与謝野晶子詩歌集

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星の世のむくのしらぎぬかばかりに染めしは誰のとがとおぼすぞ 
 
わかき子のこがれよりしは鑿のにほひ美妙みめう御相みさうけふ身にしみぬ 
 
清し高しさはいへさびし白銀しろがねのしろきほのほと人のしふ見し(酔茗の君の詩集に) 
 
かりよそよわがさびしきは南なりのこりの恋のよしなき朝夕あさゆふ 
 
 
 
 
 
 
 
  蜜柑の木 
 
朝の光が外にゐて、 
さて鎧戸と、窓掛と、 
その内側の白い蚊帳、 
かうした中に生えてゐる、 
蜜柑の若木五六本。 
それが私に見えるのだ。 
いまだ開かぬ瞼ごし、 
まぼろしでなく夢でなく、 
昨日の朝も今朝も見る。 
かぐの木の実がるでなし、 
はなたちばなが咲くでなし、 
蜜柑の木より榊とも、 
しきみの木とも云ふ方が、 
かなつたやうな若い木で、 
穂すすきめいた弓なりの、 
四尺ばかりの五六本。 
初めの朝に蜜柑だと、 
決めて眺めた緑の木。 
熊野の浦の浜畑の、 
白い沙地と見えるのは、 
まさしく蚊帳の麻の目よ。 
私はこれを楽しんで、 
見てゐながらも思ひます。 
かうした蚊帳の中にある、 
蜜柑畑のほの白い、 
沙子すなごの中で人しれず、 
生命いのち終つて横たはる、 
朝が私にあることを。 
 
 
 
 
 
 
 
  すすき 
 
穂の薄をば手に提げて、 
盆の仏の帰る絵を、 
身の毛のよだつ思ひして、 
見たは幼い日のわたし。 
 
そのすすきより細い手も、 
それより白い骨もまた、 
恐しい気のせずなりて、 
十三日の待たるるよ。 
 
巴里の街の下に見し、 
カタコンブなる鈍色にびいろの、 
人骨などはよそのこと、 
あの絵に描いた白い人。 
 
 
 
 
 
 
 
  二十六日 
 
霜月の末の落日、 
常磐木のもと二十はたもと、 
そのには三四の紅葉、 
中目黒、驪山りざんの荘よ、 
広縁に畳敷かれて、 
古柱、紫檀めきたり。 
この入日、平家の船を 
西海に照らせる如く、 
我れを射て、いといと赤し 
心をば云ふにあらねど、 
風なくて肩の寒かり、 
君逝きし二十六日。