吾輩は猫である 夏目漱石

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吾輩は猫である
夏目漱石
 
 

 
 
 
 
 
 
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 一
 
 吾輩わがはいは猫である。名前はまだ無い。
 どこで生れたかとんと見当けんとうがつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪どうあくな種族であったそうだ。この書生というのは時々我々をつかまえてて食うという話である。しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただ彼のてのひらに載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。掌の上で少し落ちついて書生の顔を見たのがいわゆる人間というものの見始みはじめであろう。この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬缶やかんだ。その猫にもだいぶったがこんな片輪かたわには一度も出会でくわした事がない。のみならず顔の真中があまりに突起している。そうしてその穴の中から時々ぷうぷうとけむりを吹く。どうもせぽくて実に弱った。これが人間の飲む煙草たばこというものである事はようやくこの頃知った。
 この書生の掌のうちでしばらくはよい心持に坐っておったが、しばらくすると非常な速力で運転し始めた。書生が動くのか自分だけが動くのか分らないが無暗むやみに眼が廻る。胸が悪くなる。到底とうてい助からないと思っていると、どさりと音がして眼から火が出た。それまでは記憶しているがあとは何の事やらいくら考え出そうとしても分らない。
 ふと気が付いて見ると書生はいない。たくさんおった兄弟が一ぴきも見えぬ。肝心かんじんの母親さえ姿を隠してしまった。その上いままでの所とは違って無暗むやみに明るい。眼を明いていられぬくらいだ。はてな何でも容子ようすがおかしいと、のそのそい出して見ると非常に痛い。吾輩はわらの上から急に笹原の中へ棄てられたのである。
 ようやくの思いで笹原を這い出すと向うに大きな池がある。吾輩は池の前に坐ってどうしたらよかろうと考えて見た。別にこれという分別ふんべつも出ない。しばらくして泣いたら書生がまた迎に来てくれるかと考え付いた。ニャー、ニャーと試みにやって見たが誰も来ない。そのうち池の上をさらさらと風が渡って日が暮れかかる。腹が非常に減って来た。泣きたくても声が出ない。仕方がない、何でもよいから食物くいもののある所まであるこうと決心をしてそろりそろりと池をひだりに廻り始めた。どうも非常に苦しい。そこを我慢して無理やりにって行くとようやくの事で何となく人間臭い所へ出た。ここへ這入はいったら、どうにかなると思って竹垣のくずれた穴から、とある邸内にもぐり込んだ。縁は不思議なもので、もしこの竹垣が破れていなかったなら、吾輩はついに路傍ろぼう餓死がししたかも知れんのである。一樹の蔭とはよくったものだ。この垣根の穴は今日こんにちに至るまで吾輩が隣家となりの三毛を訪問する時の通路になっている。さてやしきへは忍び込んだもののこれから先どうしていか分らない。そのうちに暗くなる、腹は減る、寒さは寒し、雨が降って来るという始末でもう一刻の猶予ゆうよが出来なくなった。仕方がないからとにかく明るくて暖かそうな方へ方へとあるいて行く。今から考えるとその時はすでに家の内に這入っておったのだ。ここで吾輩はの書生以外の人間を再び見るべき機会に遭遇そうぐうしたのである。第一に逢ったのがおさんである。これは前の書生より一層乱暴な方で吾輩を見るや否やいきなり頸筋くびすじをつかんで表へほうり出した。いやこれは駄目だと思ったから眼をねぶって運を天に任せていた。しかしひもじいのと寒いのにはどうしても我慢が出来ん。吾輩は再びおさんのすきを見て台所へあがった。すると間もなくまた投げ出された。吾輩は投げ出されては這い上り、這い上っては投げ出され、何でも同じ事を四五遍繰り返したのを記憶している。その時におさんと云う者はつくづくいやになった。この間おさんの三馬さんまぬすんでこの返報をしてやってから、やっと胸のつかえが下りた。吾輩が最後につまみ出されようとしたときに、このうちの主人が騒々しい何だといいながら出て来た。下女は吾輩をぶら下げて主人の方へ向けてこの宿やどなしの小猫がいくら出しても出しても御台所おだいどころあがって来て困りますという。主人は鼻の下の黒い毛をひねりながら吾輩の顔をしばらくながめておったが、やがてそんなら内へ置いてやれといったまま奥へ這入はいってしまった。主人はあまり口を聞かぬ人と見えた。下女は口惜くやしそうに吾輩を台所へほうり出した。かくして吾輩はついにこのうちを自分の住家すみかめる事にしたのである。
 吾輩の主人は滅多めったに吾輩と顔を合せる事がない。職業は教師だそうだ。学校から帰ると終日書斎に這入ったぎりほとんど出て来る事がない。家のものは大変な勉強家だと思っている。当人も勉強家であるかのごとく見せている。しかし実際はうちのものがいうような勤勉家ではない。吾輩は時々忍び足に彼の書斎をのぞいて見るが、彼はよく昼寝ひるねをしている事がある。時々読みかけてある本の上によだれをたらしている。彼は胃弱で皮膚の色が淡黄色たんこうしょくを帯びて弾力のない不活溌ふかっぱつな徴候をあらわしている。その癖に大飯を食う。大飯を食ったあとでタカジヤスターゼを飲む。飲んだ後で書物をひろげる。二三ページ読むと眠くなる。涎を本の上へ垂らす。これが彼の毎夜繰り返す日課である。吾輩は猫ながら時々考える事がある。教師というものは実にらくなものだ。人間と生れたら教師となるに限る。こんなに寝ていて勤まるものなら猫にでも出来ぬ事はないと。それでも主人に云わせると教師ほどつらいものはないそうで彼は友達が来るたびに何とかかんとか不平を鳴らしている。
 吾輩がこの家へ住み込んだ当時は、主人以外のものにははなはだ不人望であった。どこへ行ってもね付けられて相手にしてくれ手がなかった。いかに珍重されなかったかは、今日こんにちに至るまで名前さえつけてくれないのでも分る。吾輩は仕方がないから、出来得る限り吾輩を入れてくれた主人のそばにいる事をつとめた。朝主人が新聞を読むときは必ず彼のひざの上に乗る。彼が昼寝をするときは必ずその背中せなかに乗る。これはあながち主人が好きという訳ではないが別に構い手がなかったからやむを得んのである。その後いろいろ経験の上、朝は飯櫃めしびつの上、夜は炬燵こたつの上、天気のよい昼は椽側えんがわへ寝る事とした。しかし一番心持の好いのはってここのうちの小供の寝床へもぐり込んでいっしょにねる事である。この小供というのは五つと三つで夜になると二人が一つ床へはいって一間ひとまへ寝る。吾輩はいつでも彼等の中間におのれをるべき余地を見出みいだしてどうにか、こうにか割り込むのであるが、運悪く小供の一人が眼をますが最後大変な事になる。小供は――ことに小さい方がたちがわるい――猫が来た猫が来たといって夜中でも何でも大きな声で泣き出すのである。すると例の神経胃弱性の主人はかならず眼をさまして次の部屋から飛び出してくる。現にせんだってなどは物指ものさしで尻ぺたをひどくたたかれた。
 吾輩は人間と同居して彼等を観察すればするほど、彼等は我儘わがままなものだと断言せざるを得ないようになった。ことに吾輩が時々同衾どうきんする小供のごときに至っては言語同断ごんごどうだんである。自分の勝手な時は人を逆さにしたり、頭へ袋をかぶせたり、ほうり出したり、へっついの中へ押し込んだりする。しかも吾輩の方で少しでも手出しをしようものなら家内かない総がかりで追い廻して迫害を加える。この間もちょっと畳で爪をいだら細君が非常におこってそれから容易に座敷へれない。台所の板の間でひとふるえていても一向いっこう平気なものである。吾輩の尊敬する筋向すじむこうの白君などは度毎たびごとに人間ほど不人情なものはないと言っておらるる。白君は先日玉のような子猫を四疋まれたのである。ところがそこのうちの書生が三日目にそいつを裏の池へ持って行って四疋ながら棄てて来たそうだ。白君は涙を流してその一部始終を話した上、どうしても我等猫族ねこぞくが親子の愛をまったくして美しい家族的生活をするには人間と戦ってこれを剿滅そうめつせねばならぬといわれた。一々もっともの議論と思う。また隣りの三毛みけ君などは人間が所有権という事を解していないといっておおいに憤慨している。元来我々同族間では目刺めざしの頭でもぼらへそでも一番先に見付けたものがこれを食う権利があるものとなっている。もし相手がこの規約を守らなければ腕力に訴えていくらいのものだ。しかるに彼等人間はごうもこの観念がないと見えて我等が見付けた御馳走は必ず彼等のために掠奪りゃくだつせらるるのである。彼等はその強力を頼んで正当に吾人が食い得べきものをうばってすましている。白君は軍人の家におり三毛君は代言の主人を持っている。吾輩は教師の家に住んでいるだけ、こんな事に関すると両君よりもむしろ楽天である。ただその日その日がどうにかこうにか送られればよい。いくら人間だって、そういつまでも栄える事もあるまい。まあ気を永く猫の時節を待つがよかろう。
 我儘わがままで思い出したからちょっと吾輩の家の主人がこの我儘で失敗した話をしよう。元来この主人は何といって人にすぐれて出来る事もないが、何にでもよく手を出したがる。俳句をやってほととぎすへ投書をしたり、新体詩を明星へ出したり、間違いだらけの英文をかいたり、時によると弓にったり、うたいを習ったり、またあるときはヴァイオリンなどをブーブー鳴らしたりするが、気の毒な事には、どれもこれも物になっておらん。その癖やり出すと胃弱の癖にいやに熱心だ。後架こうかの中で謡をうたって、近所で後架先生こうかせんせい渾名あだなをつけられているにも関せず一向いっこう平気なもので、やはりこれはたいら宗盛むねもりにてそうろうを繰返している。みんながそら宗盛だと吹き出すくらいである。この主人がどういう考になったものか吾輩の住み込んでから一月ばかりのちのある月の月給日に、大きな包みをげてあわただしく帰って来た。何を買って来たのかと思うと水彩絵具と毛筆とワットマンという紙で今日から謡や俳句をやめて絵をかく決心と見えた。果して翌日から当分の間というものは毎日毎日書斎で昼寝もしないで絵ばかりかいている。しかしそのかき上げたものを見ると何をかいたものやら誰にも鑑定がつかない。当人もあまりうまくないと思ったものか、ある日その友人で美学とかをやっている人が来た時にしものような話をしているのを聞いた。
「どうもうまくかけないものだね。人のを見ると何でもないようだがみずから筆をとって見ると今更いまさらのようにむずかしく感ずる」これは主人の述懐じゅっかいである。なるほどいつわりのない処だ。彼の友は金縁の眼鏡越めがねごしに主人の顔を見ながら、「そう初めから上手にはかけないさ、第一室内の想像ばかりでがかける訳のものではない。むか以太利イタリーの大家アンドレア・デル・サルトが言った事がある。画をかくなら何でも自然その物を写せ。天に星辰せいしんあり。地に露華ろかあり。飛ぶにとりあり。走るにけものあり。池に金魚あり。枯木こぼく寒鴉かんああり。自然はこれ一幅の大活画だいかつがなりと。どうだ君も画らしい画をかこうと思うならちと写生をしたら」
「へえアンドレア・デル・サルトがそんな事をいった事があるかい。ちっとも知らなかった。なるほどこりゃもっともだ。実にその通りだ」と主人は無暗むやみに感心している。金縁の裏にはあざけるようなわらいが見えた。
 その翌日吾輩は例のごとく椽側えんがわに出て心持善く昼寝ひるねをしていたら、主人が例になく書斎から出て来て吾輩のうしろで何かしきりにやっている。ふと眼がめて何をしているかと一分いちぶばかり細目に眼をあけて見ると、彼は余念もなくアンドレア・デル・サルトをめ込んでいる。吾輩はこの有様を見て覚えず失笑するのを禁じ得なかった。彼は彼の友に揶揄やゆせられたる結果としてまず手初めに吾輩を写生しつつあるのである。吾輩はすでに十分じゅうぶん寝た。欠伸あくびがしたくてたまらない。しかしせっかく主人が熱心に筆をっているのを動いては気の毒だと思って、じっと辛棒しんぼうしておった。彼は今吾輩の輪廓をかき上げて顔のあたりを色彩いろどっている。吾輩は自白する。吾輩は猫として決して上乗の出来ではない。背といい毛並といい顔の造作といいあえて他の猫にまさるとは決して思っておらん。しかしいくら不器量の吾輩でも、今吾輩の主人にえがき出されつつあるような妙な姿とは、どうしても思われない。第一色が違う。吾輩は波斯産ペルシャさんの猫のごとく黄を含める淡灰色にうるしのごとき斑入ふいりの皮膚を有している。これだけは誰が見ても疑うべからざる事実と思う。しかるに今主人の彩色を見ると、黄でもなければ黒でもない、灰色でもなければ褐色とびいろでもない、さればとてこれらを交ぜた色でもない。ただ一種の色であるというよりほかに評し方のない色である。その上不思議な事は眼がない。もっともこれは寝ているところを写生したのだから無理もないが眼らしい所さえ見えないから盲猫めくらだか寝ている猫だか判然しないのである。吾輩は心中ひそかにいくらアンドレア・デル・サルトでもこれではしようがないと思った。しかしその熱心には感服せざるを得ない。なるべくなら動かずにおってやりたいと思ったが、さっきから小便が催うしている。身内みうちの筋肉はむずむずする。最早もはや一分も猶予ゆうよが出来ぬ仕儀しぎとなったから、やむをえず失敬して両足を前へ存分のして、首を低く押し出してあーあとだいなる欠伸をした。さてこうなって見ると、もうおとなしくしていても仕方がない。どうせ主人の予定はわしたのだから、ついでに裏へ行って用をそうと思ってのそのそ這い出した。すると主人は失望と怒りをき交ぜたような声をして、座敷の中から「この馬鹿野郎」と怒鳴どなった。この主人は人をののしるときは必ず馬鹿野郎というのが癖である。ほかに悪口の言いようを知らないのだから仕方がないが、今まで辛棒した人の気も知らないで、無暗むやみに馬鹿野郎よばわりは失敬だと思う。それも平生吾輩が彼の背中せなかへ乗る時に少しは好い顔でもするならこの漫罵まんばも甘んじて受けるが、こっちの便利になる事は何一つ快くしてくれた事もないのに、小便に立ったのを馬鹿野郎とはひどい。元来人間というものは自己の力量に慢じてみんな増長している。少し人間より強いものが出て来ていじめてやらなくてはこの先どこまで増長するか分らない。
 我儘わがままもこのくらいなら我慢するが吾輩は人間の不徳についてこれよりも数倍悲しむべき報道を耳にした事がある。
 吾輩の家の裏に十坪ばかりの茶園ちゃえんがある。広くはないが瀟洒さっぱりとした心持ち好く日のあたる所だ。うちの小供があまり騒いで楽々昼寝の出来ない時や、あまり退屈で腹加減のよくない折などは、吾輩はいつでもここへ出て浩然こうぜんの気を養うのが例である。ある小春の穏かな日の二時頃であったが、吾輩は昼飯後ちゅうはんご快よく一睡したのち、運動かたがたこの茶園へとを運ばした。茶の木の根を一本一本嗅ぎながら、西側の杉垣のそばまでくると、枯菊を押し倒してその上に大きな猫が前後不覚に寝ている。彼は吾輩の近づくのも一向いっこう心付かざるごとく、また心付くも無頓着なるごとく、大きないびきをして長々と体をよこたえて眠っている。ひとの庭内に忍び入りたるものがかくまで平気にねむられるものかと、吾輩はひそかにその大胆なる度胸に驚かざるを得なかった。彼は純粋の黒猫である。わずかにを過ぎたる太陽は、透明なる光線を彼の皮膚の上にげかけて、きらきらする柔毛にこげの間より眼に見えぬ炎でもずるように思われた。彼は猫中の大王とも云うべきほどの偉大なる体格を有している。吾輩の倍はたしかにある。吾輩は嘆賞の念と、好奇の心に前後を忘れて彼の前に佇立ちょりつして余念もなくながめていると、静かなる小春の風が、杉垣の上から出たる梧桐ごとうの枝をかろく誘ってばらばらと二三枚の葉が枯菊の茂みに落ちた。大王はかっとその真丸まんまるの眼を開いた。今でも記憶している。その眼は人間の珍重する琥珀こはくというものよりもはるかに美しく輝いていた。彼は身動きもしない。双眸そうぼうの奥から射るごとき光を吾輩の矮小わいしょうなるひたいの上にあつめて、御めえは一体何だと云った。大王にしては少々言葉がいやしいと思ったが何しろその声の底に犬をもしぐべき力がこもっているので吾輩は少なからず恐れをいだいた。しかし挨拶あいさつをしないと険呑けんのんだと思ったから「吾輩は猫である。名前はまだない」となるべく平気をよそおって冷然と答えた。しかしこの時吾輩の心臓はたしかに平時よりも烈しく鼓動しておった。彼はおおい軽蔑けいべつせる調子で「何、猫だ? 猫が聞いてあきれらあ。ぜんてえどこに住んでるんだ」随分傍若無人ぼうじゃくぶじんである。「吾輩はここの教師のうちにいるのだ」「どうせそんな事だろうと思った。いやにせてるじゃねえか」と大王だけに気焔きえんを吹きかける。言葉付から察するとどうも良家の猫とも思われない。しかしその膏切あぶらぎって肥満しているところを見ると御馳走を食ってるらしい、豊かに暮しているらしい。吾輩は「そう云う君は一体誰だい」と聞かざるを得なかった。「れあ車屋のくろよ」昂然こうぜんたるものだ。車屋の黒はこの近辺で知らぬ者なき乱暴猫である。しかし車屋だけに強いばかりでちっとも教育がないからあまり誰も交際しない。同盟敬遠主義のまとになっている奴だ。吾輩は彼の名を聞いて少々尻こそばゆき感じを起すと同時に、一方では少々軽侮けいぶの念も生じたのである。吾輩はまず彼がどのくらい無学であるかをためしてみようと思っての問答をして見た。
「一体車屋と教師とはどっちがえらいだろう」
「車屋の方が強いにきまっていらあな。御めえうちの主人を見ねえ、まるで骨と皮ばかりだぜ」
「君も車屋の猫だけに大分だいぶ強そうだ。車屋にいると御馳走ごちそうが食えると見えるね」
なあおれなんざ、どこの国へ行ったって食い物に不自由はしねえつもりだ。御めえなんかも茶畠ちゃばたけばかりぐるぐる廻っていねえで、ちっとおれあとへくっ付いて来て見ねえ。一と月とたたねえうちに見違えるように太れるぜ」
「追ってそう願う事にしよう。しかしうちは教師の方が車屋より大きいのに住んでいるように思われる」
箆棒べらぼうめ、うちなんかいくら大きくたって腹のしになるもんか」
 彼はおおい肝癪かんしゃくさわった様子で、寒竹かんちくをそいだような耳をしきりとぴく付かせてあららかに立ち去った。吾輩が車屋の黒と知己ちきになったのはこれからである。
 その吾輩は度々たびたび黒と邂逅かいこうする。邂逅するごとに彼は車屋相当の気焔きえんを吐く。先に吾輩が耳にしたという不徳事件も実は黒から聞いたのである。
 或る日例のごとく吾輩と黒は暖かい茶畠ちゃばたけの中で寝転ねころびながらいろいろ雑談をしていると、彼はいつもの自慢話じまんばなしをさも新しそうに繰り返したあとで、吾輩に向ってしものごとく質問した。「御めえは今までに鼠を何匹とった事がある」智識は黒よりも余程発達しているつもりだが腕力と勇気とに至っては到底とうてい黒の比較にはならないと覚悟はしていたものの、この問に接したる時は、さすがにきまりがくはなかった。けれども事実は事実でいつわる訳には行かないから、吾輩は「実はとろうとろうと思ってまだらない」と答えた。黒は彼の鼻の先からぴんと突張つっぱっている長いひげをびりびりとふるわせて非常に笑った。元来黒は自慢をするだけにどこか足りないところがあって、彼の気焔きえんを感心したように咽喉のどをころころ鳴らして謹聴していればはなはだぎょしやすい猫である。吾輩は彼と近付になってからすぐにこの呼吸を飲み込んだからこの場合にもなまじいおのれを弁護してますます形勢をわるくするのもである、いっその事彼に自分の手柄話をしゃべらして御茶を濁すにくはないと思案をさだめた。そこでおとなしく「君などは年が年であるから大分だいぶんとったろう」とそそのかして見た。果然彼は墻壁しょうへき欠所けっしょ吶喊とっかんして来た。「たんとでもねえが三四十はとったろう」とは得意気なる彼の答であった。彼はなお語をつづけて「鼠の百や二百は一人でいつでも引き受けるがいたちってえ奴は手に合わねえ。一度いたちに向ってひどい目にった」「へえなるほど」と相槌あいづちを打つ。黒は大きな眼をぱちつかせて云う。「去年の大掃除の時だ。うちの亭主が石灰いしばいの袋を持ってえんの下へい込んだら御めえ大きないたちの野郎が面喰めんくらって飛び出したと思いねえ」「ふん」と感心して見せる。「いたちってけども何鼠の少し大きいぐれえのものだ。こん畜生ちきしょうって気で追っかけてとうとう泥溝どぶの中へ追い込んだと思いねえ」「うまくやったね」と喝采かっさいしてやる。「ところが御めえいざってえ段になると奴め最後さいごをこきゃがった。くせえの臭くねえのってそれからってえものはいたちを見ると胸が悪くならあ」彼はここに至ってあたかも去年の臭気をいまなお感ずるごとく前足を揚げて鼻の頭を二三遍なで廻わした。吾輩も少々気の毒な感じがする。ちっと景気を付けてやろうと思って「しかし鼠なら君ににらまれては百年目だろう。君はあまり鼠をるのが名人で鼠ばかり食うものだからそんなに肥って色つやが善いのだろう」黒の御機嫌をとるためのこの質問は不思議にも反対の結果を呈出ていしゅつした。彼は喟然きぜんとして大息たいそくしていう。「かんげえるとつまらねえ。いくら稼いで鼠をとったって――一てえ人間ほどふてえ奴は世の中にいねえぜ。人のとった鼠をみんな取り上げやがって交番へ持って行きゃあがる。交番じゃ誰がったか分らねえからそのたんびに五銭ずつくれるじゃねえか。うちの亭主なんかおれの御蔭でもう壱円五十銭くらいもうけていやがる癖に、ろくなものを食わせた事もありゃしねえ。おい人間てものあていい泥棒だぜ」さすが無学の黒もこのくらいの理窟りくつはわかると見えてすこぶるおこった容子ようすで背中の毛を逆立さかだてている。吾輩は少々気味が悪くなったから善い加減にその場を胡魔化ごまかしてうちへ帰った。この時から吾輩は決して鼠をとるまいと決心した。しかし黒の子分になって鼠以外の御馳走をあさってあるく事もしなかった。御馳走を食うよりも寝ていた方が気楽でいい。教師のうちにいると猫も教師のような性質になると見える。要心しないと今に胃弱になるかも知れない。
 教師といえば吾輩の主人も近頃に至っては到底とうてい水彩画においてのぞみのない事を悟ったものと見えて十二月一日の日記にこんな事をかきつけた。

○○と云う人に今日の会で始めて出逢であった。あの人は大分だいぶ放蕩ほうとうをした人だと云うがなるほど通人つうじんらしい風采ふうさいをしている。こう云うたちの人は女に好かれるものだから○○が放蕩をしたと云うよりも放蕩をするべく余儀なくせられたと云うのが適当であろう。あの人の妻君は芸者だそうだ、うらやましい事である。元来放蕩家を悪くいう人の大部分は放蕩をする資格のないものが多い。また放蕩家をもって自任する連中のうちにも、放蕩する資格のないものが多い。これらは余儀なくされないのに無理に進んでやるのである。あたかも吾輩の水彩画に於けるがごときもので到底卒業する気づかいはない。しかるにも関せず、自分だけは通人だと思ってすましている。料理屋の酒を飲んだり待合へ這入はいるから通人となり得るという論が立つなら、吾輩も一廉ひとかどの水彩画家になり得る理窟りくつだ。吾輩の水彩画のごときはかかない方がましであると同じように、愚昧ぐまいなる通人よりも山出しの大野暮おおやぼの方がはるかに上等だ。

 通人論つうじんろんはちょっと首肯しゅこうしかねる。また芸者の妻君を羨しいなどというところは教師としては口にすべからざる愚劣の考であるが、自己の水彩画における批評眼だけはたしかなものだ。主人はかくのごとく自知じちめいあるにも関せずその自惚心うぬぼれしんはなかなか抜けない。中二日なかふつか置いて十二月四日の日記にこんな事を書いている。

昨夜ゆうべは僕が水彩画をかいて到底物にならんと思って、そこらにほうって置いたのを誰かが立派な額にして欄間らんまけてくれた夢を見た。さて額になったところを見ると我ながら急に上手になった。非常に嬉しい。これなら立派なものだとひとりで眺め暮らしていると、夜が明けて眼がめてやはり元の通り下手である事が朝日と共に明瞭になってしまった。

 主人は夢のうちまで水彩画の未練を背負しょってあるいていると見える。これでは水彩画家は無論夫子ふうし所謂いわゆる通人にもなれないたちだ。
 主人が水彩画を夢に見た翌日例の金縁眼鏡めがねの美学者が久し振りで主人を訪問した。彼は座につくと劈頭へきとう第一に「はどうかね」と口を切った。主人は平気な顔をして「君の忠告に従って写生をつとめているが、なるほど写生をすると今まで気のつかなかった物の形や、色の精細な変化などがよく分るようだ。西洋ではむかしから写生を主張した結果今日こんにちのように発達したものと思われる。さすがアンドレア・デル・サルトだ」と日記の事はおくびにも出さないで、またアンドレア・デル・サルトに感心する。美学者は笑いながら「実は君、あれは出鱈目でたらめだよ」と頭をく。「何が」と主人はまだ※(「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74)いつわられた事に気がつかない。「何がって君のしきりに感服しているアンドレア・デル・サルトさ。あれは僕のちょっと捏造ねつぞうした話だ。君がそんなに真面目まじめに信じようとは思わなかったハハハハ」と大喜悦のていである。吾輩は椽側でこの対話を聞いて彼の今日の日記にはいかなる事がしるさるるであろうかとあらかじめ想像せざるを得なかった。この美学者はこんないい加減な事を吹き散らして人をかつぐのを唯一のたのしみにしている男である。彼はアンドレア・デル・サルト事件が主人の情線じょうせんにいかなる響を伝えたかをごうも顧慮せざるもののごとく得意になってしものような事を饒舌しゃべった。「いや時々冗談じょうだんを言うと人がに受けるのでおおい滑稽的こっけいてき美感を挑撥ちょうはつするのは面白い。せんだってある学生にニコラス・ニックルベーがギボンに忠告して彼の一世の大著述なる仏国革命史を仏語で書くのをやめにして英文で出版させたと言ったら、その学生がまた馬鹿に記憶の善い男で、日本文学会の演説会で真面目に僕の話した通りを繰り返したのは滑稽であった。ところがその時の傍聴者は約百名ばかりであったが、皆熱心にそれを傾聴しておった。それからまだ面白い話がある。せんだって或る文学者のいる席でハリソンの歴史小説セオファーノのはなしが出たから僕はあれは歴史小説のうち白眉はくびである。ことに女主人公が死ぬところは鬼気きき人を襲うようだと評したら、僕の向うに坐っている知らんと云った事のない先生が、そうそうあすこは実に名文だといった。それで僕はこの男もやはり僕同様この小説を読んでおらないという事を知った」神経胃弱性の主人は眼を丸くして問いかけた。「そんな出鱈目でたらめをいってもし相手が読んでいたらどうするつもりだ」あたかも人をあざむくのは差支さしつかえない、ただばけかわがあらわれた時は困るじゃないかと感じたもののごとくである。美学者は少しも動じない。「なにそのときゃ別の本と間違えたとか何とか云うばかりさ」と云ってけらけら笑っている。この美学者は金縁の眼鏡は掛けているがその性質が車屋の黒に似たところがある。主人は黙って日の出を輪に吹いて吾輩にはそんな勇気はないと云わんばかりの顔をしている。美学者はそれだからをかいても駄目だという目付で「しかし冗談じょうだんは冗談だが画というものは実際むずかしいものだよ、レオナルド・ダ・ヴィンチは門下生に寺院の壁のしみを写せと教えた事があるそうだ。なるほど雪隠せついんなどに這入はいって雨の漏る壁を余念なく眺めていると、なかなかうまい模様画が自然に出来ているぜ。君注意して写生して見給えきっと面白いものが出来るから」「まただますのだろう」「いえこれだけはたしかだよ。実際奇警な語じゃないか、ダ・ヴィンチでもいいそうな事だあね」「なるほど奇警には相違ないな」と主人は半分降参をした。しかし彼はまだ雪隠で写生はせぬようだ。
 車屋の黒はそのびっこになった。彼の光沢ある毛は漸々だんだん色がめて抜けて来る。吾輩が琥珀こはくよりも美しいと評した彼の眼には眼脂めやにが一杯たまっている。ことに著るしく吾輩の注意をいたのは彼の元気の消沈とその体格の悪くなった事である。吾輩が例の茶園ちゃえんで彼に逢った最後の日、どうだと云って尋ねたら「いたち最後屁さいごっぺ肴屋さかなや天秤棒てんびんぼうには懲々こりごりだ」といった。
 赤松の間に二三段のこうを綴った紅葉こうようむかしの夢のごとく散ってつくばいに近く代る代る花弁はなびらをこぼした紅白こうはく山茶花さざんかも残りなく落ち尽した。三間半の南向の椽側に冬の日脚が早く傾いて木枯こがらしの吹かない日はほとんどまれになってから吾輩の昼寝の時間もせばめられたような気がする。
 主人は毎日学校へ行く。帰ると書斎へ立てこもる。人が来ると、教師がいやだ厭だという。水彩画も滅多にかかない。タカジヤスターゼも功能がないといってやめてしまった。小供は感心に休まないで幼稚園へかよう。帰ると唱歌を歌って、まりをついて、時々吾輩を尻尾しっぽでぶら下げる。
 吾輩は御馳走ごちそうも食わないから別段ふとりもしないが、まずまず健康でびっこにもならずにその日その日を暮している。鼠は決して取らない。おさんはいまだにきらいである。名前はまだつけてくれないが、欲をいっても際限がないから生涯しょうがいこの教師のうちで無名の猫で終るつもりだ。
 
 
 
 
 
 
 
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 二
 
 吾輩は新年来多少有名になったので、猫ながらちょっと鼻が高く感ぜらるるのはありがたい。
 元朝早々主人のもとへ一枚の絵端書えはがきが来た。これは彼の交友某画家からの年始状であるが、上部を赤、下部を深緑ふかみどりで塗って、その真中に一の動物が蹲踞うずくまっているところをパステルで書いてある。主人は例の書斎でこの絵を、横から見たり、たてから眺めたりして、うまい色だなという。すでに一応感服したものだから、もうやめにするかと思うとやはり横から見たり、竪から見たりしている。からだをじ向けたり、手を延ばして年寄が三世相さんぜそうを見るようにしたり、または窓の方へむいて鼻の先まで持って来たりして見ている。早くやめてくれないとひざが揺れて険呑けんのんでたまらない。ようやくの事で動揺があまりはげしくなくなったと思ったら、小さな声で一体何をかいたのだろうとう。主人は絵端書の色には感服したが、かいてある動物の正体が分らぬので、さっきから苦心をしたものと見える。そんな分らぬ絵端書かと思いながら、寝ていた眼を上品になかば開いて、落ちつき払って見るとまぎれもない、自分の肖像だ。主人のようにアンドレア・デル・サルトをめ込んだものでもあるまいが、画家だけに形体も色彩もちゃんと整って出来ている。誰が見たって猫に相違ない。少し眼識のあるものなら、猫のうちでもほかの猫じゃない吾輩である事が判然とわかるように立派にいてある。このくらい明瞭な事を分らずにかくまで苦心するかと思うと、少し人間が気の毒になる。出来る事ならその絵が吾輩であると云う事を知らしてやりたい。吾輩であると云う事はよし分らないにしても、せめて猫であるという事だけは分らしてやりたい。しかし人間というものは到底とうてい吾輩猫属ねこぞくの言語を解し得るくらいに天のめぐみに浴しておらん動物であるから、残念ながらそのままにしておいた。
 ちょっと読者に断っておきたいが、元来人間が何ぞというと猫々と、事もなげに軽侮の口調をもって吾輩を評価する癖があるははなはだよくない。人間のかすから牛と馬が出来て、牛と馬の糞から猫が製造されたごとく考えるのは、自分の無智に心付かんで高慢な顔をする教師などにはありがちの事でもあろうが、はたから見てあまり見っともいい者じゃない。いくら猫だって、そう粗末簡便には出来ぬ。よそ目には一列一体、平等無差別、どの猫も自家固有の特色などはないようであるが、猫の社会に這入はいって見るとなかなか複雑なもので十人十色といろという人間界のことばはそのままここにも応用が出来るのである。目付でも、鼻付でも、毛並でも、足並でも、みんな違う。ひげの張り具合から耳の立ち按排あんばい尻尾しっぽの垂れ加減に至るまで同じものは一つもない。器量、不器量、好き嫌い、粋無粋すいぶすいかずくして千差万別と云っても差支えないくらいである。そのように判然たる区別が存しているにもかかわらず、人間の眼はただ向上とか何とかいって、空ばかり見ているものだから、吾輩の性質は無論相貌そうぼうの末を識別する事すら到底出来ぬのは気の毒だ。同類相求むとはむかしからあることばだそうだがその通り、餅屋もちやは餅屋、猫は猫で、猫の事ならやはり猫でなくては分らぬ。いくら人間が発達したってこればかりは駄目である。いわんや実際をいうと彼等がみずから信じているごとくえらくも何ともないのだからなおさらむずかしい。またいわんや同情に乏しい吾輩の主人のごときは、相互を残りなく解するというが愛の第一義であるということすら分らない男なのだから仕方がない。彼は性の悪い牡蠣かきのごとく書斎に吸い付いて、かつて外界に向って口をひらいた事がない。それで自分だけはすこぶる達観したような面構つらがまえをしているのはちょっとおかしい。達観しない証拠には現に吾輩の肖像が眼の前にあるのに少しも悟った様子もなく今年は征露の第二年目だから大方熊のだろうなどと気の知れぬことをいってすましているのでもわかる。
 吾輩が主人のひざの上で眼をねむりながらかく考えていると、やがて下女が第二の絵端書えはがきを持って来た。見ると活版で舶来の猫が四五ひきずらりと行列してペンを握ったり書物を開いたり勉強をしている。その内の一疋は席を離れて机の角で西洋の猫じゃ猫じゃをおどっている。その上に日本の墨で「吾輩は猫である」と黒々とかいて、右のわきに書を読むやおどるや猫の春一日はるひとひという俳句さえしたためられてある。これは主人の旧門下生より来たので誰が見たって一見して意味がわかるはずであるのに、迂濶うかつな主人はまだ悟らないと見えて不思議そうに首をひねって、はてな今年は猫の年かなと独言ひとりごとを言った。吾輩がこれほど有名になったのをだ気が着かずにいると見える。
 ところへ下女がまた第三の端書を持ってくる。今度は絵端書ではない。恭賀新年とかいて、かたわらに乍恐縮きょうしゅくながらかの猫へもよろしく御伝声ごでんせい奉願上候ねがいあげたてまつりそろとある。いかに迂遠うえんな主人でもこう明らさまに書いてあれば分るものと見えてようやく気が付いたようにフンと言いながら吾輩の顔を見た。その眼付が今までとは違って多少尊敬の意を含んでいるように思われた。今まで世間から存在を認められなかった主人が急に一個の新面目しんめんぼくを施こしたのも、全く吾輩の御蔭だと思えばこのくらいの眼付は至当だろうと考える。
 おりから門の格子こうしがチリン、チリン、チリリリリンと鳴る。大方来客であろう、来客なら下女が取次に出る。吾輩は肴屋さかなやの梅公がくる時のほかは出ない事にめているのだから、平気で、もとのごとく主人の膝に坐っておった。すると主人は高利貸にでも飛び込まれたように不安な顔付をして玄関の方を見る。何でも年賀の客を受けて酒の相手をするのが厭らしい。人間もこのくらい偏屈へんくつになれば申し分はない。そんなら早くから外出でもすればよいのにそれほどの勇気も無い。いよいよ牡蠣の根性こんじょうをあらわしている。しばらくすると下女が来て寒月かんげつさんがおいでになりましたという。この寒月という男はやはり主人の旧門下生であったそうだが、今では学校を卒業して、何でも主人より立派になっているというはなしである。この男がどういう訳か、よく主人の所へ遊びに来る。来ると自分をおもっている女が有りそうな、無さそうな、世の中が面白そうな、つまらなそうな、すごいようなつやっぽいような文句ばかり並べては帰る。主人のようなしなびかけた人間を求めて、わざわざこんな話しをしに来るのからして合点がてんが行かぬが、あの牡蠣的かきてき主人がそんな談話を聞いて時々相槌あいづちを打つのはなお面白い。
「しばらく御無沙汰をしました。実は去年の暮からおおいに活動しているものですから、よう出ようと思っても、ついこの方角へ足が向かないので」と羽織のひもをひねくりながらなぞ見たような事をいう。「どっちの方角へ足が向くかね」と主人は真面目な顔をして、黒木綿くろもめんの紋付羽織の袖口そでぐちを引張る。この羽織は木綿でゆきが短かい、下からべんべら者が左右へ五分くらいずつはみ出している。「エヘヘヘ少し違った方角で」と寒月君が笑う。見ると今日は前歯が一枚欠けている。「君歯をどうかしたかね」と主人は問題を転じた。「ええ実はある所で椎茸しいたけを食いましてね」「何を食ったって?」「その、少し椎茸を食ったんで。椎茸のかさを前歯で噛み切ろうとしたらぼろりと歯が欠けましたよ」「椎茸で前歯がかけるなんざ、何だか爺々臭じじいくさいね。俳句にはなるかも知れないが、恋にはならんようだな」と平手で吾輩の頭をかろく叩く。「ああその猫が例のですか、なかなか肥ってるじゃありませんか、それなら車屋の黒にだって負けそうもありませんね、立派なものだ」と寒月君はおおいに吾輩をめる。「近頃大分だいぶ大きくなったのさ」と自慢そうに頭をぽかぽかなぐる。賞められたのは得意であるが頭が少々痛い。「一昨夜もちょいと合奏会をやりましてね」と寒月君はまた話しをもとへ戻す。「どこで」「どこでもそりゃ御聞きにならんでもよいでしょう。ヴァイオリンが三ちょうとピヤノの伴奏でなかなか面白かったです。ヴァイオリンも三挺くらいになると下手でも聞かれるものですね。二人は女でわたしがその中へまじりましたが、自分でも善くけたと思いました」「ふん、そしてその女というのは何者かね」と主人はうらやましそうに問いかける。元来主人は平常枯木寒巌こぼくかんがんのような顔付はしているものの実のところは決して婦人に冷淡な方ではない、かつて西洋の或る小説を読んだら、その中にある一人物が出て来て、それが大抵の婦人には必ずちょっとれる。勘定をして見ると往来を通る婦人の七割弱には恋着れんちゃくするという事が諷刺的ふうしてきに書いてあったのを見て、これは真理だと感心したくらいな男である。そんな浮気な男が何故なぜ牡蠣的生涯を送っているかと云うのは吾輩猫などには到底とうてい分らない。或人は失恋のためだとも云うし、或人は胃弱のせいだとも云うし、また或人は金がなくて臆病な性質たちだからだとも云う。どっちにしたって明治の歴史に関係するほどな人物でもないのだから構わない。しかし寒月君の女連おんなづれを羨ましに尋ねた事だけは事実である。寒月君は面白そうに口取くちとり蒲鉾かまぼこを箸で挟んで半分前歯で食い切った。吾輩はまた欠けはせぬかと心配したが今度は大丈夫であった。「なに二人ともる所の令嬢ですよ、御存じのかたじゃありません」と余所余所よそよそしい返事をする。「ナール」と主人は引張ったが「ほど」を略して考えている。寒月君はもうい加減な時分だと思ったものか「どうも好い天気ですな、御閑おひまならごいっしょに散歩でもしましょうか、旅順が落ちたので市中は大変な景気ですよ」とうながして見る。主人は旅順の陥落より女連おんなづれの身元を聞きたいと云う顔で、しばらく考え込んでいたがようやく決心をしたものと見えて「それじゃ出るとしよう」と思い切って立つ。やはり黒木綿の紋付羽織に、兄の紀念かたみとかいう二十年来着古きふるした結城紬ゆうきつむぎの綿入を着たままである。いくら結城紬が丈夫だって、こう着つづけではたまらない。所々が薄くなって日に透かして見ると裏からつぎを当てた針の目が見える。主人の服装には師走しわすも正月もない。ふだん着も余所よそゆきもない。出るときは懐手ふところでをしてぶらりと出る。ほかに着る物がないからか、有っても面倒だから着換えないのか、吾輩には分らぬ。ただしこれだけは失恋のためとも思われない。
 両人ふたりが出て行ったあとで、吾輩はちょっと失敬して寒月君の食い切った蒲鉾かまぼこの残りを頂戴ちょうだいした。吾輩もこの頃では普通一般の猫ではない。まず桃川如燕ももかわじょえん以後の猫か、グレーの金魚をぬすんだ猫くらいの資格は充分あると思う。車屋の黒などはもとより眼中にない。蒲鉾の一切ひときれくらい頂戴したって人からかれこれ云われる事もなかろう。それにこの人目を忍んで間食かんしょくをするという癖は、何も吾等猫族に限った事ではない。うちの御三おさんなどはよく細君の留守中に餅菓子などを失敬しては頂戴し、頂戴しては失敬している。御三ばかりじゃない現に上品な仕付しつけを受けつつあると細君から吹聴ふいちょうせられている小児こどもですらこの傾向がある。四五日前のことであったが、二人の小供が馬鹿に早くから眼を覚まして、まだ主人夫婦の寝ている間にむかい合うて食卓に着いた。彼等は毎朝主人の食う麺麭パンの幾分に、砂糖をつけて食うのが例であるが、この日はちょうど砂糖壺さとうつぼたくの上に置かれてさじさえ添えてあった。いつものように砂糖を分配してくれるものがないので、大きい方がやがて壺の中から一匙ひとさじの砂糖をすくい出して自分の皿の上へあけた。すると小さいのが姉のした通り同分量の砂糖を同方法で自分の皿の上にあけた。しばらく両人りょうにんにらみ合っていたが、大きいのがまた匙をとって一杯をわが皿の上に加えた。小さいのもすぐ匙をとってわが分量を姉と同一にした。すると姉がまた一杯すくった。妹も負けずに一杯を附加した。姉がまた壺へ手を懸ける、妹がまた匙をとる。見ているに一杯一杯一杯と重なって、ついには両人ふたりの皿には山盛の砂糖がうずたかくなって、壺の中には一匙の砂糖も余っておらんようになったとき、主人が寝ぼけまなここすりながら寝室を出て来てせっかくしゃくい出した砂糖を元のごとく壺の中へ入れてしまった。こんなところを見ると、人間は利己主義から割り出した公平という念は猫よりまさっているかも知れぬが、智慧ちえはかえって猫より劣っているようだ。そんなに山盛にしないうちに早くめてしまえばいいにと思ったが、例のごとく、吾輩の言う事などは通じないのだから、気の毒ながら御櫃おはちの上から黙って見物していた。
 寒月君と出掛けた主人はどこをどう歩行あるいたものか、その晩遅く帰って来て、翌日食卓にいたのは九時頃であった。例の御櫃の上から拝見していると、主人はだまって雑煮ぞうにを食っている。代えては食い、代えては食う。餅の切れは小さいが、何でも六切むきれ七切ななきれ食って、最後の一切れを椀の中へ残して、もうよそうとはしを置いた。他人がそんな我儘わがままをすると、なかなか承知しないのであるが、主人の威光を振り廻わして得意なる彼は、濁った汁の中にただれた餅の死骸を見て平気ですましている。妻君が袋戸ふくろどの奥からタカジヤスターゼを出して卓の上に置くと、主人は「それはかないから飲まん」という。「でもあなた澱粉質でんぷんしつのものには大変功能があるそうですから、召し上ったらいいでしょう」と飲ませたがる。「澱粉だろうが何だろうが駄目だよ」と頑固がんこに出る。「あなたはほんとにきっぽい」と細君が独言ひとりごとのようにいう。「厭きっぽいのじゃない薬が利かんのだ」「それだってせんだってじゅうは大変によく利くよく利くとおっしゃって毎日毎日上ったじゃありませんか」「こないだうちは利いたのだよ、この頃は利かないのだよ」と対句ついくのような返事をする。「そんなに飲んだりめたりしちゃ、いくら功能のある薬でも利く気遣きづかいはありません、もう少し辛防しんぼうがよくなくっちゃあ胃弱なんぞはほかの病気たあ違って直らないわねえ」とお盆を持って控えた御三おさんを顧みる。「それは本当のところでございます。もう少し召し上ってご覧にならないと、とてもい薬か悪い薬かわかりますまい」と御三は一も二もなく細君の肩を持つ。「何でもいい、飲まんのだから飲まんのだ、女なんかに何がわかるものか、黙っていろ」「どうせ女ですわ」と細君がタカジヤスターゼを主人の前へ突き付けて是非詰腹つめばらを切らせようとする。主人は何にも云わず立って書斎へ這入はいる。細君と御三は顔を見合せてにやにやと笑う。こんなときにあとからくっ付いて行ってひざの上へ乗ると、大変な目にわされるから、そっと庭から廻って書斎の椽側へあがって障子のすきからのぞいて見ると、主人はエピクテタスとか云う人の本をひらいて見ておった。もしそれが平常いつもの通りわかるならちょっとえらいところがある。五六分するとその本をたたき付けるように机の上へほうり出す。大方そんな事だろうと思いながらなお注意していると、今度は日記帳を出してしものような事を書きつけた。

寒月と、根津、上野、いけはた、神田へんを散歩。池の端の待合の前で芸者が裾模様の春着はるぎをきて羽根をついていた。衣装いしょうは美しいが顔はすこぶるまずい。何となくうちの猫に似ていた。

 何も顔のまずい例に特に吾輩を出さなくっても、よさそうなものだ。吾輩だって喜多床きたどこへ行って顔さえってもらやあ、そんなに人間とちがったところはありゃしない。人間はこう自惚うぬぼれているから困る。

宝丹ほうたんかどを曲るとまた一人芸者が来た。これはせいのすらりとした撫肩なでがた恰好かっこうよく出来上った女で、着ている薄紫の衣服きものも素直に着こなされて上品に見えた。白い歯を出して笑いながら「源ちゃん昨夕ゆうべは――つい忙がしかったもんだから」と云った。ただしその声は旅鴉たびがらすのごとく皺枯しゃがれておったので、せっかくの風采ふうさいおおいに下落したように感ぜられたから、いわゆる源ちゃんなるもののいかなる人なるかを振り向いて見るも面倒になって、懐手ふところでのまま御成道おなりみちへ出た。寒月は何となくそわそわしているごとく見えた。

 人間の心理ほどし難いものはない。この主人の今の心はおこっているのだか、浮かれているのだか、または哲人の遺書に一道いちどうの慰安を求めつつあるのか、ちっとも分らない。世の中を冷笑しているのか、世の中へまじりたいのだか、くだらぬ事に肝癪かんしゃくを起しているのか、物外ぶつがい超然ちょうぜんとしているのだかさっぱり見当けんとうが付かぬ。猫などはそこへ行くと単純なものだ。食いたければ食い、寝たければ寝る、おこるときは一生懸命に怒り、泣くときは絶体絶命に泣く。第一日記などという無用のものは決してつけない。つける必要がないからである。主人のように裏表のある人間は日記でも書いて世間に出されない自己の面目を暗室内に発揮する必要があるかも知れないが、我等猫属ねこぞくに至ると行住坐臥ぎょうじゅうざが行屎送尿こうしそうにょうことごとく真正の日記であるから、別段そんな面倒な手数てかずをして、おのれの真面目しんめんもくを保存するには及ばぬと思う。日記をつけるひまがあるなら椽側に寝ているまでの事さ。

神田の某亭で晩餐ばんさんを食う。久し振りで正宗を二三杯飲んだら、今朝は胃の具合が大変いい。胃弱には晩酌が一番だと思う。タカジヤスターゼは無論いかん。誰が何と云っても駄目だ。どうしたってかないものは利かないのだ。

 無暗むやみにタカジヤスターゼを攻撃する。独りで喧嘩をしているようだ。今朝の肝癪がちょっとここへ尾を出す。人間の日記の本色はこう云うへんに存するのかも知れない。

せんだって○○は朝飯あさめしを廃すると胃がよくなると云うたから二三日にさんち朝飯をやめて見たが腹がぐうぐう鳴るばかりで功能はない。△△は是非こうものてと忠告した。彼の説によるとすべて胃病の源因は漬物にある。漬物さえ断てば胃病の源をらす訳だから本復は疑なしという論法であった。それから一週間ばかり香の物にはしを触れなかったが別段のげんも見えなかったから近頃はまた食い出した。××に聞くとそれは按腹あんぷく揉療治もみりょうじに限る。ただし普通のではゆかぬ。皆川流みながわりゅうという古流なみ方で一二度やらせれば大抵の胃病は根治出来る。安井息軒やすいそっけんも大変この按摩術あんまじゅつを愛していた。坂本竜馬さかもとりょうまのような豪傑でも時々は治療をうけたと云うから、早速上根岸かみねぎしまで出掛けてまして見た。ところが骨をまなければなおらぬとか、臓腑の位置を一度顛倒てんとうしなければ根治がしにくいとかいって、それはそれは残酷なみ方をやる。後で身体が綿のようになって昏睡病こんすいびょうにかかったような心持ちがしたので、一度で閉口してやめにした。A君は是非固形体を食うなという。それから、一日牛乳ばかり飲んで暮して見たが、この時は腸の中でどぼりどぼりと音がして大水でも出たように思われて終夜眠れなかった。B氏は横膈膜おうかくまくで呼吸して内臓を運動させれば自然と胃の働きが健全になる訳だから試しにやって御覧という。これも多少やったが何となく腹中ふくちゅうが不安で困る。それに時々思い出したように一心不乱にかかりはするものの五六分立つと忘れてしまう。忘れまいとすると横膈膜が気になって本を読む事も文章をかく事も出来ぬ。美学者の迷亭めいていがこのていを見て、産気さんけのついた男じゃあるまいしすがいいと冷かしたからこの頃はしてしまった。C先生は蕎麦そばを食ったらよかろうと云うから、早速かけもりをかわるがわる食ったが、これは腹がくだるばかりで何等の功能もなかった。余は年来の胃弱を直すために出来得る限りの方法を講じて見たがすべて駄目である。ただ昨夜ゆうべ寒月と傾けた三杯の正宗はたしかに利目ききめがある。これからは毎晩二三杯ずつ飲む事にしよう。

