とは、すっかり変って居た。だから言い方も、感じ方も、其うえ、語其ものさえ、郎女の語が、そっくり寺の所化輩には、通じよう筈がなかった。
でも其でよかったのである。其でなくて、語の内容が、其まま受けとられようものなら、南家の姫は、即座に気のふれた女、と思われてしまったであろう。
それで、御館はどこぞな。
みたち……。
おうちは……。
おうち……。
おやかたは、と問うのだよ――。
おお。家はとや。右京藤原南家……。
俄然として、群集の上にざわめきが起った。四五人だったのが、あとから後から登って来た僧たちも加って、二十人以上にもなって居た。其が、口々に喋り出したものである。
ようべの嵐に、まだ残りがあったと見えて、日の明るく照って居る此小昼に、又風が、ざわつき出した。この岡の崎にも、見おろす谷にも、其から二上山へかけての尾根尾根にも、ちらほら白く見えて、花の木がゆすれて居る。山の此方にも小桜の花が、咲き出したのである。
此時分になって、奈良の家では、誰となく、こんな事を考えはじめていた。此はきっと、里方の女たちのよくする、春の野遊びに出られたのだ。――何時からとも知らぬ、習しである。春秋の、日と夜と平分する其頂上に当る日は、一日、日の影を逐うて歩く風が行われて居た。どこまでもどこまでも、野の果て、山の末、海の渚まで、日を送って行く女衆が多かった。そうして、夜に入ってくたくたになって、家路を戻る。此為来りを何時となく、女たちの咄すのを聞いて、姫が、女の行として、この野遊びをする気になられたのだ、と思ったのである。こう言う、考えに落ちつくと、ありようもない考えだと訣って居ても、皆の心が一時、ほうと軽くなった。
ところが、其日も昼さがりになり、段々夕光の、催して来る時刻が来た。昨日は、駄目になった日の入りの景色が、今日は中日にも劣るまいと思われる華やかさで輝いた。横佩家の人々の心は、再重くなって居た。
八
奈良の都には、まだ時おり、石城と謂われた石垣を残して居る家の、見かけられた頃である。度々の太政官符で、其を家の周りに造ることが、禁ぜられて来た。今では、宮廷より外には、石城を完全にとり廻した豪族の家などは、よくよくの地方でない限りは、見つからなくなって居る筈なのである。
其に一つは、宮廷の御在所が、御一代御一代に替って居た千数百年の歴史の後に、飛鳥の都は、宮殿の位置こそ、数町の間をあちこちせられたが、おなじ山河一帯の内にあった。其で凡、都遷しのなかった形になったので、後から後から地割りが出来て、相応な都城の姿は備えて行った。其数朝の間に、旧族の屋敷は、段々、家構えが整うて来た。
葛城に、元のままの家を持って居て、都と共に一代ぎりの、屋敷を構えて居た蘇我臣なども、飛鳥の都では、次第に家作りを拡げて行って、石城なども高く、幾重にもとり廻して、凡永久の館作りをした。其とおなじ様な気持ちから、どの氏でも、大なり小なり、そうした石城づくりの屋敷を構えるようになって行った。
蘇我臣一流れで最栄えた島の大臣家の亡びた時分から、石城の構えは禁められ出した。
この国のはじまり、天から授けられたと言う、宮廷に伝わる神の御詞に背く者は、今もなかった。が、書いた物の力は、其が、どのように由緒のあるものでも、其ほどの威力を感じるに到らぬ時代が、まだ続いて居た。
其飛鳥の都も、高天原広野姫尊様の思召しで、其から一里北の藤井个原に遷され、藤原の都と名を替えて、新しい唐様の端正しさを尽した宮殿が、建ち並ぶ様になった。近い飛鳥から、新渡来の高麗馬に跨って、馬上で通う風流士もあるにはあったが、多くはやはり、鷺栖の阪の北、香具山の麓から西へ、新しく地割りせられた京城の坊々に屋敷を構え、家造りをした。その次の御代になっても、藤原の都は、日に益し、宮殿が建て増されて行って、ここを永宮と遊ばす思召しが、伺われた。その安堵の心から、家々の外には、石城を廻すものが、又ぼつぼつ出て来た。そうして、そのはやり風俗が、見る見るうちに、また氏々の族長の家囲いを、あらかた石にしてしまった。その頃になって、天真宗豊祖父尊様がおかくれになり、御母 日本根子天津御代豊国成姫の大尊様がお立ち遊ばした。その四年目思いもかけず、奈良の都に宮遷しがあった。ところがまるで、追っかけるように、藤原の宮は固より、目ぬきの家並みが、不意の出火で、其こそ、あっと言う間に、痕形もなく、空の有となってしまった。もう此頃になると、太政官符に、更に厳しい添書がついて出ずとも、氏々の人は皆、目の前のすばやい人事自然の交錯した転変に、目を瞠るばかりであったので、久しい石城の問題も、其で、解決がついて行った。
古い氏種姓を言い立てて、神代以来の家職の神聖を誇った者どもは、其家職自身が、新しい藤原奈良の都には、次第に意味を失って来ている事に、気がついて居なかった。
最早くそこに心づいた、姫の祖父淡海公などは、古き神秘を誇って来た家職を、末代まで伝える為に、別に家を立てて中臣の名を保とうとした。そうして、自分・子供ら・孫たちと言う風に、いちはやく、新しい官人の生活に入り立って行った。
ことし、四十を二つ三つ越えたばかりの大伴家持は、父旅人の其年頃よりは、もっと優れた男ぶりであった。併し、世の中はもう、すっかり変って居た。見るもの障るもの、彼の心を苛つかせる種にならぬものはなかった。淡海公の、小百年前に実行して居る事に、今はじめて自分の心づいた鈍ましさが、憤らずに居られなかった。そうして、自分とおなじ風の性向の人の成り行きを、まざまざ省みて、慄然とした。現に、時に誇る藤原びとでも、まだ昔風の夢に泥んで居た南家の横佩右大臣は、さきおととし、太宰員外帥に貶されて、都を離れた。そうして今は、難波で謹慎しているではないか。自分の親旅人も、三十年前に踏んだ道である。
世間の氏上家の主人は、大方もう、石城など築き廻して、大門小門を繋ぐと謂った要害と、装飾とに、興味を失いかけて居るのに、何とした自分だ。おれはまだ現に、出来るなら、宮廷のお目こぼしを頂いて、石に囲われた家の中で、家の子どもを集め、氏人たちを召びつどえて、弓場に精励させ、棒術・大刀かきに出精させよう、と謂ったことを空想して居る。そうして年々頻繁に、氏神其外の神々を祭っている。其度毎に、家の語部大伴語造の嫗たちを呼んで、之に捉え処もない昔代の物語りをさせて、氏人に傾聴を強いて居る。何だか、空な事に力を入れて居たように思えてならぬ寂しさだ。
だが、其氏神祭りや、祭りの後宴に、大勢の氏人の集ることは、とりわけやかましく言われて来た、三四年以来の法度である。
こんな溜め息を洩しながら、大伴氏の旧い習しを守って、どこまでも、宮廷守護の為の武道の伝襲に、努める外はない家持だったのである。
越中守として踏み歩いた越路の泥のかたが、まだ行縢から落ちきらぬ内に、もう復、都を離れなければならぬ時の、迫って居るような気がして居た。其中、此針の筵の上で、兵部少輔から、大輔に昇進した。そのことすら、益々脅迫感を強める方にばかりはたらいた。今年五月にもなれば、東大寺の四天王像の開眼が行われる筈で、奈良の都の貴族たちには、すでに寺から内見を願って来て居た。そうして、忙しい世の中にも、暫らくはその評判が、すべてのいざこざをおし鎮める程に、人の心を浮き立たした。本朝出来の像としてはまず、此程物凄い天部の姿を拝んだことは、はじめてだ、と言うものもあった。神代の荒神たちも、こんな形相でおありだったろう、と言う噂も聞かれた。
まだ公の供養もすまぬのに、人の口はうるさいほど、頻繁に流説をふり撒いていた。あの多聞天と、広目天との顔つきに、思い当るものがないか、と言うのであった。此はここだけの咄だよ、と言って話したのが、次第に広まって、家持の耳までも聞えて来た。なるほど、憤怒の相もすさまじいにはすさまじいが、あれがどうも、当今大倭一だと言われる男たちの顔、そのままだと言うのである。貴人は言わぬ、こう言う種類の噂は、えて供をして見て来た道々の博士たちと謂った、心蔑しいものの、言いそうな事である。
多聞天は、大師藤原恵美中卿だ。あの柔和な、五十を越してもまだ、三十代の美しさを失わぬあの方が、近頃おこりっぽくなって、よく下官や、仕え人を叱るようになった。あの円満し人が、どうしてこんな顔つきになるだろう、と思われる表情をすることがある。其面もちそっくりだ、と尤らしい言い分なのである。
そう言えば、あの方が壮盛りに、棒術を嗜んで、今にも事あれかしと謂った顔で、立派な甲をつけて、のっしのっしと長い物を杖いて歩かれたお姿が、あれを見ていて、ちらつくようだなど、と相槌をうつ者も出て来た。
其では、広目天の方はと言うと、
さあ、其がの――。
と誰に言わせても、ちょっと言い渋るように、困った顔をして見せる。
実は、ほんの人の噂だがの。噂だから、保証は出来ぬがの。義淵僧正の弟子の道鏡法師に、似てるぞなと言うがや。……けど、他人に言わせると、――あれはもう、二十幾年にもなるかいや――筑紫で伐たれなされた前太宰少弐―藤原広嗣―の殿に生写しじゃ、とも言うがいよ。
わしには、どちらとも言えんがの。どうでも、見たことのあるお人に似て居さっしゃるには、似ていさっしゃるげなが……。
何しろ、此二つの天部が、互に敵視するような目つきで、睨みあって居る。噂を気にした住侶たちが、色々に置き替えて見たが、どの隅からでも、互に相手の姿を、眦を裂いて見つめて居る。とうとうあきらめて、自然にとり沙汰の消えるのを待つより為方がない、と思うようになったと言う。
若しや、天下に大乱でも起らなければええが――。
こんなきは、何時までも続きそうに、時と共に倦まずに語られた。
前少弐殿でなくて、弓削新発意の方であってくれれば、いっそ安心だがなあ。あれなら、事を起しそうな房主でもなし。起したくても、起せる身分でもないじゃまで――。
言いたい傍題な事を言って居る人々も、たった此一つの話題を持ちあぐね初めた頃、噂の中の大師恵美朝臣の姪の横佩家の郎女が、神隠しに遭うたと言う、人の口の端に、旋風を起すような事件が、湧き上ったのである。
九
兵部大輔大伴家持は、偶然この噂を、極めて早く耳にした。ちょうど、春分から二日目の朝、朱雀大路を南へ、馬をやって居た。二人ばかりの資人が徒歩で、驚くほどに足早について行く。此は、晋唐の新しい文学の影響を、受け過ぎるほど享け入れた文人かたぎの彼には、数年来珍しくもなくなった癖である。こうして、何処まで行くのだろう。唯、朱雀の並み木の柳の花がほほけて、霞のように飛んで居る。向うには、低い山と、細長い野が、のどかに陽炎うばかりである。資人の一人が、とっとと追いついて来たと思うと、主人の鞍に顔をおしつける様にして、新しい耳を聞かした。今行きすごうた知り人の口から、聞いたばかりの噂である。
それで、何か――。娘御の行くえは知れた、と言うのか。
はい……。いいえ。何分、その男がとり急いで居りまして。
この間抜け。話はもっと上手に聴くものだ。
柔らかく叱った。そこへ今一人の伴が、追いついて来た。息をきらしている。
ふん。汝は聞き出したね。南家の嬢子は、どうなった――。
出端に油かけられた資人は、表情に隠さず心の中を表した此頃の人の、自由な咄し方で、まともに鼻を蠢して語った。
当麻の邑まで、おととい夜の中に行って居たこと、寺からは、昨日午後横佩墻内へ知らせが届いたこと其外には、何も聞きこむ間のなかったことまで。家持の聯想は、環のように繋って、暫らくは馬の上から見る、街路も、人通りも、唯、物として通り過ぎるだけであった。
南家で持って居た藤原の氏上職が、兄の家から、弟仲麻呂―押勝―の方へ移ろうとしている。来年か、再来年の枚岡祭りに、参向する氏人の長者は、自然かの大師のほか、人がなくなって居る。恵美家からは、嫡子久須麻呂の為、自分の家の第一嬢子をくれとせがまれて居る。先日も、久須麻呂の名の歌が届き、自分の方でも、娘に代って返し歌を作って遣した。今朝も今朝、又折り返して、男からの懸想文が、来ていた。
