植物一日一題 牧野富太郎

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 於多福グルミ
 
 クルミすなわち胡桃の一種にオタフクグルミと呼ぶ於多福面(スコブル愛嬌のある福相の仮面めん)の形をしたものがあって、一つに姫グルミともいわれる。こちらからいえば於多福どん、クルリと回ってあちらからいえば御姫様、と醜美を一実中に兼ね備えているから面白い。
 オタフクグルミの樹は普通のオニグルミの樹とともに同所にまじって見られる。あるいは所によればオニグルミの樹の多い場合もある。これらの樹は多く流れに沿うた地に好んで生活し、山の脊などには生えていない。
 オタフクグルミ一名ヒメグルミ一名メグルミはオニグルミの一変種で、けっして別種のものではない。つまりオニグルミの変わり品である。このオタフクグルミの学名として、初めはマキシモイッチ氏によって名づけられた Juglans cordiformis Maxim. が発表せられたが、これはただその核だけを見てつくった名であった。
 私は信ずるところがあって、これをオニグルミの一変種としてその学名を Juglans Sieboldiana Maxim. var. cordiformis(Maxim.)Makino と改訂し変更した。アメリカでヒメグルミ(オタフクグルミ)の苗を沢山つくってみた人があったが、それが少しもオニグルミの苗と変わりなく一向にその区別が出来なかったので、アメリカの学者は私の意見に同意を表している。かの L. H. Bailey 氏の書物でもまた A. Rehder 氏の書物でもみなオタフクグルミすなわちヒメグルミを Juglans Sieboldiana Maxim. var. cordiformis Makino と書いてこれを採用している。
 このオタフクグルミ(ヒメグルミ)の核果の核はその形状すなわち姿に種々な変化があって大小、広狭、厚薄はもとよりのこと、一方に大いに張り出したオタフク形のものがあるかと思うと、一方にはもっと痩せ形のものもある。また面に溝のあるもの溝のないものもある。また末端の尖りも低いもの、高いものがあってけっして一様ではない。またまれに縫線が三条あって三稜形(Trigona)のもの、縫線が四条あって四稜形(Tetragona)のものもある。またオニグルミとヒメグルミの間の子と思われるものもある。
 オニグルミ(Juglans Sieboldiana Maxim.)にいたってはその大小は無論のこと、その形状もけっして一様でなく、末端の尖りも低いものもあれば、また大いに尖り出て高いものもある。表面の皺もその疎密、浅深が一様でなく、またほとんど皺のないものもあれば多少のものもある。じつに千様万態ほとんど律すべからずで、今その状態によってこれを分類すれば百くらいに区別することはなんでもない。Dode 氏の分類は一向に当てにならなく、またそのしたりにならう学者の研究もなんら尊重するには足りない。要するにオニグルミはただ一種すなわち one species である。これは大言壮語ではなく、実際オタフクグルミ、オニグルミを各地から蒐めて検査してみた結論である。要するにクルミは人の顔を見るようなもので、その顔がどんなに違っていても、畢竟それは Homo sapiens L. 一種のほかには出ないもんだ。
 オニグルミ、ヒメグルミの実の皮は終りまでついに裂けないで樹から落ちるが、テウチグルミ(手打チグルミ)すなわち菓子グルミの果皮は緑色で平滑無毛、頂端から不斉に数片に裂け、その中の裸の核を露出し、この核が果皮を残してまず地に墜ち、しかる後ちにその果皮が枝から離れ落ちるので、オニグルミ、ヒメグルミとは大変にその様子が違っている。このテウチグルミを信州から多く出して来て東京の市中に売っている。
 クルミの核は元来二殻片の合成したもので、その縫合線は密着して隆起した縦畦を呈しているが、ヒメグルミではその隆起の度がすこぶる低く弱いのである。このようにそれが二殻片からなっているから、その花時の柱頭は顕著に二つに岐かれている。けれども中の卵子はただ一個しかないので、したがってその核内の種子はやはり一個あるのみである。種子の皮は薄くて胚に密着し、頭部二岐せる胚は幼芽、幼茎を伴える大なる子葉からなって胚乳欠如し、吾らは油を含めるその子葉を食しているが、それはちょうどクリにおけると同じである。
