坊っちゃん 夏目漱石(前編)

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坊っちゃん
夏目漱石
 
 

 
 
 
 
 
 
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 一
 
 親譲おやゆずりの無鉄砲むてっぽうで小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほどこしかした事がある。なぜそんな無闇むやみをしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談じょうだんに、いくら威張いばっても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。とはやしたからである。小使こづかいに負ぶさって帰って来た時、おやじが大きなをして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かすやつがあるかとったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。
 親類のものから西洋製のナイフをもらって奇麗きれいを日にかざして、友達ともだちに見せていたら、一人が光る事は光るが切れそうもないと云った。切れぬ事があるか、何でも切ってみせると受け合った。そんなら君の指を切ってみろと注文したから、何だ指ぐらいこの通りだと右の手の親指のこうをはすに切りんだ。さいわいナイフが小さいのと、親指の骨がかたかったので、今だに親指は手に付いている。しかし創痕きずあとは死ぬまで消えぬ。
 庭を東へ二十歩に行きつくすと、南上がりにいささかばかりの菜園があって、真中まんなかくりの木が一本立っている。これは命より大事な栗だ。実の熟する時分は起き抜けに背戸せどを出て落ちた奴を拾ってきて、学校で食う。菜園の西側が山城屋やましろやという質屋の庭続きで、この質屋に勘太郎かんたろうという十三四のせがれが居た。勘太郎は無論弱虫である。弱虫のくせに四つ目垣を乗りこえて、栗をぬすみにくる。ある日の夕方折戸おりどかげかくれて、とうとう勘太郎をつらまえてやった。その時勘太郎はみちを失って、一生懸命いっしょうけんめいに飛びかかってきた。むこうは二つばかり年上である。弱虫だが力は強い。はちの開いた頭を、こっちの胸へててぐいぐいした拍子ひょうしに、勘太郎の頭がすべって、おれのあわせそでの中にはいった。邪魔じゃまになって手が使えぬから、無暗に手をったら、袖の中にある勘太郎の頭が、右左へぐらぐらなびいた。しまいに苦しがって袖の中から、おれの二のうでへ食い付いた。痛かったから勘太郎を垣根へ押しつけておいて、足搦あしがらをかけて向うへたおしてやった。山城屋の地面は菜園より六尺がた低い。勘太郎は四つ目垣を半分くずして、自分の領分へ真逆様まっさかさまに落ちて、ぐうと云った。勘太郎が落ちるときに、おれの袷の片袖がもげて、急に手が自由になった。その晩母が山城屋にびに行ったついでに袷の片袖も取り返して来た。
 この外いたずらは大分やった。大工の兼公かねこう肴屋さかなやかくをつれて、茂作もさく人参畠にんじんばたけをあらした事がある。人参の芽が出揃でそろわぬところわらが一面にいてあったから、その上で三人が半日相撲すもうをとりつづけに取ったら、人参がみんなみつぶされてしまった。古川ふるかわの持っている田圃たんぼ井戸いどめてしりを持ち込まれた事もある。太い孟宗もうそうの節を抜いて、深く埋めた中から水がき出て、そこいらのいねにみずがかかる仕掛しかけであった。その時分はどんな仕掛か知らぬから、石やぼうちぎれをぎゅうぎゅう井戸の中へし込んで、水が出なくなったのを見届けて、うちへ帰って飯を食っていたら、古川が真赤まっかになって怒鳴どなり込んで来た。たしか罰金ばっきんを出して済んだようである。
 おやじはちっともおれを可愛かわいがってくれなかった。母は兄ばかり贔屓ひいきにしていた。この兄はやに色が白くって、芝居しばい真似まねをして女形おんながたになるのが好きだった。おれを見る度にこいつはどうせろくなものにはならないと、おやじが云った。乱暴で乱暴で行く先が案じられると母が云った。なるほど碌なものにはならない。ご覧の通りの始末である。行く先が案じられたのも無理はない。ただ懲役ちょうえきに行かないで生きているばかりである。
 母が病気で死ぬ二三日にさんち前台所で宙返りをしてへっついの角で肋骨あばらぼねって大いに痛かった。母が大層おこって、お前のようなものの顔は見たくないと云うから、親類へとまりに行っていた。するととうとう死んだと云う報知しらせが来た。そう早く死ぬとは思わなかった。そんな大病なら、もう少し大人おとなしくすればよかったと思って帰って来た。そうしたら例の兄がおれを親不孝だ、おれのために、おっかさんが早く死んだんだと云った。口惜くやしかったから、兄の横っ面を張って大変しかられた。
 母が死んでからは、おやじと兄と三人でくらしていた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様は駄目だめだ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らない。みょうなおやじがあったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍いっぺんぐらいの割で喧嘩けんかをしていた。ある時将棋しょうぎをさしたら卑怯ひきょう待駒まちごまをして、人が困るとうれしそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間みけんたたきつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付いつけた。おやじがおれを勘当かんどうすると言い出した。
 その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っているきよという下女が、泣きながらおやじにあやまって、ようやくおやじのいかりが解けた。それにもかかわらずあまりおやじをこわいとは思わなかった。かえってこの清と云う下女に気の毒であった。この下女はもと由緒ゆいしょのあるものだったそうだが、瓦解がかいのときに零落れいらくして、つい奉公ほうこうまでするようになったのだと聞いている。だからばあさんである。この婆さんがどういう因縁いんえんか、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想あいそをつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾つまはじきをする――このおれを無暗に珍重ちんちょうしてくれた。おれは到底とうてい人に好かれるたちでないとあきらめていたから、他人から木のはしのように取りあつかわれるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審ふしんに考えた。清は時々台所で人の居ない時に「あなたはすぐでよいご気性だ」とめる事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞はきらいだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔をながめている。自分の力でおれを製造してほこってるように見える。少々気味がわるかった。
 母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。つまらない、せばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分の小遣こづかいで金鍔きんつば紅梅焼こうばいやきを買ってくれる。寒い夜などはひそかに蕎麦粉そばこを仕入れておいて、いつの間にかている枕元まくらもとへ蕎麦湯を持って来てくれる。時には鍋焼饂飩なべやきうどんさえ買ってくれた。ただ食い物ばかりではない。靴足袋くつたびももらった。鉛筆えんぴつも貰った、帳面も貰った。これはずっと後の事であるが金を三円ばかり貸してくれた事さえある。何も貸せと云った訳ではない。向うで部屋へ持って来てお小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさいと云ってくれたんだ。おれは無論入らないと云ったが、是非使えと云うから、借りておいた。実は大変嬉しかった。その三円を蝦蟇口がまぐちへ入れて、ふところへ入れたなり便所へ行ったら、すぽりと後架こうかの中へおとしてしまった。仕方がないから、のそのそ出てきて実はこれこれだと清に話したところが、清は早速竹の棒をさがして来て、取って上げますと云った。しばらくすると井戸端いどばたでざあざあ音がするから、出てみたら竹の先へ蝦蟇口のひもを引きけたのを水で洗っていた。それから口をあけて壱円札いちえんさつを改めたら茶色になって模様が消えかかっていた。清は火鉢でかわかして、これでいいでしょうと出した。ちょっとかいでみてくさいやと云ったら、それじゃお出しなさい、取りえて来て上げますからと、どこでどう胡魔化ごまかしたか札の代りに銀貨を三円持って来た。この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと云ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。
 清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子かしや色鉛筆を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんにはらないのかと清に聞く事がある。すると清はすましたものでお兄様あにいさまはお父様とうさまが買ってお上げなさるから構いませんと云う。これは不公平である。おやじは頑固がんこだけれども、そんな依怙贔負えこひいきはせぬ男だ。しかし清の眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛におぼれていたにちがいない。元は身分のあるものでも教育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれをもって将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんにってはかなわない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何になると云う了見りょうけんもなかった。しかし清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れるんだろうと思っていた。今から考えると馬鹿馬鹿ばかばかしい。ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ手車てぐるまへ乗って、立派な玄関げんかんのある家をこしらえるに相違そういないと云った。
 それから清はおれがうちでも持って独立したら、一所いっしょになる気でいた。どうか置いて下さいと何遍もり返して頼んだ。おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはしておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹町こうじまちですか麻布あざぶですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りでならべていた。その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日本建にほんだても全く不用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲がすくなくって、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。
 母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの小供も一概いちがいにこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはお可哀想かわいそうだ、不仕合ふしあわせだと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。その外に苦になる事は少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。
 母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があってかなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立しゅったつすると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の厄介やっかいになる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すにきまっている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚悟かくごをした。兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦落多がらくた二束三文にそくさんもんに売った。家屋敷いえやしきはある人の周旋しゅうせんである金満家に譲った。この方は大分金になったようだが、くわしい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田の小川町おがわまちへ下宿していた。清は十何年居たうちが人手にわたるのを大いに残念がったが、自分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出来ますものをとしきりに口説いていた。もう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来るはずだ。婆さんはなんにも知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。
 兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくっ付いて九州くんだりまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは四畳半よじょうはんの安下宿にこもって、それすらもいざとなれば直ちに引きはらわねばならぬ始末だ。どうする事も出来ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと云ったらあなたがおうちを持って、おくさまをお貰いになるまでは、仕方がないから、おいの厄介になりましょうとようやく決心した返事をした。この甥は裁判所の書記でまず今日には差支さしつかえなく暮していたから、今までも清に来るなら来いと二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住みれたうちの方がいいと云って応じなかった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公易ほうこうがえをして入らぬ気兼きがねを仕直すより、甥の厄介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、さいを貰えの、来て世話をするのと云う。親身しんみの甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。
 九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買しょうばいをするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意ずいいに使うがいい、その代りあとは構わないと云った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊たんばくな処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の停車場ていしゃばで分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない。
 おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商買をしたって面倒めんどくさくってうまく出来るものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今のようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は生来しょうらいどれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平まっぴらめんだ。新体詩などと来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、幸い物理学校の前を通りかかったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲からおこった失策だ。
 三年間まあ人並ひとなみに勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から勘定かんじょうする方が便利であった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分でも可笑おかしいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業しておいた。
 卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問はしたが実を云うと教師になる気も、田舎いなかへ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をしようと云うあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即席そくせきに返事をした。これも親譲りの無鉄砲がたたったのである。
 引き受けた以上は赴任ふにんせねばならぬ。この三年間は四畳半に蟄居ちっきょして小言はただの一度も聞いた事がない。喧嘩もせずに済んだ。おれの生涯のうちでは比較的ひかくてき呑気のんきな時節であった。しかしこうなると四畳半も引き払わなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に鎌倉かまくらへ遠足した時ばかりである。今度は鎌倉どころではない。大変な遠くへ行かねばならぬ。地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせ碌な所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるか分らん。分らんでも困らない。心配にはならぬ。ただ行くばかりである。もっとも少々面倒臭い。
 家をたたんでからも清の所へは折々行った。清の甥というのは存外結構な人である。おれがくたびに、りさえすれば、何くれと款待もてなしてくれた。清はおれを前へ置いて、いろいろおれの自慢じまんを甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと吹聴ふいちょうした事もある。独りでめて一人ひとり喋舌しゃべるから、こっちはまって顔を赤くした。それも一度や二度ではない。折々おれが小さい時寝小便をした事まで持ち出すには閉口した。甥は何と思って清の自慢を聞いていたか分らぬ。ただ清は昔風むかしふうの女だから、自分とおれの関係を封建ほうけん時代の主従しゅじゅうのように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと合点がてんしたものらしい。甥こそいいつらの皮だ。
 いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清をたずねたら、北向きの三畳に風邪かぜを引いて寝ていた。おれの来たのを見て起き直るが早いか、っちゃんいつうちをお持ちなさいますと聞いた。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて来ると思っている。そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。おれは単簡に当分うちは持たない。田舎へ行くんだと云ったら、非常に失望した容子ようすで、胡麻塩ごましおびんの乱れをしきりにでた。あまり気の毒だから「く事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」となぐさめてやった。それでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後えちご笹飴ささあめが食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「西の方だよ」と云うと「箱根はこねのさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。
 出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中とちゅう小間物屋で買って来た歯磨はみがき楊子ようじ手拭てぬぐいをズックの革鞄かばんに入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもなかなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌きげんよう」と小さな声で云った。目になみだ一杯いっぱいたまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だいしょうぶだろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。
 
