萩原朔太郎 月に吠える
従兄 萩原栄次氏に捧ぐ
萩原朔太郎
序
萩原君。
何と云つても私は君を愛する。さうして室生君を。それは何と云つても素直な優しい愛だ。いつまでもそれは永続するもので、いつでも同じ温かさを保つてゆかれる愛だ。此の三人の生命を通じ、
私は君をよく知つてゐる。さうして室生君を。さうして君達の詩とその詩の生ひたちとをよく知つてゐる。『朱欒』のむかしから親しく君達は私に君達の心を開いて呉れた。いい意味に於て其後もわれわれの心の交流は常住新鮮であつた。恐らく今後に於ても。それは廻り澄む三つの独楽が今や将に相触れむとする刹那の静謐である。そこには限りの知られぬをののきがある。無論三つの生命は確実に三つの据りを保つてゐなければならぬ。然るのちにそれぞれ澄みきるのである。微妙な接吻がそののちに
室生君と同じく君も亦生れた詩人の一人である事は誰も否むわけにはゆくまい。私は信ずる。さうして君の異常な神経と感情の所有者である事も。譬へばそれは憂鬱な香水に深く涵した剃刀である。而もその予覚は常に来る可き悲劇に向て顫へてゐる。然しそれは恐らく凶悪自身の為に使用されると云ふよりも、凶悪に対する自衛、若くは自分自身に向けらるる懺悔の刃となる種類のものである。何故ならば、君の感情は恐怖の一刹那に於て、
然しこの剃刀は幾分君の好奇な趣味性に匂づけられてゐる事もほんとうである。時には安らかにそれで以て君は君の薄い髯を
清純な凄さ、それは君の詩を読むものの誰しも認め得る特色であらう。然しそれは室生君の云ふ通り、ポオやボオドレエルの凄さとは違ふ。君は寂しい、君は正直で、清楚で、透明で、もつと細かにぴちぴち動く。少くとも彼等の絶望的な暗さや頽廃した幻覚の魔睡は無い。宛然凉しい水銀の鏡に映る剃刀の閃めきである。その鏡に映るものは真実である。そして其処には玻璃製の上品な市街や青空やが映る。さうして恐る可き殺人事件が突如として映つたり、素敵に気の利いた探偵が走つたりする。
君の気稟は又譬へば地面に直角に立つ一本の竹である。その細い幹は鮮かな青緑で、その葉は
「詩は神秘でも象徴でも何でも無い。詩はただ病める魂の所有者と孤独者との寂しい慰めである。」と君は云ふ。まことに君が一本の竹は水面にうつる己が影を神秘とし象徴として不思議がる以前に、ほんとうの竹、ほんとうの自分自身を切に痛感するであらう。鮮純なリズムの
君の霊魂は私の知つてゐる限りまさしく蒼い顔をしてゐた。殆ど病み暮らしてばかりゐるやうに見えた。然しそれは真珠貝の
外面的に見た君も極めて痩せて尖つてゐる。さうしてその
潔癖で我儘なお坊つちやんで(この点は私とよく似てゐる)その癖寂しがりの、いつも白い神経を露はに顫へさしてゐる人だ。それは電流の来ぬ前の電球の硝子の中の顫へてやまぬ竹の線である。
君の電流体の感情はあらゆる液体を固体に凝結せずんばやまない。竹の葉の水気が集つて一滴の露となり、腐れた酒の蒸気が
月に吠える、それは正しく君の悲しい心である。冬になつて私のところの白い小犬もいよいよ吠える。昼のうちは空に一羽の雀が啼いても吠える。夜はなほさらきらきらと霜が下りる。霜の下りる声まで嗅ぎ知つて吠える。天を仰ぎ、真実に
ぴようぴようと吠える、何かがぴようぴようと吠える。聴いてゐてさへも身の痺れるやうな寂しい遣瀬ない声、その声が今夜も向うの竹林を透してきこえる。降り注ぐものは新鮮な竹の葉に雪のごとく結晶し、君を思へば蒼白い月天がいつもその上にかかる。
萩原君。
何と云つても私は君を愛する。さうして室生君を。君は私より二つ年下で、室生君は君より又二つ年下である。私は私より少しでも年若く、私より更に新らしく生れて来た二つの相似た霊魂の為めに祝福し、更に甚深な肉親の交歓に酔ふ。
又更に君と室生君との芸術上の熱愛を思ふと涙が流れる。君の歓びは室生君の歓びである。さうして又私の歓びである。
この機会を利用して、私は更に君に讃嘆の辞を贈る。
大正六年一月十日
葛飾の紫烟草舎にて
北原白秋
序
詩の表現の目的は単に情調のための情調を表現することではない。幻覚のための幻覚を描くことでもない。同時にまたある種の思想を宣伝演繹することのためでもない。詩の本来の目的は寧ろそれらの者を通じて、人心の内部に顫動する所の感情そのものの本質を凝視し、かつ感情をさかんに流露させることである。
