夏目漱石 草枕

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草枕
夏目漱石

 
 
 
   一 
 
 
 
 

 山路やまみちを登りながら、こう考えた。

 に働けばかどが立つ。じょうさおさせば流される。意地をとおせば窮屈きゅうくつだ。とかくに人の世は住みにくい。

 住みにくさがこうじると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいとさとった時、詩が生れて、が出来る。

 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りょうどなりにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容くつろげて、つかの命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命がくだる。あらゆる芸術の士は人の世を長閑のどかにし、人の心を豊かにするがゆえたっとい。

 住みにくき世から、住みにくきわずらいを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、である。あるは音楽と彫刻である。こまかにえば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌もく。着想を紙に落さぬともきゅうそうのおん胸裏きょうりおこる。丹青たんせい画架がかに向って塗抹とまつせんでも五彩ごさい絢爛けんらんおのずから心眼しんがんに映る。ただおのが住む世を、かくかんじ得て、霊台方寸れいだいほうすんのカメラに澆季溷濁ぎょうきこんだくの俗界を清くうららかに収めればる。この故に無声むせいの詩人には一句なく、無色むしょくの画家にはせっけんなきも、かく人世じんせいを観じ得るの点において、かく煩悩ぼんのう解脱げだつするの点において、かく清浄界しょうじょうかい出入しゅつにゅうし得るの点において、またこの不同不二ふどうふじ乾坤けんこん建立こんりゅうし得るの点において、我利私慾がりしよく覊絆きはん掃蕩そうとうするの点において、――千金せんきんの子よりも、万乗ばんじょうの君よりも、あらゆる俗界の寵児ちょうじよりも幸福である。

 世に住むこと二十年にして、住むに甲斐かいある世と知った。二十五年にして明暗は表裏ひょうりのごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日こんにちはこう思うている。――喜びの深きときうれいいよいよ深く、たのしみの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。かたづけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものがえればも心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足をささえている。背中せなかには重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えばらぬ。存分食えばあとが不愉快だ。……

 かんがえがここまで漂流して来た時に、余の右足うそくは突然すわりのわるい角石かくいしはしを踏みくなった。平衡へいこうを保つために、すわやと前に飛び出した左足さそくが、仕損しそんじのあわせをすると共に、余の腰は具合よくほう三尺ほどな岩の上にりた。肩にかけた絵の具箱がわきの下からおどり出しただけで、幸いとなんの事もなかった。

 立ち上がる時に向うを見ると、みちから左の方にバケツを伏せたような峰がそびえている。杉かひのきか分からないが根元ねもとからいただきまでことごとく蒼黒あおぐろい中に、山桜が薄赤くだんだらに棚引たなびいて、しかと見えぬくらいもやが濃い。少し手前に禿山はげやまが一つ、ぐんをぬきんでてまゆせまる。禿げた側面は巨人のおのけずり去ったか、鋭どき平面をやけに谷の底にうずめている。天辺てっぺんに一本見えるのは赤松だろう。枝の間の空さえ判然はっきりしている。行く手は二丁ほどで切れているが、高い所から赤い毛布けっとが動いて来るのを見ると、登ればあすこへ出るのだろう。路はすこぶる難義なんぎだ。

 土をならすだけならさほど手間てまるまいが、土の中には大きな石がある。土はたいらにしても石は平らにならぬ。石は切り砕いても、岩は始末がつかぬ。掘崩ほりくずした土の上に悠然ゆうぜんそばだって、吾らのために道を譲る景色けしきはない。向うで聞かぬ上は乗り越すか、廻らなければならん。いわのない所でさえるきよくはない。左右が高くって、中心がくぼんで、まるで一間はばを三角に穿って、その頂点が真中まんなかつらぬいていると評してもよい。路を行くと云わんより川底をわたると云う方が適当だ。もとより急ぐ旅でないから、ぶらぶらと七曲ななまがりへかかる。

 たちまち足の下で雲雀ひばりの声がし出した。谷を見下みおろしたが、どこで鳴いてるか影も形も見えぬ。ただ声だけが明らかに聞える。せっせとせわしく、絶間たえまなく鳴いている。方幾里ほういくりの空気が一面にのみに刺されていたたまれないような気がする。あの鳥の鳴くには瞬時の余裕もない。のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、また鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句あげくは、流れて雲にって、ただようているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空のうちに残るのかも知れない。

 巌角いわかどを鋭どく廻って、按摩あんまなら真逆様まっさかさまに落つるところを、きわどく右へ切れて、横に見下みおろすと、の花が一面に見える。雲雀はあすこへ落ちるのかと思った。いいや、あの黄金こがねの原から飛び上がってくるのかと思った。次には落ちる雲雀と、あが雲雀ひばりが十文字にすれ違うのかと思った。最後に、落ちる時も、上る時も、また十文字にれ違うときにも元気よく鳴きつづけるだろうと思った。