その壻候補の父なる人は、五十になっても、若かった頃の容色に頼む心が失せずにいて、兄の家娘にも執心は持って居るが、如何に何でも、あの郎女だけには、とり次げないで居る。此は、横佩家へも出入りし、大伴家へも初中終来る古刀自の、人のわるい内証話であった。其を聞いて後、家持自身も、何だか好奇心に似たものが、どうかすると頭を擡げて来て困った。仲麻呂は今年、五十を出ている。其から見れば、ひとまわりも若いおれなどは、思い出にもう一度、此匂やかな貌花を、垣内の坪苑に移せぬ限りはない。こんな当時の男が、皆持った心おどりに、はなやいだ、明るい気がした。
だが併し、あの郎女は、藤原四家の系統で一番、神さびたたちを持って生れた、と謂われる娘御である。今、枚岡の御神に仕えて居る斎き姫の罷める時が来ると、あの嬢子が替って立つ筈だ。其で、貴い所からのお召しにも応じかねて居るのだ。……結局、誰も彼も、あきらめねばならぬ時が来るのだ。神の物は、神の物――。横佩家の娘御は、神の手に落ちつくのだろう。
ほのかな感傷が、家持の心を浄めて過ぎた。おれは、どうもあきらめが、よ過ぎる。十を出たばかりの幼さで、母は死に、父は疾んで居る太宰府へ降って、夙くから、海の彼方の作り物語りや、唐詩のおかしさを知り初めたのが、病みつきになったのだ。死んだ父も、そうした物は、或は、おれよりも嗜きだったかも知れぬほどだが、もっと物に執著が深かった。現に、大伴の家の行く末の事なども、父はあれまで、心を悩まして居た。おれも考えれば、たまらなくなって来る。其で、氏人を集めて喩したり、歌を作って訓諭して見たりする。だがそうした後の気持ちの爽やかさは、どうしたことだ。洗い去った様に、心が、すっとしてしまうのだった。まるで、初めから家の事など考えて居なかった、とおなじすがすがしい心になってしまう。
あきらめと言う事を、知らなかった人ばかりではないか。……昔物語りに語られる神でも、人でも、傑れた、と伝えられる限りの方々は――。それに、おれはどうしてこうだろう。
家持の心は併し、こんなに悔恨に似た心持ちに沈んで居るに繋らず、段々気にかかるものが、薄らぎ出して来ている。
ほう これは、京極まで来た。
朱雀大路も、ここまで来ると、縦横に通る地割りの太い路筋ばかりが、白々として居て、どの区画にも区画にも、家は建って居ない。去年の草の立ち枯れたのと、今年生えて稍茎を立て初めたのとがまじりあって、屋敷地から喰み出し、道の上までも延びて居る。
こんな家が――。
驚いたことは、そんな草原の中に、唯一つ大きな構えの家が、建ちかかって居る。遅い朝を、もう余程、今日の為事に這入ったらしい木の道の者たちが、骨組みばかりの家の中で、立ちはたらいて居るのが見える。家の建たぬ前に、既に屋敷廻りの地形が出来て、見た目にもさっぱりと、垣をとり廻して居る。土を積んで、石に代えた垣、此頃言い出した築土垣というのは、此だな、と思って、じっと目をつけて居た。見る見る、そうした新しい好尚のおもしろさが、家持の心を奪うてしまった。
築土垣の処々に、きりあけた口があって、其に、門が出来て居た。そうして、其処から、頻りに人が繋っては出て来て、石を曳く。木を搬つ。土を搬び入れる。重苦しい石城。懐しい昔構え。今も、家持のなくなしたくなく考えている屋敷廻りの石垣が、思うてもたまらぬ重圧となって、彼の胸に、もたれかかって来るのを感じた。
おれには、だが、この築土垣を択ることが出来ぬ。
家持の乗馬は再、憂鬱に閉された主人を背に、引き返して、五条まで上って来た。此辺から、右京の方へ折れこんで、坊角を廻りくねりして行く様子は、此主人に馴れた資人たちにも、胸の測られぬ気を起させた。二人は、時々顔を見合せ、目くばせをしながら尚、了解が出来ぬ、と言うような表情を交しかわし、馬の後を走って行く。
こんなにも、変って居たのかねえ。
ある坊角に来た時、馬をぴたと止めて、独り言のように言った。
……旧草に 新草まじり、生ひば 生ふるかに――だな。
近頃見つけた歌所の古記録「東歌」の中に見た一首がふと、此時、彼の言いたい気持ちを、代作して居てくれていたように、思い出された。
そうだ。「おもしろき野をば 勿焼きそ」だ。此でよいのだ。
けげんな顔を仰けている伴人らに、柔和な笑顔を向けた。
そうは思わぬか。立ち朽りになった家の間に、どしどし新しい屋敷が出来て行く。都は何時までも、家は建て詰まぬが、其でもどちらかと謂えば、減るよりも殖えて行っている。此辺は以前、今頃になると、蛙めの、あやまりたい程鳴く田の原が、続いてたもんだ。
仰るとおりで御座ります。春は蛙、夏はくちなわ、秋は蝗まろ。此辺はとても、歩けたところでは、御座りませんでした。
今一人が言う。
建つ家もたつ家も、この立派さは、まあどうで御座りましょう。其に、どれも此も、此頃急にはやり出した築土垣を築きまわしまして。何やら、以前とはすっかり変った処に、参った気が致します。
馬上の主人も、今まで其ばかり考えて居た所であった。だが彼の心は、瞬間明るくなって、先年三形王の御殿での宴に誦んだ即興が、その時よりも、今はっきりと内容を持って、心に浮んで来た。
うつり行く時見る毎に、心疼く 昔の人し 思ほゆるかも
目をあげると、東の方春日の杜は、谷陰になって、ここからは見えぬが、御蓋山・高円山一帯、頂が晴れて、すばらしい春日和になって居た。
あきらめがさせるのどけさなのだ、とすぐ気がついた。でも、彼の心のふさぎのむしは迹を潜めて、唯、まるで今歩いているのが、大日本平城京の土ではなく、大唐長安の大道の様な錯覚の起って来るのが押えきれなかった。此馬がもっと、毛並みのよい純白の馬で、跨って居る自身も亦、若々しい二十代の貴公子の気がして来る。神々から引きついで来た、重苦しい家の歴史だの、夥しい数の氏人などから、すっかり截り離されて、自由な空にかけって居る自分ででもあるような、豊かな心持ちが、暫らくは払っても払っても、消えて行かなかった。
おれは若くもなし。第一、海東の大日本人である。おれには、憂鬱な家職が、ひしひしと、肩のつまるほどかかって居るのだ。こんなことを考えて見ると、寂しくてはかない気もするが、すぐに其は、自身と関係のないことのように、心は饒わしく和らいで来て、為方がなかった。
おい、汝たち。大伴氏上家も、築土垣を引き廻そうかな。
とんでもないことを仰せられます。
二人の声が、おなじ感情から迸り出た。
年の増した方の資人が、切実な胸を告白するように言った。
私どもは、御譜第では御座りません。でも、大伴と言うお名は、御門御垣と、関係深い称えだ、と承って居ります。大伴家からして、門垣を今様にする事になって御覧じませ。御一族の末々まで、あなた様をお呪い申し上げることでおざりましょう。其どころでは、御座りません。第一、ほかの氏々――大伴家よりも、ぐんと歴史の新しい、人の世になって初まった家々の氏人までが、御一族を蔑に致すことになりましょう。
こんな事を言わして置くと、折角澄みかかった心も、又曇って来そうな気がする。家持は忙てて、資人の口を緘めた。
うるさいぞ。誰に言う語だと思うて、言うて居るのだ。やめぬか。雑談だ。雑談を真に受ける奴が、あるものか。
馬はやっぱり、しっとしっとと、歩いて居た。築土垣 築土垣。又、築土垣。こんなに何時の間に、家構えが替って居たのだろう。家持は、なんだか、晩かれ早かれ、ありそうな気のする次の都――どうやらこう、もっとおっぴらいた平野の中の新京城にでも、来ているのでないかと言う気が、ふとしかかったのを、危く喰いとめた。
築土垣 築土垣。もう、彼の心は動かなくなった。唯、よいとする気持ちと、よくないと思おうとする意思との間に、気分だけが、あちらへ寄りこちらへよりしているだけであった。
何時の間にか、平群の丘や、色々な塔を持った京西の寺々の見渡される、三条辺の町尻に来て居ることに気がついた。
これはこれは。まだここに、残っていたぞ。
珍しい発見をしたように、彼は馬から身を翻しておりた。二人の資人はすぐ、馳け寄って手綱を控えた。
家持は、門と門との間に、細かい柵をし囲らし、目隠しに枳殻の叢生を作った家の外構えの一個処に、まだ石城が可なり広く、人丈にあまる程に築いてあるそばに、近寄って行った。
荒れては居るが、ここは横佩墻内だ。
そう言って、暫らく息を詰めるようにして、石垣の荒い面を見入って居た。
そうに御座ります。此石城からしてついた名の、横佩墻内だと申しますとかで、せめて一ところだけは、と強いてとり毀たないとか申します。何分、帥の殿のお都入りまでは、何としても、此儘で置くので御座りましょう。さように、人が申し聞けました。はい。
何時の間にか、三条七坊まで来てしまっていたのである。
おれは、こんな処へ来ようと言う考えはなかったのに――。だが、やっぱり、おれにはまだまだ、若い色好みの心が、失せないで居るぞ。何だか、自分で自分をなだめる様な、反省らしいものが出て来た。
其にしても、静か過ぎるではないか。
さようで。で御座りますが、郎女のお行くえも知れ、乳母もそちらへ行ったとか、今も人が申しましたから、落ちついたので御座りましょう。
詮索ずきそうな顔をした若い方が、口を出す。
いえ。第一、こんな場合は、騒ぐといけません。騒ぎにつけこんで、悪い魂や、霊が、うようよとつめかけて来るもので御座ります。この御館も、古いおところだけに、心得のある長老の一人や、二人は、難波へも下らずに、留守に居るので御座りましょう。
もうよいよい。では戻ろう。
十
おとめの閨戸をおとなう風は、何も、珍しげのない国中の為来りであった。だが其にも、曾てはそうした風の、一切行われて居なかったことを、主張する村々があった。何時のほどにか、そうした村が、他村の、別々に守って来た風習と、その古い為来りとをふり替えることになったのだ、と言う。かき上る段になれば、何の雑作もない石城だけれど、あれを大昔からとり廻して居た村と、そうでない村とがあった。こんな風に、しかつめらしい説明をする宿老たちが、どうかすると居た。多分やはり、語部などの昔語りから、来た話なのであろう。踏み越えても這入れ相に見える石垣だが、大昔交された誓いで、目に見えぬ鬼神から、人間に到るまで、あれが形だけでもある限り、入りこまぬ事になっている。こんな約束が、人と鬼との間にあって後、村々の人は、石城の中に、ゆったりと棲むことが出来る様になった。そうでない村々では、何者でも、垣を躍り越えて這入って来る。其は、別の何かの為方で、防ぐ外はなかった。祭りの夜でなくても、村なかの男は何の憚りなく、垣を踏み越えて処女の蔀戸をほとほとと叩く。石城を囲うた村には、そんなことは、一切なかった。だから、美し女の家に、奴隷になって住みこんだ古の貴びともあった。娘の父にこき使われて、三年五年、いつか処女に会われよう、と忍び過した、身にしむ恋物語りもあるくらいだ。石城を掘り崩すのは、何処からでも鬼神に入りこんで来い、と呼びかけるのと同じことだ。京の年よりにもあったし、田舎の村々では、之を言い立てに、ちっとでも、石城を残して置こうと争うた人々が、多かったのである。
そう言う家々では、実例として恐しい証拠を挙げた。卅年も昔、――天平八年厳命が降って、何事も命令のはかばかしく行われぬのは、朝臣が先って行わぬからである。汝等進んで、石城を毀って、新京の時世装に叶うた家作りに改めよと、仰せ下された。藤氏四流の如き、今に旧態を易えざるは、最其位に在るを顧みざるものぞ、とお咎めが降った。此時一度、凡、石城はとり毀たれたのである。ところが、其と時を同じくして、疱瘡がはやり出した。越えて翌年、益々盛んになって、四月北家を手初めに、京家・南家と、主人から、まず此時疫に亡くなって、八月にはとうとう、式家の宇合卿まで仆れた。家に、防ぐ筈の石城が失せたからだと、天下中の人が騒いだ。其でまた、とり壊した家も、ぼつぼつ旧に戻したりしたことであった。
こんなすさまじい事も、あって過ぎた夢だ。けれどもまだ、まざまざと人の心に焼きついて離れぬ、現の恐しさであった。
其は其として、昔から家の娘を守った邑々も、段々えたいの知れぬ村の風に感染けて、忍び夫の手に任せ傍題にしようとしている。そうした求婚の風を伝えなかった氏々の間では、此は、忍び難い流行であった。其でも男たちは、のどかな風俗を喜んで、何とも思わぬようになった。が、家庭の中では、母・妻・乳母たちが、いまだにいきり立って、そうした風儀になって行く世間を、呪いやめなかった。