詩とは感情の神経を掴んだものである。生きて働く心理学である。
すべてのよい叙情詩には、理屈や言葉で説明することの出来ない一種の美感が伴ふ。これを詩のにほひといふ。(人によつては気韻とか気稟とかいふ)にほひは詩の主眼とする陶酔的気分の要素である。順つてこのにほひの稀薄な詩は韻文としての価値のすくないものであつて、言はば香味を欠いた酒のやうなものである。かういふ酒を私は好まない。
詩の表現は素樸なれ、詩のにほひは芳純でありたい。
私の詩の読者にのぞむ所は、詩の表面に表はれた概念や「ことがら」ではなくして、内部の核心である感情そのものに感触してもらひたいことである。私の心の「かなしみ」「よろこび」「さびしみ」「おそれ」その他言葉や文章では言ひ現はしがたい複雑した特種の感情を、私は自分の詩のリズムによつて表現する。併しリズムは説明ではない。リズムは以心伝心である。そのリズムを無言で感知することの出来る人とのみ、私は手をとつて語り合ふことができる。
『どういふわけでうれしい?』といふ質問に対して人は容易にその理由を説明することができる。けれども『どういふ工合にうれしい』といふ問に対しては何
思ふに人間の感情といふものは、極めて単純であつて、同時に極めて複雑したものである。極めて普遍性のものであつて、同時に極めて個性的な特異なものである。
どんな場合にも、人が自己の感情を完全に表現しようと思つたら、それは容易のわざではない。この場合には言葉は何の役にもたたない。そこには音楽と詩があるばかりである。
私はときどき不幸な狂水病者のことを考へる。
あの病気にかかつた人間は非常に水を恐れるといふことだ。コップに盛つた一杯の水が絶息するほど恐ろしいといふやうなことは、どんなにしても我々には想像のおよばないことである。
『どういふわけで水が恐ろしい?』『どういふ工合に水が恐ろしい?』これらの心理は、我々にとつては只々不可思議千万のものといふの外はない。けれどもあの患者にとつてはそれが何よりも真実な事実なのである。そして此の場合に若しその患者自身が……何等かの必要に迫られて……この苦しい実感を傍人に向つて説明しようと試みるならば(それはずゐぶん有りさうに思はれることだ。もし傍人がこの病気について特種の智識をもたなかつた場合には彼に対してどんな惨酷な悪戯が行はれないとも限らない。こんな場合を考へると私は戦慄せずには居られない。)患者自身はどんな手段をとるべきであらう。恐らくはどのやうな言葉の説明を以てしても、この奇異な感情を表現することは出来ないであらう。
けれども、若し彼に詩人としての才能があつたら、もちろん彼は詩を作るにちがひない。詩は人間の言葉で説明することの出来ないものまでも説明する。詩は言葉以上の言葉である。
狂水病者の例は極めて特異の例である。けれどもまた同時に極めてありふれた例でもある。
人間は一人一人にちがつた肉体と、ちがつた神経とをもつて居る。我のかなしみは彼のかなしみではない。彼のよろこびは我のよろこびではない。
人は一人一人では、いつも永久に、永久に、恐ろしい孤独である。
原始以来、神は幾億万人といふ人間を造つた。けれども全く同じ顔の人間を、決して二人とは造りはしなかつた。人はだれでも単位で生れて、永久に単位で死ななければならない。
とはいへ、我々は決してぽつねんと切りはなされた宇宙の単位ではない。
我々の顔は、我々の皮膚は、一人一人にみんな異つて居る。けれども、実際は一人一人にみんな同一のところをもつて居るのである。この共通を人間同志の間に発見するとき、人類間の『道徳』と『愛』とが生れるのである。この共通を人類と植物との間に発見するとき、自然間の『道徳』と『愛』とが生れるのである。そして我々はもはや永久に孤独ではない。
私のこの肉体とこの感情とは、もちろん世界中で私一人しか所有して居ない。またそれを完全に理解してゐる人も一人しかない。これは極めて極めて特異な性質をもつたものである。けれども、それはまた同時に、世界中の何ぴとにも共通なものでなければならない。この特異にして共通なる個々の感情の焦点に、詩歌のほんとの『よろこび』と『秘密性』とが存在するのだ。この道理をはなれて、私は自ら詩を作る意義を知らない。
