蜘蛛の夢
岡本綺堂
一
S未亡人は語る。
わたくしは当年七十八歳で、
年寄りのお話はとかくに前置きが長いので、お若い方々はじれったく
叔父は父の弟で、わたくしの母よりも五つの年上で、その頃四十一の
これでまず両方の戸籍しらべも相済みまして、さてこれから
その六月の二十六日とおぼえています。その頃わたくしは近所の裁縫のお師匠さんへかよっていましたので、お
「今、叔父さんが家の前に立っていましたよ。」
わたくしは家へ帰ってその話をすると、母も妙な顔をしていました。
「そうかえ。叔父さんがそんな女と一緒に……。
「じゃあ、
「ちっとも知らなかったよ。」
話はそれぎりでしたが、その時に母は妙な顔をしたばかりでなく、だんだんに
旧暦の六月末はもう土用のうちですから、どこのお稽古もお
「おや、おっかさんはいないのかしら。」
そう思いながら台所から上がりかかると、狭い庭にむかった横六畳の座敷に、女の話し声がきこえます。それは確かに会津屋の叔母の声で、なんだか泣いているらしいので、わたくしは思わず立ちどまりました。叔母が話しているようでは、母も家にいるに相違ありません。二人は何かの話に気を取られて
「まあちゃんまだ帰らないのかしら。」
まあちゃんというのはわたくしの名で、お政というのでございます。それを切っかけに、顔を出そうか出すまいかと考えていますと、叔母はすぐに帰りかかりました。
「おや、いつの間にかすっかり夜になってしまって……。どうもお邪魔をしました。」
「ほんとうにあかりもつけないで……。」と、母も入口へ送って出るようです。
その間にわたくしは茶の間にはいって行燈をつけました。叔母は格子をあけて出てゆく。母は引っ返して来て、わたくしがいつの間にか帰って来ているのに少し驚いているようでした。
「おまえ、叔母さんの話をきいていたかえ。」
「声はきこえても、何を話しているのか判りませんでした。」
わたくしは正直に答えたのですが、母はまだ疑っているようでした。そうして、たとい少しでも立ち聴きをされたものを、なまじいに隠し立てをするのは
「おまえも薄うす聞いたらしいけれど、叔母さんの
それは叔母さんの泣き声で大抵は推量していましたが、その事件の内容はちっとも知らないのでございます。わたくしは黙って母の顔をながめていますと、母は小声でまた話しつづけました。
「わたしもその事は薄うす聞いていたけれど、叔父さんはこのごろ何か悪い道楽を始めたらしいんだよ。
「どこへ遊びに行くんでしょう。」と、わたくしは訊きました。
「どうも新宿の方へ行くらしいんだよ。」
母は思い出したように、昼間の女のことを詳しく訊きかえしました。その女は新宿の芸妓かなにかで、叔父はそれに引っかかっているのだろうと、母は推量しているらしいのです。わたくしも大方そんなことだろうと思いました。商売を打っちゃって置いて、毎日遊び歩いてお金を遣って、叔父さんの家はどうなるだろう。そんなことを考えると、わたくしはいよいよ心細いような、悲しいような心持になりました。
「ふうちゃんもまだ若いからね。」と、母はひとり言のようにいって、また溜息をつきました。
ふうちゃんというのはわたくしの兄の房太郎のことで、前に申す通り、まだ十九で、奉公中の身の上でございます。何につけても頼りにするのは会津屋の叔父ひとり、その叔父がそういう始末ではまったく心細くなってしまいます。母が溜息をつくのも無理はありません。わたくしも涙ぐまれて来ました。
「それにね。」と、母はまたささやきました。「叔父さんはこのごろ妙に気があらくなって、
「まあ。」と、言ったばかりで、わたくしはいよいよ情けなくなりました。
広い世間から見ますれば、会津屋という刀屋一軒が倒れようが起きようが、またその亭主が死のうが生きようが、勿論なんでも無いことでございましょうが、今のわたくし共に取りましては実に一大事でございます。
