山羊の歌 中原中也

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修羅街輓歌
   関口隆克に

 
 
 
 

   

 序歌
 

いまはしいおもひ出よ、
去れ! そしてむかしの
憐みの感情と
ゆたかな心よ、
返つて来い!
 
  今日は日曜日
  縁側には陽が当る。
  ――もういつぺん母親に連れられて
  祭の日には風船玉が買つてもらひたい、
  空は青く、すべてのものはまぶしくかゞやかしかつた……
 
  忌はしい憶ひ出よ、
  去れ!
     去れ去れ!

 

   

 ※(ローマ数字2、1-13-22) 酔生
 

私の青春も過ぎた、
――この寒い明け方の鶏鳴よ!
私の青春も過ぎた。
 
ほんに前後もみないで生きて来た……
私はあむまり陽気にすぎた?
――無邪気な戦士、私の心よ!
 
それにしても私は憎む、
対外意識にだけ生きる人々を。
――パラドクサルな人生よ。
 
いまここに傷つきはてて、
――この寒い明け方の鶏鳴よ!
おゝ、霜にしみらの鶏鳴よ……

 

   

 ※(ローマ数字3、1-13-23) 独語
 

器の中の水が揺れないやうに、
器を持ち運ぶことは大切なのだ。
さうでさへあるならば
モーションは大きい程いい。
 
しかしさうするために、
もはや工夫くふうを凝らす余地もないなら……
心よ、
謙抑にして神恵を待てよ。

 

   


 
 

いといと淡き今日の日は
蕭々せうせうと降りそそ
水よりあはき空気にて
林の香りすなりけり。
 
げに秋深き今日の日は
石の響きの如くなり。
思ひ出だにもあらぬがに
まして夢などあるべきか。
 
まことや我は石のごと
影の如くは生きてきぬ……
呼ばんとするに言葉なく
空の如くははてもなし。
 
それよかなしきわが心
いはれもなくてこぶしする
誰をか責むることかある?
せつなきことのかぎりなり。