与謝野晶子詩歌集

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紅梅にそぞろゆきたる京の山叔母の尼すむ寺は訪はざりし 
 
くさぐさの色ある花によそはれしひつぎのなかの友うつくしき 
 
 
 
 
 
 
 
  〔無題〕 
 
栓をひねると 
水道の水が跳ねて出る。 
何処の流しへでも、 
誰れの手へでも、 
それは便利な機械的文化です。 
併し、わたしは倦きました、 
わたしは掘りたい、 
自分の力で、 
深い、深い、人間性の井戸が一つ。 
 
 
 
 
 
 
 
  〔無題〕 
 
すき通る緑、 
泣いた女の瞼のやうな薄桃色。 
一本の、 
ひよろ、ひよろとしたねぢり[#「ねぢり」に傍点]草が 
わたしの心に一ぱいになつて光つて居る。 
どんなに、わたしの心が、今朝、 
美くしい空虚からつぽであつたのか、 
そして、わたしは満足して居る。 
一本の 
ひよろ、ひよろとしたねぢり草が 
わたしの心へ入つて来たことに、 
すき通る緑、 
泣いた女の瞼のやうな薄桃色。 
 
 
 
 
 
 
 
  〔無題〕 
 
大粒で無い秋の雨が 
思ひ出したやうに、折折、 
ぽつり、ぽつりと 
わたしの髪を打つ。 
黄ばんだ萱の葉を打つやうに、 
咲き残つた竜胆りんだうの花を打つやうに。 
わたしは今、 
東京の大通りを急ぎながら、 
心は 
浅間の山の裾野を歩いて居る。