植物一日一題 牧野富太郎

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 サルオガセ
 
 地衣類植物(Lichenes)に昔からサルオガセと呼ぶものがあって、書物に出ている。すなわちそれはサルオガセ科(Usneaceae)の Usnea plicata Hoffm. var. annulata Muell. である。
 このサルオガセは山地の樹木に着いて生じ、長さは六五センチメートルばかり(二尺一寸五分ばかり)に出入りして無数に分枝し、ふさふさとして垂れ下っており、帯黄白色で直径は太いところで二ミリメートルばかりもあり、その外面が短かい管のような環になってひび割れがしているのが特徴である。その変種名の annulata は環状という意味で、この特状に基づいた名である。ふるくからサルオガセと呼んでいた地衣は主としてこの品を指し、それはこの属中で第一等長大な形状をしていて著しいから、人々の目につきやすい。サルオガセは猿麻※(「木+裃のつくり」、第3水準1-85-66)サルオガセの意、この※(「木+裃のつくり」、第3水準1-85-66)オガセは績んだ麻を纏い掛けてる器械であるが、このサルオガセの場合は麻糸おいとの意として用いたものだ。
 しかるに我国近代の学者は Usnea longissima Ach. をもってサルオガセと呼んでいるのは、昔からのことを考え合わすとじつは不徹底である。もちろんこれもサルオガセの一種(私はこれをナガサルオガセと呼んでいる)には相違ないが、しかし昔から書物に出ているサルオガセそのものではない。では近代学者が不案内にも強いて妄りにこれをそうした訳はどうかとたずねてみれば、それは初め先ず明治三年(1870)出版の博物館、天産部、植物類の『博物館列品目録』に「サルヲガセ、松蘿ショウラ Usnea longissima Ach.」と出ている。次いで三好学みよしまなぶ博士等が植物教科書などを書いたときに、その種名の longissima(非常に長いという意味)に魅せられて、これを無条件にサルオガセとしたので、その後の人々もサルオガセといえば Usnea longissima, Usnea longissima といえばサルオガセであると相場がきまったようになった。これらの人々は日本で前からサルオガセといっている品を正当に掴むことが出来ないでいるのは残念である。
 サルオガセを Usnea plicata Hoffm. var. annulata Muell. とした初めは私で、私は、これを大正三年(1914)十二月に東京帝室博物館で発行した『東京帝室博物館天産課日本植物※(「月+昔」、第3水準1-90-47)かんさく標本目録』で公にしておいた。
 サルオガセの名はこれを松蘿、一名女蘿として源順の『倭名類聚鈔』に出ており、和名をマツノコケともしてある[サルオガセは松蘿でもなければ女蘿でもない、マツノコケは古く深江輔仁の『本草和名』に末都乃古介と出て、これは松蘿を元として製した名であるからこれもサルオガセにはあたっていない。古の松蘿も女蘿もじつはその実物はなんであるのかよくは分らないものである]。小野蘭山の『本草綱目啓蒙』にはサルオガセの一名をサルノオガセ、ヤマウバノオクズ、ヤマウバノオガセ、サルガセ、キリサルガセ、クモノハナ、キヒゲ、ハナゴケ、キツネノモトユイとしてある。そして「木皮ニ生ズル処ハ一筋ニシテフトシ、末ニ枝多ク分レ下垂シテフサノ如シ、白色ニシテ微緑ヲオブ、フトキ処ヲシゴケバ皮細カニ砕テ離レズ、内ニ強キ心アル故数珠ノ形ノ如シ、故ニ弘法ノ数珠ノ変化ト云、和州芳野高野山野州日光山殊ニ多シ、長サ三五尺ニシテ至テフトシ、雨中ニハ自ラ切テ落」と書いてある。この蘭山の文でみても、サルオガセは上に述べた品であることが自から明かである。
 岩崎灌園の『本草図譜』にサルオガセの図が出ているが、その品は明かに Usnea plicata Hoffm. var. annulata Muell. である。図上にその環状の模様が表わしてあるのは、これがその種たることを明示している。