詩は一瞬間に於ける霊智の産物である。ふだんにもつてゐる所のある種の感情が、電流体の如きものに触れて始めてリズムを発見する。この電流体は詩人にとつては奇蹟である。詩は予期して作らるべき者ではない。
以前、私は詩といふものを神秘のやうに考へて居た。ある霊妙な宇宙の聖霊と人間の叡智との交霊作用のやうにも考へて居た。或はまた不可思議な自然の謎を解くための鍵のやうにも思つて居た。併し今から思ふと、それは笑ふべき迷信であつた。
詩とは、決してそんな奇怪な鬼のやうなものではなく、実は却つて我々とは親しみ易い兄妹や愛人のやうなものである。
私どもは時々、不具な子供のやうないぢらしい心で、部屋の暗い片隅にすすり泣きをする。さういふ時、ぴつたりと肩により添ひながら、ふるへる自分の心臓の上に、やさしい手をおいてくれる乙女がある。その看護婦の乙女が詩である。
私は詩を思ふと、烈しい人間のなやみとそのよろこびとをかんずる。
詩は神秘でも象徴でも鬼でもない。詩はただ、病める魂の所有者と孤独者との寂しいなぐさめである。
詩を思ふとき、私は人情のいぢらしさに自然と涙ぐましくなる。
過去は私にとつて苦しい思ひ出である。過去は焦躁と無為と悩める心肉との不吉な悪夢であつた。
月に吠える犬は、自分の影に怪しみ恐れて吠えるのである。疾患する犬の心に、月は青白い幽霊のやうな不吉の謎である。犬は遠吠えをする。
私は私自身の陰鬱な影を、月夜の地上に釘づけにしてしまひたい。影が、永久に私のあとを追つて来ないやうに。
萩原朔太郎
詩集例言
一、過去三年以来の創作九十余篇中より叙情詩五十五篇、及び長篇詩篇二篇を選びてこの集に納む。集中の詩篇は主として「地上巡礼」「詩歌」「アルス」「卓上噴水」「プリズム」「感情」及び一、二の地方雑誌に掲載した者の中から抜粋した。その他、機会がなくて創作当時発表することの出来なかつたもの数篇を加へた。詩稿はこの集に納めるについて概ね推敲を加へた。
一、詩篇の排列順序は必ずしも正確な創作年順を追つては居ない。けれども大体に於ては旧稿からはじめて新作に終つて居る。即ち「竹とその哀傷」「雲雀料理」最も古く、「悲しい月夜」之に次ぎ、「くさつた蛤」「さびしい情慾」等は大抵同年代の作である。而して「見知らぬ犬」と「長詩二篇」とは比較的最近の作に属す。
一、極めて初期の作で「ザムボア」「創作」等に発表した小曲風のもの、及び「異端」「水甕」「アララギ」「風景」等に発表した二、三の作はこの集では割愛することにした。詩風の関係から詩集の感じの統一を保つためである。
すべて初期に属する詩篇は作者にとつてはなつかしいものである。それらは機会をみて別の集にまとめることにする。
一、この詩集の装幀に就いては、以前著者から田中恭吉氏にお願ひして氏の意匠を煩はしたのである。所が不幸にして此の仕事が完成しない中に田中氏は病死してしまつた。そこで改めて恩地孝氏にたのんで著者のために田中氏の遺志を次いでもらふことにしたのである。恩地氏は田中氏とは生前無二の親友であつたのみならず、その芸術上の信念を共にすることに於て田中氏とは唯一の知己であつたからである。(尚、本集の画については巻末の附録「画附言」を参照してもらひたい。)
一、詩集出版に関して恩地孝氏と前田夕暮氏とには色々な方面から一方ならぬ迷惑をかけて居る。二兄の深甚なる好意に対しては深く感謝の意を表する次第である。
一、集中二、三の旧作は目下の著者の芸術的信念や思想の上から見て飽き足らないものである。併しそれらの詩篇も過去の道程の記念として貴重なものであるので特に採篇したのである。
再版の序
この詩集の初版は大正六年に出版された。自費の負担で僅かに五百部ほど印刷し、内四百部ほど市場に出したがその年の中に売り切れてしまつた。その後今日に到るまで可成長い間絶版になつて居た。私は之れをそのままで絶版にしておかうかと思つた。これはこの詩集に珍貴な値を求めたいといふ物好きな心からであつた。
しかし私の詩の愛好者は、私が当初に予期したよりも遙かに多数であり且つ熱心でさへあつた。最初市場に出した少数の詩集は、人々によつて手から手へ譲られ奪ひあひの有様となつた。古本屋は法外の高価でそれを皆に売りつけて居た。(古本の時価は最初の定価の五倍にもなつて居た。)私の許へは幾通となく未知の人々から手紙が来た。どうにしても再版を出してくれといふ督促の書簡である。
