植物一日一題 牧野富太郎

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 バショウと芭蕉
 
 中国に甘蕉カンショウというものがある。その実が甘くて食用になるので、甘蕉といわれる。すなわちいわゆるバナナ(Banana でこの語は西インド語の Bonana からである)である。そしてその学名は Musa paradisiaca L. subsp. sapientum O. Kuntze(=Musa sapientum L.)であるが、この種にはいろいろの変わり品がある。かの矮生の三尺バナナも中国の原産で、それは学名を Musa Cavendishii Lamb. といわれ、俗には Chinese Banana または Canary Banana(カナリー島に大いに作ってある)と呼ばれている。
 芭蕉は上の甘蕉の一名であるから、この芭蕉もまたバナナの中国名である。芭蕉とはその葉の新陳相続いている意味であるといわれる。明の李時珍りじちんがその著『本草綱目』に「按ズルニ陸佃りくでん※(「土へん+婢のつくり」、第3水準1-15-49)ひがニ云ク、蕉ハ葉ヲ落サズ一葉ノブルトキハ則チ一葉ル、故ニ之レヲ蕉卜謂フ、俗ニ乾物ヲ謂テ巴ト為ス、巴モ亦蕉ノ意ナリ」と書いている。だから芭蕉とはその葉が乾いても落ち去らず、その間次ぎ次ぎに新葉が出る義で、畢竟葉が年中引き続いていつ見ても青々としているの意を表わした名である。甘蕉すなわちバナナの葉状をいったものだ。
 また李時珍が曹叔雅そうしゅくがの『異物志いぶつし』を引き「芭蕉。実ヲ結ブ其皮赤クシテ火ノ如シ[牧野いう、これは花穂の赤い苞をいったものでなければならない]其肉甜クシテ蜜ノ如シ、四五枚ニテ人ヲ飽シムベシ、而シテ滋味常ニ牙歯ノ間ニ在リ、故ニ甘蕉ト名ヅク」とあって、芭蕉と甘蕉とが同じ物であることを明示している。
 また李時珍が万震ばんしんの『異物志』を引いて「甘蕉ハ即チ芭蕉………蕉子凡ソ三種、未ダ熟セザル時ハ皆苦渋、熟スル時ハ皆甜クシテ脆シ、味葡萄ノ如ク以テ飢ヲ療スベシ」と書いている。
 ひろく我国各地に植えてあって普く人も知っているいわゆるバショウ(Musa Basjoo Sieb.)は昔中国から渡来したものだが、しかしそれがいつの時代であったのか今私には不明である。が、しかし一千余年も前にできた深江輔仁ふかえのすけひとの『本草和名ほんぞうわみょう』に甘蕉、一名巴蕉を波世乎波(バセヲバ)と書き、源順みなもとのしたごうの『倭名類聚鈔わみょうるいじゅしょう』にも芭蕉を和名発勢乎波(バセヲバ)と書いてあるところをみると、相当古い昔に来たものであることが推想せられる。つまり一千余年以前に我国に入り来ったこととなる。そして右のバセヲバのバは葉でそれは芭蕉葉の意である。
 バショウは元来暖地の産であるから寒い地方には育たないが、日本中部以南の各地には、別に何んの経済的価値もないが、ただ庭園の装飾用として植えてある。大きな花穂を象の花のように垂れてよく花が咲き、花後に子房(下位子房である)が花時よりは太く増大して緑色を呈し、著しい姿で多数相ならび、永く花穂の花軸上に遺っているのを常に見かける。総体 Musa ママすなわちバショウ属の諸種は、花に大量の蜜液が用意せられ、鳥媒花であることを示しているが、元来バショウは我が土産でないから、したがって我が日本に適当な媒鳥がいなく、それで子房が滅多に孕まず結実するにいたるものが少ないのであろう。けれども中には珍らしく結実して、発芽力のある扁平黒色の種子を宿しているものもある。私はかつてこれを伊予と安房の地で見た。この種子を蔵している果実は終りまで緑色で往々多少は微黄色を呈しているが、しかしその外皮内にバナナ様の肉は出来ない。私の『牧野植物学全集』第六巻(昭和十一年発行)へはその結実せる状と種子を有せる果実とその稚苗との写真を口絵として出しておいた。
 バショウの高く直立せる円柱状の茎はじつは本当の茎ではなくいわゆる偽茎であって、それは長い葉鞘が重なって出来たものである。かの有名な芭蕉布は琉球に産するイトバショウ(Musa liukiuensis Makino)の葉鞘から製した繊維で織るのであるが、常のバショウのバショウ繊維は何にも利用せられていない。茎は短大でほとんど地下茎の状を呈し横に短かい新芽を分って葉を出すのである。そして三年目に花を咲かせてその年に枯槁し、側に出ている新しい偽茎がこれに代わるのである。
 バショウの和名は芭蕉から来たものである。芭蕉はすでに上に述べたようにバナナの名であるから、バショウの和名はじつは不都合を感ずるけれど、昔からそういい習わされて来ているから今さらこれを改めることは不便極まるもので、まずはそれを見合わすよりほかに途はあるまい。