穂孕期 宮沢賢治

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穂孕期
宮沢賢治
 
 
 
 
 
 

蜂蜜いろの夕陽のなかを
みんな渇いて
稲田のなかの萱の島、
観音堂へ漂ひ着いた
いちにちの行程は
ただまっ青な稲の中
眼路をかぎりの
その水いろの葉筒の底で
けむりのやうな一ミリの羽
淡い稲穂の原体が
いまこっそりと形成され
この幾月の心労は
ぼうぼう東の山地に消える
青く澱んだ夕陽のなかで
麻シャツの胸をはだけてしゃがんだり
帽子をぬいで小さな石に腰かけたり
みんな顔中稲で傷だらけにして
芬って酸っぱいあんずをたべる
みんなのことばはきれぎれで
知らない国の原語のやう
ぼうとまなこをめぐらせば、
青い寒天のやうにもさやぎ
むしろ液体のやうにもけむって
この堂をめぐる萱むらである

       
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 底本:「宮沢賢治集全集2」ちくま文庫、筑摩書房
   1986(昭和61)年4月24日第1刷発行
   2005(平成17)年7月15日第12刷発行
入力:伊藤雄介
校正:米田
編集:明かりの本
2012年1月7日作成
2018年12月29日編集
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