 これも決して長く続く事はあるまい。主人の心は吾輩の眼球めだまのように間断なく変化している。何をやっても永持ながもちのしない男である。その上日記の上で胃病をこんなに心配している癖に、表向はおおいに痩我慢をするからおかしい。せんだってその友人でなにがしという学者が尋ねて来て、一種の見地から、すべての病気は父祖の罪悪と自己の罪悪の結果にほかならないと云う議論をした。大分だいぶ研究したものと見えて、条理が明晰めいせきで秩序が整然として立派な説であった。気の毒ながらうちの主人などは到底これを反駁はんばくするほどの頭脳も学問もないのである。しかし自分が胃病で苦しんでいるさいだから、何とかかんとか弁解をして自己の面目を保とうと思った者と見えて、「君の説は面白いが、あのカーライルは胃弱だったぜ」とあたかもカーライルが胃弱だから自分の胃弱も名誉であると云ったような、見当違いの挨拶をした。すると友人は「カーライルが胃弱だって、胃弱の病人が必ずカーライルにはなれないさ」とめ付けたので主人は黙然もくねんとしていた。かくのごとく虚栄心に富んでいるものの実際はやはり胃弱でない方がいいと見えて、今夜から晩酌を始めるなどというのはちょっと滑稽だ。考えて見ると今朝雑煮ぞうにをあんなにたくさん食ったのも昨夜ゆうべ寒月君と正宗をひっくり返した影響かも知れない。吾輩もちょっと雑煮が食って見たくなった。
 吾輩は猫ではあるが大抵のものは食う。車屋の黒のように横丁の肴屋さかなやまで遠征をする気力はないし、新道しんみち二絃琴にげんきんの師匠のとこ三毛みけのように贅沢ぜいたくは無論云える身分でない。従って存外きらいは少ない方だ。小供の食いこぼした麺麭パンも食うし、餅菓子の※(「飲のへん+稻のつくり」、第4水準2-92-68)あんもなめる。こうものはすこぶるまずいが経験のため沢庵たくあんを二切ばかりやった事がある。食って見ると妙なもので、大抵のものは食える。あれはいやだ、これは嫌だと云うのは贅沢ぜいたくな我儘で到底教師のうちにいる猫などの口にすべきところでない。主人の話しによると仏蘭西フランスにバルザックという小説家があったそうだ。この男が大の贅沢ぜいたく屋で――もっともこれは口の贅沢屋ではない、小説家だけに文章の贅沢を尽したという事である。バルザックが或る日自分の書いている小説中の人間の名をつけようと思っていろいろつけて見たが、どうしても気に入らない。ところへ友人が遊びに来たのでいっしょに散歩に出掛けた。友人はもとよりなんにも知らずに連れ出されたのであるが、バルザックはねて自分の苦心している名を目付めつけようという考えだから往来へ出ると何もしないで店先の看板ばかり見て歩行あるいている。ところがやはり気に入った名がない。友人を連れて無暗むやみにあるく。友人は訳がわからずにくっ付いて行く。彼等はついに朝から晩まで巴理パリを探険した。その帰りがけにバルザックはふとある裁縫屋の看板が目についた。見るとその看板にマーカスという名がかいてある。バルザックは手をって「これだこれだこれに限る。マーカスは好い名じゃないか。マーカスの上へZという頭文字をつける、すると申しぶんのない名が出来る。Zでなくてはいかん。Z. Marcus は実にうまい。どうも自分で作った名はうまくつけたつもりでも何となく故意わざとらしいところがあって面白くない。ようやくの事で気に入った名が出来た」と友人の迷惑はまるで忘れて、一人嬉しがったというが、小説中の人間の名前をつけるに一日いちんち巴理パリを探険しなくてはならぬようでは随分手数てすうのかかる話だ。贅沢もこのくらい出来れば結構なものだが吾輩のように牡蠣的かきてき主人を持つ身の上ではとてもそんな気は出ない。何でもいい、食えさえすれば、という気になるのも境遇のしからしむるところであろう。だから今雑煮ぞうにが食いたくなったのも決して贅沢の結果ではない、何でも食える時に食っておこうという考から、主人の食いあました雑煮がもしや台所に残っていはすまいかと思い出したからである。……台所へ廻って見る。
 今朝見た通りの餅が、今朝見た通りの色で椀の底に膠着こうちゃくしている。白状するが餅というものは今まで一ぺんも口に入れた事がない。見るとうまそうにもあるし、また少しは気味きびがわるくもある。前足で上にかかっている菜っ葉をき寄せる。爪を見ると餅の上皮うわかわが引き掛ってねばねばする。いで見ると釜の底の飯を御櫃おはちへ移す時のようなにおいがする。食おうかな、やめようかな、とあたりを見廻す。幸か不幸か誰もいない。御三おさんは暮も春も同じような顔をして羽根をついている。小供は奥座敷で「何とおっしゃる兎さん」を歌っている。食うとすれば今だ。もしこの機をはずすと来年までは餅というものの味を知らずに暮してしまわねばならぬ。吾輩はこの刹那せつなに猫ながら一の真理を感得した。「得難き機会はすべての動物をして、好まざる事をも敢てせしむ」吾輩は実を云うとそんなに雑煮を食いたくはないのである。否椀底わんていの様子を熟視すればするほど気味きびが悪くなって、食うのが厭になったのである。この時もし御三でも勝手口を開けたなら、奥の小供の足音がこちらへ近付くのを聞き得たなら、吾輩は惜気おしげもなく椀を見棄てたろう、しかも雑煮の事は来年まで念頭に浮ばなかったろう。ところが誰も来ない、いくら※(「足へん+厨」、第3水準1-92-39)ちゅうちょしていても誰も来ない。早く食わぬか食わぬかと催促されるような心持がする。吾輩は椀の中をのぞき込みながら、早く誰か来てくれればいいと念じた。やはり誰も来てくれない。吾輩はとうとう雑煮を食わなければならぬ。最後にからだ全体の重量を椀の底へ落すようにして、あぐりと餅の角を一寸いっすんばかり食い込んだ。このくらい力を込めて食い付いたのだから、大抵なものならみ切れる訳だが、驚いた! もうよかろうと思って歯を引こうとすると引けない。もう一ぺん噛み直そうとすると動きがとれない。餅は魔物だなとかんづいた時はすでに遅かった。沼へでも落ちた人が足を抜こうと焦慮あせるたびにぶくぶく深く沈むように、噛めば噛むほど口が重くなる、歯が動かなくなる。歯答えはあるが、歯答えがあるだけでどうしても始末をつける事が出来ない。美学者迷亭先生がかつて吾輩の主人を評して君は割り切れない男だといった事があるが、なるほどうまい事をいったものだ。この餅も主人と同じようにどうしても割り切れない。噛んでも噛んでも、三で十を割るごとく尽未来際方じんみらいざいかたのつくはあるまいと思われた。この煩悶はんもんの際吾輩は覚えず第二の真理に逢着ほうちゃくした。「すべての動物は直覚的に事物の適不適を予知す」真理はすでに二つまで発明したが、餅がくっ付いているのでごうも愉快を感じない。歯が餅の肉に吸収されて、抜けるように痛い。早く食い切って逃げないと御三おさんが来る。小供の唱歌もやんだようだ、きっと台所へけ出して来るに相違ない。煩悶のきょく尻尾しっぽをぐるぐる振って見たが何等の功能もない、耳を立てたり寝かしたりしたが駄目である。考えて見ると耳と尻尾しっぽは餅と何等の関係もない。要するに振り損の、立て損の、寝かし損であると気が付いたからやめにした。ようやくの事これは前足の助けを借りて餅を払い落すに限ると考え付いた。まず右の方をあげて口の周囲をで廻す。でたくらいで割り切れる訳のものではない。今度はひだりの方をのばして口を中心として急劇に円をかくして見る。そんなまじないで魔は落ちない。辛防しんぼう肝心かんじんだと思って左右かわがわるに動かしたがやはり依然として歯は餅の中にぶら下っている。ええ面倒だと両足を一度に使う。すると不思議な事にこの時だけは後足あとあし二本で立つ事が出来た。何だか猫でないような感じがする。猫であろうが、あるまいがこうなった日にゃあ構うものか、何でも餅の魔が落ちるまでやるべしという意気込みで無茶苦茶に顔中引っき廻す。前足の運動が猛烈なのでややともすると中心を失って倒れかかる。倒れかかるたびに後足で調子をとらなくてはならぬから、一つ所にいる訳にも行かんので、台所中あちら、こちらと飛んで廻る。我ながらよくこんなに器用にっていられたものだと思う。第三の真理が驀地ばくち現前げんぜんする。「危きにのぞめば平常なしあたわざるところのものをし能う。これ天祐てんゆうという」さいわいに天祐をけたる吾輩が一生懸命餅の魔と戦っていると、何だか足音がして奥より人が来るような気合けわいである。ここで人に来られては大変だと思って、いよいよ躍起やっきとなって台所をかけ廻る。足音はだんだん近付いてくる。ああ残念だが天祐が少し足りない。とうとう小供に見付けられた。「あら猫が御雑煮を食べて踊を踊っている」と大きな声をする。この声を第一に聞きつけたのが御三である。羽根も羽子板も打ちって勝手から「あらまあ」と飛込んで来る。細君は縮緬ちりめんの紋付で「いやな猫ねえ」と仰せられる。主人さえ書斎から出て来て「この馬鹿野郎」といった。面白い面白いと云うのは小供ばかりである。そうしてみんな申し合せたようにげらげら笑っている。腹は立つ、苦しくはある、踊はやめる訳にゆかぬ、弱った。ようやく笑いがやみそうになったら、五つになる女の子が「御かあ様、猫も随分ね」といったので狂瀾きょうらん既倒きとうに何とかするという勢でまた大変笑われた。人間の同情に乏しい実行も大分だいぶ見聞けんもんしたが、この時ほどうらめしく感じた事はなかった。ついに天祐もどっかへ消えせて、在来の通りばいになって、眼を白黒するの醜態を演ずるまでに閉口した。さすが見殺しにするのも気の毒と見えて「まあ餅をとってやれ」と主人が御三に命ずる。御三はもっと踊らせようじゃありませんかという眼付で細君を見る。細君は踊は見たいが、殺してまで見る気はないのでだまっている。「取ってやらんと死んでしまう、早くとってやれ」と主人は再び下女をかえりみる。御三おさんは御馳走を半分食べかけて夢から起された時のように、気のない顔をして餅をつかんでぐいと引く。寒月かんげつ君じゃないが前歯がみんな折れるかと思った。どうも痛いの痛くないのって、餅の中へ堅く食い込んでいる歯をなさけ容赦もなく引張るのだからたまらない。吾輩が「すべての安楽は困苦を通過せざるべからず」と云う第四の真理を経験して、けろけろとあたりを見廻した時には、家人はすでに奥座敷へ這入はいってしまっておった。
 こんな失敗をした時には内にいて御三なんぞに顔を見られるのも何となくばつが悪い。いっその事気をえて新道の二絃琴にげんきんの御師匠さんのとこ三毛子みけこでも訪問しようと台所から裏へ出た。三毛子はこの近辺で有名な美貌家びぼうかである。吾輩は猫には相違ないが物のなさけは一通り心得ている。うちで主人のにがい顔を見たり、御三の険突けんつくを食って気分がすぐれん時は必ずこの異性の朋友ほうゆうもとを訪問していろいろな話をする。すると、いつのにか心が晴々せいせいして今までの心配も苦労も何もかも忘れて、生れ変ったような心持になる。女性の影響というものは実に莫大ばくだいなものだ。杉垣の隙から、いるかなと思って見渡すと、三毛子は正月だから首輪の新しいのをして行儀よく椽側えんがわに坐っている。その背中の丸さ加減が言うに言われんほど美しい。曲線の美を尽している。尻尾しっぽの曲がり加減、足の折り具合、物憂ものうげに耳をちょいちょい振る景色けしきなども到底とうてい形容が出来ん。ことによく日の当る所に暖かそうに、ひんよくひかえているものだから、身体は静粛端正の態度を有するにも関らず、天鵞毛びろうどあざむくほどのなめらかな満身の毛は春の光りを反射して風なきにむらむらと微動するごとくに思われる。吾輩はしばらく恍惚こうこつとしてながめていたが、やがて我に帰ると同時に、低い声で「三毛子さん三毛子さん」といいながら前足で招いた。三毛子は「あら先生」と椽を下りる。赤い首輪につけた鈴がちゃらちゃらと鳴る。おや正月になったら鈴までつけたな、どうもいいだと感心しているに、吾輩のそばに来て「あら先生、おめでとう」と尾をひだりへ振る。吾等猫属ねこぞく間で御互に挨拶をするときには尾を棒のごとく立てて、それを左りへぐるりと廻すのである。町内で吾輩を先生と呼んでくれるのはこの三毛子ばかりである。吾輩は前回断わった通りまだ名はないのであるが、教師のうちにいるものだから三毛子だけは尊敬して先生先生といってくれる。吾輩も先生と云われて満更まんざら悪い心持ちもしないから、はいはいと返事をしている。「やあおめでとう、大層立派に御化粧が出来ましたね」「ええ去年の暮御師匠おししょうさんに買って頂いたの、いでしょう」とちゃらちゃら鳴らして見せる。「なるほど善いですな、吾輩などは生れてから、そんな立派なものは見た事がないですよ」「あらいやだ、みんなぶら下げるのよ」とまたちゃらちゃら鳴らす。「いいでしょう、あたし嬉しいわ」とちゃらちゃらちゃらちゃら続け様に鳴らす。「あなたのうちの御師匠さんは大変あなたを可愛がっていると見えますね」と吾身に引きくらべてあん欣羨きんせんの意をらす。三毛子は無邪気なものである「ほんとよ、まるで自分の小供のようよ」とあどけなく笑う。猫だって笑わないとは限らない。人間は自分よりほかに笑えるものが無いように思っているのは間違いである。吾輩が笑うのは鼻のあなを三角にして咽喉仏のどぼとけを震動させて笑うのだから人間にはわからぬはずである。「一体あなたのとこの御主人は何ですか」「あら御主人だって、妙なのね。御師匠おししょうさんだわ。二絃琴にげんきんの御師匠さんよ」「それは吾輩も知っていますがね。その御身分は何なんです。いずれむかしは立派な方なんでしょうな」「ええ」
  君を待つの姫小松……………
 障子の内で御師匠さんが二絃琴をき出す。「い声でしょう」と三毛子は自慢する。「いようだが、吾輩にはよくわからん。全体何というものですか」「あれ? あれは何とかってものよ。御師匠さんはあれが大好きなの。……御師匠さんはあれで六十二よ。随分丈夫だわね」六十二で生きているくらいだから丈夫と云わねばなるまい。吾輩は「はあ」と返事をした。少しが抜けたようだが別に名答も出て来なかったから仕方がない。「あれでも、もとは身分が大変好かったんだって。いつでもそうおっしゃるの」「へえ元は何だったんです」「何でも天璋院てんしょういん様の御祐筆ごゆうひつの妹の御嫁に行ったきのっかさんのおいの娘なんだって」「何ですって?」「あの天璋院様の御祐筆の妹の御嫁にいった……」「なるほど。少し待って下さい。天璋院様の妹の御祐筆の……」「あらそうじゃないの、天璋院様の御祐筆の妹の……」「よろしい分りました天璋院様のでしょう」「ええ」「御祐筆のでしょう」「そうよ」「御嫁に行った」「妹の御嫁に行ったですよ」「そうそう間違った。妹の御嫁にった先きの」「御っかさんの甥の娘なんですとさ」「御っかさんの甥の娘なんですか」「ええ。分ったでしょう」「いいえ。何だか混雑して要領を得ないですよ。つまるところ天璋院様の何になるんですか」「あなたもよっぽど分らないのね。だから天璋院様の御祐筆の妹の御嫁に行った先きの御っかさんの甥の娘なんだって、っきっから言ってるんじゃありませんか」「それはすっかり分っているんですがね」「それが分りさえすればいいんでしょう」「ええ」と仕方がないから降参をした。吾々は時とすると理詰の虚言うそかねばならぬ事がある。
 障子のうちで二絃琴のがぱったりやむと、御師匠さんの声で「三毛や三毛や御飯だよ」と呼ぶ。三毛子は嬉しそうに「あら御師匠さんが呼んでいらっしゃるから、あたし帰るわ、よくって?」わるいと云ったって仕方がない。「それじゃまた遊びにいらっしゃい」と鈴をちゃらちゃら鳴らして庭先までかけて行ったが急に戻って来て「あなた大変色が悪くってよ。どうかしやしなくって」と心配そうに問いかける。まさか雑煮ぞうにを食って踊りを踊ったとも云われないから「何別段の事もありませんが、少し考え事をしたら頭痛がしてね。あなたと話しでもしたら直るだろうと思って実は出掛けて来たのですよ」「そう。御大事になさいまし。さようなら」少しは名残なごり惜し気に見えた。これで雑煮の元気もさっぱりと回復した。いい心持になった。帰りに例の茶園ちゃえんを通り抜けようと思って霜柱しもばしらけかかったのを踏みつけながら建仁寺けんにんじくずれから顔を出すとまた車屋の黒が枯菊の上にを山にして欠伸あくびをしている。近頃は黒を見て恐怖するような吾輩ではないが、話しをされると面倒だから知らぬ顔をして行き過ぎようとした。黒の性質としてひとおのれを軽侮けいぶしたと認むるや否や決して黙っていない。「おい、名なしの権兵衛ごんべえ、近頃じゃおつう高く留ってるじゃあねえか。いくら教師の飯を食ったって、そんな高慢ちきならあするねえ。ひとつけ面白くもねえ」黒は吾輩の有名になったのを、まだ知らんと見える。説明してやりたいが到底とうてい分る奴ではないから、まず一応の挨拶をして出来得る限り早く御免蒙ごめんこうむるにくはないと決心した。「いや黒君おめでとう。不相変あいかわらず元気がいいね」と尻尾しっぽを立てて左へくるりと廻わす。黒は尻尾を立てたぎり挨拶もしない。「何おめでてえ? 正月でおめでたけりゃ、御めえなんざあ年が年中おめでてえ方だろう。気をつけろい、このむこづらめ」吹い子の向うづらという句は罵詈ばりの言語であるようだが、吾輩には了解が出来なかった。「ちょっとうかがうが吹い子の向うづらと云うのはどう云う意味かね」「へん、手めえが悪体あくたいをつかれてる癖に、そのわけを聞きゃ世話あねえ、だから正月野郎だって事よ」正月野郎は詩的であるが、その意味に至ると吹い子の何とかよりも一層不明瞭な文句である。参考のためちょっと聞いておきたいが、聞いたって明瞭な答弁は得られぬにまっているから、めんむかったまま無言で立っておった。いささか手持無沙汰のていである。すると突然黒のうちのかみさんが大きな声を張り揚げて「おや棚へ上げて置いたしゃけがない。大変だ。またあの黒の畜生ちきしょうが取ったんだよ。ほんとに憎らしい猫だっちゃありゃあしない。今に帰って来たら、どうするか見ていやがれ」と怒鳴どなる。初春はつはる長閑のどかな空気を無遠慮に震動させて、枝を鳴らさぬ君が御代みよおおい俗了ぞくりょうしてしまう。黒は怒鳴るなら、怒鳴りたいだけ怒鳴っていろと云わぬばかりに横着な顔をして、四角なあごを前へ出しながら、あれを聞いたかと合図をする。今までは黒との応対で気がつかなかったが、見ると彼の足の下には一切れ二銭三厘に相当する鮭の骨が泥だらけになって転がっている。「君不相変あいかわらずやってるな」と今までの行き掛りは忘れて、つい感投詞を奉呈した。黒はそのくらいな事ではなかなか機嫌を直さない。「何がやってるでえ、この野郎。しゃけの一切や二切で相変らずたあ何だ。人を見縊みくびった事をいうねえ。はばかりながら車屋の黒だあ」と腕まくりの代りに右の前足をかに肩のへんまでき上げた。「君が黒君だと云う事は、始めから知ってるさ」「知ってるのに、相変らずやってるたあ何だ。何だてえ事よ」と熱いのをしきりに吹き懸ける。人間なら胸倉むなぐらをとられて小突き廻されるところである。少々辟易へきえきして内心困った事になったなと思っていると、再び例の神さんの大声が聞える。「ちょいと西川さん、おい西川さんてば、用があるんだよこの人あ。牛肉を一きんすぐ持って来るんだよ。いいかい、分ったかい、牛肉の堅くないところを一斤だよ」と牛肉注文の声が四隣しりん寂寞せきばくを破る。「へん年に一遍牛肉をあつらえると思って、いやに大きな声を出しゃあがらあ。牛肉一斤が隣り近所へ自慢なんだから始末に終えねえ阿魔あまだ」と黒はあざけりながら四つ足を踏張ふんばる。吾輩は挨拶のしようもないから黙って見ている。「一斤くらいじゃあ、承知が出来ねえんだが、仕方がねえ、いいから取っときゃ、今に食ってやらあ」と自分のためにあつらえたもののごとくいう。「今度は本当の御馳走だ。結構結構」と吾輩はなるべく彼を帰そうとする。「御めっちの知った事じゃねえ。黙っていろ。うるせえや」と云いながら突然後足あとあし霜柱しもばしらくずれた奴を吾輩の頭へばさりとびせ掛ける。吾輩が驚ろいて、からだの泥を払っているに黒は垣根をくぐって、どこかへ姿を隠した。大方西川のぎゅうねらいに行ったものであろう。
 うちへ帰ると座敷の中が、いつになく春めいて主人の笑い声さえ陽気に聞える。はてなと明け放した椽側からあがって主人のそばへ寄って見ると見馴れぬ客が来ている。頭を奇麗に分けて、木綿もめんの紋付の羽織に小倉こくらはかまを着けて至極しごく真面目そうな書生体しょせいていの男である。主人の手あぶりの角を見ると春慶塗しゅんけいぬりの巻煙草まきたばこ入れと並んで越智東風君おちとうふうくんを紹介致そろ水島寒月という名刺があるので、この客の名前も、寒月君の友人であるという事も知れた。主客しゅかくの対話は途中からであるから前後がよく分らんが、何でも吾輩が前回に紹介した美学者迷亭君の事に関しているらしい。
「それで面白い趣向があるから是非いっしょに来いとおっしゃるので」と客は落ちついて云う。「何ですか、その西洋料理へ行って午飯ひるめしを食うのについて趣向があるというのですか」と主人は茶をぎ足して客の前へ押しやる。「さあ、その趣向というのが、その時は私にも分らなかったんですが、いずれあのかたの事ですから、何か面白い種があるのだろうと思いまして……」「いっしょに行きましたか、なるほど」「ところが驚いたのです」主人はそれ見たかと云わぬばかりに、ひざの上に乗った吾輩の頭をぽかとたたく。少し痛い。「また馬鹿な茶番見たような事なんでしょう。あの男はあれが癖でね」と急にアンドレア・デル・サルト事件を思い出す。「へへー。君何か変ったものを食おうじゃないかとおっしゃるので」「何を食いました」「まず献立こんだてを見ながらいろいろ料理についての御話しがありました」「あつらえない前にですか」「ええ」「それから」「それから首をひねってボイの方を御覧になって、どうも変ったものもないようだなとおっしゃるとボイは負けぬ気でかものロースか小牛のチャップなどは如何いかがですと云うと、先生は、そんな月並つきなみを食いにわざわざここまで来やしないとおっしゃるんで、ボイは月並という意味が分らんものですから妙な顔をして黙っていましたよ」「そうでしょう」「それから私の方を御向きになって、君仏蘭西フランス英吉利イギリスへ行くと随分天明調てんめいちょう万葉調まんようちょうが食えるんだが、日本じゃどこへ行ったって版でしたようで、どうも西洋料理へ這入はいる気がしないと云うような大気※(「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64)だいきえんで――全体あのかたは洋行なすった事があるのですかな」「何迷亭が洋行なんかするもんですか、そりゃ金もあり、時もあり、行こうと思えばいつでも行かれるんですがね。大方これから行くつもりのところを、過去に見立てた洒落しゃれなんでしょう」と主人は自分ながらうまい事を言ったつもりで誘い出し笑をする。客はさまで感服した様子もない。「そうですか、私はまたいつのに洋行なさったかと思って、つい真面目に拝聴していました。それに見て来たようになめくじのソップの御話やかえるのシチュの形容をなさるものですから」「そりゃ誰かに聞いたんでしょう、うそをつく事はなかなか名人ですからね」「どうもそうのようで」と花瓶かびんの水仙を眺める。少しく残念の気色けしきにも取られる。「じゃ趣向というのは、それなんですね」と主人が念を押す。「いえそれはほんの冒頭なので、本論はこれからなのです」「ふーん」と主人は好奇的な感投詞をはさむ。「それから、とてもなめくじや蛙は食おうっても食えやしないから、まあトチメンボーくらいなところで負けとく事にしようじゃないか君と御相談なさるものですから、私はつい何の気なしに、それがいいでしょう、といってしまったので」「へー、とちめんぼうは妙ですな」「ええ全く妙なのですが、先生があまり真面目だものですから、つい気がつきませんでした」とあたかも主人に向って麁忽そこつびているように見える。「それからどうしました」と主人は無頓着に聞く。客の謝罪には一向同情を表しておらん。「それからボイにおいトチメンボー二人前ににんまえ持って来いというと、ボイがメンチボーですかと聞き直しましたが、先生はますます真面目まじめかおメンチボーじゃないトチメンボーだと訂正されました」「なある。そのトチメンボーという料理は一体あるんですか」「さあ私も少しおかしいとは思いましたがいかにも先生が沈着であるし、その上あの通りの西洋通でいらっしゃるし、ことにその時は洋行なすったものと信じ切っていたものですから、私も口を添えてトチメンボートチメンボーだとボイに教えてやりました」「ボイはどうしました」「ボイがね、今考えると実に滑稽こっけいなんですがね、しばらく思案していましてね、はなはだ御気の毒様ですが今日はトチメンボー御生憎様おあいにくさまメンチボーなら御二人前おふたりまえすぐに出来ますと云うと、先生は非常に残念な様子で、それじゃせっかくここまで来た甲斐かいがない。どうかトチメンボー都合つごうして食わせてもらうわけには行くまいかと、ボイに二十銭銀貨をやられると、ボイはそれではともかくも料理番と相談して参りましょうと奥へ行きましたよ」「大変トチメンボーが食いたかったと見えますね」「しばらくしてボイが出て来てまことに御生憎で、御誂おあつらえならこしらえますが少々時間がかかります、と云うと迷亭先生は落ちついたもので、どうせ我々は正月でひまなんだから、少し待って食って行こうじゃないかと云いながらポッケットから葉巻を出してぷかりぷかり吹かし始められたので、わたくしも仕方がないから、ふところから日本新聞を出して読み出しました、するとボイはまた奥へ相談に行きましたよ」「いやに手数てすうが掛りますな」と主人は戦争の通信を読むくらいの意気込で席をすすめる。「するとボイがまた出て来て、近頃はトチメンボーの材料が払底で亀屋へ行っても横浜の十五番へ行っても買われませんから当分の間は御生憎様でと気の毒そうに云うと、先生はそりゃ困ったな、せっかく来たのになあと私の方を御覧になってしきりに繰り返さるるので、私も黙っている訳にも参りませんから、どうも遺憾いかんですな、遺憾きわまるですなと調子を合せたのです」「ごもっともで」と主人が賛成する。何がごもっともだか吾輩にはわからん。「するとボイも気の毒だと見えて、その内材料が参りましたら、どうか願いますってんでしょう。先生が材料は何を使うかねと問われるとボイはへへへへと笑って返事をしないんです。材料は日本派の俳人だろうと先生が押し返して聞くとボイはへえさようで、それだものだから近頃は横浜へ行っても買われませんので、まことにお気の毒様と云いましたよ」「アハハハそれが落ちなんですか、こりゃ面白い」と主人はいつになく大きな声で笑う。ひざが揺れて吾輩は落ちかかる。主人はそれにも頓着とんじゃくなく笑う。アンドレア・デル・サルトにかかったのは自分一人でないと云う事を知ったので急に愉快になったものと見える。「それから二人で表へ出ると、どうだ君うまく行ったろう、橡面坊とちめんぼうを種に使ったところが面白かろうと大得意なんです。敬服の至りですと云って御別れしたようなものの実は午飯ひるめしの時刻が延びたので大変空腹になって弱りましたよ」「それは御迷惑でしたろう」と主人は始めて同情を表する。これには吾輩も異存はない。しばらく話しが途切れて吾輩の咽喉のどを鳴らす音が主客しゅかくの耳に入る。
 東風君は冷めたくなった茶をぐっと飲み干して「実は今日参りましたのは、少々先生に御願があって参ったので」と改まる。「はあ、何か御用で」と主人も負けずにます。「御承知の通り、文学美術が好きなものですから……」「結構で」と油をす。「同志だけがよりましてせんだってから朗読会というのを組織しまして、毎月一回会合してこの方面の研究をこれから続けたいつもりで、すでに第一回は去年の暮に開いたくらいであります」「ちょっと伺っておきますが、朗読会と云うと何か節奏ふしでも附けて、詩歌しいか文章のるいを読むように聞えますが、一体どんな風にやるんです」「まあ初めは古人の作からはじめて、追々おいおいは同人の創作なんかもやるつもりです」「古人の作というと白楽天はくらくてん琵琶行びわこうのようなものででもあるんですか」「いいえ」「蕪村ぶそん春風馬堤曲しゅんぷうばていきょくの種類ですか」「いいえ」「それじゃ、どんなものをやったんです」「せんだっては近松の心中物しんじゅうものをやりました」「近松? あの浄瑠璃じょうるりの近松ですか」近松に二人はない。近松といえば戯曲家の近松にきまっている。それを聞き直す主人はよほどだと思っていると、主人は何にも分らずに吾輩の頭を叮嚀ていねいでている。藪睨やぶにらみかられられたと自認している人間もある世の中だからこのくらいの誤謬ごびゅうは決して驚くに足らんと撫でらるるがままにすましていた。「ええ」と答えて東風子とうふうしは主人の顔色をうかがう。「それじゃ一人で朗読するのですか、または役割をめてやるんですか」「役を極めて懸合かけあいでやって見ました。その主意はなるべく作中の人物に同情を持ってその性格を発揮するのを第一として、それに手真似や身振りを添えます。せりふはなるべくその時代の人を写し出すのが主で、御嬢さんでも丁稚でっちでも、その人物が出てきたようにやるんです」「じゃ、まあ芝居見たようなものじゃありませんか」「ええ衣装いしょう書割かきわりがないくらいなものですな」「失礼ながらうまく行きますか」「まあ第一回としては成功した方だと思います」「それでこの前やったとおっしゃる心中物というと」「その、船頭が御客を乗せて芳原よしわらへ行くとこなんで」「大変な幕をやりましたな」と教師だけにちょっと首をかたむける。鼻から吹き出した日の出の煙りが耳をかすめて顔の横手へ廻る。「なあに、そんなに大変な事もないんです。登場の人物は御客と、船頭と、花魁おいらん仲居なかい遣手やりて見番けんばんだけですから」と東風子は平気なものである。主人は花魁という名をきいてちょっとにがい顔をしたが、仲居、遣手、見番という術語について明瞭の智識がなかったと見えてまず質問を呈出した。「仲居というのは娼家しょうか下婢かひにあたるものですかな」「まだよく研究はして見ませんが仲居は茶屋の下女で、遣手というのが女部屋おんなべや助役じょやく見たようなものだろうと思います」東風子はさっき、その人物が出て来るように仮色こわいろを使うと云った癖に遣手や仲居の性格をよく解しておらんらしい。「なるほど仲居は茶屋に隷属れいぞくするもので、遣手は娼家に起臥きがする者ですね。次に見番と云うのは人間ですかまたは一定の場所をすのですか、もし人間とすれば男ですか女ですか」「見番は何でも男の人間だと思います」「何をつかさどっているんですかな」「さあそこまではまだ調べが届いておりません。その内調べて見ましょう」これで懸合をやった日には頓珍漢とんちんかんなものが出来るだろうと吾輩は主人の顔をちょっと見上げた。主人は存外真面目である。「それで朗読家は君のほかにどんな人が加わったんですか」「いろいろおりました。花魁が法学士のK君でしたが、口髯くちひげを生やして、女の甘ったるいせりふを使かうのですからちょっと妙でした。それにその花魁がしゃくを起すところがあるので……」「朗読でも癪を起さなくっちゃ、いけないんですか」と主人は心配そうに尋ねる。「ええとにかく表情が大事ですから」と東風子はどこまでも文芸家の気でいる。「うまく癪が起りましたか」と主人は警句を吐く。「癪だけは第一回には、ちと無理でした」と東風子も警句を吐く。「ところで君は何の役割でした」と主人が聞く。「わたくしは船頭」「へー、君が船頭」君にして船頭がつとまるものなら僕にも見番くらいはやれると云ったような語気をらす。やがて「船頭は無理でしたか」と御世辞のないところを打ち明ける。東風子は別段癪に障った様子もない。やはり沈着な口調で「その船頭でせっかくの催しも竜頭蛇尾りゅうとうだびに終りました。実は会場の隣りに女学生が四五人下宿していましてね、それがどうして聞いたものか、その日は朗読会があるという事を、どこかで探知して会場の窓下へ来て傍聴していたものと見えます。わたくしが船頭の仮色こわいろを使って、ようやく調子づいてこれなら大丈夫と思って得意にやっていると、……つまり身振りがあまり過ぎたのでしょう、今までらえていた女学生が一度にわっと笑いだしたものですから、驚ろいた事も驚ろいたし、きまりがるい事も悪るいし、それで腰を折られてから、どうしてもあとがつづけられないので、とうとうそれりで散会しました」第一回としては成功だと称する朗読会がこれでは、失敗はどんなものだろうと想像すると笑わずにはいられない。覚えず咽喉仏のどぼとけがごろごろ鳴る。主人はいよいよ柔かに頭をでてくれる。人を笑って可愛がられるのはありがたいが、いささか無気味なところもある。「それは飛んだ事で」と主人は正月早々弔詞ちょうじを述べている。「第二回からは、もっと奮発して盛大にやるつもりなので、今日出ましたのも全くそのためで、実は先生にも一つ御入会の上御尽力を仰ぎたいので」「僕にはとても癪なんか起せませんよ」と消極的の主人はすぐに断わりかける。「いえ、癪などは起していただかんでもよろしいので、ここに賛助員の名簿が」と云いながら紫の風呂敷から大事そうに小菊版こぎくばんの帳面を出す。「これへどうか御署名の上御捺印ごなついんを願いたいので」と帳面を主人のひざの前へ開いたまま置く。見ると現今知名な文学博士、文学士連中の名が行儀よく勢揃せいぞろいをしている。「はあ賛成員にならん事もありませんが、どんな義務があるのですか」と牡蠣先生かきせんせい掛念けねんていに見える。「義務と申して別段是非願う事もないくらいで、ただ御名前だけを御記入下さって賛成の意さえ御表おひょう被下くださればそれで結構です」「そんなら這入はいります」と義務のかからぬ事を知るや否や主人は急に気軽になる。責任さえないと云う事が分っておれば謀叛むほんの連判状へでも名を書き入れますと云う顔付をする。加之のみならずこう知名の学者が名前をつらねている中に姓名だけでも入籍させるのは、今までこんな事に出合った事のない主人にとっては無上の光栄であるから返事の勢のあるのも無理はない。「ちょっと失敬」と主人は書斎へ印をとりに這入る。吾輩はぼたりと畳の上へ落ちる。東風子は菓子皿の中のカステラをつまんで一口に頬張ほおばる。モゴモゴしばらくは苦しそうである。吾輩は今朝の雑煮ぞうに事件をちょっと思い出す。主人が書斎から印形いんぎょうを持って出て来た時は、東風子の胃の中にカステラが落ちついた時であった。主人は菓子皿のカステラが一切ひときれ足りなくなった事には気が着かぬらしい。もし気がつくとすれば第一に疑われるものは吾輩であろう。
 東風子が帰ってから、主人が書斎に入って机の上を見ると、いつのにか迷亭先生の手紙が来ている。

「新年の御慶ぎょけい目出度めでたく申納候もうしおさめそろ。……」

 いつになく出が真面目だと主人が思う。迷亭先生の手紙に真面目なのはほとんどないので、この間などは「其後そのご別に恋着れんちゃくせる婦人も無之これなく、いずかたより艶書えんしょも参らず、ず無事に消光まかり在りそろ間、乍憚はばかりながら御休心可被下候くださるべくそろ」と云うのが来たくらいである。それにくらべるとこの年始状は例外にも世間的である。

「一寸参堂仕りたく候えども、大兄の消極主義に反して、出来得る限り積極的方針をもって、此千古未曾有みぞうの新年を迎うる計画故、毎日毎日目の廻る程の多忙、御推察願上そろ……」

 なるほどあの男の事だから正月は遊び廻るのに忙がしいに違いないと、主人は腹の中で迷亭君に同意する。

「昨日は一刻のひまをぬすみ、東風子にトチメンボー御馳走ごちそうを致さんと存じ候処そろところ生憎あいにく材料払底のめ其意を果さず、遺憾いかん千万に存候ぞんじそろ。……」

 そろそろ例の通りになって来たと主人は無言で微笑する。

「明日は某男爵の歌留多会かるたかい、明後日は審美学協会の新年宴会、其明日は鳥部教授歓迎会、其又明日は……」

 うるさいなと、主人は読みとばす。

「右の如く謡曲会、俳句会、短歌会、新体詩会等、会の連発にて当分の間は、のべつ幕無しに出勤致しそろ為め、不得已やむをえず賀状を以て拝趨はいすうの礼に候段そろだん不悪あしからず御宥恕ごゆうじょ被下度候くだされたくそろ。……」

 別段くるにも及ばんさと、主人は手紙に返事をする。

「今度御光来の節は久し振りにて晩餐でも供したき心得に御座そろ寒厨かんちゅう何の珍味も無之候これなくそうらえども、せめてはトチメンボーでもと只今より心掛居候おりそろ。……」

 まだトチメンボーを振り廻している。失敬なと主人はちょっとむっとする。

しかトチメンボーは近頃材料払底の為め、ことに依ると間に合い兼候かねそろも計りがたきにつき、其節は孔雀くじゃくしたでも御風味に入れ可申候もうすべくそろ。……」

 両天秤りょうてんびんをかけたなと主人は、あとが読みたくなる。

「御承知の通り孔雀一羽につき、舌肉の分量は小指のなかばにも足らぬ程故健啖けんたんなる大兄の胃嚢いぶくろたす為には……」

 うそをつけと主人は打ちったようにいう。

「是非共二三十羽の孔雀を捕獲致さざるべからずと存候ぞんじそろ。然る所孔雀は動物園、浅草花屋敷等には、ちらほら見受け候えども、普通の鳥屋などには一向いっこう見当り不申もうさず苦心くしん此事このことに御座そろ。……」

 独りで勝手に苦心しているのじゃないかと主人はごうも感謝の意を表しない。

「此孔雀の舌の料理は往昔おうせき羅馬ローマ全盛のみぎり、一時非常に流行致しそろものにて、豪奢ごうしゃ風流の極度と平生よりひそかに食指しょくしを動かし居候おりそろ次第御諒察ごりょうさつ可被下候くださるべくそろ。……」

 何が御諒察だ、馬鹿なと主人はすこぶる冷淡である。

くだって十六七世紀の頃迄は全欧を通じて孔雀は宴席に欠くべからざる好味と相成居候あいなりおりそろ。レスター伯がエリザベス女皇じょこうをケニルウォースに招待致し候節そろせつたしか孔雀を使用致し候様そろよう記憶致候いたしそろ。有名なるレンブラントがえがそろ饗宴の図にも孔雀が尾を広げたるまま卓上によこたわり居りそろ……」

 孔雀の料理史をかくくらいなら、そんなに多忙でもなさそうだと不平をこぼす。

「とにかく近頃の如く御馳走の食べ続けにては、さすがの小生も遠からぬうちに大兄の如く胃弱と相成あいなるは必定ひつじょう……」

 大兄のごとくは余計だ。何も僕を胃弱の標準にしなくても済むと主人はつぶやいた。

「歴史家の説によれば羅馬人ローマじんは日に二度三度も宴会を開き候由そろよし。日に二度も三度も方丈ほうじょう食饌しょくせんに就き候えば如何なる健胃の人にても消化機能に不調をかもすべく、従って自然は大兄の如く……」

 また大兄のごとくか、失敬な。

しかるに贅沢ぜいたくと衛生とを両立せしめんと研究を尽したる彼等は不相当に多量の滋味をむさぼると同時に胃腸を常態に保持するの必要を認め、ここに一の秘法を案出致しそろ……」

 はてねと主人は急に熱心になる。

「彼等は食後必ず入浴致候いたしそろ。入浴後一種の方法によりて浴前よくぜん嚥下えんかせるものをことごと嘔吐おうとし、胃内を掃除致しそろ胃内廓清いないかくせいの功を奏したるのち又食卓にき、く迄珍味を風好ふうこうし、風好しおわれば又湯に入りてこれ吐出としゅつ致候いたしそろ。かくの如くすれば好物はむさぼり次第貪りそうろうごうも内臓の諸機関に障害を生ぜず、一挙両得とは此等の事を可申もうすべきかと愚考致候いたしそろ……」

 なるほど一挙両得に相違ない。主人はうらやましそうな顔をする。

「廿世紀の今日こんにち交通の頻繁ひんぱん、宴会の増加は申す迄もなく、軍国多事征露の第二年とも相成候折柄そろおりから、吾人戦勝国の国民は、是非共羅馬ローマ人にならって此入浴嘔吐の術を研究せざるべからざる機会に到着致しそろ事と自信致候いたしそろもなくば切角せっかくの大国民も近き将来に於てことごとく大兄の如く胃病患者と相成る事とひそかに心痛まかりありそろ……」

 また大兄のごとくか、しゃくさわる男だと主人が思う。

「此際吾人西洋の事情に通ずる者が古史伝説を考究し、既に廃絶せる秘法を発見し、之を明治の社会に応用致し候わば所謂いわばわざわい未萌みほうに防ぐの功徳くどくにも相成り平素逸楽いつらくほしいままに致しそろ御恩返も相立ち可申もうすべく存候ぞんじそろ……」

 何だか妙だなと首をひねる。

よって此間じゅうよりギボン、モンセン、スミス等諸家の著述を渉猟しょうりょう致し居候おりそうらえどもいまだに発見の端緒たんしょをも見出みいだし得ざるは残念の至に存候ぞんじそろ。然し御存じの如く小生は一度思い立ち候事そろことは成功するまでは決して中絶つかまつらざる性質に候えば嘔吐方おうとほうを再興致しそろも遠からぬうちと信じ居りそろ次第。右は発見次第御報道可仕候つかまつるべくそろにつき、左様御承知可被下候くださるべくそろついてはさきに申上そろトチメンボー及び孔雀の舌の御馳走も可相成あいなるべくは右発見後に致したくすれば小生の都合は勿論もちろん、既に胃弱に悩み居らるる大兄の為にも御便宜ごべんぎかと存候ぞんじそろ草々不備」

 何だとうとうかつがれたのか、あまり書き方が真面目だものだからつい仕舞しまいまで本気にして読んでいた。新年匆々そうそうこんな悪戯いたずらをやる迷亭はよっぽどひま人だなあと主人は笑いながら云った。
 それから四五日は別段の事もなく過ぎ去った。白磁はくじの水仙がだんだんしぼんで、青軸あおじくの梅がびんながらだんだん開きかかるのを眺め暮らしてばかりいてもつまらんと思って、一両度いちりょうど三毛子を訪問して見たがわれない。最初は留守だと思ったが、二返目へんめには病気で寝ているという事が知れた。障子の中で例の御師匠さんと下女が話しをしているのを手水鉢ちょうずばちの葉蘭の影に隠れて聞いているとこうであった。
「三毛は御飯をたべるかい」「いいえ今朝からまだなんにも食べません、あったかにして御火燵おこたに寝かしておきました」何だか猫らしくない。まるで人間の取扱を受けている。
 一方では自分の境遇と比べて見てうらやましくもあるが、一方ではおのが愛している猫がかくまで厚遇を受けていると思えば嬉しくもある。
「どうも困るね、御飯をたべないと、身体からだが疲れるばかりだからね」「そうでございますとも、私共でさえ一日※(「飲のへん+善」、第4水準2-92-71)ごぜんをいただかないと、明くる日はとても働けませんもの」
 下女は自分より猫の方が上等な動物であるような返事をする。実際このうちでは下女より猫の方が大切かも知れない。
「御医者様へ連れて行ったのかい」「ええ、あの御医者はよっぽど妙でございますよ。私が三毛をだいて診察場へ行くと、風邪かぜでも引いたのかって私のみゃくをとろうとするんでしょう。いえ病人は私ではございません。これですって三毛を膝の上へ直したら、にやにや笑いながら、猫の病気はわしにも分らん、ほうっておいたら今になおるだろうってんですもの、あんまりひどいじゃございませんか。腹が立ったから、それじゃ見ていただかなくってもようございますこれでも大事の猫なんですって、三毛をふところへ入れてさっさと帰って参りました」「ほんにねえ」
「ほんにねえ」は到底とうてい吾輩のうちなどで聞かれる言葉ではない。やはり天璋院てんしょういん様の何とかの何とかでなくては使えない、はなはだであると感心した。
「何だかしくしく云うようだが……」「ええきっと風邪を引いて咽喉のどが痛むんでございますよ。風邪を引くと、どなたでも御咳おせきが出ますからね……」
 天璋院様の何とかの何とかの下女だけに馬鹿叮嚀ていねいな言葉を使う。
「それに近頃は肺病とか云うものが出来てのう」「ほんとにこの頃のように肺病だのペストだのって新しい病気ばかりえた日にゃ油断も隙もなりゃしませんのでございますよ」「旧幕時代に無い者にろくな者はないから御前も気をつけないといかんよ」「そうでございましょうかねえ」
 下女はおおいに感動している。
風邪かぜを引くといってもあまり出あるきもしないようだったに……」「いえね、あなた、それが近頃は悪い友達が出来ましてね」
 下女は国事の秘密でも語る時のように大得意である。
「悪い友達?」「ええあの表通りの教師のとこにいる薄ぎたない雄猫おねこでございますよ」「教師と云うのは、あの毎朝無作法な声を出す人かえ」「ええ顔を洗うたんびに鵝鳥がちょうめ殺されるような声を出す人でござんす」
 鵝鳥が絞め殺されるような声はうまい形容である。吾輩の主人は毎朝風呂場で含嗽うがいをやる時、楊枝ようじ咽喉のどをつっ突いて妙な声を無遠慮に出す癖がある。機嫌の悪い時はやけにがあがあやる、機嫌の好い時は元気づいてなおがあがあやる。つまり機嫌のいい時も悪い時も休みなく勢よくがあがあやる。細君の話しではここへ引越す前まではこんな癖はなかったそうだが、ある時ふとやり出してから今日きょうまで一日もやめた事がないという。ちょっと厄介な癖であるが、なぜこんな事を根気よく続けているのか吾等猫などには到底とうてい想像もつかん。それもまず善いとして「薄ぎたない猫」とは随分酷評をやるものだとなお耳を立ててあとを聞く。
「あんな声を出して何のまじないになるか知らん。御維新前ごいっしんまえ中間ちゅうげんでも草履ぞうり取りでも相応の作法は心得たもので、屋敷町などで、あんな顔の洗い方をするものは一人もおらなかったよ」「そうでございましょうともねえ」
 下女は無暗むやみに感服しては、無暗にねえを使用する。
「あんな主人を持っている猫だから、どうせ野良猫のらねこさ、今度来たら少したたいておやり」「叩いてやりますとも、三毛の病気になったのも全くあいつの御蔭に相違ございませんもの、きっとかたきをとってやります」
 飛んだ冤罪えんざいこうむったものだ。こいつは滅多めったれないと三毛子にはとうとう逢わずに帰った。
 帰って見ると主人は書斎のうちで何か沈吟ちんぎんていで筆をっている。二絃琴にげんきんの御師匠さんのとこで聞いた評判を話したら、さぞおこるだろうが、知らぬが仏とやらで、うんうん云いながら神聖な詩人になりすましている。
 ところへ当分多忙で行かれないと云って、わざわざ年始状をよこした迷亭君が飄然ひょうぜんとやって来る。「何か新体詩でも作っているのかね。面白いのが出来たら見せたまえ」と云う。「うん、ちょっとうまい文章だと思ったから今翻訳して見ようと思ってね」と主人は重たそうに口を開く。「文章? れの文章だい」「誰れのか分らんよ」「無名氏か、無名氏の作にも随分善いのがあるからなかなか馬鹿に出来ない。全体どこにあったのか」と問う。「第二読本」と主人は落ちつきはらって答える。「第二読本? 第二読本がどうしたんだ」「僕の翻訳している名文と云うのは第二読本のうちにあると云う事さ」「冗談じょうだんじゃない。孔雀の舌のかたききわどいところで討とうと云う寸法なんだろう」「僕は君のような法螺吹ほらふきとは違うさ」と口髯くちひげひねる。泰然たるものだ。「むかしある人が山陽に、先生近頃名文はござらぬかといったら、山陽が馬子まごの書いた借金の催促状を示して近来の名文はまずこれでしょうと云ったという話があるから、君の審美眼も存外たしかかも知れん。どれ読んで見給え、僕が批評してやるから」と迷亭先生は審美眼の本家ほんけのような事を云う。主人は禅坊主が大燈国師だいとうこくし遺誡ゆいかいを読むような声を出して読み始める。「巨人きょじん引力いんりょく」「何だいその巨人引力と云うのは」「巨人引力と云う題さ」「妙な題だな、僕には意味がわからんね」「引力と云う名を持っている巨人というつもりさ」「少し無理なつもりだが表題だからまず負けておくとしよう。それから早々そうそう本文を読むさ、君は声が善いからなかなか面白い」「ぜかえしてはいかんよ」とあらかじめ念を押してまた読み始める。

ケートは窓から外面そとながめる。小児しょうにたまを投げて遊んでいる。彼等は高く球を空中になげうつ。球は上へ上へとのぼる。しばらくすると落ちて来る。彼等はまた球を高く擲つ。再び三度。擲つたびに球は落ちてくる。なぜ落ちるのか、なぜ上へ上へとのみのぼらぬかとケートが聞く。「巨人が地中に住む故に」と母が答える。「彼は巨人引力である。彼は強い。彼は万物をおのれの方へと引く。彼は家屋を地上に引く。引かねば飛んでしまう。小児も飛んでしまう。葉が落ちるのを見たろう。あれは巨人引力が呼ぶのである。本を落す事があろう。巨人引力が来いというからである。球が空にあがる。巨人引力は呼ぶ。呼ぶと落ちてくる」

