植物一日一題 牧野富太郎

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 アサガオと桔梗
 
 千年ほど前に出来た辞書、それは人皇五十九代宇多帝の時、寛平四年すなわち西暦八九二年に僧昌住しょうじゅうの著わした『新撰字鏡しんせんじきょう』に「桔梗、二八月採根曝干、阿佐加保、又云岡止々支」とある。すなわちこれが岡トトキの名を伴った桔梗をアサガオだとする唯一の証拠である。人によってはこれはただこの『新撰字鏡』だけに出ていて他の書物には見えないから、その根拠が極めて薄弱だと非難することがあるが、たとえそれがこの書だけにあったとしても、ともかくもそのものが儼然とハッキリ出ている以上は、これをそう非議するにはあたらない。信をこの貴重な文献においてそれに従ってよいと信ずる。
 秋の七種ななくさの歌は著名なもので、『万葉集』巻八に出て山上憶良やまのうえのおくらが咏んだもので、その歌は誰もがよく知っている通り、「秋のきたる花をおより、かき数ふれば七種の花」、「はぎの花をばな葛花くずばな瞿麦なでしこの花、をみなへし又藤袴ふぢばかま朝貌あさがほの花」である。この歌中のアサガオを桔梗だとする人の説に私は賛成して右手を挙げるが、このアサガオをもって木槿すなわちムクゲだとする説には無論反対する。
 元来ムクゲは昔中国から渡った外来の灌木で、七くさの一つとしてはけっしてふさわしいものではない。また野辺に自然に生えているものでもない。またこの万葉歌の時代に果たしてムクゲが日本へ来ていたのかどうかもすこぶる疑わしい、したがってこれをアサガオというのは当っていない。
 いま一つ『万葉集』巻十にアサガオの歌がある。すなわちそれは「朝がほは朝露負ひて咲くといへど、ゆふ陰にこそ咲きまさりけれ」である。この歌もまた桔梗として敢えて不都合はないと信ずるから、それと定めても別に言い分はない。すなわちこれは夕暮に際して特に眼をひいた花の景色けはい、花の風情を愛でたものとみればよろしい。
 この『万葉集』のアサガオを牽牛子ケンゴシのアサガオとするのは無論誤りで、憶良が七種の歌を詠んだ一千余年も前の時代には、まだこのアサガオは我が日本へは来ていなかった。そしてこの牽牛子のアサガオは、初め薬用として中国から渡来したものだが、その花の姿がいかにもやさしいので栽培しているうちに種々花色の変わった花を生じ、ついに実用から移って鑑賞花草となったものである。そしてこのアサガオは万葉歌とはなんの関係もない。
 また万葉歌のアサガオをヒルガオだとする人もあったが、この説もけっして穏当ではない。
 
「(古名)アサガオ(一名)オカトドキ(今名)キキョウ(桔梗)」のキャプション付きの図

(古名)アサガオ(一名)オカトドキ
(今名)キキョウ(桔梗)