与謝野晶子詩歌集

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罪おほき男こらせと肌きよく黒髪ながくつくられし我れ 
 
そとぬけてそのもやおちて人を見ず夕の鐘のかたへさびしき 
 
 
 
 
 
 
 
  北信の歌 
 
    (山崎矢太郎氏の詩集に序する擬古一章) 
わが恋ふる北の信濃は、 
雲分けてむら山聳え、 
沙わしり行く川長し。 
あけがたの浅間のふもと、 
たそがれの碓氷の峠、 
幾たびも我れを立たしめ、 
思ふこと尽くべくも無し。 
子らと来てまたも遊ばん、 
夫子せこと居て常に歌はん、 
飽くことを知らぬ心に 
かくさへも願ふなりけり。 
ましてまた松川の奥、 
紅葉する渓の深さよ。 
小舟をぶねをば野尻に浮べ、 
いで湯をば野沢に浴びて、 
霧を愛で、月をよろこび、 
日を経ればいよいよ楽し。 
往きかへり、千曲ちくまの川の 
橋こえて打見わたせば、 
とりどりに五つの峰の 
晴わたる雲を帯ぶるも、 
云ひ古りし常の言葉に 
讃ふべきすべの無きかな。 
旅の身はあはれと歎き、 
唯だ暫し見てこそ過ぐれ。 
羨まし、この国の人 
常に見てこころ足るらん。 
ことを寄す、その人人よ、 
今の世の都に染まぬ 
新しく清き歌あれ、 
この山と水に合せて 
美しく高き歌あれ、 
なつかしく光りたる国 
北の信濃に。