「それぎりかい」「むむ、うまいじゃないか」「いやこれは恐れ入った。飛んだところでトチメンボーの御返礼にあずかった」「御返礼でもなんでもないさ、実際うまいから訳して見たのさ、君はそう思わんかね」と金縁の眼鏡の奥を見る。「どうも驚ろいたね。君にしてこの伎倆ぎりょうあらんとは、全く此度こんどという今度こんどかつがれたよ、降参降参」と一人で承知して一人で喋舌しゃべる。主人には一向いっこう通じない。「何も君を降参させる考えはないさ。ただ面白い文章だと思ったから訳して見たばかりさ」「いや実に面白い。そう来なくっちゃ本ものでない。すごいものだ。恐縮だ」「そんなに恐縮するには及ばん。僕も近頃は水彩画をやめたから、その代りに文章でもやろうと思ってね」「どうして遠近えんきん無差別むさべつ黒白こくびゃく平等びょうどうの水彩画の比じゃない。感服の至りだよ」「そうほめてくれると僕も乗り気になる」と主人はあくまでも疳違かんちがいをしている。
 ところへ寒月かんげつ君が先日は失礼しましたと這入はいって来る。「いや失敬。今大変な名文を拝聴してトチメンボーの亡魂を退治たいじられたところで」と迷亭先生は訳のわからぬ事をほのめかす。「はあ、そうですか」とこれも訳の分らぬ挨拶をする。主人だけはのみ浮かれた気色けしきもない。「先日は君の紹介で越智東風おちとうふうと云う人が来たよ」「あああがりましたか、あの越智東風おちこちと云う男は至って正直な男ですが少し変っているところがあるので、あるいは御迷惑かと思いましたが、是非紹介してくれというものですから……」「別に迷惑の事もないがね……」「こちらへあがっても自分の姓名のことについて何か弁じて行きゃしませんか」「いいえ、そんな話もなかったようだ」「そうですか、どこへ行っても初対面の人には自分の名前の講釈こうしゃくをするのが癖でしてね」「どんな講釈をするんだい」と事あれかしと待ち構えた迷亭君は口を入れる。「あの東風こちと云うのをおんで読まれると大変気にするので」「はてね」と迷亭先生は金唐皮きんからかわ煙草入たばこいれから煙草をつまみ出す。「わたくしの名は越智東風おちとうふうではありません、越智おちこちですと必ず断りますよ」「妙だね」と雲井くもいを腹の底までみ込む。「それが全く文学熱から来たので、こちと読むと遠近と云う成語せいごになる、のみならずその姓名がいんを踏んでいると云うのが得意なんです。それだから東風こちおんで読むと僕がせっかくの苦心を人が買ってくれないといって不平を云うのです」「こりゃなるほど変ってる」と迷亭先生は図に乗って腹の底から雲井を鼻のあなまで吐き返す。途中で煙が戸迷とまどいをして咽喉のどの出口へ引きかかる。先生は煙管きせるを握ってごほんごほんとむせび返る。「先日来た時は朗読会で船頭になって女学生に笑われたといっていたよ」と主人は笑いながら云う。「うむそれそれ」と迷亭先生が煙管きせる膝頭ひざがしらたたく。吾輩は険呑けんのんになったから少しそばを離れる。「その朗読会さ。せんだってトチメンボーを御馳走した時にね。その話しが出たよ。何でも第二回には知名の文士を招待して大会をやるつもりだから、先生にも是非御臨席を願いたいって。それから僕が今度も近松の世話物をやるつもりかいと聞くと、いえこの次はずっと新しい者をえらんで金色夜叉こんじきやしゃにしましたと云うから、君にゃ何の役が当ってるかと聞いたら私は御宮おみやですといったのさ。東風とうふうの御宮は面白かろう。僕は是非出席して喝采かっさいしようと思ってるよ」「面白いでしょう」と寒月君が妙な笑い方をする。「しかしあの男はどこまでも誠実で軽薄なところがないから好い。迷亭などとは大違いだ」と主人はアンドレア・デル・サルトと孔雀くじゃくの舌とトチメンボー復讐かたきを一度にとる。迷亭君は気にも留めない様子で「どうせ僕などは行徳ぎょうとくまないたと云う格だからなあ」と笑う。「まずそんなところだろう」と主人が云う。実は行徳の俎と云う語を主人はかいさないのであるが、さすが永年教師をして胡魔化ごまかしつけているものだから、こんな時には教場の経験を社交上にも応用するのである。「行徳の俎というのは何の事ですか」と寒月が真率しんそつに聞く。主人は床の方を見て「あの水仙は暮に僕が風呂の帰りがけに買って来てしたのだが、よく持つじゃないか」と行徳の俎を無理にねじ伏せる。「暮といえば、去年の暮に僕は実に不思議な経験をしたよ」と迷亭が煙管きせる大神楽だいかぐらのごとく指のさきで廻わす。「どんな経験か、聞かしたまえ」と主人は行徳の俎を遠くうしろに見捨てた気で、ほっと息をつく。迷亭先生の不思議な経験というのを聞くとのごとくである。
「たしか暮の二十七日と記憶しているがね。例の東風とうふうから参堂の上是非文芸上の御高話を伺いたいから御在宿を願うと云うれがあったので、朝から心待ちに待っていると先生なかなか来ないやね。昼飯を食ってストーブの前でバリー・ペーンの滑稽物こっけいものを読んでいるところへ静岡の母から手紙が来たから見ると、年寄だけにいつまでも僕を小供のように思ってね。寒中は夜間外出をするなとか、冷水浴もいいがストーブをいてへやあたたかにしてやらないと風邪かぜを引くとかいろいろの注意があるのさ。なるほど親はありがたいものだ、他人ではとてもこうはいかないと、呑気のんきな僕もその時だけはおおいに感動した。それにつけても、こんなにのらくらしていては勿体もったいない。何か大著述でもして家名を揚げなくてはならん。母の生きているうちに天下をして明治の文壇に迷亭先生あるを知らしめたいと云う気になった。それからなお読んで行くと御前なんぞは実に仕合せ者だ。露西亜ロシアと戦争が始まって若い人達は大変な辛苦しんくをして御国みくにのために働らいているのに節季師走せっきしわすでもお正月のように気楽に遊んでいると書いてある。――僕はこれでも母の思ってるように遊んじゃいないやね――そのあとへもって来て、僕の小学校時代の朋友ほうゆうで今度の戦争に出て死んだり負傷したものの名前が列挙してあるのさ。その名前を一々読んだ時には何だか世の中が味気あじきなくなって人間もつまらないと云う気が起ったよ。一番仕舞しまいにね。わたしも取る年に候えば初春はつはる御雑煮おぞうにを祝い候も今度限りかと……何だか心細い事が書いてあるんで、なおのこと気がくさくさしてしまって早く東風とうふうが来れば好いと思ったが、先生どうしても来ない。そのうちとうとう晩飯になったから、母へ返事でも書こうと思ってちょいと十二三行かいた。母の手紙は六尺以上もあるのだが僕にはとてもそんな芸は出来んから、いつでも十行内外で御免こうむる事にめてあるのさ。すると一日動かずにおったものだから、胃の具合が妙で苦しい。東風が来たら待たせておけと云う気になって、郵便を入れながら散歩に出掛けたと思い給え。いつになく富士見町の方へは足が向かないで土手どて三番町さんばんちょうの方へ我れ知らず出てしまった。ちょうどその晩は少し曇って、から風が御濠おほりむこうから吹き付ける、非常に寒い。神楽坂かぐらざかの方から汽車がヒューと鳴って土手下を通り過ぎる。大変さみしい感じがする。暮、戦死、老衰、無常迅速などと云う奴が頭の中をぐるぐるめぐる。よく人が首をくくると云うがこんな時にふと誘われて死ぬ気になるのじゃないかと思い出す。ちょいと首を上げて土手の上を見ると、いつのにか例の松の真下ましたに来ているのさ」
「例の松た、何だい」と主人が断句だんくを投げ入れる。
首懸くびかけの松さ」と迷亭はえりを縮める。
「首懸の松はこうだいでしょう」寒月が波紋はもんをひろげる。
こうだいのは鐘懸かねかけの松で、土手三番町のは首懸くびかけの松さ。なぜこう云う名が付いたかと云うと、むかしからの言い伝えで誰でもこの松の下へ来ると首がくくりたくなる。土手の上に松は何十本となくあるが、そら首縊くびくくりだと来て見ると必ずこの松へぶら下がっている。年に二三べんはきっとぶら下がっている。どうしてもほかの松では死ぬ気にならん。見ると、うまい具合に枝が往来の方へ横に出ている。ああ好い枝振りだ。あのままにしておくのは惜しいものだ。どうかしてあすこの所へ人間を下げて見たい、誰か来ないかしらと、四辺あたりを見渡すと生憎あいにく誰も来ない。仕方がない、自分で下がろうか知らん。いやいや自分が下がっては命がない、あぶないからよそう。しかし昔の希臘人ギリシャじんは宴会の席で首縊くびくくりの真似をして余興を添えたと云う話しがある。一人が台の上へ登って縄の結び目へ首を入れる途端にほかのものが台を蹴返す。首を入れた当人は台を引かれると同時に縄をゆるめて飛び下りるという趣向しゅこうである。果してそれが事実なら別段恐るるにも及ばん、僕も一つ試みようと枝へ手を懸けて見ると好い具合にしわる。撓り按排あんばいが実に美的である。首がかかってふわふわするところを想像して見ると嬉しくてたまらん。是非やる事にしようと思ったが、もし東風とうふうが来て待っていると気の毒だと考え出した。それではまず東風とうふうって約束通り話しをして、それから出直そうと云う気になってついにうちへ帰ったのさ」
「それでいちが栄えたのかい」と主人が聞く。
「面白いですな」と寒月がにやにやしながら云う。
「うちへ帰って見ると東風は来ていない。しかし今日こんにち無拠処よんどころなき差支さしつかえがあって出られぬ、いずれ永日えいじつ御面晤ごめんごを期すという端書はがきがあったので、やっと安心して、これなら心置きなく首がくくれる嬉しいと思った。で早速下駄を引き懸けて、急ぎ足で元の所へ引き返して見る……」と云って主人と寒月の顔を見てすましている。
「見るとどうしたんだい」と主人は少しれる。
「いよいよ佳境に入りますね」と寒月は羽織のひもをひねくる。
「見ると、もう誰か来て先へぶら下がっている。たった一足違いでねえ君、残念な事をしたよ。考えると何でもその時は死神しにがみに取り着かれたんだね。ゼームスなどに云わせると副意識下の幽冥界ゆうめいかいと僕が存在している現実界が一種の因果法によって互に感応かんのうしたんだろう。実に不思議な事があるものじゃないか」迷亭はすまし返っている。
 主人はまたやられたと思いながら何も云わずに空也餅くうやもち頬張ほおばって口をもごもご云わしている。
 寒月は火鉢の灰を丁寧にらして、俯向うつむいてにやにや笑っていたが、やがて口を開く。極めて静かな調子である。
「なるほど伺って見ると不思議な事でちょっと有りそうにも思われませんが、私などは自分でやはり似たような経験をつい近頃したものですから、少しも疑がう気になりません」
「おや君も首をくくりたくなったのかい」
「いえ私のは首じゃないんで。これもちょうど明ければ昨年の暮の事でしかも先生と同日同刻くらいに起った出来事ですからなおさら不思議に思われます」
「こりゃ面白い」と迷亭も空也餅を頬張る。
「その日は向島の知人のうちで忘年会けん合奏会がありまして、私もそれへヴァイオリンをたずさえて行きました。十五六人令嬢やら令夫人が集ってなかなか盛会で、近来の快事と思うくらいに万事が整っていました。晩餐ばんさんもすみ合奏もすんで四方よもの話しが出て時刻も大分だいぶ遅くなったから、もう暇乞いとまごいをして帰ろうかと思っていますと、某博士の夫人が私のそばへ来てあなたは○○子さんの御病気を御承知ですかと小声で聞きますので、実はその両三日前りょうさんにちまえに逢った時は平常の通りどこも悪いようには見受けませんでしたから、私も驚ろいてくわしく様子を聞いて見ますと、わたくしの逢ったその晩から急に発熱して、いろいろな譫語うわごとを絶間なく口走くちばしるそうで、それだけならいですがその譫語のうちに私の名が時々出て来るというのです」
 主人は無論、迷亭先生も「御安おやすくないね」などという月並つきなみは云わず、静粛に謹聴している。
「医者を呼んで見てもらうと、何だか病名はわからんが、何しろ熱がはげしいので脳を犯しているから、もし睡眠剤すいみんざいが思うように功を奏しないと危険であると云う診断だそうで私はそれを聞くや否や一種いやな感じが起ったのです。ちょうど夢でうなされる時のような重くるしい感じで周囲の空気が急に固形体になって四方から吾が身をしめつけるごとく思われました。帰り道にもその事ばかりが頭の中にあって苦しくてたまらない。あの奇麗な、あの快活なあの健康な○○子さんが……」
「ちょっと失敬だが待ってくれ給え。さっきから伺っていると○○子さんと云うのが二へんばかり聞えるようだが、もし差支さしつかえがなければうけたまわりたいね、君」と主人をかえりみると、主人も「うむ」と生返事なまへんじをする。
「いやそれだけは当人の迷惑になるかも知れませんからしましょう」
「すべて曖々然あいあいぜんとして昧々然まいまいぜんたるかたで行くつもりかね」
「冷笑なさってはいけません、極真面目ごくまじめな話しなんですから……とにかくあの婦人が急にそんな病気になった事を考えると、実に飛花落葉ひからくようの感慨で胸が一杯になって、総身そうしんの活気が一度にストライキを起したように元気がにわかに滅入めいってしまいまして、ただ蹌々そうそうとして踉々ろうろうというかたちで吾妻橋あずまばしへきかかったのです。欄干にって下を見ると満潮まんちょう干潮かんちょうか分りませんが、黒い水がかたまってただ動いているように見えます。花川戸はなかわどの方から人力車が一台けて来て橋の上を通りました。その提灯ちょうちんの火を見送っていると、だんだん小くなって札幌さっぽろビールの処で消えました。私はまた水を見る。するとはるかの川上の方で私の名を呼ぶ声が聞えるのです。はてな今時分人に呼ばれる訳はないが誰だろうと水のおもてをすかして見ましたが暗くてなんにも分りません。気のせいに違いない早々そうそう帰ろうと思って一足二足あるき出すと、またかすかな声で遠くから私の名を呼ぶのです。私はまた立ち留って耳を立てて聞きました。三度目に呼ばれた時には欄干につかまっていながら膝頭ひざがしらががくがくふるえ出したのです。その声は遠くの方か、川の底から出るようですがまぎれもない○○子の声なんでしょう。私は覚えず「はーい」と返事をしたのです。その返事が大きかったものですから静かな水に響いて、自分で自分の声に驚かされて、はっと周囲を見渡しました。人も犬も月もなんにも見えません。その時に私はこの「よる」の中に巻き込まれて、あの声の出る所へ行きたいと云う気がむらむらと起ったのです。○○子の声がまた苦しそうに、訴えるように、救を求めるように私の耳を刺し通したので、今度は「今すぐに行きます」と答えて欄干から半身を出して黒い水を眺めました。どうも私を呼ぶ声がなみの下から無理にれて来るように思われましてね。この水の下だなと思いながら私はとうとう欄干の上に乗りましたよ。今度呼んだら飛び込もうと決心して流を見つめているとまた憐れな声が糸のように浮いて来る。ここだと思って力を込めて一反いったん飛び上がっておいて、そして小石か何ぞのように未練なく落ちてしまいました」
「とうとう飛び込んだのかい」と主人が眼をぱちつかせて問う。
「そこまで行こうとは思わなかった」と迷亭が自分の鼻の頭をちょいとつまむ。
「飛び込んだあとは気が遠くなって、しばらくは夢中でした。やがて眼がさめて見ると寒くはあるが、どこもれたとこも何もない、水を飲んだような感じもしない。たしかに飛び込んだはずだが実に不思議だ。こりゃ変だと気が付いてそこいらを見渡すと驚きましたね。水の中へ飛び込んだつもりでいたところが、つい間違って橋の真中へ飛び下りたので、その時は実に残念でした。前とうしろの間違だけであの声の出る所へ行く事が出来なかったのです」寒月はにやにや笑いながら例のごとく羽織のひも荷厄介にやっかいにしている。
「ハハハハこれは面白い。僕の経験と善く似ているところが奇だ。やはりゼームス教授の材料になるね。人間の感応と云う題で写生文にしたらきっと文壇を驚かすよ。……そしてその○○子さんの病気はどうなったかね」と迷亭先生が追窮する。
二三日前にさんちまえ年始に行きましたら、門の内で下女と羽根を突いていましたから病気は全快したものと見えます」
 主人は最前から沈思のていであったが、この時ようやく口を開いて、「僕にもある」と負けぬ気を出す。
「あるって、何があるんだい」迷亭の眼中に主人などは無論ない。
「僕のも去年の暮の事だ」
「みんな去年の暮は暗合あんごうで妙ですな」と寒月が笑う。欠けた前歯のうちに空也餅くうやもちが着いている。
「やはり同日同刻じゃないか」と迷亭がまぜ返す。
「いや日は違うようだ。何でも二十日はつか頃だよ。細君が御歳暮の代りに摂津大掾せっつだいじょうを聞かしてくれろと云うから、連れて行ってやらん事もないが今日の語り物は何だと聞いたら、細君が新聞を参考して鰻谷うなぎだにだと云うのさ。鰻谷は嫌いだから今日はよそうとその日はやめにした。翌日になると細君がまた新聞を持って来て今日は堀川ほりかわだからいいでしょうと云う。堀川は三味線もので賑やかなばかりでがないからよそうと云うと、細君は不平な顔をして引き下がった。その翌日になると細君が云うには今日は三十三間堂です、私は是非摂津せっつの三十三間堂が聞きたい。あなたは三十三間堂も御嫌いか知らないが、私に聞かせるのだからいっしょに行って下すってもいでしょうと手詰てづめの談判をする。御前がそんなに行きたいなら行ってもろしい、しかし一世一代と云うので大変な大入だから到底とうてい突懸つっかけに行ったって這入はいれる気遣きづかいはない。元来ああ云う場所へ行くには茶屋と云うものがってそれと交渉して相当の席を予約するのが正当の手続きだから、それを踏まないで常規を脱した事をするのはよくない、残念だが今日はやめようと云うと、細君はすごい眼付をして、私は女ですからそんなむずかしい手続きなんか知りませんが、大原のお母あさんも、鈴木の君代さんも正当の手続きを踏まないで立派に聞いて来たんですから、いくらあなたが教師だからって、そう手数てすうのかかる見物をしないでもすみましょう、あなたはあんまりだと泣くような声を出す。それじゃ駄目でもまあ行く事にしよう。晩飯をくって電車で行こうと降参をすると、行くなら四時までに向うへ着くようにしなくっちゃいけません、そんなぐずぐずしてはいられませんと急に勢がいい。なぜ四時までに行かなくては駄目なんだと聞き返すと、そのくらい早く行って場所をとらなくちゃ這入れないからですと鈴木の君代さんから教えられた通りを述べる。それじゃ四時を過ぎればもう駄目なんだねと念を押して見たら、ええ駄目ですともと答える。すると君不思議な事にはその時から急に悪寒おかんがし出してね」
「奥さんがですか」と寒月が聞く。
「なに細君はぴんぴんしていらあね。僕がさ。何だか穴の明いた風船玉のように一度に萎縮いしゅくする感じが起ると思うと、もう眼がぐらぐらして動けなくなった」
「急病だね」と迷亭が註釈を加える。
「ああ困った事になった。細君が年に一度の願だから是非かなえてやりたい。平生いつも叱りつけたり、口を聞かなかったり、身上しんしょうの苦労をさせたり、小供の世話をさせたりするばかりで何一つ洒掃薪水さいそうしんすいの労にむくいた事はない。今日は幸い時間もある、嚢中のうちゅうには四五枚の堵物とぶつもある。連れて行けば行かれる。細君も行きたいだろう、僕も連れて行ってやりたい。是非連れて行ってやりたいがこう悪寒がして眼がくらんでは電車へ乗るどころか、靴脱くつぬぎへ降りる事も出来ない。ああ気の毒だ気の毒だと思うとなお悪寒がしてなお眼がくらんでくる。早く医者に見てもらって服薬でもしたら四時前には全快するだろうと、それから細君と相談をして甘木あまき医学士を迎いにやると生憎あいにく昨夜ゆうべが当番でまだ大学から帰らない。二時頃には御帰りになりますから、帰り次第すぐ上げますと云う返事である。困ったなあ、今杏仁水きょうにんすいでも飲めば四時前にはきっとなおるにきまっているんだが、運の悪い時には何事も思うように行かんもので、たまさか妻君の喜ぶ笑顔を見て楽もうと云う予算も、がらりとはずれそうになって来る。細君はうらめしい顔付をして、到底とうていいらっしゃれませんかと聞く。行くよ必ず行くよ。四時までにはきっと直って見せるから安心しているがいい。早く顔でも洗って着物でも着換えて待っているがいい、と口では云ったようなものの胸中は無限の感慨である。悪寒はますますはげしくなる、眼はいよいよぐらぐらする。もしや四時までに全快して約束を履行りこうする事が出来なかったら、気の狭い女の事だから何をするかも知れない。なさけない仕儀になって来た。どうしたら善かろう。万一の事を考えると今の内に有為転変ういてんぺんの理、生者必滅しょうじゃひつめつの道を説き聞かして、もしもの変が起った時取り乱さないくらいの覚悟をさせるのも、おっとつまに対する義務ではあるまいかと考え出した。僕はすみやかに細君を書斎へ呼んだよ。呼んで御前は女だけれども many a slip ‘twixt the cup and the lip と云う西洋のことわざくらいは心得ているだろうと聞くと、そんな横文字なんか誰が知るもんですか、あなたは人が英語を知らないのを御存じの癖にわざと英語を使って人にからかうのだから、よろしゅうございます、どうせ英語なんかは出来ないんですから、そんなに英語が御好きなら、なぜ耶蘇学校ヤソがっこうの卒業生かなんかをお貰いなさらなかったんです。あなたくらい冷酷な人はありはしないと非常な権幕けんまくなんで、僕もせっかくの計画の腰を折られてしまった。君等にも弁解するが僕の英語は決して悪意で使った訳じゃない。全くさいを愛する至情から出たので、それを妻のように解釈されては僕も立つ瀬がない。それにさっきからの悪寒おかん眩暈めまいで少し脳が乱れていたところへもって来て、早く有為転変、生者必滅の理を呑み込ませようと少しき込んだものだから、つい細君の英語を知らないと云う事を忘れて、何の気も付かずに使ってしまった訳さ。考えるとこれは僕がるい、全く手落ちであった。この失敗で悪寒はますます強くなる。眼はいよいよぐらぐらする。妻君は命ぜられた通り風呂場へ行って両肌もろはだを脱いで御化粧をして、箪笥たんすから着物を出して着換える。もういつでも出掛けられますと云う風情ふぜいで待ち構えている。僕は気が気でない。早く甘木君が来てくれれば善いがと思って時計を見るともう三時だ。四時にはもう一時間しかない。「そろそろ出掛けましょうか」と妻君が書斎の開き戸を明けて顔を出す。自分のさいめるのはおかしいようであるが、僕はこの時ほど細君を美しいと思った事はなかった。もろ肌を脱いで石鹸でみがき上げた皮膚がぴかついて黒縮緬くろちりめんの羽織と反映している。その顔が石鹸と摂津大掾せっつだいじょうを聞こうと云う希望との二つで、有形無形の両方面から輝やいて見える。どうしてもその希望を満足させて出掛けてやろうと云う気になる。それじゃ奮発して行こうかな、と一ぷくふかしているとようやく甘木先生が来た。うまい注文通りに行った。が容体をはなすと、甘木先生は僕の舌をながめて、手を握って、胸をたたいて背をでて、目縁まぶちを引っ繰り返して、頭蓋骨ずがいこつをさすって、しばらく考え込んでいる。「どうも少し険呑けんのんのような気がしまして」と僕が云うと、先生は落ちついて、「いえ格別の事もございますまい」と云う。「あのちょっとくらい外出致しても差支さしつかえはございますまいね」と細君が聞く。「さよう」と先生はまた考え込む。「御気分さえ御悪くなければ……」「気分は悪いですよ」と僕がいう。「じゃともかくも頓服とんぷく水薬すいやくを上げますから」「へえどうか、何だかちと、あぶないようになりそうですな」「いや決して御心配になるほどの事じゃございません、神経を御起しになるといけませんよ」と先生が帰る。三時は三十分過ぎた。下女を薬取りにやる。細君の厳命でけ出して行って、け出して返ってくる。四時十五分前である。四時にはまだ十五分ある。すると四時十五分前頃から、今まで何とも無かったのに、急に嘔気はきけもよおして来た。細君は水薬すいやくを茶碗へいで僕の前へ置いてくれたから、茶碗を取り上げて飲もうとすると、胃の中からげーと云う者が吶喊とっかんして出てくる。やむをえず茶碗を下へ置く。細君は「早く御飲おのみになったらいでしょう」とせまる。早く飲んで早く出掛けなくては義理が悪い。思い切って飲んでしまおうとまた茶碗を唇へつけるとまたゲーが執念深しゅうねんぶかく妨害をする。飲もうとしては茶碗を置き、飲もうとしては茶碗を置いていると茶の間の柱時計がチンチンチンチンと四時を打った。さあ四時だ愚図愚図してはおられんと茶碗をまた取り上げると、不思議だねえ君、実に不思議とはこの事だろう、四時の音と共にがすっかり留まって水薬が何の苦なしに飲めたよ。それから四時十分頃になると、甘木先生の名医という事も始めて理解する事が出来たんだが、背中がぞくぞくするのも、眼がぐらぐらするのも夢のように消えて、当分立つ事も出来まいと思った病気がたちまち全快したのは嬉しかった」
「それから歌舞伎座へいっしょに行ったのかい」と迷亭が要領を得んと云う顔付をして聞く。
「行きたかったが四時を過ぎちゃ、這入はいれないと云う細君の意見なんだから仕方がない、やめにしたさ。もう十五分ばかり早く甘木先生が来てくれたら僕の義理も立つし、さいも満足したろうに、わずか十五分の差でね、実に残念な事をした。考え出すとあぶないところだったと今でも思うのさ」
 語りおわった主人はようやく自分の義務をすましたような風をする。これで両人に対して顔が立つと云う気かも知れん。
 寒月は例のごとく欠けた歯を出して笑いながら「それは残念でしたな」と云う。
 迷亭はとぼけた顔をして「君のような親切なおっとを持った妻君は実に仕合せだな」とひとごとのようにいう。障子の蔭でエヘンと云う細君の咳払せきばらいが聞える。
 吾輩はおとなしく三人の話しを順番に聞いていたがおかしくも悲しくもなかった。人間というものは時間をつぶすためにいて口を運動させて、おかしくもない事を笑ったり、面白くもない事を嬉しがったりするほかに能もない者だと思った。吾輩の主人の我儘わがまま偏狭へんきょうな事は前から承知していたが、平常ふだんは言葉数を使わないので何だか了解しかねる点があるように思われていた。その了解しかねる点に少しは恐しいと云う感じもあったが、今の話を聞いてから急に軽蔑けいべつしたくなった。かれはなぜ両人の話しを沈黙して聞いていられないのだろう。負けぬ気になってにもつかぬ駄弁をろうすれば何の所得があるだろう。エピクテタスにそんな事をしろと書いてあるのか知らん。要するに主人も寒月も迷亭も太平たいへい逸民いつみんで、彼等は糸瓜へちまのごとく風に吹かれて超然とすまし切っているようなものの、その実はやはり娑婆気しゃばけもあり慾気よくけもある。競争の念、勝とう勝とうの心は彼等が日常の談笑中にもちらちらとほのめいて、一歩進めば彼等が平常罵倒ばとうしている俗骨共ぞっこつどもと一つ穴の動物になるのは猫より見て気の毒の至りである。ただその言語動作が普通の半可通はんかつうのごとく、文切もんきがたの厭味を帯びてないのはいささかのでもあろう。
 こう考えると急に三人の談話が面白くなくなったので、三毛子の様子でも見てようかと二絃琴にげんきんの御師匠さんの庭口へ廻る。門松かどまつ注目飾しめかざりはすでに取り払われて正月もや十日となったが、うららかな春日はるびは一流れの雲も見えぬ深き空より四海天下を一度に照らして、十坪に足らぬ庭のおもも元日の曙光しょこうを受けた時よりあざやかな活気を呈している。椽側に座蒲団ざぶとんが一つあって人影も見えず、障子も立て切ってあるのは御師匠さんは湯にでも行ったのか知らん。御師匠さんは留守でも構わんが、三毛子は少しはい方か、それが気掛りである。ひっそりして人の気合けわいもしないから、泥足のまま椽側えんがわあがって座蒲団の真中へ寝転ねころんで見るといい心持ちだ。ついうとうととして、三毛子の事も忘れてうたた寝をしていると、急に障子のうちで人声がする。
「御苦労だった。出来たかえ」御師匠さんはやはり留守ではなかったのだ。
「はい遅くなりまして、仏師屋ぶっしやへ参りましたらちょうど出来上ったところだと申しまして」「どれお見せなさい。ああ奇麗に出来た、これで三毛も浮かばれましょう。きんげる事はあるまいね」「ええ念を押しましたら上等を使ったからこれなら人間の位牌いはいよりも持つと申しておりました。……それから猫誉信女みょうよしんにょの誉の字はくずした方が恰好かっこうがいいから少しかくえたと申しました」「どれどれ早速御仏壇へ上げて御線香でもあげましょう」
 三毛子は、どうかしたのかな、何だか様子が変だと蒲団の上へ立ち上る。チーン南無猫誉信女なむみょうよしんにょ南無阿弥陀仏なむあみだぶつ南無阿弥陀仏と御師匠さんの声がする。
「御前も回向えこうをしておやりなさい」
 チーン南無猫誉信女南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と今度は下女の声がする。吾輩は急に動悸どうきがして来た。座蒲団の上に立ったまま、木彫きぼりの猫のように眼も動かさない。
「ほんとに残念な事を致しましたね。始めはちょいと風邪かぜを引いたんでございましょうがねえ」「甘木さんが薬でも下さると、よかったかも知れないよ」「一体あの甘木さんが悪うございますよ、あんまり三毛を馬鹿にし過ぎまさあね」「そう人様ひとさまの事を悪く云うものではない。これも寿命じゅみょうだから」
 三毛子も甘木先生に診察して貰ったものと見える。
「つまるところ表通りの教師のうちの野良猫のらねこ無暗むやみに誘い出したからだと、わたしは思うよ」「ええあの畜生ちきしょうが三毛のかたきでございますよ」
 少し弁解したかったが、ここが我慢のしどころとつばを呑んで聞いている。話しはしばし途切とぎれる。
「世の中は自由にならん者でのう。三毛のような器量よしは早死はやじにをするし。不器量な野良猫は達者でいたずらをしているし……」「その通りでございますよ。三毛のような可愛らしい猫は鐘と太鼓で探してあるいたって、二人ふたりとはおりませんからね」
 二匹と云う代りにたりといった。下女の考えでは猫と人間とは同種族ものと思っているらしい。そう云えばこの下女の顔は吾等猫属ねこぞくとはなはだ類似している。
「出来るものなら三毛の代りに……」「あの教師の所の野良のらが死ぬと御誂おあつらえ通りに参ったんでございますがねえ」
 御誂え通りになっては、ちと困る。死ぬと云う事はどんなものか、まだ経験した事がないから好きとも嫌いとも云えないが、先日あまり寒いので火消壺ひけしつぼの中へもぐり込んでいたら、下女が吾輩がいるのも知らんで上からふたをした事があった。その時の苦しさは考えても恐しくなるほどであった。白君の説明によるとあの苦しみが今少し続くと死ぬのであるそうだ。三毛子の身代みがわりになるのなら苦情もないが、あの苦しみを受けなくては死ぬ事が出来ないのなら、誰のためでも死にたくはない。
「しかし猫でも坊さんの御経を読んでもらったり、戒名かいみょうをこしらえてもらったのだから心残りはあるまい」「そうでございますとも、全く果報者かほうものでございますよ。ただ慾を云うとあの坊さんの御経があまり軽少だったようでございますね」「少し短か過ぎたようだったから、大変御早うございますねと御尋ねをしたら、月桂寺げっけいじさんは、ええ利目ききめのあるところをちょいとやっておきました、なに猫だからあのくらいで充分浄土へ行かれますとおっしゃったよ」「あらまあ……しかしあの野良なんかは……」
 吾輩は名前はないとしばしば断っておくのに、この下女は野良野良と吾輩を呼ぶ。失敬な奴だ。
「罪が深いんですから、いくらありがたい御経だって浮かばれる事はございませんよ」
 吾輩はその野良が何百遍繰り返されたかを知らぬ。吾輩はこの際限なき談話を中途で聞き棄てて、布団ふとんをすべり落ちて椽側から飛び下りた時、八万八千八百八十本の毛髪を一度にたてて身震みぶるいをした。その二絃琴にげんきんの御師匠さんの近所へは寄りついた事がない。今頃は御師匠さん自身が月桂寺さんから軽少な御回向ごえこうを受けているだろう。
 近頃は外出する勇気もない。何だか世間がものうく感ぜらるる。主人に劣らぬほどの無性猫ぶしょうねことなった。主人が書斎にのみ閉じこもっているのを人が失恋だ失恋だと評するのも無理はないと思うようになった。
 ねずみはまだ取った事がないので、一時は御三おさんから放逐論ほうちくろんさえ呈出ていしゅつされた事もあったが、主人は吾輩の普通一般の猫でないと云う事を知っているものだから吾輩はやはりのらくらしてこの起臥きがしている。この点については深く主人の恩を感謝すると同時にその活眼かつがんに対して敬服の意を表するに躊躇ちゅうちょしないつもりである。御三が吾輩を知らずして虐待をするのは別に腹も立たない。今に左甚五郎ひだりじんごろうが出て来て、吾輩の肖像を楼門ろうもんの柱にきざみ、日本のスタンランが好んで吾輩の似顔をカンヴァスの上にえがくようになったら、彼等鈍瞎漢どんかつかんは始めて自己の不明をずるであろう。
 
 
 
 
 
 
 
