植物一日一題 牧野富太郎

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 藤とフジ
 
 世間一般に昔から藤をフジとしているが、しかし千年あまりも昔に出来た我国で一番古い辞書の『新撰字鏡しんせんじきょう』(僧昌住しょうじゅうの著)にはまだこれをフジとはしていなくて、それを※(「くさかんむり/儡のつくり」、第4水準2-87-9)としてある。これは中国の書物の『説文せつもん』に従ったものであろう。※(「くさかんむり/儡のつくり」、第4水準2-87-9)(音ルイ)とはツルすなわちカヅラのことで、それは藤の字の本義である。したがって藤はカヅラである。『玉篇ぎょくへん』には「※(「くさかんむり/儡のつくり」、第4水準2-87-9)ハ藤也」とあり、また「藤ハ※(「くさかんむり/儡のつくり」、第4水準2-87-9)也、今草に莚シテ※(「くさかんむり/儡のつくり」、第4水準2-87-9)ノ如キ者ヲ惣テ呼ブ」とある。また『大広益会玉篇だいこうえきかいぎょくへん』にも同じく「※(「くさかんむり/儡のつくり」、第4水準2-87-9)ハ藤也」とあり、また「藤ハ艸木ニ蔓生スル者ノ惣名ナリ」ともある。また右の『大広益会玉篇』の和刻本(日本での刻本)には※(「くさかんむり/儡のつくり」、第4水準2-87-9)の字のところに「※(「くさかんむり/儡のつくり」、第4水準2-87-9)ハ藤也」とある右側にフヂカヅラ、左側にクヅフヂの訓が施してある。これは多分今いうフジのカズラ、クズ(葛)のカズラの意でつけたものと想像して可とも思われる。
 本来藤はカズラ、すなわちツルのことであるから、今日花を賞するあのフジは藤の一字を用いたのではそのフジすなわち Wisteria(Wistaria)のフジにはならない。紫藤と書いて藤の上に紫の形容詞を加えてはじめてフジになるのだが、じつはこの紫藤は中国産であるシナフジ(Wistaria sinensis Sweet)の名で、今それを日本産のフジに適用することは出来ない。日本にはフジが二種あって、一つはノダフジ(Wistaria floribunda DC.)、一つはヤマフジ(Wistaria brachybotrys Sieb. et Zucc.)で、この二つの品の総称がフジである。そしてこの二種は日本の特産で中国にはないから、したがって中国の名すなわち漢名はない。ゆえに日本のフジを紫藤と書くのは間違っていることを承知していなければならない。