 
 
 
 
 
 
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 二
 
 ぶうとって汽船がとまると、はしけが岸をはなれて、ぎ寄せて来た。船頭はぱだかに赤ふんどしをしめている。野蛮やばんな所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていてもがくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは大森おおもりぐらいな漁村だ。人を馬鹿ばかにしていらあ、こんな所に我慢がまんが出来るものかと思ったが仕方がない。威勢いせいよく一番に飛び込んだ。づいて五六人は乗ったろう。外に大きなはこを四つばかり積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎもどして来た。おかへ着いた時も、いの一番に飛び上がって、いきなり、いそに立っていた鼻たれ小僧こぞうをつらまえて中学校はどこだと聞いた。小僧はぼんやりして、知らんがの、と云った。気の利かぬ田舎いなかものだ。ねこの額ほどな町内のくせに、中学校のありかも知らぬやつがあるものか。ところへみょうつつっぽうを着た男がきて、こっちへ来いと云うから、いて行ったら、港屋とか云う宿屋へ連れて来た。やな女が声をそろえてお上がりなさいと云うので、上がるのがいやになった。門口へ立ったなり中学校を教えろと云ったら、中学校はこれから汽車で二里ばかり行かなくっちゃいけないと聞いて、なお上がるのがいやになった。おれは、筒っぽうを着た男から、おれの革鞄かばんを二つ引きたくって、のそのそあるき出した。宿屋のものは変な顔をしていた。
 停車場はすぐ知れた。切符きっぷも訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。それから車をやとって、中学校へ来たら、もう放課後でだれも居ない。宿直はちょっと用達ようたしに出たと小使こづかいが教えた。随分ずいぶん気楽な宿直がいるものだ。校長でもたずねようかと思ったが、草臥くたびれたから、車に乗って宿屋へ連れて行けと車夫に云い付けた。車夫は威勢よく山城屋やましろやと云ううちへ横付けにした。山城屋とは質屋の勘太郎かんたろうの屋号と同じだからちょっと面白く思った。
 何だか二階の楷子段はしごだんの下の暗い部屋へ案内した。熱くって居られやしない。こんな部屋はいやだと云ったらあいにくみんなふさがっておりますからと云いながら革鞄をほうり出したまま出て行った。仕方がないから部屋の中へはいってあせをかいて我慢がまんしていた。やがて湯に入れと云うから、ざぶりと飛び込んで、すぐ上がった。帰りがけにのぞいてみるとすずしそうな部屋がたくさん空いている。失敬な奴だ。うそをつきゃあがった。それから下女がぜんを持って来た。部屋はつかったが、飯は下宿のよりも大分うまかった。給仕をしながら下女がどちらからおいでになりましたと聞くから、東京から来たと答えた。すると東京はよい所でございましょうと云ったからあたり前だと答えてやった。膳を下げた下女が台所へいった時分、大きな笑い声がきこえた。くだらないから、すぐたが、なかなか寝られない。熱いばかりではない。騒々そうぞうしい。下宿の五倍ぐらいやかましい。うとうとしたらきよゆめを見た。清が越後えちご笹飴ささあめを笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこの笹がお薬でございますとって旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた。下女が雨戸を明けている。相変らず空の底がけたような天気だ。
 道中どうちゅうをしたら茶代をやるものだと聞いていた。茶代をやらないと粗末そまつに取り扱われると聞いていた。こんな、せまくて暗い部屋へし込めるのも茶代をやらないせいだろう。見すぼらしい服装なりをして、ズックの革鞄と毛繻子けじゅす蝙蝠傘こうもりを提げてるからだろう。田舎者の癖に人を見括みくびったな。一番茶代をやっておどろかしてやろう。おれはこれでも学資のあまりを三十円ほどふところに入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほどある。みんなやったってこれからは月給をもらうんだから構わない。田舎者はしみったれだから五円もやればおどろいて眼をまわすにきまっている。どうするか見ろとすまして顔を洗って、部屋へ帰って待ってると、夕べの下女が膳を持って来た。ぼんを持って給仕をしながら、やににやにや笑ってる。失敬な奴だ。顔のなかをお祭りでも通りゃしまいし。これでもこの下女のつらよりよっぽど上等だ。飯を済ましてからにしようと思っていたが、しゃくさわったから、中途ちゅうとで五円さつを一まい出して、あとでこれを帳場へ持って行けと云ったら、下女は変な顔をしていた。それから飯を済ましてすぐ学校へ出懸でかけた。くつみがいてなかった。
 学校は昨日きのう車で乗りつけたから、大概たいがいの見当は分っている。四つ角を二三度曲がったらすぐ門の前へ出た。門から玄関げんかんまでは御影石みかげいしきつめてある。きのうこの敷石の上を車でがらがらと通った時は、無暗むやみ仰山ぎょうさんな音がするので少し弱った。途中から小倉こくらの制服を着た生徒にたくさんったが、みんなこの門をはいって行く。中にはおれより背が高くって強そうなのが居る。あんな奴を教えるのかと思ったら何だか気味がるくなった。名刺めいしを出したら校長室へ通した。校長は薄髯うすひげのある、色の黒い、目の大きなたぬきのような男である。やにもったいぶっていた。まあ精出して勉強してくれと云って、うやうやしく大きな印のおさった、辞令をわたした。この辞令は東京へ帰るとき丸めて海の中へ抛りんでしまった。校長は今に職員に紹介しょうかいしてやるから、一々その人にこの辞令を見せるんだと云って聞かした。余計な手数だ。そんな面倒めんどうな事をするよりこの辞令を三日間職員室へ張り付ける方がましだ。
 教員が控所ひかえじょそろうには一時間目の喇叭らっぱが鳴らなくてはならぬ。大分時間がある。校長は時計を出して見て、追々おいおいゆるりと話すつもりだが、まず大体の事をみ込んでおいてもらおうと云って、それから教育の精神について長いお談義を聞かした。おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の云うようにはとても出来ない。おれみたような無鉄砲むてっぽうなものをつらまえて、生徒の模範もはんになれの、一校の師表しひょうあおがれなくてはいかんの、学問以外に個人の徳化をおよぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。そんなえらい人が月給四十円で遥々はるばるこんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。腹が立てば喧嘩けんかの一つぐらいは誰でもするだろうと思ってたが、この様子じゃめったに口も聞けない、散歩も出来ない。そんなむずかしい役ならやとう前にこれこれだと話すがいい。おれはうそをつくのがきらいだから、仕方がない、だまされて来たのだとあきらめて、思い切りよく、ここでことわって帰っちまおうと思った。宿屋へ五円やったから財布さいふの中には九円なにがししかない。九円じゃ東京までは帰れない。茶代なんかやらなければよかった。しい事をした。しかし九円だって、どうかならない事はない。旅費は足りなくっても嘘をつくよりましだと思って、到底とうていあなたのおっしゃる通りにゃ、出来ません、この辞令は返しますと云ったら、校長は狸のような眼をぱちつかせておれの顔を見ていた。やがて、今のはただ希望である、あなたが希望通り出来ないのはよく知っているから心配しなくってもいいと云いながら笑った。そのくらいよく知ってるなら、始めから威嚇おどささなければいいのに。
 そう、こうする内に喇叭が鳴った。教場の方が急にがやがやする。もう教員も控所へ揃いましたろうと云うから、校長に尾いて教員控所へはいった。広い細長い部屋の周囲に机をならべてみんなこしをかけている。おれがはいったのを見て、みんな申し合せたようにおれの顔を見た。見世物じゃあるまいし。それから申し付けられた通り一人一人ひとりびとりの前へ行って辞令を出して挨拶あいさつをした。大概たいがい椅子いすを離れて腰をかがめるばかりであったが、念の入ったのは差し出した辞令を受け取って一応拝見をしてそれをうやうやしく返却へんきゃくした。まるで宮芝居の真似まねだ。十五人目に体操たいそうの教師へと廻って来た時には、同じ事を何返もやるので少々じれったくなった。むこうは一度で済む。こっちは同じ所作しょさを十五返繰り返している。少しはひとの了見りょうけんも察してみるがいい。
 挨拶をしたうちに教頭のなにがしと云うのが居た。これは文学士だそうだ。文学士と云えば大学の卒業生だからえらい人なんだろう。みょうに女のような優しい声を出す人だった。もっとも驚いたのはこの暑いのにフランネルの襯衣しゃつを着ている。いくらかうすい地には相違そういなくっても暑いには極ってる。文学士だけにご苦労千万な服装なりをしたもんだ。しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿ばかにしている。あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。妙な病気があった者だ。当人の説明では赤は身体からだに薬になるから、衛生のためにわざわざあつらえるんだそうだが、入らざる心配だ。そんならついでに着物もはかまも赤にすればいい。それから英語の教師に古賀こがとか云う大変顔色のるい男が居た。大概顔のあおい人はせてるもんだがこの男は蒼くふくれている。むかし小学校へ行く時分、浅井あさいたみさんと云う子が同級生にあったが、この浅井のおやじがやはり、こんな色つやだった。浅井は百姓ひゃくしょうだから、百姓になるとあんな顔になるかと清に聞いてみたら、そうじゃありません、あの人はうらなりの唐茄子とうなすばかり食べるから、蒼くふくれるんですと教えてくれた。それ以来蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食ったむくいだと思う。この英語の教師もうらなりばかり食ってるにちがいない。もっともうらなりとは何の事か今もって知らない。清に聞いてみた事はあるが、清は笑って答えなかった。大方清も知らないんだろう。それからおれと同じ数学の教師に堀田ほったというのが居た。これはたくましい毬栗坊主いがぐりぼうずで、叡山えいざん悪僧あくそうと云うべき面構つらがまえである。人が叮寧ていねいに辞令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに来給きたまえアハハハと云った。何がアハハハだ。そんな礼儀れいぎを心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。おれはこの時からこの坊主に山嵐やまあらしという渾名あだなをつけてやった。漢学の先生はさすがにかたいものだ。昨日お着きで、さぞお疲れで、それでもう授業をお始めで、大分ご励精れいせいで、――とのべつに弁じたのは愛嬌あいきょうのあるおじいさんだ。画学の教師は全く芸人風だ。べらべらした透綾すきやの羽織を着て、扇子せんすをぱちつかせて、お国はどちらでげす、え? 東京? そりゃうれしい、お仲間が出来て……わたしもこれで江戸えどっ子ですと云った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考えた。そのほか一人一人についてこんな事を書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる。
 挨拶が一通り済んだら、校長が今日はもう引き取ってもいい、もっとも授業上の事は数学の主任と打ち合せをしておいて、明後日あさってから課業を始めてくれと云った。数学の主任は誰かと聞いてみたら例の山嵐であった。忌々いまいましい、こいつの下に働くのかおやおやと失望した。山嵐は「おい君どこに宿とまってるか、山城屋か、うん、今に行って相談する」と云い残して白墨はくぼくを持って教場へ出て行った。主任の癖に向うから来て相談するなんて不見識な男だ。しかし呼び付けるよりは感心だ。
 それから学校の門を出て、すぐ宿へ帰ろうと思ったが、帰ったって仕方がないから、少し町を散歩してやろうと思って、無暗に足の向く方をあるき散らした。県庁も見た。古い前世紀の建築である。兵営も見た。麻布あざぶ聯隊れんたいより立派でない。大通りも見た。神楽坂かぐらざかを半分に狭くしたぐらいな道幅みちはば町並まちなみはあれより落ちる。二十五万石の城下だって高の知れたものだ。こんな所に住んでご城下だなどと威張いばってる人間は可哀想かわいそうなものだと考えながらくると、いつしか山城屋の前に出た。広いようでも狭いものだ。これで大抵たいてい見尽みつくしたのだろう。帰って飯でも食おうと門口をはいった。帳場にすわっていたかみさんが、おれの顔を見ると急に飛び出してきてお帰り……と板の間へ頭をつけた。くついで上がると、お座敷ざしきがあきましたからと下女が二階へ案内をした。十五じょうの表二階で大きなとこがついている。おれは生れてからまだこんな立派な座敷へはいった事はない。この後いつはいれるか分らないから、洋服を脱いで浴衣ゆかた一枚になって座敷の真中まんなかへ大の字に寝てみた。いい心持ちである。
 昼飯を食ってから早速清へ手紙をかいてやった。おれは文章がまずい上に字を知らないから手紙を書くのが大嫌だいきらいだ。またやる所もない。しかし清は心配しているだろう。難船して死にやしないかなどと思っちゃ困るから、奮発ふんぱつして長いのを書いてやった。その文句はこうである。
「きのう着いた。つまらん所だ。十五畳の座敷に寝ている。宿屋へ茶代を五円やった。かみさんが頭を板の間へすりつけた。夕べは寝られなかった。清が笹飴を笹ごと食う夢を見た。来年の夏は帰る。今日学校へ行ってみんなにあだなをつけてやった。校長は狸、教頭は赤シャツ、英語の教師はうらなり、数学は山嵐、画学はのだいこ。今にいろいろな事を書いてやる。さようなら」
 手紙をかいてしまったら、いい心持ちになって眠気ねむけがさしたから、最前のように座敷の真中へのびのびと大の字に寝た。今度は夢も何も見ないでぐっすり寝た。この部屋かいと大きな声がするので目が覚めたら、山嵐がはいって来た。最前は失敬、君の受持ちは……と人が起き上がるや否や談判を開かれたので大いに狼狽ろうばいした。受持ちを聞いてみると別段むずかしい事もなさそうだから承知した。このくらいの事なら、明後日はおろか明日あしたから始めろと云ったって驚ろかない。授業上の打ち合せが済んだら、君はいつまでこんな宿屋に居るつもりでもあるまい、ぼくがいい下宿を周旋しゅうせんしてやるから移りたまえ。外のものでは承知しないが僕が話せばすぐ出来る。早い方がいいから、今日見て、あす移って、あさってから学校へ行けば極りがいいと一人で呑み込んでいる。なるほど十五畳敷にいつまで居る訳にも行くまい。月給をみんな宿料しゅくりょうはらっても追っつかないかもしれぬ。五円の茶代を奮発ふんぱつしてすぐ移るのはちと残念だが、どうせ移る者なら、早く引きして落ち付く方が便利だから、そこのところはよろしく山嵐にたのむ事にした。すると山嵐はともかくもいっしょに来てみろと云うから、行った。町はずれの岡の中腹にある家で至極閑静かんせいだ。主人は骨董こっとうを売買するいか銀と云う男で、女房にょうぼう亭主ていしゅよりも四つばかり年嵩としかさの女だ。中学校に居た時ウィッチと云う言葉を習った事があるがこの女房はまさにウィッチに似ている。ウィッチだって人の女房だから構わない。とうとう明日から引き移る事にした。帰りに山嵐は通町とおりちょうで氷水を一ぱいおごった。学校で逢った時はやに横風おうふうな失敬な奴だと思ったが、こんなにいろいろ世話をしてくれるところを見ると、わるい男でもなさそうだ。ただおれと同じようにせっかちで肝癪持かんしゃくもちらしい。あとで聞いたらこの男が一番生徒に人望があるのだそうだ。
 