「蚊が出たね。」
母が気がついたように言いました。わたくしはさっきから気が付かないでもなかったのですが、話の方に
母に催促されて、わたくしは慌てて縁側へ
二
会津屋のむすめのお定とお由はわたくしの稽古
あくる日、お稽古に参りますと、お定とお由の
「
「ええ、来てよ。」
「どんな話をして……。」
正直に言えばよかったのでしょうが、わたくしは何だか言いそびれて、叔母さんはわたしがお湯に行っている留守に来たのだから、どんな話をしたのかよく知らないと、いい加減にごまかしてしまいました。お定はだまってうなずいていましたが、その苦労ありそうな顔は、わたくしにもよく判りました。やがて横町の角へ来たので、そこで別れて二、三間ほど歩き出しますと、お定は引っ返してわたくしのあとを追って来ました。そうして、わたくしの耳の
「およっちゃんと仲よくして頂戴よ。」
そう言ったかと思うと、足早にまた引っ返して行ってしまいました。なんの訳だか判りません。きょうに限って、お定がなぜわざわざそんなことを言ったのか、わたくしも少しおかしく思いました。
およっちゃんというのは妹のお由のことで、わたくしの兄とは三つ違いでございまして、
その日はずいぶん暑かったのを覚えています。あんまり蒸すから今に夕立でも降るかも知れないと母が言っていますと、果して七つ半、唯今の午後五時でございます。その頃から空が陰って来ました。西の方角で遠い
いや、こんなことを詳しく申上げていては長くなります。とにかく、それから半
その夕立もようやく通り過ぎて、ゆう日のひかりが薄く洩れて来たので、母もわたくしも生きかえったように元気が出て、蚊帳をはずしたり、雨戸を明けたりしていると、どこの家でも同じことで、雨戸をあける音や、人の話し声や、往来をあるく足音や、それらが一緒になって、世間は夜があけたように賑やかになりました。
「さっきのかみなり様は一つ、どこか近所へお
「そうでしょうねえ。」
そんなことを話し合っているうちに、表はいよいよ騒がしくなって、大勢の人が駈けて行く足音がきこえます。そうして、女だとか若い女だとかいう声がきこえます。何事が起ったのかとわたくしも表へ出てみると、横町の中ほどにある銀杏のまわりに大勢の人があつまっているので、雷はあすこへ落ちたのだろうと思いましたが、若い女だというのが判りません。もしや誰かが雷に撃たれたのかと、怖いものを見たさに駈けて行きますと、案の通り、そこには若い女が倒れているのでございます。
女は雨やどりをするつもりで銀杏の下へ駈け込んだのか、それとも、ちょうど銀杏の下を通りかかったのか、いずれにしても、その木に雷が落ちたために、女も撃たれて死んだらしいのです。
雷に撃たれて死んだ人を生れてから初めて見て、わたくしは思わずぞっとしましたが、もう一つ驚かされたのは、倒れている女の右の腕あたりにかなり大きい一匹の青い蛇が長くなって死んでいることでした。
そこらにいた人たちの話では、その蛇は銀杏の
それだけで逃げて帰ればよろしいのですが、唯今も申す通りに怖いもの見たさで、わたくしは怖ごわながらそっと覗いてみると、その女の顔には見覚えがあります。年のころは二十二、三の粋な女――きのうのお午ごろ、叔父と一緒にわたくしの家のまえに立っていた女――着物は変っていましたけれど、確かにそれに相違ないので、わたくしは俄かにからだ中が冷たくなって、手も足もすくんでしまうように思われました。どこの何という人か知りませんけれど、ともかくも叔父と連れ立って、きのうここへ来た女がきょうもまたここへ来て、しかも雷に撃たれて死んだということが、わたくしに取っては不思議なような、怖ろしいような、何かの
死骸のまわりには大勢の人があつまっていましたが、
叔父のところへ知らせてやれば、おそらく
「おまえ、見違いじゃあるまいね。確かにきのうの女だろうね。」