すべてそれらの人々の熱心な要求に対し、私はいつも心苦しい思ひをしなければならなかつた。やがて私は自分のつまらぬ物好きを後悔するやうになつた。そんなにも多数の人々によつて示された自分への切実の愛を裏切りたくなくなつた。自分は再版の意を決した。しかも私の骨に徹する怠惰癖と物臭さ根性とは、書肆との交渉を甚だ煩はしいものに考へてしまつた。そしておよそ此等の理由からして、今日まで長い間この詩集が絶版となつて居たのである。
顧みれば詩壇は急調の変化をした。この詩集の初版が初めて世に出た時の詩壇と今日の詩壇とは、何といふ著しい相違であらう。始め私は、友人室生犀星と結んで人魚詩社を起し次に感情詩社を設立した。その頃の私等を考へると我ながら情ない次第である。当時の文壇に於て「詩」は文芸の仲間に入れられなかつた。稿料を払つて詩を掲載するような雑誌はどこにもなかつた。勿論この事実は、詩といふものが極めて特殊なものであつて、一般的の読者を殆んど持たなかつたことに基因する。我々の詩が、なぜそんなに民衆から遠ざかつて居たか。そこには色々な理由があらう。しかしその最も主なる理由は、時代が久しく自然主義の美学によつて誤まられ、叙情的な一切の感情を排斥したことに原因する。然り、そしてそこには勿論真の時代的叙情詩が発生しなかつたことも原因である。我々の芸術は日本語の純真性を失つてゐた。言ひ代へれば日本的な感情――時代の求めてゐる日本的な感情――が、皮相なる翻訳詩の西洋模倣によつて光輝を汚されて居た。我が国の詩人らはリズムを失つて居た。かかる芸術は特殊なペダンチズムに属するであらう。そこには「気取り」を悦ぶ一階級の趣味が満足される。そして一般公衆の生活は之れに関与されないのである。
ともあれ当時の詩壇はかやうな薄命の状態にあつた。詩は公衆から顧みられず、文壇は詩を犬小舎の隅に廃棄してしまつた。されば私等の仕事には、ある根本的な力が要求された。私等の仕事は、正に荒寥たる地方に於ける流刑囚の移民の如きものであつた。私等はすべてを開墾せねばならなかつた。詳説すれば、既に在る一切の物を根本からくつがへして、新しき最初の土壌を地に盛りあげねばならなかつた。即ち私等のした最初の行動は、徹頭徹尾「時流への叛逆」であつた。当時自然主義の文壇に於て最もひどく軽蔑された言葉は、実に「感情」といふ言葉の響であつた。それ故私等は故意にその「呪はれたる言葉」をとつて詩社の標語とした。それは明白なる時流への叛逆であり、併せて詩の新興を絶叫する最初の
然るに幾程もなく時代の潮流は変向した。さしも暴威を振つた自然主義の美学は、新しい浪漫主義の美学によつて論駁されてしまつた。今や廃れたる一切の情緒が出水のやうに溢れてきた。
されば私の詩集『月に吠える』――それは感情詩社の記念事業である――は、正に今日の詩壇を予感した最初の黎明であつたにちがひない。およそこの詩集以前にかうしたスタイルの口語詩は一つもなく、この詩集以前に今日の如き溌剌たる詩壇の気運は感じられなかつた。すべての新しき詩のスタイルは此所から発生されて来た。すべての時代的な叙情詩のリズムは此所から生まれて来た。即ちこの詩集によつて、正に時代は一つのエポックを作つたのである。げにそれは夜明けんとする時の最初の鶏鳴であつた。――そして、実に私はこの詩集に対する最大の自信が此所にある。
千九百二十二年二月
著者
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竹とその哀傷
地面の底の病気の顔
地面の底に顔があらはれ、
さみしい病人の顔があらはれ。
地面の底のくらやみに、
うらうら草の茎が萌えそめ、
鼠の巣が萌えそめ、
巣にこんがらかつてゐる、
かずしれぬ髪の毛がふるえ出し、
冬至のころの、
さびしい病気の地面から、
ほそい青竹の根が生えそめ、
生えそめ、
それがじつにあはれふかくみえ、
けぶれるごとくに視え、
じつに、じつに、あはれふかげに視え。
地面の底のくらやみに、
さみしい病人の顔があらはれ。