 
 
 
 
 
 
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 三
 
 いよいよ学校へ出た。初めて教場へはいって高い所へ乗った時は、何だか変だった。講釈をしながら、おれでも先生が勤まるのかと思った。生徒はやかましい。時々図抜ずぬけた大きな声で先生とう。先生にはこたえた。今まで物理学校で毎日先生先生と呼びつけていたが、先生と呼ぶのと、呼ばれるのは雲泥うんでいの差だ。何だか足の裏がむずむずする。おれは卑怯ひきょうな人間ではない。臆病おくびょうな男でもないが、しい事に胆力たんりょくが欠けている。先生と大きな声をされると、腹の減った時に丸の内で午砲どんを聞いたような気がする。最初の一時間は何だかいい加減にやってしまった。しかし別段困った質問もけられずに済んだ。控所ひかえじょへ帰って来たら、山嵐がどうだいと聞いた。うんと単簡に返事をしたら山嵐は安心したらしかった。
 二時間目に白墨はくぼくを持って控所を出た時には何だか敵地へ乗りむような気がした。教場へ出ると今度の組は前より大きなやつばかりである。おれは江戸えどっ子で華奢きゃしゃに小作りに出来ているから、どうも高い所へ上がってもしが利かない。喧嘩けんかなら相撲取すもうとりとでもやってみせるが、こんな大僧おおぞうを四十人も前へならべて、ただ一まいの舌をたたいて恐縮きょうしゅくさせる手際はない。しかしこんな田舎者いなかものに弱身を見せるとくせになると思ったから、なるべく大きな声をして、少々巻き舌で講釈してやった。最初のうちは、生徒もけむかれてぼんやりしていたから、それ見ろとますます得意になって、べらんめい調を用いてたら、一番前の列の真中まんなかに居た、一番強そうな奴が、いきなり起立して先生と云う。そら来たと思いながら、何だと聞いたら、「あまり早くて分からんけれ、もちっと、ゆるゆるって、おくれんかな、もし」と云った。おくれんかなもし生温なまぬるい言葉だ。早過ぎるなら、ゆっくり云ってやるが、おれは江戸っ子だから君等きみらの言葉は使えない、わからなければ、分るまで待ってるがいいと答えてやった。この調子で二時間目は思ったより、うまく行った。ただ帰りがけに生徒の一人がちょっとこの問題を解釈をしておくれんかな、もし、と出来そうもない幾何きかの問題を持ってせまったには冷汗ひやあせを流した。仕方がないから何だか分らない、この次教えてやると急いで引きげたら、生徒がわあとはやした。その中に出来ん出来んと云う声がきこえる。箆棒べらぼうめ、先生だって、出来ないのは当り前だ。出来ないのを出来ないと云うのに不思議があるもんか。そんなものが出来るくらいなら四十円でこんな田舎へくるもんかと控所へ帰って来た。今度はどうだとまた山嵐が聞いた。うんと云ったが、うんだけでは気が済まなかったから、この学校の生徒は分らずやだなと云ってやった。山嵐はみょうな顔をしていた。
 三時間目も、四時間目も昼過ぎの一時間も大同小異であった。最初の日に出た級は、いずれも少々ずつ失敗した。教師ははたで見るほど楽じゃないと思った。授業はひと通り済んだが、まだ帰れない、三時までぽつねんとして待ってなくてはならん。三時になると、受持級の生徒が自分の教室を掃除そうじして報知しらせにくるから検分をするんだそうだ。それから、出席簿しゅっせきぼを一応調べてようやくおひまが出る。いくら月給で買われた身体からだだって、あいた時間まで学校へしばりつけて机とにらめっくらをさせるなんて法があるものか。しかしほかの連中はみんな大人おとなしくご規則通りやってるから新参のおればかり、だだをねるのもよろしくないと思って我慢がまんしていた。帰りがけに、君何でもかんでも三時すぎまで学校にいさせるのはおろかだぜと山嵐に訴えたら、山嵐はそうさアハハハと笑ったが、あとから真面目まじめになって、君あまり学校の不平を云うと、いかんぜ。云うならぼくだけに話せ、随分ずいぶん妙な人も居るからなと忠告がましい事を云った。四つ角で分れたからくわしい事は聞くひまがなかった。
 それからうちへ帰ってくると、宿の亭主ていしゅがお茶を入れましょうと云ってやって来る。お茶を入れると云うからご馳走ちそうをするのかと思うと、おれの茶を遠慮えんりょなく入れて自分が飲むのだ。この様子では留守中るすちゅうも勝手にお茶を入れましょうを一人ひとり履行りこうしているかも知れない。亭主が云うには手前は書画骨董しょがこっとうがすきで、とうとうこんな商買を内々で始めるようになりました。あなたもお見受け申すところ大分ご風流でいらっしゃるらしい。ちと道楽にお始めなすってはいかがですと、飛んでもない勧誘かんゆうをやる。二年前ある人の使つかい帝国ていこくホテルへ行った時は錠前じょうまえ直しと間違まちがえられた事がある。ケットをかぶって、鎌倉かまくらの大仏を見物した時は車屋から親方と云われた。その外今日こんにちまで見損みそくなわれた事は随分あるが、まだおれをつらまえて大分ご風流でいらっしゃると云ったものはない。大抵たいていはなりや様子でも分る。風流人なんていうものは、を見ても、頭巾ずきんかぶるか短冊たんざくを持ってるものだ。このおれを風流人だなどと真面目に云うのはただの曲者くせものじゃない。おれはそんな呑気のんき隠居いんきょのやるような事はきらいだと云ったら、亭主はへへへへと笑いながら、いえ始めから好きなものは、どなたもございませんが、いったんこの道にはいるとなかなか出られませんと一人で茶を注いで妙な手付てつきをして飲んでいる。実はゆうべ茶を買ってくれとたのんでおいたのだが、こんな苦いい茶はいやだ。一ぱい飲むと胃に答えるような気がする。今度からもっと苦くないのを買ってくれと云ったら、かしこまりましたとまた一杯しぼって飲んだ。人の茶だと思って無暗むやみに飲むやつだ。主人が引き下がってから、明日の下読したよみをしてすぐてしまった。
 それから毎日毎日学校へ出ては規則通り働く、毎日毎日帰って来ると主人がお茶を入れましょうと出てくる。一週間ばかりしたら学校の様子もひと通りは飲み込めたし、宿の夫婦の人物も大概たいがいは分った。ほかの教師に聞いてみると辞令を受けて一週間から一ヶ月ぐらいの間は自分の評判がいいだろうか、るいだろうか非常に気にかるそうであるが、おれは一向そんな感じはなかった。教場で折々しくじるとその時だけはやな心持ちだが三十分ばかり立つと奇麗きれいに消えてしまう。おれは何事によらず長く心配しようと思っても心配が出来ない男だ。教場のしくじりが生徒にどんな影響えいきょうあたえて、その影響が校長や教頭にどんな反応をていするかまるで無頓着むとんじゃくであった。おれは前に云う通りあまり度胸のすわった男ではないのだが、思い切りはすこぶるいい人間である。この学校がいけなければすぐどっかへ覚悟かくごでいたから、たぬきも赤シャツも、ちっともおそろしくはなかった。まして教場の小僧こぞう共なんかには愛嬌あいきょうもお世辞も使う気になれなかった。学校はそれでいいのだが下宿の方はそうはいかなかった。亭主が茶を飲みに来るだけなら我慢もするが、いろいろな者を持ってくる。始めに持って来たのは何でも印材で、とおばかりならべておいて、みんなで三円なら安い物だお買いなさいと云う。田舎巡いなかまわりのヘボ絵師じゃあるまいし、そんなものは入らないと云ったら、今度は華山かざんとか何とか云う男の花鳥の掛物かけものをもって来た。自分でとこへかけて、いい出来じゃありませんかと云うから、そうかなと好加減いいかげん挨拶あいさつをすると、華山には二人ふたりある、一人は何とか華山で、一人は何とか華山ですが、このふくはその何とか華山の方だと、くだらない講釈をしたあとで、どうです、あなたなら十五円にしておきます。お買いなさいと催促さいそくをする。金がないと断わると、金なんか、いつでもようございますとなかなか頑固がんこだ。金があつても買わないんだと、その時は追っぱらっちまった。その次には鬼瓦おにがわらぐらいな大硯おおすずりを担ぎ込んだ。これは端渓たんけいです、端渓ですと二へんも三遍も端渓がるから、面白半分に端渓た何だいと聞いたら、すぐ講釈を始め出した。端渓には上層中層下層とあって、今時のものはみんな上層ですが、これはたしかに中層です、このがんをご覧なさい。眼が三つあるのはめずらしい。溌墨はつぼくの具合も至極よろしい、試してご覧なさいと、おれの前へ大きな硯をきつける。いくらだと聞くと、持主が支那しなから持って帰って来て是非売りたいと云いますから、お安くして三十円にしておきましょうと云う。この男は馬鹿ばか相違そういない。学校の方はどうかこうか無事に勤まりそうだが、こう骨董責こっとうぜめってはとても長く続きそうにない。