 春は眠くなる。猫は鼠をる事を忘れ、人間は借金のある事を忘れる。時には自分のたましい居所いどころさえ忘れて正体なくなる。ただ菜の花を遠く望んだときに眼がめる。雲雀の声を聞いたときに魂のありかが判然はんぜんする。雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声にあらわれたもののうちで、あれほど元気のあるものはない。ああ愉快だ。こう思って、こう愉快になるのが詩である。

 たちまちシェレーの雲雀の詩を思い出して、口のうちで覚えたところだけ暗誦あんしょうして見たが、覚えているところは二三句しかなかった。その二三句のなかにこんなのがある。

  We look before and after

    And pine for what is not:

  Our sincerest laughter

    With some pain is fraught;

Our sweetest songs are those that tell of saddest thought.

「前をみては、しりえを見ては、物欲ものほしと、あこがるるかなわれ。腹からの、笑といえど、苦しみの、そこにあるべし。うつくしき、きわみの歌に、悲しさの、極みのおもいこもるとぞ知れ」

 なるほどいくら詩人が幸福でも、あの雲雀のように思い切って、一心不乱に、前後を忘却して、わが喜びを歌うわけには行くまい。西洋の詩は無論の事、支那の詩にも、よく万斛ばんこくうれいなどと云う字がある。詩人だから万斛で素人しろうとなら一ごうで済むかも知れぬ。して見ると詩人は常の人よりも苦労性で、凡骨ぼんこつの倍以上に神経が鋭敏なのかも知れん。超俗の喜びもあろうが、無量のかなしみも多かろう。そんならば詩人になるのも考え物だ。

 しばらくは路がたいらで、右は雑木山ぞうきやま、左は菜の花の見つづけである。足の下に時々蒲公英たんぽぽを踏みつける。のこぎりのような葉が遠慮なく四方へのして真中に黄色なたまを擁護している。菜の花に気をとられて、踏みつけたあとで、気の毒な事をしたと、振り向いて見ると、黄色な珠は依然として鋸のなかに鎮座ちんざしている。呑気のんきなものだ。また考えをつづける。

 詩人にうれいはつきものかも知れないが、あの雲雀ひばりを聞く心持になれば微塵みじんもない。菜の花を見ても、ただうれしくて胸がおどるばかりだ。蒲公英もその通り、桜も――桜はいつか見えなくなった。こう山の中へ来て自然の景物けいぶつに接すれば、見るものも聞くものも面白い。面白いだけで別段の苦しみも起らぬ。起るとすれば足が草臥くたびれて、うまいものが食べられぬくらいの事だろう。

 しかし苦しみのないのはなぜだろう。ただこの景色を一ぷくとして、一かんの詩として読むからである。であり詩である以上は地面じめんを貰って、開拓する気にもならねば、鉄道をかけて一儲ひともうけする了見りょうけんも起らぬ。ただこの景色が――腹のしにもならぬ、月給の補いにもならぬこの景色が景色としてのみ、余が心を楽ませつつあるから苦労も心配もともなわぬのだろう。自然の力はここにおいてたっとい。吾人の性情を瞬刻に陶冶とうやして醇乎じゅんことして醇なる詩境に入らしむるのは自然である。

 恋はうつくしかろ、孝もうつくしかろ、忠君愛国も結構だろう。しかし自身がそのきょくに当れば利害の旋風つむじき込まれて、うつくしき事にも、結構な事にも、目はくらんでしまう。したがってどこに詩があるか自身にはしかねる。

 これがわかるためには、わかるだけの余裕のある第三者の地位に立たねばならぬ。三者の地位に立てばこそ芝居はて面白い。小説も見て面白い。芝居を見て面白い人も、小説を読んで面白い人も、自己の利害はたなへ上げている。見たり読んだりする間だけは詩人である。

 それすら、普通の芝居や小説では人情をまぬかれぬ。苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。見るものもいつかその中に同化して苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。取柄とりえは利慾がまじらぬと云う点にそんするかも知れぬが、交らぬだけにその他の情緒じょうしょは常よりは余計に活動するだろう。それがいやだ。

 苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。余も三十年の間それを仕通しとおして、飽々あきあきした。き飽きした上に芝居や小説で同じ刺激を繰り返しては大変だ。余が欲する詩はそんな世間的の人情を鼓舞こぶするようなものではない。俗念を放棄して、しばらくでも塵界じんかいを離れた心持ちになれる詩である。いくら傑作でも人情を離れた芝居はない、理非を絶した小説は少かろう。どこまでも世間を出る事が出来ぬのが彼らの特色である。ことに西洋の詩になると、人事が根本になるからいわゆる詩歌しいかの純粋なるものもこのきょう解脱げだつする事を知らぬ。どこまでも同情だとか、愛だとか、正義だとか、自由だとか、浮世うきよ勧工場かんこうばにあるものだけで用をべんじている。いくら詩的になっても地面の上をけてあるいて、ぜにの勘定を忘れるひまがない。シェレーが雲雀ひばりを聞いて嘆息したのも無理はない。

 うれしい事に東洋の詩歌しいかはそこを解脱げだつしたのがある。採菊きくをとる東籬下とうりのもと悠然ゆうぜんとして見南山なんざんをみる。ただそれぎりのうちに暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。垣の向うに隣りの娘がのぞいてる訳でもなければ、南山なんざんに親友が奉職している次第でもない。超然と出世間的しゅっせけんてきに利害損得の汗を流し去った心持ちになれる。ひとり坐幽篁裏ゆうこうのうちにざし弾琴きんをだんじて復長嘯またちょうしょうす深林しんりん人不知ひとしらず明月来めいげつきたりて相照あいてらす。ただ二十字のうちにゆう別乾坤べつけんこん建立こんりゅうしている。この乾坤の功徳くどくは「不如帰ほととぎす」や「金色夜叉こんじきやしゃ」の功徳ではない。汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼義で疲れ果てたのちに、すべてを忘却してぐっすり寝込むような功徳である。

 二十世紀に睡眠が必要ならば、二十世紀にこの出世間的の詩味は大切である。惜しい事に今の詩を作る人も、詩を読む人もみんな、西洋人にかぶれているから、わざわざ呑気のんき扁舟へんしゅううかべてこの桃源とうげんさかのぼるものはないようだ。余はもとより詩人を職業にしておらんから、王維おうい淵明えんめい境界きょうがいを今の世に布教ふきょうして広げようと云う心掛も何もない。ただ自分にはこう云う感興が演芸会よりも舞踏会よりも薬になるように思われる。ファウストよりも、ハムレットよりもありがたく考えられる。こうやって、ただ一人ひとり絵の具箱と三脚几さんきゃくきかついで春の山路やまじをのそのそあるくのも全くこれがためである。淵明、王維の詩境を直接に自然から吸収して、すこしのでも非人情ひにんじょうの天地に逍遥しょうようしたいからのねがい。一つの酔興すいきょうだ。

 もちろん人間の一分子いちぶんしだから、いくら好きでも、非人情はそう長く続くわけには行かぬ。淵明だってねん年中ねんじゅう南山なんざんを見詰めていたのでもあるまいし、王維も好んで竹藪たけやぶの中に蚊帳かやを釣らずに寝た男でもなかろう。やはり余った菊は花屋へ売りこかして、えたたけのこ八百屋やおやへ払い下げたものと思う。こう云う余もその通り。いくら雲雀と菜の花が気に入ったって、山のなかへ野宿するほど非人情がつのってはおらん。こんな所でも人間にう。じんじん端折ばしょりの頬冠ほおかむりや、赤い腰巻こしまきあねさんや、時には人間より顔の長い馬にまで逢う。百万本のひのきに取り囲まれて、海面を抜く何百尺かの空気をんだり吐いたりしても、人のにおいはなかなか取れない。それどころか、山を越えて落ちつく先の、今宵こよいの宿は那古井なこい温泉場おんせんばだ。

 ただ、物は見様みようでどうでもなる。レオナルド・ダ・ヴィンチが弟子に告げたことばに、あのかねおとを聞け、鐘は一つだが、音はどうとも聞かれるとある。一人の男、一人の女も見様次第みようしだいでいかようとも見立てがつく。どうせ非人情をしに出掛けた旅だから、そのつもりで人間を見たら、浮世小路うきよこうじの何軒目に狭苦しく暮した時とは違うだろう。よし全く人情を離れる事が出来んでも、せめて御能拝見おのうはいけんの時くらいは淡い心持ちにはなれそうなものだ。能にも人情はある。七騎落しちきおちでも、墨田川すみだがわでも泣かぬとは保証が出来ん。しかしあれはじょう分芸ぶげい七分で見せるわざだ。我らが能からけるありがた味は下界の人情をよくそのままに写す手際てぎわから出てくるのではない。そのままの上へ芸術という着物を何枚も着せて、世の中にあるまじき悠長ゆうちょう振舞ふるまいをするからである。