 クルミの語原は呉果クルミであって、呉は朝鮮語でクルというといわれ、それでクルミになるのである。そしてクルミの漢名は胡桃であるが、それは中国の漢の時代に張騫ちょうけんという人が西域から還るときこれを携え来たので、それでそういわれるとのことだ。しかしこの胡桃はオニグルミでもヒメグルミでもなく、それはテウチグルミすなわち Juglans regia L. var. sinensis C. DC. のことである。そしてこの主品なる Juglans regia L. はペルシャならびにヒマラヤの原産で、いま欧州大陸には諸所に栽植せられてあって、それがペルシャテウチグルミ(Persian Walnut の俗名がある)すなわちセイヨウテウチグルミである。
 以前はこのセイヨウテウチグルミすなわちペルシャテウチグルミの実が食品として輸入せられ、東京の銀座あたりの店で売っていた。その味は今日市場に出ている信州産のテウチグルミからみるとズット優れていた。いま信州に植えてあるものは、無論昔中国から伝えたのもあろうが、しかし明治年間にその実のよい西洋種を植えて改良を図ったと聞いたことがあった。そうすると信州には昔からの樹と西洋からの樹と両方がある訳になる。
 右のペルシャテウチグルミがすなわち俗にいう Walnut であって、このウォールナットの語はもとは仏国での Gaul-nut から導かれたものだといわれる。そしてこのゴールは欧州で広い古代の地名である。
 今日本にはクルミの類が二種しかないと私は断言する。そしてその種々の品はことごとくみなこの二種からの変わりたるものにほかならない。ここまでちょっと想起することは、日本でのオニグルミ一名チョウセングルミ(Juglans Sieboldiana Maxim.)はもとより日本の原産ではなく、もとは大陸の朝鮮種が伝わったのであろうと推想し得る。クルミの名もじつは呉果クルミで朝鮮語原であるからそのクルミすなわちオニグルミは昔朝鮮から入ったものといえる訳で、これに疾くチョウセングルミ(一つにトウグルミともいわれる)の名のあるのも不思議とはいえない。そこで私はオニグルミ一名チョウセングルミをもって、満州、朝鮮ならびに黒龍江(アムール)地方にある Juglans mandshurica Maxim. すなわちすなわちマンシュウグルミの一変種だと考定したい。果たしてそうだとすれば、その学名を Juglans mandshurica Maxim. var. Sieboldiana(Maxim.)Makino と改訂する必要を認める。そしてまたヒメグルミすなわちオタフクグルミの学名も従って Juglans mandshurica Maxim. var. Sieboldiana(Maxim.)Makino forma cordiformis(Maxim.)Makino と改めなければならんことは必至の勢いである。すなわちマンシュウグルミからクルミすなわちオニグルミが出で、オニグルミからヒメグルミすなわちオタフクグルミが出たのである。
 小野蘭山おのらんざんの『本草綱目啓蒙ほんぞうこうもくけいもう』に「真ノ胡桃クルミハ韓種ニシテ世ニ少シ葉オニグルミヨリ長大ニシテ核モ亦大ナリ一寸余ニシテ皺多シ故ニ仁モ大ニシテ岐多シ」とあるものは恐らくマンシュウグルミを指していると思うが、しかしこれを真の胡桃であるといっているのは誤りで、胡桃の本物はチョウセングルミそのものでなければならなく、蘭山はそれを間違えているのである。
 また、右『啓蒙』に「一種カラスグルミハ越後ノ産ナリ核自ラヒラキテ烏ノ口ヲ開クガ如シ故ニ名ヅク」とあるものは珍しいクルミである。私は越後の御方に対して、これを世に著わされんことを学問のために希望する。また同書に「一種奥州会津大塩村ニ権六グルミト云アリ核小ニシテ圧口※(「木+奈」、第4水準2-15-9)ヲジメ子トナスベシ是穴沢権六ノ園中ノ産ナル故ニ名ヅクト云甲州ニモコノ種アリ」と書いてある。私の手許にこの会津産の権六グルミが二顆あって、かつて『植物研究雑誌』ならびに『実際園芸』へ写真入りで書いておいた。そしてその学名を Juglans Sieboldiana Maxim. var. Gonroku Makino として発表しておいたけれど、これもまた Juglans mandshurica Maxim. var. Sieboldiana(Maxim.)Makino forma Gonroku (MakinoMakino としておかねばならないだろう。