「ええ、確かにきのうの人でした。」と、わたくしは受合うように言いました。
「それじゃ会津屋へ行って、叔父さんにそっと耳打ちをして来ようかねえ。」
母は思いきって出て行きました。そのうちに日も暮れてしまって、例の蚊いぶしの時刻になりましたが、わたくしは今夜もぼんやりして、ただ坐ったままでその女のことばかりを考えていました。
雷に撃たれて死んだのですから、別に叔父の迷惑になるようなこともあるまいとは思うのですが、ともかくも叔父の識っている人が変死を遂げたということだけでも、決していい心持はいたしません。その女は夕立の最中になんでこの横町へ来たのだろう。もしやわたしの家へたずねて来る途中ではなかったか。そうすると、わたくしの家の者も自身番へ呼出されて、なにかのお調べを受けはしまいかなどと、それからそれへといろいろのことを考えて、いよいよ
「まあちゃん。」
わたくしを呼ぶ声がふだんと変っているので、なんだかぎょっとして振返ると、母は息をはずませながら小声で言い聞かせました。
「会津屋のさあちゃんが
「あら、さあちゃんが……。どうして……。」
わたしもびっくりしました。
三
母の話はこういうのでございます。
会津屋の姉お定は、きょうのお
叔父は例の通りに、朝から家を出たぎりですから、叔母ひとりが
お定の家出にも驚かされましたが、こちらも話すだけのことは話さなければなりませんので、母もかの女のことを話し出しますと、叔母も不思議そうな顔をして聴いていました。そんな女については一向に心あたりがないと言ったそうで……。なにしろこの頃の叔父のことですから、どこにどういう知人が出来ているのか、叔母にも見当が付かないらしいのでございます。
一方には会津屋のむすめが家出をする、一方には叔父に係り合いのあるらしい女が雷に撃たれている。この二つの事件がまるで別々であるのか、それともその間に何かの縁をひいているのか、それも
半日ぐらい帰らないからといって、こんなに騒ぐのもおかしいと思召すかも知れませんが、その頃の堅気の家のむすめは誰にも断りなしに遠いところへ行くことはありません。たとい近所へ行くにしても必ず断って出る筈ですから、
いつまで叔母と向い合って、溜息をついていても果てしがないので、母はまた来るからといって一旦帰って来たのでございます。その話をしてしまって、母はわたくしに訊きました。
「さあちゃんは何処かの若い人と仲よくしていたかしら。おまえ、知らないかえ。」
「そんなことは……。あたし知りませんわ。」
「ほんとうに知らないかえ。」
幾たび念を押されても、わたくしは全く知らないのでございます。お定がよその若い男と心安くしているなどというのは、今まで一度も見たこともなし、そんな噂を聞いたこともありません。さっきの夕立の最中に、お定はどこにどうしていたのでしょう。それを思うと、わたくしはまたむやみに悲しくなりました。
母はまたこんなことをささやきました。
「今、帰る途中で聞いたらば、さっきの死骸は自身番へ運んで行ったが、まだ御検視が済まないそうだよ。」
「どこの人でしょうねえ。」
「それは判らないけれども……。おまえ、決してうっかりした事を言っちゃあいけないよ。誰に訊かれても黙っているんだよ。叔父さんと一緒に歩いていたなんぞと言っちゃあいけないよ。」と、母は繰返して口留めをしました。
うっかりしたことを言って、それが飛んでもない係り合いになって、町奉行所の
五つ(午後八時)過ぎになって、母は再び会津屋へ出て行きましたが、お定の行くえはやはり知れません。叔父も帰って来ないのでございます。といって、わたくし共がどうすることも出来ないのですから、母もわたくしも心配しながらその晩は遅く寝床にはいりました。夕立のあとは余ほど涼しくなったのでございますが、二人ながらおちおち眠られませんでした。
寝苦しい一夜を明かすと、あしたは晴れていて朝から暑くなりました。雷に撃たれた銀杏の木は、大きい枝を半分折られたのですが、その幹には
