植物一日一題 牧野富太郎

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 栗とクリ
 
「栗は日本になくクリは中国にない」。こう書くと誰でも怪訝な顔して眼をクリクリさせ、クリはどこにもあるじゃないかという。その通りクリは日本のどこにもあるが、しかし栗は日本のどこにもない。けれども漢和字典のようなものを始めとして、いろいろの書物にみな栗をクリとして書いてあるではないかと言い張るだろう。
 ところが元来栗というのは中国産のもので、今それを学名でいえば Castanea mollissima Blume であり、西洋での俗名は Chinese Chestnut であって、あの町で売っているいわゆる甘栗がすなわちそれである。この栗は少しは今日本に植えられているようだが、しかしまだ日本でなった実が市場に出ることはなく、そして出るほど多量な実は今日日本では稔らない。それは畢竟その樹を大量に植えないからである。しかしこの栗は通常日本ではなかなかに実の着きが悪いといわれる。
 私の庭にこの支那栗の樹が一、二本ばかり成長を続けている。その一本へ今年初めて花が咲いたが、ついに実がならずにすんだ。その樹の本の方は直径は一方のものは五寸、一方のものは六寸五分あって、この太い方へ花が着いた。この支那栗はその幹の様子、葉の様子も無論大体は似ているが、日本のクリとは異なって嫩い幹は滑かであり、葉の広いものはその幅およそ三寸五分もあり、初めは裏面も緑色だが、後にはそれが白色を呈する。つまり非常に細かい白毛が密布するのである。この私の庭の木は前年市中で生の甘栗を買い来って播種したものである。今日でも大きく成長を続けてはいるが、依然として一向に実が生らない。
 土佐に傍士栗ボウシグリ(私はこれを特にボウシアマクリと称える、何となれば別にボウシグリという名があるからだ)というのがつくられている。傍士駒市という人がセレクトした品種で実が大きい、すなわち支那栗の優品で、私はこの学名を Castanea mollissima Blume var. Booshiana Makino, var. nov. (Bur short-padicellate, large, subcompressed-globose, densely prickled, about 9 cm. across; involucre 4-valved, thick, pale-tomentose within; prickles rather stout, with acerose branches, pale-pubescent. Nuts 3-together in each bur, brown, 23-30 mm. long, 25-36 mm. broad, 13-30 mm. thick, very shortly cuspidate at the apex, rounded or truncate-rounded and white adpressed-pubescent towards the top. Seed-coats easily separate from the embryo, which is pale-yellow and sweet in teste. ― B※(マクロン付きO小文字)shi-guri.) と極めた。この一本が今私の庭に健全に成長している。その栗毬は大形で堅果も大きい。
 支那栗すなわちアマグリは実の渋皮がむけやすく味が甘いのが特徴である。日本のクリとこの支那栗とをかけあわせてその間種をつくってみたら利益があることと思うが、もうどこかでその見本樹が出来ているかも知れない。
 日本のクリはその学名は Castanea crenata Sieb. et Zucc. で、西洋での俗名は Japanese Chestnut である。そしてクリの語原は黒い意味でその実の色から来たもんだ。これは日本の特産で中国にはない。ゆえに中国名の栗の字をもって日本のクリそのものとすることは出来なく、クリはいつまでもクリで、中国の栗の字をもって日本のクリにあてることは正しくない。しかるに従来の学者はそんなイキサツのあることは知らないから、栗の字を日本のクリへ適応して平気でいるが、それは全く勘違いだから、栗の字を日本のクリから絶縁さすべきだ。そして日本のクリ仮名でクリと書きかつそう呼べばそれでよい。
 これに類したことは松の字でも見られる。元来松は中国特産のシナマツを指したもので日本のマツの名ではないから、厳格にいえば日本のマツへ対して書くべき文字ではない。日本のマツには書くべき漢名は一つもないから、マツはマツで押し通すよりほかに途はない。また黒松といい赤松というのもじつはシナマツの一品であって、日本のクロマツ、アカマツへ適用すべき漢名ではない。日本のマツは一切中国にないから従って中国名がないのが当たりまえだ。