植物一日一題 牧野富太郎

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 ギョリュウ
 
 日本へ昔寛保かんぽ年中に中国から渡って植えてある※(「木+蟶のつくり」、第3水準1-86-19)テイリュウ、すなわちギョリュウ(御柳の意)は、タッタ一種のみで他の種類は絶対にない。しかしそれを二、三種もあるかのように思うのは不詮索の結果であり、幻想であり、また錯覚である。
 このギョリュウの学名は疑いもなく Tamarix chinensis Lour. であるが、学者によっては日本にあるギョリュウは Tamarix juniperina Bunge であるといわれる。そうなると右はいずれが本当か。今これを裁判して判決するのはまことに興味ある問題であるばかりではなく、この判決は疑いもなく世界の学者にその依るところを知らしめる宣言であり、また警鐘である。
 さて日本にあるギョリュウは一樹でありながら、その一面は Tamarix chinensis Lour. であり、またその一面は Tamarix juniperina Bunge である。すなわちこのギョリュウは五月頃まず去年の旧枝に花が咲いて、これに Tamarix juniperina Bunge の名が負わされ、次いで夏秋にまたその年の新枝に花が咲いて Tamarix chinensis Lour. の名になるのである。かく同じ一樹で樹上で二回花の咲くことを学者でさえも知っていないのであるのはどうしたもんだ。すなわちこの点では確かに学者は物識りではないことを裏書きする。そしてそれをひとり認識している人は誰あろう、ほかでもないこの私である。この点では天狗よりもっともっと鼻を高くしてもよいのだと自信する。何んとなれば、この事実には日本の学者はもとより世界の学者がこぞって落第であるからである。私は気遣いでこれを言っているのではけっしてない。それはちゃんと動きのとれぬ実物が、事実を土台として物を言っているのだから仕方がない。
 ここに一本のギョリュウがあるとする。元来これは落葉樹である。春風に吹かれて細かい新葉が枝上に芽出つ、五月になるとその去年の旧枝上に花穂が出て淡紅色の細花が咲く、花中には雄蕊ゆうずいもあれば、子房をもった雌蕋もある。にもかかわらずどうして嫌なのか実を結ばない。ただその顔ばせを見せたのみで花が凋衰する。そしてこの五月の花の場合のものへ Tamarix juniperina Bunge の名がつけられてある。シーボルトの『フロラ・ヤポニカ』の書にその精図が出ている。私は前に一度これを皐月サツキギョリュウと名づけたことがあったが、私はその花を当時小石川植物園事務所の西側にあった樹で見た。次いで夏になるとその年の新枝が成長して延びるが、この延びた新枝にまた花が咲く。この場合がすなわち Tamarix[#「Tamarix」は底本では「Tmarix」] chinensis Lour. である。我国の書物では伊藤圭介いとうけいすけ賀来飛霞かくひかの『小石川植物園草木図説』第二巻にその図があるのは愉快だ! すなわちこれは日本、殊に小石川植物園に在る樹からの図である。この夏に咲く第二次の花は花体が五月に咲く第一次のものよりも小形である。やはり淡紅色でその花が煙の如くに樹梢に群聚して咲き、繊細軟弱な緑葉と相映じてその観すこぶる淡雅優美である。そして花中には雌雄蕊があって、この花こそ花後に小さい※(「くさかんむり/朔」、第3水準1-91-15)さくかを結び、それが熟すると開裂して細毛を伴った種子が飛散することを私も目撃したことが数度ある。次いで秋になってもまた往々花が咲く。それがすむともう秋も深けて花も咲かなくなり、しばらくすると冬が来て木枯らしの風が吹きその葉も黄ばんで細枝と連れ立って落ち去り、樹は紫褐色の枝椏を残して裸となるのである。
 井岡冽いおかれつ纂述の『毛詩名物質疑もうしめいぶつしつぎ』(未刊本)巻之三、※(「木+蟶のつくり」、第3水準1-86-19)の条下に、「※(「木+蟶のつくり」、第3水準1-86-19)通名御柳寛保年中夾竹桃ト同時ニ始テ渡ル甚活シ易シ其葉扁柏ノ如ニシテ細砕柔嫩※(「梟」の「木」に代えて「衣」、第3水準1-91-74)々トシテ下垂ス夏月穂ヲ出ス淡紅色※(「くさかんむり/紅」、第4水準2-86-42)草花ノ如シ秋ニ至リ再ビ花サク本邦ニ来ルモノ一年両度花サク唐山[牧野いう、中国を指す]ニハ三度花サクモノモアリ故ニ三春柳ノ名アリ云々」と叙してあって、日本へ来ているギョリュウも一年に二度花の咲くことが書いてあるが、しかし夏から秋にかけては、枝によってその花に前後もあれば遅速もあろうから、眺めようによっては二度にも三度にもなるのである。そして二度咲くものと三度咲くものとあってもそれはもとより同種である。要するにギョリュウは少なくも一樹で二度花が出て、初めの花は去年の枝に咲き、次の花は今年の枝に咲く。ギョリュウを見る人、このイキサツを知つくしていなければギョリュウを談ずる資格はない。
 このようにギョリュウは一木にして一年に数度花が咲く特質をもっている。そこで中国では一つに三春柳の名がある。さすがに※(「木+蟶のつくり」、第3水準1-86-19)柳の本国であってギョリュウを見る眼が肥えている、かえって学者が顔負けをしている。
 中国の書物の『本草綱目』で李時珍が曰うには、「※(「木+蟶のつくり」、第3水準1-86-19)テイリュウハ小幹弱枝、之レヲ挿スニ生ジ易シ、赤皮細葉、糸ノ如ク婀娜トシテ愛スベシ、一年ニ三次花ヲ作ス、花穂長サ三四寸、水紅色ニシテ蓼花ノ色ノ如シ」(漢文)とある。また※(「温」の「皿」に代えて「俣のつくり-口」、第4水準2-78-72)ちんこうしの『秘伝花鏡ひでんかきょう』には「※(「木+蟶のつくり」、第3水準1-86-19)柳、一名ハ観音柳、一名ハ西河柳、幹甚ダ大ナラズ、赤茎弱枝、葉細クシテ糸縷ノ如ク、婀娜トシテ愛スベシ、一年ニ三次花ヲ作シ、花穂長サ二三寸、其色粉紅、形チ蓼花ノ如シ、故ニ又三春柳ト名ヅク、其花ハ雨ニ遇ヘバ則チ開ク、宜シク之レヲ水辺池畔ニ植ユベシ、若シ天将ニ雨フラントスレバ、先ヅ以テ之レニ応ズ、又雨師ト名ヅク、葉ハ冬ヲ経レバコトゴトク紅ナリ、霜ヲ負テ落チズ、春時扞挿スレバ活シ易シ」(漢文)とある。