手近いところで言うても、大伴宿禰にせよ。藤原朝臣にせよ。そう謂う妻どいの式はなくて、数十代宮廷をめぐって、仕えて来た邑々のあるじの家筋であった。
でも何時か、そうした氏々の間にも、妻迎えの式には、
八千矛の神のみことは、とほ/″\し、高志の国に、美し女をありと聞かして、賢し女をありと聞して……
から謡い起す神語歌を、語部に歌わせる風が、次第にひろまって来るのを、防ぎとめることが出来なくなって居た。
南家の郎女にも、そう言う妻覓ぎ人が――いや人群が、とりまいて居た。唯、あの型ばかり取り残された石城の為に、何だか屋敷へ入ることが、物忌み――たぶう――を犯すような危殆な心持ちで、誰も彼も、柵まで又、門まで来ては、かいまみしてひき還すより上の勇気が、出ぬのであった。
通わせ文をおこすだけが、せめてものてだてで、其さえ無事に、姫の手に届いて、見られていると言う、自信を持つ人は、一人としてなかった。事実、大抵、女部屋の老女たちが、引ったくって渡させなかった。そうした文のとりつぎをする若人―若女房―を呼びつけて、荒けなく叱って居る事も、度々見かけられた。
其方は、この姫様こそ、藤原の氏神にお仕え遊ばす、清らかな常処女と申すのだ、と言うことを知らぬのかえ。神の咎めを憚るがええ。宮から恐れ多いお召しがあってすら、ふつにおいらえを申しあげぬのも、それ故だとは考えつかぬげな。やくたい者。とっとと失せたがよい。そんな文とりついだ手を、率川の一の瀬で浄めて来くさろう。罰知らずが……。
こんな風に、わなりつけられた者は、併し、二人や三人ではなかった。横佩家の女部屋に住んだり、通うたりしている若人は、一人残らず一度は、経験したことだと謂っても、うそではなかった。
だが、郎女は、ついに一度そんな事のあった様子も、知らされずに来た。
上つ方の郎女が、才をお習い遊ばすと言うことが御座りましょうか。それは近代、ずっと下ざまのおなごの致すことと承ります。父君がどう仰ろうとも、父御様のお話は御一代。お家の習しは、神さまの御意趣、とお思いつかわされませ。
氏の掟の前には、氏上たる人の考えをすら、否みとおす事もある姥たちであった。
其老女たちすら、郎女の天稟には、舌を捲きはじめて居た。
もう、自身たちの教えることものうなった。
こう思い出したのは、数年も前からである。内に居る、身狭乳母・桃花鳥野乳母・波田坂上刀自、皆故知らぬ喜びの不安から、歎息し続けていた。時々伺いに出る中臣志斐嫗・三上水凝刀自女なども、来る毎、目を見合せて、ほうっとした顔をする。どうしよう、と相談するような人たちではない。皆無言で、自分等の力の及ばぬ所まで来た、姫の魂の成長にあきれて、目をみはるばかりなのだ。
才を習うなと言うなら、まだ聞きも知らぬこと、教えて賜れ。
素直な郎女の求めも、姥たちにとっては、骨を刺しとおされるような痛さであった。
何を仰せられまする。以前から、何一つお教えなど申したことがおざりましょうか。目下の者が、目上のお方さまに、お教え申すと言うような考えは、神様がお聞き届けになりません。教える者は目上、ならう者は目下、と此が、神の代からの掟でおざりまする。
志斐嫗の負け色を救う為に、身狭乳母も口を挿む。
唯知った事を申し上げるだけ。其を聞きながら、御心がお育ち遊ばす。そう思うて、姥たちも、覚えただけの事は、郎女様のみ魂を揺る様にして、歌いもし、語りもして参りました。教えたなど仰っては私めらが罰を蒙らなければなりません。
こんな事をくり返して居る間に、刀自たちにも、自分らの恃む知識に対する、単純な自覚が出て来た。此は一層、郎女の望むままに、才を習した方が、よいのではないか、と言う気が、段々して来たのである。
まことに其為には、ゆくりない事が、幾重にも重って起った。姫の帳台の後から、遠くに居る父の心尽しだったと見えて、二巻の女手の写経らしい物が出て来た。姫にとっては、肉縁はないが、曾祖母にも当る橘夫人の法華経、又其御胎にいらせられる――筋から申せば、大叔母御にもお当り遊ばす、今の皇太后様の楽毅論。此二つの巻物が、美しい装いで、棚を架いた上に載せてあった。
横佩大納言と謂われた頃から、父は此二部を、自分の魂のように大事にして居た。ちょっと出る旅にも、大きやかな箱に納めて、一人分の資人の荷として、持たせて行ったものである。其魂の書物を、姫の守りに留めておきながら、誰にも言わずにいたのである。さすがに我強い刀自たちも、此見覚えのある、美しい箱が出て来た時には、暫らく撲たれたように、顔を見合せて居た。そうして後、後で恥しかろうことも忘れて、皆声をあげて泣いたものであった。
郎女は、父の心入れを聞いた。姥たちの見る目には、併し予期したような興奮は、認められなかった。唯一途に素直に、心の底の美しさが匂い出たように、静かな、美しい眼で、人々の感激する様子を、驚いたように見まわして居た。
其からは、此二つの女手の「本」を、一心に習いとおした。偶然は友を誘くものであった。一月も立たぬ中の事である。早く、此都に移って居た飛鳥寺―元興寺―から巻数が届けられた。其には、難波にある帥の殿の立願によって、仏前に読誦した経文の名目が、書き列ねてあった。其に添えて、一巻の縁起文が、此御館へ届けられたのである。
父藤原豊成朝臣、亡父贈太政大臣七年の忌みに当る日に志を発して、書き綴った「仏本伝来記」を、其後二年立って、元興寺へ納めた。飛鳥以来、藤原氏とも関係の深かった寺なり、本尊なのである。あらゆる念願と、報謝の心を籠めたもの、と言うことは察せられる。其一巻が、どう言う訣か、二十年もたってゆくりなく、横佩家へ戻って来たのである。
郎女の手に、此巻が渡った時、姫は端近く膝行り出て、元興寺の方を礼拝した。其後で、
難波とやらは、どちらに当るかえ。
と尋ねて、示す方角へ、活き活きした顔を向けた。其目からは、珠数の珠の水精のような涙が、こぼれ出ていた。
其からと言うものは、来る日もくる日も、此元興寺の縁起文を手写した。内典・外典其上に又、大日本びとなる父の書いた文。指から腕、腕から胸、胸から又心へ、沁み沁みと深く、魂を育てる智慧の這入って行くのを、覚えたのである。
大日本日高見の国。国々に伝わるありとある歌諺、又其旧辞。第一には、中臣の氏の神語り。藤原の家の古物語り。多くの語り詞を、絶えては考え継ぐ如く、語り進んでは途切れ勝ちに、呪々しく、くねくねしく、独り語りする語部や、乳母や、嚼母たちの唱える詞が、今更めいて、寂しく胸に蘇って来る。
おお、あれだけの習しを覚える、ただ其だけで、此世に生きながらえて行かねばならぬみずからであった。
父に感謝し、次には、尊い大叔母君、其から見ぬ世の曾祖母の尊に、何とお礼申してよいか、量り知れぬものが、心にたぐり上げて来る。だがまず、父よりも誰よりも、御礼申すべきは、み仏である。この珍貴の感覚を授け給う、限り知られぬ愛みに充ちたよき人が、此世界の外に、居られたのである。郎女は、塗香をとり寄せて、まず髪に塗り、手に塗り、衣を薫るばかりに匂わした。
十一
ほほき ほほきい ほほほきい――。
きのうよりも、澄んだよい日になった。春にしては、驚くばかり濃い日光が、地上にかっきりと、木草の影を落して居た。ほかほかした日よりなのに、其を見ていると、どこか、薄ら寒く感じるほどである。時々に過ぎる雲の翳りもなく、晴れきった空だ。高原を拓いて、間引いた疎らな木原の上には、もう沢山の羽虫が出て、のぼったり降ったりして居る。たった一羽の鶯が、よほど前から一処を移らずに、鳴き続けているのだ。
家の刀自たちが、物語る口癖を、さっきから思い出して居た。出雲宿禰の分れの家の嬢子が、多くの男の言い寄るのを煩しがって、身をよけよけして、何時か、山の林の中に分け入った。そうして其処で、まどろんで居る中に、悠々と長い春の日も、暮れてしまった。嬢子は、家路と思う径を、あちこち歩いて見た。脚は茨の棘にさされ、袖は、木の楚にひき裂かれた。そうしてとうとう、里らしい家群の見える小高い岡の上に出た時は、裳も、著物も、肌の出るほど、ちぎれて居た。空には、夕月が光りを増して来ている。嬢子はさくり上げて来る感情を、声に出した。
ほほき ほほきい。
何時も、悲しい時に泣きあげて居た、あの声ではなかった。「おお此身は」と思った時に、自分の顔に触れた袖は袖ではないものであった。枯れ原の冬草の、山肌色をした小な翼であった。思いがけない声を、尚も出し続けようとする口を、押えようとすると、自身すらいとおしんで居た柔らかな唇は、どこかへ行ってしまって、替りに、ささやかな管のような喙が来てついて居る――。悲しいのか、せつないのか、何の考えさえもつかなかった。唯、身悶えをした。するとふわりと、からだは宙に浮き上った。留めようと、袖をふれば振るほど、身は次第に、高く翔り昇って行く。五日月の照る空まで……。その後、今の世までも、
ほほき ほほきい ほほほきい。
と鳴いているのだ、と幼い耳に染みつけられた、物語りの出雲の嬢子が、そのまま、自分であるような気がして来る。
郎女は、徐かに両袖を、胸のあたりに重ねて見た。家に居た時よりは、褻れ、皺立っているが、小鳥の羽には、なって居なかった。手をあげて唇に触れて見ると、喙でもなかった。やっぱり、ほっとりとした感触を、指の腹に覚えた。
ほほき鳥―鶯―になって居た方がよかった。昔語りの嬢子は、男を避けて、山の楚原へ入り込んだ。そうして、飛ぶ鳥になった。この身は、何とも知れぬ人の俤にあくがれ出て、鳥にもならずに、ここにこうして居る。せめて蝶飛虫にでもなれば、ひらひらと空に舞いのぼって、あの山の頂へ、俤びとをつきとめに行こうもの――。
ほほき ほほきい。
自身の咽喉から出た声だ、と思った。だがやはり、廬の外で鳴くのであった。
郎女の心に動き初めた叡い光りは、消えなかった。今まで手習いした書巻の何処かに、どうやら、法喜と言う字のあった気がする。法喜――飛ぶ鳥すらも、美しいみ仏の詞に、感けて鳴くのではなかろうか。そう思えば、この鶯も、
ほほき ほほきい。
嬉しそうな高音を、段々張って来る。
物語りする刀自たちの話でなく、若人らの言うことは、時たま、世の中の瑞々しい消息を伝えて来た。奈良の家の女部屋は、裏方五つ間を通した、広いものであった。郎女の帳台の立ち処を一番奥にして、四つの間に、刀自・若人、凡三十人も居た。若人等は、この頃、氏々の御館ですることだと言って、苑の池の蓮の茎を切って来ては、藕糸を引く工夫に、一心になって居た。横佩家の池の面を埋めるほど、珠を捲いたり、解けたりした蓮の葉は、まばらになって、水の反射が蔀を越して、女部屋まで来るばかりになった。茎を折っては、繊維を引き出し、其片糸を幾筋も合せては、糸に縒る。
郎女は、女たちの凝っている手芸を、じっと見て居る日もあった。ほうほうと切れてしまう藕糸を、八合・十二合・二十合に縒って、根気よく、細い綱の様にする。其を績み麻の麻ごけに繋ぎためて行く。奈良の御館でも、蚕は飼って居た。実際、刀自たちは、夏は殊にせわしく、そのせいで、不機嫌になって居る日が多かった。
刀自たちは、初めは、そんな韓の技人のするような事は、と目もくれなかった。だが時が立つと、段々興味を惹かれる様子が見えて来た。
こりゃ、おもしろい。絹の糸と、績み麻との間を行く様な妙な糸の――。此で、切れさえしなければのう。
こうして績ぎ蓄めた藕糸は、皆一纏めにして、寺々に納めようと、言うのである。寺には、其々の技女が居て、其糸で、唐土様と言うよりも、天竺風な織物に織りあげる、と言う評判であった。女たちは、唯功徳の為に糸を績いでいる。其でも、其が幾かせ、幾たまと言う風に貯って来ると、言い知れぬ愛著を覚えて居た。だが、其がほんとは、どんな織物になることやら、其処までは想像も出来なかった。
