昔の草餅、今の草餅
草餅に昔の草餅と今の草餅とのふた通りがある。昔の草餅は今日はほとんど跡を断って、僅に存する程度である。
昔は草餅をこしらえるには、みなホウコグサ(ホーコグサ)[ハハコグサすなわち母子草の名は実はこの草本来の名ではなく、これは昔『
三月三日取二嫩艾葉一雑ヘ二米粉ニ一蒸為シテレ謂二之艾一」
とある。はモチ、は粳と同じウルチネである。
我国春の七草の内に
昔は旧暦三月三日の雛祭すなわち雛の節句には各家で草餅をこしらえたものだ。しかしホウコグサは葉が小さい上に量も少なく、緑色も淡く別に香気もないから、この草を用いることは次第に廃れゆき、さらに野に沢山生えていて緑の色も深くかつよい香いのするヨモギ(
ホウコグサもヨモギも餅にするには元来その葉の綿毛を利用したもので、往時は一つにはこれを餅の繋ぎにしたものだ。今日ヤマボクチ(通常ヤマゴボウと呼び、また所によってはネンネンバと称えている)も葉裏の綿毛を利用して餅に入れ、また所によってはキツネアザミ、ホクチアザミなども用いられる。今日では餅に粘り気の多い糯米を用いるからそんな繋ぎは入用がないようだが、昔は多分