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 三
 
 三毛子は死ぬ。黒は相手にならず、いささか寂寞せきばくの感はあるが、幸い人間に知己ちきが出来たのでさほど退屈とも思わぬ。せんだっては主人のもとへ吾輩の写真を送ってくれと手紙で依頼した男がある。この間は岡山の名産吉備団子きびだんごをわざわざ吾輩の名宛で届けてくれた人がある。だんだん人間から同情を寄せらるるに従って、おのれが猫である事はようやく忘却してくる。猫よりはいつのにか人間の方へ接近して来たような心持になって、同族を糾合きゅうごうして二本足の先生と雌雄しゆうを決しようなどとう量見は昨今のところ毛頭もうとうない。それのみか折々は吾輩もまた人間世界の一人だと思う折さえあるくらいに進化したのはたのもしい。あえて同族を軽蔑けいべつする次第ではない。ただ性情の近きところに向って一身の安きを置くはいきおいのしからしむるところで、これを変心とか、軽薄とか、裏切りとか評せられてはちと迷惑する。かような言語をろうして人を罵詈ばりするものに限って融通のかぬ貧乏性の男が多いようだ。こう猫の習癖を脱化して見ると三毛子の事ばかり荷厄介にしている訳には行かん。やはり人間同等の気位きぐらいで彼等の思想、言行を評隲ひょうしつしたくなる。これも無理はあるまい。ただそのくらいな見識を有している吾輩をやはり一般猫児びょうじの毛のえたものくらいに思って、主人が吾輩に一言いちごんの挨拶もなく、吉備団子きびだんごをわが物顔に喰い尽したのは残念の次第である。写真もまだって送らぬ容子ようすだ。これも不平と云えば不平だが、主人は主人、吾輩は吾輩で、相互の見解が自然ことなるのは致し方もあるまい。吾輩はどこまでも人間になりすましているのだから、交際をせぬ猫の動作は、どうしてもちょいと筆にのぼりにくい。迷亭、寒月諸先生の評判だけで御免こうむる事に致そう。
 今日は上天気の日曜なので、主人はのそのそ書斎から出て来て、吾輩のそば筆硯ふですずりと原稿用紙を並べて腹這はらばいになって、しきりに何かうなっている。大方草稿を書きおろ序開じょびらきとして妙な声を発するのだろうと注目していると、ややしばらくして筆太ふでぶとに「香一※(「火+(麈-鹿)」、第3水準1-87-40)こういっしゅ」とかいた。はてな詩になるか、俳句になるか、香一※(「火+(麈-鹿)」、第3水準1-87-40)とは、主人にしては少し洒落しゃれ過ぎているがと思う間もなく、彼は香一※(「火+(麈-鹿)」、第3水準1-87-40)を書き放しにして、新たにぎょうを改めて「さっきから天然居士てんねんこじの事をかこうと考えている」と筆を走らせた。筆はそれだけではたと留ったぎり動かない。主人は筆を持って首をひねったが別段名案もないものと見えて筆の穂をめだした。唇が真黒になったと見ていると、今度はその下へちょいと丸をかいた。丸の中へ点を二つうって眼をつける。真中へ小鼻の開いた鼻をかいて、真一文字に口を横へ引張った、これでは文章でも俳句でもない。主人も自分で愛想あいそが尽きたと見えて、そこそこに顔を塗り消してしまった。主人はまたぎょうを改める。彼の考によると行さえ改めれば詩か賛か語か録かなんかになるだろうとただあてもなく考えているらしい。やがて「天然居士は空間を研究し、論語を読み、焼芋やきいもを食い、鼻汁はなを垂らす人である」と言文一致体で一気呵成いっきかせいに書き流した、何となくごたごたした文章である。それから主人はこれを遠慮なく朗読して、いつになく「ハハハハ面白い」と笑ったが「鼻汁はなを垂らすのは、ちとこくだから消そう」とその句だけへ棒を引く。一本ですむところを二本引き三本引き、奇麗な併行線へいこうせんく、線がほかのぎょうまでみ出しても構わず引いている。線が八本並んでもあとの句が出来ないと見えて、今度は筆を捨ててひげひねって見る。文章を髭から捻り出して御覧に入れますと云う見幕けんまくで猛烈に捻ってはねじ上げ、ねじ下ろしているところへ、茶の間から妻君さいくんが出て来てぴたりと主人の鼻の先へわる。「あなたちょっと」と呼ぶ。「なんだ」と主人は水中で銅鑼どらたたくような声を出す。返事が気に入らないと見えて妻君はまた「あなたちょっと」と出直す。「なんだよ」と今度は鼻の穴へ親指と人さし指を入れて鼻毛をぐっと抜く。「今月はちっと足りませんが……」「足りんはずはない、医者へも薬礼はすましたし、本屋へも先月払ったじゃないか。今月は余らなければならん」とすまして抜き取った鼻毛を天下の奇観のごとくながめている。「それでもあなたが御飯を召し上らんで麺麭パン御食おたべになったり、ジャムを御舐おなめになるものですから」「元来ジャムは幾缶いくかん舐めたのかい」「今月は八つりましたよ」「八つ? そんなに舐めた覚えはない」「あなたばかりじゃありません、子供も舐めます」「いくら舐めたって五六円くらいなものだ」と主人は平気な顔で鼻毛を一本一本丁寧に原稿紙の上へ植付ける。肉が付いているのでぴんと針を立てたごとくに立つ。主人は思わぬ発見をして感じ入ったていで、ふっと吹いて見る。粘着力ねんちゃくりょくが強いので決して飛ばない。「いやに頑固がんこだな」と主人は一生懸命に吹く。「ジャムばかりじゃないんです、ほかに買わなけりゃ、ならない物もあります」と妻君はおおいに不平な気色けしきを両頬にみなぎらす。「あるかも知れないさ」と主人はまた指を突っ込んでぐいと鼻毛を抜く。赤いのや、黒いのや、種々の色がまじる中に一本真白なのがある。大に驚いた様子で穴のくほど眺めていた主人は指の股へ挟んだまま、その鼻毛を妻君の顔の前へ出す。「あら、いやだ」と妻君は顔をしかめて、主人の手を突き戻す。「ちょっと見ろ、鼻毛の白髪しらがだ」と主人は大に感動した様子である。さすがの妻君も笑いながら茶の間へ這入はいる。経済問題は断念したらしい。主人はまた天然居士てんねんこじに取りかかる。
 鼻毛で妻君を追払った主人は、まずこれで安心と云わぬばかりに鼻毛を抜いては原稿をかこうとあせていであるがなかなか筆は動かない。「焼芋を食う蛇足だそくだ、割愛かつあいしよう」とついにこの句も抹殺まっさつする。「香一※(「火+(麈-鹿)」、第3水準1-87-40)もあまり唐突とうとつだからめろ」と惜気もなく筆誅ひっちゅうする。余す所は「天然居士は空間を研究し論語を読む人である」と云う一句になってしまった。主人はこれでは何だか簡単過ぎるようだなと考えていたが、ええ面倒臭い、文章は御廃おはいしにして、銘だけにしろと、筆を十文字にふるって原稿紙の上へ下手な文人画の蘭を勢よくかく。せっかくの苦心も一字残らず落第となった。それから裏を返して「空間に生れ、空間をきわめ、空間に死す。空たり間たり天然居士てんねんこじああ」と意味不明な語をつらねているところへ例のごとく迷亭が這入はいって来る。迷亭は人のうちも自分の家も同じものと心得ているのか案内も乞わず、ずかずか上ってくる、のみならず時には勝手口から飄然ひょうぜんと舞い込む事もある、心配、遠慮、気兼きがね、苦労、を生れる時どこかへ振り落した男である。
「また巨人引力かね」と立ったまま主人に聞く。「そう、いつでも巨人引力ばかり書いてはおらんさ。天然居士の墓銘をせんしているところなんだ」と大袈裟おおげさな事を云う。「天然居士と云うなあやはり偶然童子のような戒名かね」と迷亭は不相変あいかわらず出鱈目でたらめを云う。「偶然童子と云うのもあるのかい」「なに有りゃしないがまずその見当けんとうだろうと思っていらあね」「偶然童子と云うのは僕の知ったものじゃないようだが天然居士と云うのは、君の知ってる男だぜ」「一体だれが天然居士なんて名を付けてすましているんだい」「例の曾呂崎そろさきの事だ。卒業して大学院へ這入って空間論と云う題目で研究していたが、あまり勉強し過ぎて腹膜炎で死んでしまった。曾呂崎はあれでも僕の親友なんだからな」「親友でもいいさ、決して悪いと云やしない。しかしその曾呂崎を天然居士に変化させたのは一体誰の所作しょさだい」「僕さ、僕がつけてやったんだ。元来坊主のつける戒名ほど俗なものは無いからな」と天然居士はよほどな名のように自慢する。迷亭は笑いながら「まあその墓碑銘ぼひめいと云う奴を見せ給え」と原稿を取り上げて「何だ……空間に生れ、空間をきわめ、空間に死す。空たり間たり天然居士ああ」と大きな声で読みあげる。「なるほどこりゃあい、天然居士相当のところだ」主人は嬉しそうに「善いだろう」と云う。「この墓銘ぼめい沢庵石たくあんいしり付けて本堂の裏手へ力石ちからいしのようにほうり出して置くんだね。でいいや、天然居士も浮かばれる訳だ」「僕もそうしようと思っているのさ」と主人は至極しごく真面目に答えたが「僕あちょっと失敬するよ、じき帰るから猫にでもからかっていてくれ給え」と迷亭の返事も待たず風然ふうぜんと出て行く。
 計らずも迷亭先生の接待掛りを命ぜられて無愛想ぶあいそな顔もしていられないから、ニャーニャーと愛嬌あいきょうを振りいてひざの上へあがって見た。すると迷亭は「イヨー大分だいぶふとったな、どれ」と無作法ぶさほうにも吾輩の襟髪えりがみつかんで宙へ釣るす。「あと足をこうぶら下げては、ねずみは取れそうもない、……どうです奥さんこの猫は鼠を捕りますかね」と吾輩ばかりでは不足だと見えて、隣りのへやの妻君に話しかける。「鼠どころじゃございません。御雑煮おぞうにを食べて踊りをおどるんですもの」と妻君は飛んだところで旧悪をあばく。吾輩は宙乗ちゅうのりをしながらも少々極りが悪かった。迷亭はまだ吾輩をおろしてくれない。「なるほど踊りでもおどりそうな顔だ。奥さんこの猫は油断のならない相好そうごうですぜ。むかしの草双紙くさぞうしにある猫又ねこまたに似ていますよ」と勝手な事を言いながら、しきりに細君さいくんに話しかける。細君は迷惑そうに針仕事の手をやめて座敷へ出てくる。
「どうも御退屈様、もう帰りましょう」と茶をえて迷亭の前へ出す。「どこへ行ったんですかね」「どこへ参るにも断わって行った事の無い男ですから分りかねますが、大方御医者へでも行ったんでしょう」「甘木さんですか、甘木さんもあんな病人につらまっちゃ災難ですな」「へえ」と細君は挨拶のしようもないと見えて簡単な答えをする。迷亭は一向いっこう頓着しない。「近頃はどうです、少しは胃の加減がいんですか」「いか悪いかとんと分りません、いくら甘木さんにかかったって、あんなにジャムばかりめては胃病の直る訳がないと思います」と細君は先刻せんこくの不平をあんに迷亭にらす。「そんなにジャムを甞めるんですかまるで小供のようですね」「ジャムばかりじゃないんで、この頃は胃病の薬だとか云って大根卸だいこおろしを無暗むやみに甞めますので……」「驚ろいたな」と迷亭は感嘆する。「何でも大根卸だいこおろしの中にはジヤスターゼが有るとか云う話しを新聞で読んでからです」「なるほどそれでジャムの損害をつぐなおうと云う趣向ですな。なかなか考えていらあハハハハ」と迷亭は細君のうったえを聞いておおいに愉快な気色けしきである。「この間などは赤ん坊にまで甞めさせまして……」「ジャムをですか」「いいえ大根卸だいこおろしを……あなた。坊や御父様がうまいものをやるからおいでてって、――たまに小供を可愛がってくれるかと思うとそんな馬鹿な事ばかりするんです。二三日前にさんちまえには中の娘を抱いて箪笥たんすの上へあげましてね……」「どう云う趣向がありました」と迷亭は何を聞いても趣向ずくめに解釈する。「なに趣向も何も有りゃしません、ただその上から飛び下りて見ろと云うんですわ、三つや四つの女の子ですもの、そんな御転婆おてんばな事が出来るはずがないです」「なるほどこりゃ趣向が無さ過ぎましたね。しかしあれで腹の中は毒のない善人ですよ」「あの上腹の中に毒があっちゃ、辛防しんぼうは出来ませんわ」と細君はおおい気焔きえんを揚げる。「まあそんなに不平を云わんでも善いでさあ。こうやって不足なくその日その日が暮らして行かれればじょうぶんですよ。苦沙弥君くしゃみくんなどは道楽はせず、服装にも構わず、地味に世帯向しょたいむきに出来上った人でさあ」と迷亭はがらにない説教を陽気な調子でやっている。「ところがあなた大違いで……」「何か内々でやりますかね。油断のならない世の中だからね」と飄然ひょうぜんとふわふわした返事をする。「ほかの道楽はないですが、無暗むやみに読みもしない本ばかり買いましてね。それも善い加減に見計みはからって買ってくれると善いんですけれど、勝手に丸善へ行っちゃ何冊でも取って来て、月末になると知らん顔をしているんですもの、去年の暮なんか、月々のがたまって大変困りました」「なあに書物なんか取って来るだけ取って来て構わんですよ。払いをとりに来たら今にやる今にやると云っていりゃ帰ってしまいまさあ」「それでも、そういつまでも引張る訳にも参りませんから」と妻君は憮然ぶぜんとしている。「それじゃ、訳を話して書籍費しょじゃくひを削減させるさ」「どうして、そんなことを云ったって、なかなか聞くものですか、この間などは貴様は学者のさいにも似合わん、ごう書籍しょじゃくの価値を解しておらん、むか羅馬ローマにこう云う話しがある。後学のため聞いておけと云うんです」「そりゃ面白い、どんな話しですか」迷亭は乗気になる。細君に同情を表しているというよりむしろ好奇心にられている。「何んでも昔し羅馬ローマ樽金たるきんとか云う王様があって……」「樽金たるきん? 樽金はちと妙ですぜ」「私は唐人とうじんの名なんかむずかしくて覚えられませんわ。何でも七代目なんだそうです」「なるほど七代目樽金は妙ですな。ふんその七代目樽金がどうかしましたかい」「あら、あなたまで冷かしては立つ瀬がありませんわ。知っていらっしゃるなら教えて下さればいいじゃありませんか、人の悪い」と、細君は迷亭へ食って掛る。「何冷かすなんて、そんな人の悪い事をする僕じゃない。ただ七代目樽金はふるってると思ってね……ええお待ちなさいよ羅馬ローマの七代目の王様ですね、こうっとたしかには覚えていないがタークイン・ゼ・プラウドの事でしょう。まあ誰でもいい、その王様がどうしました」「その王様の所へ一人の女が本を九冊持って来て買ってくれないかと云ったんだそうです」「なるほど」「王様がいくらなら売るといって聞いたら大変な高い事を云うんですって、あまり高いもんだから少し負けないかと云うとその女がいきなり九冊の内の三冊を火にくべていてしまったそうです」「惜しい事をしましたな」「その本の内には予言か何かほかで見られない事が書いてあるんですって」「へえー」「王様は九冊が六冊になったから少しはも減ったろうと思って六冊でいくらだと聞くと、やはり元の通り一文も引かないそうです、それは乱暴だと云うと、その女はまた三冊をとって火にくべたそうです。王様はまだ未練があったと見えて、余った三冊をいくらで売ると聞くと、やはり九冊分のねだんをくれと云うそうです。九冊が六冊になり、六冊が三冊になっても代価は、元の通り一厘も引かない、それを引かせようとすると、残ってる三冊も火にくべるかも知れないので、王様はとうとう高い御金を出してあまりの三冊を買ったんですって……どうだこの話しで少しは書物のありがたが分ったろう、どうだと力味りきむのですけれど、私にゃ何がありがたいんだか、まあ分りませんね」と細君は一家の見識を立てて迷亭の返答をうながす。さすがの迷亭も少々窮したと見えて、たもとからハンケチを出して吾輩をじゃらしていたが「しかし奥さん」と急に何か考えついたように大きな声を出す。「あんなに本を買って矢鱈やたらに詰め込むものだから人から少しは学者だとか何とか云われるんですよ。この間ある文学雑誌を見たら苦沙弥君くしゃみくんの評が出ていましたよ」「ほんとに?」と細君は向き直る。主人の評判が気にかかるのは、やはり夫婦と見える。「何とかいてあったんです」「なあに二三行ばかりですがね。苦沙弥君の文は行雲流水こううんりゅうすいのごとしとありましたよ」細君は少しにこにこして「それぎりですか」「その次にね――出ずるかと思えばたちまち消え、いてはとこしなえに帰るを忘るとありましたよ」細君は妙な顔をして「めたんでしょうか」と心元ない調子である。「まあ賞めた方でしょうな」と迷亭は済ましてハンケチを吾輩の眼の前にぶら下げる。「書物は商買道具で仕方もござんすまいが、よっぽど偏屈へんくつでしてねえ」迷亭はまた別途の方面から来たなと思って「偏屈は少々偏屈ですね、学問をするものはどうせあんなですよ」と調子を合わせるような弁護をするような不即不離の妙答をする。「せんだってなどは学校から帰ってすぐわきへ出るのに着物を着換えるのが面倒だものですから、あなた外套がいとうも脱がないで、机へ腰を掛けて御飯を食べるのです。御膳おぜん火燵櫓こたつやぐらの上へ乗せまして――私は御櫃おはちかかえて坐っておりましたがおかしくって……」「何だかハイカラの首実検のようですな。しかしそんなところが苦沙弥君の苦沙弥君たるところで――とにかく月並つきなみでない」とせつないめ方をする。「月並か月並でないか女には分りませんが、なんぼ何でも、あまり乱暴ですわ」「しかし月並より好いですよ」と無暗に加勢すると細君は不満な様子で「一体、月並月並と皆さんが、よくおっしゃいますが、どんなのが月並なんです」と開き直って月並の定義を質問する、「月並ですか、月並と云うと――さようちと説明しにくいのですが……」「そんな曖昧あいまいなものなら月並だって好さそうなものじゃありませんか」と細君は女人にょにん一流の論理法で詰め寄せる。「曖昧じゃありませんよ、ちゃんと分っています、ただ説明しにくいだけの事でさあ」「何でも自分の嫌いな事を月並と云うんでしょう」と細君はわれ知らず穿うがった事を云う。迷亭もこうなると何とか月並の処置を付けなければならぬ仕儀となる。「奥さん、月並と云うのはね、まず年は二八か二九からぬ言わず語らず物思いあいだに寝転んでいて、この日や天気晴朗とくると必ず一瓢を携えて墨堤に遊ぶ連中れんじゅうを云うんです」「そんな連中があるでしょうか」と細君は分らんものだからいい加減な挨拶をする。「何だかごたごたして私には分りませんわ」とついにを折る。「それじゃ馬琴ばきんの胴へメジョオ・ペンデニスの首をつけて一二年欧州の空気で包んでおくんですね」「そうすると月並が出来るでしょうか」迷亭は返事をしないで笑っている。「何そんな手数てすうのかかる事をしないでも出来ます。中学校の生徒に白木屋の番頭を加えて二で割ると立派な月並が出来上ります」「そうでしょうか」と細君は首をひねったまま納得なっとくし兼ねたと云う風情ふぜいに見える。
「君まだいるのか」と主人はいつのにやら帰って来て迷亭のそばわる。「まだいるのかはちとこくだな、すぐ帰るから待ってい給えと言ったじゃないか」「万事あれなんですもの」と細君は迷亭をかえりみる。「今君の留守中に君の逸話を残らず聞いてしまったぜ」「女はとかく多弁でいかん、人間もこの猫くらい沈黙を守るといいがな」と主人は吾輩の頭をでてくれる。「君は赤ん坊に大根卸だいこおろしをめさしたそうだな」「ふむ」と主人は笑ったが「赤ん坊でも近頃の赤ん坊はなかなか利口だぜ。それ以来、坊やからいのはどこと聞くときっと舌を出すから妙だ」「まるで犬に芸を仕込む気でいるから残酷だ。時に寒月かんげつはもう来そうなものだな」「寒月が来るのかい」と主人は不審な顔をする。「来るんだ。午後一時までに苦沙弥くしゃみうちへ来いと端書はがきを出しておいたから」「人の都合も聞かんで勝手な事をする男だ。寒月を呼んで何をするんだい」「なあに今日のはこっちの趣向じゃない寒月先生自身の要求さ。先生何でも理学協会で演説をするとか云うのでね。その稽古をやるから僕に聴いてくれと云うから、そりゃちょうどいい苦沙弥にも聞かしてやろうと云うのでね。そこで君のうちへ呼ぶ事にしておいたのさ――なあに君はひま人だからちょうどいいやね――差支さしつかえなんぞある男じゃない、聞くがいいさ」と迷亭はひとりで呑み込んでいる。「物理学の演説なんか僕にゃ分らん」と主人は少々迷亭の専断せんだんいきどおったもののごとくに云う。「ところがその問題がマグネ付けられたノッズルについてなどと云う乾燥無味なものじゃないんだ。首縊りの力学と云う脱俗超凡だつぞくちょうぼんな演題なのだから傾聴する価値があるさ」「君は首をくくくなった男だから傾聴するが好いが僕なんざあ……」「歌舞伎座で悪寒おかんがするくらいの人間だから聞かれないと云う結論は出そうもないぜ」と例のごとく軽口を叩く。妻君はホホと笑って主人をかえりみながら次の間へ退く。主人は無言のまま吾輩の頭をでる。この時のみは非常に丁寧な撫で方であった。
 それから約七分くらいすると注文通り寒月君が来る。今日は晩に演舌えんぜつをするというので例になく立派なフロックを着て、洗濯し立ての白襟カラーそびやかして、男振りを二割方上げて、「少しおくれまして」と落ちつき払って、挨拶をする。「さっきから二人で大待ちに待ったところなんだ。早速願おう、なあ君」と主人を見る。主人もやむを得ず「うむ」と生返事なまへんじをする。寒月君はいそがない。「コップへ水を一杯頂戴しましょう」と云う。「いよー本式にやるのか次には拍手の請求とおいでなさるだろう」と迷亭は独りで騒ぎ立てる。寒月君は内隠うちがくしから草稿を取り出しておもむろに「稽古ですから、御遠慮なく御批評を願います」と前置をして、いよいよ演舌の御浚おさらいを始める。
「罪人を絞罪こうざいの刑に処すると云う事はおもにアングロサクソン民族間に行われた方法でありまして、それより古代にさかのぼって考えますと首縊くびくくりは重に自殺の方法として行われた者であります。猶太人中ユダヤじんちゅうっては罪人を石をげつけて殺す習慣であったそうでございます。旧約全書を研究して見ますといわゆるハンギングなる語は罪人の死体を釣るして野獣または肉食鳥の餌食えじきとする意義と認められます。ヘロドタスの説に従って見ますと猶太人ユダヤじんはエジプトを去る以前から夜中やちゅう死骸をさらされることを痛くみ嫌ったように思われます。エジプト人は罪人の首を斬って胴だけを十字架に釘付くぎづけにして夜中曝し物にしたそうで御座います。波斯人ペルシャじんは……」「寒月君首縊りと縁がだんだん遠くなるようだが大丈夫かい」と迷亭が口を入れる。「これから本論に這入はいるところですから、少々御辛防ごしんぼうを願います。……さて波斯人はどうかと申しますとこれもやはり処刑にははりつけを用いたようでございます。但し生きているうちに張付はりつけに致したものか、死んでから釘を打ったものかそのへんはちと分りかねます……」「そんな事は分らんでもいいさ」と主人は退屈そうに欠伸あくびをする。「まだいろいろ御話し致したい事もございますが、御迷惑であらっしゃいましょうから……」「あらっしゃいましょうより、いらっしゃいましょうの方が聞きいいよ、ねえ苦沙弥君くしゃみくん」とまた迷亭がとがだてをすると主人は「どっちでも同じ事だ」と気のない返事をする。「さていよいよ本題に入りまして弁じます」「弁じますなんか講釈師の云い草だ。演舌家はもっと上品なことばを使って貰いたいね」と迷亭先生またぜ返す。「弁じますが下品なら何と云ったらいいでしょう」と寒月君は少々むっとした調子で問いかける。「迷亭のは聴いているのか、ぜ返しているのか判然しない。寒月君そんな弥次馬やじうまに構わず、さっさとやるが好い」と主人はなるべく早く難関を切り抜けようとする。「むっとして弁じましたる柳かな、かね」と迷亭はあいかわらず飄然ひょうぜんたる事を云う。寒月は思わず吹き出す。「真に処刑として絞殺を用いましたのは、私の調べました結果によりますると、オディセーの二十二巻目に出ております。すなわのテレマカスがペネロピーの十二人の侍女を絞殺するというくだりでございます。希臘語ギリシャごで本文を朗読してもよろしゅうございますが、ちとてらうような気味にもなりますからやめに致します。四百六十五行から、四百七十三行を御覧になると分ります」「希臘語云々うんぬんはよした方がいい、さも希臘語が出来ますと云わんばかりだ、ねえ苦沙弥君」「それは僕も賛成だ、そんな物欲しそうな事は言わん方が奥床おくゆかしくて好い」と主人はいつになく直ちに迷亭に加担する。両人りょうにんごうも希臘語が読めないのである。「それではこの両三句は今晩抜く事に致しまして次を弁じ――ええ申し上げます。
 この絞殺を今から想像して見ますと、これを執行するに二つの方法があります。第一は、のテレマカスがユーミアス及びフ※(小書き片仮名ヒ、1-6-84)リーシャスのたすけりて縄の一端を柱へくくりつけます。そしてその縄の所々へ結び目を穴に開けてこの穴へ女の頭を一つずつ入れておいて、片方のはじをぐいと引張って釣し上げたものと見るのです」「つまり西洋洗濯屋のシャツのように女がぶら下ったと見れば好いんだろう」「その通りで、それから第二は縄の一端を前のごとく柱へくくり付けて他の一端も始めから天井へ高く釣るのです。そしてその高い縄から何本か別の縄を下げて、それに結び目の輪になったのを付けて女のくびを入れておいて、いざと云う時に女の足台を取りはずすと云う趣向なのです」「たとえて云うと縄暖簾なわのれんの先へ提灯玉ちょうちんだまを釣したような景色けしきと思えば間違はあるまい」「提灯玉と云う玉は見た事がないから何とも申されませんが、もしあるとすればそのへんのところかと思います。――それでこれから力学的に第一の場合は到底成立すべきものでないと云う事を証拠立てて御覧に入れます」「面白いな」と迷亭が云うと「うん面白い」と主人も一致する。
「まず女が同距離に釣られると仮定します。また一番地面に近い二人の女の首と首をつないでいる縄はホリゾンタルと仮定します。そこでαα……αを縄が地平線と形づくる角度とし、T2……Tを縄の各部が受ける力と見做みなし、T=Xは縄のもっとも低い部分の受ける力とします。Wは勿論もちろん女の体重と御承知下さい。どうです御分りになりましたか」
 迷亭と主人は顔を見合せて「大抵分った」と云う。但しこの大抵と云う度合は両人りょうにんが勝手に作ったのだから他人の場合には応用が出来ないかも知れない。「さて多角形に関する御存じの平均性理論によりますと、しものごとく十二の方程式が立ちます。T1cosα1=T2cosα2…… (1) T2cosα2=T3cosα3…… (2) ……」「方程式はそのくらいで沢山だろう」と主人は乱暴な事を云う。「実はこの式が演説の首脳なんですが」と寒月君ははなはだ残り惜し気に見える。「それじゃ首脳だけはって伺う事にしようじゃないか」と迷亭も少々恐縮のていに見受けられる。「この式を略してしまうとせっかくの力学的研究がまるで駄目になるのですが……」「何そんな遠慮はいらんから、ずんずん略すさ……」と主人は平気で云う。「それでは仰せに従って、無理ですが略しましょう」「それがよかろう」と迷亭が妙なところで手をぱちぱちと叩く。
「それから英国へ移って論じますと、ベオウルフの中に絞首架こうしゅかすなわちガルガと申す字が見えますから絞罪の刑はこの時代から行われたものに違ないと思われます。ブラクストーンの説によるともし絞罪に処せられる罪人が、万一縄の具合で死に切れぬ時は再度ふたたび同様の刑罰を受くべきものだとしてありますが、妙な事にはピヤース・プローマンの中には仮令たとい兇漢でも二度める法はないと云う句があるのです。まあどっちが本当か知りませんが、悪くすると一度で死ねない事が往々実例にあるので。千七百八十六年に有名なフ※(小書き片仮名ヒ、1-6-84)ツ・ゼラルドと云う悪漢を絞めた事がありました。ところが妙なはずみで一度目には台から飛び降りるときに縄が切れてしまったのです。またやり直すと今度は縄が長過ぎて足が地面へ着いたのでやはり死ねなかったのです。とうとう三返目に見物人が手伝って往生おうじょうさしたと云う話しです」「やれやれ」と迷亭はこんなところへくると急に元気が出る。「本当に死にぞこないだな」と主人まで浮かれ出す。「まだ面白い事があります首をくくるとせい一寸いっすんばかり延びるそうです。これはたしかに医者が計って見たのだから間違はありません」「それは新工夫だね、どうだい苦沙弥くしゃみなどはちと釣って貰っちゃあ、一寸延びたら人間並になるかも知れないぜ」と迷亭が主人の方を向くと、主人は案外真面目で「寒月君、一寸くらいせいが延びて生き返る事があるだろうか」と聞く。「それは駄目にきまっています。釣られて脊髄せきずいが延びるからなんで、早く云うと背が延びると云うよりこわれるんですからね」「それじゃ、まあめよう」と主人は断念する。
 演説の続きは、まだなかなか長くあって寒月君は首縊りの生理作用にまで論及するはずでいたが、迷亭が無暗に風来坊ふうらいぼうのような珍語をはさむのと、主人が時々遠慮なく欠伸あくびをするので、ついに中途でやめて帰ってしまった。その晩は寒月君がいかなる態度で、いかなる雄弁をふるったか遠方で起った出来事の事だから吾輩には知れよう訳がない。
 二三日にさんちは事もなく過ぎたが、或る日の午後二時頃また迷亭先生は例のごとく空々くうくうとして偶然童子のごとく舞い込んで来た。座に着くと、いきなり「君、越智東風おちとうふう高輪事件たかなわじけんを聞いたかい」と旅順陥落の号外を知らせに来たほどの勢を示す。「知らん、近頃はわんから」と主人は平生いつもの通り陰気である。「きょうはその東風子とうふうしの失策物語を御報道に及ぼうと思って忙しいところをわざわざ来たんだよ」「またそんな仰山ぎょうさんな事を云う、君は全体不埒ふらちな男だ」「ハハハハハ不埒と云わんよりむしろ無埒むらちの方だろう。それだけはちょっと区別しておいて貰わんと名誉に関係するからな」「おんなし事だ」と主人はうそぶいている。純然たる天然居士の再来だ。「この前の日曜に東風子とうふうし高輪泉岳寺たかなわせんがくじに行ったんだそうだ。この寒いのによせばいいのに――第一今時いまどき泉岳寺などへ参るのはさも東京を知らない、田舎者いなかもののようじゃないか」「それは東風の勝手さ。君がそれを留める権利はない」「なるほど権利はまさにない。権利はどうでもいいが、あの寺内に義士遺物保存会と云う見世物があるだろう。君知ってるか」「うんにゃ」「知らない? だって泉岳寺へ行った事はあるだろう」「いいや」「ない? こりゃ驚ろいた。道理で大変東風を弁護すると思った。江戸っ子が泉岳寺を知らないのはなさけない」「知らなくても教師はつとまるからな」と主人はいよいよ天然居士になる。「そりゃ好いが、その展覧場へ東風が這入はいって見物していると、そこへ独逸人ドイツじんが夫婦づれで来たんだって。それが最初は日本語で東風に何か質問したそうだ。ところが先生例の通り独逸語が使って見たくてたまらん男だろう。そら二口三口べらべらやって見たとさ。すると存外うまく出来たんだ――あとで考えるとそれがわざわいもとさね」「それからどうした」と主人はついに釣り込まれる。「独逸人が大鷹源吾おおたかげんご蒔絵まきえ印籠いんろうを見て、これを買いたいが売ってくれるだろうかと聞くんだそうだ。その時東風の返事が面白いじゃないか、日本人は清廉の君子くんしばかりだから到底とうてい駄目だと云ったんだとさ。その辺は大分だいぶ景気がよかったが、それから独逸人の方では恰好かっこうな通弁を得たつもりでしきりに聞くそうだ」「何を?」「それがさ、何だか分るくらいなら心配はないんだが、早口で無暗むやみに問い掛けるものだから少しも要領を得ないのさ。たまに分るかと思うと鳶口とびぐち掛矢の事を聞かれる。西洋の鳶口や掛矢は先生何と翻訳して善いのか習った事が無いんだからわらあね」「もっともだ」と主人は教師の身の上に引きくらべて同情を表する。「ところへ閑人ひまじんが物珍しそうにぽつぽつ集ってくる。仕舞しまいには東風と独逸人を四方から取り巻いて見物する。東風は顔を赤くしてへどもどする。初めの勢に引きえて先生大弱りのていさ」「結局どうなったんだい」「仕舞に東風が我慢出来なくなったと見えてさいならと日本語で云ってぐんぐん帰って来たそうだ、さいならは少し変だ君の国ではさよならさいならと云うかって聞いて見たら何やっぱりさよならですが相手が西洋人だから調和を計るために、さいならにしたんだって、東風子は苦しい時でも調和を忘れない男だと感心した」「さいならはいいが西洋人はどうした」「西洋人はあっけに取られて茫然ぼうぜんと見ていたそうだハハハハ面白いじゃないか」「別段面白い事もないようだ。それをわざわざ報知しらせに来る君の方がよっぽど面白いぜ」と主人は巻煙草まきたばこの灰を火桶ひおけの中へはたき落す。折柄おりから格子戸のベルが飛び上るほど鳴って「御免なさい」と鋭どい女の声がする。迷亭と主人は思わず顔を見合わせて沈黙する。
 主人のうちへ女客は稀有けうだなと見ていると、かの鋭どい声の所有主は縮緬ちりめんの二枚重ねを畳へり付けながら這入はいって来る。年は四十の上を少ししたくらいだろう。抜け上ったぎわから前髪が堤防工事のように高くそびえて、少なくとも顔の長さの二分の一だけ天に向ってせり出している。眼が切り通しの坂くらいな勾配こうばいで、直線に釣るし上げられて左右に対立する。直線とはくじらより細いという形容である。鼻だけは無暗に大きい。人の鼻を盗んで来て顔の真中へえ付けたように見える。三坪ほどの小庭へ招魂社しょうこんしゃ石灯籠いしどうろうを移した時のごとく、ひとりで幅を利かしているが、何となく落ちつかない。その鼻はいわゆる鍵鼻かぎばなで、ひとたびは精一杯高くなって見たが、これではあんまりだと中途から謙遜けんそんして、先の方へ行くと、初めの勢に似ず垂れかかって、下にある唇をのぞき込んでいる。かくいちじるしい鼻だから、この女が物を言うときは口が物を言うと云わんより、鼻が口をきいているとしか思われない。吾輩はこの偉大なる鼻に敬意を表するため、以来はこの女を称して鼻子はなこ鼻子と呼ぶつもりである。鼻子は先ず初対面の挨拶を終って「どうも結構な御住居おすまいですこと」と座敷中をめ廻わす。主人は「嘘をつけ」と腹の中で言ったまま、ぷかぷか煙草たばこをふかす。迷亭は天井を見ながら「君、ありゃ雨洩あまもりか、板の木目もくめか、妙な模様が出ているぜ」と暗に主人をうながす。「無論雨の洩りさ」と主人が答えると「結構だなあ」と迷亭がすまして云う。鼻子は社交を知らぬ人達だと腹の中でいきどおる。しばらくは三人鼎坐ていざのまま無言である。
「ちと伺いたい事があって、参ったんですが」と鼻子は再び話の口を切る。「はあ」と主人が極めて冷淡に受ける。これではならぬと鼻子は、「実は私はつい御近所で――あの向う横丁の角屋敷かどやしきなんですが」「あの大きな西洋館の倉のあるうちですか、道理であすこには金田かねだと云う標札ひょうさつが出ていますな」と主人はようやく金田の西洋館と、金田の倉を認識したようだが金田夫人に対する尊敬の度合どあいは前と同様である。「実は宿やどが出まして、御話を伺うんですが会社の方が大変忙がしいもんですから」と今度は少しいたろうという眼付をする。主人は一向いっこう動じない。鼻子の先刻さっきからの言葉遣いが初対面の女としてはあまり存在ぞんざい過ぎるのですでに不平なのである。「会社でも一つじゃ無いんです、二つも三つも兼ねているんです。それにどの会社でも重役なんで――多分御存知でしょうが」これでも恐れ入らぬかと云う顔付をする。元来ここの主人は博士とか大学教授とかいうと非常に恐縮する男であるが、妙な事には実業家に対する尊敬の度は極めて低い。実業家よりも中学校の先生の方がえらいと信じている。よし信じておらんでも、融通の利かぬ性質として、到底実業家、金満家の恩顧をこうむる事は覚束おぼつかないとあきらめている。いくら先方が勢力家でも、財産家でも、自分が世話になる見込のないと思い切った人の利害には極めて無頓着である。それだから学者社会を除いて他の方面の事には極めて迂濶うかつで、ことに実業界などでは、どこに、だれが何をしているか一向知らん。知っても尊敬畏服の念はごうも起らんのである。鼻子の方ではあめしたの一隅にこんな変人がやはり日光に照らされて生活していようとは夢にも知らない。今まで世の中の人間にも大分だいぶ接して見たが、金田のさいですと名乗って、急に取扱いの変らない場合はない、どこの会へ出ても、どんな身分の高い人の前でも立派に金田夫人で通して行かれる、いわんやこんなくすぶり返った老書生においてをやで、わたしうちは向う横丁の角屋敷かどやしきですとさえ云えば職業などは聞かぬ先から驚くだろうと予期していたのである。
「金田って人を知ってるか」と主人は無雑作むぞうさに迷亭に聞く。「知ってるとも、金田さんは僕の伯父の友達だ。この間なんざ園遊会へおいでになった」と迷亭は真面目な返事をする。「へえ、君の伯父さんてえな誰だい」「牧山男爵まきやまだんしゃくさ」と迷亭はいよいよ真面目である。主人が何か云おうとして云わぬ先に、鼻子は急に向き直って迷亭の方を見る。迷亭は大島紬おおしまつむぎ古渡更紗こわたりさらさか何か重ねてすましている。「おや、あなたが牧山様の――何でいらっしゃいますか、ちっとも存じませんで、はなはだ失礼を致しました。牧山様には始終御世話になると、宿やどで毎々御噂おうわさを致しております」と急に叮嚀ていねいな言葉使をして、おまけに御辞儀までする、迷亭は「へええ何、ハハハハ」と笑っている。主人はあっに取られて無言で二人を見ている。「たしか娘の縁辺えんぺんの事につきましてもいろいろ牧山さまへ御心配を願いましたそうで……」「へえー、そうですか」とこればかりは迷亭にもちと唐突とうとつ過ぎたと見えてちょっと魂消たまげたような声を出す。「実は方々からくれくれと申し込はございますが、こちらの身分もあるものでございますから、滅多めったとこへも片付けられませんので……」「ごもっともで」と迷亭はようやく安心する。「それについて、あなたに伺おうと思って上がったんですがね」と鼻子は主人の方を見て急に存在ぞんざいな言葉に返る。「あなたの所へ水島寒月みずしまかんげつという男が度々たびたび上がるそうですが、あの人は全体どんな風な人でしょう」「寒月の事を聞いて、なんにするんです」と主人は苦々にがにがしく云う。「やはり御令嬢の御婚儀上の関係で、寒月君の性行せいこう一斑いっぱんを御承知になりたいという訳でしょう」と迷亭が気転をかす。「それが伺えれば大変都合がよろしいのでございますが……」「それじゃ、御令嬢を寒月におやりになりたいとおっしゃるんで」「やりたいなんてえんじゃ無いんです」と鼻子は急に主人を参らせる。「ほかにもだんだん口が有るんですから、無理に貰っていただかないだって困りゃしません」「それじゃ寒月の事なんか聞かんでも好いでしょう」と主人も躍起やっきとなる。「しかし御隠しなさる訳もないでしょう」と鼻子も少々喧嘩腰になる。迷亭は双方の間に坐って、銀煙管ぎんぎせる軍配団扇ぐんばいうちわのように持って、心のうち八卦はっけよいやよいやと怒鳴っている。「じゃあ寒月の方で是非貰いたいとでも云ったのですか」と主人が正面から鉄砲をくらわせる。「貰いたいと云ったんじゃないんですけれども……」「貰いたいだろうと思っていらっしゃるんですか」と主人はこの婦人鉄砲に限るとさとったらしい。「話しはそんなに運んでるんじゃありませんが――寒月さんだって満更まんざら嬉しくない事もないでしょう」と土俵際で持ち直す。「寒月が何かその御令嬢に恋着れんちゃくしたというような事でもありますか」あるなら云って見ろと云う権幕けんまくで主人はり返る。「まあ、そんな見当けんとうでしょうね」今度は主人の鉄砲が少しも功を奏しない。今まで面白気おもしろげ行司ぎょうじ気取りで見物していた迷亭も鼻子の一言いちごんに好奇心を挑撥ちょうはつされたものと見えて、煙管きせるを置いて前へ乗り出す。「寒月が御嬢さんにぶみでもしたんですか、こりゃ愉快だ、新年になって逸話がまた一つえて話しの好材料になる」と一人で喜んでいる。「付け文じゃないんです、もっと烈しいんでさあ、御二人とも御承知じゃありませんか」と鼻子はおつにからまって来る。「君知ってるか」と主人は狐付きのような顔をして迷亭に聞く。迷亭も馬鹿気ばかげた調子で「僕は知らん、知っていりゃ君だ」とつまらんところで謙遜けんそんする。「いえ御両人共おふたりとも御存じの事ですよ」と鼻子だけ大得意である。「へえー」と御両人は一度に感じ入る。「御忘れになったらわたしから御話をしましょう。去年の暮向島の阿部さんの御屋敷で演奏会があって寒月さんも出掛けたじゃありませんか、その晩帰りに吾妻橋あずまばしで何かあったでしょう――詳しい事は言いますまい、当人の御迷惑になるかも知れませんから――あれだけの証拠がありゃ充分だと思いますが、どんなものでしょう」と金剛石ダイヤ入りの指環のはまった指を、膝の上へならべて、つんと居ずまいを直す。偉大なる鼻がますます異彩を放って、迷亭も主人も有れども無きがごとき有様である。
 主人は無論、さすがの迷亭もこの不意撃ふいうちにはきもを抜かれたものと見えて、しばらくは呆然ぼうぜんとしておこりの落ちた病人のように坐っていたが、驚愕きょうがくたががゆるんでだんだん持前の本態に復すると共に、滑稽と云う感じが一度に吶喊とっかんしてくる。両人ふたりは申し合せたごとく「ハハハハハ」と笑い崩れる。鼻子ばかりは少し当てがはずれて、この際笑うのははなはだ失礼だと両人をにらみつける。「あれが御嬢さんですか、なるほどこりゃいい、おっしゃる通りだ、ねえ苦沙弥くしゃみ君、全く寒月はお嬢さんをおもってるに相違ないね……もう隠したってしようがないから白状しようじゃないか」「ウフン」と主人は云ったままである。「本当に御隠しなさってもいけませんよ、ちゃんと種は上ってるんですからね」と鼻子はまた得意になる。「こうなりゃ仕方がない。何でも寒月君に関する事実は御参考のために陳述するさ、おい苦沙弥君、君が主人だのに、そう、にやにや笑っていてはらちがあかんじゃないか、実に秘密というものは恐ろしいものだねえ。いくら隠しても、どこからか露見ろけんするからな。――しかし不思議と云えば不思議ですねえ、金田の奥さん、どうしてこの秘密を御探知になったんです、実に驚ろきますな」と迷亭は一人で喋舌しゃべる。「わたしの方だって、ぬかりはありませんやね」と鼻子はしたり顔をする。「あんまり、ぬかりが無さ過ぎるようですぜ。一体誰に御聞きになったんです」「じきこの裏にいる車屋のかみさんからです」「あの黒猫のいる車屋ですか」と主人は眼を丸くする。「ええ、寒月さんの事じゃ、よっぽど使いましたよ。寒月さんが、ここへ来る度に、どんな話しをするかと思って車屋の神さんを頼んで一々知らせて貰うんです」「そりゃひどい」と主人は大きな声を出す。「なあに、あなたが何をなさろうとおっしゃろうと、それに構ってるんじゃないんです。寒月さんの事だけですよ」「寒月の事だって、誰の事だって――全体あの車屋の神さんは気に食わん奴だ」と主人は一人おこり出す。「しかしあなたの垣根のそとへ来て立っているのは向うの勝手じゃありませんか、話しが聞えてわるけりゃもっと小さい声でなさるか、もっと大きなうちへ御這入おはいんなさるがいいでしょう」と鼻子は少しも赤面した様子がない。「車屋ばかりじゃありません。新道しんみち二絃琴にげんきんの師匠からも大分だいぶいろいろな事を聞いています」「寒月の事をですか」「寒月さんばかりの事じゃありません」と少しすごい事を云う。主人は恐れ入るかと思うと「あの師匠はいやに上品ぶって自分だけ人間らしい顔をしている、馬鹿野郎です」「はばかさま、女ですよ。野郎は御門違おかどちがいです」と鼻子の言葉使いはますます御里おさとをあらわして来る。これではまるで喧嘩をしに来たようなものであるが、そこへ行くと迷亭はやはり迷亭でこの談判を面白そうに聞いている。鉄枴仙人てっかいせんにん軍鶏しゃも蹴合けあいを見るような顔をして平気で聞いている。