 そのうち学校もいやになった。  ある日の晩大町おおまちと云う所を散歩していたら郵便局のとなりに蕎麦そばとかいて、下に東京と注を加えた看板があった。おれは蕎麦が大好きである。東京にった時でも蕎麦屋の前を通って薬味のにおいをかぐと、どうしても暖簾のれんがくぐりたくなった。今日までは数学と骨董で蕎麦を忘れていたが、こうして看板を見ると素通りが出来なくなる。ついでだから一杯食って行こうと思って上がり込んだ。見ると看板ほどでもない。東京とことわる以上はもう少し奇麗にしそうなものだが、東京を知らないのか、金がないのか、滅法めっぽうきたない。たたみは色が変ってお負けに砂でざらざらしている。かべすす真黒まっくろだ。天井てんじょうはランプの油烟ゆえんくすぼってるのみか、低くって、思わず首を縮めるくらいだ。ただ麗々と蕎麦の名前をかいて張り付けたねだん付けだけは全く新しい。何でも古いうちを買って二三日にさんち前から開業したにちがいなかろう。ねだん付の第一号に天麩羅てんぷらとある。おい天麩羅を持ってこいと大きな声を出した。するとこの時まですみの方に三人かたまって、何かつるつる、ちゅうちゅう食ってた連中れんじゅうが、ひとしくおれの方を見た。部屋へやが暗いので、ちょっと気がつかなかったが顔を合せると、みんな学校の生徒である。先方で挨拶あいさつをしたから、おれも挨拶をした。その晩はひさぶりに蕎麦を食ったので、うまかったから天麩羅を四杯たいらげた。
 翌日何の気もなく教場へはいると、黒板一杯ぐらいな大きな字で、天麩羅先生とかいてある。おれの顔を見てみんなわあと笑った。おれは馬鹿馬鹿しいから、天麩羅を食っちゃ可笑おかしいかと聞いた。すると生徒の一人ひとりが、しかし四杯は過ぎるぞな、もし、と云った。四杯食おうが五杯食おうがおれの銭でおれが食うのに文句があるもんかと、さっさと講義を済まして控所へ帰って来た。十分立って次の教場へ出ると一つ天麩羅四杯なり。ただし笑うべからず。と黒板にかいてある。さっきは別に腹も立たなかったが今度はしゃくさわった。冗談じょうだんも度を過ごせばいたずらだ。焼餅やきもち黒焦くろこげのようなものでだれめ手はない。田舎者はこの呼吸が分からないからどこまでして行っても構わないと云う了見りょうけんだろう。一時間あるくと見物する町もないようなせまい都に住んで、外に何にも芸がないから、天麩羅事件を日露にちろ戦争のようにれちらかすんだろう。あわれな奴等やつらだ。小供の時から、こんなに教育されるから、いやにひねっこびた、植木鉢うえきばちかえでみたような小人しょうじんが出来るんだ。無邪気むじゃきならいっしょに笑ってもいいが、こりゃなんだ。小供のくせおつに毒気を持ってる。おれはだまって、天麩羅を消して、こんないたずらが面白いか、卑怯ひきょうな冗談だ。君等は卑怯と云う意味を知ってるか、と云ったら、自分がした事を笑われておこるのが卑怯じゃろうがな、もしと答えた奴がある。やな奴だ。わざわざ東京から、こんな奴を教えに来たのかと思ったら情なくなった。余計な減らず口を利かないで勉強しろと云って、授業を始めてしまった。それから次の教場へ出たら天麩羅を食うと減らず口が利きたくなるものなりと書いてある。どうも始末に終えない。あんまり腹が立ったから、そんな生意気な奴は教えないと云ってすたすた帰って来てやった。生徒は休みになって喜んだそうだ。こうなると学校より骨董の方がまだましだ。
 天麩羅蕎麦もうちへ帰って、一晩寝たらそんなに肝癪かんしゃくに障らなくなった。学校へ出てみると、生徒も出ている。何だか訳が分らない。それから三日ばかりは無事であったが、四日目の晩に住田すみたと云う所へ行って団子だんごを食った。この住田と云う所は温泉のある町で城下から汽車だと十分ばかり、歩いて三十分で行かれる、料理屋も温泉宿も、公園もある上に遊廓ゆうかくがある。おれのはいった団子屋は遊廓の入口にあって、大変うまいという評判だから、温泉に行った帰りがけにちょっと食ってみた。今度は生徒にも逢わなかったから、だれも知るまいと思って、翌日学校へ行って、一時間目の教場へはいると団子二さら七銭と書いてある。実際おれは二皿食って七銭はらった。どうも厄介やっかいな奴等だ。二時間目にもきっと何かあると思うと遊廓の団子旨い旨いと書いてある。あきれ返った奴等だ。団子がそれで済んだと思ったら今度は赤手拭あかてぬぐいと云うのが評判になった。何の事だと思ったら、つまらない来歴だ。おれはここへ来てから、毎日住田の温泉へ行く事にめている。ほかの所は何を見ても東京の足元にもおよばないが温泉だけは立派なものだ。せっかく来た者だから毎日はいってやろうという気で、晩飯前に運動かたがた出掛でかける。ところが行くときは必ず西洋手拭の大きな奴をぶら下げて行く。この手拭が湯にそまった上へ、赤いしまが流れ出したのでちょっと見ると紅色べにいろに見える。おれはこの手拭を行きも帰りも、汽車に乗ってもあるいても、常にぶら下げている。それで生徒がおれの事を赤手拭赤手拭と云うんだそうだ。どうも狭い土地に住んでるとうるさいものだ。まだある。温泉は三階の新築で上等は浴衣ゆかたをかして、流しをつけて八銭で済む。その上に女が天目てんもくへ茶をせて出す。おれはいつでも上等へはいった。すると四十円の月給で毎日上等へはいるのは贅沢ぜいたくだと云い出した。余計なお世話だ。まだある。湯壺ゆつぼ花崗石みかげいしたたみ上げて、十五畳敷じょうじきぐらいの広さに仕切ってある。大抵たいていは十三四人つかってるがたまには誰も居ない事がある。深さは立って乳の辺まであるから、運動のために、湯の中を泳ぐのはなかなか愉快ゆかいだ。おれは人の居ないのを見済みすましては十五畳の湯壺を泳ぎまわって喜んでいた。ところがある日三階から威勢いせいよく下りて今日も泳げるかなとざくろ口をのぞいてみると、大きな札へ黒々と湯の中で泳ぐべからずとかいてりつけてある。湯の中で泳ぐものは、あまりあるまいから、この貼札はりふだはおれのために特別に新調したのかも知れない。おれはそれから泳ぐのは断念した。泳ぐのは断念したが、学校へ出てみると、例の通り黒板に湯の中で泳ぐべからずと書いてあるにはおどろいた。何だか生徒全体がおれ一人を探偵たんていしているように思われた。くさくさした。生徒が何を云ったって、やろうと思った事をやめるようなおれではないが、何でこんな狭苦しい鼻の先がつかえるような所へ来たのかと思うと情なくなった。それでうちへ帰ると相変らず骨董責である。
 
