天使と子供 ランボオ

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ランボオ詩集≪学校時代の詩≫
VERS DE COLLEGE
ジャン・ニコラ・アルチュール・ランボー 
Jean Nicolas Arthur Rimbaud
中原中也訳
 
 
 
   天使と子供
 
 
ながくは待たれ、すみやかに、忘れ去られる新年の
子供等喜ぶ元日の日も、(ここ)に終りを告げてゐた!
熟睡うまいとこに埋もれて、子供は眠る
羽毛はねしつらへし揺籠ゆりかご
音の出るそのお舐子しやぶりは置き去られ、
子供はそれを幸福な夢の裡にて思ひ出す
その母の年玉貰つたあとからは、天国の小父さん達からまた貰ふ。
笑ましげのくちそと開けて、唇を半ば動かし
神様を呼ぶ心持。枕許には天使立ち、
子供の上に身をかしげ、無辜(むこ)な心の呟きに耳を傾け、
ほがらかなそれの額の喜びや
その魂の喜びや。南の風のまだ触れぬ
此の花を褒め讃へたのだ。
 
(此の子は私にそつくりだ、
空へ一緒に行かないか! その天上の王国に
おまへが夢に見たといふその宮殿はあるのだよ、
おまへはほんとに立派だね! 地球ずまひは沢山だ!
地球では、しんの勝利はないのだし、まことのさち(あが)めない。
花の薫りもなほにがく、騒がしい人の心は
哀れなる喜びをしか知りはせぬ。
曇りなき(よろこ)びはなく、
不慥(ふたし)かな笑ひのうちに涙は光る。
おまへの純な額とて、浮世の風には萎むだらう、
憂き苦しみは蒼い眼を、涙で以て濡らすだらう、
おまへの顔の薔薇色は、死の影が来て逐ふだらう。
いやいやおまへを伴れだつて、私は空の国へ行かう、
すればおまへのその声は天の御国みくにの住民の佳い音楽にまさるだらう。
おまへは浮世の人々とその騒擾どよもしを避けるがよい。
おまへを此の世に繋ぐ糸、今こそ神は断ち給ふ。
ただただおまへの母さんが、喪の悲しみをしないやう!
その揺籃を見るやうにおまへの(ひつぎ)も見るやうに!
流る涙を打払ひ、葬儀の時にもほがらかに
手に一杯の百合の花、捧げてくれればよいと思ふ
げに汚れなき人の子の、最期の日こそは飾らるべきだ!)
 
いちはやく天使は翼を薔薇色の、子供の脣に近づけて、
ためらひもせず空色の翼に載せて
魂を、摘まれた子供の魂を、至上の国へと運び去る
ゆるやかなその羽搏きよ……揺籃に、残れるははや五体のみ、なほ美しさ漂へど
息づくけはひさらになく、生命いのち絶えたる亡骸なきがらよ。
そは死せり!……さはれ接唇くちづけ脣のに、今も薫れり、
笑ひこそ今はやみたれ、母の名はなほ脣のに波立てる、
臨終いまはの時にもお年玉、思ひ出したりしてゐたのだ。
なごやかな眠りにその眼は閉ぢられて
なんといはうか死の誉れ?
いと清冽な輝きが、額のまはりにまつはつた。
地上の子とは思はれぬ、天上の子とおもはれた。
如何なる涙をその上に母はそそいだことだらう!
親しい我が子の奥津城(おくつき)に、流す涙ははてもない!
さはれ夜けて眠る時、
薔薇色の、天の御国みくにしきみから
小さな天使は顕れて、
かあさんと、しづかに呼んで喜んだ!……
母も亦微笑ほゝゑみかへせば……小天使、やがて空へと(すべ)り出で、
雪の翼で舞ひながら、母のそばまでやつて来て
そのくちに、天使のくちをつけました……
 
千八百六十九年九月一日
ランボオ・アルチュル
シャルルヴィルにて、千八百五十四年十月二十日生
        
 

 
       
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 底本:「中原中也全訳詩集」講談社文芸文庫、講談社
 
   1990(平成2)年9月10日第1刷発行
   2007(平成19)年1月10日第9刷発行
底本の親本:「中原中也全集 5」角川書店
   1968(昭和43)年4月10日初版発行
初出:「アルチユル・ランボオ・詩集 学校時代の詩」三笠書房
   1933(昭和8)年12月10日初版発行
※底本の二重山括弧は、ルビ記号と重複するため、学術記号の「≪」(非常に小さい、2-67)と「≫」(非常に大きい、2-68)に代えて入力しました。
※ルビのうち括弧()付きのものは、底本の親本「中原中也全集」編纂者によるものである。
(例)羅馬(ローマ)
※底本では一行が長くて二行にわたっているところは、二行目が1字下げになっています。
※(1)は注釈番号です。底本では、直前の文字の右横に、ルビのように付いています。
入力:オーシャンズ3
校正:L.P.S.
2009年4月12日作成
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