 悪口あっこうの交換では到底鼻子の敵でないと自覚した主人は、しばらく沈黙を守るのやむを得ざるに至らしめられていたが、ようやく思い付いたか「あなたは寒月の方から御嬢さんに恋着したようにばかりおっしゃるが、わたしの聞いたんじゃ、少し違いますぜ、ねえ迷亭君」と迷亭の救いを求める。「うん、あの時の話しじゃ御嬢さんの方が、始め病気になって――何だか譫語うわごとをいったように聞いたね」「なにそんな事はありません」と金田夫人は判然たる直線流の言葉使いをする。「それでも寒月はたしかに○○博士の夫人から聞いたと云っていましたぜ」「それがこっちの手なんでさあ、○○博士の奥さんを頼んで寒月さんの気を引いて見たんでさあね」「○○の奥さんは、それを承知で引き受けたんですか」「ええ。引き受けて貰うたって、ただじゃ出来ませんやね、それやこれやでいろいろ物を使っているんですから」「是非寒月君の事を根堀り葉堀り御聞きにならなくっちゃ御帰りにならないと云う決心ですかね」と迷亭も少し気持を悪くしたと見えて、いつになく手障てざわりのあらい言葉を使う。「いいや君、話したって損の行く事じゃなし、話そうじゃないか苦沙弥君――奥さん、わたしでも苦沙弥でも寒月君に関する事実で差支さしつかえのない事は、みんな話しますからね、――そう、順を立ててだんだん聞いて下さると都合がいいですね」
 鼻子はようやく納得なっとくしてそろそろ質問を呈出する。一時荒立てた言葉使いも迷亭に対してはまたもとのごとく叮嚀になる。「寒月さんも理学士だそうですが、全体どんな事を専門にしているのでございます」「大学院では地球の磁気の研究をやっています」と主人が真面目に答える。不幸にしてその意味が鼻子には分らんものだから「へえー」とは云ったが怪訝けげんな顔をしている。「それを勉強すると博士になれましょうか」と聞く。「博士にならなければやれないとおっしゃるんですか」と主人は不愉快そうに尋ねる。「ええ。ただの学士じゃね、いくらでもありますからね」と鼻子は平気で答える。主人は迷亭を見ていよいよいやな顔をする。「博士になるかならんかは僕等も保証する事が出来んから、ほかの事を聞いていただく事にしよう」と迷亭もあまり好い機嫌ではない。「近頃でもその地球の――何かを勉強しているんでございましょうか」「二三日前にさんちまえ首縊りの力学と云う研究の結果を理学協会で演説しました」と主人は何の気も付かずに云う。「おやいやだ、首縊りだなんて、よっぽど変人ですねえ。そんな首縊りや何かやってたんじゃ、とても博士にはなれますまいね」「本人が首をくくっちゃあむずかしいですが、首縊りの力学なら成れないとも限らんです」「そうでしょうか」と今度は主人の方を見て顔色をうかがう。悲しい事に力学と云う意味がわからんので落ちつきかねている。しかしこれしきの事を尋ねては金田夫人の面目に関すると思ってか、ただ相手の顔色で八卦はっけを立てて見る。主人の顔は渋い。「そのほかになにか、分りやすいものを勉強しておりますまいか」「そうですな、せんだって団栗のスタビリチーを論じて併せて天体の運行に及ぶと云う論文を書いた事があります」「団栗どんぐりなんぞでも大学校で勉強するものでしょうか」「さあ僕も素人しろうとだからよく分らんが、何しろ、寒月君がやるくらいなんだから、研究する価値があると見えますな」と迷亭はすまして冷かす。鼻子は学問上の質問は手に合わんと断念したものと見えて、今度は話題を転ずる。「御話は違いますが――この御正月に椎茸しいたけを食べて前歯を二枚折ったそうじゃございませんか」「ええその欠けたところに空也餅くうやもちがくっ付いていましてね」と迷亭はこの質問こそ吾縄張内なわばりうちだと急に浮かれ出す。「色気のない人じゃございませんか、何だって楊子ようじを使わないんでしょう」「今度ったら注意しておきましょう」と主人がくすくす笑う。「椎茸で歯がかけるくらいじゃ、よほど歯のしょうが悪いと思われますが、如何いかがなものでしょう」「善いとは言われますまいな――ねえ迷亭」「善い事はないがちょっと愛嬌あいきょうがあるよ。あれぎり、まだめないところが妙だ。今だに空也餅引掛所ひっかけどころになってるなあ奇観だぜ」「歯を填める小遣こづかいがないので欠けなりにしておくんですか、または物好きで欠けなりにしておくんでしょうか」「何も永く前歯欠成まえばかけなりを名乗る訳でもないでしょうから御安心なさいよ」と迷亭の機嫌はだんだん回復してくる。鼻子はまた問題を改める。「何か御宅に手紙かなんぞ当人の書いたものでもございますならちょっと拝見したいもんでございますが」「端書はがきなら沢山あります、御覧なさい」と主人は書斎から三四十枚持って来る。「そんなに沢山拝見しないでも――その内の二三枚だけ……」「どれどれ僕が好いのをってやろう」と迷亭先生は「これなざあ面白いでしょう」と一枚の絵葉書を出す。「おや絵もかくんでございますか、なかなか器用ですね、どれ拝見しましょう」と眺めていたが「あらいやだ、たぬきだよ。何だって撰りに撰って狸なんぞかくんでしょうね――それでも狸と見えるから不思議だよ」と少し感心する。「その文句を読んで御覧なさい」と主人が笑いながら云う。鼻子は下女が新聞を読むように読み出す。「旧暦のとし、山の狸が園遊会をやってさかんに舞踏します。その歌にいわく、いさ、としので、御山婦美おやまふみまいぞ。スッポコポンノポン」「何ですこりゃ、人を馬鹿にしているじゃございませんか」と鼻子は不平のていである。「この天女てんにょは御気に入りませんか」と迷亭がまた一枚出す。見ると天女が羽衣はごろもを着て琵琶びわいている。「この天女の鼻が少し小さ過ぎるようですが」「何、それが人並ですよ、鼻より文句を読んで御覧なさい」文句にはこうある。「むかしある所に一人の天文学者がありました。あるいつものように高い台に登って、一心に星を見ていますと、空に美しい天女が現われ、この世では聞かれぬほどの微妙な音楽を奏し出したので、天文学者は身にむ寒さも忘れて聞きれてしまいました。朝見るとその天文学者の死骸しがいしもが真白に降っていました。これは本当のはなしだと、あのうそつきのじいやが申しました」「何の事ですこりゃ、意味も何もないじゃありませんか、これでも理学士で通るんですかね。ちっと文芸倶楽部でも読んだらよさそうなものですがねえ」と寒月君さんざんにやられる。迷亭は面白半分に「こりゃどうです」と三枚目を出す。今度は活版で帆懸舟ほかけぶねが印刷してあって、例のごとくその下に何か書き散らしてある。「よべのとまりの十六小女郎じゅうろくこじょろ、親がないとて、荒磯ありその千鳥、さよの寝覚ねざめの千鳥に泣いた、親は船乗り波の底」「うまいのねえ、感心だ事、話せるじゃありませんか」「話せますかな」「ええこれなら三味線に乗りますよ」「三味線に乗りゃ本物だ。こりゃ如何いかがです」と迷亭は無暗むやみに出す。「いえ、もうこれだけ拝見すれば、ほかのは沢山で、そんなに野暮やぼでないんだと云う事は分りましたから」と一人で合点している。鼻子はこれで寒月に関する大抵の質問をえたものと見えて、「これははなはだ失礼を致しました。どうか私の参った事は寒月さんへは内々に願います」と得手勝手えてかってな要求をする。寒月の事は何でも聞かなければならないが、自分の方の事は一切寒月へ知らしてはならないと云う方針と見える。迷亭も主人も「はあ」と気のない返事をすると「いずれその内御礼は致しますから」と念を入れて言いながら立つ。見送りに出た両人ふたりが席へ返るや否や迷亭が「ありゃ何だい」と云うと主人も「ありゃ何だい」と双方から同じ問をかける。奥の部屋で細君がこらえ切れなかったと見えてクツクツ笑う声が聞える。迷亭は大きな声を出して「奥さん奥さん、月並の標本が来ましたぜ。月並もあのくらいになるとなかなかふるっていますなあ。さあ遠慮はいらんから、存分御笑いなさい」
 主人は不満な口気こうきで「第一気に喰わん顔だ」とにくらしそうに云うと、迷亭はすぐ引きうけて「鼻が顔の中央に陣取っておつに構えているなあ」とあとを付ける。「しかも曲っていらあ」「少し猫背ねこぜだね。猫背の鼻は、ちと奇抜きばつ過ぎる」と面白そうに笑う。「おっとこくする顔だ」と主人はなお口惜くやしそうである。「十九世紀で売れ残って、二十世紀で店曝たなざらしに逢うと云うそうだ」と迷亭は妙な事ばかり云う。ところへ妻君が奥のから出て来て、女だけに「あんまり悪口をおっしゃると、また車屋のかみさんにいつけられますよ」と注意する。「少しいつける方が薬ですよ、奥さん」「しかし顔の讒訴ざんそなどをなさるのは、あまり下等ですわ、誰だって好んであんな鼻を持ってる訳でもありませんから――それに相手が婦人ですからね、あんまりひどいわ」と鼻子の鼻を弁護すると、同時に自分の容貌ようぼうも間接に弁護しておく。「何ひどいものか、あんなのは婦人じゃない、愚人だ、ねえ迷亭君」「愚人かも知れんが、なかなかえら者だ、大分だいぶ引きかれたじゃないか」「全体教師を何と心得ているんだろう」「裏の車屋くらいに心得ているのさ。ああ云う人物に尊敬されるには博士になるに限るよ、一体博士になっておかんのが君の不了見ふりょうけんさ、ねえ奥さん、そうでしょう」と迷亭は笑いながら細君をかえりみる。「博士なんて到底駄目ですよ」と主人は細君にまで見離される。「これでも今になるかも知れん、軽蔑けいべつするな。貴様なぞは知るまいがむかしアイソクラチスと云う人は九十四歳で大著述をした。ソフォクリスが傑作を出して天下を驚かしたのは、ほとんど百歳の高齢だった。シモニジスは八十で妙詩を作った。おれだって……」「馬鹿馬鹿しいわ、あなたのような胃病でそんなに永く生きられるものですか」と細君はちゃんと主人の寿命を予算している。「失敬な、――甘木さんへ行って聞いて見ろ――元来御前がこんな皺苦茶しわくちゃ黒木綿くろもめんの羽織や、つぎだらけの着物を着せておくから、あんな女に馬鹿にされるんだ。あしたから迷亭の着ているような奴を着るから出しておけ」「出しておけって、あんな立派な御召おめしはござんせんわ。金田の奥さんが迷亭さんに叮嚀になったのは、伯父さんの名前を聞いてからですよ。着物のとがじゃございません」と細君うまく責任をがれる。
 主人は伯父さんと云う言葉を聞いて急に思い出したように「君に伯父があると云う事は、今日始めて聞いた。今までついにうわさをした事がないじゃないか、本当にあるのかい」と迷亭に聞く。迷亭は待ってたと云わぬばかりに「うんその伯父さ、その伯父が馬鹿に頑物がんぶつでねえ――やはりその十九世紀から連綿と今日こんにちまで生き延びているんだがね」と主人夫婦を半々に見る。「オホホホホホ面白い事ばかりおっしゃって、どこに生きていらっしゃるんです」「静岡に生きてますがね、それがただ生きてるんじゃ無いです。頭にちょんまげを頂いて生きてるんだから恐縮しまさあ。帽子をかぶれってえと、おれはこの年になるが、まだ帽子を被るほど寒さを感じた事はないと威張ってるんです――寒いから、もっとていらっしゃいと云うと、人間は四時間寝れば充分だ。四時間以上寝るのは贅沢ぜいたくの沙汰だって朝暗いうちから起きてくるんです。それでね、おれも睡眠時間を四時間に縮めるには、永年修業をしたもんだ、若いうちはどうしてもねむたくていかなんだが、近頃に至って始めて随処任意の庶境しょきょうってはなはだ嬉しいと自慢するんです。六十七になって寝られなくなるなあ当り前でさあ。修業も糸瓜へちまったものじゃないのに当人は全く克己こっきの力で成功したと思ってるんですからね。それで外出する時には、きっと鉄扇てっせんをもって出るんですがね」「なににするんだい」「何にするんだか分らない、ただ持って出るんだね。まあステッキの代りくらいに考えてるかも知れんよ。ところがせんだって妙な事がありましてね」と今度は細君の方へ話しかける。「へえー」と細君があいのない返事をする。「此年ことしの春突然手紙を寄こして山高帽子とフロックコートを至急送れと云うんです。ちょっと驚ろいたから、郵便で問い返したところが老人自身が着ると云う返事が来ました。二十三日に静岡で祝捷会しゅくしょうかいがあるからそれまでにに合うように、至急調達しろと云う命令なんです。ところがおかしいのは命令中にこうあるんです。帽子は好い加減な大きさのを買ってくれ、洋服も寸法を見計らって大丸だいまるへ注文してくれ……」「近頃は大丸でも洋服を仕立てるのかい」「なあに、先生、白木屋しろきやと間違えたんだあね」「寸法を見計ってくれたって無理じゃないか」「そこが伯父の伯父たるところさ」「どうした?」「仕方がないから見計らって送ってやった」「君も乱暴だな。それで間に合ったのかい」「まあ、どうにか、こうにかおっついたんだろう。国の新聞を見たら、当日牧山翁は珍らしくフロックコートにて、例の鉄扇てっせんを持ち……」「鉄扇だけは離さなかったと見えるね」「うん死んだら棺の中へ鉄扇だけは入れてやろうと思っているよ」「それでも帽子も洋服も、うまい具合に着られて善かった」「ところが大間違さ。僕も無事に行ってありがたいと思ってると、しばらくして国から小包が届いたから、何か礼でもくれた事と思って開けて見たら例の山高帽子さ、手紙が添えてあってね、せっかく御求め被下候くだされそうらえども少々大きく候間そろあいだ、帽子屋へ御遣おつかわしの上、御縮め被下度候くだされたくそろ。縮め賃は小為替こがわせにて此方こなたより御送おんおくり可申上候もうしあぐべきそろとあるのさ」「なるほど迂濶うかつだな」と主人はおのれより迂濶なものの天下にある事を発見しておおいに満足のていに見える。やがて「それから、どうした」と聞く。「どうするったって仕方がないから僕が頂戴してかぶっていらあ」「あの帽子かあ」と主人がにやにや笑う。「そのかたが男爵でいらっしゃるんですか」と細君が不思議そうに尋ねる。「誰がです」「その鉄扇の伯父さまが」「なあに漢学者でさあ、若い時聖堂せいどう朱子学しゅしがくか、何かにこり固まったものだから、電気灯の下でうやうやしくちょんまげを頂いているんです。仕方がありません」とやたらにあごで廻す。「それでも君は、さっきの女に牧山男爵と云ったようだぜ」「そうおっしゃいましたよ、私も茶の間で聞いておりました」と細君もこれだけは主人の意見に同意する。「そうでしたかなアハハハハハ」と迷亭はわけもなく笑う。「そりゃうそですよ。僕に男爵の伯父がありゃ、今頃は局長くらいになっていまさあ」と平気なものである。「何だか変だと思った」と主人は嬉しそうな、心配そうな顔付をする。「あらまあ、よく真面目であんな嘘が付けますねえ。あなたもよっぽど法螺ほらが御上手でいらっしゃる事」と細君は非常に感心する。「僕より、あの女の方がでさあ」「あなただって御負けなさる気遣きづかいはありません」「しかし奥さん、僕の法螺は単なる法螺ですよ。あの女のは、みんな魂胆があって、いわく付きの嘘ですぜ。たちが悪いです。猿智慧さるぢえから割り出した術数と、天来の滑稽趣味と混同されちゃ、コメディーの神様も活眼の士なきを嘆ぜざるを得ざる訳に立ち至りますからな」主人は俯目ふしめになって「どうだか」と云う。妻君は笑いながら「同じ事ですわ」と云う。
 吾輩は今まで向う横丁へ足を踏み込んだ事はない。角屋敷かどやしきの金田とは、どんな構えか見た事は無論ない。聞いた事さえ今が始めてである。主人のうちで実業家が話頭にのぼった事は一返もないので、主人の飯を食う吾輩までがこの方面には単に無関係なるのみならず、はなはだ冷淡であった。しかるに先刻はからずも鼻子の訪問を受けて、余所よそながらその談話を拝聴し、その令嬢の艶美えんびを想像し、またその富貴ふうき、権勢を思い浮べて見ると、猫ながら安閑として椽側えんがわに寝転んでいられなくなった。しかのみならず吾輩は寒月君に対してはなはだ同情の至りに堪えん。先方では博士の奥さんやら、車屋のかみさんやら、二絃琴にげんきん天璋院てんしょういんまで買収して知らぬに、前歯の欠けたのさえ探偵しているのに、寒月君の方ではただニヤニヤして羽織の紐ばかり気にしているのは、いかに卒業したての理学士にせよ、あまり能がなさ過ぎる。と言って、ああ云う偉大な鼻を顔のうちに安置している女の事だから、滅多めったな者では寄り付ける訳の者ではない。こう云う事件に関しては主人はむしろ無頓着でかつあまりにぜにがなさ過ぎる。迷亭は銭に不自由はしないが、あんな偶然童子だから、寒月にたすけを与える便宜べんぎすくなかろう。して見ると可哀相かわいそうなのは首縊りの力学を演説する先生ばかりとなる。吾輩でも奮発して、敵城へ乗り込んでその動静を偵察してやらなくては、あまり不公平である。吾輩は猫だけれど、エピクテタスを読んで机の上へ叩きつけるくらいな学者のうち寄寓きぐうする猫で、世間一般の痴猫ちびょう愚猫ぐびょうとは少しくせんことにしている。この冒険をあえてするくらいの義侠心はもとより尻尾しっぽの先に畳み込んである。何も寒月君に恩になったと云う訳もないが、これはただに個人のためにする血気躁狂けっきそうきょうの沙汰ではない。大きく云えば公平を好み中庸を愛する天意を現実にする天晴あっぱれな美挙だ。人の許諾をずして吾妻橋あずまばし事件などを至る処に振り廻わす以上は、人の軒下に犬を忍ばして、その報道を得々として逢う人に吹聴ふいちょうする以上は、車夫、馬丁ばてい無頼漢ぶらいかん、ごろつき書生、日雇婆ひやといばばあ、産婆、妖婆ようば按摩あんま頓馬とんまに至るまでを使用して国家有用の材にはんを及ぼしてかえりみざる以上は――猫にも覚悟がある。幸い天気も好い、霜解しもどけは少々閉口するが道のためには一命もすてる。足の裏へ泥が着いて、椽側えんがわへ梅の花の印を押すくらいな事は、ただ御三おさんの迷惑にはなるか知れんが、吾輩の苦痛とは申されない。翌日あすとも云わずこれから出掛けようと勇猛精進ゆうもうしょうじんの大決心を起して台所まで飛んで出たが「待てよ」と考えた。吾輩は猫として進化の極度に達しているのみならず、脳力の発達においてはあえて中学の三年生に劣らざるつもりであるが、悲しいかな咽喉のどの構造だけはどこまでも猫なので人間の言語が饒舌しゃべれない。よし首尾よく金田邸へ忍び込んで、充分敵の情勢を見届けたところで、肝心かんじんの寒月君に教えてやる訳に行かない。主人にも迷亭先生にも話せない。話せないとすれば土中にある金剛石ダイヤモンドの日を受けて光らぬと同じ事で、せっかくの智識も無用の長物となる。これはだ、やめようかしらんと上り口でたたずんで見た。
 しかし一度思い立った事を中途でやめるのは、白雨ゆうだちが来るかと待っている時黒雲とも隣国へ通り過ぎたように、何となく残り惜しい。それも非がこっちにあれば格別だが、いわゆる正義のため、人道のためなら、たとい無駄死むだじにをやるまでも進むのが、義務を知る男児の本懐であろう。無駄骨を折り、無駄足をよごすくらいは猫として適当のところである。猫と生れた因果いんがで寒月、迷亭、苦沙弥諸先生と三寸の舌頭ぜっとうに相互の思想を交換する技倆ぎりょうはないが、猫だけに忍びの術は諸先生より達者である。他人の出来ぬ事を成就じょうじゅするのはそれ自身において愉快である。われ一箇でも、金田の内幕を知るのは、誰も知らぬより愉快である。人に告げられんでも人に知られているなと云う自覚を彼等に与うるだけが愉快である。こんなに愉快が続々出て来ては行かずにはいられない。やはり行く事に致そう。
 向う横町へ来て見ると、聞いた通りの西洋館が角地面かどじめん吾物顔わがものがおに占領している。この主人もこの西洋館のごとく傲慢ごうまんに構えているんだろうと、門を這入はいってその建築をながめて見たがただ人を威圧しようと、二階作りが無意味に突っ立っているほかに何等の能もない構造であった。迷亭のいわゆる月並つきなみとはこれであろうか。玄関を右に見て、植込の中を通り抜けて、勝手口へ廻る。さすがに勝手は広い、苦沙弥先生の台所の十倍はたしかにある。せんだって日本新聞に詳しく書いてあった大隈伯おおくまはくの勝手にも劣るまいと思うくらい整然とぴかぴかしている。「模範勝手だな」と這入はいり込む。見ると漆喰しっくいで叩き上げた二坪ほどの土間に、例の車屋のかみさんが立ちながら、御飯焚ごはんたきと車夫を相手にしきりに何か弁じている。こいつは剣呑けんのんだと水桶みずおけの裏へかくれる。「あの教師あ、うちの旦那の名を知らないのかね」と飯焚めしたきが云う。「知らねえ事があるもんか、この界隈かいわいで金田さんの御屋敷を知らなけりゃ眼も耳もねえ片輪かたわだあな」これは抱え車夫の声である。「なんとも云えないよ。あの教師と来たら、本よりほかに何にも知らない変人なんだからねえ。旦那の事を少しでも知ってりゃ恐れるかも知れないが、駄目だよ、自分の小供のとしさえ知らないんだもの」と神さんが云う。「金田さんでも恐れねえかな、厄介な唐変木とうへんぼくだ。かまこたあねえ、みんなで威嚇おどかしてやろうじゃねえか」「それが好いよ。奥様の鼻が大き過ぎるの、顔が気に喰わないのって――そりゃあひどい事を云うんだよ。自分のつら今戸焼いまどやきたぬき見たような癖に――あれで一人前いちにんまえだと思っているんだからやれ切れないじゃないか」「顔ばかりじゃない、手拭てぬぐいげて湯に行くところからして、いやに高慢ちきじゃないか。自分くらいえらい者は無いつもりでいるんだよ」と苦沙弥先生は飯焚にもおおいに不人望である。「何でも大勢であいつの垣根のそばへ行って悪口をさんざんいってやるんだね」「そうしたらきっと恐れ入るよ」「しかしこっちの姿を見せちゃあ面白くねえから、声だけ聞かして、勉強の邪魔をした上に、出来るだけじらしてやれって、さっき奥様が言い付けておいでなすったぜ」「そりゃ分っているよ」と神さんは悪口の三分の一を引き受けると云う意味を示す。なるほどこの手合が苦沙弥先生を冷やかしに来るなと三人の横を、そっと通り抜けて奥へ這入る。
 猫の足はあれども無きがごとし、どこを歩いても不器用な音のした試しがない。空を踏むがごとく、雲を行くがごとく、水中にけいを打つがごとく、洞裏とうりしつするがごとく、醍醐だいごの妙味をめて言詮ごんせんのほかに冷暖れいだん自知じちするがごとし。月並な西洋館もなく、模範勝手もなく、車屋の神さんも、権助ごんすけも、飯焚も、御嬢さまも、仲働なかばたらきも、鼻子夫人も、夫人の旦那様もない。行きたいところへ行って聞きたい話を聞いて、舌を出し尻尾しっぽって、ひげをぴんと立てて悠々ゆうゆうと帰るのみである。ことに吾輩はこの道に掛けては日本一の堪能かんのうである。草双紙くさぞうしにある猫又ねこまたの血脈を受けておりはせぬかとみずから疑うくらいである。がまひたいには夜光やこう明珠めいしゅがあると云うが、吾輩の尻尾には神祇釈教しんぎしゃっきょう恋無常こいむじょうは無論の事、満天下の人間を馬鹿にする一家相伝いっかそうでんの妙薬が詰め込んである。金田家の廊下を人の知らぬに横行するくらいは、仁王様が心太ところてんを踏みつぶすよりも容易である。この時吾輩は我ながら、わが力量に感服して、これも普段大事にする尻尾の御蔭だなと気が付いて見るとただ置かれない。吾輩の尊敬する尻尾大明神を礼拝らいはいしてニャン運長久を祈らばやと、ちょっと低頭して見たが、どうも少し見当けんとうが違うようである。なるべく尻尾の方を見て三拝しなければならん。尻尾の方を見ようと身体を廻すと尻尾も自然と廻る。追付こうと思って首をねじると、尻尾も同じ間隔をとって、先へけ出す。なるほど天地玄黄てんちげんこうを三寸に収めるほどの霊物だけあって、到底吾輩の手に合わない、尻尾をめぐる事七度ななたび半にして草臥くたびれたからやめにした。少々眼がくらむ。どこにいるのだかちょっと方角が分らなくなる。構うものかと滅茶苦茶にあるき廻る。障子のうちで鼻子の声がする。ここだと立ち留まって、左右の耳をはすに切って、息をらす。「貧乏教師の癖に生意気じゃありませんか」と例の金切かなきごえを振り立てる。「うん、生意気な奴だ、ちとらしめのためにいじめてやろう。あの学校にゃ国のものもいるからな」「誰がいるの?」「津木つきピンすけ福地ふくちキシャゴがいるから、頼んでからかわしてやろう」吾輩は金田君の生国しょうごくは分らんが、妙な名前の人間ばかりそろった所だと少々驚いた。金田君はなお語をついで、「あいつは英語の教師かい」と聞く。「はあ、車屋の神さんの話では英語のリードルか何か専門に教えるんだって云います」「どうせろくな教師じゃあるめえ」あるめえにもすくなからず感心した。「この間ピン助にったら、わたしの学校にゃ妙な奴がおります。生徒から先生番茶は英語で何と云いますと聞かれて、番茶は Savage tea であると真面目に答えたんで、教員間の物笑いとなっています、どうもあんな教員があるから、ほかのものの、迷惑になって困りますと云ったが、大方おおかたあいつの事だぜ」「あいつにきまっていまさあ、そんな事を云いそうな面構つらがまえですよ、いやにひげなんかやして」「しからん奴だ」髭を生やして怪しからなければ猫などは一疋だって怪しかりようがない。「それにあの迷亭とか、へべれけとか云う奴は、まあ何てえ、頓狂な跳返はねっかえりなんでしょう、伯父の牧山男爵だなんて、あんな顔に男爵の伯父なんざ、有るはずがないと思ったんですもの」「御前がどこの馬の骨だか分らんものの言う事をに受けるのも悪い」「悪いって、あんまり人を馬鹿にし過ぎるじゃありませんか」と大変残念そうである。不思議な事には寒月君の事は一言半句いちごんはんくも出ない。吾輩の忍んで来る前に評判記はすんだものか、またはすでに落第と事がきまって念頭にないものか、そのへん懸念けねんもあるが仕方がない。しばらくたたずんでいると廊下を隔てて向うの座敷でベルの音がする。そらあすこにも何か事がある。おくれぬ先に、とその方角へ歩を向ける。
 来て見ると女がひとりで何か大声で話している。その声が鼻子とよく似ているところをもってすと、これが即ち当家の令嬢寒月君をして未遂入水みすいじゅすいをあえてせしめたる代物しろものだろう。惜哉おしいかな障子越しで玉の御姿おんすがたを拝する事が出来ない。従って顔の真中に大きな鼻を祭り込んでいるか、どうだか受合えない。しかし談話の模様から鼻息の荒いところなどを綜合そうごうして考えて見ると、満更まんざら人の注意をかぬ獅鼻ししばなとも思われない。女はしきりに喋舌しゃべっているが相手の声が少しも聞えないのは、うわさにきく電話というものであろう。「御前は大和やまとかい。明日あしたね、行くんだからね、うずらの三を取っておいておくれ、いいかえ――分ったかい――なに分らない? おやいやだ。鶉の三を取るんだよ。――なんだって、――取れない? 取れないはずはない、とるんだよ――へへへへへ御冗談ごじょうだんをだって――何が御冗談なんだよ――いやに人をおひゃらかすよ。全体御前は誰だい。長吉ちょうきちだ? 長吉なんぞじゃ訳が分らない。お神さんに電話口へ出ろって御云いな――なに? わたくしで何でも弁じます?――お前は失敬だよ。あたしを誰だか知ってるのかい。金田だよ。――へへへへへ善く存じておりますだって。ほんとに馬鹿だよこの人あ。――金田だってえばさ。――なに?――毎度御贔屓ごひいきにあずかりましてありがとうございます?――何がありがたいんだね。御礼なんか聞きたかあないやね――おやまた笑ってるよ。お前はよっぽど愚物ぐぶつだね。――仰せの通りだって?――あんまり人を馬鹿にすると電話を切ってしまうよ。いいのかい。困らないのかよ――黙ってちゃ分らないじゃないか、何とか御云いなさいな」電話は長吉の方から切ったものか何の返事もないらしい。令嬢は癇癪かんしゃくを起してやけにベルをジャラジャラと廻す。足元でちんが驚ろいて急に吠え出す。これは迂濶うかつに出来ないと、急に飛び下りてえんの下へもぐり込む。
 折柄おりから廊下をちかづく足音がして障子を開ける音がする。誰か来たなと一生懸命に聞いていると「御嬢様、旦那様と奥様が呼んでいらっしゃいます」と小間使らしい声がする。「知らないよ」と令嬢は剣突けんつくを食わせる。「ちょっと用があるからじょうを呼んで来いとおっしゃいました」「うるさいね、知らないてば」と令嬢は第二の剣突を食わせる。「……水島寒月さんの事で御用があるんだそうでございます」と小間使は気をかして機嫌を直そうとする。「寒月でも、水月でも知らないんだよ――大嫌いだわ、糸瓜へちま戸迷とまどいをしたような顔をして」第三の剣突は、憐れなる寒月君が、留守中に頂戴する。「おや御前いつ束髪そくはつったの」小間使はほっと一息ついて「今日こんにち」となるべく単簡たんかんな挨拶をする。「生意気だねえ、小間使の癖に」と第四の剣突を別方面から食わす。「そうして新しい半襟はんえりを掛けたじゃないか」「へえ、せんだって御嬢様からいただきましたので、結構過ぎて勿体もったいないと思って行李こうりの中へしまっておきましたが、今までのがあまりよごれましたからかけえました」「いつ、そんなものを上げた事があるの」「この御正月、白木屋へいらっしゃいまして、御求め遊ばしたので――鶯茶うぐいすちゃ相撲すもう番附ばんづけを染め出したのでございます。あたしには地味過ぎていやだから御前に上げようとおっしゃった、あれでございます」「あらいやだ。善く似合うのね。にくらしいわ」「恐れ入ります」「めたんじゃない。にくらしいんだよ」「へえ」「そんなによく似合うものをなぜだまって貰ったんだい」「へえ」「御前にさえ、そのくらい似合うなら、あたしにだっておかしい事あないだろうじゃないか」「きっとよく御似合い遊ばします」「似あうのが分ってる癖になぜ黙っているんだい。そうしてすまして掛けているんだよ、人の悪い」剣突けんつくは留めどもなく連発される。このさき、事局はどう発展するかと謹聴している時、向うの座敷で「富子や、富子や」と大きな声で金田君が令嬢を呼ぶ。令嬢はやむを得ず「はい」と電話室を出て行く。吾輩より少し大きなちんが顔の中心に眼と口を引き集めたようなかおをして付いて行く。吾輩は例の忍び足で再び勝手から往来へ出て、急いで主人の家に帰る。探険はまず十二分の成績せいせきである。
 帰って見ると、奇麗なうちから急に汚ない所へ移ったので、何だか日当りの善い山の上から薄黒い洞窟どうくつの中へはいり込んだような心持ちがする。探険中は、ほかの事に気を奪われて部屋の装飾、ふすま障子しょうじの具合などには眼も留らなかったが、わが住居すまいの下等なるを感ずると同時にのいわゆる月並つきなみが恋しくなる。教師よりもやはり実業家がえらいように思われる。吾輩も少し変だと思って、例の尻尾しっぽに伺いを立てて見たら、その通りその通りと尻尾の先から御託宣ごたくせんがあった。座敷へ這入はいって見ると驚いたのは迷亭先生まだ帰らない、巻煙草まきたばこの吸い殻を蜂の巣のごとく火鉢の中へ突き立てて、大胡坐おおあぐらで何か話し立てている。いつのにか寒月君さえ来ている。主人は手枕をして天井の雨洩あまもりを余念もなく眺めている。あいかわらず太平の逸民の会合である。
「寒月君、君の事を譫語うわごとにまで言った婦人の名は、当時秘密であったようだが、もう話しても善かろう」と迷亭がからかい出す。「御話しをしても、私だけに関する事なら差支さしつかえないんですが、先方の迷惑になる事ですから」「まだ駄目かなあ」「それに○○博士夫人に約束をしてしまったもんですから」「他言をしないと云う約束かね」「ええ」と寒月君は例のごとく羽織のひもをひねくる。その紐は売品にあるまじき紫色である。「その紐の色は、ちと天保調てんぽうちょうだな」と主人が寝ながら云う。主人は金田事件などには無頓着である。「そうさ、到底とうてい日露戦争時代のものではないな。陣笠じんがさ立葵たちあおいの紋の付いたぶっき羽織でも着なくっちゃ納まりの付かない紐だ。織田信長が聟入むこいりをするとき頭の髪を茶筌ちゃせんったと云うがその節用いたのは、たしかそんな紐だよ」と迷亭の文句はあいかわらず長い。「実際これはじじいが長州征伐の時に用いたのです」と寒月君は真面目である。「もういい加減に博物館へでも献納してはどうだ。首縊りの力学の演者、理学士水島寒月君ともあろうものが、売れ残りの旗本のようなたちをするのはちと体面に関する訳だから」「御忠告の通りに致してもいいのですが、この紐が大変よく似合うと云ってくれる人もありますので――」「誰だい、そんな趣味のない事を云うのは」と主人は寝返りを打ちながら大きな声を出す。「それは御存じの方なんじゃないんで――」「御存じでなくてもいいや、一体誰だい」「去る女性にょしょうなんです」「ハハハハハよほど茶人だなあ、当てて見ようか、やはり隅田川の底から君の名を呼んだ女なんだろう、その羽織を着てもう一返御駄仏おだぶつめ込んじゃどうだい」と迷亭が横合から飛び出す。「へへへへへもう水底から呼んではおりません。ここからいぬいの方角にあたる清浄しょうじょうな世界で……」「あんまり清浄でもなさそうだ、毒々しい鼻だぜ」「へえ?」と寒月は不審な顔をする。「向う横丁の鼻がさっき押しかけて来たんだよ、ここへ、実に僕等二人は驚いたよ、ねえ苦沙弥君」「うむ」と主人は寝ながら茶を飲む。「鼻って誰の事です」「君の親愛なる久遠くおん女性にょしょうの御母堂様だ」「へえー」「金田のさいという女が君の事を聞きに来たよ」と主人が真面目に説明してやる。驚くか、嬉しがるか、恥ずかしがるかと寒月君の様子をうかがって見ると別段の事もない。例の通り静かな調子で「どうか私に、あの娘を貰ってくれと云う依頼なんでしょう」と、また紫の紐をひねくる。「ところが大違さ。その御母堂なるものが偉大なる鼻の所有ぬしでね……」迷亭がなかば言い懸けると、主人が「おい君、僕はさっきから、あの鼻について俳体詩はいたいしを考えているんだがね」と木に竹をいだような事を云う。隣のへやで妻君がくすくす笑い出す。「随分君も呑気のんきだなあ出来たのかい」「少し出来た。第一句がこの顔に鼻祭りと云うのだ」「それから?」「次がこの鼻に神酒供えというのさ」「次の句は?」「まだそれぎりしか出来ておらん」「面白いですな」と寒月君がにやにや笑う。「次へ穴二つ幽かなりと付けちゃどうだ」と迷亭はすぐ出来る。すると寒月が「奥深く毛も見えずはいけますまいか」と各々おのおの出鱈目でたらめを並べていると、垣根に近く、往来で「今戸焼いまどやきたぬき今戸焼の狸」と四五人わいわい云う声がする。主人も迷亭もちょっと驚ろいて表の方を、垣のすきからすかして見ると「ワハハハハハ」と笑う声がして遠くへ散る足の音がする。「今戸焼の狸というな何だい」と迷亭が不思議そうに主人に聞く。「何だか分らん」と主人が答える。「なかなかふるっていますな」と寒月君が批評を加える。迷亭は何を思い出したか急に立ち上って「吾輩は年来美学上の見地からこの鼻について研究した事がございますから、その一斑いっぱん披瀝ひれきして、御両君の清聴をわずらわしたいと思います」と演舌の真似をやる。主人はあまりの突然にぼんやりして無言のまま迷亭を見ている。寒月は「是非うけたまわりたいものです」と小声で云う。「いろいろ調べて見ましたが鼻の起源はどうもしかと分りません。第一の不審は、もしこれを実用上の道具と仮定すれば穴が二つでたくさんである。何もこんなに横風おうふうに真中から突き出して見る必用がないのである。ところがどうしてだんだん御覧のごとく斯様かようにせり出して参ったか」と自分の鼻をつまんで見せる。「あんまりせり出してもおらんじゃないか」と主人は御世辞のないところを云う。「とにかく引っ込んではおりませんからな。ただ二個のあなならんでいる状体と混同なすっては、誤解を生ずるに至るかも計られませんから、あらかじめ御注意をしておきます。――で愚見によりますと鼻の発達は吾々人間が鼻汁はなをかむと申す微細なる行為の結果が自然と蓄積してかく著明なる現象を呈出したものでございます」「いつわりのない愚見だ」とまた主人が寸評を挿入そうにゅうする。「御承知の通り鼻汁はなをかむ時は、是非鼻を抓みます、鼻を抓んで、ことにこの局部だけに刺激を与えますと、進化論の大原則によって、この局部はこの刺激に応ずるがため他に比例して不相当な発達を致します。皮も自然堅くなります、肉も次第にかたくなります。ついにって骨となります」「それは少し――そう自由に肉が骨に一足飛に変化は出来ますまい」と理学士だけあって寒月君が抗議を申し込む。迷亭は何喰わぬ顔でべ続ける。「いや御不審はごもっともですが論より証拠この通り骨があるから仕方がありません。すでに骨が出来る。骨は出来ても鼻汁はなは出ますな。出ればかまずにはいられません。この作用で骨の左右がけずり取られて細い高い隆起と変化して参ります――実に恐ろしい作用です。点滴てんてきの石を穿うがつがごとく、賓頭顱びんずるの頭がおのずから光明を放つがごとく、不思議薫ふしぎくん不思議臭ふしぎしゅうたとえのごとく、斯様かように鼻筋が通って堅くなります」[#「なります」」は底本では「なります。」]「それでも君のなんぞ、ぶくぶくだぜ」「演者自身の局部は回護かいごの恐れがありますから、わざと論じません。かの金田の御母堂の持たせらるる鼻のごときは、もっとも発達せるもっとも偉大なる天下の珍品として御両君に紹介しておきたいと思います」寒月君は思わずヒヤヤヤと云う。「しかし物も極度に達しますと偉観には相違ございませんが何となくおそろしくて近づき難いものであります。あの鼻梁びりょうなどは素晴しいには違いございませんが、少々峻嶮しゅんけん過ぎるかと思われます。古人のうちにてもソクラチス、ゴールドスミスもしくはサッカレーの鼻などは構造の上から云うと随分申し分はございましょうがその申し分のあるところに愛嬌あいきょうがございます。鼻高きが故にたっとからず、なるがために貴しとはこの故でもございましょうか。下世話げせわにも鼻より団子と申しますれば美的価値から申しますとまず迷亭くらいのところが適当かと存じます」寒月と主人は「フフフフ」と笑い出す。迷亭自身も愉快そうに笑う。「さてただいままで弁じましたのは――」「先生弁じましたは少し講釈師のようで下品ですから、よしていただきましょう」と寒月君は先日の復讐ふくしゅうをやる。「さようしからば顔を洗って出直しましょうかな。――ええ――これから鼻と顔の権衡けんこう一言いちごん論及したいと思います。他に関係なく単独に鼻論をやりますと、かの御母堂などはどこへ出しても恥ずかしからぬ鼻――鞍馬山くらまやまで展覧会があっても恐らく一等賞だろうと思われるくらいな鼻を所有していらせられますが、悲しいかなあれは眼、口、その他の諸先生と何等の相談もなく出来上った鼻であります。ジュリアス・シーザーの鼻は大したものに相違ございません。しかしシーザーの鼻をはさみでちょん切って、当家の猫の顔へ安置したらどんな者でございましょうか。たとえにも猫のひたいと云うくらいな地面へ、英雄の鼻柱が突兀とっこつとしてそびえたら、碁盤の上へ奈良の大仏をえ付けたようなもので、少しく比例を失するの極、その美的価値を落す事だろうと思います。御母堂の鼻はシーザーのそれのごとく、まさしく英姿颯爽えいしさっそうたる隆起に相違ございません。しかしその周囲を囲繞いにょうする顔面的条件は如何いかがな者でありましょう。無論当家の猫のごとく劣等ではない。しかし癲癇病てんかんやみの御かめのごとくまゆの根に八字を刻んで、細い眼を釣るし上げらるるのは事実であります。諸君、この顔にしてこの鼻ありと嘆ぜざるを得んではありませんか」迷亭の言葉が少し途切れる途端とたん、裏の方で「まだ鼻の話しをしているんだよ。何てえ剛突ごうつばりだろう」と云う声が聞える。「車屋の神さんだ」と主人が迷亭に教えてやる。迷亭はまたやり初める。「計らざる裏手にあたって、新たに異性の傍聴者のある事を発見したのは演者の深く名誉と思うところであります。ことに宛転えんてんたる嬌音きょうおんをもって、乾燥なる講筵こうえんに一点の艶味えんみを添えられたのは実に望外の幸福であります。なるべく通俗的に引き直して佳人淑女かじんしゅくじょ眷顧けんこそむかざらん事を期する訳でありますが、これからは少々力学上の問題に立ち入りますので、いきおい御婦人方には御分りにくいかも知れません、どうか御辛防ごしんぼうを願います」寒月君は力学と云う語を聞いてまたにやにやする。「私の証拠立てようとするのは、この鼻とこの顔は到底調和しない。ツァイシングの黄金律を失していると云う事なんで、それを厳格に力学上の公式から演繹えんえきして御覧に入れようと云うのであります。まずHを鼻の高さとします。αは鼻と顔の平面の交叉より生ずる角度であります。Wは無論鼻の重量と御承知下さい。どうです大抵お分りになりましたか。……」「分るものか」と主人が云う。「寒月君はどうだい」「私にもちと分りかねますな」「そりゃ困ったな。苦沙弥くしゃみはとにかく、君は理学士だから分るだろうと思ったのに。この式が演説の首脳なんだからこれを略しては今までやった甲斐かいがないのだが――まあ仕方がない。公式は略して結論だけ話そう」「結論があるか」と主人が不思議そうに聞く。「当り前さ結論のない演舌は、デザートのない西洋料理のようなものだ、――いいか両君く聞き給え、これからが結論だぜ。――さて以上の公式にウィルヒョウ、ワイスマン諸家の説を参酌して考えて見ますと、先天的形体の遺伝は無論の事許さねばなりません。またこの形体に追陪ついばいして起る心意的状況は、たとい後天性は遺伝するものにあらずとの有力なる説あるにも関せず、ある程度までは必然の結果と認めねばなりません。従ってかくのごとく身分に不似合なる鼻の持主の生んだ子には、その鼻にも何か異状がある事と察せられます。寒月君などは、まだ年が御若いから金田令嬢の鼻の構造において特別の異状を認められんかも知れませんが、かかる遺伝は潜伏期の長いものでありますから、いつ何時なんどき気候の劇変と共に、急に発達して御母堂のそれのごとく、咄嗟とっさかん膨脹ぼうちょうするかも知れません、それ故にこの御婚儀は、迷亭の学理的論証によりますと、今の中御断念になった方が安全かと思われます、これには当家の御主人は無論の事、そこに寝ておらるる猫又殿ねこまたどのにも御異存は無かろうと存じます」主人はようよう起き返って「そりゃ無論さ。あんなものの娘を誰が貰うものか。寒月君もらっちゃいかんよ」と大変熱心に主張する。吾輩もいささか賛成の意を表するためににゃーにゃーと二声ばかり鳴いて見せる。寒月君は別段騒いだ様子もなく「先生方の御意向がそうなら、私は断念してもいいんですが、もし当人がそれを気にして病気にでもなったら罪ですから――」「ハハハハハ艶罪えんざいと云うわけだ」主人だけはおおいにむきになって「そんな馬鹿があるものか、あいつの娘ならろくな者でないにきまってらあ。初めて人のうちへ来ておれをやり込めに掛った奴だ。傲慢ごうまんな奴だ」とひとりでぷんぷんする。するとまた垣根のそばで三四人が「ワハハハハハ」と云う声がする。一人が「高慢ちきな唐変木とうへんぼくだ」と云うと一人が「もっと大きなうち這入はいりてえだろう」と云う。また一人が「御気の毒だが、いくら威張ったって蔭弁慶かげべんけいだ」と大きな声をする。主人は椽側えんがわへ出て負けないような声で「やかましい、何だわざわざそんなへいの下へ来て」と怒鳴どなる。「ワハハハハハサヴェジ・チーだ、サヴェジ・チーだ」と口々にののしる。主人はおおい逆鱗げきりんていで突然ってステッキを持って、往来へ飛び出す。迷亭は手をって「面白い、やれやれ」と云う。寒月は羽織の紐をひねってにやにやする。吾輩は主人のあとを付けて垣の崩れから往来へ出て見たら、真中に主人が手持無沙汰にステッキを突いて立っている。人通りは一人もない、ちょっときつねつままれたていである。
 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 四
 