 
 
 
 
 
 
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 四
 
 学校には宿直があって、職員が代る代るこれをつとめる。ただたぬきと赤シャツは例外である。何でこの両人が当然の義務をまぬかれるのかと聞いてみたら、奏任待遇そうにんたいぐうだからと云う。面白くもない。月給はたくさんとる、時間は少ない、それで宿直をがれるなんて不公平があるものか。勝手な規則をこしらえて、それがあたまえだというような顔をしている。よくまああんなにずうずうしく出来るものだ。これについては大分不平であるが、山嵐やまあらしの説によると、いくら一人ひとりで不平をならべたって通るものじゃないそうだ。一人だって二人ふたりだって正しい事なら通りそうなものだ。山嵐は might is right という英語を引いて説諭せつゆを加えたが、何だか要領を得ないから、聞き返してみたら強者の権利と云う意味だそうだ。強者の権利ぐらいならむかしから知っている。今さら山嵐から講釈をきかなくってもいい。強者の権利と宿直とは別問題だ。狸や赤シャツが強者だなんて、だれが承知するものか。議論は議論としてこの宿直がいよいよおれの番にまわって来た。一体疳性かんしょうだから夜具やぐ蒲団ふとんなどは自分のものへ楽に寝ないと寝たような心持ちがしない。小供の時から、友達のうちへとまった事はほとんどないくらいだ。友達のうちでさえいやなら学校の宿直はなおさら厭だ。厭だけれども、これが四十円のうちへこもっているなら仕方がない。我慢がまんして勤めてやろう。
 教師も生徒も帰ってしまったあとで、一人ぽかんとしているのは随分ずいぶん間がけたものだ。宿直部屋は教場の裏手にある寄宿舎の西はずれの一室だ。ちょっとはいってみたが、西日をまともに受けて、苦しくって居たたまれない。田舎いなかだけあって秋がきても、気長に暑いもんだ。生徒のまかないを取りよせて晩飯を済ましたが、まずいにはおそった。よくあんなものを食って、あれだけに暴れられたもんだ。それで晩飯を急いで四時半に片付けてしまうんだから豪傑ごうけつちがいない。飯は食ったが、まだ日がれないからる訳に行かない。ちょっと温泉に行きたくなった。宿直をして、外へ出るのはいい事だか、るい事だかしらないが、こうつくねんとして重禁錮じゅうきんこ同様な憂目うきめうのは我慢の出来るもんじゃない。始めて学校へ来た時当直の人はと聞いたら、ちょっと用達ようたしに出たと小使こづかいが答えたのをみょうだと思ったが、自分に番がまわってみると思い当る。出る方が正しいのだ。おれは小使にちょっと出てくると云ったら、何かご用ですかと聞くから、用じゃない、温泉へはいるんだと答えて、さっさと出掛でかけた。赤手拭あかてぬぐいは宿へ忘れて来たのが残念だが今日は先方で借りるとしよう。
 それからかなりゆるりと、出たりはいったりして、ようやく日暮方ひぐれがたになったから、汽車へ乗って古町こまち停車場ていしゃばまで来て下りた。学校まではこれから四丁だ。訳はないとあるき出すと、向うから狸が来た。狸はこれからこの汽車で温泉へ行こうと云う計画なんだろう。すたすた急ぎ足にやってきたが、ちがった時おれの顔を見たから、ちょっと挨拶あいさつをした。すると狸はあなたは今日は宿直ではなかったですかねえ真面目まじめくさって聞いた。なかったですかねえもないもんだ。二時間前おれに向って今夜は始めての宿直ですね。ご苦労さま。と礼を云ったじゃないか。校長なんかになるといやに曲りくねった言葉を使うもんだ。おれは腹が立ったから、ええ宿直です。宿直ですから、これから帰って泊る事はたしかに泊りますと云い捨てて済ましてあるき出した。竪町たてまちの四つ角までくると今度は山嵐やまあらしに出っわした。どうもせまい所だ。出てあるきさえすれば必ず誰かに逢う。「おい君は宿直じゃないか」と聞くから「うん、宿直だ」と答えたら、「宿直が無暗むやみに出てあるくなんて、不都合ふつごうじゃないか」と云った。「ちっとも不都合なもんか、出てあるかない方が不都合だ」と威張いばってみせた。「君のずぼらにも困るな、校長か教頭に出逢うと面倒めんどうだぜ」と山嵐に似合わない事を云うから「校長にはたった今逢った。暑い時には散歩でもしないと宿直も骨でしょうと校長が、おれの散歩をほめたよ」と云って、面倒くさいから、さっさと学校へ帰って来た。
 それから日はすぐくれる。くれてから二時間ばかりは小使を宿直部屋へ呼んで話をしたが、それもきたから、寝られないまでもとこへはいろうと思って、寝巻に着換きがえて、蚊帳かやくって、赤い毛布けっとねのけて、とんと尻持しりもちいて、仰向あおむけになった。おれが寝るときにとんと尻持をつくのは小供の時からのくせだ。わるい癖だと云って小川町おがわまちの下宿に居た時分、二階下に居た法律学校の書生が苦情を持ちんだ事がある。法律の書生なんてものは弱い癖に、やに口が達者なもので、な事を長たらしく述べ立てるから、寝る時にどんどん音がするのはおれの尻がわるいのじゃない。下宿の建築が粗末そまつなんだ。ケ合うなら下宿へ掛ケ合えとへこましてやった。この宿直部屋は二階じゃないから、いくら、どしんとたおれても構わない。なるべくいきおいよく倒れないと寝たような心持ちがしない。ああ愉快だと足をうんと延ばすと、何だか両足へ飛び付いた。ざらざらしてのみのようでもないからこいつあとおどろいて、足を二三度毛布けっとの中でってみた。するとざらざらと当ったものが、急にえ出してすねが五六カ所、ももが二三カ所、尻の下でぐちゃりとつぶしたのが一つ、へその所まで飛び上がったのが一つ――いよいよ驚ろいた。早速さっそく起きあがって、毛布けっとをぱっと後ろへほうると、蒲団の中から、バッタが五六十飛び出した。正体の知れない時は多少気味がるかったが、バッタと相場がまってみたら急に腹が立った。バッタの癖に人を驚ろかしやがって、どうするか見ろと、いきなりくくまくらを取って、二三度たたきつけたが、相手が小さ過ぎるから勢よくげつける割に利目ききめがない。仕方がないから、また布団の上へすわって、煤掃すすはきの時にござを丸めてたたみたたくように、そこら近辺を無暗にたたいた。バッタが驚ろいた上に、枕の勢で飛び上がるものだから、おれのかただの、頭だの鼻の先だのへくっ付いたり、ぶつかったりする。顔へ付いたやつは枕で叩く訳に行かないから、手でつかんで、一生懸命に擲きつける。忌々いまいましい事に、いくら力を出しても、ぶつかる先が蚊帳だから、ふわりと動くだけで少しも手答がない。バッタは擲きつけられたまま蚊帳へつらまっている。死にもどうもしない。ようやくの事に三十分ばかりでバッタは退治たいじた。ほうきを持って来てバッタの死骸しがいを掃き出した。小使が来て何ですかと云うから、何ですかもあるもんか、バッタを床の中にっとく奴がどこの国にある。間抜まぬけめ。としかったら、私は存じませんと弁解をした。存じませんで済むかと箒を椽側えんがわほうり出したら、小使は恐る恐る箒を担いで帰って行った。
 おれは早速寄宿生を三人ばかり総代に呼び出した。すると六人出て来た。六人だろうが十人だろうが構うものか。寝巻のままうでまくりをして談判を始めた。
「なんでバッタなんか、おれの床の中へ入れた」
「バッタた何ぞな」と真先まっさきの一人がいった。やに落ち付いていやがる。この学校じゃ校長ばかりじゃない、生徒まで曲りくねった言葉を使うんだろう。
「バッタを知らないのか、知らなけりゃ見せてやろう」と云ったが、生憎あいにく掃き出してしまって一ぴきも居ない。また小使を呼んで、「さっきのバッタを持ってこい」と云ったら、「もう掃溜はきだめててしまいましたが、拾って参りましょうか」と聞いた。「うんすぐ拾って来い」と云うと小使は急いでけ出したが、やがて半紙の上へ十匹ばかりせて来て「どうもお気の毒ですが、生憎夜でこれだけしか見当りません。あしたになりましたらもっと拾って参ります」と云う。小使まで馬鹿ばかだ。おれはバッタの一つを生徒に見せて「バッタたこれだ、大きなずう体をして、バッタを知らないた、何の事だ」と云うと、一番左の方に居た顔の丸い奴が「そりゃ、イナゴぞな、もし」と生意気におれをめた。「篦棒べらぼうめ、イナゴもバッタも同じもんだ。第一先生をつらまえてなもした何だ。菜飯なめし田楽でんがくの時より外に食うもんじゃない」とあべこべに遣り込めてやったら「なもしと菜飯とは違うぞな、もし」と云った。いつまで行ってもなもしを使う奴だ。
「イナゴでもバッタでも、何でおれの床の中へ入れたんだ。おれがいつ、バッタを入れてくれとたのんだ」
「誰も入れやせんがな」
「入れないものが、どうして床の中に居るんだ」
「イナゴはぬくい所が好きじゃけれ、大方一人でおはいりたのじゃあろ」
「馬鹿あ云え。バッタが一人でおはいりになるなんて――バッタにおはいりになられてたまるもんか。――さあなぜこんないたずらをしたか、云え」
「云えてて、入れんものを説明しようがないがな」
 けちな奴等やつらだ。自分で自分のした事が云えないくらいなら、てんでしないがいい。証拠しょうこさえ挙がらなければ、しらを切るつもりで図太く構えていやがる。おれだって中学に居た時分は少しはいたずらもしたもんだ。しかしだれがしたと聞かれた時に、尻込みをするような卑怯ひきょうな事はただの一度もなかった。したものはしたので、しないものはしないにきまってる。おれなんぞは、いくら、いたずらをしたって潔白なものだ。嘘をいてばつげるくらいなら、始めからいたずらなんかやるものか。いたずらと罰はつきもんだ。罰があるからいたずらも心持ちよく出来る。いたずらだけで罰はご免蒙めんこうむるなんて下劣げれつな根性がどこの国に流行はやると思ってるんだ。金は借りるが、返す事はご免だと云う連中はみんな、こんな奴等が卒業してやる仕事に相違そういない。全体中学校へ何しにはいってるんだ。学校へはいって、嘘を吐いて、胡魔化ごまかして、かげでこせこせ生意気な悪いたずらをして、そうして大きな面で卒業すれば教育を受けたもんだと癇違かんちがいをしていやがる。話せない雑兵ぞうひょうだ。