「あの女はよい辰という遊び人の娘で、去年まで新宿の芸妓をしていたんですとさ。それが近江屋という質屋の旦那の世話になって、今では商売をやめて
おかみさんは
「人の噂ですから、確かなことは判りませんがね。」と、おかみさんはまた言いました。「なんでもそのお春という女には内所の色男があって、きのうもそこへ逢いに行く途中で、あんなことになったらしいというんですよ。」
「それじゃあ、その男というのがこの辺にいるんでしょうか。」と、となりの
「大方そうでしょうよ。うっかり出て来ると面倒だと思って、知らん顔をして引っ込んでいるんでしょうが、そんな不人情なことをすると、女の恨みがおそろしいじゃありませんか。女の思いが蛇と一緒になって執りつかれた日にゃあ、大抵の男も参ってしまいまさあね。」と、おかみさんはまた笑いました。
家へはいって、わたくしは母にそっと話しますと、母は考えていました。
「それにしても、まさかに叔父さんがその相手じゃあるまい。」
「そうでしょうねえ。」
「そりゃ男のことだから何ともいえないけれど、叔父さんは四十一で、親子ほども年が違うんだからねえ。」と、母はあくまでもそれを信じないような口ぶりでした。
叔父がその女の相手であるかないかは別として、ともかくも叔父がその女を識っているのは事実ですから、叔父が帰って来れば恐らく詳しいことも判るだろうと思われました。母はけさも会津屋へ出かけて行きましたが、叔父もお定もやはり音沙汰なしだというのでございます。
母と入れかわって、わたくしも見舞ながら会津屋へ行きますと、叔母はいろいろの苦労でゆうべはまんじりともしなかったということで、気ぬけがしたように
わたくしがなぜそれを母に洩らさないかといいますと、お定が家出をしたあとで迂濶にそんなことを言い出すと、そんなことがあったらば、なぜ早くわたしに言わないのかと母に叱られるのが怖ろしいので、ゆうべは勿論、けさになっても黙っていたのではございますが、こうして会津屋の店へ来て、叔母や店の人たちの苦労ありそうな顔をみていますと、わたくしももう黙ってはいられないような気になりました。
それでも、叔母に向っては言い出しにくいので、帰るときにお由を表へ呼出して、小声でそのことを話しますと、お由は案外平気な顔をしていました。
「あたし知っているわ。姉さんはふうちゃんと一緒に、どっかに隠れているのよ。」
わたくしはまたびっくりしました。兄の房太郎は奉公中の身の上でございます。それが叔父のむすめを誘い出してどこにか隠れている。そんなことのあろう筈がありません。お由がなぜそんなことを言うのかと、わたくしは呆れてその顔をながめていますと、お由の眼はいつかうるんで来ました。
「ねえさん、あんまりだわ。」
前にも申す通り、お定は総領ですから婿を取らなければなりません。そこで、妹娘のお由を兄の房太郎に
嘘か、本当か、なにしろこうなってはうかうかしていられないので、わたくしは急いで家へ帰って、母にそれを訴えますと、母も顔の色を変えました。万一それが本当ならば、お定ばかりのことではなく、兄もお
母の持病は
「あいにくだねえ。」
母は
わたくしが独りで留守番をするのは、今に始まった事ではありませんが、きょうはなんだか心さびしくてなりませんでした。日が暮れ切ってから会津屋の叔母が蒼い顔をして尋ねて来まして、叔父もお定もまだ行くえが知れない。お岩稲荷のお
「おっかさんはどこへ……。」
その返事にはわたくしも少し困りました。兄のことで京橋へ出て行ったと正直に話すわけにもゆかないので、芝の方によい占い者があるので、そこへ見てもらいに行ったと、いい加減の嘘をついて置きました。それもわたくしの知恵ではございません。もし会津屋から誰かが来たらば、まずそう言って置けと母から教えられていたのでございます。それでも知らぬが仏というのでございましょう。叔母は気の毒そうに溜息をついていました。
