与謝野晶子詩歌集

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五つとせは夢にあらずよみそなはせ春に色なき草ながき里 
 
すげ笠にあるべき歌と強ひゆきぬ若葉よかを生駒いこま葛城かつらぎ 
 
 
 
 
 
 
 
  〔無題〕 
 
わたしの一人の友が 
逢ふたびに話す、 
大正六年の颱風に 
千葉街道の電柱が 
一斉に、行儀よく、 
濡れながら、 
同じ方向へ倒れて居たことを、 
わたしは、その快い話から、 
颱風を憎まない。 
それが破壊で無くて 
新しい展開であるのを思ふと、 
颱風を愛したくさへなる。 
おお、一切の煩瑣な制約を掃蕩する 
天来の清潔法である颱風。 
 
 
 
 
 
 
 
  〔無題〕 
 
青い淵、 
エメラルドを湛へて 
底の知れない淵、 
怖ろしい淵、死の淵。 
所へ、「みづすまし」が 
一匹ふいと現れて、 
細長い 
四本の脚で身を支へ、 
円く、円く、軽軽と、 
踊つたり、舞つたり。 
 
淵は今「みづすまし」の 
美くしい命の 
「渦巻つなぎ」に満ち、 
この芸術家的な虫の 
支配のもとに、 
見るは唯だメロデイの淵、 
恍惚の淵、青い淵。