ふとそれより花に色なき春となりぬ疑ひの神まどはしの神
うしや我れさむるさだめの夢を
小鳥の巣
何と云ふ小鳥の巣ならん、
うす赤き幹の
枝三つ斜めして並べるに、
枯れし小枝と、苔と、
すすきの穂とを組みて、
二寸の高さにまろく、
満月の形したり。
巣のある木を
更に上より傘したるは
方三丈の大樹、
などか小鳥は
その黒樺をえらばずして、
きやしやなる幹の
沙羅の枝に住みつらん。
小鳥の巣、
今は既に空ろなり、
ここにて
その親鳥の飛び去れるは
谷の風吹きのぼるたびに
熊笹、山の林の奥にまで浪打ち、
前には遠き連山に八月の雪あり。
小鳥の巣、
幸ひあれよ、
その飛び去れる小鳥らに。
我れもまた今日は旅びと、
恐らく、東京の我が家をも
この巣の如くさし覗きて、
我が旅のために祈る友あらん。
愛国者
小田原より東京へ
むし暑き日の二時間、
我れは
二人は論じ且つ論ず。
その対象となる固有名詞は
すべて大臣大将なれど、
その末に敬称を附せざるは
二人の自負のより高きが為めならん。
満員の列車、
避くべき席も無し。
我れは久しく斯かる英雄に遇はず、
されば謹みて猶聴きぬ。
日米のこと、日露のこと
政党弾圧のこと、
首相を要せず、外務大臣を要せず、
天下は二人ありて決するが如し。
大船駅停車の二分に
我れは今日の夕刊を買ひぬ。
新聞には「昭和九年」とあれど、
我れの前の二人は明治型の国士なり。
新聞を開きて、我れは現代に返る。
一面の隅に如是閑先生の文章あり。
偶然にも取上げたる新聞は
英雄たちと我れの間に幕となりぬ。
防空演習の夜
誰れか震災を回顧する
敵機の襲来を仮想して、
全市の人、防空に
午後六時、
サイレンは鳴りわたる。
子らよ、灯を皆消せるか、
戸をすべて鎖しつるか。
良人と、我れと、
泊り合せたる
暗き廊を折れ曲りて
手探りに電灯をひねれば、
下二尺
わづかにも
雨、雨、俄かなる雨、
風さへも荒く添へり。
サイレンに交りて
砲声遠く起る。
防護団の若き人人、
今、敏活の動作いかなるべき。
いざ、斯かる夜に歌詠まん、
屋外の任務に就かぬ我等は。
この即興の言葉に、
是山ぬし先づ微笑み、
良人はうなづきて
黙して紙に向へば、
サイレンと、暴雨と、砲声と、
是れ、我等を励ますなり、
我等の気は揚がる。
但だ、筆を執る姿は
軒昂たること難し、
俯向ける三人の背に
全市の闇を負へり。
地震なり、
板戸、硝子戸、鳴りとどろき、
家三たび荒く揺れぬ。
子の一人馳せ来て告ぐ、
横浜なる防空本部のラヂオ
今云ひぬ、
「この松屋の屋上も揺れつつあり」と。
人は敵機の空襲に備へて、
震災記念日を忘れたれど、
大地は忘れずして
我等を驚かしつるならん。
砲声は更に加はる、
敵機、市の空に入れるか。
驚異と惶惑の夜、
我等は猶筆を執る。