漱石俳句集 一

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漱石俳句集 一

 

漱石 初期俳句二十作
明治二十二年から(一八八九年から)
 
 
 
帰ろふと泣かずに笑へ時鳥ほととぎす
聞かふとて誰も待たぬに時鳥
西行も笠ぬいで見る富士の山
寐てくらす人もありけり夢の世に
峰の雲落ちて筧に水の音
東風吹くや山一ぱいの雲の影
白雲や山又山を這ひ回り
馬の背で船漕ぎ出すや春の旅
行燈にいろはかきけり秋の旅
親を持つ子のしたくなき秋の旅
さみだれに持ちあつかふや蛇目傘
見るうちは吾も仏の心かな
蛍狩われを小川に落しけり
藪陰に涼んで蚊にぞ喰はれける
世をすてゝ太古に似たり市の内
雀来て障子にうごく花の影
秋さびて霜に落けり柿一つ
吾恋は闇夜に似たる月夜かな
柿の葉や一つ一つに月の影
涼しさや昼寐の夢に蝉の声
 
 
 
漱石最晩年俳句集
大正五年(一九一六年)

 
 
 
病める人枕に倚れば瓶の梅
梅活けて聊かなれど手習す
桃に琴弾くは心越禅師哉
秋立つや一巻の書の読み残し
蝸牛や五月をわたるふきの茎
朝貌にまつはられてよ芒の穂
萩と歯朶に賛書く月の団居哉
棕櫚竹や月に背いて影二本
秋立つ日猫の蚤取眼かな
秋となれば竹もかくなり俳諧師
風呂吹きや頭の丸き影二つ
煮て食ふかはた焼いてくふか春の魚
いたづらに書きたるものを梅とこそ
まきを割るかはた祖を割るか秋の空
饅頭に礼拝すれば晴れて秋
饅頭は食つたと雁に言伝よ
吾心点じ了りぬ正に秋
僧のくれし此饅頭の丸きかな
瓢箪は鳴るか鳴らぬか秋の風

 

 
       
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 底本:明かりの本
2016年6月7日作成
明かりの本作成ファイル:
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