若人たちは茎を折っては、巧みに糸を引き切らぬように、長く長くと抽き出す。又其、粘り気の少いさくいものを、まるで絹糸を縒り合せるように、手際よく糸にする間も、ちっとでも口やめる事なく、うき世語りなどをして居た。此は勿論、貴族の家庭では、出来ぬ掟になって居た。なっては居ても、物珍でする盛りの若人たちには、口を塞いで緘黙行を守ることは、死ぬよりもつらい行であった。刀自らの油断を見ては、ぼつぼつ話をしている。其きれぎれが、聞こうとも思わぬ郎女の耳にも、ぼつぼつ這入って来勝ちなのであった。
鶯の鳴く声は、あれで、法華経法華経と言うのじやて――。
ほう、どうして、え――。
天竺のみ仏は、おなごは、助からぬものじゃと、説かれ説かれして来たがえ、其果てに、女でも救う道が開かれた。其を説いたのが、法華経じゃと言うげな。
――こんなこと、おなごの身で言うと、さかしがりよと思おうけれど、でも、世間では、そう言うもの――。
じゃで、法華経法華経と経の名を唱えるだけで、この世からして、あの世界の苦しみが、助かるといの。
ほんまにその、天竺のおなごが、あの鳥に化り変って、み経の名を呼ばるるのかえ。
郎女には、いつか小耳に挿んだ其話が、その後、何時までも消えて行かなかった。その頃ちょうど、称讃浄土仏摂受経を、千部写そうとの願を発して居た時であった。其が、はかどらぬ。何時までも進まぬ。茫とした耳に、此世話が再また、紛れ入って来たのであった。
ふっと、こんな気がした。
ほほき鳥は、先の世で、御経手写の願を立てながら、え果さいで、死にでもした、いとしい女子がなったのではなかろうか。……そう思えば、若しや今、千部に満たずにしまうようなことがあったら、我が魂は何になることやら。やっぱり、鳥か、虫にでも生れて、切なく鳴き続けることであろう。
ついに一度、ものを考えた事もないのが、此国のあて人の娘であった。磨かれぬ智慧を抱いたまま、何も知らず思わずに、過ぎて行った幾百年、幾万の貴い女性の間に、蓮の花がぽっちりと、莟を擡げたように、物を考えることを知り初めた郎女であった。
おれよ。鶯よ。あな姦や。人に、物思いをつけくさる。
荒々しい声と一しょに、立って、表戸と直角になった草壁の蔀戸をつきあげたのは、当麻語部の媼である。北側に当るらしい其外側は、を圧するばかり、篠竹が繁って居た。沢山の葉筋が、日をすかして一時にきらきらと、光って見えた。
郎女は、暫らく幾本とも知れぬその光りの筋の、閃き過ぎた色を、瞼の裏に、見つめて居た。おとといの日の入り方、山の端に見た輝きが、思わずには居られなかったからである。
また一時、廬堂を廻って、音するものもなかった。日は段々闌けて、小昼の温みが、ほの暗い郎女の居処にも、ほっとりと感じられて来た。
寺の奴が、三四人先に立って、僧綱が五六人、其に、大勢の所化たちのとり捲いた一群れが、廬へ来た。
これが、古山田寺だ、と申します。
勿体ぶった、しわがれ声が聞えて来た。
そんな事は、どうでも――。まず、郎女さまを――。
噛みつくようにあせって居る家長老額田部子古のがなり声がした。
同時に、表戸は引き剥がされ、其に隣った、幾つかの竪薦をひきちぎる音がした。
ずうと這い寄って来た身狭乳母は、郎女の前に居たけを聳かして、掩いになった。外光の直射を防ぐ為と、一つは、男たちの前、殊には、庶民の目に、貴人の姿を暴すまい、とするのであろう。伴に立って来た家人の一人が、大きな木の叉枝をへし折って来た。そうして、旅用意の巻帛を、幾垂れか、其場で之に結び下げた。其を牀につきさして、即座の竪帷―几帳―は調った。乳母は、其前に座を占めたまま、何時までも動かなかった。
十二
怒りの滝のようになった額田部子古は、奈良に還って、公に訴えると言い出した。大和国にも断って、寺の奴ばらを追い払って貰うとまで、いきまいた。大師を頭に、横佩家に深い筋合いのある貴族たちの名をあげて、其方々からも、何分の御吟味を願わずには置かぬ、と凄い顔をして、住侶たちを脅かした。郎女は、貴族の姫で入らせられようが、寺の浄域を穢し、結界まで破られたからは、直にお還りになるようには計われぬ。寺の四至の境に在る所で、長期の物忌みして、その贖いはして貰わねばならぬ、と寺方も、言い分はひっこめなかった。
理分に非分にも、これまで、南家の権勢でつき通してきた家長老等にも、寺方の扱いと言うものの、世間どおりにはいかぬ事が訣って居た。乳母に相談かけても、一代そう言う世事に与った事のない此人は、そんな問題には、詮ない唯の女性に過ぎなかった。
先刻からまだ立ち去らずに居た当麻語部の嫗が、口を出した。
其は、寺方が、理分でおざるがや。お随いなされねばならぬ。
其を聞くと、身狭乳母は、激しく、田舎語部の老女を叱りつけた。男たちに言いつけて、畳にしがみつき、柱にかき縋る古婆を掴み出させた。そうした威高さは、さすがに自ら備っていた。
何事も、この身などの考えではきめられぬ。帥の殿に承ろうにも、国遠し。まず姑し、郎女様のお心による外はないもの、と思いまする。
其より外には、方もつかなかった。奈良の御館の人々と言っても、多くは、此人たちの意見を聴いてする人々である。よい思案を、考えつきそうなものも居ない。難波へは、直様、使いを立てることにして、とにもかくにも、当座は、姫の考えに任せよう、と言うことになった。
郎女様。如何お考え遊ばしまする。おして、奈良へ還れぬでも御座りませぬ。尤、寺方でも、候人や、奴隷の人数を揃えて、妨げましょう。併し、御館のお勢いには、何程の事でも御座りませぬ。では御座りまするが、お前さまのお考えを承らずには、何とも計いかねまする。御思案お洩し遊ばされ。
謂わば、難題である。あて人の娘御に、出来よう筈のない返答である。乳母も、子古も、凡は無駄な伺いだ、と思っては居た。ところが、郎女の答えは、木魂返しの様に、躊躇うことなしにあった。其上、此ほどはっきりとした答えはない、と思われる位、凛としていた。其が、すべての者の不満を圧倒した。
姫の咎は、姫が贖う。此寺、此二上山の下に居て、身の償い、心の償いした、と姫が得心するまでは、還るものとは思やるな。
郎女の声・詞を聞かぬ日はない身狭乳母ではあった。だがついしか此ほどに、頭の髄まで沁み入るような、さえざえとした語を聞いたことのない、乳母だった。
寺方の言い分に譲るなど言う問題は、小い事であった。此爽やかな育ての君の判断力と、惑いなき詞に感じてしまった。ただ、涙。こうまで賢しい魂を窺い得て、頬に伝うものを拭うことも出来なかった。子古にも、郎女の詞を伝達した。そうして、自分のまだ曾て覚えたことのない感激を、力深くつけ添えて聞かした。
ともあれ此上は、難波津へ。
難波へと言った自分の語に、気づけられたように、子古は思い出した。今日か明日、新羅問罪の為、筑前へ下る官使の一行があった。難波に留っている帥の殿も、次第によっては、再太宰府へ出向かれることになっているかも知れぬ。手遅れしては一大事である。此足ですぐ、北へ廻って、大阪越えから河内へ出て、難波まで、馬の叶う処は馬で走ろう、と決心した。
万法蔵院に、唯一つ飼って居た馬の借用を申し入れると、此は快く聴き入れてくれた。今日の日暮れまでには、立ち還りに、難波へ行って来る、と歯のすいた口に叫びながら、郎女の竪帷に向けて、庭から匍伏した。
子古の発った後は、又のどかな春の日に戻った。悠々と照り暮す山々を見せましょう、と乳母が言い出した。木立ち・山陰から盗み見する者のないように、家人らを、一町・二町先まで見張りに出して、郎女を、外に誘い出した。
暴風雨の夜、添下・広瀬・葛城の野山を、かちあるきした娘御ではなかった。乳母と今一人、若人の肩に手を置きながら、歩み出た。日の光りは、霞みもせず、陽炎も立たず、唯おどんで見えた。昨日跳めた野も、斜になった日を受けて、物の影が細長く靡いて居た。青垣の様にとりまく山々も、愈々遠く裾を曳いて見えた。早い菫―げんげ―が、もうちらほら咲いている。遠く見ると、その赤々とした紫が一続きに見えて、夕焼け雲がおりて居るように思われる。足もとに一本、おなじ花の咲いているのを見つけた郎女は、膝を叢について、じっと眺め入った。
これはえ――。
すみれ、と申すとのことで御座ります。
こう言う風に、物を知らせるのが、あて人に仕える人たちの、為来りになって居た。
蓮の花に似ていながら、もっと細やかな、――絵にある仏の花を見るような――。
ひとり言しながら、じっと見ているうちに、花は、広い萼の上に乗った仏の前の大きな花になって来る。其がまた、ふっと、目の前のささやかな花に戻る。
夕風が冷ついて参ります。内へと遊ばされ。
乳母が言った。見渡す山は、皆影濃くあざやかに見えて来た。
近々と、谷を隔てて、端山の林や、崖の幾重も重った上に、二上の男岳の頂が、赤い日に染って立っている。
今日は、又あまりに静かな夕である。山ものどかに、夕雲の中に這入って行こうとしている。
もうしもうし。もう外に居る時では御座りません。
十三
「朝目よく」うるわしい兆を見た昨日は、郎女にとって、知らぬ経験を、後から後から展いて行ったことであった。ただ人の考えから言えば、苦しい現実のひき続きではあったのだが、姫にとっては、心驚く事ばかりであった。一つ一つ変った事に逢う度に、「何も知らぬ身であった」と姫の心の底の声が揚った。そうして、その事毎に、挨拶をしてはやり過したい気が、一ぱいであった。今日も其続きを、くわしく見た。
なごり惜しく過ぎ行く現し世のさまざま。郎女は、今目を閉じて、心に一つ一つ収めこもうとして居る。ほのかに通り行き、将著しくはためき過ぎたもの――。宵闇の深くならぬ先に、廬のまわりは、すっかり手入れがせられて居た。灯台も大きなのを、寺から借りて来て、煌々と、油火が燃えて居る。明王像も、女人のお出での場処には、すさまじいと言う者があって、どこかへ搬んで行かれた。其よりも、郎女の為には、帳台の設備われている安らかさ。今宵は、夜も、暖かであった。帷帳を周らした中は、ほの暗かった。其でも、山の鬼神、野の魍魎を避ける為の灯の渦が、ぼうと梁に張り渡した頂板に揺めいて居るのが、たのもしい気を深めた。帳台のまわりには、乳母や、若人が寝たらしい。其ももう、一時も前の事で、皆すやすやと寝息の音を立てて居る。姫の心は、今は軽かった。たとえば、俤に見たお人には逢わずとも、その俤を見た山の麓に来て、こう安らかに身を横えて居る。
灯台の明りは、郎女の額の上に、高く朧ろに見える光りの輪を作って居た。月のように円くて、幾つも上へ上へと、月輪の重っている如くも見えた。其が、隙間風の為であろう。時々薄れて行くと、一つの月になった。ぽうっと明り立つと、幾重にも隈の畳まった、大きな円かな光明になる。
幸福に充ちて、忘れて居た姫の耳に、今宵も谷の響きが聞え出した。更けた夜空には、今頃やっと、遅い月が出たことであろう。
物の音。――つた つたと来て、ふうと佇ち止るけはい。耳をすますと、元の寂かな夜に、――激ち降る谷のとよみ。
つた つた つた。
又、ひたと止む。
この狭い廬の中を、何時まで歩く、跫音だろう。
つた。
郎女は刹那、思い出して帳台の中で、身を固くした。次にわじわじと戦きが出て来た。
天若御子――。
ようべ、当麻語部嫗の聞した物語り。ああ其お方の、来て窺う夜なのか。
――青馬の 耳面刀自。
刀自もがも。女弟もがも。
その子の はらからの子の
処女子の 一人
一人だに わが配偶に来よ
まことに畏しいと言うことを覚えぬ郎女にしては、初めてまざまざと、圧えられるような畏さを知った。あああの歌が、胸に生き蘇って来る。忘れたい歌の文句が、はっきりと意味を持って、姫の唱えぬ口の詞から、胸にとおって響く。乳房から迸り出ようとするときめき。
帷帳がふわと、風を含んだ様に皺だむ。
ついと、凍る様な冷気――。
郎女は目を瞑った。だが――瞬間睫の間から映った細い白い指、まるで骨のような――帷帳を掴んだ片手の白く光る指。
なも 阿弥陀ほとけ。あなたふと 阿弥陀ほとけ。
何の反省もなく、唇を洩れた詞。この時、姫の心は、急に寛ぎを感じた。さっと――汗。全身に流れる冷さを覚えた。畏い感情を持ったことのないあて人の姫は、直に動顛した心を、とり直すことが出来た。
のうのう。あみだほとけ……。