「みんなに心配をかけて済まないねえ。」
叔母もこれから市ヶ谷の方の占い者のところへ行くといって帰りました。今夜も暑い晩で、近所の家では表へ縁台を出して涼んでいるらしく、方々で賑やかな笑い声もきこえますが、わたくしは泣き出したいくらいに気が沈んで、
「おかみさんはこちらへ来ていませんか。」
「さっき見えたんですけれど、これから市ヶ谷の占い者のところへ行く、といって帰りましたよ。」と、わたくしは正直に答えました。「そうして、おかみさんに何か用があるの。」
「ええ。」と、利吉は少し考えながら言いました。「実はおよっちゃんが……。」
「およっちゃんがどうして……。」と、わたくしはどきりとしました。
「おかみさんが出ると、すぐ後から出て行って、いまだに帰って来ないんです。」
お由も家出をしたのでしょうか。わたくしは驚くのを通り越して、呆れてしまいました。
四
この場合ですから、会津屋でもむやみに騒ぐのでしょうが、お由はまだほんとうに家出したかどうだか判ったものではないと、利吉の帰ったあとでわたくしは考え直しました。そう思っても何だか不安心で、母の帰るのをいよいよ待っていますと、五つ(午後八時)をよほど過ぎた頃に、母は汗をふきながら帰って来ました。それでもほっとしたような顔をして、笑いながら話しました。
「およっちゃんは人騒がせに何を言ったんだろう。ふうちゃんは京橋のお
わたくしもまずほっとしました。
「それからいろいろ訊いてみたけれど、あの子はまったくなんにも知らないんだよ。およっちゃんももう十六だから、何かやきもちを焼いて、そんな詰まらないことを言ったんだろうが……。」と、母は
母は安心したとみえて、暑いのも疲れたのも忘れたように、馬鹿に機嫌がいいのでございます。
それをまたおどろかすのも気の毒でしたけれども、しょせん黙ってはいられないことですから、叔母がたずねて来たことと、お由が家出をしたらしいことを、逐一に話してきかせますと、母は「まあ」と言ったばかりで、折角の笑い顔がまた俄かにくもってしまいました。
「困ったねえ。まあ、なにしろ行ってみよう。」
くたびれ足を引摺って、母はすぐに会津屋へ出かけて行きました。きのうから今日にかけて、新宿の女が雷に撃たれる。会津屋の姉妹のむすめが家出をする。叔父はどうしているのか判らない。よくもいろいろの事がそれからそれへと続くものだと思うと、もしや夢でも見ているのではないか。夢ならば早く醒めてくれればいいと祈っていました。暫くして母が帰って来まして、お由はまだ帰って来ない、どうも家出をしたらしいというのでございます。
「叔母さんはどうして……。」
「叔母さんは市ヶ谷から帰って来たけれど……。いよいよぼんやりしてしまって、本当に気の毒でならない。今度は叔母さんが気でも違やあしないかと思うと、心配だよ。」
この上に叔母が気違いにでもなったらば、会津屋は闇です。母も幾らか捨て鉢になったとみえて、溜息をつきながらこんな事を言い出しました。
「ああ、いくら気を
まったく何かの因縁とでも諦めるのほかはありません。しかしそう諦めなければならないというのがいかにも悲しいことでございます。お由が帰ればすぐに知らせて来る筈になっているので、表を通る足音ももしやそれかと待ち暮らしていましたが、会津屋から何の知らせもありませんでした。母もわたくしも心配しながら寝床にはいりましたが、ゆうべもよく眠られませんでしたので、年のゆかないわたくしは枕に就くと正体もなしに寝入ってしまいました。あくる朝になって聞きますと、母はゆうべもよく寝付かれなかったそうでございます。
あさの御飯をたべてしまうと、わたくしは会津屋へ行きました。きょうも朝から照り付くような暑さで、わたくしは日傘を持って出ました。