 おれはこんなくさった了見りょうけんの奴等と談判するのは胸糞むなくそるいから、「そんなに云われなきゃ、聞かなくっていい。中学校へはいって、上品も下品も区別が出来ないのは気の毒なものだ」と云って六人をぱなしてやった。おれは言葉や様子こそあまり上品じゃないが、心はこいつらよりもはるかに上品なつもりだ。六人は悠々ゆうゆうと引きげた。上部うわべだけは教師のおれよりよっぽどえらく見える。実は落ち付いているだけなお悪るい。おれには到底とうていこれほどの度胸はない。
 それからまた床へはいって横になったら、さっきの騒動そうどうで蚊帳の中はぶんぶんうなっている。手燭てしょくをつけて一匹ずつ焼くなんて面倒な事は出来ないから、釣手つりてをはずして、長くたたんでおいて部屋の中で横竪よこたて十文字にふるったら、かんが飛んで手のこうをいやというほどった。三度目に床へはいった時は少々落ち付いたがなかなか寝られない。時計を見ると十時半だ。考えてみると厄介な所へ来たもんだ。一体中学の先生なんて、どこへ行っても、こんなものを相手にするなら気の毒なものだ。よく先生が品切れにならない。よっぽど辛防しんぼう強い朴念仁ぼくねんじんがなるんだろう。おれには到底やり切れない。それを思うときよなんてのは見上げたものだ。教育もない身分もないばあさんだが、人間としてはすこぶるたっとい。今まではあんなに世話になって別段難有ありがたいとも思わなかったが、こうして、一人で遠国へ来てみると、始めてあの親切がわかる。越後えちご笹飴ささあめが食いたければ、わざわざ越後まで買いに行って食わしてやっても、食わせるだけの価値は充分じゅうぶんある。清はおれの事を欲がなくって、真直まっすぐな気性だと云って、ほめるが、ほめられるおれよりも、ほめる本人の方が立派な人間だ。何だか清に逢いたくなった。
 清の事を考えながら、のつそつしていると、突然とつぜんおれの頭の上で、数で云ったら三四十人もあろうか、二階が落っこちるほどどん、どん、どんと拍子ひょうしを取って床板を踏みならす音がした。すると足音に比例した大きなときの声がおこった。おれは何事が持ち上がったのかと驚ろいて飛び起きた。飛び起きる途端とたんに、ははあさっきの意趣返いしゅがえしに生徒があばれるのだなと気がついた。手前のわるい事は悪るかったと言ってしまわないうちは罪は消えないもんだ。わるい事は、手前達におぼえがあるだろう。本来なら寝てから後悔こうかいしてあしたの朝でもあやまりに来るのが本筋だ。たとい、あやまらないまでも恐れ入って、静粛せいしゅくに寝ているべきだ。それを何だこのさわぎは。寄宿舎を建ててぶたでも飼っておきあしまいし。気狂きちがいじみた真似まね大抵たいていにするがいい。どうするか見ろと、寝巻のまま宿直部屋を飛び出して、楷子段はしごだん三股半みまたはんに二階までおどり上がった。すると不思議な事に、今まで頭の上で、たしかにどたばた暴れていたのが、急に静まり返って、人声どころか足音もしなくなった。これは妙だ。ランプはすでに消してあるから、暗くてどこに何が居るか判然とわからないが、人気ひとけのあるとないとは様子でも知れる。長く東から西へつらぬいた廊下ろうかにはねずみぴきかくれていない。廊下のはずれから月がさして、遥か向うが際どく明るい。どうも変だ、おれは小供の時から、よくゆめを見る癖があって、夢中むちゅうに跳ね起きて、わからぬ寝言を云って、人に笑われた事がよくある。十六七の時ダイヤモンドを拾った夢を見た晩なぞは、むくりと立ち上がって、そばに居た兄に、今のダイヤモンドはどうしたと、非常ないきおいたずねたくらいだ。その時は三日ばかりうちじゅうの笑い草になって大いに弱った。ことによると今のも夢かも知れない。しかしたしかにあばれたに違いないがと、廊下の真中まんなかで考え込んでいると、月のさしている向うのはずれで、一二三わあと、三四十人の声がかたまってひびいたかと思う間もなく、前のように拍子を取って、一同が床板ゆかいたを踏み鳴らした。それ見ろ夢じゃないやっぱり事実だ。静かにしろ、夜なかだぞ、とこっちも負けんくらいな声を出して、廊下を向うへけだした。おれの通るみちは暗い、ただはずれに見える月あかりが目標めじるしだ。おれが馳け出して二間も来たかと思うと、廊下の真中で、かたい大きなものに向脛むこうずねをぶつけて、あ痛いが頭へひびく間に、身体はすとんと前へほうり出された。こん畜生ちきしょうと起き上がってみたが、馳けられない。気はせくが、足だけは云う事を利かない。じれったいから、一本足で飛んで来たら、もう足音も人声も静まり返って、しんとしている。いくら人間が卑怯だって、こんなに卑怯に出来るものじゃない。まるで豚だ。こうなれば隠れている奴を引きずり出して、あやまらせてやるまではひかないぞと、心をめて寝室しんしつの一つを開けて中を検査しようと思ったが開かない。じょうをかけてあるのか、机か何か積んで立てけてあるのか、しても、押しても決して開かない。今度は向う合せの北側のへやを試みた。開かない事はやっぱり同然である。おれが戸を開けて中に居る奴を引っらまえてやろうと、焦慮いらってると、また東のはずれで鬨の声と足拍子が始まった。この野郎やろう申し合せて、東西相応じておれを馬鹿にする気だな、とは思ったがさてどうしていいか分らない。正直に白状してしまうが、おれは勇気のある割合に智慧ちえが足りない。こんな時にはどうしていいかさっぱりわからない。わからないけれども、決して負けるつもりはない。このままに済ましてはおれの顔にかかわる。江戸えどっ子は意気地いくじがないと云われるのは残念だ。宿直をして鼻垂はなった小僧こぞうにからかわれて、手のつけようがなくって、仕方がないから泣き寝入りにしたと思われちゃ一生の名折れだ。これでも元は旗本はたもとだ。旗本の元は清和源氏せいわげんじで、多田ただ満仲まんじゅう後裔こうえいだ。こんな土百姓どびゃくしょうとは生まれからして違うんだ。ただ智慧のないところが惜しいだけだ。どうしていいか分らないのが困るだけだ。困ったって負けるものか。正直だから、どうしていいか分らないんだ。世の中に正直が勝たないで、外に勝つものがあるか、考えてみろ。今夜中に勝てなければ、あした勝つ。あした勝てなければ、あさって勝つ。あさって勝てなければ、下宿から弁当を取り寄せて勝つまでここに居る。おれはこう決心をしたから、廊下の真中へあぐらをかいて夜のあけるのを待っていた。蚊がぶんぶん来たけれども何ともなかった。さっき、ぶつけた向脛をでてみると、何だかぬらぬらする。血が出るんだろう。血なんか出たければ勝手に出るがいい。そのうち最前からのつかれが出て、ついうとうと寝てしまった。何だか騒がしいので、が覚めた時はえっくそしまったと飛び上がった。おれのすわってた右側にある戸が半分あいて、生徒が二人、おれの前に立っている。おれは正気に返って、はっと思う途端に、おれの鼻の先にある生徒の足をつかんで、力任せにぐいと引いたら、そいつは、どたりと仰向あおむけに倒れた。ざまを見ろ。残る一人がちょっと狼狽ろうばいしたところを、飛びかかって、肩をおさえて二三度こづき廻したら、あっけに取られて、眼をぱちぱちさせた。さあおれの部屋まで来いと引っ立てると、弱虫だと見えて、一も二もなくいて来た。はとうにあけている。
 おれが宿直部屋へ連れてきた奴を詰問きつもんし始めると、豚は、っても擲いても豚だから、ただ知らんがなで、どこまでも通す了見と見えて、けっして白状しない。そのうち一人来る、二人来る、だんだん二階から宿直部屋へ集まってくる。見るとみんなねむそうにまぶたをはらしている。けちな奴等だ。一晩ぐらい寝ないで、そんな面をして男と云われるか。面でも洗って議論に来いと云ってやったが、誰も面を洗いに行かない。
 おれは五十人あまりを相手に約一時間ばかり押問答おしもんどうをしていると、ひょっくり狸がやって来た。あとから聞いたら、小使が学校に騒動がありますって、わざわざ知らせに行ったのだそうだ。これしきの事に、校長を呼ぶなんて意気地がなさ過ぎる。それだから中学校の小使なんぞをしてるんだ。
 校長はひと通りおれの説明を聞いた。生徒の言草いいぐさもちょっと聞いた。追って処分するまでは、今まで通り学校へ出ろ。早く顔を洗って、朝飯を食わないと時間に間に合わないから、早くしろと云って寄宿生をみんな放免ほうめんした。手温てぬるい事だ。おれなら即席そくせきに寄宿生をことごとく退校してしまう。こんな悠長ゆうちょうな事をするから生徒が宿直員を馬鹿にするんだ。その上おれに向って、あなたもさぞご心配でお疲れでしょう、今日はご授業におよばんと云うから、おれはこう答えた。「いえ、ちっとも心配じゃありません。こんな事が毎晩あっても、命のある間は心配にゃなりません。授業はやります、一晩ぐらい寝なくって、授業が出来ないくらいなら、頂戴ちょうだいした月給を学校の方へ割戻わりもどします」校長は何と思ったものか、しばらくおれの顔を見つめていたが、しかし顔が大分はれていますよと注意した。なるほど何だか少々重たい気がする。その上べた一面かゆい。蚊がよっぽとしたに相違ない。おれは顔中ぼりぼりきながら、顔はいくられたって、口はたしかにきけますから、授業には差しつかえませんと答えた。校長は笑いながら、大分元気ですねとめた。実を云うと賞めたんじゃあるまい、ひやかしたんだろう。
 