今一度口に出して見た。おとといまで、手写しとおした、称讃浄土経の文が胸に浮ぶ。郎女は、昨日までは一度も、寺道場を覗いたこともなかった。父君は家の内に道場を構えて居たが、簾越しにも聴聞は許されなかった。御経の文は手写しても、固より意趣は、よく訣らなかった。だが、処々には、かつがつ気持ちの汲みとれる所があったのであろう。さすがに、まさかこんな時、突嗟に口に上ろう、とは思うて居なかった。
白い骨、譬えば白玉の並んだ骨の指、其が何時までも目に残って居た。帷帳は、元のままに垂れて居る。だが、白玉の指ばかりは細々と、其に絡んでいるような気がする。
悲しさとも、懐しみとも知れぬ心に、深く、郎女は沈んで行った。山の端に立った俤びとは、白々とした掌をあげて、姫をさし招いたと覚えた。だが今、近々と見る其手は、海の渚の白玉のように、からびて寂しく、目にうつる。
長い渚を歩いて行く。郎女の髪は、左から右から吹く風に、あちらへ靡き、こちらへ乱れする。浪はただ、足もとに寄せている。渚と思うたのは、海の中道である。浪は、両方から打って来る。どこまでもどこまでも、海の道は続く。郎女の足は、砂を踏んでいる。その砂すらも、段々水に掩われて来る。砂を踏む。踏むと思うて居る中に、ふと其が、白々とした照る玉だ、と気がつく。姫は身を屈めて、白玉を拾う。拾うても拾うても、玉は皆、掌に置くと、粉の如く砕けて、吹きつける風に散る。其でも、玉を拾い続ける。玉は水隠れて、見えぬ様になって行く。姫は悲しさに、もろ手を以て掬おうとする。掬んでも掬んでも、水のように、手股から流れ去る白玉――。玉が再、砂の上につぶつぶ並んで見える。忙しく拾おうとする姫の俯いた背を越して、流れる浪が、泡立ってとおる。
姫は――やっと、白玉を取りあげた。輝く、大きな玉。そう思うた刹那、郎女の身は、大浪にうち仆される。浪に漂う身……衣もなく、裳もない。抱き持った等身の白玉と一つに、水の上に照り輝く現し身。
ずんずんと、さがって行く。水底に水漬く白玉なる郎女の身は、やがて又、一幹の白い珊瑚の樹である。脚を根、手を枝とした水底の木。頭に生い靡くのは、玉藻であった。玉藻が、深海のうねりのままに、揺れて居る。やがて、水底にさし入る月の光り――。ほっと息をついた。
まるで、潜きする海女が二十尋・三十尋の水底から浮び上って嘯く様に、深い息の音で、自身明らかに目が覚めた。
ああ夢だった。当麻まで来た夜道の記憶は、まざまざと残って居るが、こんな苦しさは覚えなかった。だがやっぱり、おとといの道の続きを辿って居るらしい気がする。
水の面からさし入る月の光り、そう思うた時は、ずんずん海面に浮き出て来た。そうして悉く、跡形もない夢だった。唯、姫の仰ぎ寝る頂板に、ああ、水にさし入った月。そこに以前のままに、幾つも暈の畳まった月輪の形が、揺めいて居る。
のうのう 阿弥陀ほとけ……。
再、口に出た。光りの暈は、今は愈々明りを増して、輪と輪との境の隈々しい処までも見え出した。黒ずんだり、薄暗く見えたりした隈が、次第に凝り初めて、明るい光明の中に、胸・肩・頭・髪、はっきりと形を現じた。白々と袒いだ美しい肌。浄く伏せたまみが、郎女の寝姿を見おろして居る。かの日の夕、山の端に見た俤びと――。乳のあたりと、膝元とにある手――その指、白玉の指。姫は、起き直った。天井の光りの輪が、元のままに、ただ仄かに、事もなく揺れて居た。
十四
貴人はうま人どち、やっこは奴隷どち、と言うからの――。
何時見ても、大師は、微塵曇りのない、円かな相好である。其に、ふるまいのおおどかなこと。若くから氏上で、数十家の一族や、日本国中数万の氏人から立てられて来た家持も、じっと対うていると、その静かな威に、圧せられるような気がして来る。
言わしておくがよい。奴隷たちは、とやかくと口さがないのが、其為事よ。此身とお身とは、おなじ貴人じゃ。おのずから、話も合おうと言うもの。此身が、段々なり上ると、うま人までがおのずとやっこ心になり居って、いや嫉むの、そねむの。
家持は、此が多聞天か、と心に問いかけて居た。だがどうも、そうは思われぬ。同じ、かたどって作るなら、とつい聯想が逸れて行く。八年前、越中国から帰った当座の、世の中の豊かな騒ぎが、思い出された。あれからすぐ、大仏開眼供養が行われたのであった。其時、近々と仰ぎ奉った尊容、八十種好具足した、と謂われる其相好が、誰やらに似ている、と感じた。其がその時は、どうしても思い浮ばずにしまった。その時の印象が、今ぴったり、的にあてはまって来たのである。
こうして対いあって居る主人の顔なり、姿なりが、其ままあの盧遮那ほとけの俤だ、と言って、誰が否もう。
お身も、少し咄したら、ええではないか。官位はこうぶり。昔ながらの氏は氏――。なあ、そう思わぬか。紫徴中台の、兵部省のと、位づけるのは、うき世の事だわ。家に居る時だけは、やはり神代以来の氏上づきあいが、ええ。
新しい唐の制度の模倣ばかりして、漢土の才が、やまと心に入り替ったと謂われて居る此人が、こんな嬉しいことを言う。家持は、感謝したい気がした。理会者・同感者を、思いもうけぬ処に見つけ出した嬉しさだったのである。
お身は、宋玉や、王褒の書いた物を大分持って居ると言うが、太宰府へ行った時に、手に入れたのじゃな。あんな若い年で、わせだったのだのう。お身は――。お身の氏では、古麻呂。身の家に近しい者でも奈良麻呂。あれらは漢魏はおろか、今の唐の小説なども、ふり向きもせんから、言うがいない話じゃわ。
兵部大輔は、やっと話のつきほを捉えた。
お身さまのお話じゃが、わしは、賦の類には飽きました。どうもあれが、この四十面さげてもまだ、涙もろい歌や、詩の出て来る元になって居る――そうつくづく思いますじゃて。ところで近頃は、方を換えて、張文成を拾い読みすることにしました。この方が、なんぼか――。
大きに、其は、身も賛成じゃ。じゃが、お身がその年になっても、まだ二十代の若い心や、瑞々しい顔を持って居るのは、宋玉のおかげじゃぞ。まだなかなか隠れては歩き居る、と人の噂じゃが、嘘じゃなかろう。身が保証する。おれなどは、張文成ばかり古くから読み過ぎて、早く精気の尽きてしもうた心持ちがする。――じゃが全く、文成はええのう。あの仁に会うて来た者の話では、豬肥えのした、唯の漢土びとじゃったげなが、心はまるで、やまとのものと、一つと思うが、お身なら、諾うてくれるだろうの。
文成に限る事ではおざらぬが、あちらの物は、読んで居て、知らぬ事ばかり教えられるようで、時々ふっと思い返すと、こんな思わざった考えを、いつの間にか、持っている――そんな空恐しい気さえすることが、ありますて。お身さまにも、そんな経験は、おありでがな。
大ありおお有り。毎日毎日、其よ。しまいに、どうなるのじゃ。こんなに智慧づいては、と思われてならぬことが――。じゃが、女子だけには、まず当分、女部屋のほの暗い中で、こんな智慧づかぬ、のどかな心で居させたいものじゃ。第一其が、われわれ男の為じゃて。
家持は、此了解に富んだ貴人に向っては、何でも言ってよい、青年のような気が湧いて来た。
さようさよう。智慧を持ち初めては、あの欝い女部屋には、じっとして居ませぬげな。第一、横佩墻内の――
此はいけぬ、と思った。同時に、此臆れた気の出るのが、自分を卑くし、大伴氏を、昔の位置から自ら蹶落す心なのだ、と感じる。
好、好。遠慮はやめやめ。氏上づきあいじゃもの。ほい又出た。おれはまだ、藤原の氏上に任ぜられた訣じゃあ、なかったっけの。
瞬間、暗い顔をしたが、直にさっと眉の間から、輝きが出て来た。
身の女姪が神隠しにおうたあの話か。お身は、あの謎見たいないきさつを、そう解るかね。ふん。いやおもしろい。女姪の姫も、定めて喜ぶじゃろう。実はこれまで、内々消息を遣して、小あたりにあたって見た、と言う口かね、お身も。
大きに。
今度は軽い心持ちが、大胆に押勝の話を受けとめた。
お身さまが経験ずみじゃで、其で、郎女の才高さと、男択びすることが訣りますな――。
此は――。額ざまに切りつけるぞ――。免せ免せと言うところじゃが、――あれはの、生れだちから違うものな。藤原の氏姫じゃからの。枚岡の斎き姫にあがる宿世を持って生れた者ゆえ、人間の男は、弾く、弾く、弾きとばす。近よるまいぞよ。ははははは。
大師は、笑いをぴたりと止めて、家持の顔を見ながら、きまじめな表情になった。
じゃがどうも――。聴き及んでのことと思うが、家出の前まで、阿弥陀経の千部写経をして居たと言うし、楽毅論から、兄の殿の書いた元興寺縁起も、其前に手習いしたらしいし、まだまだ孝経などは、これぽっちの頃に習うた、と言うし、なかなかの女博士での。楚辞や、小説にうき身をやつす身や、お身は近よれぬわのう。霜月・師走の垣毀雪女じゃもの。――どうして、其だけの女子が、神隠しなどに逢おうかい。
第一、場処が、あの当麻で見つかったと言いますからの――。
併し其は、藤原に全く縁のない処でもない。天二上は、中臣寿詞にもあるし……。斎き姫もいや、人の妻と呼ばれるのもいや――で、尼になる気を起したのでないか、と考えると、もう不安で不安でのう。のどかな気持ちばかりでも居られぬて――。
押勝の眉は集って来て、皺一つよせぬ美しい、この老いの見えぬ貴人の顔も、思いなし、ひずんで見えた。
何しろ、嫋女は国の宝じゃでのう。出来ることなら、人の物にはせず、神の物にしておきたいところじゃが、――人間の高望みは、そうばかりもさせてはおきおらぬがい――。ともかく、むざむざ尼寺へやる訣にはいかぬ。
じゃが、お身さま。一人出家すれば、と云う詞が、この頃はやりになって居りますが…。
九族が天に生じて、何になるというのじゃ。宝は何百人かかっても、作り出せるものではないぞよ。どだい兄公殿が、少し仏凝りが過ぎるでのう――。自然内うらまで、そんな気風がしみこむようになったかも知れぬぞ――。時に、お身のみ館の郎女も、そんな育てはしてあるまいな。其では、家の久須麻呂が泣きを見るからの。
人の悪いからかい笑みを浮べて、話を無理にでも脇へ釣り出そうと努めるのは、考えるのも切ない胸の中が察せられる。
兄公殿は氏上に、身は氏助と言う訣なのじゃが、肝腎斎き姫で、枚岡に居させられる叔母御は、もうよい年じゃ。去年春日祭りに、女使いで上られた姿を見て、神さびたものよ、と思うたぞ。今一代此方から進ぜなかったら、斎き姫になる娘の多い北家の方が、すぐに取って替って、氏上に据るは。
兵部大輔にとっても、此はもう、他事ではなかった。おなじ大伴幾流の中から、四代続いて氏上職を持ち堪えたのも、第一は宮廷の御恩徳もあるが、世の中のよせが重かったからである。其には、一番大事な条件として、美しい斎き姫が、後から後と此家に出て、とぎれることがなかった為でもある。大伴の家のは、表向き壻どりさえして居ねば、子があっても、斎き姫は勤まる、と言う定めであった。今の阪上郎女は、二人の女子を持って、やはり斎き姫である。此は、うっかり出来ない。此方も藤原同様、叔母御が斎姫で、まだそんな年でない、と思うているが、又どんなことで、他流の氏姫が、後を襲うことにならぬとも限らぬ。大伴・佐伯の数知れぬ家々・人々が、外の大伴へ、頭をさげるようになってはならぬ。こう考えて来た家持の心の動揺などには、思いよりもせぬ風で、
こんな話は、よそほかの氏上に言うべきことでないが、兄公殿がああして、此先何年、難波にいても、太宰府に居ると言うが表面だから、氏の祭りは、枚岡・春日と、二処に二度ずつ、其外、週り年には、時々鹿島・香取の東路のはてにある旧社の祭りまで、此方で勤めねばならぬ。実際よそほかの氏上よりも、此方の氏助ははたらいているのだが、――だから、自分で、氏上の気持ちになったりする。――もう一層なってしまうかな。お身はどう思う。こりゃ、答える訣にも行くまい。氏上に押し直ろうとしたところで、今の身の考え一つを抂げさせるものはない。上様方に於かせられて、お叱りの御沙汰を下しおかれぬ限りは――。
