若き日の思い出
牧野富太郎
一、雨の深山で採集
私は自分の学問に対してあまり苦労したことはなかった。今日まで何十年にわたる長い年月の間実に愉快に学問を続けてきて、ついに今日に及んだのであるが、平素その学問を特に勉強したようにも感じていないのは不思議である。
これは結局生まれつき植物が好きであったため、その学問があえて私に苦痛を与えなかったのであろう。
私は少年時代からたえず山野に出て植物を採集した。それが今日もなおやはり続いてその採集がとてもたのしい。
今から七十余年前、明治十三年の夏、私が十九歳の時、友人と二人で
二、各地での採集
あくる年の明治十四年、私の二十歳の時、人足を一人つれて土佐幡多郡を広くまわって、植物の採集をした。その間、ほとんど一カ月を費した。土佐の西南端の
私が植物採集に出かける時、その採集品を始末するために、道具をたずさえて行った。吸水紙は無論のこと、押板、
三河の国、高師ガ原を採集した時などは昼間は野天で一日採集して、胴乱一杯につめ、その晩、豊橋の宿屋でその採集品を始末するのについに夜が明けてしまった。夜中何度も宿の女中が床を取りに来た。けれどいつも起きて仕事をしているので女中はむなしく帰ったことがあった。
今からだいぶ前のことであるが肥前の五島列島中の最西端にある
右のことはほんの一部の植物採集談であるが、これはただの遊びごとにしたことでなく、たとえ楽しかったとはいえ、全く汗水流しての積極的採集で自分の学問のために努力したのである。それがため、私は植物の地理分布、種類などを自分から学ぶことができたのである。
私は一日もその学問から離れたことはなく次から次へと楽しく勉強を積んだわけだ。私ほど一生苦しまずに愉快に研究を続けて来た人間は世間にかなり少ないようだ。それゆえ私は少年の時と今日老年になった時と、その学問のぐあいは少しも違っていなく、ただ一直線に学問の道を脇目もふらず通ってきたのである。
こんな数十年にわたる努力が遂に私の植物知識の集積になったわけだ。今年九十三年に達した私はこれから先、体のきく間、手足の丈夫な間、また頭のボケヌ間は、いままで通り勉強を続けて、この学問に貢献したいと不断に決心している。
もうこの年になったとて決して学問を放棄してはいない。
底本:「日本の名随筆 別巻34 蒐集」作品社
1993(平成5)年12月25日第1刷発行
1998(平成10)年5月30日第2刷発行
底本の親本:「若き日の思い出」旺文社
1955(昭和30)年1月発行
入力:門田裕志
校正:川山隆、小林繁雄、Juki
2008年1月4日作成
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