 
 
 
 
 
 
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 五
 
 君りに行きませんかと赤シャツがおれに聞いた。赤シャツは気味のるいように優しい声を出す男である。まるで男だか女だかわかりゃしない。男なら男らしい声を出すもんだ。ことに大学卒業生じゃないか。物理学校でさえおれくらいな声が出るのに、文学士がこれじゃ見っともない。
 おれはそうですなあと少し進まない返事をしたら、君釣をした事がありますかと失敬な事を聞く。あんまりないが、子供の時、小梅こうめ釣堀つりぼりふなを三びき釣った事がある。それから神楽坂かぐらざか毘沙門びしゃもん縁日えんにちで八寸ばかりのこいを針で引っかけて、しめたと思ったら、ぽちゃりと落としてしまったがこれは今考えてもしいとったら、赤シャツはあごを前の方へき出してホホホホと笑った。何もそう気取って笑わなくっても、よさそうな者だ。「それじゃ、まだ釣りの味は分らんですな。お望みならちと伝授しましょう」とすこぶる得意である。だれがご伝授をうけるものか。一体釣やりょうをする連中はみんな不人情な人間ばかりだ。不人情でなくって、殺生せっしょうをして喜ぶ訳がない。魚だって、鳥だって殺されるより生きてる方が楽にまってる。釣や猟をしなくっちゃ活計かっけいがたたないなら格別だが、何不足なくくらしている上に、生き物を殺さなくっちゃ寝られないなんて贅沢ぜいたくな話だ。こう思ったがむこうは文学士だけに口が達者だから、議論じゃかなわないと思って、だまってた。すると先生このおれを降参させたと疳違かんちがいして、早速伝授しましょう。おひまなら、今日どうです、いっしょに行っちゃ。吉川よしかわ君と二人ふたりぎりじゃ、さむしいから、来たまえとしきりに勧める。吉川君というのは画学の教師で例の野だいこの事だ。この野だは、どういう了見りょうけんだか、赤シャツのうちへ朝夕出入でいりして、どこへでも随行ずいこうしてく。まるで同輩どうはいじゃない。主従しゅうじゅうみたようだ。赤シャツの行く所なら、野だは必ず行くにきまっているんだから、今さらおどろきもしないが、二人で行けば済むところを、なんで無愛想ぶあいそのおれへ口をけたんだろう。大方高慢こうまんちきな釣道楽で、自分の釣るところをおれに見せびらかすつもりかなんかでさそったに違いない。そんな事で見せびらかされるおれじゃない。まぐろの二匹や三匹釣ったって、びくともするもんか。おれだって人間だ、いくら下手へただって糸さえおろしゃ、何かかかるだろう、ここでおれが行かないと、赤シャツの事だから、下手だから行かないんだ、きらいだから行かないんじゃないと邪推じゃすいするに相違そういない。おれはこう考えたから、行きましょうと答えた。それから、学校をしまって、一応うちへ帰って、支度したくを整えて、停車場で赤シャツと野だを待ち合せてはまへ行った。船頭は一人ひとりで、ふねは細長い東京辺では見た事もない恰好かっこうである。さっきから船中見渡みわたすが釣竿つりざおが一本も見えない。釣竿なしで釣が出来るものか、どうする了見だろうと、野だに聞くと、沖釣おきづりには竿は用いません、糸だけでげすと顋をでて黒人くろうとじみた事を云った。こうめられるくらいならだまっていればよかった。
 船頭はゆっくりゆっくりいでいるが熟練はおそろしいもので、見返みかえると、浜が小さく見えるくらいもう出ている。高柏寺こうはくじの五重のとうが森の上へけ出して針のようにとんがってる。向側むこうがわを見ると青嶋あおしまが浮いている。これは人の住まない島だそうだ。よく見ると石とまつばかりだ。なるほど石と松ばかりじゃ住めっこない。赤シャツは、しきりに眺望ちょうぼうしていい景色だと云ってる。野だは絶景でげすと云ってる。絶景だか何だか知らないが、いい心持ちには相違ない。ひろびろとした海の上で、潮風にかれるのは薬だと思った。いやに腹が減る。「あの松を見たまえ、幹が真直まっすぐで、上がかさのように開いてターナーの画にありそうだね」と赤シャツが野だに云うと、野だは「全くターナーですね。どうもあの曲り具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ」と心得顔である。ターナーとは何の事だか知らないが、聞かないでも困らない事だからだまっていた。舟は島を右に見てぐるりとまわった。波は全くない。これで海だとは受け取りにくいほどたいらだ。赤シャツのおかげではなはだ愉快ゆかいだ。出来る事なら、あの島の上へ上がってみたいと思ったから、あの岩のある所へは舟はつけられないんですかと聞いてみた。つけられん事もないですが、釣をするには、あまり岸じゃいけないですと赤シャツが異議を申し立てた。おれは黙ってた。すると野だがどうです教頭、これからあの島をターナー島と名づけようじゃありませんかと余計な発議ほつぎをした。赤シャツはそいつは面白い、吾々われわれはこれからそう云おうと賛成した。この吾々のうちにおれもはいってるなら迷惑めいわくだ。おれには青嶋でたくさんだ。あの岩の上に、どうです、ラフハエルのマドンナを置いちゃ。いい画が出来ますぜと野だが云うと、マドンナの話はよそうじゃないかホホホホと赤シャツが気味の悪るい笑い方をした。なに誰も居ないから大丈夫だいじょうぶですと、ちょっとおれの方を見たが、わざと顔をそむけてにやにやと笑った。おれは何だかやな心持ちがした。マドンナだろうが、小旦那こだんなだろうが、おれの関係した事でないから、勝手に立たせるがよかろうが、人に分らない事を言って分らないから聞いたって構やしませんてえような風をする。下品な仕草だ。これで当人はわたし江戸えどっ子でげすなどと云ってる。マドンナと云うのは何でも赤シャツの馴染なじみの芸者の渾名あだなか何かに違いないと思った。なじみの芸者を無人島の松の木の下に立たしてながめていれば世話はない。それを野だが油絵にでもかいて展覧会へ出したらよかろう。
 ここいらがいいだろうと船頭は船をとめて、いかりを卸した。幾尋いくひろあるかねと赤シャツが聞くと、六尋むひろぐらいだと云う。六尋ぐらいじゃたいはむずかしいなと、赤シャツは糸を海へなげ込んだ。大将鯛を釣る気と見える、豪胆ごうたんなものだ。野だは、なに教頭のお手際じゃかかりますよ。それになぎですからとお世辞を云いながら、これも糸をり出して投げ入れる。何だか先におもりのようななまりがぶら下がってるだけだ。うきがない。浮がなくって釣をするのは寒暖計なしで熱度をはかるようなものだ。おれには到底とうてい出来ないと見ていると、さあ君もやりたまえ糸はありますかと聞く。糸はあまるほどあるが、浮がありませんと云ったら、浮がなくっちゃ釣が出来ないのは素人しろうとですよ。こうしてね、糸が水底みずそこへついた時分に、船縁ふなべりの所で人指しゆびで呼吸をはかるんです、食うとすぐ手に答える。――そらきた、と先生急に糸をたぐり始めるから、何かかかったと思ったら何にもかからない、がなくなってたばかりだ。いい気味きびだ。教頭、残念な事をしましたね、今のはたしかに大ものに違いなかったんですが、どうも教頭のお手際でさえげられちゃ、今日は油断ができませんよ。しかし逃げられても何ですね。浮とにらめくらをしている連中よりはましですね。ちょうど歯どめがなくっちゃ自転車へ乗れないのと同程度ですからねと野だはみような事ばかり喋舌しゃべる。よっぽどなぐりつけてやろうかと思った。おれだって人間だ、教頭ひとりで借り切った海じゃあるまいし。広い所だ。かつおの一匹ぐらい義理にだって、かかってくれるだろうと、どぼんと錘と糸をほうり込んでいい加減に指の先であやつっていた。
 しばらくすると、何だかぴくぴくと糸にあたるものがある。おれは考えた。こいつは魚に相違ない。生きてるものでなくっちゃ、こうぴくつく訳がない。しめた、釣れたとぐいぐい手繰たぐり寄せた。おや釣れましたかね、後世おそるべしだと野だがひやかすうち、糸はもう大概手繰り込んでただ五尺ばかりほどしか、水にいておらん。船縁からのぞいてみたら、金魚のようなしまのある魚が糸にくっついて、右左へただよいながら、手に応じて浮き上がってくる。面白い。水際から上げるとき、ぽちゃりとねたから、おれの顔は潮水だらけになった。ようやくつらまえて、針をとろうとするがなかなか取れない。つらまえた手はぬるぬるする。大いに気味がわるい。面倒だから糸をってどうたたきつけたら、すぐ死んでしまった。赤シャツと野だは驚ろいて見ている。おれは海の中で手をざぶざぶと洗って、鼻の先へあてがってみた。まだ腥臭なまぐさい。もうりだ。何が釣れたって魚はにぎりたくない。魚も握られたくなかろう。そうそう糸を捲いてしまった。
 一番槍いちばんやりはお手柄てがらだがゴルキじゃ、と野だがまた生意気を云うと、ゴルキと云うと露西亜ロシアの文学者みたような名だねと赤シャツが洒落しゃれた。そうですね、まるで露西亜の文学者ですねと野だはすぐ賛成しやがる。ゴルキが露西亜の文学者で、丸木がしばの写真師で、米のなる木が命の親だろう。一体この赤シャツはわるいくせだ。だれつらまえても片仮名の唐人とうじんの名を並べたがる。人にはそれぞれ専門があったものだ。おれのような数学の教師にゴルキだか車力しゃりきだか見当がつくものか、少しは遠慮えんりょするがいい。うならフランクリンの自伝だとかプッシング、ツー、ゼ、フロントだとか、おれでも知ってる名を使うがいい。赤シャツは時々帝国文学とかいう真赤まっかな雑誌を学校へ持って来て難有ありがたそうに読んでいる。山嵐やまあらしに聞いてみたら、赤シャツの片仮名はみんなあの雑誌から出るんだそうだ。帝国文学も罪な雑誌だ。