「さあ、おれをどうしてくれるのだ。この年になって、こんなからだになって、大事の稼ぎ人を殺されてしまって、あしたから生きて行くことが出来ねえ。」
まったくよいよいに相違ありません。
「まあちゃん、お前さんにまで心配をかけて済みませんね。叔父さんは帰って来ないし、さあちゃんも行くえが知れないし、おまけにあんな奴が呶鳴り込んで来るし、わたしももうどうしていいか判らないんだよ。」
「あの人はどこの人です。」
「あれは新宿のよい辰というんだとさ。よいよいの言う事だからよく判らないけれど、内の叔父さんがその娘のお春というのを引っ張り出して、それがためにお春が石切横町で雷に撃たれて死んだというので、ここの
「そうですねえ。」
「たとい叔父さんが引っ張り出したにしても、雷に撃たれたのは災難じゃあないか。自分たちの
その権幕があまり激しいので、わたくしは怖くなりました。なるほど母のいう通り、叔母は気違いにでもなるのでないかと思うと、なんだか気味が悪くなって、逃げるように早々帰って来ました。
それから三日ばかり過ぎました。そのあいだに母は毎日二、三度ずつ会津屋を訪ねていましたが、叔父もお定姉妹もやはり姿をみせないのでございます。
「ああしていたら会津屋はつぶれる。」と、母も涙をこぼしていました。
七月三日の
五
いえ、どうもお話が長くなりまして、
叔父の頭を石でぶち割ったというのは、その疵口ばかりでなく、血に染みた大きい切石がその近所に捨ててあったのを見て、すぐにそれと覚られたのだそうでございます。叔父がなんでそんな所にうろ付いていたのか、またどうして殺されたのか、誰にも見当が付かなかったのでございますが、やはりその時代でも探偵は相当に行届いていたものと見えまして、検視に来た役人たちはそこらの草の中に小さい
わたくしはその品を見ませんので、くわしいことは申上げられませんが、その印籠のようなものというのは本当の印籠よりも少し細い形で、どちらかといえば
叔父は一体が凝り性である上に、根が勝負事でありますから、だんだんに深入りをして、ほとんど夢中になってしまったのでございます。四谷辺では新宿の貸座敷の近所にある
わたくしにはよく判りませんが、蜘蛛というものは非常に残忍な動物で、同類相噛むと申します。その性質を利用して勝負を争うのですから、碁や将棋や花合せとは違いまして、自分の上手下手というよりも、虫の強い弱いということが大切でございます。それですから、咬み合いに用いる蜘蛛はなかなかその値が高かったと申します。そのなかでも袋蜘蛛がよいという事になっていたそうでございます。御承知の通り、袋蜘蛛は地のなかに棲んでいまして、袋のなかにたくさんの子を入れているのでございます。
勝負事ですから、勝ったり負けたりするのでございましょうが、叔父は近ごろ運が悪くて、しきりに負けが続きました。負ければ負けるほど熱くなるのが勝負事のならいで、叔父はいよいよ夢中になって家の金をつかみ出しているうちに、手元がだんだん苦しくなって来ました。伯母には内密で
お春はそれで一旦
お春のことはまずそれとしまして、これからは叔父と娘ふたりの身の上でございますが、まったく勝負事にのぼせるというのは怖ろしいもので、叔父はもう夢中になってしまって、親子の情愛も忘れたらしいのでございます。勿論、
しかしほかの事と違いますから、叔母に打明けるわけには参りません。いえば、不承知は判り切っています。不承知どころか、どんな騒ぎになるか判りません。そこで、叔父はそっと自分の家の近所へ忍んで来て、姉娘が外へ出るのを待っていますと、お定が糸を買いに出て来ましたので、ちょいとそこまで一緒に来てくれといって連れて行きました。お定も自分の親のいうことですから、なんの気もつかずに一緒に付いて行くと、叔父はむすめを大木戸の相模屋へ連れ込んで、いい加減にだまして二階へ押上げてしまいました。こうなると、お定ももう十七、八ですから、なんだかおかしく思って、早く家へ帰りたいと言い出しますと、叔父はここで