京中で、此恵美屋敷ほど、庭を嗜んだ家はないと言う。門は、左京二条三坊に、北に向いて開いて居るが、主人家族の住いは、南を広く空けて、深々とした山斎が作ってある。其に入りこみの多い池を周らし、池の中の島も、飛鳥の宮風に造られて居た。東の中み門、西の中み門まで備って居る。どうかすると、庭と申そうより、寛々とした空き地の広くおありになる宮よりは、もっと手入れが届いて居そうな気がする。
庭を立派にして住んだ、うま人たちの末々の様が、兵部大輔の胸に来た。瞬間、憂欝な気持ちがかぶさって来て、前にいる大師の顔を見るのが、気の毒な様に思われる。
案じるなよ。庭が行き届き過ぎて居る、と思うてるのだろう。そんなことはないさ。庭はよくても、亡びた人ばかりはないさ。淡海公の御館はどうだ。どの筋でも引き継がずに、今に荒してはあるが、あの立派さは。それあの山部の何とか言った、地下の召し人の歌よみが、おれの三十になったばかりの頃、「昔見し旧き堤は、年深み……年深み、池の渚に、水草生ひにけり」とよんだ位だが、其後が、これ此様に、四流にも岐れて栄えている。もっとあるぞ――。なに、庭などによるものじゃないわ。
恃む所の深い此あて人は、庭の風景の、目立った個処個処を指摘しながら、其拠る所を、日本・漢土に渉って説明した。
長い廊を、数人の童が続いて来る。
日ずかしです。お召しあがり下されましょう。
改って、簡単な饗応の挨拶をした。まろうどに、早く酒を献じなさい、と言っている間に、美しい采女が、盃を額より高く捧げて出た。
おお、それだけ受けて頂けばよい。舞いぶりを一つ、見て貰いなさい。
家持は、何を考えても、先を越す敏感な主人に対して、唯虚心で居るより外は、なかった。
うねめは、大伴の氏上へは、まだくださらぬのだったね。藤原では、存知でもあろうが、先例が早くからあって、淡海公が、近江の宮から頂戴した故事で、頂く習慣になって居ります。
時々、こんな畏まったもの言いもまじえる。兵部大輔は、自身の語づかいにも、初中終、気扱いをせねばならなかった。
氏上もな、身が執心で、兄公殿を太宰府へ追いまくって、後にすわろうとするのだ、と言う奴があるといの――。やっぱり「奴はやっこどち」じゃの。そう思うよ。時に女姪の姫だが――。
さすがの聡明第一の大師も、酒の量は少かった。其が、今日は幾分いけた、と見えて、話が循環して来た。家持は、一度はぐらかされた緒口に、とりついた気で、
横佩墻内の郎女は、どうなるでしょう。社・寺、それとも宮――。どちらへ向いても、神さびた一生。あったら惜しいものでおありだ。
気にするな。気にするな。気にしたとて、どう出来るものか。此は――もう、人間の手へは、戻らぬかも知れんぞ。
末は、独り言になって居た。そうして、急に考え深い目を凝した。池へ落した水音は、未がさがると、寒々と聞えて来る。
早く、躑躅の照る時分になってくれぬかなあ。一年中で、この庭の一番よい時が、待ちどおしいぞ。
大師藤原恵美押勝朝臣の声は、若々しい、純な欲望の外、何の響きもまじえて居なかった。
十五
つた つた つた。
郎女は、一向、あの音の歩み寄って来る畏しい夜更けを、待つようになった。おとといよりは昨日、昨日よりは今日という風に、其跫音が間遠になって行き、此頃はふつに音せぬようになった。その氷の山に対うて居るような、骨の疼く戦慄の快感、其が失せて行くのを虞れるように、姫は夜毎、鶏のうたい出すまでは、殆、祈る心で待ち続けて居る。
絶望のまま、幾晩も仰ぎ寝たきりで、目は昼よりも寤めて居た。其間に起る夜の間の現象には、一切心が留らなかった。現にあれほど、郎女の心を有頂天に引き上げた頂板の面の光り輪にすら、明盲いのように、注意は惹かれなくなった。ここに来て、疾くに、七日は過ぎ、十日・半月になった。山も、野も、春のけしきが整うて居た。野茨の花のようだった小桜が散り過ぎて、其に次ぐ山桜が、谷から峰かけて、断続しながら咲いているのも見える。麦原は、驚くばかり伸び、里人の野為事に出た姿が、終日、そのあたりに動いている。
都から来た人たちの中、何時までこの山陰に、春を起き臥すことか、と侘びる者が殖えて行った。廬堂の近くに掘り立てた板屋に、こう長びくとは思わなかったし、まだどれだけ続くかも知れぬ此生活に、家ある者は、妻子に会うことばかりを考えた。親に養われる者は、家の父母の外にも、隠れた恋人を思う心が、切々として来るのである。女たちは、こうした場合にも、平気に近い感情で居られる長い暮しの習しに馴れて、何かと為事を考えてはして居る。女方の小屋は、男のとは別に、もっと廬に接して建てられて居た。
身狭乳母の思いやりから、男たちの多くは、唯さえ小人数な奈良の御館の番に行け、と言って還され、長老一人の外は、唯雑用をする童と、奴隷位しか残らなかった。
乳母や、若人たちも、薄々は帳台の中で夜を久しく起きている、郎女の様子を感じ出して居た。でも、なぜそう夜深く溜め息ついたり、うなされたりするか、知る筈のない昔かたぎの女たちである。
やはり、郎女の魂があくがれ出て、心が空しくなって居るもの、と単純に考えて居る。ある女は、魂ごいの為に、山尋ねの咒術をして見たらどうだろう、と言った。
乳母は一口に言い消した。姫様、当麻に御安著なされた其夜、奈良の御館へ計わずに、私にした当麻真人の家人たちの山尋ねが、わるい結果を呼んだのだ。当麻語部とか謂った蠱物使いのような婆が、出しゃばっての差配が、こんな事を惹き起したのだ。
その節、山の峠の塚で起った不思議は、噂になって、この貴人一家の者にも、知れ渡って居た。あらぬ者の魂を呼び出して、郎女様におつけ申しあげたに違いない。もうもう、軽はずみな咒術は思いとまることにしよう。こうして、魂の游離れ出た処の近くにさえ居れば、やがては、元のお身になり戻り遊されることだろう。こんな風に考えて、乳母は唯、気長に気ながに、と女たちを諭し諭しした。こんな事をして居る中に、早一月も過ぎて、桜の後、暫らく寂しかった山に、躑躅が燃え立った。足も行かれぬ崖の上や、巌の腹などに、一群一群咲いて居るのが、奥山の春は今だ、となのって居るようである。
ある日は、山へ山へと、里の娘ばかりが上って行くのを見た。凡数十人の若い女が、何処で宿ったのか、其次の日、てんでに赤い山の花を髪にかざして、降りて来た。廬の庭から見あげた若女房の一人が、山の躑躅林が練って降るようだ、と声をあげた。
ぞよぞよと廬の前を通る時、皆頭をさげて行った。其中の二三人が、つくねんとして暮す若人たちの慰みに呼び入れられて、板屋の端へ来た。当麻の田居も、今は苗代時である。やがては田植えをする。其時は、見に出やしゃれ。こんな身でも、其時はずんと、おなごぶりが上るぞな、と笑う者もあった。
ここの田居の中で、植え初めの田は、腰折れ田と言うて、都までも聞えた物語りのある田じゃげな。
若人たちは、又例の蠱物姥の古語りであろう、とまぜ返す。ともあれ、こうして、山ごもりに上った娘だけに、今年の田の早処女が当ります。其しるしが此じゃ、と大事そうに、頭の躑躅に触れて見せた。
もっと変った話を聞かせぬかえと誘われて、身分に高下はあっても、同じ若い同士のこととて、色々な田舎咄をして行った。其を後に乳母たちが聴いて、気にしたことがあった。山ごもりして居ると、小屋の上の崖をどうどうと踏みおりて来る者がある。ようべ、真夜中のことである。一様にうなされて、苦しい息をついていると、音はそのまま、真下へ真下へ、降って行った。がらがらと、岩の崩える響き。――ちょうど其が、此盧堂の真上の高処に当って居た。こんな処に道はない筈じゃが、と今朝起きぬけに見ると、案の定、赤岩の大崩崖。ようべの音は、音ばかりで、ちっとも痕は残って居なかった。
其で思い合せられるのは、此頃ちょくちょく、子から丑の間に、里から見えるこのあたりの峰の上に、光り物がしたり、時ならぬ一時颪の凄い唸りが、聞えたりする。今までついに聞かぬこと。里人は唯こう、恐れ謹しんで居る、とも言った。
こんな話を残して行った里の娘たちも、苗代田の畔に、めいめいのかざしの躑躅花を挿して帰った。其は昼のこと、田舎は田舎らしい閨の中に、今は寝ついたであろう。夜はひた更けに、更けて行く。
昼の恐れのなごりに、寝苦しがって居た女たちも、おびえ疲れに寝入ってしまった。頭上の崖で、寝鳥の鳴き声がした。郎女は、まどろんだとも思わぬ目を、ふっと開いた。続いて今ひと響き、びしとしたのは、鳥などの、翼ぐるめひき裂かれたらしい音である。だが其だけで、山は音どころか、生き物も絶えたように、虚しい空間の闇に、時間が立って行った。
郎女の額の上の天井の光の暈が、ほのぼのと白んで来る。明りの隈はあちこちに偏倚って、光りを竪にくぎって行く。と見る間に、ぱっと明るくなる。そこに大きな花。蒼白い菫。その花びらが、幾つにも分けて見せる隈、仏の花の青蓮華と言うものであろうか。郎女の目には、何とも知れぬ浄らかな花が、車輪のように、宙にぱっと開いている。仄暗い蕋の処に、むらむらと雲のように、動くものがある。黄金の蕋をふりわける。其は黄金の髪である。髪の中から匂い出た荘厳な顔。閉じた目が、憂いを持って、見おろして居る。ああ肩・胸・顕わな肌。――冷え冷えとした白い肌。おお おいとおしい。
郎女は、自身の声に、目が覚めた。夢から続いて、口は尚夢のように、語を逐うて居た。
おいとおしい。お寒かろうに――。
十六
山の躑躅の色は、様々ある。一つ色のものだけが、一時に咲き出して、一時に萎む。そうして、凡一月は、後から後から替った色のが匂い出て、禿げた岩も、一冬のうら枯れをとり返さぬ柴木山も、若夏の青雲の下に、はでなかざしをつける。其間に、藤の短い花房が、白く又紫に垂れて、老い木の幹の高さを、せつなく、寂しく見せる。下草に交って、馬酔木が雪のように咲いても、花めいた心を、誰に起させることもなしに、過ぎるのがあわれである。
もう此頃になると、山は厭わしいほど緑に埋れ、谷は深々と、繁りに隠されてしまう。郭公は早く鳴き嗄らし、時鳥が替って、日も夜も鳴く。
草の花が、どっと怒濤の寄せるように咲き出して、山全体が花原見たようになって行く。里の麦は刈り急がれ、田の原は一様に青みわたって、もうこんなに伸びたか、と驚くほどになる。家の庭苑にも、立ち替り咲き替って、栽え木、草花が、何処まで盛り続けるかと思われる。だが其も一盛りで、坪はひそまり返ったような時が来る。池には葦が伸び、蒲が秀き、藺が抽んでて来る。遅々として、併し忘れた頃に、俄かに伸し上るように育つのは、蓮の葉であった。
前年から今年にかけて、海の彼方の新羅の暴状が、目立って棄て置かれぬものに見えて来た。太宰府からは、軍船を新造して新羅征伐の設けをせよ、と言う命のお降しを、度々都へ請うておこして居た。此忙しい時に、偶然流人太宰員外帥として、難波に居た横佩家の豊成は、思いがけぬ日々を送らねばならなかった。
都の姫の事は、子古の口から聴いて知ったし、又、京・難波の間を往来する頻繁な公私の使いに、文をことづてる事は易かったけれども、どう処置してよいか、途方に昏れた。ちょっと見は何でもない事の様で、実は重大な、家の大事である。其だけに、常の優柔不断な心癖は、益々つのるばかりであった。
寺々の知音に寄せて、当麻寺へ、よい様に命じてくれる様に、と書いてもやった。又処置方について伺うた横佩墻内の家の長老・刀自たちへは、ひたすら、汝等の主の郎女を護って居れ、と言うような、抽象風なことを、答えて来たりした。
次の消息には、何かと具体した仰せつけがあるだろう、と待って居る間に、日が立ち、月が過ぎて行くばかりである。其間にも、姫の失われたと見える魂が、お身に戻るか、其だけの望みで、人々は、山村に止って居た。物思いに、屈託ばかりもして居ぬ若人たちは、もう池のほとりにおり立って、伸びた蓮の茎を切り集め出した。其を見て居た寺の婢女が、其はまだ若い、もう半月もおかねばと言って、寺領の一部に、蓮根を取る為に作ってあった蓮田へ、案内しよう、と言い出した。あて人の家自身が、それぞれ、農村の大家であった。其が次第に、官人らしい姿に更って来ても、家庭の生活には、何時までたっても、何処か農家らしい様子が、残って居た。家構えにも、屋敷の広場にも、家の中の雑用具にも。第一、女たちの生活は、起居ふるまいなり、服装なりは、優雅に優雅にと変っては行ったが、やはり昔の農家の家内の匂いがつき纏うて離れなかった。刈り上げの秋になると、夫と離れて暮す年頃に達した夫人などは、よく其家の遠い田荘へ行って、数日を過して来るような習しも、絶えることなく、くり返されて居た。