 例によって金田邸へ忍び込む。
 例によってとは今更いまさら解釈する必要もない。しばしば自乗じじょうしたほどの度合を示すことばである。一度やった事は二度やりたいもので、二度試みた事は三度試みたいのは人間にのみ限らるる好奇心ではない、猫といえどもこの心理的特権を有してこの世界に生れ出でたものと認定していただかねばならぬ。三度以上繰返す時始めて習慣なる語を冠せられて、この行為が生活上の必要と進化するのもまた人間と相違はない。何のために、かくまで足繁あししげく金田邸へ通うのかと不審を起すならその前にちょっと人間に反問したい事がある。なぜ人間は口から煙を吸い込んで鼻から吐き出すのであるか、腹のしにも血の道の薬にもならないものを、はずかしもなく吐呑とどんしてはばからざる以上は、吾輩が金田に出入しゅつにゅうするのを、あまり大きな声でとがてをして貰いたくない。金田邸は吾輩の煙草たばこである。
 忍び込むと云うと語弊がある、何だか泥棒か間男まおとこのようで聞き苦しい。吾輩が金田邸へ行くのは、招待こそ受けないが、決してかつお切身きりみをちょろまかしたり、眼鼻が顔の中心に痙攣的けいれんてきに密着しているちん君などと密談するためではない。――何探偵?――もってのほかの事である。およそ世の中に何がいやしい家業かぎょうだと云って探偵と高利貸ほど下等な職はないと思っている。なるほど寒月君のために猫にあるまじきほどの義侠心ぎきょうしんを起して、一度ひとたびは金田家の動静を余所よそながらうかがった事はあるが、それはただの一遍で、その後は決して猫の良心に恥ずるような陋劣ろうれつな振舞を致した事はない。――そんなら、なぜ忍び込むうような胡乱うろんな文字を使用した?――さあ、それがすこぶる意味のある事だて。元来吾輩の考によると大空たいくうは万物をおおうため大地は万物をせるために出来ている――いかに執拗しつような議論を好む人間でもこの事実を否定する訳には行くまい。さてこの大空大地たいくうだいちを製造するために彼等人類はどのくらいの労力をついやしているかと云うと尺寸せきすんの手伝もしておらぬではないか。自分が製造しておらぬものを自分の所有とめる法はなかろう。自分の所有と極めてもつかえないが他の出入しゅつにゅうを禁ずる理由はあるまい。この茫々ぼうぼうたる大地を、小賢こざかしくも垣をめぐらし棒杭ぼうぐいを立てて某々所有地などとかくし限るのはあたかもかの蒼天そうてん縄張なわばりして、この部分はわれの天、あの部分はかれの天と届け出るような者だ。もし土地を切り刻んで一坪いくらの所有権を売買するなら我等が呼吸する空気を一尺立方に割って切売をしても善い訳である。空気の切売が出来ず、空の縄張が不当なら地面の私有も不合理ではないか。如是観にょぜかんによりて、如是法にょぜほうを信じている吾輩はそれだからどこへでも這入はいって行く。もっとも行きたくない処へは行かぬが、志す方角へは東西南北の差別は入らぬ、平気な顔をして、のそのそと参る。金田ごときものに遠慮をする訳がない。――しかし猫の悲しさは力ずくでは到底とうてい人間にはかなわない。強勢は権利なりとの格言さえあるこの浮世に存在する以上は、いかにこっちに道理があっても猫の議論は通らない。無理に通そうとすると車屋の黒のごとく不意に肴屋さかなや天秤棒てんびんぼうくらう恐れがある。理はこっちにあるが権力は向うにあると云う場合に、理を曲げて一も二もなく屈従するか、または権力の目をかすめて我理を貫くかと云えば、吾輩は無論後者をえらぶのである。天秤棒は避けざるべからざるが故に、ばざるべからず。人の邸内へは這入り込んで差支さしつかえなき故まざるを得ず。この故に吾輩は金田邸へ忍び込むのである。
 忍び込むが重なるにつけ、探偵をする気はないが自然金田君一家の事情が見たくもない吾輩の眼に映じて覚えたくもない吾輩の脳裏のうりに印象をとどむるに至るのはやむを得ない。鼻子夫人が顔を洗うたんびに念を入れて鼻だけ拭く事や、富子令嬢が阿倍川餅あべかわもち無暗むやみに召し上がらるる事や、それから金田君自身が――金田君は妻君に似合わず鼻の低い男である。単に鼻のみではない、顔全体が低い。小供の時分喧嘩をして、餓鬼大将がきだいしょうのために頸筋くびすじつらまえられて、うんと精一杯に土塀どべいし付けられた時の顔が四十年後の今日こんにちまで、因果いんがをなしておりはせぬかとあやしまるるくらい平坦な顔である。至極しごく穏かで危険のない顔には相違ないが、何となく変化に乏しい。いくらおこってもたいらかな顔である。――その金田君がまぐろ刺身さしみを食って自分で自分の禿頭はげあたまをぴちゃぴちゃたたく事や、それから顔が低いばかりでなく背が低いので、無暗に高い帽子と高い下駄を穿く事や、それを車夫がおかしがって書生に話す事や、書生がなるほど君の観察は機敏だと感心する事や、――一々数え切れない。
 近頃は勝手口の横を庭へ通り抜けて、築山つきやまの陰から向うを見渡して障子が立て切って物静かであるなと見極めがつくと、徐々そろそろ上り込む。もし人声がにぎやかであるか、座敷から見透みすかさるる恐れがあると思えば池を東へ廻って雪隠せついんの横から知らぬえんの下へ出る。悪い事をしたおぼえはないから何も隠れる事も、恐れる事もないのだが、そこが人間と云う無法者に逢っては不運とあきらめるより仕方がないので、もし世間が熊坂長範くまさかちょうはんばかりになったらいかなる盛徳の君子もやはり吾輩のような態度に出ずるであろう。金田君は堂々たる実業家であるからもとより熊坂長範のように五尺三寸を振り廻す気遣きづかいはあるまいが、うけたまわる処によれば人を人と思わぬ病気があるそうである。人を人と思わないくらいなら猫を猫とも思うまい。して見れば猫たるものはいかなる盛徳の猫でも彼の邸内で決して油断は出来ぬわけである。しかしその油断の出来ぬところが吾輩にはちょっと面白いので、吾輩がかくまでに金田家の門を出入しゅつにゅうするのも、ただこの危険がおかして見たいばかりかも知れぬ。それは追ってとくと考えた上、猫の脳裏のうりを残りなく解剖し得た時改めて御吹聴ごふいちょうつかまつろう。
 今日はどんな模様だなと、例の築山の芝生しばふの上にあごを押しつけて前面を見渡すと十五畳の客間を弥生やよいの春に明け放って、中には金田夫婦と一人の来客との御話おはなし最中さいちゅうである。生憎あいにく鼻子夫人の鼻がこっちを向いて池越しに吾輩の額の上を正面からにらめ付けている。鼻に睨まれたのは生れて今日が始めてである。金田君は幸い横顔を向けて客と相対しているから例の平坦な部分は半分かくれて見えぬが、その代り鼻の在所ありかが判然しない。ただ胡麻塩ごましお色の口髯くちひげが好い加減な所から乱雑に茂生もせいしているので、あの上にあなが二つあるはずだと結論だけは苦もなく出来る。春風はるかぜもああ云うなめらかな顔ばかり吹いていたら定めてらくだろうと、ついでながら想像をたくましゅうして見た。御客さんは三人のうちで一番普通な容貌ようぼうを有している。ただし普通なだけに、これぞと取り立てて紹介するに足るような雑作ぞうさくは一つもない。普通と云うと結構なようだが、普通のきょく平凡の堂にのぼり、庸俗の室にったのはむしろ憫然びんぜんの至りだ。かかる無意味な面構つらがまえを有すべき宿命を帯びて明治の昭代しょうだいに生れて来たのは誰だろう。例のごとく椽の下まで行ってその談話を承わらなくては分らぬ。
「……それでさいがわざわざあの男の所まで出掛けて行って容子ようすを聞いたんだがね……」と金田君は例のごとく横風おうふうな言葉使である。横風ではあるがごう峻嶮しゅんけんなところがない。言語も彼の顔面のごとく平板尨大へいばんぼうだいである。
「なるほどあの男が水島さんを教えた事がございますので――なるほど、よい御思い付きで――なるほど」となるほどずくめのは御客さんである。
「ところが何だか要領を得んので」
「ええ苦沙弥くしゃみじゃ要領を得ないわけで――あの男は私がいっしょに下宿をしている時分から実にえ切らない――そりゃ御困りでございましたろう」と御客さんは鼻子夫人の方を向く。
「困るの、困らないのってあなた、わたしゃこの年になるまで人のうちへ行って、あんな不取扱ふとりあつかいを受けた事はありゃしません」と鼻子は例によって鼻嵐を吹く。
「何か無礼な事でも申しましたか、むかしから頑固がんこな性分で――何しろ十年一日のごとくリードル専門の教師をしているのでも大体御分りになりましょう」と御客さんはていよく調子を合せている。
「いや御話しにもならんくらいで、さいが何か聞くとまるで剣もほろろの挨拶だそうで……」
「それはしからん訳で――一体少し学問をしているととかく慢心がきざすもので、その上貧乏をすると負け惜しみが出ますから――いえ世の中には随分無法な奴がおりますよ。自分の働きのないのにゃ気が付かないで、無暗むやみに財産のあるものに喰って掛るなんてえのが――まるで彼等の財産でもき上げたような気分ですから驚きますよ、あははは」と御客さんは大恐悦のていである。
「いや、まことに言語同断ごんごどうだんで、ああ云うのは必竟ひっきょう世間見ずの我儘わがままから起るのだから、ちっとらしめのためにいじめてやるが好かろうと思って、少し当ってやったよ」
「なるほどそれでは大分だいぶ答えましたろう、全く本人のためにもなる事ですから」と御客さんはいかなる当り方うけたまわらぬ先からすでに金田君に同意している。
「ところが鈴木さん、まあなんて頑固な男なんでしょう。学校へ出ても福地ふくちさんや、津木つきさんには口もかないんだそうです。恐れ入って黙っているのかと思ったらこの間は罪もない、たくの書生をステッキを持って追っ懸けたってんです――三十づらさげて、よく、まあ、そんな馬鹿な真似が出来たもんじゃありませんか、全くやけで少し気が変になってるんですよ」
「へえどうしてまたそんな乱暴な事をやったんで……」とこれには、さすがの御客さんも少し不審を起したと見える。
「なあに、ただあの男の前を何とか云って通ったんだそうです、すると、いきなり、ステッキを持って跣足はだしで飛び出して来たんだそうです。よしんば、ちっとやそっと、何か云ったって小供じゃありませんか、髯面ひげづら大僧おおぞうの癖にしかも教師じゃありませんか」
「さよう教師ですからな」と御客さんが云うと、金田君も「教師だからな」と云う。教師たる以上はいかなる侮辱を受けても木像のようにおとなしくしておらねばならぬとはこの三人の期せずして一致した論点と見える。
「それに、あの迷亭って男はよっぽどな酔興人すいきょうじんですね。役にも立たないうそ八百を並べ立てて。わたしゃあんな変梃へんてこな人にゃ初めて逢いましたよ」
「ああ迷亭ですか、あいかわらず法螺ほらを吹くと見えますね。やはり苦沙弥の所で御逢いになったんですか。あれに掛っちゃたまりません。あれもむかし自炊の仲間でしたがあんまり人を馬鹿にするものですからく喧嘩をしましたよ」
「誰だって怒りまさあね、あんなじゃ。そりゃ嘘をつくのもうござんしょうさ、ね、義理が悪るいとか、ばつを合せなくっちゃあならないとか――そんな時には誰しも心にない事を云うもんでさあ。しかしあの男のはかなくってすむのに矢鱈やたらに吐くんだから始末にえないじゃありませんか。何が欲しくって、あんな出鱈目でたらめを――よくまあ、しらじらしく云えると思いますよ」
「ごもっともで、全く道楽からくる嘘だから困ります」
「せっかくあなた真面目に聞きに行った水島の事も滅茶滅茶めちゃめちゃになってしまいました。わたし剛腹ごうはら忌々いまいましくって――それでも義理は義理でさあ、人のうちへ物を聞きに行って知らん顔の半兵衛もあんまりですから、あとで車夫にビールを一ダース持たせてやったんです。ところがあなたどうでしょう。こんなものを受取る理由がない、持って帰れって云うんだそうで。いえ御礼だから、どうか御取り下さいって車夫が云ったら――くいじゃあありませんか、俺はジャムは毎日めるがビールのようなにがい者は飲んだ事がないって、ふいと奥へ這入はいってしまったって――言い草に事を欠いて、まあどうでしょう、失礼じゃありませんか」
「そりゃ、ひどい」と御客さんも今度は本気にひどいと感じたらしい。
「そこで今日わざわざ君を招いたのだがね」としばらく途切れて金田君の声が聞える。「そんな馬鹿者は陰から、からかってさえいればすむようなものの、少々それでも困る事があるじゃて……」とまぐろの刺身を食う時のごとく禿頭はげあたまをぴちゃぴちゃたたく。もっとも吾輩はえんの下にいるから実際叩いたか叩かないか見えようはずがないが、この禿頭の音は近来大分だいぶ聞馴れている。比丘尼びくにが木魚の音を聞き分けるごとく、椽の下からでも音さえたしかであればすぐ禿頭だなと出所しゅっしょを鑑定する事が出来る。「そこでちょっと君をわずらわしたいと思ってな……」
「私に出来ます事なら何でも御遠慮なくどうか――今度東京勤務と云う事になりましたのも全くいろいろ御心配を掛けた結果にほかならん訳でありますから」と御客さんは快よく金田君の依頼を承諾する。この口調くちょうで見るとこの御客さんはやはり金田君の世話になる人と見える。いやだんだん事件が面白く発展してくるな、今日はあまり天気がいので、来る気もなしに来たのであるが、こう云う好材料をようとは全く思いけなんだ。御彼岸おひがんにお寺詣てらまいりをして偶然方丈ほうじょう牡丹餅ぼたもちの御馳走になるような者だ。金田君はどんな事を客人に依頼するかなと、椽の下から耳を澄して聞いている。
「あの苦沙弥と云う変物へんぶつが、どう云う訳か水島に智慧ぢえをするので、あの金田の娘を貰ってはかんなどとほのめかすそうだ――なあ鼻子そうだな」
「ほのめかすどころじゃないんです。あんな奴の娘を貰う馬鹿がどこの国にあるものか、寒月君決して貰っちゃいかんよって云うんです」
「あんな奴とは何だ失敬な、そんな乱暴な事を云ったのか」
「云ったどころじゃありません、ちゃんと車屋の神さんが知らせに来てくれたんです」
「鈴木君どうだい、御聞の通りの次第さ、随分厄介だろうが?」
「困りますね、ほかの事と違って、こう云う事には他人がみだりに容喙ようかいするべきはずの者ではありませんからな。そのくらいな事はいかな苦沙弥でも心得ているはずですが。一体どうした訳なんでしょう」
「それでの、君は学生時代から苦沙弥と同宿をしていて、今はとにかく、昔は親密な間柄であったそうだから御依頼するのだが、君当人に逢ってな、よく利害をさとして見てくれんか。何かおこっているかも知れんが、怒るのはむこうるいからで、先方がおとなしくしてさえいれば一身上の便宜も充分計ってやるし、気にわるような事もやめてやる。しかし向が向ならこっちもこっちと云う気になるからな――つまりそんなを張るのは当人の損だからな」
「ええ全くおっしゃる通りな抵抗をするのは本人の損になるばかりで何の益もない事ですから、善く申し聞けましょう」
「それから娘はいろいろと申し込もある事だから、必ず水島にやるとめる訳にも行かんが、だんだん聞いて見ると学問も人物も悪くもないようだから、もし当人が勉強して近い内に博士にでもなったらあるいはもらう事が出来るかも知れんくらいはそれとなくほのめかしても構わん」
「そう云ってやったら当人もはげみになって勉強する事でしょう。よろしゅうございます」
「それから、あの妙な事だが――水島にも似合わん事だと思うが、あの変物へんぶつの苦沙弥を先生先生と云って苦沙弥の云う事は大抵聞く様子だから困る。なにそりゃ何も水島に限る訳では無論ないのだから苦沙弥が何と云って邪魔をしようと、わしの方は別に差支さしつかえもせんが……」
「水島さんが可哀そうですからね」と鼻子夫人が口を出す。
「水島と云う人には逢った事もございませんが、とにかくこちらと御縁組が出来れば生涯しょうがいの幸福で、本人は無論異存はないのでしょう」
「ええ水島さんは貰いたがっているんですが、苦沙弥だの迷亭だのって変り者が何だとか、かんだとか云うものですから」
「そりゃ、善くない事で、相当の教育のあるものにも似合わん所作しょさですな。よく私が苦沙弥の所へ参って談じましょう」
「ああ、どうか、御面倒でも、一つ願いたい。それから実は水島の事も苦沙弥が一番くわしいのだがせんだってさいが行った時は今の始末で碌々ろくろく聞く事も出来なかった訳だから、君から今一応本人の性行学才等をよく聞いて貰いたいて」
「かしこまりました。今日は土曜ですからこれから廻ったら、もう帰っておりましょう。近頃はどこに住んでおりますか知らん」
「ここの前を右へ突き当って、左へ一丁ばかり行くと崩れかかった黒塀のあるうちです」と鼻子が教える。
「それじゃ、つい近所ですな。訳はありません。帰りにちょっと寄って見ましょう。なあに、大体分りましょう標札ひょうさつを見れば」
「標札はあるときと、ないときとありますよ。名刺を御饌粒ごぜんつぶで門へり付けるのでしょう。雨がふるとがれてしまいましょう。すると御天気の日にまた貼り付けるのです。だから標札はあてにゃなりませんよ。あんな面倒臭い事をするよりせめて木札きふだでも懸けたらよさそうなもんですがねえ。ほんとうにどこまでも気の知れない人ですよ」
「どうも驚きますな。しかし崩れた黒塀のうちと聞いたら大概分るでしょう」
「ええあんな汚ないうちは町内に一軒しかないから、すぐ分りますよ。あ、そうそうそれで分らなければ、好い事がある。何でも屋根に草がえたうちを探して行けば間違っこありませんよ」
「よほど特色のあるいえですなアハハハハ」
 鈴木君が御光来になる前に帰らないと、少し都合が悪い。談話もこれだけ聞けば大丈夫沢山である。えんの下を伝わって雪隠せついんを西へ廻って築山つきやまの陰から往来へ出て、急ぎ足で屋根に草の生えているうちへ帰って来て何喰わぬ顔をして座敷の椽へ廻る。
 主人は椽側へ白毛布しろげっとを敷いて、腹這はらばいになってうららかな春日はるび甲羅こうらを干している。太陽の光線は存外公平なもので屋根にペンペン草の目標のある陋屋ろうおくでも、金田君の客間のごとく陽気に暖かそうであるが、気の毒な事には毛布けっとだけが春らしくない。製造元では白のつもりで織り出して、唐物屋とうぶつやでも白の気で売りさばいたのみならず、主人も白と云う注文で買って来たのであるが――何しろ十二三年以前の事だから白の時代はとくに通り越してただ今は濃灰色のうかいしょくなる変色の時期に遭遇そうぐうしつつある。この時期を経過して他の暗黒色に化けるまで毛布の命が続くかどうだかは、疑問である。今でもすでに万遍なくり切れて、竪横たてよこの筋は明かに読まれるくらいだから、毛布と称するのはもはや僭上せんじょうの沙汰であって、毛の字ははぶいて単にットとでも申すのが適当である。しかし主人の考えでは一年持ち、二年持ち、五年持ち十年持った以上は生涯しょうがい持たねばならぬと思っているらしい。随分呑気のんきな事である。さてその因縁いんねんのある毛布けっとの上へぜん申す通り腹這になって何をしているかと思うと両手で出張ったあごを支えて、右手の指の股に巻煙草まきたばこを挟んでいる。ただそれだけである。もっとも彼がフケだらけの頭のうちには宇宙の大真理が火の車のごとく廻転しつつあるかも知れないが、外部から拝見したところでは、そんな事とは夢にも思えない。
 煙草の火はだんだん吸口の方へせまって、一寸いっすんばかり燃え尽した灰の棒がぱたりと毛布の上に落つるのも構わず主人は一生懸命に煙草から立ちのぼる煙の行末を見詰めている。その煙りは春風に浮きつ沈みつ、流れる輪を幾重いくえにも描いて、紫深き細君の洗髪あらいがみの根本へ吹き寄せつつある。――おや、細君の事を話しておくはずだった。忘れていた。
 細君は主人にしりを向けて――なに失礼な細君だ? 別に失礼な事はないさ。礼も非礼も相互の解釈次第でどうでもなる事だ。主人は平気で細君の尻のところへ頬杖ほおづえを突き、細君は平気で主人の顔の先へ荘厳そうごんなる尻をえたまでの事で無礼も糸瓜へちまもないのである。御両人は結婚後一ヵ年も立たぬに礼儀作法などと窮屈な境遇を脱却せられた超然的夫婦である。――さてかくのごとく主人に尻を向けた細君はどう云う了見りょうけんか、今日の天気に乗じて、尺に余る緑の黒髪を、麩海苔ふのりと生卵でゴシゴシ洗濯せられた者と見えて癖のない奴を、見よがしに肩から背へ振りかけて、無言のまま小供の袖なしを熱心に縫っている。実はその洗髪を乾かすために唐縮緬とうちりめん布団ふとんと針箱を椽側えんがわへ出して、うやうやしく主人に尻を向けたのである。あるいは主人の方で尻のある見当けんとうへ顔を持って来たのかも知れない。そこで先刻御話しをした煙草たばこの煙りが、豊かになびく黒髪の間に流れ流れて、時ならぬ陽炎かげろうの燃えるところを主人は余念もなく眺めている。しかしながら煙はもとより一所いっしょとどまるものではない、その性質として上へ上へと立ち登るのだから主人の眼もこの煙りの髪毛かみげもつれ合う奇観を落ちなく見ようとすれば、是非共眼を動かさなければならない。主人はまず腰の辺から観察を始めて徐々じょじょと背中をつたって、肩から頸筋くびすじに掛ったが、それを通り過ぎてようよう脳天に達した時、覚えずあっと驚いた。――主人が偕老同穴かいろうどうけつちぎった夫人の脳天の真中には真丸まんまるな大きな禿はげがある。しかもその禿が暖かい日光を反射して、今や時を得顔に輝いている。思わざるへんにこの不思議な大発見をなした時の主人の眼はまばゆい中に充分の驚きを示して、烈しい光線で瞳孔どうこうの開くのも構わず一心不乱に見つめている。主人がこの禿を見た時、第一彼の脳裏のうりに浮んだのはかのいえ伝来の仏壇に幾世となく飾り付けられたる御灯明皿おとうみょうざらである。彼の一家いっけは真宗で、真宗では仏壇に身分不相応な金を掛けるのが古例である。主人は幼少の時その家の倉の中に、薄暗く飾り付けられたる金箔きんぱく厚き厨子ずしがあって、その厨子の中にはいつでも真鍮しんちゅうの灯明皿がぶら下って、その灯明皿には昼でもぼんやりしたがついていた事を記憶している。周囲が暗い中にこの灯明皿が比較的明瞭に輝やいていたので小供心にこの灯を何遍となく見た時の印象が細君の禿にび起されて突然飛び出したものであろう。灯明皿は一分立たぬに消えた。このたび観音様かんのんさまの鳩の事を思い出す。観音様の鳩と細君の禿とは何等の関係もないようであるが、主人の頭では二つの間に密接な聯想がある。同じく小供の時分に浅草へ行くと必ず鳩に豆を買ってやった。豆は一皿が文久ぶんきゅう二つで、赤い土器かわらけ這入はいっていた。その土器かわらけが、色と云いおおきさと云いこの禿によく似ている。
「なるほど似ているな」と主人が、さも感心したらしく云うと「何がです」と細君は見向きもしない。
「何だって、御前の頭にゃ大きな禿があるぜ。知ってるか」
「ええ」と細君は依然として仕事の手をやめずに答える。別段露見を恐れた様子もない。超然たる模範妻君である。
「嫁にくるときからあるのか、結婚後新たに出来たのか」と主人が聞く。もし嫁にくる前から禿げているならだまされたのであると口へは出さないが心のうちで思う。
「いつ出来たんだか覚えちゃいませんわ、禿なんざどうだっていじゃありませんか」とおおいに悟ったものである。
「どうだって宜いって、自分の頭じゃないか」と主人は少々怒気を帯びている。
「自分の頭だから、どうだっていんだわ」と云ったが、さすが少しは気になると見えて、右の手を頭に乗せて、くるくる禿をでて見る。「おや大分だいぶ大きくなった事、こんなじゃ無いと思っていた」と言ったところをもって見ると、年に合わして禿があまり大き過ぎると云う事をようやく自覚したらしい。
「女はまげうと、ここが釣れますから誰でも禿げるんですわ」と少しく弁護しだす。
「そんな速度で、みんな禿げたら、四十くらいになれば、から薬缶やかんばかり出来なければならん。そりゃ病気に違いない。伝染するかも知れん、今のうち早く甘木さんに見て貰え」と主人はしきりに自分の頭をで廻して見る。
「そんなに人の事をおっしゃるが、あなただって鼻のあな白髪しらがえてるじゃありませんか。禿が伝染するなら白髪だって伝染しますわ」と細君少々ぷりぷりする。
「鼻の中の白髪は見えんから害はないが、脳天が――ことに若い女の脳天がそんなに禿げちゃ見苦しい。不具かたわだ」
不具かたわなら、なぜ御貰いになったのです。御自分が好きで貰っておいて不具だなんて……」
「知らなかったからさ。全く今日きょうまで知らなかったんだ。そんなに威張るなら、なぜ嫁に来る時頭を見せなかったんだ」
「馬鹿な事を! どこの国に頭の試験をして及第したら嫁にくるなんて、ものが在るもんですか」
「禿はまあ我慢もするが、御前はいが人並はずれて低い。はなはだ見苦しくていかん」
「背いは見ればすぐ分るじゃありませんか、せいの低いのは最初から承知で御貰いになったんじゃありませんか」
「それは承知さ、承知には相違ないがまだ延びるかと思ったから貰ったのさ」
廿はたちにもなっていが延びるなんて――あなたもよっぽど人を馬鹿になさるのね」と細君はそでなしをほうり出して主人の方にじ向く。返答次第ではその分にはすまさんと云う権幕けんまくである。
廿はたちになったって背いが延びてならんと云う法はあるまい。嫁に来てから滋養分でも食わしたら、少しは延びる見込みがあると思ったんだ」と真面目な顔をして妙な理窟りくつを述べていると門口かどぐちのベルがいきおいよく鳴り立てて頼むと云う大きな声がする。いよいよ鈴木君がペンペン草を目的めあて苦沙弥くしゃみ先生の臥竜窟がりょうくつを尋ねあてたと見える。
 細君は喧嘩を後日に譲って、倉皇そうこう針箱と袖なしをかかえて茶の間へ逃げ込む。主人は鼠色の毛布けっとを丸めて書斎へ投げ込む。やがて下女が持って来た名刺を見て、主人はちょっと驚ろいたような顔付であったが、こちらへ御通し申してと言い棄てて、名刺を握ったまま後架こうか這入はいった。何のために後架へ急に這入ったか一向要領を得ん、何のために鈴木藤十郎すずきとうじゅうろう君の名刺を後架まで持って行ったのかなおさら説明に苦しむ。とにかく迷惑なのは臭い所へ随行を命ぜられた名刺君である。
 下女が更紗さらさの座布団をとこの前へ直して、どうぞこれへと引き下がった、あとで、鈴木君は一応室内を見廻わす。床に掛けた花開はなひらく万国春ばんこくのはるとある木菴もくあん贋物にせものや、京製の安青磁やすせいじけた彼岸桜ひがんざくらなどを一々順番に点検したあとで、ふと下女の勧めた布団の上を見るといつのにか一ぴきの猫がすまして坐っている。申すまでもなくそれはかく申す吾輩である。この時鈴木君の胸のうちにちょっとの間顔色にも出ぬほどの風波が起った。この布団は疑いもなく鈴木君のために敷かれたものである。自分のために敷かれた布団の上に自分が乗らぬ先から、断りもなく妙な動物が平然と蹲踞そんきょしている。これが鈴木君の心の平均を破る第一の条件である。もしこの布団が勧められたまま、ぬしなくして春風の吹くに任せてあったなら、鈴木君はわざと謙遜けんそんの意をひょうして、主人がさあどうぞと云うまでは堅い畳の上で我慢していたかも知れない。しかし早晩自分の所有すべき布団の上に挨拶もなく乗ったものは誰であろう。人間なら譲る事もあろうが猫とはしからん。乗り手が猫であると云うのが一段と不愉快を感ぜしめる。これが鈴木君の心の平均を破る第二の条件である。最後にその猫の態度がもっともしゃくに障る。少しは気の毒そうにでもしている事か、乗る権利もない布団の上に、傲然ごうぜんと構えて、丸い無愛嬌ぶあいきょうな眼をぱちつかせて、御前は誰だいと云わぬばかりに鈴木君の顔を見つめている。これが平均を破壊する第三の条件である。これほど不平があるなら、吾輩の頸根くびねっこをとらえて引きずり卸したらさそうなものだが、鈴木君はだまって見ている。堂々たる人間が猫に恐れて手出しをせぬと云う事は有ろうはずがないのに、なぜ早く吾輩を処分して自分の不平をらさないかと云うと、これは全く鈴木君が一個の人間として自己の体面を維持する自重心の故であると察せらるる。もし腕力に訴えたなら三尺の童子も吾輩を自由に上下し得るであろうが、体面を重んずる点より考えるといかに金田君の股肱ここうたる鈴木藤十郎その人もこの二尺四方の真中に鎮座まします猫大明神を如何いかんともする事が出来ぬのである。いかに人の見ていぬ場所でも、猫と座席争いをしたとあってはいささか人間の威厳に関する。真面目に猫を相手にして曲直きょくちょくを争うのはいかにも大人気おとなげない。滑稽である。この不名誉を避けるためには多少の不便は忍ばねばならぬ。しかし忍ばねばならぬだけそれだけ猫に対する憎悪ぞうおの念は増す訳であるから、鈴木君は時々吾輩の顔を見てはにがい顔をする。吾輩は鈴木君の不平な顔を拝見するのが面白いから滑稽の念をおさえてなるべく何喰わぬ顔をしている。
 吾輩と鈴木君の間に、かくのごとき無言劇が行われつつある間に主人は衣紋えもんをつくろって後架こうかから出て来て「やあ」と席に着いたが、手に持っていた名刺の影さえ見えぬところをもって見ると、鈴木藤十郎君の名前は臭い所へ無期徒刑に処せられたものと見える。名刺こそ飛んだ厄運やくうんに際会したものだと思うもなく、主人はこの野郎と吾輩のえりがみをつかんでえいとばかりに椽側えんがわたたきつけた。
「さあ敷きたまえ。珍らしいな。いつ東京へ出て来た」と主人は旧友に向って布団を勧める。鈴木君はちょっとこれを裏返した上で、それへ坐る。
「ついまだ忙がしいものだから報知もしなかったが、実はこの間から東京の本社の方へ帰るようになってね……」
「それは結構だ、大分だいぶ長く逢わなかったな。君が田舎いなかへ行ってから、始めてじゃないか」
「うん、もう十年近くになるね。なにその後時々東京へは出て来る事もあるんだが、つい用事が多いもんだから、いつでも失敬するような訳さ。るく思ってくれたもうな。会社の方は君の職業とは違って随分忙がしいんだから」
「十年立つうちには大分違うもんだな」と主人は鈴木君を見上げたり見下ろしたりしている。鈴木君は頭を美麗きれいに分けて、英国仕立のトウィードを着て、派手な襟飾えりかざりをして、胸に金鎖りさえピカつかせている体裁、どうしても苦沙弥くしゃみ君の旧友とは思えない。
「うん、こんな物までぶら下げなくちゃ、ならんようになってね」と鈴木君はしきりに金鎖りを気にして見せる。
「そりゃ本ものかい」と主人は無作法ぶさほうな質問をかける。
「十八金だよ」と鈴木君は笑いながら答えたが「君も大分年を取ったね。たしか小供があるはずだったが一人かい」
「いいや」
「二人?」
「いいや」
「まだあるのか、じゃ三人か」
「うん三人ある。この先幾人いくにん出来るか分らん」
「相変らず気楽な事を云ってるぜ。一番大きいのはいくつになるかね、もうよっぽどだろう」
「うん、いくつかく知らんが大方おおかた六つか、七つかだろう」
「ハハハ教師は呑気のんきでいいな。僕も教員にでもなれば善かった」
「なって見ろ、三日でいやになるから」
「そうかな、何だか上品で、気楽で、閑暇ひまがあって、すきな勉強が出来て、よさそうじゃないか。実業家も悪くもないが我々のうちは駄目だ。実業家になるならずっと上にならなくっちゃいかん。下の方になるとやはりつまらん御世辞を振りいたり、好かん猪口ちょこをいただきに出たり随分なもんだよ」
「僕は実業家は学校時代から大嫌だ。金さえ取れれば何でもする、昔で云えば素町人すちょうにんだからな」と実業家を前にひかえて太平楽を並べる。
「まさか――そうばかりも云えんがね、少しは下品なところもあるのさ、とにかくかね情死しんじゅうをする覚悟でなければやり通せないから――ところがその金と云う奴が曲者くせもので、――今もある実業家の所へ行って聞いて来たんだが、金を作るにも三角術を使わなくちゃいけないと云うのさ――義理をかく、人情をかく、恥をかくこれで三角になるそうだ面白いじゃないかアハハハハ」
「誰だそんな馬鹿は」
「馬鹿じゃない、なかなか利口な男なんだよ、実業界でちょっと有名だがね、君知らんかしら、ついこの先の横丁にいるんだが」
「金田か? んだあんな奴」
「大変怒ってるね。なあに、そりゃ、ほんの冗談じょうだんだろうがね、そのくらいにせんと金は溜らんと云うたとえさ。君のようにそう真面目に解釈しちゃ困る」
「三角術は冗談でもいいが、あすこの女房の鼻はなんだ。君行ったんなら見て来たろう、あの鼻を」
「細君か、細君はなかなかさばけた人だ」
「鼻だよ、大きな鼻の事を云ってるんだ。せんだって僕はあの鼻について俳体詩はいたいしを作ったがね」
「何だい俳体詩と云うのは」
「俳体詩を知らないのか、君も随分時勢に暗いな」
「ああ僕のように忙がしいと文学などは到底とうてい駄目さ。それに以前からあまり数奇すきでない方だから」
「君シャーレマンの鼻の恰好かっこうを知ってるか」
「アハハハハ随分気楽だな。知らんよ」
「エルリントンは部下のものから鼻々と異名いみょうをつけられていた。君知ってるか」
「鼻の事ばかり気にして、どうしたんだい。好いじゃないか鼻なんか丸くてもんがってても」
「決してそうでない。君パスカルの事を知ってるか」
「また知ってるかか、まるで試験を受けに来たようなものだ。パスカルがどうしたんだい」
「パスカルがこんな事を云っている」
「どんな事を」
「もしクレオパトラの鼻が少し短かかったならば世界の表面に大変化をきたしたろうと」
「なるほど」
「それだから君のようにそう無雑作むぞうさに鼻を馬鹿にしてはいかん」
「まあいいさ、これから大事にするから。そりゃそうとして、今日来たのは、少し君に用事があって来たんだがね――あのもと君の教えたとか云う、水島――ええ水島ええちょっと思い出せない。――そら君の所へ始終来ると云うじゃないか」
寒月かんげつか」
「そうそう寒月寒月。あの人の事についてちょっと聞きたい事があって来たんだがね」
「結婚事件じゃないか」
「まあ多少それに類似の事さ。今日金田へ行ったら……」
「この間鼻が自分で来た」
「そうか。そうだって、細君もそう云っていたよ。苦沙弥さんに、よく伺おうと思って上ったら、生憎あいにく迷亭が来ていて茶々を入れて何が何だか分らなくしてしまったって」
「あんな鼻をつけて来るから悪るいや」
「いえ君の事を云うんじゃないよ。あの迷亭君がおったもんだから、そう立ち入った事を聞く訳にも行かなかったので残念だったから、もう一遍僕に行ってよく聞いて来てくれないかって頼まれたものだからね。僕も今までこんな世話はした事はないが、もし当人同士がやでないなら中へ立ってまとめるのも、決して悪い事はないからね――それでやって来たのさ」
「御苦労様」と主人は冷淡に答えたが、腹の内では当人同士と云うことばを聞いて、どう云う訳か分らんが、ちょっと心を動かしたのである。し熱い夏の夜に一縷いちる冷風れいふう袖口そでぐちくぐったような気分になる。元来この主人はぶっ切ら棒の、頑固がんこ光沢つや消しをむねとして製造された男であるが、さればと云って冷酷不人情な文明の産物とはおのずからそのせんことにしている。彼がなんぞと云うと、むかっ腹をたててぷんぷんするのでも這裏しゃりの消息は会得えとくできる。先日鼻と喧嘩をしたのは鼻が気に食わぬからで鼻の娘には何の罪もない話しである。実業家は嫌いだから、実業家の片割れなる金田某もきらいに相違ないがこれも娘その人とは没交渉の沙汰と云わねばならぬ。娘には恩もうらみもなくて、寒月は自分が実の弟よりも愛している門下生である。もし鈴木君の云うごとく、当人同志が好いた仲なら、間接にもこれを妨害するのは君子のなすべき所作しょさでない。――苦沙弥先生はこれでも自分を君子と思っている。――もし当人同志が好いているなら――しかしそれが問題である。この事件に対して自己の態度を改めるには、まずその真相から確めなければならん。
「君その娘は寒月の所へ来たがってるのか。金田や鼻はどうでも構わんが、娘自身の意向はどうなんだ」
「そりゃ、その――何だね――何でも――え、来たがってるんだろうじゃないか」鈴木君の挨拶は少々曖昧あいまいである。実は寒月君の事だけ聞いて復命さえすればいいつもりで、御嬢さんの意向までは確かめて来なかったのである。従って円転滑脱かつだつの鈴木君もちょっと狼狽ろうばいの気味に見える。
だろうた判然しない言葉だ」と主人は何事によらず、正面から、どやし付けないと気がすまない。
「いや、これゃちょっと僕の云いようがわるかった。令嬢の方でもたしかにがあるんだよ。いえ全くだよ――え?――細君が僕にそう云ったよ。何でも時々は寒月君の悪口を云う事もあるそうだがね」
「あの娘がか」
「ああ」
しからん奴だ、悪口を云うなんて。第一それじゃ寒月にがないんじゃないか」
「そこがさ、世の中は妙なもので、自分の好いている人の悪口などは殊更ことさら云って見る事もあるからね」
「そんなな奴がどこの国にいるものか」と主人は斯様かような人情の機微に立ち入った事を云われてもとんと感じがない。
「その愚な奴が随分世の中にゃあるから仕方がない。現に金田の妻君もそう解釈しているのさ。戸惑とまどいをした糸瓜へちまのようだなんて、時々寒月さんの悪口を云いますから、よっぽど心のうちでは思ってるに相違ありませんと」
 主人はこの不可思議な解釈を聞いて、あまり思い掛けないものだから、眼を丸くして、返答もせず、鈴木君の顔を、大道易者だいどうえきしゃのようにじっと見つめている。鈴木君はこいつ、この様子では、ことによるとやり損なうなとかんづいたと見えて、主人にも判断の出来そうな方面へと話頭を移す。
「君考えても分るじゃないか、あれだけの財産があってあれだけの器量なら、どこへだって相応のうちへやれるだろうじゃないか。寒月だってえらいかも知れんが身分から云や――いや身分と云っちゃ失礼かも知れない。――財産と云う点から云や、まあ、だれが見たって釣り合わんのだからね。それを僕がわざわざ出張するくらい両親が気をんでるのは本人が寒月君に意があるからの事じゃあないか」と鈴木君はなかなかうまい理窟をつけて説明を与える。今度は主人にも納得が出来たらしいのでようやく安心したが、こんなところにまごまごしているとまた吶喊とっかんを喰う危険があるから、早く話しの歩を進めて、一刻も早く使命をまっとうする方が万全の策と心付いた。
「それでね。今云う通りの訳であるから、先方で云うには何も金銭や財産はいらんからその代り当人に附属した資格が欲しい――資格と云うと、まあ肩書だね、――博士になったらやってもいいなんて威張ってる次第じゃない――誤解しちゃいかん。せんだって細君の来た時は迷亭君がいて妙な事ばかり云うものだから――いえ君が悪いのじゃない。細君も君の事を御世辞のない正直ないいかただとめていたよ。全く迷亭君がわるかったんだろう。――それでさ本人が博士にでもなってくれれば先方でも世間へ対して肩身が広い、面目めんぼくがあると云うんだがね、どうだろう、近々きんきんの内水島君は博士論文でも呈出して、博士の学位を受けるような運びには行くまいか。なあに――金田だけなら博士も学士もいらんのさ、ただ世間と云う者があるとね、そう手軽にも行かんからな」
 こう云われて見ると、先方で博士を請求するのも、あながち無理でもないように思われて来る。無理ではないように思われて来れば、鈴木君の依頼通りにしてやりたくなる。主人をかすのも殺すのも鈴木君の意のままである。なるほど主人は単純で正直な男だ。
「それじゃ、今度寒月が来たら、博士論文をかくように僕から勧めて見よう。しかし当人が金田の娘を貰うつもりかどうだか、それからまず問いただして見なくちゃいかんからな」
「問い正すなんて、君そんな角張かどばった事をして物がまとまるものじゃない。やっぱり普通の談話の際にそれとなく気を引いて見るのが一番近道だよ」
「気を引いて見る?」
「うん、気を引くと云うと語弊があるかも知れん。――なに気を引かんでもね。話しをしていると自然分るもんだよ」
「君にゃ分るかも知れんが、僕にゃ判然と聞かん事は分らん」
「分らなけりゃ、まあ好いさ。しかし迷亭君見たように余計な茶々を入れてわすのは善くないと思う。仮令たとい勧めないまでも、こんな事は本人の随意にすべきはずのものだからね。今度寒月君が来たらなるべくどうか邪魔をしないようにしてくれ給え。――いえ君の事じゃない、あの迷亭君の事さ。あの男の口にかかると到底助かりっこないんだから」と主人の代理に迷亭の悪口をきいていると、うわさをすれば陰のたとえれず迷亭先生例のごとく勝手口から飄然ひょうぜん春風しゅんぷうに乗じて舞い込んで来る。
「いやー珍客だね。僕のような狎客こうかくになると苦沙弥くしゃみはとかく粗略にしたがっていかん。何でも苦沙弥のうちへは十年に一遍くらいくるに限る。この菓子はいつもより上等じゃないか」と藤村ふじむら羊羹ようかん無雑作むぞうさ頬張ほおばる。鈴木君はもじもじしている。主人はにやにやしている。迷亭は口をもがもがさしている。吾輩はこの瞬時の光景を椽側えんがわから拝見して無言劇と云うものは優に成立し得ると思った。禅家ぜんけで無言の問答をやるのが以心伝心であるなら、この無言の芝居も明かに以心伝心の幕である。すこぶる短かいけれどもすこぶる鋭どい幕である。
「君は一生旅烏たびがらすかと思ってたら、いつのにか舞い戻ったね。長生ながいきはしたいもんだな。どんな僥倖ぎょうこうめぐり合わんとも限らんからね」と迷亭は鈴木君に対しても主人に対するごとくごうも遠慮と云う事を知らぬ。いかに自炊の仲間でも十年も逢わなければ、何となく気のおけるものだが迷亭君に限って、そんな素振そぶりも見えぬのは、えらいのだか馬鹿なのかちょっと見当がつかぬ。
「可哀そうに、そんなに馬鹿にしたものでもない」と鈴木君は当らずさわらずの返事はしたが、何となく落ちつきかねて、例の金鎖を神経的にいじっている。
「君電気鉄道へ乗ったか」と主人は突然鈴木君に対して奇問を発する。
「今日は諸君からひやかされに来たようなものだ。なんぼ田舎者だって――これでも街鉄がいてつを六十株持ってるよ」
「そりゃ馬鹿に出来ないな。僕は八百八十八株半持っていたが、惜しい事に大方おおかた虫が喰ってしまって、今じゃ半株ばかりしかない。もう少し早く君が東京へ出てくれば、虫の喰わないところを十株ばかりやるところだったが惜しい事をした」
「相変らず口が悪るい。しかし冗談は冗談として、ああ云う株は持ってて損はないよ、年々ねんねん高くなるばかりだから」
「そうだ仮令たとい半株だって千年も持ってるうちにゃ倉が三つくらい建つからな。君も僕もその辺にぬかりはない当世の才子だが、そこへ行くと苦沙弥などは憐れなものだ。株と云えば大根の兄弟分くらいに考えているんだから」とまた羊羹ようかんをつまんで主人の方を見ると、主人も迷亭のが伝染しておのずから菓子皿の方へ手が出る。世の中では万事積極的のものが人から真似らるる権利を有している。
「株などはどうでも構わんが、僕は曾呂崎そろさきに一度でいいから電車へ乗らしてやりたかった」と主人は喰い欠けた羊羹の歯痕はあと撫然ぶぜんとして眺める。
「曾呂崎が電車へ乗ったら、乗るたんびに品川まで行ってしまうは、それよりやっぱり天然居士てんねんこじ沢庵石たくあんいしり付けられてる方が無事でいい」
「曾呂崎と云えば死んだそうだな。気の毒だねえ、いい頭の男だったが惜しい事をした」と鈴木君が云うと、迷亭はただちに引き受けて
「頭は善かったが、飯をく事は一番下手だったぜ。曾呂崎の当番の時には、僕あいつでも外出をして蕎麦そばしのいでいた」
「ほんとに曾呂崎の焚いた飯はげくさくってしんがあって僕も弱った。御負けに御菜おかずに必ず豆腐をなまで食わせるんだから、冷たくて食われやせん」と鈴木君も十年前の不平を記憶の底からび起す。
「苦沙弥はあの時代から曾呂崎の親友で毎晩いっしょに汁粉しるこを食いに出たが、そのたたりで今じゃ慢性胃弱になって苦しんでいるんだ。実を云うと苦沙弥の方が汁粉の数を余計食ってるから曾呂崎[#「曾呂崎」は底本では「曾兄崎」]より先へ死んでい訳なんだ」
「そんな論理がどこの国にあるものか。俺の汁粉より君は運動と号して、毎晩竹刀しないを持って裏の卵塔婆らんとうばへ出て、石塔をたたいてるところを坊主に見つかって剣突けんつくを食ったじゃないか」と主人も負けぬ気になって迷亭の旧悪をあばく。
「アハハハそうそう坊主が仏様の頭を叩いては安眠の妨害になるからよしてくれって言ったっけ。しかし僕のは竹刀だが、この鈴木将軍のは手暴てあらだぜ。石塔と相撲をとって大小三個ばかり転がしてしまったんだから」
「あの時の坊主の怒り方は実に烈しかった。是非元のように起せと云うから人足をやとうまで待ってくれと云ったら人足じゃいかん懺悔ざんげの意を表するためにあなたが自身で起さなくては仏の意にそむくと云うんだからね」
「その時の君の風采ふうさいはなかったぜ、金巾かなきんのしゃつに越中褌えっちゅうふんどしで雨上りの水溜りの中でうんうんうなって……」
「それを君がすました顔で写生するんだからひどい。僕はあまり腹を立てた事のない男だが、あの時ばかりは失敬だとしんから思ったよ。あの時の君の言草をまだ覚えているが君は知ってるか」
「十年前の言草なんか誰が覚えているものか、しかしあの石塔に帰泉院殿きせんいんでん黄鶴大居士こうかくだいこじ安永五年たつ正月とってあったのだけはいまだに記憶している。あの石塔は古雅に出来ていたよ。引き越す時に盗んで行きたかったくらいだ。実に美学上の原理にかなって、ゴシック趣味な石塔だった」と迷亭はまた好い加減な美学を振り廻す。
「そりゃいいが、君の言草がさ。こうだぜ――吾輩は美学を専攻するつもりだから天地間てんちかんの面白い出来事はなるべく写生しておいて将来の参考に供さなければならん、気の毒だの、可哀相かわいそうだのと云う私情は学問に忠実なる吾輩ごときものの口にすべきところでないと平気で云うのだろう。僕もあんまりな不人情な男だと思ったから泥だらけの手で君の写生帖を引き裂いてしまった」
「僕の有望な画才が頓挫とんざして一向いっこう振わなくなったのも全くあの時からだ。君に機鋒きほうを折られたのだね。僕は君にうらみがある」
「馬鹿にしちゃいけない。こっちが恨めしいくらいだ」
「迷亭はあの時分から法螺吹ほらふきだったな」と主人は羊羹ようかんを食いおわって再び二人の話の中に割り込んで来る。
「約束なんか履行りこうした事がない。それで詰問を受けると決してびた事がない何とかとか云う。あの寺の境内に百日紅さるすべりが咲いていた時分、この百日紅が散るまでに美学原論と云う著述をすると云うから、駄目だ、到底出来る気遣きづかいはないと云ったのさ。すると迷亭の答えに僕はこう見えても見掛けに寄らぬ意志の強い男である、そんなに疑うならかけをしようと云うから僕は真面目に受けて何でも神田の西洋料理をおごりっこかなにかにめた。きっと書物なんか書く気遣はないと思ったから賭をしたようなものの内心は少々恐ろしかった。僕に西洋料理なんか奢る金はないんだからな。ところが先生一向いっこう稿を起す景色けしきがない。七日なぬか立っても二十日はつか立っても一枚も書かない。いよいよ百日紅が散って一輪の花もなくなっても当人平気でいるから、いよいよ西洋料理に有りついたなと思って契約履行をせまると迷亭すまして取り合わない」
「また何とか理窟りくつをつけたのかね」と鈴木君が相の手を入れる。
「うん、実にずうずうしい男だ。吾輩はほかに能はないが意志だけは決して君方に負けはせんと剛情を張るのさ」
「一枚も書かんのにか」と今度は迷亭君自身が質問をする。
「無論さ、その時君はこう云ったぜ。吾輩は意志の一点においてはあえて何人なんぴとにも一歩も譲らん。しかし残念な事には記憶が人一倍無い。美学原論を著わそうとする意志は充分あったのだがその意志を君に発表した翌日から忘れてしまった。それだから百日紅の散るまでに著書が出来なかったのは記憶の罪で意志の罪ではない。意志の罪でない以上は西洋料理などを奢る理由がないと威張っているのさ」
「なるほど迷亭君一流の特色を発揮して面白い」と鈴木君はなぜだか面白がっている。迷亭のおらぬ時の語気とはよほど違っている。これが利口な人の特色かも知れない。
「何が面白いものか」と主人は今でもおこっている様子である。
「それは御気の毒様、それだからその埋合うめあわせをするために孔雀くじゃくの舌なんかを金と太鼓で探しているじゃないか。まあそうおこらずに待っているさ。しかし著書と云えば君、今日は一大珍報をもたらして来たんだよ」
「君はくるたびに珍報を齎らす男だから油断が出来ん」
「ところが今日の珍報は真の珍報さ。正札付一厘も引けなしの珍報さ。君寒月が博士論文の稿を起したのを知っているか。寒月はあんな妙に見識張った男だから博士論文なんて無趣味な労力はやるまいと思ったら、あれでやっぱり色気があるからおかしいじゃないか。君あの鼻に是非通知してやるがいい、この頃は団栗博士どんぐりはかせの夢でも見ているかも知れない」
 鈴木君は寒月の名を聞いて、話してはいけぬ話してはいけぬとあごと眼で主人に合図する。主人には一向いっこう意味が通じない。さっき鈴木君に逢って説法を受けた時は金田の娘の事ばかりが気の毒になったが、今迷亭から鼻々と云われるとまた先日喧嘩をした事を思い出す。思い出すと滑稽でもあり、また少々はにくらしくもなる。しかし寒月が博士論文を草しかけたのは何よりの御見おみやげで、こればかりは迷亭先生自賛のごとくまずまず近来の珍報である。ただに珍報のみならず、嬉しい快よい珍報である。金田の娘を貰おうが貰うまいがそんな事はまずどうでもよい。とにかく寒月の博士になるのは結構である。自分のように出来損いの木像は仏師屋の隅で虫が喰うまで白木しらきのままくすぶっていても遺憾いかんはないが、これはうまく仕上がったと思う彫刻には一日も早くはくを塗ってやりたい。
「本当に論文を書きかけたのか」と鈴木君の合図はそっちけにして、熱心に聞く。
「よく人の云う事を疑ぐる男だ。――もっとも問題は団栗どんぐりだか首縊くびくくりの力学だかしかと分らんがね。とにかく寒月の事だから鼻の恐縮するようなものに違いない」
 さっきから迷亭が鼻々と無遠慮に云うのを聞くたんびに鈴木君は不安の様子をする。迷亭は少しも気が付かないから平気なものである。
「その後鼻についてまた研究をしたが、この頃トリストラム・シャンデーの中に鼻論はなろんがあるのを発見した。金田の鼻などもスターンに見せたら善い材料になったろうに残念な事だ。鼻名びめい千載せんざいに垂れる資格は充分ありながら、あのままでち果つるとは不憫千万ふびんせんばんだ。今度ここへ来たら美学上の参考のために写生してやろう」と相変らず口から出任でまかせに喋舌しゃべり立てる。
「しかしあの娘は寒月の所へ来たいのだそうだ」と主人が今鈴木君から聞いた通りを述べると、鈴木君はこれは迷惑だと云う顔付をしてしきりに主人に目くばせをするが、主人は不導体のごとく一向いっこう電気に感染しない。
「ちょっとおつだな、あんな者の子でも恋をするところが、しかし大した恋じゃなかろう、大方鼻恋はなごいくらいなところだぜ」
「鼻恋でも寒月が貰えばいいが」
「貰えばいいがって、君は先日大反対だったじゃないか。今日はいやに軟化しているぜ」
「軟化はせん、僕は決して軟化はせんしかし……」
「しかしどうかしたんだろう。ねえ鈴木、君も実業家の末席ばっせきけがす一人だから参考のために言って聞かせるがね。あの金田某なる者さ。あの某なるものの息女などを天下の秀才水島寒月の令夫人とあがめ奉るのは、少々提灯ちょうちんと釣鐘と云う次第で、我々朋友ほうゆうたる者が冷々れいれい黙過する訳に行かん事だと思うんだが、たとい実業家の君でもこれには異存はあるまい」
「相変らず元気がいいね。結構だ。君は十年前と容子ようすが少しも変っていないからえらい」と鈴木君は柳に受けて、胡麻化ごまかそうとする。
「えらいとめるなら、もう少し博学なところを御目にかけるがね。むかしの希臘人ギリシャじんは非常に体育を重んじたものであらゆる競技に貴重なる懸賞を出して百方奨励の策を講じたものだ。しかるに不思議な事には学者の智識に対してのみは何等の褒美ほうびも与えたと云う記録がなかったので、今日こんにちまで実はおおいに怪しんでいたところさ」
「なるほど少し妙だね」と鈴木君はどこまでも調子を合せる。
「しかるについ両三日前に至って、美学研究の際ふとその理由を発見したので多年の疑団ぎだんは一度に氷解。漆桶しっつうを抜くがごとく痛快なる悟りを得て歓天喜地かんてんきちの至境に達したのさ」
 あまり迷亭の言葉が仰山ぎょうさんなので、さすが御上手者おじょうずものの鈴木君も、こりゃ手に合わないと云う顔付をする。主人はまた始まったなと云わぬばかりに、象牙ぞうげはしで菓子皿のふちをかんかん叩いていている。迷亭だけは大得意で弁じつづける。
「そこでこの矛盾なる現象の説明を明記して、暗黒のふちから吾人の疑を千載せんざいもとに救い出してくれた者は誰だと思う。学問あって以来の学者と称せらるる希臘ギリシャの哲人、逍遥派しょうようはの元祖アリストートルその人である。彼の説明にいわくさ――おい菓子皿などを叩かんで謹聴していなくちゃいかん。――彼等希臘人が競技において得るところの賞与は彼等が演ずる技芸その物より貴重なものである。それ故に褒美ほうびにもなり、奨励の具ともなる。しかし智識その物に至ってはどうである。もし智識に対する報酬として何物をか与えんとするならば智識以上の価値あるものを与えざるべからず。しかし智識以上の珍宝が世の中にあろうか。無論あるはずがない。下手なものをやれば智識の威厳を損する訳になるばかりだ。彼等は智識に対して千両箱をオリムパスの山ほど積み、クリーサスの富をかたむつくしても相当の報酬を与えんとしたのであるが、いかに考えても到底とうてい釣り合うはずがないと云う事を観破かんぱして、それより以来と云うものは奇麗さっぱり何にもやらない事にしてしまった。黄白青銭こうはくせいせんが智識の匹敵ひってきでない事はこれで十分理解出来るだろう。さてこの原理を服膺ふくようした上で時事問題にのぞんで見るがいい。金田某は何だい紙幣さつに眼鼻をつけただけの人間じゃないか、奇警なる語をもって形容するならば彼は一個の活動紙幣かつどうしへいに過ぎんのである。活動紙幣の娘なら活動切手くらいなところだろう。ひるがえって寒月君は如何いかんと見ればどうだ。かたじけなくも学問最高の府を第一位に卒業してごう倦怠けんたいの念なく長州征伐時代の羽織の紐をぶら下げて、日夜団栗どんぐりのスタビリチーを研究し、それでもなお満足する様子もなく、近々きんきんの中ロード・ケルヴィンを圧倒するほどな大論文を発表しようとしつつあるではないか。たまたま吾妻橋あずまばしを通り掛って身投げの芸を仕損じた事はあるが、これも熱誠なる青年に有りがちの発作的ほっさてき所為しょいごうも彼が智識の問屋とんやたるにわずらいを及ぼすほどの出来事ではない。迷亭一流のたとえをもって寒月君を評すれば彼は活動図書館である。智識をもってね上げたる二十八サンチの弾丸である。この弾丸が一たび時機を得て学界に爆発するなら、――もし爆発して見給え――爆発するだろう――」迷亭はここに至って迷亭一流と自称する形容詞が思うように出て来ないので俗に云う竜頭蛇尾りゅうとうだびの感に多少ひるんで見えたがたちまち「活動切手などは何千万枚あったって微塵みじんになってしまうさ。それだから寒月には、あんな釣り合わない女性にょしょうは駄目だ。僕が不承知だ、百獣のうちでもっとも聡明なる大象と、もっとも貪婪たんらんなる小豚と結婚するようなものだ。そうだろう苦沙弥君」と云って退けると、主人はまた黙って菓子皿を叩き出す。鈴木君は少しへこんだ気味で
「そんな事も無かろう」とじゅつなげに答える。さっきまで迷亭の悪口を随分ついた揚句ここで無暗むやみな事を云うと、主人のような無法者はどんな事を破抜ぱぬくか知れない。なるべくここはいい加減に迷亭の鋭鋒をあしらって無事に切り抜けるのが上分別なのである。鈴木君は利口者である。いらざる抵抗は避けらるるだけ避けるのが当世で、無要の口論は封建時代の遺物と心得ている。人生の目的は口舌こうぜつではない実行にある。自己の思い通りに着々事件が進捗しんちょくすれば、それで人生の目的は達せられたのである。苦労と心配と争論とがなくて事件が進捗すれば人生の目的は極楽流ごくらくりゅうに達せられるのである。鈴木君は卒業後この極楽主義によって成功し、この極楽主義によって金時計をぶら下げ、この極楽主義で金田夫婦の依頼をうけ、同じくこの極楽主義でまんまと首尾よく苦沙弥君を説き落して当該とうがい事件が十中八九まで成就じょうじゅしたところへ、迷亭なる常規をもって律すべからざる、普通の人間以外の心理作用を有するかと怪まるる風来坊ふうらいぼうが飛び込んで来たので少々その突然なるに面喰めんくらっているところである。極楽主義を発明したものは明治の紳士で、極楽主義を実行するものは鈴木藤十郎君で、今この極楽主義で困却しつつあるものもまた鈴木藤十郎君である。
「君は何にも知らんからそうでもなかろうなどと澄し返って、例になく言葉寡ことばずくなに上品にひかえ込むが、せんだってあの鼻の主が来た時の容子ようすを見たらいかに実業家贔負びいきの尊公でも辟易へきえきするにきまってるよ、ねえ苦沙弥君、君おおいに奮闘したじゃないか」
「それでも君より僕の方が評判がいいそうだ」
「アハハハなかなか自信が強い男だ。それでなくてはサヴェジ・チーなんて生徒や教師にからかわれてすまして学校へ出ちゃいられん訳だ。僕も意志は決して人に劣らんつもりだが、そんなに図太くは出来ん敬服の至りだ」
「生徒や教師が少々愚図愚図言ったって何が恐ろしいものか、サントブーヴは古今独歩の評論家であるが巴里パリ大学で講義をした時は非常に不評判で、彼は学生の攻撃に応ずるため外出の際必ず匕首あいくちそでの下に持って防禦ぼうぎょの具となした事がある。ブルヌチェルがやはり巴里の大学でゾラの小説を攻撃した時は……」
「だって君ゃ大学の教師でも何でもないじゃないか。高がリードルの先生でそんな大家を例に引くのは雑魚ざこくじらをもってみずかたとえるようなもんだ、そんな事を云うとなおからかわれるぜ」
「黙っていろ。サントブーヴだって俺だって同じくらいな学者だ」
「大変な見識だな。しかし懐剣をもって歩行あるくだけはあぶないから真似まねない方がいいよ。大学の教師が懐剣ならリードルの教師はまあ小刀こがたなくらいなところだな。しかしそれにしても刃物は剣呑けんのんだから仲見世なかみせへ行っておもちゃの空気銃を買って来て背負しょってあるくがよかろう。愛嬌あいきょうがあっていい。ねえ鈴木君」と云うと鈴木君はようやく話が金田事件を離れたのでほっと一息つきながら
「相変らず無邪気で愉快だ。十年振りで始めて君等に逢ったんで何だか窮屈な路次ろじから広い野原へ出たような気持がする。どうも我々仲間の談話は少しも油断がならなくてね。何を云うにも気をおかなくちゃならんから心配で窮屈で実に苦しいよ。話は罪がないのがいいね。そして昔しの書生時代の友達と話すのが一番遠慮がなくっていい。ああ今日ははからず迷亭君にって愉快だった。僕はちと用事があるからこれで失敬する」と鈴木君が立ちけると、迷亭も「僕もいこう、僕はこれから日本橋の演芸えんげい矯風会きょうふうかいに行かなくっちゃならんから、そこまでいっしょに行こう」「そりゃちょうどいい久し振りでいっしょに散歩しよう」と両君は手をたずさえて帰る。
 
