植物一日一題 牧野富太郎

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 茶の銘玉露の由来
 
 製したお茶の銘の玉露(ギョクロ)は今極く普通に呼ばれている名であることは誰も知らない人はなかろう。ところがこれに反して、その玉露の名の由来に至っては、これを知っている人は世間にすくないのではないかと思う。
 明治七年(1874)十一月に当時の新川にいかわ県(今の富山県の一部)で発兌はつだになった『茶園栽培問答』と題する書物があって、同県の茶園連中が山城の茶名産地宇治から教師を聘して茶のことを問いただし、その教師の答を記したものである。その中に「玉露の由来」という一項があって問答しているから、次にこれを抄出する。
 
問 玉露と云茶は如何の茶にて何故玉露 と申す訳でござる。
答 玉露はおおいをせし茶の総名でござる今より四十年足らず先より始まりたる茶にて其由来は去る頃大阪の竹商人某と云者折々宇治に来り濃茶薄茶を製するを見てふと心付此葉を以て煎茶に製せん事を木幡村の一ノ瀬と云人に頼み製しめしに元来肥え物の沢山に仕込たる茶なるが故に揉む時分に手の内にねばり付き葉はことごとく丸く玉の様に出来上りたるを其儘急須きゅうすに入れ試みしに実に甘露の味ひを含めり是より追々此製世に広まりたり其始め玉の様にて甘味あるを以て誰れ言となくたまのつゆと名付しものを今は音読みして玉露と名付し訳でござる。
 
 しかるに大槻文彦おおつきふみひこ博士の『大言海だいげんかい』には「ぎョくろ 玉露 製茶ノ銘、上品ナル煎茶ノモノ 文化年中ヨリ、山城宇治ニテ製シ始ム、其葉ヲ蒸ス時、上ニ新藁ヲ覆ヒトシ、ソレヨリ滴ル露ヲ受ケテ、甘味ヲ生ズト云フ」とあって、その玉露の語原がいささか前説とは違っている。これはいずれが本当か。そしてこの『大言海』の説はなんの書から移したものか今私には分らないが、その玉露の語の原因はどうも前説の『茶園栽培問答』の方が真実であるように感ずる。