だから、刀自たちは固より若人らも、つくねんと女部屋の薄暗がりに、明し暮して居るのではなかった。てんでに、自分の出た村方の手芸を覚えて居て、其を、仕える君の為に為出そう、と出精してはたらいた。
裳の襞を作るのに珍い術を持った女などが、何でもないことで、とりわけ重宝がられた。袖の先につける鰭袖を美しく為立てて、其に、珍しい縫いとりをする女なども居た。こんなのは、どの家庭にもある話でなく、こう言う若人をおきあてた家は、一つのよい見てくれを世間に持つ事になるのだ。一般に、染めや、裁ち縫いが、家々の顔見合わぬ女どうしの競技のように、もてはやされた。摺り染めや、擣ち染めの技術も、女たちの間には、目立たぬ進歩が年々にあったが、浸で染めの為の染料が、韓の技工人の影響から、途方もなく変化した。紫と謂っても、茜と謂っても皆、昔の様な、染め漿の処置はせなくなった。そうして、染め上りも、艶々しく、はでなものになって来た。表向きは、こうした色の禁令が、次第に行きわたって来たけれど、家の女部屋までは、官の目も届くはずはなかった。
家庭の主婦が、居まわりの人を促したてて、自身も精励してするような為事は、あて人の家では、刀自等の受け持ちであった。若人たちも、田畠に出ぬと言うばかりで、家の中での為事は、まだ見参をせずにいた田舎暮しの時分と、大差はなかった。とりわけ違うのは、其家々の神々に仕えると言う、誇りはあるが、小むつかしい事がつけ加えられて居る位のことである。外出には、下人たちの見ぬ様に、笠を深々とかずき、其下には、更に薄帛を垂らして出かけた。
一時たたぬ中に、婢女ばかりでなく、自身たちも、田におりたったと見えて、泥だらけになって、若人たち十数人は戻って来た。皆手に手に、張り切って発育した、蓮の茎を抱えて、廬の前に並んだのには、常々くすりとも笑わぬ乳母たちさえ、腹の皮をよって、切ながった。
郎女様。御覧じませ。
竪帳を手でのけて、姫に見せるだけが、やっとのことであった。
ほう――。
何が笑うべきものか、何が憎むに値するものか、一切知らぬ上には、唯常と変った皆の姿が、羨しく思われた。
この身も、その田居とやらにおり立ちたい――。
めっそうなこと、仰せられます。
めっそうな。きまって、誇張した顔と口との表現で答えることも、此ごろ、この小社会で行われ出した。何から何まで縛りつけるような、身狭乳母に対する反感も、此ものまねで幾分、いり合せがつく様な気がするのであろう。
其日からもう、若人たちの糸縒りは初まった。夜は、閨の闇の中で寝る女たちには、稀に男の声を聞くこともある、奈良の垣内住いが、恋しかった。朝になると又、何もかも忘れたようになって績み貯める。
そうした糸の、六かせ七かせを持って出て、郎女に見せたのは、其数日後であった。
乳母よ。この糸は、蝶鳥の翼よりも美しいが、蜘蛛の巣より弱く見えるがよ――。
郎女は、久しぶりでにっこりした。労を犒うと共に、考えの足らぬのを憐むようである。刀自は、驚いて姫の詞を堰き止めた。
なる程、此は脆過ぎまする。
女たちは、板屋に戻っても、長く、健やかな喜びを、皆して語って居た。
全く些しの悪意もまじえずに、言いたいままの気持ちから、
田居とやらへ[#「田居とやらへ」は底本では「田舎とやらへ」]おりたちたい――、
を反覆した。
刀自は、若人を呼び集めて、
もっと、きれぬ糸を作り出さねば、物はない。
と言った。女たちの中の一人が、
それでは、刀自に、何ぞよい御思案が――。
さればの――。
昔を守ることばかりはいかついが、新しいことの考えは唯、尋常の婆の如く、愚かしかった。
ゆくりない声が、郎女の口から洩れた。
この身の考えることが、出来ることか試して見や。
うま人を軽侮することを、神への忌みとして居た昔人である。だが、かすかな軽しめに似た気持ちが、皆の心に動いた。
夏引きの麻生の麻を績むように、そして、もっと日ざらしよく、細くこまやかに――。
郎女は、目に見えぬもののさとしを、心の上で綴って行くように、語を吐いた。
板屋の前には、俄かに、蓮の茎が乾し並べられた。そうして其が乾くと、谷の澱みに持ち下りて浸す。浸しては晒し、晒しては水に漬でた幾日の後、筵の上で槌の音高く、こもごも、交々と叩き柔らげた。
その勤しみを、郎女も時には、端近くいざり出て見て居た。咎めようとしても、思いつめたような目して、見入って居る姫を見ると、刀自は口を開くことが出来なくなった。
日晒しの茎を、八針に裂き、其を又、幾針にも裂く。郎女の物言わぬまなざしが、じっと若人たちの手もとをまもって居る。果ては、刀自も言い出した。
私も、績みましょう。
績みに績み、又績みに績んだ。藕糸のまるがせが、日に日に殖えて、廬堂の中に、次第に高く積まれて行った。
もう今日は、みな月に入る日じゃの――。
暦の事を言われて、刀自はぎょっとした。ほんに、今日こそ、氷室の朔日じゃ。そう思う下から歯の根のあわぬような悪感を覚えた。大昔から、暦は聖の与る道と考えて来た。其で、男女は唯、長老の言うがままに、時の来又去った事を教わって、村や、家の行事を進めて行くばかりであった。だから、教えぬに日月を語ることは、極めて聡い人の事として居た頃である。愈々魂をとり戻されたのか、と瞻りながら、はらはらして居る乳母であった。唯、郎女は復、秋分の日の近づいて来て居ることを、心にと言うよりは、身の内に、そくそくと感じ初めて居たのである。蓮は、池のも、田居のも、極度に長けて、莟の大きくふくらんだのも、見え出した。婢女は、今が刈りしおだ、と教えたので、若人たちは、皆手も足も泥にして、又田に立ち暮す日が続いた。
十七
彼岸中日 秋分の夕。朝曇り後晴れて、海のように深碧に凪いだ空に、昼過ぎて、白い雲が頻りにちぎれちぎれに飛んだ。其が門渡る船と見えている内に、暴風である。空は愈々青澄み、昏くなる頃には、藍の様に色濃くなって行った。見あげる山の端は、横雲の空のように、茜色に輝いて居る。
大山颪。木の葉も、枝も、顔に吹きつけられる程の物は、皆活きて青かった。板屋は吹きあげられそうに、煽りきしんだ。若人たちは、悉く郎女の廬に上って、刀自を中に、心を一つにして、ひしと顔を寄せた。ただ互の顔の見えるばかりの緊張した気持ちの間に、刻々に移って行く風。西から真正面に吹きおろしたのが、暫らくして北の方から落して来た。やがて、風は山を離れて、平野の方から、山に向ってひた吹きに吹きつけた。峰の松原も、空様に枝を掻き上げられた様になって、悲鳴を続けた。谷から峰の上に生え上って居る萱原は、一様に上へ上へと糶り昇るように、葉裏を返して扱き上げられた。
家の中は、もう暗くなった。だがまだ見える庭先の明りは、黄にかっきりと、物の一つ一つを、鮮やかに見せて居た。
郎女様が――。
誰かの声である。皆、頭の毛が空へのぼる程、ぎょっとした。其が、何だと言われずとも、すべての心が、一度に了解して居た。言い難い恐怖にかみずった女たちは、誰一人声を出す者も居なかった。
身狭乳母は、今の今まで、姫の側に寄って、後から姫を抱えて居たのである。皆の人はけはいで、覚め難い夢から覚めたように、目をみひらくと、ああ、何時の間にか、姫は嫗の両腕両膝の間には、居させられぬ。一時に、慟哭するような感激が来た。だが長い訓練が、老女の心をとり戻した。凛として、反り返る様な力が、湧き上った。
誰ぞ、弓を――。鳴弦じゃ。
人を待つ間もなかった。彼女自身、壁代に寄せかけて置いた白木の檀弓をとり上げて居た。
それ皆の衆――。反閇ぞ。もっと声高に――。あっし、あっし、それ、あっしあっし……。
若人たちも、一人一人の心は、疾くに飛んで行ってしまって居た。唯一つの声で、警※[#「馬+畢」、U+9A46、198-下段-5]を発し、反閇した。
あっし あっし。
あっし あっし あっし。
狭い廬の中を蹈んで廻った。脇目からは、遶道する群れのように。
郎女様は、こちらに御座りますか。
万法蔵院の婢女が、息をきらして走って来て、何時もなら、許されて居ぬ無作法で、近々と、廬の砌に立って叫んだ。
なに――。
皆の口が、一つであった。
郎女様か、と思われるあて人が――、み寺の門に立って居さっせるのを見たで、知らせにまいりました。
今度は、乳母一人の声が答えた。
なに、み寺の門に。
婢女を先に、行道の群れは、小石を飛す嵐の中を、早足に練り出した。
あっし あっし あっし ……。
声は、遠くからも聞えた。大風をつき抜く様な鋭声が、野面に伝わる。
万法蔵院は、実に寂として居た。山風は物忘れした様に、鎮まって居た。夕闇はそろそろ、かぶさって来て居るのに、山裾のひらけた処を占めた寺庭は、白砂が、昼の明りに輝いていた。ここからよく見える二上の頂は、広く、赤々と夕映えている。
姫は、山田の道場のから仰ぐ空の狭さを悲しんでいる間に、何時かここまで来て居たのである。浄域を穢した物忌みにこもっている身、と言うことを忘れさせぬものが、其でも心の隅にあったのであろう。門の閾から、伸び上るようにして、山の際の空を見入って居た。
暫らくおだやんで居た嵐が、又山に廻ったらしい。だが、寺は物音もない黄昏だ。
男岳と女岳との間になだれをなした大きな曲線が、又次第に両方へ聳って行っている、此二つの峰の間の広い空際。薄れかかった茜の雲が、急に輝き出して、白銀の炎をあげて来る。山の間に充満して居た夕闇は、光りに照されて、紫だって動きはじめた。
そうして暫らくは、外に動くもののない明るさ。山の空は、唯白々として、照り出されて居た。肌 肩 脇 胸 豊かな姿が、山の尾上の松原の上に現れた。併し、俤に見つづけた其顔ばかりは、ほの暗かった。
今すこし著く み姿顕したまえ――。
郎女の口よりも、皮膚をつんざいて、あげた叫びである。山腹の紫は、雲となって靉き、次第次第に降る様に見えた。
明るいのは、山際ばかりではなかった。地上は、砂の数もよまれるほどである。
しずかに しずかに雲はおりて来る。万法蔵院の香殿・講堂・塔婆・楼閣・山門・僧房・庫裡、悉く金に、朱に、青に、昼より著く見え、自ら光りを発して居た。
庭の砂の上にすれすれに、雲は揺曳して、そこにありありと半身を顕した尊者の姿が、手にとる様に見えた。匂いやかな笑みを含んだ顔が、はじめて、まともに郎女に向けられた。伏し目に半ば閉じられた目は、此時、姫を認めたように、清しく見ひらいた。軽くつぐんだ脣は、この女性に向うて、物を告げてでも居るように、ほぐれて見えた。
郎女は尊さに、目の低れて来る思いがした。だが、此時を過してはと思う一心で、御姿から、目をそらさなかった。
あて人を讃えるものと、思いこんだあの詞が、又心から迸り出た。
なも 阿弥陀ほとけ。あなとうと 阿弥陀ほとけ。
瞬間に明りが薄れて行って、まのあたりに見える雲も、雲の上の尊者の姿も、ほのぼのと暗くなり、段々に高く、又高く上って行く。姫が、目送する間もない程であった。忽、二上山の山の端に溶け入るように消えて、まっくらな空ばかりの、たなびく夜に、なって居た。
あっし あっし。
足を蹈み、前を駆う声が、耳もとまで近づいて来ていた。
十八
当麻の邑は、此頃、一本の草、一塊の石すら、光りを持つほど、賑い充ちて居る。
当麻真人家の氏神当麻彦の社へ、祭り時に外れた昨今、急に、氏上の拝礼があった。故上総守老真人以来、暫らく絶えて居たことである。
其上、もうに二三日に迫った八月の朔日には、奈良の宮から、勅使が来向われる筈になって居た。当麻氏から出られた大夫人のお生み申された宮の御代に、あらたまることになったからである。廬堂の中は、前よりは更に狭くなって居た。郎女が、奈良の御館からとり寄せた高機を、設てたからである。機織りに長けた女も、一人や二人は、若人の中に居た。此女らの動かして見せる筬や梭の扱い方を、姫はすぐに会得した。機に上って日ねもす、時には終夜織って見るけれど、蓮の糸は、すぐに円になったり、断れたりした。其でも、倦まずにさえ織って居れば、何時か織りあがるもの、と信じている様に、脇目からは見えた。