 しばらくこの旅中りょちゅうに起る出来事と、旅中に出逢であう人間を能の仕組しくみと能役者の所作しょさに見立てたらどうだろう。まるで人情をてる訳には行くまいが、根が詩的に出来た旅だから、非人情のやりついでに、なるべく節倹してそこまではぎつけたいものだ。南山なんざん幽篁ゆうこうとはたちの違ったものに相違ないし、また雲雀ひばりや菜の花といっしょにする事も出来まいが、なるべくこれに近づけて、近づけ得る限りは同じ観察点から人間をてみたい。芭蕉ばしょうと云う男は枕元まくらもとへ馬が尿いばりするのをさえな事と見立てて発句ほっくにした。余もこれから逢う人物を――百姓も、町人も、村役場の書記も、じいさんもばあさんも――ことごとく大自然の点景として描き出されたものと仮定して取こなして見よう。もっとも画中の人物と違って、彼らはおのがじし勝手な真似まねをするだろう。しかし普通の小説家のようにその勝手な真似の根本をぐって、心理作用に立ち入ったり、人事葛藤じんじかっとう詮議立せんぎだてをしては俗になる。動いても構わない。画中の人間が動くと見ればつかえない。画中の人物はどう動いても平面以外に出られるものではない。平面以外に飛び出して、立方的に働くと思えばこそ、こっちと衝突したり、利害の交渉が起ったりして面倒になる。面倒になればなるほど美的に見ているわけに行かなくなる。これから逢う人間には超然と遠き上から見物する気で、人情の電気がむやみに双方で起らないようにする。そうすれば相手がいくら働いても、こちらのふところには容易に飛び込めない訳だから、つまりはの前へ立って、画中の人物が画面のうちをあちらこちらと騒ぎ廻るのを見るのと同じ訳になる。あいだ三尺もへだてていれば落ちついて見られる。あぶななしに見られる。ことばえて云えば、利害に気を奪われないから、全力をげて彼らの動作を芸術の方面から観察する事が出来る。余念もなく美か美でないかと鑒識かんしきする事が出来る。

 ここまで決心をした時、空があやしくなって来た。煮え切れない雲が、頭の上へ靠垂もたかかっていたと思ったが、いつのまにか、くずして、四方しほうはただ雲の海かと怪しまれる中から、しとしとと春の雨が降り出した。菜の花はくに通り過して、今は山と山の間を行くのだが、雨の糸がこまやかでほとんど霧をあざむくくらいだから、へだたりはどれほどかわからぬ。時々風が来て、高い雲を吹き払うとき、薄黒い山のが右手に見える事がある。何でも谷一つ隔てて向うが脈の走っている所らしい。左はすぐ山のすそと見える。深くめる雨の奥から松らしいものが、ちょくちょく顔を出す。出すかと思うと、隠れる。雨が動くのか、木が動くのか、夢が動くのか、何となく不思議な心持ちだ。

 路は存外ぞんがい広くなって、かつたいらだから、あるくに骨は折れんが、雨具の用意がないので急ぐ。帽子から雨垂あまだれがぽたりぽたりと落つる頃、五六間先きから、鈴の音がして、黒い中から、馬子まごがふうとあらわれた。

「ここらに休む所はないかね」

「もう十五丁行くと茶屋がありますよ。だいぶれたね」

 まだ十五丁かと、振り向いているうちに、馬子の姿は影画かげえのように雨につつまれて、またふうと消えた。

 ぬかのように見えた粒は次第に太く長くなって、今は一筋ひとすじごとに風にかれるさままでが目にる。羽織はとくに濡れつくして肌着にみ込んだ水が、身体からだ温度ぬくもり生暖なまあたたかく感ぜられる。気持がわるいから、帽を傾けて、すたすた歩行あるく。

 茫々ぼうぼうたる薄墨色うすずみいろの世界を、幾条いくじょう銀箭ぎんせんななめに走るなかを、ひたぶるに濡れて行くわれを、われならぬ人の姿と思えば、詩にもなる、句にもまれる。有体ありていなるおのれを忘れつくして純客観に眼をつくる時、始めてわれは画中の人物として、自然の景物と美しき調和をたもつ。ただ降る雨の心苦しくて、踏む足の疲れたるを気に掛ける瞬間に、われはすでに詩中の人にもあらず、画裡がりの人にもあらず。依然として市井しせいの一豎子じゅしに過ぎぬ。雲煙飛動のおもむきも眼にらぬ。落花啼鳥らっかていちょうの情けも心に浮ばぬ。蕭々しょうしょうとしてひと春山しゅんざんを行くわれの、いかに美しきかはなおさらにかいせぬ。初めは帽を傾けて歩行あるいた。のちにはただ足のこうのみを見詰めてあるいた。終りには肩をすぼめて、恐る恐る歩行た。雨は満目まんもく樹梢じゅしょううごかして四方しほうより孤客こかくせまる。非人情がちと強過ぎたようだ。

 

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