植物一日一題 牧野富太郎

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 日本の植物名の呼び方・書き方
 
 日本の草や木の名は一切カナで書けばそれでなんら差し支えなく、今日ではそうすることがかえって合理的でかつ便利でかつ時勢にも適している。マツはマツ、スギはスギ、サクラはサクラ、イネはイネ、ムギはムギ、ダイコンはダイコン、カブはカブ、ナスはナス、ネギはネギ、キビはキビ、ジャガイモ[#「ジャガイモ」は底本では「シャガイモ」]はジャガイモ、キャベツはキャベツ等々でよろしい。なにも松、杉、桜、稲、麦、馬鈴薯、甘藍などと面倒臭くわざわざ漢字を使って書く必要はない。元来漢字で書いたものはいわゆる漢名が多く、漢名は中国の名だから、こんな他国の字を用いて我国の植物を書く必要は認めない。ゆえに従来の習慣のように漢字を用うるのはもはや時世後れである。昔はそれでもよかった時代もあったが、今日はもう世の局面が一転し、旧舞台が回って新舞台になっていることを理解していなければならない。東方日出でてなお灯を燃やす愚を演じては物笑いだ。
 東京帝国大学理学部植物学教室では、何十年以来植物の日本名はみなカナで書いているが、世間はズット大学より後れて昔の習慣から脱却し得ず、いわゆる古い殻を脱がないのである。それがどれほど日本文化の進歩を妨げているか、まことに寒心の至りに堪えない。また自分の国での立派な名がありながら、他人の国の字でそれを呼ぶとはまことに見下げはてた見識で、また独立心の欠けている話し、これはまるで自己の良心を冒涜し、自分で自分を辱かしめているといわれてもなんとも弁解の言葉はあるまい。ゆえに一日、否な一刻も早くこの卑屈な旧慣を改め、この不見識な旧習から脱却して、現下の時勢に鑑み今日の進歩に後れぬように努めねばならないが、しかし旧態依然たる陋習ろうしゅう[#ルビの「ろうしゅう」は底本では「そうしゅう」]を株守している人々が世間に多く、これではけっして文化的または科学的な行き方とはいえまい。