それでまず一匹の大きい蜘蛛を譲ってもらいまして、叔父はその晩すぐに勝負に出かけますと、一度は勝ちましたが二度目に負けました。それはお春が雷に撃たれた晩で、よい辰の家では娘の帰りが遅いので心配をはじめました。旦那の近江屋も案じていました。そんなわけで勝負はいつもより早く終ったのですが、叔父はやはり家へは帰りませんで、どこかの貸座敷へ行って酔い倒れてしまったのでございます。人間もこうなっては仕様がありません。譲ってもらった蜘蛛が思いのほかに強くないので、叔父は失望して相模屋へ掛合いに行きますと、善兵衛は相手になりません。もともと生き物の勝負であるから、向うがこっちよりも強い虫を持って来ればかなわない、わたしの持っている虫だとてきっと勝つとは限らないという返事でございます。それでも叔父はぐずぐず言うので、それではわたしの虫を捕ってくる場所を教えてやるから、おまえが行って勝手に捕るがいい。しかしその場所は秘密であるからめったに教えられないと、善兵衛がまた焦らしました。
ここらでもう大抵は目が醒めそうなものですが、あくまでも逆上せ切っている叔父は、またうかうかとそれに乗せられて……。もうお話をするのも
こうして、ふたりの娘を自分の方へ取上げてしまった善兵衛は、叔父を案内して家を出ました。善兵衛はあしたにしろと言ったのですが、叔父はどうしても承知しない。暗い時ではいけないから昼間にしろと言っても、叔父はきかない。そこで、蝋燭を用意して一緒に行くことになった――と、善兵衛自身はこう言うのですが、嘘か本当か判りません。ともかくも暗い夜道を千駄ヶ谷の方角へたどって行きまして、広い草原のなかを探しあるいて、ここらの土のなかには強い袋蜘蛛がたくさんに棲んでいると教えたので、叔父は小さい蝋燭のひかりを頼りに、そこらを照らして見ると、善兵衛は足もとに転がっていた大きい切石を拾って……。後に善兵衛の申立てによると、初めから叔父を殺そうとして連れ出したのではなく、ふと足もとに大きい石のあるのを見て、俄かにそんな
それにしても、どうして善兵衛の
これで、このお話もまずお仕舞いでございます。――まだ判らないことがあると仰しゃるのでございますか。はあ、成る程。お稽古の帰り道で、お定がわたくしに「およっちゃんと仲よくして頂戴」と言ったこと。――あれは後にお定に聞きますと、別になんでもないことでした。その日、裁縫のお師匠さんのところで、わたくしが間違ってお由の
お定は婿を貰いましたが、産後の肥立ちが悪くて早死にを致しました。兄の夫婦ももうこの世にはおりません。生き残っているものはわたくしだけでございますが、その当時の悲しい恐ろしい思い出が今も頭にありありと
余談でございますが、この蜘蛛についてはまだお話があります。
かのお春の旦那で、近江屋という質屋の亭主もやはり気違いのようになりました。それはある日のこと、蜘蛛を入れて置く印籠筒の蓋がゆるんでいたのでしょう、蜘蛛が畳の上に這い出していたのを、女中の一人がうっかり踏みつけて殺してしまったのでございます。さあ、大変。亭主は烈火のように怒りまして、その女中をきびしく叱った上に
会津屋といい、善兵衛といい、お春といい、近江屋といい、皆それぞれの変死を遂げたのは、きっと蜘蛛のたたりに相違ないと、世間ではその頃もっぱら言い触らしたそうでございます。蜘蛛の
底本:「蜘蛛の夢」光文社文庫、光文社
1990(平成2)年4月20日初版1刷発行
初出:「文藝倶楽部」
1927(昭和2)年9月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:花田泰治郎
2006年5月7日作成
青空文庫作成ファイル:
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