 
 
 
 
 
 
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 五
 
 二十四時間の出来事をれなく書いて、洩れなく読むには少なくも二十四時間かかるだろう、いくら写生文を鼓吹こすいする吾輩でもこれは到底猫のくわだて及ぶべからざる芸当と自白せざるを得ない。従っていかに吾輩の主人が、二六時中精細なる描写に価する奇言奇行をろうするにもかかわらず逐一これを読者に報知するの能力と根気のないのははなはだ遺憾いかんである。遺憾ではあるがやむを得ない。休養は猫といえども必要である。鈴木君と迷亭君の帰ったあとは木枯こがらしのはたと吹きんで、しんしんと降る雪の夜のごとく静かになった。主人は例のごとく書斎へ引きこもる。小供は六畳のへ枕をならべて寝る。一間半のふすまを隔てて南向のへやには細君が数え年三つになる、めん子さんと添乳そえぢして横になる。花曇りに暮れを急いだ日はく落ちて、表を通る駒下駄の音さえ手に取るように茶の間へ響く。隣町となりちょうの下宿で明笛みんてきを吹くのが絶えたり続いたりして眠い耳底じていに折々鈍い刺激を与える。外面そとは大方おぼろであろう。晩餐にはんぺんの煮汁だし鮑貝あわびがいをからにした腹ではどうしても休養が必要である。
 ほのかにうけたまわれば世間には猫の恋とか称する俳諧はいかい趣味の現象があって、春さきは町内の同族共の夢安からぬまで浮かれるく夜もあるとか云うが、吾輩はまだかかる心的変化に遭逢そうほうした事はない。そもそも恋は宇宙的の活力である。かみは在天の神ジュピターよりしもは土中に鳴く蚯蚓みみず、おけらに至るまでこの道にかけて浮身をやつすのが万物の習いであるから、吾輩どもがおぼろうれしと、物騒な風流気を出すのも無理のない話しである。回顧すればかくう吾輩も三毛子みけこに思いがれた事もある。三角主義の張本金田君の令嬢阿倍川の富子さえ寒月君に恋慕したと云ううわさである。それだから千金の春宵しゅんしょうを心も空に満天下の雌猫雄猫めねこおねこが狂い廻るのを煩悩ぼんのうまよいのと軽蔑けいべつする念は毛頭ないのであるが、いかんせん誘われてもそんな心が出ないから仕方がない。吾輩目下の状態はただ休養を欲するのみである。こう眠くては恋も出来ぬ。のそのそと小供の布団ふとんすそへ廻って心地快ここちよく眠る。……
 ふと眼をいて見ると主人はいつのにか書斎から寝室へ来て細君の隣に延べてある布団ふとんの中にいつの間にかもぐり込んでいる。主人の癖として寝る時は必ず横文字の小本こほんを書斎からたずさえて来る。しかし横になってこの本を二ページと続けて読んだ事はない。ある時は持って来て枕元へ置いたなり、まるで手を触れぬ事さえある。一行も読まぬくらいならわざわざげてくる必要もなさそうなものだが、そこが主人の主人たるところでいくら細君が笑っても、止せと云っても、決して承知しない。毎夜読まない本をご苦労千万にも寝室まで運んでくる。ある時は慾張って三四冊も抱えて来る。せんだってじゅうは毎晩ウェブスターの大字典さえ抱えて来たくらいである。思うにこれは主人の病気で贅沢ぜいたくな人が竜文堂りゅうぶんどうに鳴る松風の音を聞かないと寝つかれないごとく、主人も書物を枕元に置かないと眠れないのであろう、して見ると主人に取っては書物は読む者ではない眠を誘う器械である。活版の睡眠剤である。
 今夜も何か有るだろうとのぞいて見ると、赤い薄い本が主人の口髯くちひげの先につかえるくらいな地位に半分開かれて転がっている。主人の左の手の拇指おやゆびが本の間にはさまったままであるところからすと奇特にも今夜は五六行読んだものらしい。赤い本と並んで例のごとくニッケルの袂時計たもとどけいが春に似合わぬ寒き色を放っている。
 細君は乳呑児ちのみごを一尺ばかり先へ放り出して口をいていびきをかいて枕をはずしている。およそ人間において何が見苦しいと云って口を開けて寝るほどの不体裁はあるまいと思う。猫などは生涯しょうがいこんな恥をかいた事がない。元来口は音を出すため鼻は空気を吐呑とどんするための道具である。もっとも北の方へ行くと人間が無精になってなるべく口をあくまいと倹約をする結果鼻で言語を使うようなズーズーもあるが、鼻を閉塞へいそくして口ばかりで呼吸の用を弁じているのはズーズーよりも見ともないと思う。第一天井からねずみふんでも落ちた時危険である。
 小供の方はと見るとこれも親に劣らぬていたらくで寝そべっている。姉のとん子は、姉の権利はこんなものだと云わぬばかりにうんと右の手を延ばして妹の耳の上へのせている。妹のすん子はその復讐ふくしゅうに姉の腹の上に片足をあげて踏反ふんぞり返っている。双方共寝た時の姿勢より九十度はたしかに廻転している。しかもこの不自然なる姿勢を維持しつつ両人とも不平も云わずおとなしく熟睡している。
 さすがに春の灯火ともしびは格別である。天真爛漫らんまんながら無風流極まるこの光景のうちに良夜を惜しめとばかりゆかしげに輝やいて見える。もう何時なんじだろうとへやの中を見廻すと四隣はしんとしてただ聞えるものは柱時計と細君のいびきと遠方で下女の歯軋はぎしりをする音のみである。この下女は人から歯軋りをすると云われるといつでもこれを否定する女である。私は生れてから今日こんにちに至るまで歯軋りをしたおぼえはございませんと強情を張って決して直しましょうとも御気の毒でございますとも云わず、ただそんな覚はございませんと主張する。なるほど寝ていてする芸だから覚はないに違ない。しかし事実は覚がなくても存在する事があるから困る。世の中には悪い事をしておりながら、自分はどこまでも善人だと考えているものがある。これは自分が罪がないと自信しているのだから無邪気で結構ではあるが、人の困る事実はいかに無邪気でも滅却する訳には行かぬ。こう云う紳士淑女はこの下女の系統に属するのだと思う。――大分更だいぶふけたようだ。
 台所の雨戸にトントンと二返ばかり軽くあたった者がある。はてな今頃人の来るはずがない。大方例の鼠だろう、鼠なららん事に極めているから勝手にあばれるがよろしい。――またトントンとあたる。どうも鼠らしくない。鼠としても大変用心深い鼠である。主人の内の鼠は、主人の出る学校の生徒のごとく日中にっちゅうでも夜中やちゅうでも乱暴狼藉ろうぜきの練修に余念なく、憫然びんぜんなる主人の夢を驚破きょうはするのを天職のごとく心得ている連中だから、かくのごとく遠慮する訳がない。今のはたしかに鼠ではない。せんだってなどは主人の寝室にまで闖入ちんにゅうして高からぬ主人の鼻の頭をんで凱歌がいかを奏して引き上げたくらいの鼠にしてはあまり臆病すぎる。決して鼠ではない。今度はギーと雨戸を下から上へ持ち上げる音がする、同時に腰障子を出来るだけゆるやかに、溝に添うてすべらせる。いよいよ鼠ではない。人間だ。この深夜に人間が案内も乞わず戸締とじまりずして御光来になるとすれば迷亭先生や鈴木君ではないにきまっている。御高名だけはかねてうけたまわっている泥棒陰士どろぼういんしではないか知らん。いよいよ陰士とすれば早く尊顔そんがんを拝したいものだ。陰士は今や勝手の上に大いなる泥足を上げて二足ふたあしばかり進んだ模様である。三足目と思う頃揚板あげいたつまずいてか、ガタリとよるに響くような音を立てた。吾輩の背中せなかの毛が靴刷毛くつばけで逆にすられたような心持がする。しばらくは足音もしない。細君を見るとだ口をあいて太平の空気を夢中に吐呑とどんしている。主人は赤い本に拇指おやゆびはさまれた夢でも見ているのだろう。やがて台所でマチをる音が聞える。陰士でも吾輩ほど夜陰に眼はかぬと見える。勝手がわるくて定めし不都合だろう。
 この時吾輩は蹲踞うずくまりながら考えた。陰士は勝手から茶の間の方面へ向けて出現するのであろうか、または左へ折れ玄関を通過して書斎へと抜けるであろうか。――足音はふすまの音と共に椽側えんがわへ出た。陰士はいよいよ書斎へ這入はいった。それぎり音も沙汰もない。
 吾輩はこのに早く主人夫婦を起してやりたいものだとようやく気が付いたが、さてどうしたら起きるやら、一向いっこう要領を得ん考のみが頭の中に水車みずぐるまの勢で廻転するのみで、何等の分別も出ない。布団ふとんすそくわえて振って見たらと思って、二三度やって見たが少しも効用がない。冷たい鼻を頬にり付けたらと思って、主人の顔の先へ持って行ったら、主人は眠ったまま、手をうんと延ばして、吾輩の鼻づらをやと云うほど突き飛ばした。鼻は猫にとっても急所である。痛む事おびただしい。此度こんどは仕方がないからにゃーにゃーと二返ばかり鳴いて起こそうとしたが、どう云うものかこの時ばかりは咽喉のどに物がつかえて思うような声が出ない。やっとの思いで渋りながら低い奴を少々出すと驚いた。肝心かんじんの主人はめる気色けしきもないのに突然陰士の足音がし出した。ミチリミチリと椽側をつたって近づいて来る。いよいよ来たな、こうなってはもう駄目だとあきらめて、ふすま柳行李やなぎごうりの間にしばしの間身を忍ばせて動静をうかがう。
 陰士の足音は寝室の障子の前へ来てぴたりとむ。吾輩は息をらして、この次は何をするだろうと一生懸命になる。あとで考えたが鼠をる時は、こんな気分になれば訳はないのだ、たましいが両方の眼から飛び出しそうないきおいである。陰士の御蔭で二度とないさとりを開いたのは実にありがたい。たちまち障子のさんの三つ目が雨に濡れたように真中だけ色が変る。それをすかして薄紅うすくれないなものがだんだん濃く写ったと思うと、紙はいつか破れて、赤い舌がぺろりと見えた。舌はしばしのに暗い中に消える。入れ代って何だか恐しく光るものが一つ、破れたあなの向側にあらわれる。疑いもなく陰士の眼である。妙な事にはその眼が、部屋の中にある何物をも見ないで、ただ柳行李のうしろに隠れていた吾輩のみを見つめているように感ぜられた。一分にも足らぬ間ではあったが、こうにらまれては寿命が縮まると思ったくらいである。もう我慢出来んから行李の影から飛出そうと決心した時、寝室の障子がスーと明いて待ち兼ねた陰士がついに眼前にあらわれた。
 吾輩は叙述の順序として、不時の珍客なる泥棒陰士その人をこの際諸君に御紹介するの栄誉を有するわけであるが、その前ちょっと卑見を開陳かいちんしてご高慮をわずらわしたい事がある。古代の神は全智全能とあがめられている。ことに耶蘇教ヤソきょうの神は二十世紀の今日こんにちまでもこの全智全能のめんかぶっている。しかし俗人の考うる全智全能は、時によると無智無能とも解釈が出来る。こう云うのは明かにパラドックスである。しかるにこのパラドックスを道破どうはした者は天地開闢てんちかいびゃく以来吾輩のみであろうと考えると、自分ながら満更まんざらな猫でもないと云う虚栄心も出るから、是非共ここにその理由を申し上げて、猫も馬鹿に出来ないと云う事を、高慢なる人間諸君の脳裏のうりに叩き込みたいと考える。天地万有は神が作ったそうな、して見れば人間も神の御製作であろう。現に聖書とか云うものにはその通りと明記してあるそうだ。さてこの人間について、人間自身が数千年来の観察を積んで、おおいに玄妙不思議がると同時に、ますます神の全智全能を承認するように傾いた事実がある。それはほかでもない、人間もかようにうじゃうじゃいるが同じ顔をしている者は世界中に一人もいない。顔の道具は無論きまっている、おおきさも大概は似たり寄ったりである。換言すれば彼等は皆同じ材料から作り上げられている、同じ材料で出来ているにも関らず一人も同じ結果に出来上っておらん。よくまああれだけの簡単な材料でかくまで異様な顔を思いついた者だと思うと、製造家の伎倆ぎりょうに感服せざるを得ない。よほど独創的な想像力がないとこんな変化は出来んのである。一代の画工が精力を消耗しょうこうして変化を求めた顔でも十二三種以外に出る事が出来んのをもってせば、人間の製造を一手いって受負うけおった神の手際てぎわは格別な者だと驚嘆せざるを得ない。到底人間社会において目撃し得ざるていの伎倆であるから、これを全能的伎倆と云ってもつかえないだろう。人間はこの点においておおいに神に恐れ入っているようである、なるほど人間の観察点から云えばもっともな恐れ入り方である。しかし猫の立場から云うと同一の事実がかえって神の無能力を証明しているとも解釈が出来る。もし全然無能でなくとも人間以上の能力は決してない者であると断定が出来るだろうと思う。神が人間の数だけそれだけ多くの顔を製造したと云うが、当初から胸中に成算があってかほどの変化を示したものか、または猫も杓子しゃくしも同じ顔に造ろうと思ってやりかけて見たが、とうていうまく行かなくて出来るのも出来るのも作りそこねてこの乱雑な状態におちいったものか、分らんではないか。彼等顔面の構造は神の成功の紀念と見らるると同時に失敗の痕迹こんせきとも判ぜらるるではないか。全能とも云えようが、無能と評したって差し支えはない。彼等人間の眼は平面の上に二つ並んでいるので左右を一時いちじに見る事が出来んから事物の半面だけしか視線内に這入はいらんのは気の毒な次第である。立場をえて見ればこのくらい単純な事実は彼等の社会に日夜間断なく起りつつあるのだが、本人のぼせ上がって、神にまれているから悟りようがない。製作の上に変化をあらわすのが困難であるならば、その上に徹頭徹尾の模傚もこうを示すのも同様に困難である。ラファエルに寸分違わぬ聖母の像を二枚かけと注文するのは、全然似寄らぬマドンナを双幅そうふく見せろとせまると同じく、ラファエルにとっては迷惑であろう、否同じ物を二枚かく方がかえって困難かも知れぬ。弘法大師に向って昨日きのう書いた通りの筆法で空海と願いますと云う方がまるで書体をえてと注文されるよりも苦しいかも分らん。人間の用うる国語は全然模傚主義もこうしゅぎで伝習するものである。彼等人間が母から、乳母うばから、他人から実用上の言語を習う時には、ただ聞いた通りを繰り返すよりほかに毛頭の野心はないのである。出来るだけの能力で人真似をするのである。かように人真似から成立する国語が十年二十年と立つうち、発音に自然と変化を生じてくるのは、彼等に完全なる模傚もこうの能力がないと云う事を証明している。純粋の模傚もこうはかくのごとく至難なものである。従って神が彼等人間を区別の出来ぬよう、悉皆しっかい焼印の御かめのごとく作り得たならばますます神の全能を表明し得るもので、同時に今日こんにちのごとく勝手次第な顔を天日てんぴらさして、目まぐるしきまでに変化を生ぜしめたのはかえってその無能力を推知し得るの具ともなり得るのである。
 吾輩は何の必要があってこんな議論をしたか忘れてしまった。もとを忘却するのは人間にさえありがちの事であるから猫には当然の事さと大目に見て貰いたい。とにかく吾輩は寝室の障子をあけて敷居の上にぬっと現われた泥棒陰士を瞥見べっけんした時、以上の感想が自然と胸中にき出でたのである。なぜ湧いた?――なぜと云う質問が出れば、今一応考え直して見なければならん。――ええと、その訳はこうである。
 吾輩の眼前に悠然ゆうぜんとあらわれた陰士の顔を見るとその顔が――平常ふだん神の製作についてその出来栄できばえをあるいは無能の結果ではあるまいかと疑っていたのに、それを一時に打ち消すに足るほどな特徴を有していたからである。特徴とはほかではない。彼の眉目びもくがわが親愛なる好男子水島寒月君にうり二つであると云う事実である。吾輩は無論泥棒に多くの知己ちきは持たぬが、その行為の乱暴なところから平常ふだん想像してひそかに胸中にえがいていた顔はないでもない。小鼻の左右に展開した、一銭銅貨くらいの眼をつけた、毬栗頭いがぐりあたまにきまっていると自分で勝手にめたのであるが、見ると考えるとは天地の相違、想像は決してたくましくするものではない。この陰士はせいのすらりとした、色の浅黒い一の字眉の、意気で立派な泥棒である。年は二十六七歳でもあろう、それすら寒月君の写生である。神もこんな似た顔を二個製造し得る手際てぎわがあるとすれば、決して無能をもって目する訳には行かぬ。いや実際の事を云うと寒月君自身が気が変になって深夜に飛び出して来たのではあるまいかと、はっと思ったくらいよく似ている。ただ鼻の下に薄黒くひげ芽生めばえが植え付けてないのでさては別人だと気が付いた。寒月君は苦味にがみばしった好男子で、活動小切手と迷亭から称せられたる、金田富子嬢を優に吸収するに足るほどな念入れの製作物である。しかしこの陰士も人相から観察するとその婦人に対する引力上の作用において決して寒月君に一歩も譲らない。もし金田の令嬢が寒月君の眼付や口先に迷ったのなら、同等の熱度をもってこの泥棒君にもれ込まなくては義理が悪い。義理はとにかく、論理に合わない。ああ云う才気のある、何でも早分りのする性質たちだからこのくらいの事は人から聞かんでもきっと分るであろう。して見ると寒月君の代りにこの泥棒を差し出しても必ず満身の愛を捧げて琴瑟きんしつ調和の実を挙げらるるに相違ない。万一寒月君が迷亭などの説法に動かされて、この千古の良縁が破れるとしても、この陰士が健在であるうちは大丈夫である。吾輩は未来の事件の発展をここまで予想して、富子嬢のために、やっと安心した。この泥棒君が天地の間に存在するのは富子嬢の生活を幸福ならしむる一大要件である。
 陰士は小脇になにか抱えている。見ると先刻さっき主人が書斎へ放り込んだ古毛布ふるげっとである。唐桟とうざん半纏はんてんに、御納戸おなんど博多はかたの帯を尻の上にむすんで、生白なまじろすねひざから下むき出しのまま今や片足を挙げて畳の上へ入れる。先刻さっきから赤い本に指をまれた夢を見ていた、主人はこの時寝返りをどうと打ちながら「寒月だ」と大きな声を出す。陰士は毛布けっとを落して、出した足を急に引き込ます。障子の影に細長い向脛むこうずねが二本立ったままかすかに動くのが見える。主人はうーん、むにゃむにゃと云いながら例の赤本を突き飛ばして、黒い腕を皮癬病ひぜんやみのようにぼりぼりく。そのあとは静まり返って、枕をはずしたなり寝てしまう。寒月だと云ったのは全く我知らずの寝言と見える。陰士はしばらく椽側えんがわに立ったまま室内の動静をうかがっていたが、主人夫婦の熟睡しているのを見済みすましてまた片足を畳の上に入れる。今度は寒月だと云う声も聞えぬ。やがて残る片足も踏み込む。一穂いっすい春灯しゅんとうで豊かに照らされていた六畳のは、陰士の影に鋭どく二分せられて柳行李やなぎごうりへんから吾輩の頭の上を越えて壁のなかばが真黒になる。振り向いて見ると陰士の顔の影がちょうど壁の高さの三分の二の所に漠然ばくぜんと動いている。好男子も影だけ見ると、がしらもののごとくまことに妙な恰好かっこうである。陰士は細君の寝顔を上からのぞき込んで見たが何のためかにやにやと笑った。笑い方までが寒月君の模写であるには吾輩も驚いた。
 細君の枕元には四寸角の一尺五六寸ばかりの釘付くぎづけにした箱が大事そうに置いてある。これは肥前の国は唐津からつの住人多々良三平君たたらさんぺいくんが先日帰省した時御土産おみやげに持って来た山のいもである。山の芋を枕元へ飾って寝るのはあまり例のない話しではあるがこの細君は煮物に使う三盆さんぼん用箪笥ようだんすへ入れるくらい場所の適不適と云う観念に乏しい女であるから、細君にとれば、山の芋はおろか、沢庵たくあんが寝室にっても平気かも知れん。しかし神ならぬ陰士はそんな女と知ろうはずがない。かくまで鄭重ていちょうに肌身に近く置いてある以上は大切な品物であろうと鑑定するのも無理はない。陰士はちょっと山の芋の箱を上げて見たがその重さが陰士の予期と合して大分だいぶ目方がかかりそうなのですこぶる満足のていである。いよいよ山の芋を盗むなと思ったら、しかもこの好男子にして山の芋を盗むなと思ったら急におかしくなった。しかし滅多めったに声を立てると危険であるからじっとこらえている。
 やがて陰士は山の芋の箱をうやうやしく古毛布ふるげっとにくるみ初めた。なにかからげるものはないかとあたりを見廻す。と、幸い主人が寝る時にきすてた縮緬ちりめん兵古帯へこおびがある。陰士は山の芋の箱をこの帯でしっかりくくって、苦もなく背中へしょう。あまり女がく体裁ではない。それから小供のちゃんちゃんを二枚、主人のめりやす股引ももひきの中へ押し込むと、股のあたりが丸くふくれて青大将あおだいしょうかえるを飲んだような――あるいは青大将の臨月りんげつと云う方がよく形容し得るかも知れん。とにかく変な恰好かっこうになった。嘘だと思うなら試しにやって見るがよろしい。陰士はめり安をぐるぐるくびたまきつけた。その次はどうするかと思うと主人のつむぎの上着を大風呂敷のようにひろげてこれに細君の帯と主人の羽織と繻絆じゅばんとその他あらゆる雑物ぞうもつを奇麗に畳んでくるみ込む。その熟練と器用なやり口にもちょっと感心した。それから細君の帯上げとしごきとをぎ合わせてこの包みをくくって片手にさげる。まだ頂戴ちょうだいするものは無いかなと、あたりを見廻していたが、主人の頭の先に「朝日」の袋があるのを見付けて、ちょっとたもとへ投げ込む。またその袋の中から一本出してランプにかざして火をける。まそうに深く吸って吐き出した煙りが、乳色のホヤをめぐってまだ消えぬに、陰士の足音は椽側えんがわを次第に遠のいて聞えなくなった。主人夫婦は依然として熟睡している。人間も存外迂濶うかつなものである。
 吾輩はまた暫時ざんじの休養を要する。のべつに喋舌しゃべっていては身体が続かない。ぐっと寝込んで眼がめた時は弥生やよいの空が朗らかに晴れ渡って勝手口に主人夫婦が巡査と対談をしている時であった。
「それでは、ここから這入はいって寝室の方へ廻ったんですな。あなた方は睡眠中で一向いっこう気がつかなかったのですな」
「ええ」と主人は少しきまりがわるそうである。
「それで盗難にかかったのは何時なんじ頃ですか」と巡査は無理な事を聞く。時間が分るくらいならにも盗まれる必要はないのである。それに気が付かぬ主人夫婦はしきりにこの質問に対して相談をしている。
「何時頃かな」
「そうですね」と細君は考える。考えれば分ると思っているらしい。
「あなたはゆうべ何時に御休みになったんですか」
「俺の寝たのは御前よりあとだ」
「ええわたくしの伏せったのは、あなたより前です」
「眼が覚めたのは何時だったかな」
「七時半でしたろう」
「すると盗賊の這入はいったのは、何時頃になるかな」
「なんでも夜なかでしょう」
夜中よなかは分りきっているが、何時頃かと云うんだ」
「たしかなところはよく考えて見ないと分りませんわ」と細君はまだ考えるつもりでいる。巡査はただ形式的に聞いたのであるから、いつ這入ったところが一向いっこう痛痒つうようを感じないのである。嘘でも何でも、いい加減な事を答えてくれればいと思っているのに主人夫婦が要領を得ない問答をしているものだから少々れたくなったと見えて
「それじゃ盗難の時刻は不明なんですな」と云うと、主人は例のごとき調子で
「まあ、そうですな」と答える。巡査は笑いもせずに
「じゃあね、明治三十八年何月何日戸締りをして寝たところが盗賊が、どこそこの雨戸をはずしてどこそこに忍び込んで品物を何点盗んで行ったから右告訴及みぎこくそにおよび候也そうろうなりという書面をお出しなさい。届ではない告訴です。名宛なあてはない方がいい」
「品物は一々かくんですか」
「ええ羽織何点代価いくらと云う風に表にして出すんです。――いや這入はいって見たって仕方がない。られたあとなんだから」と平気な事を云って帰って行く。
 主人は筆硯ふですずりを座敷の真中へ持ち出して、細君を前に呼びつけて「これから盗難告訴をかくから、盗られたものを一々云え。さあ云え」とあたかも喧嘩でもするような口調で云う。
「あらいやだ、さあ云えだなんて、そんな権柄けんぺいずくで誰が云うもんですか」と細帯を巻き付けたままどっかと腰をえる。
「その風はなんだ、宿場女郎の出来損できそこない見たようだ。なぜ帯をしめて出て来ん」
「これで悪るければ買って下さい。宿場女郎でも何でも盗られりゃ仕方がないじゃありませんか」
「帯までとって行ったのか、ひどい奴だ。それじゃ帯から書き付けてやろう。帯はどんな帯だ」
「どんな帯って、そんなに何本もあるもんですか、黒繻子くろじゅす縮緬ちりめんの腹合せの帯です」
「黒繻子と縮緬の腹合せの帯一筋――あたいはいくらくらいだ」
「六円くらいでしょう」
「生意気に高い帯をしめてるな。今度から一円五十銭くらいのにしておけ」
「そんな帯があるものですか。それだからあなたは不人情だと云うんです。女房なんどは、どんな汚ない風をしていても、自分さいけりゃ、構わないんでしょう」
「まあいいや、それから何だ」
糸織いとおりの羽織です、あれは河野こうのの叔母さんの形身かたみにもらったんで、同じ糸織でも今の糸織とは、たちが違います」
「そんな講釈は聞かんでもいい。値段はいくらだ」
「十五円」
「十五円の羽織を着るなんて身分不相当だ」
「いいじゃありませんか、あなたに買っていただきゃあしまいし」
「その次は何だ」
「黒足袋が一足」
「御前のか」
「あなたんでさあね。代価が二十七銭」
「それから?」
「山の芋が一箱」
「山の芋まで持って行ったのか。煮て食うつもりか、とろろ汁にするつもりか」
「どうするつもりか知りません。泥棒のところへ行って聞いていらっしゃい」
「いくらするか」
「山の芋のねだんまでは知りません」
「そんなら十二円五十銭くらいにしておこう」
「馬鹿馬鹿しいじゃありませんか、いくら唐津からつから掘って来たって山の芋が十二円五十銭してたまるもんですか」
「しかし御前は知らんと云うじゃないか」
「知りませんわ、知りませんが十二円五十銭なんて法外ですもの」
「知らんけれども十二円五十銭は法外だとは何だ。まるで論理に合わん。それだから貴様はオタンチン・パレオロガスだと云うんだ」
「何ですって」
「オタンチン・パレオロガスだよ」
「何ですそのオタンチン・パレオロガスって云うのは」
「何でもいい。それからあとは――俺の着物は一向いっこう出て来んじゃないか」
「あとは何でもうござんす。オタンチン・パレオロガスの意味を聞かして頂戴ちょうだい
「意味もにもあるもんか」
「教えて下すってもいいじゃありませんか、あなたはよっぽど私を馬鹿にしていらっしゃるのね。きっと人が英語を知らないと思って悪口をおっしゃったんだよ」
な事を言わんで、早くあとを云うが好い。早く告訴をせんと品物が返らんぞ」
「どうせ今から告訴をしたって間に合いやしません。それよりか、オタンチン・パレオロガスを教えて頂戴」
「うるさい女だな、意味も何にも無いと云うに」
「そんなら、品物の方もあとはありません」
頑愚がんぐだな。それでは勝手にするがいい。俺はもう盗難告訴を書いてやらんから」
「私も品数しなかずを教えて上げません。告訴はあなたが御自分でなさるんですから、私は書いていただかないでも困りません」
「それじゃそう」と主人は例のごとくふいと立って書斎へ這入はいる。細君は茶の間へ引き下がって針箱の前へ坐る。両人ふたり共十分間ばかりは何にもせずに黙って障子をにらめ付けている。
 ところへ威勢よく玄関をあけて、山の芋の寄贈者多々良三平たたらさんぺい君があがってくる。多々良三平君はもとこのの書生であったが今では法科大学を卒業してある会社の鉱山部に雇われている。これも実業家の芽生めばえで、鈴木藤十郎君の後進生である。三平君は以前の関係から時々旧先生の草廬そうろを訪問して日曜などには一日遊んで帰るくらい、この家族とは遠慮のない間柄である。
「奥さん。よか天気でござります」と唐津訛からつなまりか何かで細君の前にズボンのまま立て膝をつく。
「おや多々良さん」
「先生はどこぞ出なすったか」
「いいえ書斎にいます」
「奥さん、先生のごと勉強しなさると毒ですばい。たまの日曜だもの、あなた」
「わたしに言っても駄目だから、あなたが先生にそうおっしゃい」
「そればってんが……」と言い掛けた三平君は座敷中を見廻わして「今日は御嬢さんも見えんな」と半分妻君に聞いているや否や次のからとん子とすん子が馳け出して来る。
「多々良さん、今日は御寿司おすしを持って来て?」と姉のとん子は先日の約束を覚えていて、三平君の顔を見るや否や催促する。多々良君は頭をきながら
「よう覚えているのう、この次はきっと持って来ます。今日は忘れた」と白状する。
「いやーだ」と姉が云うと妹もすぐ真似をして「いやーだ」とつける。細君はようやく御機嫌が直って少々笑顔になる。
「寿司は持って来んが、山の芋は上げたろう。御嬢さん喰べなさったか」
「山の芋ってなあに?」と姉がきくと妹が今度もまた真似をして「山の芋ってなあに?」と三平君に尋ねる。
「まだ食いなさらんか、早く御母おかあさんに煮て御貰い。唐津からつの山の芋は東京のとは違ってうまかあ」と三平君が国自慢をすると、細君はようやく気が付いて
「多々良さんせんだっては御親切に沢山ありがとう」
「どうです、喰べて見なすったか、折れんように箱をあつらえて堅くつめて来たから、長いままでありましたろう」
「ところがせっかく下すった山の芋をゆうべ泥棒に取られてしまって」
「ぬすが? 馬鹿な奴ですなあ。そげん山の芋の好きな男がおりますか?」と三平君おおいに感心している。
御母おかあさま、夕べ泥棒が這入はいったの?」と姉が尋ねる。
「ええ」と細君はかろく答える。
「泥棒が這入って――そうして――泥棒が這入って――どんな顔をして這入ったの?」と今度は妹が聞く。この奇問には細君も何と答えてよいか分らんので
こわい顔をして這入りました」と返事をして多々良君の方を見る。
「恐い顔って多々良さん見たような顔なの」と姉が気の毒そうにもなく、押し返して聞く。
「何ですね。そんな失礼な事を」
「ハハハハわたしの顔はそんなに恐いですか。困ったな」と頭をく。多々良君の頭の後部には直径一寸ばかりの禿はげがある。一カ月前から出来だして医者に見て貰ったが、まだ容易になおりそうもない。この禿を第一番に見付けたのは姉のとん子である。
「あら多々良さんの頭は御母おかあさまのようにかってよ」
「だまっていらっしゃいと云うのに」
「御母あさま夕べの泥棒の頭も光かってて」とこれは妹の質問である。細君と多々良君とは思わず吹き出したが、あまりわずらわしくて話も何も出来ぬので「さあさあ御前さん達は少し御庭へ出て御遊びなさい。今に御母あさまが好い御菓子を上げるから」と細君はようやく子供を追いやって
「多々良さんの頭はどうしたの」と真面目に聞いて見る。
「虫が食いました。なかなか癒りません。奥さんも有んなさるか」
「やだわ、虫が食うなんて、そりゃまげで釣るところは女だから少しは禿げますさ」
「禿はみんなバクテリヤですばい」
「わたしのはバクテリヤじゃありません」
「そりゃ奥さん意地張りたい」
「何でもバクテリヤじゃありません。しかし英語で禿の事を何とか云うでしょう」
「禿はボールドとか云います」
「いいえ、それじゃないの、もっと長い名があるでしょう」
「先生に聞いたら、すぐわかりましょう」
「先生はどうしても教えて下さらないから、あなたに聞くんです」
わたしはボールドより知りませんが。長かって、どげんですか」
「オタンチン・パレオロガスと云うんです。オタンチンと云うのが禿と云う字で、パレオロガスが頭なんでしょう」
「そうかも知れませんたい。今に先生の書斎へ行ってウェブスターを引いて調べて上げましょう。しかし先生もよほど変っていなさいますな。この天気の好いのに、うちにじっとして――奥さん、あれじゃ胃病は癒りませんな。ちと上野へでも花見に出掛けなさるごと勧めなさい」
「あなたが連れ出して下さい。先生は女の云う事は決して聞かない人ですから」
「この頃でもジャムをめなさるか」
「ええ相変らずです」
「せんだって、先生こぼしていなさいました。どうもさいが俺のジャムの舐め方が烈しいと云って困るが、俺はそんなに舐めるつもりはない。何か勘定違いだろうと云いなさるから、そりゃ御嬢さんや奥さんがいっしょに舐めなさるに違ない――」
「いやな多々良さんだ、何だってそんな事を云うんです」
「しかし奥さんだって舐めそうな顔をしていなさるばい」
「顔でそんな事がどうして分ります」
「分らんばってんが――それじゃ奥さん少しも舐めなさらんか」
「そりゃ少しは舐めますさ。舐めたって好いじゃありませんか。うちのものだもの」
「ハハハハそうだろうと思った――しかしほんこと、泥棒は飛んだ災難でしたな。山の芋ばかり持ってたのですか」
「山の芋ばかりなら困りゃしませんが、不断着をみんな取って行きました」
「早速困りますか。また借金をしなければならんですか。この猫が犬ならよかったに――惜しい事をしたなあ。奥さん犬のふとやつを是非一丁飼いなさい。――猫は駄目ですばい、飯を食うばかりで――ちっとは鼠でもりますか」
「一匹もとった事はありません。本当に横着な図々図々ずうずうしい猫ですよ」
「いやそりゃ、どうもこうもならん。早々棄てなさい。わたしが貰って行って煮て食おうか知らん」
「あら、多々良さんは猫を食べるの」
「食いました。猫はうもうござります」
「随分豪傑ね」
 下等な書生のうちには猫を食うような野蛮人があるよしはかねて伝聞したが、吾輩が平生眷顧けんこかたじけのうする多々良君その人もまたこの同類ならんとは今が今まで夢にも知らなかった。いわんや同君はすでに書生ではない、卒業の日は浅きにもかかわらず堂々たる一個の法学士で、物産会社の役員であるのだから吾輩の驚愕きょうがくもまた一と通りではない。人を見たら泥棒と思えと云う格言は寒月第二世の行為によってすでに証拠立てられたが、人を見たら猫食いと思えとは吾輩も多々良君の御蔭によって始めて感得した真理である。世に住めば事を知る、事を知るは嬉しいが日に日に危険が多くて、日に日に油断がならなくなる。狡猾こうかつになるのも卑劣になるのも表裏二枚合せの護身服を着けるのも皆事を知るの結果であって、事を知るのは年を取るの罪である。老人にろくなものがいないのはこの理だな、吾輩などもあるいは今のうちに多々良君のなべの中で玉葱たまねぎと共に成仏じょうぶつする方が得策かも知れんと考えてすみの方に小さくなっていると、最前さいぜん細君と喧嘩をして一反いったん書斎へ引き上げた主人は、多々良君の声を聞きつけて、のそのそ茶の間へ出てくる。
「先生泥棒に逢いなさったそうですな。なんちゅな事です」と劈頭へきとう一番にやり込める。
這入はいる奴がなんだ」と主人はどこまでも賢人をもって自任している。
「這入る方も愚だばってんが、取られた方もあまりかしこくはなかごたる」
「何にも取られるものの無い多々良さんのようなのが一番賢こいんでしょう」と細君が此度こんど良人おっとの肩を持つ。
「しかし一番愚なのはこの猫ですばい。ほんにまあ、どう云う了見じゃろう。鼠はらず泥棒が来ても知らん顔をしている。――先生この猫をわたしにくんなさらんか。こうしておいたっちゃ何の役にも立ちませんばい」
「やっても好い。何にするんだ」
「煮て喰べます」
 主人は猛烈なるこの一言いちごんを聞いて、うふと気味の悪い胃弱性の笑をらしたが、別段の返事もしないので、多々良君も是非食いたいとも云わなかったのは吾輩にとって望外の幸福である。主人はやがて話頭を転じて、
「猫はどうでも好いが、着物をとられたので寒くていかん」とおおい銷沈しょうちんていである。なるほど寒いはずである。昨日きのうまでは綿入を二枚重ねていたのに今日はあわせ半袖はんそでのシャツだけで、朝から運動もせず枯坐こざしたぎりであるから、不充分な血液はことごとく胃のために働いて手足の方へは少しも巡回して来ない。
「先生教師などをしておったちゃとうていあかんですばい。ちょっと泥棒に逢っても、すぐ困る――一丁いっちょう今から考をえて実業家にでもなんなさらんか」
「先生は実業家はきらいだから、そんな事を言ったって駄目よ」
 と細君がそばから多々良君に返事をする。細君は無論実業家になって貰いたいのである。
「先生学校を卒業して何年になんなさるか」
「今年で九年目でしょう」と細君は主人をかえりみる。主人はそうだとも、そうで無いとも云わない。
「九年立っても月給は上がらず。いくら勉強しても人はめちゃくれず、郎君ろうくん独寂寞ひとりせきばくですたい」と中学時代で覚えた詩の句を細君のために朗吟すると、細君はちょっと分りかねたものだから返事をしない。
「教師は無論きらいだが、実業家はなお嫌いだ」と主人は何が好きだか心のうちで考えているらしい。
「先生は何でも嫌なんだから……」
「嫌でないのは奥さんだけですか」と多々良君がらに似合わぬ冗談じょうだんを云う。
「一番嫌だ」主人の返事はもっとも簡明である。細君は横を向いてちょっとすましたが再び主人の方を見て、
「生きていらっしゃるのも御嫌おきらいなんでしょう」と充分主人をへこましたつもりで云う。
「あまり好いてはおらん」と存外呑気のんきな返事をする。これでは手のつけようがない。
「先生ちっと活溌かっぱつに散歩でもしなさらんと、からだをこわしてしまいますばい。――そうして実業家になんなさい。金なんかもうけるのは、ほんに造作ぞうさもない事でござります」
「少しも儲けもせん癖に」
「まだあなた、去年やっと会社へ這入はいったばかりですもの。それでも先生より貯蓄があります」
「どのくらい貯蓄したの?」と細君は熱心に聞く。
「もう五十円になります」
「一体あなたの月給はどのくらいなの」これも細君の質問である。
「三十円ですたい。その内を毎月五円ずつ会社の方で預って積んでおいて、いざと云う時にやります。――奥さん小遣銭で外濠線そとぼりせんの株を少し買いなさらんか、今から三四個月すると倍になります。ほんに少し金さえあれば、すぐ二倍にでも三倍にでもなります」
「そんな御金があれば泥棒に逢ったって困りゃしないわ」
「それだから実業家に限ると云うんです。先生も法科でもやって会社か銀行へでも出なされば、今頃は月に三四百円の収入はありますのに、惜しい事でござんしたな。――先生あの鈴木藤十郎と云う工学士を知ってなさるか」
「うん昨日きのう来た」
「そうでござんすか、せんだってある宴会で逢いました時先生の御話をしたら、そうか君は苦沙弥くしゃみ君のところの書生をしていたのか、僕も苦沙弥君とはむかし小石川の寺でいっしょに自炊をしておった事がある、今度行ったらよろしく云うてくれ、僕もその内尋ねるからと云っていました」
「近頃東京へ来たそうだな」
「ええ今まで九州の炭坑におりましたが、こないだ東京づめになりました。なかなかうまいです。わたしなぞにでも朋友のように話します。――先生あの男がいくら貰ってると思いなさる」
「知らん」
「月給が二百五十円で盆暮に配当がつきますから、何でも平均四五百円になりますばい。あげな男が、よかしこ取っておるのに、先生はリーダー専門で十年一狐裘いちこきゅうじゃ馬鹿気ておりますなあ」
「実際馬鹿気ているな」と主人のような超然主義の人でも金銭の観念は普通の人間とことなるところはない。否困窮するだけに人一倍金が欲しいのかも知れない。多々良君は充分実業家の利益を吹聴ふいちょうしてもう云う事が無くなったものだから
「奥さん、先生のところへ水島寒月と云うじんが来ますか」
「ええ、善くいらっしゃいます」
「どげんな人物ですか」
「大変学問の出来る方だそうです」
「好男子ですか」
「ホホホホ多々良さんくらいなものでしょう」
「そうですか、わたしくらいなものですか」と多々良君真面目である。
「どうして寒月の名を知っているのかい」と主人が聞く。
「せんだって或る人から頼まれました。そんな事を聞くだけの価値のある人物でしょうか」多々良君は聞かぬ先からすでに寒月以上に構えている。
「君よりよほどえらい男だ」
「そうでございますか、わたしよりえらいですか」と笑いもせずおこりもせぬ。これが多々良君の特色である。
近々きんきん博士になりますか」
「今論文を書いてるそうだ」
「やっぱり馬鹿ですな。博士論文をかくなんて、もう少し話せる人物かと思ったら」
「相変らず、えらい見識ですね」と細君が笑いながら云う。
「博士になったら、だれとかの娘をやるとかやらんとか云うていましたから、そんな馬鹿があろうか、娘を貰うために博士になるなんて、そんな人物にくれるより僕にくれる方がよほどましだと云ってやりました」
「だれに」
わたしに水島の事を聞いてくれと頼んだ男です」
「鈴木じゃないか」
「いいえ、あの人にゃ、まだそんな事は云い切りません。向うは大頭ですから」
「多々良さんは蔭弁慶かげべんけいね。うちへなんぞ来ちゃ大変威張っても鈴木さんなどの前へ出ると小さくなってるんでしょう」
「ええ。そうせんと、あぶないです」
「多々良、散歩をしようか」と突然主人が云う。先刻さっきからあわせ一枚であまり寒いので少し運動でもしたら暖かになるだろうと云う考から主人はこの先例のない動議を呈出したのである。行き当りばったりの多々良君は無論逡巡しゅんじゅんする訳がない。
「行きましょう。上野にしますか。芋坂いもざかへ行って団子を食いましょうか。先生あすこの団子を食った事がありますか。奥さん一返行って食って御覧。柔らかくて安いです。酒も飲ませます」と例によって秩序のない駄弁をふるってるうちに主人はもう帽子を被って沓脱くつぬぎへ下りる。
 吾輩はまた少々休養を要する。主人と多々良君が上野公園でどんな真似をして、芋坂で団子を幾皿食ったかその辺の逸事は探偵の必要もなし、また尾行びこうする勇気もないからずっと略してそのあいだ休養せんければならん。休養は万物の旻天びんてんから要求してしかるべき権利である。この世に生息すべき義務を有して蠢動しゅんどうする者は、生息の義務を果すために休養を得ねばならぬ。もし神ありてなんじは働くために生れたり寝るために生れたるに非ずと云わば吾輩はこれに答えて云わん、吾輩は仰せのごとく働くために生れたり故に働くために休養を乞うと。主人のごとく器械に不平を吹き込んだまでの木強漢ぼくきょうかんですら、時々は日曜以外に自弁休養をやるではないか。多感多恨にして日夜心神を労する吾輩ごとき者は仮令たとい猫といえども主人以上に休養を要するは勿論の事である。ただ先刻さっき多々良君が吾輩を目して休養以外に何等の能もない贅物ぜいぶつのごとくにののしったのは少々気掛りである。とかく物象ぶっしょうにのみ使役せらるる俗人は、五感の刺激以外に何等の活動もないので、他を評価するのでも形骸以外にわたらんのは厄介である。何でも尻でも端折はしょって、汗でも出さないと働らいていないように考えている。達磨だるまと云う坊さんは足の腐るまで座禅をして澄ましていたと云うが、仮令たとい壁のすきからつたが這い込んで大師の眼口をふさぐまで動かないにしろ、寝ているんでも死んでいるんでもない。頭の中は常に活動して、廓然無聖かくねんむしょうなどと乙な理窟を考え込んでいる。儒家にも静坐の工夫と云うのがあるそうだ。これだって一室のうちに閉居して安閑といざりの修行をするのではない。脳中の活力は人一倍さかんに燃えている。ただ外見上は至極沈静端粛のていであるから、天下の凡眼はこれらの知識巨匠をもって昏睡仮死こんすいかし庸人ようじん見做みなして無用の長物とか穀潰ごくつぶしとか入らざる誹謗ひぼうの声を立てるのである。これらの凡眼は皆形を見て心を見ざる不具なる視覚を有して生れついた者で、――しかもの多々良三平君のごときは形を見て心を見ざる第一流の人物であるから、この三平君が吾輩を目して乾屎※(「木+厥」、第3水準1-86-15)かんしけつ同等に心得るのももっともだが、恨むらくは少しく古今の書籍を読んで、やや事物の真相を解し得たる主人までが、浅薄なる三平君に一も二もなく同意して、猫鍋ねこなべに故障をさしはさ景色けしきのない事である。しかし一歩退いて考えて見ると、かくまでに彼等が吾輩を軽蔑けいべつするのも、あながち無理ではない。大声は俚耳りじに入らず、陽春白雪の詩には和するもの少なしのたとえも古い昔からある事だ。形体以外の活動を見るあたわざる者に向って己霊これいの光輝を見よとゆるは、坊主に髪をえとせまるがごとく、まぐろに演説をして見ろと云うがごとく、電鉄に脱線を要求するがごとく、主人に辞職を勧告するごとく、三平に金の事を考えるなと云うがごときものである。必竟ひっきょう無理な注文に過ぎん。しかしながら猫といえども社会的動物である。社会的動物である以上はいかに高くみずから標置するとも、或る程度までは社会と調和して行かねばならん。主人や細君や乃至ないしさん、三平づれが吾輩を吾輩相当に評価してくれんのは残念ながら致し方がないとして、不明の結果皮をいで三味線屋に売り飛ばし、肉を刻んで多々良君の膳にのぼすような無分別をやられては由々ゆゆしき大事である。吾輩は頭をもって活動すべき天命を受けてこの娑婆しゃばに出現したほどの古今来ここんらいの猫であれば、非常に大事な身体である。千金の堂陲どうすいに坐せずとのことわざもある事なれば、好んで超邁ちょうまいそうとして、いたずらに吾身の危険を求むるのは単に自己のわざわいなるのみならず、また大いに天意にそむく訳である。猛虎も動物園に入れば糞豚ふんとんの隣りに居を占め、鴻雁こうがんも鳥屋に生擒いけどらるれば雛鶏すうけいまないたおなじゅうす。庸人ようじん相互あいごする以上はくだって庸猫ようびょうと化せざるべからず。庸猫たらんとすれば鼠をらざるべからず。――吾輩はとうとう鼠をとる事にめた。
 せんだってじゅうから日本は露西亜ロシアと大戦争をしているそうだ。吾輩は日本の猫だから無論日本贔負びいきである。出来得べくんば混成こんせい猫旅団ねこりょだんを組織して露西亜兵を引っいてやりたいと思うくらいである。かくまでに元気旺盛おうせいな吾輩の事であるから鼠の一疋や二疋はとろうとする意志さえあれば、寝ていても訳なくれる。むかしある人当時有名な禅師に向って、どうしたら悟れましょうと聞いたら、猫が鼠をねらうようにさしゃれと答えたそうだ。猫が鼠をとるようにとは、かくさえすればずれっこはござらぬと云う意味である。女さかしゅうしてと云う諺はあるが猫さかしゅうして鼠そこなうと云う格言はまだ無いはずだ。して見ればいかにかしこい吾輩のごときものでも鼠の捕れんはずはあるまい。とれんはずはあるまいどころか捕り損うはずはあるまい。今まで捕らんのは、捕りたくないからの事さ。春の日はきのうのごとく暮れて、折々の風に誘わるる花吹雪はなふぶきが台所の腰障子の破れから飛び込んで手桶ておけの中に浮ぶ影が、薄暗き勝手用のランプの光りに白く見える。今夜こそ大手柄をして、うちじゅう驚かしてやろうと決心した吾輩は、あらかじめ戦場を見廻って地形を飲み込んでおく必要がある。戦闘線は勿論もちろんあまり広かろうはずがない。畳数にしたら四畳敷もあろうか、その一畳を仕切って半分は流し、半分は酒屋八百屋の御用を聞く土間である。へっついは貧乏勝手に似合わぬ立派な者で赤の銅壺どうこがぴかぴかして、うしろは羽目板のを二尺のこして吾輩の鮑貝あわびがいの所在地である。茶の間に近き六尺は膳椀ぜんわん皿小鉢さらこばちを入れる戸棚となってせまき台所をいとど狭く仕切って、横に差し出すむき出しの棚とすれすれの高さになっている。その下に摺鉢すりばち仰向あおむけに置かれて、摺鉢の中には小桶の尻が吾輩の方を向いている。大根卸し、摺小木すりこぎが並んで[#ルビの「か」は底本では「け」]けてあるかたわらに火消壺だけが悄然しょうぜんひかえている。真黒になった樽木たるきの交叉した真中から一本の自在じざいを下ろして、先へは平たい大きなかごをかける。その籠が時々風に揺れて鷹揚おうように動いている。この籠は何のために釣るすのか、このうちへ来たてには一向いっこう要領を得なかったが、猫の手の届かぬためわざと食物をここへ入れると云う事を知ってから、人間の意地の悪い事をしみじみ感じた。
 これから作戦計画だ。どこで鼠と戦争するかと云えば無論鼠の出る所でなければならぬ。いかにこっちに便宜べんぎな地形だからと云って一人で待ち構えていてはてんで戦争にならん。ここにおいてか鼠の出口を研究する必要が生ずる。どの方面から来るかなと台所の真中に立って四方を見廻わす。何だか東郷大将のような心持がする。下女はさっき湯に行って戻ってん。小供はとくに寝ている。主人は芋坂いもざかの団子を喰って帰って来て相変らず書斎に引きこもっている。細君は――細君は何をしているか知らない。大方居眠りをして山芋の夢でも見ているのだろう。時々門前を人力じんりきが通るが、通り過ぎたあとは一段と淋しい。わが決心と云い、わが意気と云い台所の光景と云い、四辺しへん寂寞せきばくと云い、全体の感じがことごとく悲壮である。どうしても猫中ねこちゅうの東郷大将としか思われない。こう云う境界きょうがいに入ると物凄ものすごい内に一種の愉快を覚えるのは誰しも同じ事であるが、吾輩はこの愉快の底に一大心配がよこたわっているのを発見した。鼠と戦争をするのは覚悟の前だから何疋来てもこわくはないが、出てくる方面が明瞭でないのは不都合である。周密なる観察から得た材料を綜合そうごうして見ると鼠賊そぞく逸出いっしゅつするのには三つの行路がある。彼れらがもしどぶ鼠であるならば土管を沿うて流しから、へっついの裏手へ廻るに相違ない。その時は火消壺の影に隠れて、帰り道を絶ってやる。あるいはみぞへ湯を抜く漆喰しっくいの穴より風呂場を迂回うかいして勝手へ不意に飛び出すかも知れない。そうしたら釜のふたの上に陣取って眼の下に来た時上から飛び下りて一攫ひとつかみにする。それからとまたあたりを見廻すと戸棚の戸の右の下隅が半月形はんげつけいに喰い破られて、彼等の出入しゅつにゅうに便なるかの疑がある。鼻を付けていで見ると少々鼠くさい。もしここから吶喊とっかんして出たら、柱をたてにやり過ごしておいて、横合からあっと爪をかける。もし天井から来たらと上を仰ぐと真黒なすすがランプの光で輝やいて、地獄を裏返しに釣るしたごとくちょっと吾輩の手際てぎわではのぼる事も、くだる事も出来ん。まさかあんな高い処から落ちてくる事もなかろうからとこの方面だけは警戒をく事にする。それにしても三方から攻撃される懸念けねんがある。一口なら片眼でも退治して見せる。二口ならどうにか、こうにかやってのける自信がある。しかし三口となるといかに本能的に鼠をるべく予期せらるる吾輩も手の付けようがない。さればと云って車屋の黒ごときものを助勢に頼んでくるのも吾輩の威厳に関する。どうしたら好かろう。どうしたら好かろうと考えて好い智慧ちえが出ない時は、そんな事は起る気遣きづかいはないと決めるのが一番安心を得る近道である。また法のつかない者は起らないと考えたくなるものである。まず世間を見渡して見給え。きのう貰った花嫁も今日死なんとも限らんではないか、しかし聟殿むこどのは玉椿千代も八千代もなど、おめでたい事を並べて心配らしい顔もせんではないか。心配せんのは、心配する価値がないからではない。いくら心配したって法が付かんからである。吾輩の場合でも三面攻撃は必ず起らぬと断言すべき相当の論拠はないのであるが、起らぬとする方が安心を得るに便利である。安心は万物に必要である。吾輩も安心を欲する。よって三面攻撃は起らぬとめる。
 それでもまだ心配が取れぬから、どう云うものかとだんだん考えて見るとようやく分った。三個の計略のうちいずれを選んだのがもっとも得策であるかの問題に対して、みずから明瞭なる答弁を得るに苦しむからの煩悶はんもんである。戸棚から出るときには吾輩これに応ずる策がある、風呂場から現われる時はこれに対するはかりごとがある、また流しから這い上るときはこれを迎うる成算もあるが、そのうちどれか一つにめねばならぬとなるとおおいに当惑する。東郷大将はバルチック艦隊が対馬海峡つしまかいきょうを通るか、津軽海峡つがるかいきょうへ出るか、あるいは遠く宗谷海峡そうやかいきょうを廻るかについておおいに心配されたそうだが、今吾輩が吾輩自身の境遇から想像して見て、ご困却の段実に御察し申す。吾輩は全体の状況において東郷閣下に似ているのみならず、この格段なる地位においてもまた東郷閣下とよく苦心を同じゅうする者である。
 吾輩がかく夢中になって智謀をめぐらしていると、突然破れた腰障子がいて御三おさんの顔がぬうと出る。顔だけ出ると云うのは、手足がないと云う訳ではない。ほかの部分は夜目よめでよく見えんのに、顔だけが著るしく強い色をして判然眸底ぼうていに落つるからである。御三はその平常より赤き頬をますます赤くして洗湯から帰ったついでに、昨夜ゆうべりてか、早くから勝手の戸締とじまりをする。書斎で主人が俺のステッキを枕元へ出しておけと云う声が聞える。何のために枕頭にステッキを飾るのか吾輩には分らなかった。まさか易水えきすいの壮士を気取って、竜鳴りゅうめいを聞こうと云う酔狂でもあるまい。きのうは山の芋、今日きょうはステッキ、明日あすは何になるだろう。
 夜はまだ浅い鼠はなかなか出そうにない。吾輩は大戦の前に一と休養を要する。
 主人の勝手には引窓がない。座敷なら欄間らんまと云うような所が幅一尺ほど切り抜かれて夏冬吹き通しに引窓の代理を勤めている。惜し気もなく散る彼岸桜ひがんざくらを誘うて、さっと吹き込む風に驚ろいて眼をますと、朧月おぼろづきさえいつのに差してか、へっついの影は斜めに揚板あげいたの上にかかる。寝過ごしはせぬかと二三度耳を振って家内の容子ようすうかがうと、しんとして昨夜のごとく柱時計の音のみ聞える。もう鼠の出る時分だ。どこから出るだろう。
 戸棚の中でことことと音がしだす。小皿のふちを足で抑えて、中をあらしているらしい。ここから出るわいと穴の横へすくんで待っている。なかなか出て来る景色けしきはない。皿の音はやがてやんだが今度はどんぶりか何かに掛ったらしい、重い音が時々ごとごととする。しかも戸を隔ててすぐ向う側でやっている、吾輩の鼻づらと距離にしたら三寸も離れておらん。時々はちょろちょろと穴の口まで足音が近寄るが、また遠のいて一匹も顔を出すものはない。戸一枚向うに現在敵が暴行をたくましくしているのに、吾輩はじっと穴の出口で待っておらねばならん随分気の長い話だ。鼠は旅順椀りょじゅんわんの中で盛に舞踏会を催うしている。せめて吾輩の這入はいれるだけ御三がこの戸を開けておけば善いのに、気の利かぬ山出しだ。
 今度はへっついの影で吾輩の鮑貝あわびがいがことりと鳴る。敵はこの方面へも来たなと、そーっと忍び足で近寄ると手桶ておけの間から尻尾しっぽがちらと見えたぎり流しの下へ隠れてしまった。しばらくすると風呂場でうがい茶碗が金盥かなだらいにかちりと当る。今度は後方うしろだと振りむく途端に、五寸近くあるおおきな奴がひらりと歯磨の袋を落してえんの下へけ込む。逃がすものかと続いて飛び下りたらもう影も姿も見えぬ。鼠をるのは思ったよりむずかしい者である。吾輩は先天的鼠を捕る能力がないのか知らん。
 吾輩が風呂場へ廻ると、敵は戸棚から馳け出し、戸棚を警戒すると流しから飛び上り、台所の真中に頑張がんばっていると三方面共少々ずつ騒ぎ立てる。小癪こしゃくと云おうか、卑怯ひきょうと云おうかとうてい彼等は君子の敵でない。吾輩は十五六回はあちら、こちらと気を疲らししんつからして奔走努力して見たがついに一度も成功しない。残念ではあるがかかる小人しょうじんを敵にしてはいかなる東郷大将もほどこすべき策がない。始めは勇気もあり敵愾心てきがいしんもあり悲壮と云う崇高な美感さえあったがついには面倒と馬鹿気ているのと眠いのと疲れたので台所の真中へ坐ったなり動かない事になった。しかし動かんでも八方睨はっぽうにらみをめ込んでいれば敵は小人だから大した事は出来んのである。目ざす敵と思った奴が、存外けちな野郎だと、戦争が名誉だと云う感じが消えてくいと云う念だけ残る。くいと云う念を通り過すと張り合が抜けてぼーとする。ぼーとしたあとは勝手にしろ、どうせ気のいた事は出来ないのだからと軽蔑けいべつきょくねむたくなる。吾輩は以上の径路をたどって、ついに眠くなった。吾輩は眠る。休養は敵中にっても必要である。
 横向にひさしを向いて開いた引窓から、また花吹雪はなふぶき一塊ひとかたまりなげ込んで、烈しき風の吾をめぐると思えば、戸棚の口から弾丸のごとく飛び出した者が、避くるもあらばこそ、風を切って吾輩の左の耳へ喰いつく。これに続く黒い影はうしろに廻るかと思う間もなく吾輩の尻尾しっぽへぶら下がる。またたく間の出来事である。吾輩は何の目的もなく器械的に跳上はねあがる。満身の力を毛穴に込めてこの怪物を振り落とそうとする。耳に喰い下がったのは中心を失ってだらりと吾が横顔に懸る。護謨管ゴムかんのごとき柔かき尻尾の先が思い掛なく吾輩の口に這入る。屈竟くっきょう手懸てがかりに、くだけよとばかり尾をくわえながら左右にふると、尾のみは前歯の間に残って胴体は古新聞で張った壁に当って、揚板の上にね返る。起き上がるところを隙間すきまなくかかれば、まりたるごとく、吾輩の鼻づらをかすめて釣り段のふちに足を縮めて立つ。彼は棚の上から吾輩を見おろす、吾輩は板の間から彼を見上ぐる。距離は五尺。その中に月の光りが、大幅おおはばの帯をくうに張るごとく横に差し込む。吾輩は前足に力を込めて、やっとばかり棚の上に飛び上がろうとした。前足だけは首尾よく棚のふちにかかったが後足あとあしは宙にもがいている。尻尾には最前の黒いものが、死ぬとも離るまじき勢で喰い下っている。吾輩はあやうい。前足をえて足懸あしがかりを深くしようとする。懸け易える度に尻尾の重みで浅くなる。二三分にさんぶ滑れば落ちねばならぬ。吾輩はいよいよ危うい。棚板を爪できむしる音ががりがりと聞える。これではならぬと左の前足を抜き易える拍子に、爪を見事に懸け損じたので吾輩は右の爪一本で棚からぶら下った。自分と尻尾に喰いつくものの重みで吾輩のからだがぎりぎりと廻わる。この時まで身動きもせずにねらいをつけていた棚の上の怪物は、ここぞと吾輩の額を目懸けて棚の上から石を投ぐるがごとく飛び下りる。吾輩の爪は一縷いちるのかかりを失う。三つのかたまりが一つとなって月の光をたてに切って下へ落ちる。次の段に乗せてあった摺鉢すりばちと、摺鉢の中の小桶こおけとジャムの空缶あきかんが同じく一塊ひとかたまりとなって、下にある火消壺を誘って、半分は水甕みずがめの中、半分は板の間の上へ転がり出す。すべてが深夜にただならぬ物音を立てて死物狂いの吾輩の魂をさえ寒からしめた。
「泥棒!」と主人は胴間声どうまごえを張り上げて寝室から飛び出して来る。見ると片手にはランプをげ、片手にはステッキを持って、寝ぼけまなこよりは身分相応の炯々けいけいたる光を放っている。吾輩は鮑貝あわびがいそばにおとなしくして蹲踞うずくまる。二疋の怪物は戸棚の中へ姿をかくす。主人は手持無沙汰に「何だ誰だ、大きな音をさせたのは」と怒気を帯びて相手もいないのに聞いている。月が西に傾いたので、白い光りの一帯は半切はんきれほどに細くなった。
 
 
 
 
 
 
 