乳母は、人に見せた事のない憂わしげな顔を、此頃よくしている。
何しろ、唐土でも、天竺から渡った物より手に入らぬ、という藕糸織りを遊ばそう、と言うのじゃもののう。
話相手にもしなかった若い者たちに、時々うっかりと、こんな事を、言う様になった。
こう糸が無駄になっては。
今の間にどしどし績んで置かいでは――。
乳母の語に、若人たちは又、広々として野や田の面におり立つことを思うて、心がさわだった。そうして、女たちの刈りとった蓮積み車が、廬に戻って来ると、何よりも先に、田居への降り道に見た、当麻の邑の騒ぎの噂である。
郎女様のお従兄恵美の若子さまのお母様も、当麻真人のお出じゃげな――。
恵美の御館の叔父君の世界、見るような世になった。
兄御を、帥の殿に落しておいて、御自身はのり越して、内相の、大師の、とおなりのぼりの御心持ちは、どうあろうのう――。
あて人に仕えて居ても、女はうっかりすると、人の評判に時を移した。
やめい やめい。お耳ざわりぞ。
しまいには、乳母が叱りに出た。だが、身狭刀自自身のうちにも、もだもだと咽喉につまった物のある感じが、残らずには居なかった。そうして、そんなことにかまけることなく、何の訣やら知れぬが、一心に糸を績み、機を織って居る育ての姫が、いとおしくてたまらぬのであった。
昼の中多く出た虻は、潜んでしまったが、蚊は仲秋になると、益々あばれ出して来る。日中の興奮で、皆は正体もなく寝た。身狭までが、姫の起き明す灯の明りを避けて、隅の物陰に、深い鼾を立てはじめた。
郎女は、断れては織り、織っては断れ、手がだるくなっても、まだ梭を放そうともせぬ。
だが、此頃の姫の心は、満ち足ろうて居た。あれほど、夜々見て居た俤人の姿も見ずに、安らかな気持ちが続いているのである。
「此機を織りあげて、はようあの素肌のお身を、掩うてあげたい。」
其ばかり考えて居る。世の中になし遂げられぬもののあると言うことを、あて人は知らぬのであった。
ちょう ちょう はた はた。
はた はた ちょう……。
筬を流れるように、手もとにくり寄せられる糸が、動かなくなった。引いても扱いても通らぬ。筬の歯が幾枚も毀れて、糸筋の上にかかって居るのが見える。
郎女は、溜め息をついた。乳母に問うても、知るまい。女たちを起して聞いた所で、滑らかに動かすことはえすまい。
どうしたら、よいのだろう。
姫ははじめて、顔へ偏ってかかって来る髪のうるささを感じた。筬の櫛目を覗いて見た。梭もはたいて見た。
ああ、何時になったら、したてた衣を、お肌へふくよかにお貸し申すことが出来よう。
もう外の叢で鳴き出した、蟋蟀の声を、瞬間思い浮べて居た。
どれ、およこし遊ばされ。こう直せば、動かぬこともおざるまい――。
どうやら聞いた気のする声が、機の外にした。
あて人の姫は、何処から来た人とも疑わなかった。唯、そうした好意ある人を、予想して居た時なので、
見てたもれ。
機をおりた。
女は尼であった。髪を切って尼そぎにした女は、其も二三度は見かけたことはあったが、剃髪した尼には会うたことのない姫であった。
はた はた ちょう ちょう
元の通りの音が、整って出て来た。
蓮の糸は、こう言う風では、織れるものではおざりませぬ。もっと寄って御覧じ――。これこう――おわかりかえ。
当麻語部姥の声である。だが、そんなことは、郎女の心には、間題でもなかった。
おわかりなさるかえ。これこう――。
姫の心は、こだまの如く聡くなって居た。此才伎の経緯は、すぐ呑み込まれた。
織ってごろうじませ。
姫が、高機に代って入ると、尼は機陰に身を倚せて立つ。
はた はた ゆら ゆら。
音までが、変って澄み上った。
女鳥の わがおおきみの織す機。誰が為ねろかも――、御存じ及びでおざりましょうのう。昔、こう、機殿のからのぞきこうで、問われたお方様がおざりましたっけ。
――その時、その貴い女性がの、
たか行くや隼別の御被服料――そうお答えなされたとのう。
この中申し上げた滋賀津彦は、やはり隼別でもおざりました。天若日子でもおざりました。天の日に矢を射かける――。併し、極みなく美しいお人でおざりましたがよ。截りはたり、ちょうちょう。それ――、早く織らねば、やがて、岩牀の凍る冷い冬がまいりますがよ――。
郎女は、ふっと覚めた。あぐね果てて、機の上にとろとろとした間の夢だったのである。だが、梭をとり直して見ると、
はた はた ゆら ゆら。ゆら はたた。
美しい織物が、筬の目から迸る。
はた はた ゆら ゆら。
思いつめてまどろんでいる中に、郎女の智慧が、一つの閾を越えたのである。
十九
望の夜の月が冴えて居た。若人たちは、今日、郎女の織りあげた一反の上帛を、夜の更けるのも忘れて、見讃して居た。
この月の光りを受けた美しさ。
のようで、韓織のようで、――やっぱり、此より外にはない、清らかな上帛じゃ。
乳母も、遠くなった眼をすがめながら、譬えようのない美しさと、ずっしりとした手あたりを、若い者のように楽しんでは、撫でまわして居た。
二度目の機は、初めの日数の半であがった。三反の上帛を織りあげて、姫の心には、新しい不安が頭をあげて来た。五反目を織りきると、機に上ることをやめた。そうして、日も夜も、針を動した。
長月の空は、三日の月のほのめき出したのさえ、寒く眺められる。この夜寒に、俤人の肩の白さを思うだけでも、堪えられなかった。
裁ち縫うわざは、あて人の子のする事ではなかった。唯、他人の手に触れさせたくない。こう思う心から、解いては縫い、縫うてはほどきした。現し世の幾人にも当る大きなお身に合う衣を、縫うすべを知らなかった。せっかく織り上げた上帛を、裁ったり截ったり、段々布は狭くなって行く。
女たちも、唯姫の手わざを見て居るほかはなかった。何を縫うものとも考え当らぬ囁きに、日を暮すばかりである。
其上、日に増し、外は冷えて来る。人々は一日も早く、奈良の御館に帰ることを願うばかりになった。郎女は、暖かい昼、薄暗い廬の中で、うっとりとしていた。その時、語部の尼が歩み寄って来るのを、又まざまざと見たのである。
何を思案遊ばす。壁代の様に縦横に裁ちついで、其まま身に纏うようになさる外はおざらぬ。それ、ここに紐をつけて、肩の上でくくりあわせれば、昼は衣になりましょう。紐を解き敷いて、折り返し被れは、やがて夜の衾にもなりまする。天竺の行人たちの著る僧伽梨と言うのが、其でおざりまする。早くお縫いあそばされ。
だが、気がつくと、やはり昼の夢を見て居たのだ。裁ちきった布を綴り合せて縫い初めると、二日もたたぬ間に、大きな一面の綴りの上帛が出来あがった。
郎女様は、月ごろかかって、唯の壁代をお織りなされた。
あったら 惜しやの。
はりが抜けたように、若人たちが声を落して言うて居る時、姫は悲しみながら、次の営みを考えて居た。
「これでは、あまり寒々としている。殯の庭の棺にかけるひしきもの―喪氈―、とやら言うものと、見た目にかわりはあるまい。」
二十
もう、世の人の心は賢しくなり過ぎて居た。独り語りの物語りなどに、信をうちこんで聴く者のある筈はなかった。聞く人のない森の中などで、よく、つぶつぶと物言う者がある、と思うて近づくと、其が、語部の家の者だったなど言う話が、どの村でも、笑い咄のように言われるような世の中になって居た。当麻語部の嫗なども、都の上の、もの疑いせぬ清い心に、知る限りの事を語りかけようとした。だが、忽違った氏の語部なるが故に、追い退けられたのであった。
そう言う聴きてを見あてた刹那に、持った執心の深さ。その後、自身の家の中でも、又廬堂に近い木立ちの陰でも、或は其処を見おろす山の上からでも、郎女に向ってする、ひとり語りは続けられて居た。
今年八月、当麻の氏人に縁深いお方が、めでたく世にお上りなされたあの時こそ、再己が世が来た、とほくそ笑みをした――が、氏の神祭りにも、語部を請じて、神語りを語らそうともせられなかった。ひきついであった、勅使の参向の節にも、呼び出されて、当麻氏の古物語りを奏上せい、と仰せられるか、と思うて居た予期も、空頼みになった。
此はもう、自身や、自身の祖たちが、長く覚え伝え、語りついで来た間、こうした事に行き逢おうとは、考えもつかなかった時代が来たのだ、と思うた瞬間、何もかも、見知らぬ世界に追放われている気がして、唯驚くばかりであった。娯しみを失いきった語部の古婆は、もう飯を喰べても、味は失うてしまった。水を飲んでも、口をついて、独り語りが囈語のように出るばかりになった。
秋深くなるにつれて、衰えの、目立って来た姥は、知る限りの物語りを、喋りつづけて死のう、と言う腹をきめた。そうして、郎女の耳に近い処をところをと覓めて、さまよい歩くようになった。
郎女は、奈良の家に送られたことのある、大唐の彩色の数々を思い出した。其を思いついたのは、夜であった。今から、横佩墻内へ馳けつけて、彩色を持って還れ、と命ぜられたのは、女の中に、唯一人残って居た長老である。ついしか、こんな言いつけをしたことのない郎女の、性急な命令に驚いて、女たちは復、何か事の起るのではないか、とおどおどして居た。だが、身狭乳母の計いで、長老は渋々、夜道を、奈良へ向って急いだ。
あくる日、絵具の届けられた時、姫の声ははなやいで、興奮りかに響いた。
女たちの噂した所の、袈裟で謂えば、五十条の大衣とも言うべき、藕糸の上帛の上に、郎女の目はじっとすわって居た。やがて筆は、愉しげにとり上げられた。線描きなしに、うちつけに絵具を塗り進めた。美しい彩画は、七色八色の虹のように、郎女の目の前に、輝き増して行く。
姫は、緑青を盛って、層々うち重る楼閣伽藍の屋根を表した。数多い柱や、廊の立ち続く姿が、目赫くばかり、朱で彩みあげられた。むらむらと靉くものは、紺青の雲である。紫雲は一筋長くたなびいて、中央根本堂とも見える屋の上から、画きおろされた、雲の上には金泥の光り輝く靄が、漂いはじめた。姫の命を搾るまでの念力が、筆のままに動いて居る。やがて金色の雲気は、次第に凝り成して、照り充ちた色身――現し世の人とも見えぬ尊い姿が顕れた。
郎女は唯、先の日見た、万法蔵院の夕の幻を、筆に追うて居るばかりである。堂・塔・伽藍すべては、当麻のみ寺のありの姿であった。だが、彩画の上に湧き上った宮殿楼閣は、兜率天宮のたたずまいさながらであった。しかも、其四十九重の宝宮の内院に現れた尊者の相好は、あの夕、近々と目に見た俤びとの姿を、心に覓めて描き顕したばかりであった。
刀自・若人たちは、一刻一刻、時の移るのも知らず、身ゆるぎもせずに、姫の前に開かれて来る光りの霞に、唯見呆けて居るばかりであった。
郎女が、筆をおいて、にこやかな笑いを、円く跪坐る此人々の背におとしながら、のどかに併し、音もなく、山田の廬堂を立ち去った刹那、心づく者は一人もなかったのである。まして、戸口に消える際に、ふりかえった姫の輝くような頬のうえに、細く伝うもののあったのを知る者の、ある訣はなかった。
姫の俤びとに貸す為の衣に描いた絵様は、そのまま曼陀羅の相を具えて居たにしても、姫はその中に、唯一人の色身の幻を描いたに過ぎなかった。併し、残された刀自・若人たちの、うち瞻る画面には、見る見る、数千地涌の菩薩の姿が、浮き出て来た。其は、幾人の人々が、同時に見た、白日夢のたぐいかも知れぬ。
底本:「昭和文学全集 第4巻」小学館
1989(平成元)年4月1日初版第1刷発行
底本の親本:「折口信夫全集 第廿四巻」中央公論社
1967(昭和42)年10月25日発行
初出:「日本評論 第十四巻第一号〜三号」
1939(昭和14)年1月〜3月
初収単行本:「死者の書」青磁社
1943(昭和18)年9月
※誤植と組み体裁の誤りが疑われる箇所は、底本の親本を参照して修正しました。
入力:kompass
校正:米田進
2003年12月27日作成
2012年5月29日修正
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