 それから赤シャツと野だは一生懸命いっしょうけんめいに釣っていたが、約一時間ばかりのうちに二人ふたりで十五六上げた。可笑おかしい事に釣れるのも、釣れるのも、みんなゴルキばかりだ。鯛なんて薬にしたくってもありゃしない。今日は露西亜文学の大当りだと赤シャツが野だに話している。あなたの手腕しゅわんでゴルキなんですから、わたしなんぞがゴルキなのは仕方がありません。当り前ですなと野だが答えている。船頭に聞くとこの小魚は骨が多くって、まずくって、とても食えないんだそうだ。ただ肥料こやしには出来るそうだ。赤シャツと野だは一生懸命に肥料を釣っているんだ。気の毒の至りだ。おれは一ぴきりたから、胴の間へ仰向あおむけになって、さっきから大空を眺めていた。釣をするよりこの方がよっぽど洒落しゃれている。
 すると二人は小声で何か話し始めた。おれにはよくきこえない、また聞きたくもない。おれは空を見ながらきよの事を考えている。金があって、清をつれて、こんな奇麗きれいな所へ遊びに来たらさぞ愉快だろう。いくら景色がよくっても野だなどといっしょじゃつまらない。清は皺苦茶しわくちゃだらけの婆さんだが、どんな所へ連れて出たってずかしい心持ちはしない。野だのようなのは、馬車に乗ろうが、船に乗ろうが、凌雲閣りょううんかくへのろうが、到底寄り付けたものじゃない。おれが教頭で、赤シャツがおれだったら、やっぱりおれにへけつけお世辞を使って赤シャツをひやかすに違いない。江戸っ子は軽薄けいはくだと云うがなるほどこんなものが田舎巡いなかまわりをして、わたしは江戸っ子でげすと繰り返していたら、軽薄は江戸っ子で、江戸っ子は軽薄の事だと田舎者が思うに極まってる。こんな事を考えていると、何だか二人がくすくす笑い出した。笑い声の間に何か云うが途切とぎれ途切れでとんと要領を得ない。
「え? どうだか……」「……全くです……知らないんですから……罪ですね」「まさか……」「バッタを……本当ですよ」
 おれは外の言葉には耳をかたむけなかったが、バッタと云う野だのことばいた時は、思わずきっとなった。野だは何のためかバッタと云う言葉だけことさら力を入れて、明瞭めいりょうにおれの耳にはいるようにして、そのあとをわざとぼかしてしまった。おれは動かないでやはり聞いていた。
「また例の堀田ほったが……」「そうかも知れない……」「天麩羅てんぷら……ハハハハハ」「……煽動せんどうして……」「団子だんごも?」
 言葉はかように途切れ途切れであるけれども、バッタだの天麩羅だの、団子だのというところをもって推し測ってみると、何でもおれのことについて内所話ないしょばなしをしているに相違ない。話すならもっと大きな声で話すがいい、また内所話をするくらいなら、おれなんか誘わなければいい。いけ好かない連中だ。バッタだろうが雪踏せっただろうが、非はおれにある事じゃない。校長がひとまずあずけろと云ったから、たぬきの顔にめんじてただ今のところはひかえているんだ。野だの癖に入らぬ批評をしやがる。毛筆けふででもしゃぶって引っ込んでるがいい。おれの事は、おそかれ早かれ、おれ一人で片付けてみせるから、差支さしつかえはないが、また例の堀田がとか煽動してとか云う文句が気にかかる。堀田がおれを煽動して騒動そうどうを大きくしたと云う意味なのか、あるいは堀田が生徒を煽動しておれをいじめたと云うのか方角がわからない。青空を見ていると、日の光がだんだん弱って来て、少しはひやりとする風が吹き出した。線香せんこうけむりのような雲が、とおる底の上を静かにして行ったと思ったら、いつしか底のおくに流れ込んで、うすくもやをけたようになった。
 もう帰ろうかと赤シャツが思い出したように云うと、ええちょうど時分ですね。今夜はマドンナの君においですかと野だが云う。赤シャツは馬鹿ばかあ云っちゃいけない、間違いになると、船縁に身をたしたやつを、少し起き直る。エヘヘヘヘ大丈夫ですよ。聞いたって……と野だが振り返った時、おれはさらのようなを野だの頭の上へまともに浴びせ掛けてやった。野だはまぼしそうに引っ繰り返って、や、こいつは降参だと首を縮めて、頭をいた。何という猪口才ちょこざいだろう。
 船は静かな海を岸へもどる。君つりはあまり好きでないと見えますねと赤シャツが聞くから、ええていて空を見る方がいいですと答えて、吸いかけた巻烟草まきたばこを海の中へたたき込んだら、ジュと音がしての足で掻き分けられたなみの上をられながらただよっていった。「君が来たんで生徒も大いに喜んでいるから、奮発ふんぱつしてやってくれたまえ」と今度は釣にはまるで縁故えんこもない事を云い出した。「あんまり喜んでもいないでしょう」「いえ、お世辞じゃない。全く喜んでいるんです、ね、吉川君」「喜んでるどころじゃない。大騒おおさわぎです」と野だはにやにやと笑った。こいつの云う事は一々しゃくさわるから妙だ。「しかし君注意しないと、険呑けんのんですよ」と赤シャツが云うから「どうせ険呑です。こうなりゃ険呑は覚悟かくごです」と云ってやった。実際おれは免職めんしょくになるか、寄宿生をことごとくあやまらせるか、どっちか一つにする了見でいた。「そう云っちゃ、取りつきどころもないが――実は僕も教頭として君のためを思うから云うんだが、わるく取っちゃ困る」「教頭は全く君に好意を持ってるんですよ。僕もおよばずながら、同じ江戸っ子だから、なるべく長くご在校を願って、おたがいに力になろうと思って、これでも蔭ながら尽力じんりょくしているんですよ」と野だが人間なみの事を云った。野だのお世話になるくらいなら首をくくって死んじまわあ。
「それでね、生徒は君の来たのを大変歓迎かんげいしているんだが、そこにはいろいろな事情があってね。君も腹の立つ事もあるだろうが、ここが我慢がまんだと思って、辛防しんぼうしてくれたまえ。決して君のためにならないような事はしないから」
「いろいろの事情た、どんな事情です」
「それが少し込み入ってるんだが、まあだんだん分りますよ。ぼくが話さないでも自然と分って来るです、ね吉川君」
「ええなかなか込み入ってますからね。一朝一夕にゃ到底分りません。しかしだんだん分ります、僕が話さないでも自然と分って来るです」と野だは赤シャツと同じような事を云う。
「そんな面倒めんどうな事情なら聞かなくてもいいんですが、あなたの方から話し出したからうかがうんです」
「そりゃごもっともだ。こっちで口を切って、あとをつけないのは無責任ですね。それじゃこれだけの事を云っておきましょう。あなたは失礼ながら、まだ学校を卒業したてで、教師は始めての、経験である。ところが学校というものはなかなか情実のあるもので、そう書生流に淡泊たんぱくにはかないですからね」
「淡泊に行かなければ、どんな風に行くんです」
「さあ君はそう率直だから、まだ経験にとぼしいと云うんですがね……」
「どうせ経験には乏しいはずです。履歴書りれきしょにもかいときましたが二十三年四ヶ月ですから」
「さ、そこで思わぬ辺から乗ぜられる事があるんです」
「正直にしていればだれが乗じたってこわくはないです」
「無論怖くはない、怖くはないが、乗ぜられる。現に君の前任者がやられたんだから、気を付けないといけないと云うんです」
 野だが大人おとなしくなったなと気が付いて、ふり向いて見ると、いつしかともの方で船頭と釣の話をしている。野だが居ないんでよっぽど話しよくなった。
「僕の前任者が、れに乗ぜられたんです」
「だれと指すと、その人の名誉に関係するから云えない。また判然と証拠しょうこのない事だから云うとこっちの落度になる。とにかく、せっかく君が来たもんだから、ここで失敗しちゃ僕等ぼくらも君を呼んだ甲斐かいがない。どうか気を付けてくれたまえ」
「気を付けろったって、これより気の付けようはありません。わるい事をしなけりゃいんでしょう」
 赤シャツはホホホホと笑った。別段おれは笑われるような事を云った覚えはない。今日こんにちただ今に至るまでこれでいいとかたく信じている。考えてみると世間の大部分の人はわるくなる事を奨励しょうれいしているように思う。わるくならなければ社会に成功はしないものと信じているらしい。たまに正直な純粋じゅんすいな人を見ると、っちゃんだの小僧こぞうだのと難癖なんくせをつけて軽蔑けいべつする。それじゃ小学校や中学校でうそをつくな、正直にしろと倫理りんりの先生が教えない方がいい。いっそ思い切って学校で嘘をつく法とか、人を信じない術とか、人を乗せる策を教授する方が、世のためにも当人のためにもなるだろう。赤シャツがホホホホと笑ったのは、おれの単純なのを笑ったのだ。単純や真率が笑われる世の中じゃ仕様がない。清はこんな時に決して笑った事はない。大いに感心して聞いたもんだ。清の方が赤シャツよりよっぽど上等だ。
「無論るい事をしなければ好いんですが、自分だけ悪るい事をしなくっても、人の悪るいのが分らなくっちゃ、やっぱりひどい目に逢うでしょう。世の中には磊落らいらくなように見えても、淡泊なように見えても、親切に下宿の世話なんかしてくれても、めったに油断の出来ないのがありますから……。大分寒くなった。もう秋ですね、浜の方はもやでセピヤ色になった。いい景色だ。おい、吉川君どうだい、あの浜の景色は……」と大きな声を出して野だを呼んだ。なあるほどこりゃ奇絶きぜつですね。時間があると写生するんだが、しいですね、このままにしておくのはと野だは大いにたたく。
 港屋の二階に灯が一つついて、汽車のふえがヒューと鳴るとき、おれの乗っていた舟はいその砂へざぐりと、へさきをつき込んで動かなくなった。お早うお帰りと、かみさんが、浜に立って赤シャツに挨拶あいさつする。おれは船端ふなばたから、やっと掛声かけごえをして磯へ飛び下りた。
 

(後編へつづく)

※第11章で完結です。