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 六
 
 こう暑くては猫といえどもやり切れない。皮を脱いで、肉を脱いで骨だけで涼みたいものだと英吉利イギリスのシドニー・スミスとか云う人が苦しがったと云う話があるが、たとい骨だけにならなくとも好いから、せめてこの淡灰色の斑入ふいり毛衣けごろもだけはちょっと洗い張りでもするか、もしくは当分のうち質にでも入れたいような気がする。人間から見たら猫などは年が年中同じ顔をして、春夏秋冬一枚看板で押し通す、至って単純な無事なぜにのかからない生涯しょうがいを送っているように思われるかも知れないが、いくら猫だって相応に暑さ寒さの感じはある。たまには行水ぎょうずいの一度くらいあびたくない事もないが、何しろこの毛衣の上から湯を使った日には乾かすのが容易な事でないから汗臭いのを我慢してこの年になるまで洗湯の暖簾のれんくぐった事はない。折々は団扇うちわでも使って見ようと云う気も起らんではないが、とにかく握る事が出来ないのだから仕方がない。それを思うと人間は贅沢ぜいたくなものだ。なまで食ってしかるべきものをわざわざ煮て見たり、焼いて見たり、けて見たり、味噌みそをつけて見たり好んで余計な手数てすうを懸けて御互に恐悦している。着物だってそうだ。猫のように一年中同じ物を着通せと云うのは、不完全に生れついた彼等にとって、ちと無理かも知れんが、なにもあんなに雑多なものを皮膚の上へせて暮さなくてもの事だ。羊の御厄介になったり、かいこの御世話になったり、綿畠の御情おなさけさえ受けるに至っては贅沢ぜいたくは無能の結果だと断言しても好いくらいだ。衣食はまず大目に見て勘弁するとしたところで、生存上直接の利害もないところまでこの調子で押して行くのはごう合点がてんが行かぬ。第一頭の毛などと云うものは自然に生えるものだから、ほうっておく方がもっとも簡便で当人のためになるだろうと思うのに、彼等は入らぬ算段をして種々雑多な恰好かっこうをこしらえて得意である。坊主とか自称するものはいつ見ても頭を青くしている。暑いとその上へ日傘をかぶる。寒いと頭巾ずきんで包む。これでは何のために青い物を出しているのか主意が立たんではないか。そうかと思うとくしとか称する無意味な鋸様のこぎりようの道具を用いて頭の毛を左右に等分して嬉しがってるのもある。等分にしないと七分三分の割合で頭蓋骨ずがいこつの上へ人為的の区劃くかくを立てる。中にはこの仕切りがつむじを通り過してうしろまでみ出しているのがある。まるで贋造がんぞう芭蕉葉ばしょうはのようだ。その次には脳天を平らに刈って左右は真直に切り落す。丸い頭へ四角なわくをはめているから、植木屋を入れた杉垣根の写生としか受け取れない。このほか五分刈、三分刈、一分刈さえあると云う話だから、しまいには頭の裏まで刈り込んでマイナス一分刈、マイナス三分刈などと云う新奇な奴が流行するかも知れない。とにかくそんなに憂身うきみやつしてどうするつもりか分らん。第一、足が四本あるのに二本しか使わないと云うのから贅沢だ。四本であるけばそれだけはかも行く訳だのに、いつでも二本ですまして、残る二本は到来の棒鱈ぼうだらのように手持無沙汰にぶら下げているのは馬鹿馬鹿しい。これで見ると人間はよほど猫よりひまなもので退屈のあまりかようないたずらを考案して楽んでいるものと察せられる。ただおかしいのはこの閑人ひまじんがよるとわると多忙だ多忙だと触れ廻わるのみならず、その顔色がいかにも多忙らしい、わるくすると多忙に食い殺されはしまいかと思われるほどこせついている。彼等のあるものは吾輩を見て時々あんなになったら気楽でよかろうなどと云うが、気楽でよければなるが好い。そんなにこせこせしてくれと誰も頼んだ訳でもなかろう。自分で勝手な用事を手に負えぬほど製造して苦しい苦しいと云うのは自分で火をかんかん起して暑い暑いと云うようなものだ。猫だって頭の刈り方を二十通りも考え出す日には、こう気楽にしてはおられんさ。気楽になりたければ吾輩のように夏でも毛衣けごろもを着て通されるだけの修業をするがよろしい。――とは云うものの少々熱い。毛衣では全くつ過ぎる。
 これでは一手専売の昼寝も出来ない。何かないかな、永らく人間社会の観察をおこたったから、今日は久し振りで彼等が酔興に齷齪あくせくする様子を拝見しようかと考えて見たが、生憎あいにく主人はこの点に関してすこぶる猫に近い性分しょうぶんである。昼寝は吾輩に劣らぬくらいやるし、ことに暑中休暇後になってからは何一つ人間らしい仕事をせんので、いくら観察をしても一向いっこう観察する張合がない。こんな時に迷亭でも来ると胃弱性の皮膚も幾分か反応を呈して、しばらくでも猫に遠ざかるだろうに、先生もう来ても好い時だと思っていると、誰とも知らず風呂場でざあざあ水を浴びるものがある。水を浴びる音ばかりではない、折々大きな声で相の手を入れている。「いや結構」「どうも良い心持ちだ」「もう一杯」などと家中うちじゅうに響き渡るような声を出す。主人のうちへ来てこんな大きな声と、こんな無作法ぶさほうな真似をやるものはほかにはない。迷亭にきまっている。
 いよいよ来たな、これで今日半日はつぶせると思っていると、先生汗をいて肩を入れて例のごとく座敷までずかずか上って来て「奥さん、苦沙弥くしゃみ君はどうしました」と呼ばわりながら帽子を畳の上へほうり出す。細君は隣座敷で針箱のそばへ突っ伏して好い心持ちに寝ている最中にワンワンと何だか鼓膜へ答えるほどの響がしたのではっと驚ろいて、めぬ眼をわざと※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはって座敷へ出て来ると迷亭が薩摩上布さつまじょうふを着て勝手な所へ陣取ってしきりに扇使いをしている。
「おやいらしゃいまし」と云ったが少々狼狽ろうばいの気味で「ちっとも存じませんでした」と鼻の頭へ汗をかいたまま御辞儀をする。「いえ、今来たばかりなんですよ。今風呂場で御三おさんに水を掛けて貰ってね。ようやく生き帰ったところで――どうも暑いじゃありませんか」「この両三日りょうさんちは、ただじっとしておりましても汗が出るくらいで、大変御暑うございます。――でも御変りもございませんで」と細君は依然として鼻の汗をとらない。「ええありがとう。なに暑いくらいでそんなに変りゃしませんや。しかしこの暑さは別物ですよ。どうも体がだるくってね」「わたくしなども、ついに昼寝などを致した事がないんでございますが、こう暑いとつい――」「やりますかね。好いですよ。昼寝られて、夜寝られりゃ、こんな結構な事はないでさあ」とあいかわらず呑気のんきな事を並べて見たがそれだけでは不足と見えて「わたしなんざ、寝たくない、たちでね。苦沙弥君などのように来るたんびに寝ている人を見るとうらやましいですよ。もっとも胃弱にこの暑さは答えるからね。丈夫な人でも今日なんかは首を肩の上にせてるのが退儀でさあ。さればと云って載ってる以上はもぎとる訳にも行かずね」と迷亭君いつになく首の処置に窮している。「奥さんなんざ首の上へまだ載っけておくものがあるんだから、坐っちゃいられないはずだ。まげの重みだけでも横になりたくなりますよ」と云うと細君は今まで寝ていたのが髷の恰好かっこうから露見したと思って「ホホホ口の悪い」と云いながら頭をいじって見る。
 迷亭はそんな事には頓着なく「奥さん、昨日きのうはね、屋根の上で玉子のフライをして見ましたよ」と妙な事を云う。「フライをどうなさったんでございます」「屋根の瓦があまり見事に焼けていましたから、ただ置くのも勿体ないと思ってね。バタを溶かして玉子を落したんでさあ」「あらまあ」「ところがやっぱり天日てんぴは思うように行きませんや。なかなか半熟にならないから、下へおりて新聞を読んでいると客が来たもんだからつい忘れてしまって、今朝になって急に思い出して、もう大丈夫だろうと上って見たらね」「どうなっておりました」「半熟どころか、すっかり流れてしまいました」「おやおや」と細君は八の字を寄せながら感嘆した。
「しかし土用中あんなに涼しくって、今頃から暑くなるのは不思議ですね」「ほんとでございますよ。せんだってじゅうは単衣ひとえでは寒いくらいでございましたのに、一昨日おとといから急に暑くなりましてね」「かになら横にうところだが今年の気候はあとびさりをするんですよ。倒行とうこうして逆施げきしすまた可ならずやと云うような事を言っているかも知れない」「なんでござんす、それは」「いえ、何でもないのです。どうもこの気候の逆戻りをするところはまるでハーキュリスの牛ですよ」と図に乗っていよいよ変ちきりんな事を言うと、果せるかな細君は分らない。しかし最前の倒行して逆施すで少々りているから、今度はただ「へえー」と云ったのみで問い返さなかった。これを問い返されないと迷亭はせっかく持ち出した甲斐かいがない。「奥さん、ハーキュリスの牛を御存じですか」「そんな牛は存じませんわ」「御存じないですか、ちょっと講釈をしましょうか」と云うと細君もそれには及びませんとも言い兼ねたものだから「ええ」と云った。「むかしハーキュリスが牛を引っ張って来たんです」「そのハーキュリスと云うのは牛飼ででもござんすか」「牛飼じゃありませんよ。牛飼やいろはの亭主じゃありません。その節は希臘ギリシャにまだ牛肉屋が一軒もない時分の事ですからね」「あら希臘のお話しなの? そんなら、そうおっしゃればいいのに」と細君は希臘と云う国名だけは心得ている。「だってハーキュリスじゃありませんか」「ハーキュリスなら希臘なんですか」「ええハーキュリスは希臘の英雄でさあ」「どうりで、知らないと思いました。それでその男がどうしたんで――」「その男がね奥さん見たように眠くなってぐうぐう寝ている――」「あらいやだ」「寝ているに、ヴァルカンの子が来ましてね」「ヴァルカンて何です」「ヴァルカンは鍛冶屋かじやですよ。この鍛冶屋のせがれがその牛を盗んだんでさあ。ところがね。牛の尻尾しっぽを持ってぐいぐい引いて行ったもんだからハーキュリスが眼をまして牛やーい牛やーいと尋ねてあるいても分らないんです。分らないはずでさあ。牛の足跡をつけたって前の方へあるかして連れて行ったんじゃありませんもの、うしろへうしろへと引きずって行ったんですからね。鍛冶屋のせがれにしては大出来ですよ」と迷亭先生はすでに天気の話は忘れている。
「時に御主人はどうしました。相変らず午睡ひるねですかね。午睡も支那人の詩に出てくると風流だが、苦沙弥君のように日課としてやるのは少々俗気がありますね。何の事あない毎日少しずつ死んで見るようなものですぜ、奥さん御手数おてすうだがちょっと起していらっしゃい」と催促すると細君は同感と見えて「ええ、ほんとにあれでは困ります。第一あなた、からだが悪るくなるばかりですから。今御飯をいただいたばかりだのに」と立ちかけると迷亭先生は「奥さん、御飯と云やあ、僕はまだ御飯をいただかないんですがね」と平気な顔をして聞きもせぬ事を吹聴ふいちょうする。「おやまあ、時分どきだのにちっとも気が付きませんで――それじゃ何もございませんが御茶漬でも」「いえ御茶漬なんか頂戴しなくっても好いですよ」「それでも、あなた、どうせ御口に合うようなものはございませんが」と細君少々厭味を並べる。迷亭は悟ったもので「いえ御茶漬でも御湯漬でも御免蒙るんです。今途中で御馳走をあつらえて来ましたから、そいつを一つここでいただきますよ」ととうてい素人しろうとには出来そうもない事を述べる。細君はたった一言ひとこと「まあ!」と云ったがそのまあうちには驚ろいたまあと、気を悪るくしたまあと、手数てすうが省けてありがたいと云うまあが合併している。
 ところへ主人が、いつになくあまりやかましいので、寝つき掛った眠をさかにかれたような心持で、ふらふらと書斎から出て来る。「相変らずやかましい男だ。せっかく好い心持に寝ようとしたところを」と欠伸交あくびまじりに仏頂面ぶっちょうづらをする。「いや御目覚おめざめかね。鳳眠ほうみんを驚かし奉ってはなはだ相済まん。しかしたまには好かろう。さあ坐りたまえ」とどっちが客だか分らぬ挨拶をする。主人は無言のまま座に着いて寄木細工よせぎざいく巻煙草まきたばこ入から「朝日」を一本出してすぱすぱ吸い始めたが、ふとむこうすみに転がっている迷亭の帽子に眼をつけて「君帽子を買ったね」と云った。迷亭はすぐさま「どうだい」と自慢らしく主人と細君の前に差し出す。「まあ奇麗だ事。大変目が細かくって柔らかいんですね」と細君はしきりに撫で廻わす。「奥さんこの帽子は重宝ちょうほうですよ、どうでも言う事を聞きますからね」と拳骨げんこつをかためてパナマの横ッ腹をぽかりと張り付けると、なるほど意のごとくこぶしほどな穴があいた。細君が「へえ」と驚くもなく、このたびは拳骨を裏側へ入れてうんと突ッ張るとかまの頭がぽかりとんがる。次には帽子を取ってつばと鍔とを両側からつぶして見せる。潰れた帽子は麺棒めんぼうした蕎麦そばのように平たくなる。それを片端からむしろでも巻くごとくぐるぐる畳む。「どうですこの通り」と丸めた帽子を懐中へ入れて見せる。「不思議です事ねえ」と細君は帰天斎正一きてんさいしょういちの手品でも見物しているように感嘆すると、迷亭もその気になったものと見えて、右から懐中に収めた帽子をわざと左の袖口そでぐちから引っ張り出して「どこにも傷はありません」と元のごとくに直して、人さし指の先へ釜の底をせてくるくると廻す。もうめるかと思ったら最後にぽんとうしろへげてその上へっさりと尻餅を突いた。「君大丈夫かい」と主人さえ懸念けねんらしい顔をする。細君は無論の事心配そうに「せっかく見事な帽子をもしわしでもしちゃあ大変ですから、もう好い加減になすったらうござんしょう」と注意をする。得意なのは持主だけで「ところが壊われないから妙でしょう」と、くちゃくちゃになったのを尻の下から取り出してそのまま頭へ載せると、不思議な事には、頭の恰好かっこうにたちまち回復する。「実に丈夫な帽子です事ねえ、どうしたんでしょう」と細君がいよいよ感心すると「なにどうもしたんじゃありません、元からこう云う帽子なんです」と迷亭は帽子を被ったまま細君に返事をしている。
「あなたも、あんな帽子を御買になったら、いいでしょう」としばらくして細君は主人に勧めかけた。「だって苦沙弥君は立派な麦藁むぎわらの奴を持ってるじゃありませんか」「ところがあなた、せんだって小供があれを踏みつぶしてしまいまして」「おやおやそりゃ惜しい[#「惜しい」は底本では「措しい」]事をしましたね」「だから今度はあなたのような丈夫で奇麗なのを買ったら善かろうと思いますんで」と細君はパナマの価段ねだんを知らないものだから「これになさいよ、ねえ、あなた」としきりに主人に勧告している。
 迷亭君は今度は右のたもとの中から赤いケース入りのはさみを取り出して細君に見せる。「奥さん、帽子はそのくらいにしてこの鋏を御覧なさい。これがまたすこぶる重宝ちょうほうな奴で、これで十四通りに使えるんです」この鋏が出ないと主人は細君のためにパナマ責めになるところであったが、幸に細君が女として持って生れた好奇心のために、この厄運やくうんまぬかれたのは迷亭の機転と云わんよりむしろ僥倖ぎょうこうの仕合せだと吾輩は看破した。「その鋏がどうして十四通りに使えます」と聞くや否や迷亭君は大得意な調子で「今一々説明しますから聞いていらっしゃい。いいですか。ここに三日月形みかづきがたの欠け目がありましょう、ここへ葉巻を入れてぷつりと口を切るんです。それからこの根にちょと細工がありましょう、これで針金をぽつぽつやりますね。次には平たくして紙の上へ横に置くと定規じょうぎの用をする。またの裏には度盛どもりがしてあるから物指ものさしの代用も出来る。こちらの表にはヤスリが付いているこれで爪をりまさあ。ようがすか。このきを螺旋鋲らせんびょうの頭へ刺し込んでぎりぎり廻すと金槌かなづちにも使える。うんと突き込んでこじ開けると大抵の釘付くぎづけの箱なんざあ苦もなくふたがとれる。まった、こちらの刃の先はきりに出来ている。ここんとこは書き損いの字をけずる場所で、ばらばらに離すと、ナイフとなる。一番しまいに――さあ奥さん、この一番しまいが大変面白いんです、ここにはえの眼玉くらいな大きさのたまがありましょう、ちょっと、のぞいて御覧なさい」「いやですわまたきっと馬鹿になさるんだから」「そう信用がなくっちゃ困ったね。だがだまされたと思って、ちょいと覗いて御覧なさいな。え? いやですか、ちょっとでいいから」とはさみを細君に渡す。細君は覚束おぼつかなげに鋏を取りあげて、例の蠅の眼玉の所へ自分の眼玉を付けてしきりにねらいをつけている。「どうです」「何だか真黒ですわ」「真黒じゃいけませんね。も少し障子の方へ向いて、そう鋏を寝かさずに――そうそうそれなら見えるでしょう」「おやまあ写真ですねえ。どうしてこんな小さな写真を張り付けたんでしょう」「そこが面白いところでさあ」と細君と迷亭はしきりに問答をしている。最前から黙っていた主人はこの時急に写真が見たくなったものと見えて「おい俺にもちょっとせろ」と云うと細君は鋏を顔へ押し付けたまま「実に奇麗です事、裸体の美人ですね」と云ってなかなか離さない。「おいちょっと御見せと云うのに」「まあ待っていらっしゃいよ。美くしい髪ですね。腰までありますよ。少し仰向あおむいて恐ろしいせいの高い女だ事、しかし美人ですね」「おい御見せと云ったら、大抵にして見せるがいい」と主人はおおいき込んで細君に食って掛る。「へえ御待遠さま、たんと御覧遊ばせ」と細君が鋏を主人に渡す時に、勝手から御三おさんが御客さまの御誂おあつらえが参りましたと、二個の笊蕎麦ざるそばを座敷へ持って来る。
「奥さんこれが僕の自弁じべんの御馳走ですよ。ちょっと御免蒙って、ここでぱくつく事に致しますから」と叮嚀ていねいに御辞儀をする。真面目なような巫山戯ふざけたような動作だから細君も応対に窮したと見えて「さあどうぞ」と軽く返事をしたぎり拝見している。主人はようやく写真から眼を放して「君この暑いのに蕎麦そばは毒だぜ」と云った。「なあに大丈夫、好きなものは滅多めったあたるもんじゃない」と蒸籠せいろふたをとる。「打ち立てはありがたいな。蕎麦そばの延びたのと、人間のが抜けたのは由来たのもしくないもんだよ」と薬味やくみツユの中へ入れて無茶苦茶にき廻わす。「君そんなに山葵わさびを入れるとらいぜ」と主人は心配そうに注意した。「蕎麦はツユと山葵で食うもんだあね。君は蕎麦が嫌いなんだろう」「僕は饂飩うどんが好きだ」「饂飩は馬子まごが食うもんだ。蕎麦の味を解しない人ほど気の毒な事はない」と云いながら杉箸すぎばしをむざと突き込んで出来るだけ多くの分量を二寸ばかりの高さにしゃくい上げた。「奥さん蕎麦を食うにもいろいろ流儀がありますがね。初心しょしんの者に限って、無暗むやみツユを着けて、そうして口の内でくちゃくちゃやっていますね。あれじゃ蕎麦の味はないですよ。何でも、こう、としゃくいに引っ掛けてね」と云いつつ箸を上げると、長い奴が勢揃せいぞろいをして一尺ばかり空中に釣るし上げられる。迷亭先生もう善かろうと思って下を見ると、まだ十二三本の尾が蒸籠の底を離れないで簀垂すだれの上に纏綿てんめんしている。「こいつは長いな、どうです奥さん、この長さ加減は」とまた奥さんに相の手を要求する。奥さんは「長いものでございますね」とさも感心したらしい返事をする。「この長い奴へツユ三分一さんぶいちつけて、一口に飲んでしまうんだね。んじゃいけない。噛んじゃ蕎麦の味がなくなる。つるつると咽喉のどすべり込むところがねうちだよ」と思い切ってはしを高く上げると蕎麦はようやくの事で地を離れた。左手ゆんでに受ける茶碗の中へ、箸を少しずつ落して、尻尾の先からだんだんにひたすと、アーキミジスの理論によって、蕎麦のつかった分量だけツユかさが増してくる。ところが茶碗の中には元からツユが八分目這入はいっているから、迷亭の箸にかかった蕎麦の四半分しはんぶんつからない先に茶碗はツユで一杯になってしまった。迷亭の箸は茶碗をる五寸の上に至ってぴたりと留まったきりしばらく動かない。動かないのも無理はない。少しでもおろせばツユこぼれるばかりである。迷亭もここに至って少し※(「足へん+厨」、第3水準1-92-39)ちゅうちょていであったが、たちまち脱兎だっとの勢を以て、口を箸の方へ持って行ったなと思うもなく、つるつるちゅうと音がして咽喉笛のどぶえが一二度上下じょうげへ無理に動いたら箸の先の蕎麦は消えてなくなっておった。見ると迷亭君の両眼から涙のようなものが一二滴眼尻めじりから頬へ流れ出した。山葵わさびいたものか、飲み込むのに骨が折れたものかこれはいまだに判然しない。「感心だなあ。よくそんなに一どきに飲み込めたものだ」と主人が敬服すると「御見事です事ねえ」と細君も迷亭の手際てぎわを激賞した。迷亭は何にも云わないで箸を置いて胸を二三度たたいたが「奥さんざるは大抵三口半か四口で食うんですね。それより手数てすうを掛けちゃうまく食えませんよ」とハンケチで口を拭いてちょっと一息入れている。
 ところへ寒月君が、どう云う了見りょうけんかこの暑いのに御苦労にも冬帽をかぶって両足をほこりだらけにしてやってくる。「いや好男子の御入来ごにゅうらいだが、喰い掛けたものだからちょっと失敬しますよ」と迷亭君は衆人環座しゅうじんかんざうちにあって臆面おくめんもなく残った蒸籠をたいらげる。今度は先刻さっきのように目覚めざましい食方もしなかった代りに、ハンケチを使って、中途で息を入れると云う不体裁もなく、蒸籠せいろ二つを安々とやってのけたのは結構だった。
「寒月君博士論文はもう脱稿するのかね」と主人が聞くと迷亭もそのあとから「金田令嬢がお待ちかねだから早々そうそう呈出ていしゅつしたまえ」と云う。寒月君は例のごとく薄気味の悪い笑をらして「罪ですからなるべく早く出して安心させてやりたいのですが、何しろ問題が問題で、よほど労力のる研究を要するのですから」と本気の沙汰とも思われない事を本気の沙汰らしく云う。「そうさ問題が問題だから、そう鼻の言う通りにもならないね。もっともあの鼻なら充分鼻息をうかがうだけの価値はあるがね」と迷亭も寒月流な挨拶をする。比較的に真面目なのは主人である。「君の論文の問題は何とか云ったっけな」「蛙の眼球めだまの電動作用に対する紫外光線しがいこうせんの影響と云うのです」「そりゃ奇だね。さすがは寒月先生だ、蛙の眼球はふるってるよ。どうだろう苦沙弥君、論文脱稿前にその問題だけでも金田家へ報知しておいては」主人は迷亭の云う事には取り合わないで「君そんな事が骨の折れる研究かね」と寒月君に聞く。「ええ、なかなか複雑な問題です、第一蛙の眼球のレンズの構造がそんな単簡たんかんなものでありませんからね。それでいろいろ実験もしなくちゃなりませんがまず丸い硝子ガラスたまをこしらえてそれからやろうと思っています」「硝子の球なんかガラス屋へ行けば訳ないじゃないか」「どうして――どうして」と寒月先生少々反身そりみになる。「元来えんとか直線とか云うのは幾何学的のもので、あの定義に合ったような理想的な円や直線は現実世界にはないもんです」「ないもんなら、したらよかろう」と迷亭が口を出す。「それでまず実験上つかえないくらいな球を作って見ようと思いましてね。せんだってからやり始めたのです」「出来たかい」と主人が訳のないようにきく。「出来るものですか」と寒月君が云ったが、これでは少々矛盾だと気が付いたと見えて「どうもむずかしいです。だんだんって少しこっち側の半径が長過ぎるからと思ってそっちを心持落すと、さあ大変今度は向側むこうがわが長くなる。そいつを骨を折ってようやくつぶしたかと思うと全体の形がいびつになるんです。やっとの思いでこのいびつを取るとまた直径に狂いが出来ます。始めは林檎りんごほどな大きさのものがだんだん小さくなっていちごほどになります。それでも根気よくやっていると大豆だいずほどになります。大豆ほどになってもまだ完全な円は出来ませんよ。私も随分熱心に磨りましたが――この正月からガラス玉を大小六個磨り潰しましたよ」と嘘だか本当だか見当のつかぬところを喋々ちょうちょうと述べる。「どこでそんなに磨っているんだい」「やっぱり学校の実験室です、朝磨り始めて、昼飯のときちょっと休んでそれから暗くなるまで磨るんですが、なかなか楽じゃありません」「それじゃ君が近頃忙がしい忙がしいと云って毎日日曜でも学校へ行くのはその珠を磨りに行くんだね」「全く目下のところは朝から晩まで珠ばかり磨っています」「珠作りの博士となって入り込みしは――と云うところだね。しかしその熱心を聞かせたら、いかな鼻でも少しはありがたがるだろう。実は先日僕がある用事があって図書館へ行って帰りに門を出ようとしたら偶然老梅ろうばい君に出逢ったのさ。あの男が卒業後図書館に足が向くとはよほど不思議な事だと思って感心に勉強するねと云ったら先生妙な顔をして、なに本を読みに来たんじゃない、今門前を通り掛ったらちょっと小用こようがしたくなったから拝借に立ち寄ったんだと云ったんで大笑をしたが、老梅君と君とは反対の好例として新撰蒙求しんせんもうぎゅうに是非入れたいよ」と迷亭君例のごとく長たらしい註釈をつける。主人は少し真面目になって「君そう毎日毎日珠ばかり磨ってるのもよかろうが、元来いつ頃出来上るつもりかね」と聞く。「まあこの容子ようすじゃ十年くらいかかりそうです」と寒月君は主人より呑気のんきに見受けられる。「十年じゃ――もう少し早く磨り上げたらよかろう」「十年じゃ早い方です、事によると廿年くらいかかります」「そいつは大変だ、それじゃ容易に博士にゃなれないじゃないか」「ええ一日も早くなって安心さしてやりたいのですがとにかく珠を磨り上げなくっちゃ肝心の実験が出来ませんから……」
 寒月君はちょっと句を切って「何、そんなにご心配には及びませんよ。金田でも私の珠ばかり磨ってる事はよく承知しています。実は二三日にさんち前行った時にもよく事情を話して来ました」としたり顔に述べ立てる。すると今まで三人の談話を分らぬながら傾聴していた細君が「それでも金田さんは家族中残らず、先月から大磯へ行っていらっしゃるじゃありませんか」と不審そうに尋ねる。寒月君もこれには少し辟易へきえきていであったが「そりゃ妙ですな、どうしたんだろう」ととぼけている。こう云う時に重宝なのは迷亭君で、話の途切とぎれた時、きまりの悪い時、眠くなった時、困った時、どんな時でも必ず横合から飛び出してくる。「先月大磯へ行ったものに両三日りょうさんち前東京で逢うなどは神秘的でいい。いわゆる霊の交換だね。相思の情の切な時にはよくそう云う現象が起るものだ。ちょっと聞くと夢のようだが、夢にしても現実よりたしかな夢だ。奥さんのように別に思いも思われもしない苦沙弥君の所へ片付いて生涯しょうがい恋の何物たるを御解しにならん方には、御不審ももっともだが……」「あら何を証拠にそんな事をおっしゃるの。随分軽蔑けいべつなさるのね」と細君は中途から不意に迷亭に切り付ける。「君だって恋煩こいわずらいなんかした事はなさそうじゃないか」と主人も正面から細君に助太刀をする。「そりゃ僕の艶聞えんぶんなどは、いくら有ってもみんな七十五日以上経過しているから、君方きみがたの記憶には残っていないかも知れないが――実はこれでも失恋の結果、この歳になるまで独身で暮らしているんだよ」と一順列座の顔を公平に見廻わす。「ホホホホ面白い事」と云ったのは細君で、「馬鹿にしていらあ」と庭の方を向いたのは主人である。ただ寒月君だけは「どうかその懐旧談を後学こうがくのために伺いたいもので」と相変らずにやにやする。
「僕のも大分だいぶ神秘的で、故小泉八雲先生に話したら非常に受けるのだが、惜しい事に先生は永眠されたから、実のところ話す張合もないんだが、せっかくだから打ち開けるよ。その代りしまいまで謹聴しなくっちゃいけないよ」と念を押していよいよ本文に取り掛る。「回顧すると今を去る事――ええと――何年前だったかな――面倒だからほぼ十五六年前としておこう」「冗談じょうだんじゃない」と主人は鼻からフンと息をした。「大変物覚えが御悪いのね」と細君がひやかした。寒月君だけは約束を守って一言いちごんも云わずに、早くあとが聴きたいと云う風をする。「何でもある年の冬の事だが、僕が越後の国は蒲原郡かんばらごおり筍谷たけのこだにを通って、蛸壺峠たこつぼとうげへかかって、これからいよいよ会津領あいづりょう[#ルビの「あいづりょう」は底本では「あいずりょう」]へ出ようとするところだ」「妙なところだな」と主人がまた邪魔をする。「だまって聴いていらっしゃいよ。面白いから」と細君が制する。「ところが日は暮れる、路は分らず、腹は減る、仕方がないから峠の真中にある一軒屋をたたいて、これこれかようかようしかじかの次第だから、どうか留めてくれと云うと、御安い御用です、さあ御上がんなさいと裸蝋燭はだかろうそくを僕の顔に差しつけた娘の顔を見て僕はぶるぶるとふるえたがね。僕はその時から恋と云う曲者くせものの魔力を切実に自覚したね」「おやいやだ。そんな山の中にも美しい人があるんでしょうか」「山だって海だって、奥さん、その娘を一目あなたに見せたいと思うくらいですよ、文金ぶんきん高島田たかしまだに髪をいましてね」「へえー」と細君はあっけに取られている。「這入はいって見ると八畳の真中に大きな囲炉裏いろりが切ってあって、そのまわりに娘と娘のじいさんとばあさんと僕と四人坐ったんですがね。さぞ御腹おなか御減おへりでしょうと云いますから、何でも善いから早く食わせ給えと請求したんです。すると爺さんがせっかくの御客さまだから蛇飯へびめしでもいて上げようと云うんです。さあこれからがいよいよ失恋に取り掛るところだからしっかりして聴きたまえ」「先生しっかりして聴く事は聴きますが、なんぼ越後の国だって冬、蛇がいやしますまい」「うん、そりゃ一応もっともな質問だよ。しかしこんな詩的な話しになるとそう理窟りくつにばかり拘泥こうでいしてはいられないからね。鏡花の小説にゃ雪の中からかにが出てくるじゃないか」と云ったら寒月君は「なるほど」と云ったきりまた謹聴の態度に復した。
「その時分の僕は随分あくもの食いの隊長で、いなご、なめくじ、赤蛙などは食いきていたくらいなところだから、蛇飯はおつだ。早速御馳走になろうと爺さんに返事をした。そこで爺さん囲炉裏の上へなべをかけて、その中へ米を入れてぐずぐず煮出したものだね。不思議な事にはそのなべふたを見ると大小十個ばかりの穴があいている。その穴から湯気がぷうぷう吹くから、うまい工夫をしたものだ、田舎いなかにしては感心だと見ていると、爺さんふと立って、どこかへ出て行ったがしばらくすると、大きなざるを小脇にい込んで帰って来た。何気なくこれを囲炉裏のそばへ置いたから、その中をのぞいて見ると――いたね。長い奴が、寒いもんだから御互にとぐろきくらをやってかたまっていましたね」「もうそんな御話しはしになさいよ。厭らしい」と細君は眉に八の字を寄せる。「どうしてこれが失恋の大源因になるんだからなかなか廃せませんや。爺さんはやがて左手に鍋の蓋をとって、右手に例の塊まった長い奴を無雑作むぞうさにつかまえて、いきなり鍋の中へほうり込んで、すぐ上から蓋をしたが、さすがの僕もその時ばかりははっと息の穴がふさがったかと思ったよ」「もう御やめになさいよ。気味きびの悪るい」と細君しきりにこわがっている。「もう少しで失恋になるからしばらく辛抱しんぼうしていらっしゃい。すると一分立つか立たないうちに蓋の穴から鎌首かまくびがひょいと一つ出ましたのには驚ろきましたよ。やあ出たなと思うと、隣の穴からもまたひょいと顔を出した。また出たよと云ううち、あちらからも出る。こちらからも出る。とうとう鍋中なべじゅう蛇のつらだらけになってしまった」「なんで、そんなに首を出すんだい」「鍋の中が熱いから、苦しまぎれに這い出そうとするのさ。やがて爺さんは、もうよかろう、引っ張らっしとか何とか云うと、婆さんははあーと答える、娘はあいと挨拶をして、名々めいめいに蛇の頭を持ってぐいと引く。肉は鍋の中に残るが、骨だけは奇麗に離れて、頭を引くと共に長いのが面白いように抜け出してくる」「蛇の骨抜きですね」と寒月君が笑いながら聞くと「全くの事骨抜だ、器用な事をやるじゃないか。それから蓋を取って、杓子しゃくしでもって飯と肉を矢鱈やたらぜて、さあ召し上がれと来た」「食ったのかい」と主人が冷淡に尋ねると、細君はにがい顔をして「もうしになさいよ、胸が悪るくって御飯も何もたべられやしない」と愚痴をこぼす。「奥さんは蛇飯を召し上がらんから、そんな事をおっしゃるが、まあ一遍たべてご覧なさい、あの味ばかりは生涯しょうがい忘れられませんぜ」「おお、いやだ、誰が食べるもんですか」「そこで充分御饌ごぜんも頂戴し、寒さも忘れるし、娘の顔も遠慮なく見るし、もう思いおく事はないと考えていると、御休みなさいましと云うので、旅のつかれもある事だから、おおせに従って、ごろりと横になると、すまん訳だが前後を忘却して寝てしまった」「それからどうなさいました」と今度は細君の方から催促する。「それから明朝あくるあさになって眼をさましてからが失恋でさあ」「どうかなさったんですか」「いえ別にどうもしやしませんがね。朝起きて巻煙草まきたばこをふかしながら裏の窓から見ていると、向うのかけひそばで、薬缶頭やかんあたまが顔を洗っているんでさあ」「爺さんか婆さんか」と主人が聞く。「それがさ、僕にも識別しにくかったから、しばらく拝見していて、その薬缶がこちらを向く段になって驚ろいたね。それが僕の初恋をした昨夜ゆうべの娘なんだもの」「だって娘は島田にっているとさっき云ったじゃないか」「前夜は島田さ、しかも見事な島田さ。ところが翌朝は丸薬缶さ」「人を馬鹿にしていらあ」と主人は例によって天井の方へ視線をそらす。「僕も不思議のきょく内心少々こわくなったから、なお余所よそながら容子ようすうかがっていると、薬缶はようやく顔を洗いおわって、かたえの石の上に置いてあった高島田のかずらを無雑作にかぶって、すましてうちへ這入はいったんでなるほどと思った。なるほどとは思ったようなもののその時から、とうとう失恋の果敢はかなき運命をかこつ身となってしまった」「くだらない失恋もあったもんだ。ねえ、寒月君、それだから、失恋でも、こんなに陽気で元気がいいんだよ」と主人が寒月君に向って迷亭君の失恋を評すると、寒月君は「しかしその娘が丸薬缶でなくってめでたく東京へでも連れて御帰りになったら、先生はなお元気かも知れませんよ、とにかくせっかくの娘が禿はげであったのは千秋せんしゅう恨事こんじですねえ。それにしても、そんな若い女がどうして、毛が抜けてしまったんでしょう」「僕もそれについてはだんだん考えたんだが全く蛇飯を食い過ぎたせいに相違ないと思う。蛇飯てえ奴はのぼせるからね」「しかしあなたは、どこも何ともなくて結構でございましたね」「僕は禿にはならずにすんだが、その代りにこの通りその時から近眼きんがんになりました」と金縁の眼鏡をとってハンケチで叮嚀ていねいいている。しばらくして主人は思い出したように「全体どこが神秘的なんだい」と念のために聞いて見る。「あの鬘はどこで買ったのか、拾ったのかどう考えてもいまだに分らないからそこが神秘さ」と迷亭君はまた眼鏡を元のごとく鼻の上へかける。「まるではなの話を聞くようでござんすね」とは細君の批評であった。
 迷亭の駄弁もこれで一段落を告げたから、もうやめるかと思いのほか、先生は猿轡さるぐつわでもめられないうちはとうてい黙っている事が出来ぬたちと見えて、また次のような事をしゃべり出した。
「僕の失恋もにがい経験だが、あの時あの薬缶やかんを知らずに貰ったが最後生涯の目障めざわりになるんだから、よく考えないと険呑けんのんだよ。結婚なんかは、いざと云う間際になって、飛んだところに傷口が隠れているのを見出みいだす事がある者だから。寒月君などもそんなに憧憬しょうけいしたり※(「りっしんべん+淌のつくり」、第3水準1-84-54)※(「りっしんべん+兄」、第3水準1-84-45)しょうきょうしたりひとりでむずかしがらないで、とくと気を落ちつけてたまるがいいよ」といやに異見めいた事を述べると、寒月君は「ええなるべく珠ばかり磨っていたいんですが、向うでそうさせないんだから弱り切ります」とわざと辟易へきえきしたような顔付をする。「そうさ、君などは先方が騒ぎ立てるんだが、中には滑稽なのがあるよ。あの図書館へ小便をしに来た老梅ろうばい君などになるとすこぶる奇だからね」「どんな事をしたんだい」と主人が調子づいてうけたまわる。「なあに、こう云う訳さ。先生その昔静岡の東西館へ泊った事があるのさ。――たった一と晩だぜ――それでその晩すぐにそこの下女に結婚を申し込んだのさ。僕も随分呑気のんきだが、まだあれほどには進化しない。もっともその時分には、あの宿屋に御夏おなつさんと云う有名な別嬪べっぴんがいて老梅君の座敷へ出たのがちょうどその御夏さんなのだから無理はないがね」「無理がないどころか君の何とか峠とまるで同じじゃないか」「少し似ているね、実を云うと僕と老梅とはそんなに差異はないからな。とにかく、その御夏さんに結婚を申し込んで、まだ返事を聞かないうちに水瓜すいかが食いたくなったんだがね」「何だって?」と主人が不思議な顔をする。主人ばかりではない、細君も寒月も申し合せたように首をひねってちょっと考えて見る。迷亭は構わずどんどん話を進行させる。「御夏さんを呼んで静岡に水瓜はあるまいかと聞くと、御夏さんが、なんぼ静岡だって水瓜くらいはありますよと、御盆に水瓜を山盛りにして持ってくる。そこで老梅君食ったそうだ。山盛りの水瓜をことごとく平らげて、御夏さんの返事を待っていると、返事の来ないうちに腹が痛み出してね、うーんうーんとうなったが少しも利目ききめがないからまた御夏さんを呼んで今度は静岡に医者はあるまいかと聞いたら、御夏さんがまた、なんぼ静岡だって医者くらいはありますよと云って、天地玄黄てんちげんこうとかいう千字文せんじもんを盗んだような名前のドクトルを連れて来た。翌朝あくるあさになって、腹の痛みも御蔭でとれてありがたいと、出立する十五分前に御夏さんを呼んで、昨日きのう申し込んだ結婚事件の諾否を尋ねると、御夏さんは笑いながら静岡には水瓜もあります、御医者もありますが一夜作りの御嫁はありませんよと出て行ったきり顔を見せなかったそうだ。それから老梅君も僕同様失恋になって、図書館へは小便をするほか来なくなったんだって、考えると女は罪な者だよ」と云うと主人がいつになく引き受けて「本当にそうだ。せんだってミュッセの脚本を読んだらそのうちの人物が羅馬ローマの詩人を引用してこんな事を云っていた。――羽より軽い者はちりである。塵より軽いものは風である。風より軽い者は女である。女より軽いものはである。――よく穿うがってるだろう。女なんか仕方がない」と妙なところで力味りきんで見せる。これをうけたまわった細君は承知しない。「女の軽いのがいけないとおっしゃるけれども、男の重いんだって好い事はないでしょう」「重いた、どんな事だ」「重いと云うな重い事ですわ、あなたのようなのです」「俺がなんで重い」「重いじゃありませんか」と妙な議論が始まる。迷亭は面白そうに聞いていたが、やがて口を開いて「そう赤くなって互に弁難攻撃をするところが夫婦の真相と云うものかな。どうも昔の夫婦なんてものはまるで無意味なものだったに違いない」とひやかすのだかめるのだか曖昧あいまいな事を言ったが、それでやめておいても好い事をまた例の調子で布衍ふえんして、しものごとく述べられた。
「昔は亭主に口返答なんかした女は、一人もなかったんだって云うが、それならおしを女房にしていると同じ事で僕などは一向いっこうありがたくない。やっぱり奥さんのようにあなたは重いじゃありませんかとか何とか云われて見たいね。同じ女房を持つくらいなら、たまには喧嘩の一つ二つしなくっちゃ退屈でしようがないからな。僕の母などと来たら、おやじの前へ出てはいへいで持ち切っていたものだ。そうして二十年もいっしょになっているうちに寺参りよりほかに外へ出た事がないと云うんだから情けないじゃないか。もっとも御蔭で先祖代々の戒名かいみょうはことごとく暗記している。男女間の交際だってそうさ、僕の小供の時分などは寒月君のように意中の人と合奏をしたり、霊の交換をやって朦朧体もうろうたいで出合って見たりする事はとうてい出来なかった」「御気の毒様で」と寒月君が頭を下げる。「実に御気の毒さ。しかもその時分の女がかならずしも今の女より品行がいいと限らんからね。奥さん近頃は女学生が堕落したの何だのとやかましく云いますがね。なに昔はこれよりはげしかったんですよ」「そうでしょうか」と細君は真面目である。「そうですとも、出鱈目でたらめじゃない、ちゃんと証拠があるから仕方がありませんや。苦沙弥君、君も覚えているかも知れんが僕等の五六歳の時までは女の子を唐茄子とうなすのようにかごへ入れて天秤棒てんびんぼうかついで売ってあるいたもんだ、ねえ君」「僕はそんな事は覚えておらん」「君の国じゃどうだか知らないが、静岡じゃたしかにそうだった」「まさか」と細君が小さい声を出すと、「本当ですか」と寒月君が本当らしからぬ様子で聞く。
「本当さ。現に僕のおやじがを付けた事がある。その時僕は何でも六つくらいだったろう。おやじといっしょに油町あぶらまちから通町とおりちょうへ散歩に出ると、向うから大きな声をして女の子はよしかな、女の子はよしかなと怒鳴どなってくる。僕等がちょうど二丁目の角へ来ると、伊勢源いせげんと云う呉服屋の前でその男に出っ食わした。伊勢源と云うのは間口が十間でくら戸前とまえあって静岡第一の呉服屋だ。今度行ったら見て来給え。今でも歴然と残っている。立派なうちだ。その番頭が甚兵衛と云ってね。いつでも御袋おふくろが三日前にくなりましたと云うような顔をして帳場の所へひかえている。甚兵衛君の隣りにははつさんという二十四五の若いしゅが坐っているが、この初さんがまた雲照律師うんしょうりっし帰依きえして三七二十一日の間蕎麦湯そばゆだけで通したと云うような青い顔をしている。初さんの隣りがちょうどんでこれは昨日きのう火事でき出されたかのごとく愁然しゅうぜん算盤そろばんに身をもたしている。長どんとならんで……」「君は呉服屋の話をするのか、人売りの話をするのか」「そうそう人売りの話しをやっていたんだっけ。実はこの伊勢源についてもすこぶる奇譚きだんがあるんだが、それは割愛かつあいして今日は人売りだけにしておこう」「人売りもついでにやめるがいい」「どうしてこれが二十世紀の今日こんにちと明治初年頃の女子の品性の比較についてだいなる参考になる材料だから、そんなに容易たやすくやめられるものか――それで僕がおやじと伊勢源の前までくると、例の人売りがおやじを見て旦那女の子の仕舞物しまいものはどうです、安く負けておくから買っておくんなさいと云いながら天秤棒てんびんぼうをおろして汗をいているのさ。見ると籠の中には前に一人うしろに一人両方とも二歳ばかりの女の子が入れてある。おやじはこの男に向って安ければ買ってもいいが、もうこれぎりかいと聞くと、へえ生憎あいにく今日はみんな売りつくしてたった二つになっちまいました。どっちでも好いから取っとくんなさいなと女の子を両手で持って唐茄子とうなすか何ぞのようにおやじの鼻の先へ出すと、おやじはぽんぽんと頭をたたいて見て、ははあかなりな音だと云った。それからいよいよ談判が始まって散々さんざ価切ねぎった末おやじが、買っても好いが品はたしかだろうなと聞くと、ええ前の奴は始終見ているから間違はありませんがねうしろにかついでる方は、何しろ眼がないんですから、ことによるとひびが入ってるかも知れません。こいつの方なら受け合えない代りに価段ねだんを引いておきますと云った。僕はこの問答をいまだに記憶しているんだがその時小供心に女と云うものはなるほど油断のならないものだと思ったよ。――しかし明治三十八年の今日こんにちこんな馬鹿な真似をして女の子を売ってあるくものもなし、眼を放してうしろへかついだ方は険呑けんのんだなどと云う事も聞かないようだ。だから、僕の考ではやはり泰西たいせい文明の御蔭で女の品行もよほど進歩したものだろうと断定するのだが、どうだろう寒月君」
 寒月君は返事をする前にまず鷹揚おうよう咳払せきばらいを一つして見せたが、それからわざと落ちついた低い声で、こんな観察を述べられた。「この頃の女は学校の行き帰りや、合奏会や、慈善会や、園遊会で、ちょいと買って頂戴な、あらおいや? などと自分で自分を売りにあるいていますから、そんな八百屋やおやのお余りを雇って、女の子はよしか、なんて下品な依托販売いたくはんばいをやる必要はないですよ。人間に独立心が発達してくると自然こんな風になるものです。老人なんぞはいらぬ取越苦労をして何とかかとか云いますが、実際を云うとこれが文明の趨勢すうせいですから、私などはおおいに喜ばしい現象だと、ひそかに慶賀の意を表しているのです。買う方だって頭をたたいて品物は確かかなんて聞くような野暮やぼは一人もいないんですからその辺は安心なものでさあ。またこの複雑な世の中に、そんな手数てすうをする日にゃあ、際限がありませんからね。五十になったって六十になったって亭主を持つ事も嫁に行く事も出来やしません」寒月君は二十世紀の青年だけあって、おおいに当世流の考を開陳かいちんしておいて、敷島しきしまの煙をふうーと迷亭先生の顔の方へ吹き付けた。迷亭は敷島の煙くらいで辟易へきえきする男ではない。「仰せの通り方今ほうこんの女生徒、令嬢などは自尊自信の念から骨も肉も皮まで出来ていて、何でも男子に負けないところが敬服の至りだ。僕の近所の女学校の生徒などと来たらえらいものだぜ。筒袖つつそで穿いて鉄棒かなぼうへぶら下がるから感心だ。僕は二階の窓から彼等の体操を目撃するたんびに古代希臘ギリシャの婦人を追懐するよ」「また希臘か」と主人が冷笑するように云い放つと「どうも美な感じのするものは大抵希臘から源を発しているから仕方がない。美学者と希臘とはとうてい離れられないやね。――ことにあの色の黒い女学生が一心不乱に体操をしているところを拝見すると、僕はいつでも Agnodice の逸話を思い出すのさ」と物知り顔にしゃべり立てる。「またむずかしい名前が出て来ましたね」と寒月君は依然としてにやにやする。「Agnodice はえらい女だよ、僕は実に感心したね。当時亜典アテンの法律で女が産婆を営業する事を禁じてあった。不便な事さ。Agnodice だってその不便を感ずるだろうじゃないか」「何だい、その――何とか云うのは」「女さ、女の名前だよ。この女がつらつら考えるには、どうも女が産婆になれないのは情けない、不便極まる。どうかして産婆になりたいもんだ、産婆になる工夫はあるまいかと三日三晩手をこまぬいて考え込んだね。ちょうど三日目の暁方あけがたに、隣の家で赤ん坊がおぎゃあと泣いた声を聞いて、うんそうだと豁然大悟かつぜんたいごして、それから早速長い髪を切って男の着物をきて Hierophilus の講義をききに行った。首尾よく講義をききおおせて、もう大丈夫と云うところでもって、いよいよ産婆を開業した。ところが、奥さん流行はやりましたね。あちらでもおぎゃあと生れるこちらでもおぎゃあと生れる。それがみんな Agnodice の世話なんだから大変もうかった。ところが人間万事塞翁さいおうの馬、七転ななころ八起やおき、弱り目にたたり目で、ついこの秘密が露見に及んでついに御上おかみ御法度ごはっとを破ったと云うところで、重き御仕置しおきに仰せつけられそうになりました」「まるで講釈見たようです事」「なかなかうまいでしょう。ところが亜典アテンの女連が一同連署して嘆願に及んだから、時の御奉行もそう木で鼻をくくったような挨拶も出来ず、ついに当人は無罪放免、これからはたとい女たりとも産婆営業勝手たるべき事と云う御布令おふれさえ出てめでたく落着を告げました」「よくいろいろな事を知っていらっしゃるのね、感心ねえ」「ええ大概の事は知っていますよ。知らないのは自分の馬鹿な事くらいなものです。しかしそれも薄々は知ってます」「ホホホホ面白い事ばかり……」と細君相形そうごうを崩して笑っていると、格子戸こうしどのベルが相変らず着けた時と同じような音を出して鳴る。「おやまた御客様だ」と細君は茶の間へ引き下がる。細君と入れ違いに座敷へ這入はいって来たものは誰かと思ったらご存じの越智東風おちとうふう君であった。
 ここへ東風君さえくれば、主人のうち出入でいりする変人はことごとく網羅しつくしたとまで行かずとも、少なくとも吾輩の無聊ぶりょうを慰むるに足るほどの頭数あたまかず御揃おそろいになったと云わねばならぬ。これで不足を云っては勿体もったいない。運悪るくほかの家へ飼われたが最後、生涯人間中にかかる先生方が一人でもあろうとさえ気が付かずに死んでしまうかも知れない。さいわいにして苦沙弥先生門下の猫児びょうじとなって朝夕ちょうせき虎皮こひの前にはんべるので先生は無論の事迷亭、寒月乃至ないし東風などと云う広い東京にさえあまり例のない一騎当千の豪傑連の挙止動作を寝ながら拝見するのは吾輩にとって千載一遇の光栄である。御蔭様でこの暑いのに毛袋でつつまれていると云う難儀も忘れて、面白く半日を消光する事が出来るのは感謝の至りである。どうせこれだけ集まれば只事ただごとではすまない。何か持ち上がるだろうとふすまの陰からつつしんで拝見する。
「どうもご無沙汰を致しました。しばらく」と御辞儀をする東風君の顔を見ると、先日のごとくやはり奇麗に光っている。頭だけで評すると何か緞帳役者どんちょうやくしゃのようにも見えるが、白い小倉こくらはかまのゴワゴワするのを御苦労にも鹿爪しかつめらしく穿いているところは榊原健吉さかきばらけんきちの内弟子としか思えない。従って東風君の身体で普通の人間らしいところは肩から腰までの間だけである。「いや暑いのに、よく御出掛だね。さあずっと、こっちへ通りたまえ」と迷亭先生は自分のうちらしい挨拶をする。「先生には大分だいぶ久しく御目にかかりません」「そうさ、たしかこの春の朗読会ぎりだったね。朗読会と云えば近頃はやはり御盛おさかんかね。その御宮おみやにゃなりませんか。あれはうまかったよ。僕はおおいに拍手したぜ、君気が付いてたかい」「ええ御蔭で大きに勇気が出まして、とうとうしまいまでぎつけました」「今度はいつ御催しがありますか」と主人が口を出す。「七八両月ふたつきは休んで九月には何かにぎやかにやりたいと思っております。何か面白い趣向はございますまいか」「さよう」と主人が気のない返事をする。「東風君僕の創作を一つやらないか」と今度は寒月君が相手になる。「君の創作なら面白いものだろうが、一体何かね」「脚本さ」と寒月君がなるべく押しを強く出ると、案のごとく、三人はちょっと毒気をぬかれて、申し合せたように本人の顔を見る。「脚本はえらい。喜劇かい悲劇かい」と東風君が歩を進めると、寒月先生なお澄し返って「なに喜劇でも悲劇でもないさ。近頃は旧劇とか新劇とか大部だいぶやかましいから、僕も一つ新機軸を出して俳劇はいげきと云うのを作って見たのさ」「俳劇たどんなものだい」「俳句趣味の劇と云うのを詰めて俳劇の二字にしたのさ」と云うと主人も迷亭も多少けむかれてひかえている。「それでその趣向と云うのは?」と聞き出したのはやはり東風君である。「根が俳句趣味からくるのだから、あまり長たらしくって、毒悪なのはよくないと思って一幕物にしておいた」「なるほど」「まず道具立てから話すが、これもごく簡単なのがいい。舞台の真中へ大きな柳を一本植え付けてね。それからその柳の幹から一本の枝を右の方へヌッと出させて、その枝へからすを一羽とまらせる」「烏がじっとしていればいいが」と主人がひとごとのように心配した。「何わけは有りません、烏の足を糸で枝へしばり付けておくんです。でその下へ行水盥ぎょうずいだらいを出しましてね。美人が横向きになって手拭を使っているんです」「そいつは少しデカダンだね。第一誰がその女になるんだい」と迷亭が聞く。「何これもすぐ出来ます。美術学校のモデルを雇ってくるんです」「そりゃ警視庁がやかましく云いそうだな」と主人はまた心配している。「だって興行さえしなければ構わんじゃありませんか。そんな事をとやかく云った日にゃ学校で裸体画の写生なんざ出来っこありません」「しかしあれは稽古のためだから、ただ見ているのとは少し違うよ」「先生方がそんな事を云った日には日本もまだ駄目です。絵画だって、演劇だって、おんなじ芸術です」と寒月君大いに気焔きえんを吹く。「まあ議論はいいが、それからどうするのだい」と東風君、ことによると、やる了見りょうけんと見えて筋を聞きたがる。「ところへ花道から俳人高浜虚子たかはまきょしがステッキを持って、白い灯心とうしん入りの帽子をかぶって、透綾すきやの羽織に、薩摩飛白さつまがすり尻端折しりっぱしょりの半靴と云うこしらえで出てくる。着付けは陸軍の御用達ごようたし見たようだけれども俳人だからなるべく悠々ゆうゆうとして腹の中では句案に余念のないていであるかなくっちゃいけない。それで虚子が花道を行き切っていよいよ本舞台に懸った時、ふと句案の眼をあげて前面を見ると、大きな柳があって、柳の影で白い女が湯を浴びている、はっと思って上を見ると長い柳の枝に烏が一羽とまって女の行水を見下ろしている。そこで虚子先生おおいに俳味に感動したと云う思い入れが五十秒ばかりあって、行水の女に惚れる烏かなと大きな声で一句朗吟するのを合図に、拍子木ひょうしぎを入れて幕を引く。――どうだろう、こう云う趣向は。御気に入りませんかね。君御宮おみやになるより虚子になる方がよほどいいぜ」東風君は何だか物足らぬと云う顔付で「あんまり、あっけないようだ。もう少し人情を加味した事件が欲しいようだ」と真面目に答える。今まで比較的おとなしくしていた迷亭はそういつまでもだまっているような男ではない。「たったそれだけで俳劇はすさまじいね。上田敏うえだびん君の説によると俳味とか滑稽とか云うものは消極的で亡国のいんだそうだが、敏君だけあってうまい事を云ったよ。そんなつまらない物をやって見給え。それこそ上田君から笑われるばかりだ。第一劇だか茶番だか何だかあまり消極的で分らないじゃないか。失礼だが寒月君はやはり実験室でたまを磨いてる方がいい。俳劇なんぞ百作ったって二百作ったって、亡国のいんじゃ駄目だ」寒月君は少々むっとして、「そんなに消極的でしょうか。私はなかなか積極的なつもりなんですが」どっちでも構わん事を弁解しかける。「虚子がですね。虚子先生が女に惚れる烏かなと烏をとらえて女に惚れさしたところがおおいに積極的だろうと思います」「こりゃ新説だね。是非御講釈を伺がいましょう」「理学士として考えて見ると烏が女に惚れるなどと云うのは不合理でしょう」「ごもっとも」「その不合理な事を無雑作むぞうさに言い放って少しも無理に聞えません」「そうかしら」と主人が疑った調子で割り込んだが寒月は一向頓着しない。「なぜ無理に聞えないかと云うと、これは心理的に説明するとよく分ります。実を云うと惚れるとか惚れないとか云うのは俳人その人に存する感情で烏とは没交渉の沙汰であります。しかるところあの烏は惚れてるなと感じるのは、つまり烏がどうのこうのと云う訳じゃない、必竟ひっきょう自分が惚れているんでさあ。虚子自身が美しい女の行水ぎょうずいしているところを見てはっと思う途端にずっと惚れ込んだに相違ないです。さあ自分が惚れた眼で烏が枝の上で動きもしないで下を見つめているのを見たものだから、ははあ、あいつも俺と同じく参ってるなと癇違かんちがいをしたのです。癇違いには相違ないですがそこが文学的でかつ積極的なところなんです。自分だけ感じた事を、断りもなく烏の上に拡張して知らん顔をしてすましているところなんぞは、よほど積極主義じゃありませんか。どうです先生」「なるほど御名論だね、虚子に聞かしたら驚くに違いない。説明だけは積極だが、実際あの劇をやられた日には、見物人はたしかに消極になるよ。ねえ東風君」「へえどうも消極過ぎるように思います」と真面目な顔をして答えた。
 主人は少々談話の局面を展開して見たくなったと見えて、「どうです、東風さん、近頃は傑作もありませんか」と聞くと東風君は「いえ、別段これと云って御目にかけるほどのものも出来ませんが、近日詩集を出して見ようと思いまして――稿本こうほんを幸い持って参りましたから御批評を願いましょう」と懐から紫の袱紗包ふくさづつみを出して、その中から五六十枚ほどの原稿紙の帳面を取り出して、主人の前に置く。主人はもっともらしい顔をして拝見と云って見ると第一頁に

世の人に似ずあえかに見え給う
   富子嬢に捧ぐ

と二行にかいてある。主人はちょっと神秘的な顔をしてしばらく一頁を無言のままながめているので、迷亭は横合から「何だい新体詩かね」と云いながらのぞき込んで「やあ、捧げたね。東風君、思い切って富子嬢に捧げたのはえらい」としきりにめる。主人はなお不思議そうに「東風さん、この富子と云うのは本当に存在している婦人なのですか」と聞く。「へえ、この前迷亭先生とごいっしょに朗読会へ招待した婦人の一人です。ついこの御近所に住んでおります。実はただ今詩集を見せようと思ってちょっと寄って参りましたが、生憎あいにく先月から大磯へ避暑に行って留守でした」と真面目くさって述べる。「苦沙弥君、これが二十世紀なんだよ。そんな顔をしないで、早く傑作でも朗読するさ。しかし東風君この捧げ方は少しまずかったね。このあえかにと云う雅言がげんは全体何と言う意味だと思ってるかね」「蚊弱かよわいとかたよわくと云う字だと思います」「なるほどそうも取れん事はないが本来の字義を云うと危う気にと云う事だぜ。だから僕ならこうは書かないね」「どう書いたらもっと詩的になりましょう」「僕ならこうさ。世の人に似ずあえかに見え給う富子嬢の鼻の下に捧ぐとするね。わずかに三字のゆきさつだが鼻の下があるのとないのとでは大変感じに相違があるよ」「なるほど」と東風君はしかねたところを無理に納得なっとくしたていにもてなす。
 主人は無言のままようやく一頁をはぐっていよいよ巻頭第一章を読み出す。

んじてくんずる香裏こうりに君の
霊か相思の煙のたなびき
おお我、ああ我、からきこの世に
あまく得てしか熱き口づけ

「これは少々僕には解しかねる」と主人は嘆息しながら迷亭に渡す。「これは少々振い過ぎてる」と迷亭は寒月に渡す。寒月は「なああるほど」と云って東風君に返す。
「先生御分りにならんのはごもっともで、十年前の詩界と今日こんにちの詩界とは見違えるほど発達しておりますから。この頃の詩は寝転んで読んだり、停車場で読んではとうてい分りようがないので、作った本人ですら質問を受けると返答に窮する事がよくあります。全くインスピレーションで書くので詩人はその他には何等の責任もないのです。註釈や訓義くんぎは学究のやる事で私共の方ではとんと構いません。せんだっても私の友人で送籍そうせきと云う男が一夜という短篇をかきましたが、誰が読んでも朦朧もうろうとして取りめがつかないので、当人に逢ってとくと主意のあるところをただして見たのですが、当人もそんな事は知らないよと云って取り合わないのです。全くその辺が詩人の特色かと思います」「詩人かも知れないが随分妙な男ですね」と主人が云うと、迷亭が「馬鹿だよ」と単簡たんかんに送籍君を打ち留めた。東風君はこれだけではまだ弁じ足りない。「送籍は吾々仲間のうちでも取除とりのけですが、私の詩もどうか心持ちその気で読んでいただきたいので。ことに御注意を願いたいのはからきこの世と、あまき口づけとついをとったところが私の苦心です」「よほど苦心をなすった痕迹こんせきが見えます」「あまいからいと反照するところなんか十七味調じゅうしちみちょう唐辛子調とうがらしちょうで面白い。全く東風君独特の伎倆で敬々服々の至りだ」としきりに正直な人をまぜ返して喜んでいる。
 主人は何と思ったか、ふいと立って書斎の方へ行ったがやがて一枚の半紙を持って出てくる。「東風君の御作も拝見したから、今度は僕が短文を読んで諸君の御批評を願おう」といささか本気の沙汰である。「天然居士てんねんこじ墓碑銘ぼひめいならもう二三遍拝聴したよ」「まあ、だまっていなさい。東風さん、これは決して得意のものではありませんが、ほんの座興ですから聴いて下さい」「是非伺がいましょう」「寒月君もついでに聞き給え」「ついででなくても聴きますよ。長い物じゃないでしょう」「僅々六十余字さ」と苦沙弥先生いよいよ手製の名文を読み始める。
大和魂やまとだましい! と叫んで日本人が肺病やみのようなせきをした」
「起し得て突兀とっこつですね」と寒月君がほめる。
「大和魂! と新聞屋が云う。大和魂! と掏摸すりが云う。大和魂が一躍して海を渡った。英国で大和魂の演説をする。独逸ドイツで大和魂の芝居をする」
「なるほどこりゃ天然居士てんねんこじ以上の作だ」と今度は迷亭先生がそり返って見せる。
「東郷大将が大和魂をっている。肴屋さかなやの銀さんも大和魂を有っている。詐偽師さぎし山師やまし、人殺しも大和魂を有っている」
「先生そこへ寒月も有っているとつけて下さい」
「大和魂はどんなものかと聞いたら、大和魂さと答えて行き過ぎた。五六間行ってからエヘンと云う声が聞こえた」
「その一句は大出来だ。君はなかなか文才があるね。それから次の句は」
「三角なものが大和魂か、四角なものが大和魂か。大和魂は名前の示すごとく魂である。魂であるから常にふらふらしている」
「先生だいぶ面白うございますが、ちと大和魂が多過ぎはしませんか」と東風君が注意する。「賛成」と云ったのは無論迷亭である。
「誰も口にせぬ者はないが、誰も見たものはない。誰も聞いた事はあるが、誰もった者がない。大和魂はそれ天狗てんぐたぐいか」
 主人は一結杳然いっけつようぜんと云うつもりで読み終ったが、さすがの名文もあまり短か過ぎるのと、主意がどこにあるのか分りかねるので、三人はまだあとがある事と思って待っている。いくら待っていても、うんとも、すんとも、云わないので、最後に寒月が「それぎりですか」と聞くと主人はかろく「うん」と答えた。うんは少し気楽過ぎる。
 不思議な事に迷亭はこの名文に対して、いつものようにあまり駄弁を振わなかったが、やがて向き直って、「君も短篇を集めて一巻として、そうして誰かに捧げてはどうだ」と聞いた。主人は事もなげに「君に捧げてやろうか」と聴くと迷亭は「真平まっぴらだ」と答えたぎり、先刻さっき細君に見せびらかしたはさみをちょきちょき云わして爪をとっている。寒月君は東風君に向って「君はあの金田の令嬢を知ってるのかい」と尋ねる。「この春朗読会へ招待してから、懇意になってそれからは始終交際をしている。僕はあの令嬢の前へ出ると、何となく一種の感に打たれて、当分のうちは詩を作っても歌をんでも愉快に興が乗って出て来る。この集中にも恋の詩が多いのは全くああ云う異性の朋友ほうゆうからインスピレーションを受けるからだろうと思う。それで僕はあの令嬢に対しては切実に感謝の意を表しなければならんからこの機を利用して、わが集を捧げる事にしたのさ。むかしから婦人に親友のないもので立派な詩をかいたものはないそうだ」「そうかなあ」と寒月君は顔の奥で笑いながら答えた。いくら駄弁家の寄合でもそう長くは続かんものと見えて、談話の火の手は大分だいぶ下火になった。吾輩も彼等の変化なき雑談を終日聞かねばならぬ義務もないから、失敬して庭へ蟷螂かまきりを探しに出た。梧桐あおぎりの緑をつづる間から西に傾く日がまだらにれて、幹にはつくつく法師ぼうしが懸命にないている。晩はことによると一雨かかるかも知れない。
 
 
 
 
(後編につづきます)
 
 
 
       
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 底本:「夏目漱石全集1」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年9月29日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年4月〜1972(昭和47)年1月
初出:「ホトトギス」
   1905(明治38)年1月〜8月
入力:柴田卓治
校正:渡部峰子(一)、おのしげひこ(二、五)、田尻幹二(三)、高橋真也(四、七、八、十、十一)、しず(六)、瀬戸さえ子(九)
1999年9月17日公開
2015年2月3日修正
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